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【コペルニクス】
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正式発表の前に死んだため宗教裁判を避けられた?
コペルニクスは、破門や相当の処分を受けませんでした。
「世間に公表したがらない」
=
「本人も馬鹿げた話だと思っているんだろう」
とお偉いさんに思われていたのでしょうかね。
枢機卿(将来の教皇候補でカトリックにおけるナンバー2の役職・大勢いる)の一人から「ブラボー!」(超略)という手紙を送られたりもしているのですが、これが罠だったらめっちゃ怖いですね。
友人たちからは「教皇様にも知られてるくらいなんだから、きちんと出版したらいいじゃないか」と勧められながら、やはりコペルニクスは首を縦に振りません。
「そんなコトしたら目をつけられる」と考えていたのかも。
ようやく出版を決意したのは、ドイツの大学教授ゲオルク・レティクスがコペルニクスを訪れ「地動説という考え方に感激しました! 私を弟子にしてください!」(超訳)といって、半ば強引に弟子入りしてきてからのことです。
レティクスは心底コペルニクスと地動説に惚れ込んでいたらしく、出版業者への取り持ちや広報活動までしています。
弟子というよりファンのようですね
校正された原稿が届く直前に……
残念ながら地動説の完成版とでも呼ぶべき本が出版される直前、コペルニクスは脳卒中で倒れてしまいました。
半身不随になりながらも半年は生きながらえていたのですが、校正された原稿が届く前に、彼は世を去ってしまいます。
ちょうど70歳のときのことでした。
というわけで、コペルニクスは正式に地動説を発表する前に亡くなってしまったことになります。
もし彼がもっと長生きしていたら?
あるいは地動説をもっと早く&強く推していたら?
ジョルダーノ・ブルーノやガリレオ・ガリレイのように、宗教裁判にかけられていたのかもしれません。
穏やかな最期を迎えられた代わりに、一聖職者でしかなかったことから、埋葬場所がわからなくなってしまったのですが……。
コペルニクスの職場だったと思われるポーランド・フロムボルクの大聖堂で彼のお墓が見つかったのは、なんと2005年のことです。
コペルニクスが持っていたとされる本に挟まっていた髪の毛と、埋まっていた頭蓋骨に残っていた歯をDNA鑑定したところ、一致したのだそうで。
近隣にはコペルニクスの名を冠したホテルやカフェなどもあるようです。
彼の足跡をたどるときには、併せて訪れてみるのも面白そうですね。
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長月 七紀・記
【参考】
『ラルース図説 世界史人物百科〈2〉ルネサンス‐啓蒙時代(1492‐1789)』(→amazon)
ニコラウス・コペルニクス/Wikipedia
地動説/Wikipedia
AFPBB