浅井家に裏切られ、一時は絶体絶命のピンチに陥れられた織田信長。
敵の本拠地・小谷城を攻撃するため周囲の支城攻略から進めていました。
まず元亀元年(1570年)に落としたのが、岐阜から近江への玄関口にあった長比砦と苅安砦。
黄の拠点が岐阜城
赤の拠点が右から長比砦・刈安砦・小谷城
砦に入っていた堀秀村と樋口直房という主従を豊臣秀吉が口説き落としておりました。
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それから約3年後の天正元年(1573年)7月、ついに信長は浅井の本拠地を目指します。
ポイントは、小谷城のすぐそばにあった山本山城という支城……ということでマンガ「日本史ブギウギ」第159話スタート!
攻略法
◆秀吉の調略&プレッシャーに負けて、阿閉貞征が織田家の軍門に降ると、すかさず信長は大軍を率いて小谷城を囲みました。
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そしてこの後、援軍にやってきた朝倉軍を追い払い、一気に朝倉義景を滅ぼしてしまいます。
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そして再び小谷城を囲んで……。
総攻撃
◆まぁ、長政さんも仕方なかった……。
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浅井家は強力な戦国大名というより国衆の取りまとめ的な一面もあったので、強権を発動できなかったんですね。
なぜ裏切ったか?という浅井家の事情については以下の記事で考察させていただいてます。
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なお、小谷城の攻略そのものについては以下の記事に記されてます。
小谷城の戦い(信長vs長政)で浅井滅亡~難攻不落の山城がなぜ陥落したのか
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イチの退城
◆織田家と浅井家の同盟を結ぶため長政のもとに嫁いでいたのが、信長の妹・お市の方。
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絶世の美女として知られますが、【金ヶ崎の退き口】後に離縁するかと思いきや、長政が信長を裏切った後もそのまま浅井家にとどまり、その後、娘を二人産んでいます。
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いわゆる浅井三姉妹ですね。
それぞれの生年を見ておきますと……。
【浅井三姉妹の生年】
①茶々:永禄12年(1569年)
→豊臣秀吉の側室
②初:元亀元年(1570年)
→京極高次の妻
③江:天正元年(1573年)
→徳川秀忠の妻
裏切ったその年に次女・初が生まれ、その後、さらに三女・江が生誕しておりますね。
戦国時代は嫁ぎ先よりも実家を重んじる傾向があり、それと反対の行動をした「お市の方」は長政に心底惚れていたのでは……と考えられたりします。
それだけに浅井攻略で大活躍した豊臣秀吉を嫌っていたのでは?なんて見方もされたりしますね。
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