家族に出迎えられたまひろの父・藤原為時。
ぐったりと倒れ込むと、花山天皇の退位と、式部丞(しきぶのじょう)を罷免され、蔵人を解かれたことを告げます。
まひろが退位の理由を尋ねても、為時にも理解はできていない。
19歳で出家した上に、新たな帝はわずか7歳。これからは摂政様こと藤原兼家の思うがままだと嘆くしかありません。
弟の藤原惟規は能天気に、また式部丞になれるかもしれないと言うものの、為時は暗い顔を浮かべるだけ。
もう除目に望みはない。
と、ようやく惟規も事態の深刻さに気づき、どうなるのかと為時に問うと、こう返ってきました。
「父は何もできない……死ぬ気で学問に励め」
絶望した顔をする惟規。姉であるまひろも困惑しています。
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帝はなぜ譲位した?
内裏では貴公子たちも困惑しています。
藤原斉信が、帝はまだ19だったと言えば、藤原公任が藤原忯子が亡くなって以来気落ちしていたことを指摘します。行成もわけがわかりません。
そもそも、あの夜に何があったのか?
公任は藤原道長が明け方、父の藤原頼忠に何かを知らせにきたことを回想しています。物陰から、いつになく厳しい顔をした道長を見たのだとか。
「やるなあ」とこぼす斉信に、誉めている場合かと返す公任。
と、そこへ道長が「遅れたか」と言いながらやってきました。
藤原行成が写してきた『詩経』を渡すと、続けざまに斉信が帝をどうやって連れ出したか尋ねる。
「聞かない方がいいよ。もう終わったことだ」
道長は、どこかふてぶてしくなりました。
さて、ここで貴公子が揃うと、公任は王維(おうい・盛唐の官僚であり詩人)の新楽府(漢詩の形式)話をしようとしています。
道長の隣にいて、顔つきが変わったと気にしている行成。
彼が書いてきた『詩経』を喜び、良い字だと道長も満足げです。
能書家である行成は、こうした写しをさせられる機会が多かった。人間高級プリンター扱いですね。
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かな書道が光る『光る君へ』「三跡」行成が生きた時代
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このころは宋版印刷が始まった頃です。輸入がぼちぼち始まり、上流貴族がようやく手にするようになれた時代ですから、まだまだ筆写が主流。
印刷技術が発達した時代となると、プロの書道家は一文字いくらのような価格設定をし、注文を受けて売り捌くようになります。
しかし、それはまだ先のこと。行成の時代は、何かと理由をつけて書かせようとします。
書籍の筆写や、恋文などなど。筆跡欲しさに行成に恋文を送る人は多かったとか。
なお、写経は本人がやらなければ意味がなく、道長の自筆も残されております。
◆道長自筆写経が国宝に ホケノ山古墳の出土品、法隆寺の仏像は重文へ(→link)
摂政様の周りを飛ぶ虫
まひろは倫子の元へ向かい、丁寧に頭を下げます。
「どうなさったの」
そう声をかける倫子に、突然の訪問を詫びると、暇だからよいと返され、話を続けるまひろ。
話題は父のことでした。失職してしまった件について、どうにかならないかと訴えます。
父は裏表のない真面目な人で、学識もある。新帝にどうにかできないか?と左大臣に訴えて欲しい。
倫子も強張り、それは難しいと言います。すべては摂政様次第で……だからこそ、左大臣経由で頼みたいとまひろは訴えるのですが、倫子はさらにキッパリと返します。
摂政殿の決断は帝の決断。左大臣が覆すことはできない。
力になれないことを詫びると、まひろは摂政様にお目にかかるしかないと言います。
「おやめなさい。摂政様はあなたがお会いできるような方ではありません」
倫子はそう言い切るのでした。
藤原兼家に「為時の娘が来ている」と告げられます。なんでもお会いするまでは帰らないと裏門に座っているとかで、追い返すべきかと提案されると、兼家は会うことにします。
「ここがあの人の家……」
そう思いながら、邸の中を歩いて行くまひろ。なんとも立派な家ですね。
「面(おもて)をあげよ」
兼家はそう告げると、笑みを浮かべながら「賢いと評判の為時の娘か」と声をかけてきました。
まひろが丁寧に挨拶をし、父の職についての訴えを始めます。
摂政様のために長年尽くしてきた。不器用であっても、不得手な間者を務めてきた。それなのになぜ何もかもが取り上げられねばならないのか。
せめて官職を与えていただけないのかと訴えると、兼家はねちこくこう返します。
「その方が誤解しておるのう。わしのもとを去ったのはそなたの父の方であろう」
それはまひろもわかっています。長い間ご苦労であったと、慰留しなかったこともわかっています。
兼家はそこまでわかっていながらどの面を下げて参ったのかと聞いてきます。
去りたい者は止めない。しかし一度でも背いた者に情けをかけることはない。目が黒いうちは、為時が官職を得ることはないと言い切り、兼家は無情な声で「下がれ」と追い払うのでした。
鎌倉から去った結果、上洛途中で一家ごと討ち果たされた『鎌倉殿の13人』の梶原景時よりは穏当な処置といえましょうか。はたまた一度出奔した本多正信も受け入れる、徳川家康が偉大なのか。
『真田丸』の正信をみていると、そうするだけの価値はあると思えましたね。
家康の時代であれば、儒教倫理も普及しています。
娘が父のためを思い訴えるならば美談となり、ああもそっけなく追い払うことはないでしょう。家康時代はそうでなくとも、綱吉や吉宗まで時代が下ればそうなっていると思えます。
そこへ道長が帰ってきます。
父が客人と面会していると聞くと、向こう側の廊下をまひろが歩いている。その姿を追いかける道長。まるで天女を見たような喜びがあります。
しかし、客人は誰か?と尋ねる道長に対し、父の兼家は吐き捨てるよう言います。
「虫ケラが迷い込んだだけじゃ」
道兼は、刀で刺殺した“ちやは”のことを虫ケラだと罵った。このとき道長は、兄に食って掛かっていった。
今回の兼家は、まひろ自身を虫ケラ扱いしている。
しかし、道長は何もできず黙っているだけです。
「妾」にするのによい女
まひろを訪ねて、藤原宣孝が家にきていました。
藤原為時は高倉の女のもとへ出かけています。
宣孝は、摂政・兼家に直談判しにいったまひろの度胸を誉めています。すげなく追い返されたと言っても、慰めを一言言うだけの俺よりもずっと肝が据わっていると感心している。
まひろは次のことを考えています。
何かしなければ……働かねば……そう思い詰めていると、宣孝が婿取りを提案。
北の方にこだわらなければよい。博識だし、話も面白いし、器量もそう悪くはない。誰でも喜んで「妻」にするであろう。そうなれば働かなくていいし、為時は好きな書でも読んでいられる。
心当たりはないか?と聞かれ、「無い」と即座に否定するまひろ。彼女は「妾(しょう)」になりたくないと抵抗感を示します。
宣孝だって複数の妾がいて、それぞれ愛していて、文句は言われないんですと。言われても気づいていないだけかもしれませんけどね。
男は、そのくらい度量はあるものだと言い切り、若くて自分のような男はいないか?と言い出します。
そして、勝手に探してみると請け負い、「為時には会えなくてもまひろとはよい話ができた」と言いながら、さっさと帰っていくのでした。
宣孝の提案はとんでもないようで、現実的といえます。
生々しい話になってきました。まひろは当時で結婚適齢期。宣孝が自分の妾にすると言い出さないのは、年齢という好条件があるからとも思えます。これ以上、まひろが年齢を重ねていくと、状況は変わってくるでしょう。
しかし彼女はまだ考えてしまう。道長が長い黒髪を撫でたあの手のことを……。
道長も、弓の鍛錬をしながら、まひろの白く柔らかい肌を思い出してしまいます。そんな状態で弓を引いても、当たるわけがなく、大きく的を外してしまう。
そして父の言葉が心のうちに出てくる。
「虫ケラが迷いこんだだけじゃ」
魅力的な女の肉体と、父の言葉が重なることで、ドス黒いものが見えてきます。自分の力を利用すれば、あのことがもう一度叶うのではないか?
『源氏物語』の光源氏も、そんなサイテーなことをよくやらかします。
朧月夜相手には「助けを求めても無駄だよ」と己の権力をひけらかし、ものにしていました。
物語の成立背景を描くことで、生々しくなる世界がある。実におそろしいドラマです。
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それにしても、ここの弓をご覧ください。
『鎌倉殿の13人』の坂東武者仕様よりも弱いとわかるでしょう。それに坂東武者が戦の最中に女の柔肌を思い浮かべていたら、最悪死にます。
女にモヤモヤして弓を外すなんて、とんだ恥をかくわけで、野蛮なようでいながら武芸については真面目。
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道長が甘ったれたボンボンだということでもありますね。
坂東武者は源頼朝の好色ぶりに振り回され、呆れていたものでした。
外戚による傀儡政治 ここに極まれり
摂政となった藤原兼家は、内裏に直廬(じきろ)という執務室を設けました。
そして臨時の除目をして、人事を決めます。
権大納言に藤原道隆、参議に藤原道兼を配し、露骨に息子たちを昇進。そして一条天皇の即位式に挑むよう叱咤激励する。
それにしてもこの兼家のやり口のえげつなさよ!
『三国志』で悪党とされる曹操と共通しています。帝を担ぎ上げ、傀儡にして政権を運営するのですが、ここから先に日本史と中国史の違いがあります。
日本史は傀儡として利用していく。
中国は己の一族が新たな王朝を開く。
その状況をどう捉えるべきか。ここで考えてみることもまた一興でしょう。
父・兼家の策略により、即位することになったまだ幼い一条天皇を、母である藤原詮子が叱咤激励しています。
もう帝なのだから悠然としていなければならない。殿上人にも民にも語り継がれる帝にならねばならない。母が命を懸けてお支えする。帝となる覚悟をするよう語りかけます。
詮子自身も「国母」、皇太后となりました。
さらに兼家は、東宮として居貞親王を擁立しました。
これもなんともあからさまです。居貞親王は冷泉天皇の皇子であり、花山天皇の弟です。
しかし、その母は兼家の娘である藤原超子。つまり、兼家の血を引く母であるかがどうかが重視されているのです。
東洋史にみられる「垂簾聴政」(すいれんちょうせい)という政治体制ですね。
幼帝に代わり、その母が政治の実権を握ります。母とその父や兄弟が政治を回す「外戚政治」とも言います。
中国の場合、北朝北魏ではこうした政治の私物化を阻止するため「子貴母死」(子が即位したら母は殺す)という制度もありましたが、結果、廃れました。
どんな対策をたてても、結局は王朝ごとに弊害が残ってしまうのです。日本でも有名な西太后が最後にして最も有名な事例でしょう。
19世紀の朝鮮でも、外戚による「勢道(セド)政治」が横行しておりました。
例えば幕末において、幕臣の栗本鋤雲はフランス人のメルメ・カションに、フランスでも垂簾聴政はあるのかと聞いています。
メルメ・カションはイギリスのような他の国ならともかく、我が国にはそんなことはないと返している。
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しかしこれには注意が必要です。
彼の時代には確かに廃れていましたが、フランス史にも母が我が子に代わり政治を行ったとされる例があります。
カトリーヌ・ド・メディシス、ルイ14世の母であるアンヌ・ドートリッシュが代表例です。
こうした女性による統治は、時代劇と相性がよい。西太后、朝鮮文定王后に仕えた鄭蘭貞、カトリーヌ・ド・メディシスは知名度も高く、フィクションの題材定番です。
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こうしてみてくると、野心あふれる女性政治家を演じる上で吉田羊さんが選ばれたことは、納得しかないキャスティングですよね。
北条政子を演じた小池栄子さんに続き、日本を代表する枠が登場してきました。
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陰謀参加で出世の道綱 母はもっと要求
兼家は、藤原寧子のもとにいました。
道綱を忘れぬように釘を刺す寧子。
忘れておったらここに来ぬと言う兼家。
道綱は呑気な調子で「俺も蔵人」と語ります。欲がない息子に母は嘆き、もっと高い位にして欲しいと兼家にせがみつつ彼女は言います。
男は座る地位で育つ。自信がないくらいの方が良いと猛烈に推すのです。
「母上、もうやめて!」
困惑する道綱が、父に肩を揉めと命じられると、母が立ち上がって、代わりに揉むことにします。
それにしても……しみじみと酷いですね……。
天皇を強引に即位させる陰謀に参加したことで高い位をゲットするとは何事か。
藤原実資はこの道綱ことを「一文不通」、要するにアホだと罵倒しています。
実資や為時がクビになって、なんでこの道綱が出世するのか。汚い政治だと生々しく伝わってくる場面です。
ちなみに隣の中国では、科挙導入後もそれまで血筋重視の貴族制が残っていたものの、宋代からは完全に科挙選抜に変わるターニングポイントでもあります。
明代以降のように、テクニック重視の試験システムでもなく、一番実力のある政治家が輩出されたともされる時代。
そんな宋と比較すると、平安貴族は一体どうなっているのか? 東洋史単位で見ると色々な発見が浮かんできますね。
そしてもうひとつ、寧子のしたたかさ。
彼女も若い頃は、兼家の愛を信じ、ひたむきに愛していました。
それが今では我が子の出世を捩じ込む工作ばかりを求めている。彼女にせよ、ここに至るまで紆余曲折があった。
こうした女性はしばしば若い頃のみずみずしさを失い、厚かましさばかりを身につけたとされる。
でもよく考えると、いったい誰が彼女をそうさせたのか?という話でありましょう。
高御座の生首
わずか7歳で即位することになった一条天皇。
先代の花山天皇は出家し、数珠を握りしめています。
一条天皇の儀式を進めるにあたり、即位の時にだけ用いる高御座(たかみくら)が準備され、即位の時に被る冕冠(べんかん)は中国風ですね。
なんとも貴重な映像が続くドラマです。
本作は、地味だのなんだの言われますが、ここでしか見られない調度品や衣装が登場して実に見応えがあります。合戦だけではなく、こうした儀礼の映像もよいものでしょう。
すると、高御座の準備中に悲鳴があがります。
慌てて道長が中を見ると、高御座の上に生首が置かれていました。
穢れてしまった……と内匠司と女官が動揺する中、道長が冷静に生首をとりのぞき、座を拭くと、鴨川に捨てるよう命じます。
そして何事もなかったかのように即位式は執り行われるのです。
この高御座の生首事件により、道長の人物像に深みがでてきましたね。
こんな恐ろしいスキャンダルが現在まで伝わっているのは『大鏡』に書かれているためで、ドラマの描写はそれを混ぜ合わせたような作り。
一体どんな内容か?
と言いますと、『大鏡』の高御座に関する話の一つ目が、兼家の息子である三兄弟の肝試しです。
花山天皇が「女が鬼に喰われた場所に行けるか?」と提案すると、道隆と道兼は怯えて引き返し、道長だけが肝試しを終えた証拠を出してきました。
二つ目は、即位式で生首があると報告を受けた兼家のものです。
兼家はその話になると、眠りこけました。一件を報告した者が『よく寝ていられるな……』と思っていると、話が終わった途端に起きました。寝たふりをしていたのです。
道長には、怪異を恐れぬ度胸がある。花山天皇の挑発をも恐れない。穢れを隠し通す度胸は、父と同じである。
そう組み合わせることによってあらわれています。
道長は、首のことは誰の仕業かわかっていると達観したように言います。花山院かもしれないし、それ以外かもしれない。
怪異を信じるのであれば、花山院でしょうか。信じずに解釈を見出すのだとすれば、兼家の強引なやり口に起こった誰かです。
道長は、怪異も、現実も、もはや恐れていません。
敗北した花山院の数珠は、北斗七星の形に飛び散りました。そして都を後にすることが語られます。
北斗七星を司る北斗星君は、人の寿命を決めるとされる道教神です。南斗星君が長寿を司る一方、北斗神君は死を象徴する。
仏僧が祈り、数珠が北斗七星を思わせるこの演出は、仏教と道教が混ざってしまう当時らしい描き方です。
さて、高御座の首が誰のものか、気になる方もいるでしょう。
当時の平安京は死体が楽に調達できます。子どもの生首くらい、探せばどうにもなるはず。
飢えて行き倒れているか、野犬に食われかけているか。罪の意識さえ捨てれば、犯行はそこまで難しくありません。
直秀の死に泣いた道長はもういません。
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生首を鴨川に捨てるよう指示を出す、豪胆な政治家が生まれつつあり、この顛末を聞いた兼家も誉めています。
もしもことが知れ渡ったら即位式は中止だった。誰の仕業かつきとめなくてよいのかと道長に聞かれると、新たな帝が即位したことが全てだと言い切ります。
即位式の日、道長は五位の蔵人となりました。
笑裏蔵刀の宴
安倍晴明を前にして、藤原道隆の家族が揃っていました。
嫡男の藤原伊周は元服し、颯爽たる貴公子に。晴明が立派だと誉めると、聡明で物怖じしないところは貴子に似ていると兼家も笑顔です。
すると伊周が、父は「笑裏蔵刀」だと言います。
笑顔の裏に刀を隠しているという意味で、『兵法三十六計』第十計ですね。
母の貴子が慌てて、大人の話に口を挟むべきではないとたしなめると、自分はもう大人だとして動じない伊周。藤原の将来を背負う覚悟があると言い切ります。
晴明が、頼もしい嫡男だと誉めると、今度は一の姫である定子も紹介されました。
ゆくゆくは入内させ、皇子を儲け、家を盛り立てるようにするとのこと。晴明は、そんな定子のこともじっと見つめています。
これから先は道隆の世であるとして、晴明によろしく頼む兼家。
すると、そこへ藤原道兼がやってきました。
父のご機嫌伺いに来たらこの宴は何かと憤っている。なぜ自分が呼ばれていないのか。
慌てて父の兼家が道兼を連れ出すと、道兼が不満を露にします。
帝を退位させる陰謀で一番活躍したにも関わらず、兄に出世が及ばないのはなぜか。
兼家が、道隆ではなく定子の宴だとごまかしつつ、現在3歳の道兼の娘もいずれ入内させると言い始めます。
孫娘二人が后になるとは、なんという幸せものか。そう語りながら、道兼が道を切り拓いてくれたと褒めつつ、道兼に公卿たちの心を掴めば兄を追い抜けると語る。
ここでもう、道兼の最盛期は終わったことが作劇上わかってきます。
道隆の子である伊周が颯爽と出てくる。そのうえで、父自身か、己のことかわからないような「笑裏蔵刀」を投げかける。
これは名のある武士が、名槍でも振り回し、ポーズをつけて登場するようなものではないでしょうか。
そんなふうに颯爽と出てくる伊周の一方で、道長が策を練る政治家として老練が始まったことが見えてきている。
兄弟の中で道長は妻がおらず、娘がいるわけもない。それでも彼は変わった。打毱のころは、娘を入内させるのは不幸にすることだと語っていました。
そんな道長は変わりつつある。この時点で両者が対立していく構図が見えます。
その構図から道兼は振り落とされたと言うことです。
道兼がレースから落ちていくのに対し、そもそもがレースに参加できていない者もいます。
能天気な道長の異母兄・藤原道綱です。
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道綱は無能でも人がよいらしく、俊古が道綱から「美味しいお菓子をもらった」と嬉しそうにしています。
俊古は長いこと蔵人を見てきた。そう聞いた道長が、藤原為時について尋ねると、「実資と為時があんな形で道を閉ざされるのは惜しい」と語っていました。
それにしても「おいしいお菓子」とは一体なんなのか?
以前、SNSで中国の伝統菓子という触れ込みで和菓子のような写真が投稿されました。
中国ではなく和菓子だ――そんな反論が渦巻きましたが、中国では食文化や調理法が変化し、伝統的な菓子も変わっていく一方、日本に伝えられた中国の伝統菓子はそのまま残ったりする。
結果、中国の伝統菓子が和菓子に思えてしまうと言う現象が起こります。
これは菓子だけでもなく、屠蘇、抹茶、下駄、褌も該当します。
『三国志』の諸葛孔明が草庵で畑仕事をしている時、下駄を履いていても考証としては間違いではありません。
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倫子とまひろ、勝者はどちらだ?
ここで為時の家がもう限界だとわかる場面へ。
まひろが使用人に暇を出しています。父が官職を得たら戻って欲しいと告げるものの、実質的に永遠の別れと言えるでしょう。
そして、まひろは道長の文を見つめる。
道長も、まひろの文を見ている。
まひろが陶淵明の『帰去来辞』を送ったことが刺さってきます。
あれは決意の歌で「これまでとは別の道に行こう……」と誘うものとしても詠めます。
しがらみを捨てて愛の道へと向かうか。それとも愛を捨てて政治へ向かうか。どちらにも解釈ができます。
道長の心を反映する。この前は愛への逃避行を選んだけれど、今回は逆転してもおかしくありません。
君やこむ 我やゆかむの いさよひに 真木の板戸も ささず寝にけり
あなたが来るのかな、それとも私が行こうかな。そう悩んでいるうちに、十六夜の月が見えてきて、私は閨の扉も閉めずに寝てしまいました。
『新古今和歌集』を学んでいる姫君サロンの面々。
おなごはひたすら殿御を待つだけなんて! 待っているうちに寝てしまうなんて寂しい!
そうキュンキュンしていると、まひろが「寝ていない」という持論を展開します。寝てしまったことにしないと自分が惨めになると思ったのだろうというわけです。
赤染衛門は言葉の裏を感じるようになると、歌がよりよく詠めると満足気な様子。本日はこれまで。
すると倫子がまひろを呼び止め、二人で話すことになります。
父上のことはどうなったか?と問われ、なるようにしかならないと吹っ切ったまひろは、亡き母のように家のことをすると言い切ります。
それでもここへは息抜きに来て欲しいと頼む倫子。
するとまひろが、婿を取らない理由を倫子にたずねます。山のように文が来ていると噂なのだとか。
まひろも変わってきました。恋心の歌を深く読み込み、婿取り話を知りたがるようになったのです。
「私、今、狙っている人がいるの」
親ですら猫にしか興味がないと思っているけれど、実は思う人がいると告げる倫子。いったい誰のことなのか?まひろが聞き出そうとするものの、倫子は「言えない!」と返します。
まひろも納得していますが、なかなか残酷な話ですね。
文が山ほど届く倫子は、相手を選ぶことができる。一方でまひろは、愛情よりも財産を見て選べと宣孝に言われている。残酷女子トークだ。
倫子は必ずこの家の婿にすると決意を語り、その時までは内緒だと言います。
「それは楽しみでございますね!」
「私も楽しみ!」
そう笑いあう二人がおそろしい。
倫子が恋する相手は、もうまひろと枕を交わしています。しかしまひろは、夢なんて見ていないで経済力で婿を探すしかない現実があります。
もしも倫子が真相を知ればすればまひろが憎たらしくて仕方ないかもしれませんが、まひろにしても所詮は精神的勝利法でしかないともいえる。
こんな激しい毒を飲ませてきてどうしようと言うのですか。おそろしい。
女の黒髪に縛られ、脛に惑う
まひろは仏像に手を合わせ祈ります。
そして書き物をして、野菜を作る。顔に泥がついてしまい、“いと”が笑っている。乙丸は薪を拾ってきて、よろめいてまひろと共に転んでしまいました。
まひろが読んでいたのは『史記』「秦始皇本紀」と『長恨歌』です。
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そんな家の周辺を道長がうろつき、まひろを垣間見ています。
水仕事をする白い脛が輝くように見える。汗を拭う様もかわいらしい。
このドラマは恐ろしいことになってきました。
時代によって、どこにエロスを感じるのか変わってきます。
例えば昔の日本人は大きな胸はむしろマイナスです。
では、どこがエロチックなのか?
答えはこのドラマの強調するところ。まひろと道長の回想シーンには、黒髪を撫でる手の動きが印象的に描かれます。女の黒髪は男の心を縛る情欲の象徴です。
そして白い脛。脛を見せることははしたないこととされます。さりげなく仕事をする女の白い脛はたまらなくセクシーで、これを見た神や仙人が落ちてくると言われたりします。
うなじがエロチックとなるのは、髪をあげる時代のことで、ドラマの舞台には該当しません。
つまり道長がまひろの白い脛を覗き見るということは、彼はもう情欲の虜であることが見えてきて……ったく、けしからんドラマですね。
現代人ならば汗を拭う顔がかわいいと思うところですが、昔の人は脛に煩悩が炸裂すると。
もはや辛抱たまらない道長は、百舌彦にまひろへの伝言を託します。
今宵、いつもの場所で待っている……と、出てきた乙丸が、ハッキリ言います。
「若君、もういいかげんにしてください!」
この反応から、乙丸の認識がわかります。この若君はうちの姫君を慰み者にするつもりだ。もういい加減にしてくれ! そんな嘆きだ。
百舌彦が「若君に何を言うか!」と反論するものの、道長に制止される。
結果、夜になって、まひろは密会の場所へ向かいました。
待っていた道長は、情熱的な音楽を背景にまひろを抱き、唇を重ねる。
しかし、ここから先が先週とは違う。
「妻になってくれ」
そう願う道長。
「遠くの国には行かず、都にいて政の頂を目指す。まひろの望む世を目指す。だから、側にいてくれ。2人で生きていくために、俺が考えたことだ」
「それは、私を北の方にしてくれるってこと? 妾(しょう)になれってこと?」
「そうだ。北の方は無理だ。されど、俺の心の中ではおまえが一番だ。まひろも心をめてくれ」
「心の中で一番でも、いつかは北の方が……」
「それでもまひろが一番だ」
道長は現実的になりました。
今週、どこか暗い顔を見せていた公任。道長の後塵を拝することになる運命を察知したかのようでした。そんな公任の打算の高さが道長に移ったようにも思えます。
まひろの身分では、産んだ子が軽んじられてしまう。まひろの家に婿入りしたら資産がない。
道長なりに妥協した提案です。
視聴者にとっては最低でも、宣孝ならば「いい話だ」と納得することでしょう。弟の出世を頼み込めば、藤原惟規だって学問をせずとも出世できるでしょう。
「耐えられないそんなの!」
「俺の気持ちもわかってくれ!」
「わかってない!」
そう言われ、道長は怒ります。
「ならば、どうしろというのだ! どうすれば、おまえは納得するのだ。言ってみろ。遠くの国に行くのは嫌だ。偉くなって世を変えろ。北の方でなければ嫌だ。勝手なことばかり……勝手なことばかり言うな!」
二人は決裂してしまいました。
家に戻った道長は、手紙を燃やしている兼家に「願いがある」と切り出しました。
いったい何のことなのか……。
相手の黒髪を思う。相手の白い脛を見て辛抱たまらない風情になる。相手に出会ったら即座に唇を重ねる。妾にするからわかってくれと懇願する。
道長の恋心とは、結局のところ情欲ではないかと思えてきます。
生々しい若者の思いといえばそうですが、理屈は成立します。
早いところ娘を産ませ、入内させねば政の頂に立てないのです。早く身分の高い女を得たい、そう焦っているとみてよいでしょう。
公任たちライバルにとっても、ひとつの時代が終わることを示しています。
打鞠のあと、バカ話していた時代は終わった。道長が源倫子を妻とし、娘を得たら、公任たちにとってはもはや勝てぬ相手となってしまいます。
恋の季節は終わったのです。
まひろは啜り泣き、水面に映る影に石を投げます。
けれどもこれがまひろの望んだことだと、道長は言える。
まひろは『史記』「秦始皇本紀」を読んでいた。奸計で権力を得た醜さがわかる箇所です。
そして『長恨歌』です。聡明な皇帝であった唐玄宗が、楊貴妃を熱愛し、政治が乱れる様を詠んでいます。
直秀のような者を減らすための善政を実現するのであれば、楊貴妃のような美女はむしろ為政者から遠ざけねばなりません。
道長は嘘をついているわけでもない。まひろはずっと心の中に、一番星として残ります。決して消えぬ光になって輝いています。
けれども、おそらく、二人が結ばれることは今後ないと思われます。
光源氏は最愛にして永遠の女性であった藤壺と、一度しか結ばれておりません。
一度だけ枕を交わすことは、ある意味永遠の仲となることでもある。
そういうややこしいお約束に添うのではないでしょうか。
MVP:藤原道長
蛟竜(こうりゅう)雲雨を得る。『三国志』「呉志」周瑜伝
水の中に潜む龍が雲や雨を得て、いきなり大きく空を舞う様。それまで埋もれていた英傑が急激に伸びること。
魯粛が劉備を警戒した言葉です。
道長はまさしく、前回までがカワイイミニサイズの竜でしたが、今週、巨大化したようなオーラが出てきました。
中国古典で「雲雨」は同衾の意味もあり、まひろと肌を合わせた結果、とんでもないことになりました。
まひろとの恋は無駄どころか、とてつもない巨龍を目覚めさせたのです。
これが武士ならば、『麒麟がくる』の光秀や、『鎌倉殿の13人』の義時のように、初めて血を流すことが覚醒となるのに、道長は性の目覚めでした。
冗談でもなんでもなく、出世手段の違いです。
武士は武功で出世する。この時代の貴族は子を為し、入内させることで出世する。性は避けて通れません。
どうやら今年の大河ドラマは、多くの人の目を開かせてしまったようです。
平安時代にハマる人が増えていることを感じます。このドラマそのものが、小さな竜に降り注ぐ雨かもしれません。覚醒とはなんと興味深いことか。
道長は顔つきが変わりました。あの怒り出したところで、なんてゲスなんだ、サイテーだと呆れる気持ちはわかります。
でもその裏には、野心的な政治家の像も見えてきた。それはそれで魅力的です。
くるくると変わる表情を見せる柄本佑さんが真骨頂へ登ってゆきます。
彼もまた、龍なのでしょう。辰年にふさわしいドラマではないですか。
大河ドラマはサイテー男ばかりだと気づこう
道長がサイテーだ!
そんな嘆きが満ちてきそうではあるものの、それは誠意あってのことです。
女性の立場を考えた大河ドラマに、2013年『八重の桜』があります。
あの放映時「兄つぁまを鴨川に放り込め」という声があふれました。会津に糟糠の妻を残し、京都で若い女性を妻にしてしまったからそう言われたのです。
ただあれは、お堅い会津藩ならではということ。兄つぁまこと山本覚馬が失明し、介助が必要だったという事情もあります。
2015年『花燃ゆ』では、京都で女を作る長州藩士は当然すぎて、もう感覚が麻痺するようなところはあります。
あれは「イケメンならゲスでもいいでしょ!」と押し付けてくるような作品でした。
そして2021年『青天を衝け』は、高度なイケメンロンダリング技術が発揮されたドラマでしたね。
幕末から明治という時代は、女性をともかく粗末にしていました。
若いウェイウェイ系のお兄さんが京都に向かい、テロで権力を得たものだからそりゃ遊ぶ。
大学生サークルのノリが抜けない連中が、国の頂に立ったわけですから、そんな連中の下劣事情を、どうしてNHKはロンダリングするような描き方にしたのか。
呆れながらもリストにまとめますと、ともかくあのドラマに出てくる男はカスの精鋭部隊です。
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こうして並べてくると、今週の道長が霞んでしまう。
2023年『どうする家康』は、女性関係ではあまり甘くならないはずのところを甘ったるくして見ていられなかった。
しかも文春砲がまたも炸裂し、主演の意向で「阿茶局に井上真央さんをキャスティングするつもりだった」なんて暴露まであります。
◆《どうする松潤》「独立計画」を最強ブレーンに直撃した【全文公開】(→link)
仕事と恋の公私混同は、時代を超えて悪をもたらします。
井上さんが巻き込まれなくて本当に良かった。
彼女は大河が失敗した結果、キャリアが停滞しました。
昨年の主演はさらに様々な影響が予測されており、大河ブランド一つの区切りを考えさせる流れです。こういうことで歴史を作り出さなくてもよいでしょうに。
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『花燃ゆ』『青天を衝け』『どうする家康』のような作品は何がよろしくないか。
クズ男をシュガーコーティングして「こういうクズ男も甘いよ」と言い張るところであり、今年のようにハバネロ激辛クズ男をつきつけてきた方がよほど誠実です。
女性向けだのイケメンだのいうけれど、誠意のない男なんていらんでしょう。そういう偽装じみたことを続けてきたあと、道長のクズっぷりがきた。
私はこの道長のサイテーぶりに、むしろ拍手喝采したくなりました。
なぜなら道長に怒りと怨嗟をぶつけることで見えてくる道があるからです。
あの道長からは、何か新しいものが始まる光が見えました。
毒に砂糖をまぶして突きつけられる虚しさはもういらない。
どんなに残酷でも、真実がひとかけらでも混ざっていたらそれは輝きといえる。
そう、このドラマは燦々と輝いています。誠実です。
誠意と言えば、ゲンダイさんの記事も興味深い。
◆吉沢亮、山﨑賢人ら起用でCMから“旧ジャニーズ外し”決めた企業の狙い 不買運動で脅すファンがリスク?(→link)
旧ジャニーズファンを狙うことのメリットとデメリットが指摘されています。
思えば昨年は、旧ジャニーズタレントにどれだけ忖度できるか試されているようでした。
主演を褒めちぎれば恩恵に浴することができたのかもしれませんが、私にはできなかった。
自分の要領の悪さを嘆くばかりです。
読み方に人格が出る緊張感
前回のこの解説が素晴らしく読み応えがあります。
山本淳子先生の解説が素晴らしくないわけがありませんね。
平安時代の白居易受容まで含まれ、意義が実にある。山本先生ほどの方がステラで解説なさっているのに、私如きが何をする必要があるのかと思いました。
そして怖くなりました。
山本先生の解説からは、まひろが道長によりよい政治を投げかける優しさがあります。まひろが、陶淵明から白居易のような、優しい為政者への道へと道長を導くという流れです。
でも振り返ってみて私は、まひろが己と陶淵明を重ねたと解釈し、突っぱねたとしている。
解釈に性格のきつさがあからさまに滲んでいるんですね。
うーん、怖い。もう今更だし、昨年の方がよほど性格の悪さが滲んでいたけれども、これが文学解釈の味だと思います。
正解は決められない。何を意図して引いたのか意見が入り混じる。
正解はひとつでなく、入り混じる感覚が愛おしい。
別の年の大河では、この先生の意見だけが正しくて他はクズだという誘導がありました。
それは明らかに不健全でしょう。
今年は解釈や議論の幅があり、とても素敵だと思えます。
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【参考】
光る君へ/公式サイト























