光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ

『光る君へ』感想あらすじレビュー第32回「誰がために書く」帝や道長は二の次なり

2024/08/27

寛弘2年(1005年)、帝と定子の遺児である脩子内親王の裳着が行われます。

帝はまだ定子へ執着していました。彼女の兄である藤原伊周を、公卿でもないのに大臣の下、大納言の上に座らせたのです。

これにはマイペースな藤原道綱も驚き、有職故実にうるさい藤原実資は仏頂面をしております。

内裏をかき乱すような帝の真意はどこにあるのか?

というと藤原道長への牽制でした。

 


まひろ、作家として覚醒する

早春のころ、まひろといとは小さな仏像に合掌しております。

すると庭では乙丸ときぬが大喧嘩。

なんでもきぬが紅を買おうとすると、乙丸は余計なものだとして許さないそうです。

都に来てから紅も白粉も買っていない。そう不満をぶちまけるきぬ。

すると乙丸はおずおずと「美しくなって他の男の目に留まるのが怖い」と言い出します。私だけのこいつでなければ嫌なんですって。

きぬは「だっだらそう言えばいいじゃない、うつけ!」と返し、素直に謝る乙丸。

かえって仲がよくなった二人に、まひろといとは困惑しています。

そしていとは、亡き藤原宣孝とまひろの喧嘩を思い出しました。

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灰を投げつけていたたことをいとがからかうと、まひろはしらを切っています。

「そういえば左大臣に渡したものはどうなったのでしょうか」

例のまひろの物語のことですが、どうやら返事はない様子です。いとは、よい仕事になりそうだったのに……と残念がります。

しかし、どうもまひろはそうでもない様子。

帝への物語を書き始めたことで、執筆欲が湧き上がるようになった。帝のためではなく、自分のために書きたいと言い出しました。

「それでは日々の暮らしのためにならない」

いとはそう困惑していますが、まひろは気にせず、美しい字でスラスラと物語を書きつけてゆきます。

金にならないことを突き詰めてゆく――なんだか父に似てきたまひろ。

利き手が左でありながら右手で筆を持ち、特訓に励んできた吉高由里子さん。所作の美しさにますます磨きがかかりました。

 


伊周の復活

内親王の裳着のあと、道長は土御門にて漢詩の会を開催しました。

伊周と隆家も招かれています。

そつなく挨拶を交わす道長と伊周は、そもそもは叔父と甥の関係ですね。

朝服ではない男性貴族がずらりと並び、色彩鮮やか――日本古来の男性服は派手で明るいものでした。

氷のように冷静な藤原公任は、紅葉のような赤を着こなし、白鳥のように細い首の斉信は、花瓶に生けた百合の花のように優雅です。金田哲さんはこの首の美しさゆえに配役されたのかと思うほど。

日本人の衣装は、歴史的に「渋い色合ではないか」と思われたりします。そのせいで明るい色合いが用いられた大河ドラマ『麒麟がくる』の衣装では、論争が起きたものでした。

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日本の渋い色彩感覚とは、来年の大河ドラマ『べらぼう』で描かれる江戸時代半ば以降、江戸のものですね。

あの時代は浮世絵が大量生産されるようになり、日本人の美的センス形成に大きな力を持っておりますので、今から楽しみでなりません。

そんな中、伊周の漢詩が詠まれます。

『枕草子』で描かれた爽やかな貴公子の姿はそこにはもうない。

尊大で老獪、道長に挑むふてぶてしさよ。あの頃よりも魅力が増した姿を、三浦翔平さんが演じています。

『本朝麗藻』 「花落春帰路」

春帰不駐惜難禁 春帰りて駐らず 惜しむこと禁じ難し

花落紛々雲路深 花落ちて紛々たり 雲路深し

委地正応随景去 地に委つるは正に 景に随いて去るべし

任風便是趁蹤尋 風に任するは便ち 是れ蹤を趁(お)ひて尋ぬ

枝空嶺徼霞消色 枝空しく嶺を徼(めぐ)りて霞色を消す

粧脆渓閑鳥入音 粧は脆く渓閑かにして鳥音を入る

年月推遷齢漸老 年月は推し遷りて齢漸く老ゆ

余生只有憶恩心 余生は只だ恩を憶う心有り

春かえりて とどまらず耐えがたきを惜しみ

枝は花を落とし 峯は視界を遮るように聳え霞は色を失う

春の装いはもろくも崩れて、谷は静かに、鳥のさえずりも消える

年月は移ろい我が齢も次第にふけていく

残りの人生、天子の恩顧を思う気持ちばかりが募る

漢詩の会を終えて廊下に出た斉信が、伊周のことを健気だと評しています。

一方で公任は「なにか裏があるのではないか」と深読みし、斉信が行成に意見を求めると、行成も「はい」と重々しく答えます。

すっかり騙されるところだったと悔しがる斉信。

公任と行成は、道長の器の大きさにすっかり感服しているようです。

 

物語は、帝の御心にかなわなかったのか

帝は道長を呼び寄せ「伊周を陣定(じんのさだめ)に呼びたい」と言い出しました。

立て続けに、不満を言い出しそうな公卿を説き伏せるよう、道長に命じます。

それは難しい……。

顔をしかめる道長は、陣定は参議以上でなければ参加できないと説明するも、それでも帝はどうにかしろという。

難しいと譲らない道長。

ついに帝は、朕の強い意向ならば逆らえないだろうけれども、それでは角が立つから道長に任せようとしているのだと一歩も引きません。

道長はしぶしぶ折れ、はかってみると言い出し、帝はやっと納得します。

そして先日渡したまひろの物語の感想を求めたところ、こうきました。

「ああ、忘れておった」

作戦失敗でしょうか。

道長はまひろのもとに来ると「御心にかなわなかった」と残念そうに伝えます。

力及ばず申し訳ないと謝りながらも平然としているまひろ。

落胆はせぬのか?と道長が訝しがると、まひろはあっさりと認めます。

帝にお読みいただくために書き始めたことは、もはやそれはどうでもよい。落胆はしない。今は書きたいものを書こうと思っている。

そして、その心をかきたてた道長に深く感謝していると述べるのです。越前紙も大量にもらっておりますね。

「それがお前がお前であるための道か」

「左様でございます」

あっさり認めましたね。

この後、まひろが執筆に励む横で、道長が作品を見守る様子が描かれます。

せっせせっせと、藤壺中宮を恋慕う源氏について書いてゆくまひろ。道長はこう思います。

「俺が惚れた女は、こういう女だったのか……」

めんどくさい女です。恋に溺れ、相手を恋に溺れさせていくあかね(和泉式部)とは違う。

道長は寛大でよい男かもしれません。

とある女性作家が、かなりの高齢でデビューした契機を語っていました。

彼女の夫は、自分の目につかないところで書くように語っていたため、夫の死後にならねば満足に執筆できなかったそうで……。目の前にいる女の目を、常に自分に向けさせたい男はいるものです。

道長はむしろ自分にそっけない女が好きなのかもしれません。源明子のように重い、束縛する女は苦手なのかもしれません。

それはさておき、このまひろも厚かましく見える。

クライアントの依頼に応じられなかったのにあまり反省してない様子です。そもそも依頼主の道長は、帝への提出前に「この作品はちょっと……」と懸念していました。

来年の『べらぼう』にもこのタイプの作家が出てきます。

曲亭馬琴です。

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江戸時代の作家は、帝の御心ひとつではなく、読者たちが買い漁りたくなる魅力が必要でした。

人気シリーズともなれば、ネタが尽きようが商売のために書き続けさせられる――そのタイプが十返舎一九でしたが、一方で自分のセンスをとことん突き詰める馬琴のような作家もいます。

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迷惑で厚かましいクリエイター魂の発揮を来年の大河でも味わえます。

馬琴の後半生は大河では追えませんが、10月公開の映画『八犬伝』でご覧になれますので、ご興味をお持ちの方はぜひ。

 


帝は教養の高いものに心惹かれる

出世が遅れたことを気に病んでいた藤原公任は、辞表を出していました。

すると帝は従二位に昇進させてこれを解決。この策は、公任と同じ家の出で仲の良い実資が指南したとか。

公任は実資にお礼を言い、実資は辞表作戦の成功を祝っております。性格的に近いものがある二人。公任は実資のお導きのおかげだと語っています。

斉信は、ただのゴネ得だと呆れ、帝の御心も他愛ないと言います。つまり、帝は押されると弱いタイプということでしょうか。

いずれにせよ三人並んで、従二位(斉信)、従二位(公任)、正二位(実資)と確認しながらはしゃいでいます。

ちなみに、このスネるゴネ得辞表作戦は、東アジア伝統といえるかもしれません。

まひろも好きな『蒙求』には諸葛亮の「孔明臥竜」が出てくる。あれなど出仕前からゴネているから「臥竜」です。やる気があるなら竜は立ち上がって自ら主君を探しますからね。しかもそれが美談扱いされています。

まひろが道長に送った陶淵明『帰去来辞』も、やってられないから辞職するという宣言です。

そこで手放すか、引き留めるか――君主の器が問われるので「止めに入ることがマナー」とも言える。帝にはそういう漢籍知識、アピールが効くわけですね。

道長は藤壺にやってきて、敦康親王に投壺(とうこ)の道具を贈っています。

中国由来のレジャーで、打毱同様、絵図は残っているものの、再現はなかなか面倒なのだとか。珍しい場面なのでよく見ておきましょう。

ちなみに韓国では「トゥホ」と呼ばれています。「投壺」や「トゥホ」で検索するとネット通販でセットが買えます。

楽しく遊んでいると、帝がやってきます。道長は彰子に前触れはあったのかというと、彰子は否定します。急いで片付け、帝に「ここでお顔を拝見できるとは」と告げる道長です。

ここで敦康親王は書の稽古にいかされ、大人たちだけになります。道長が去ろうとすると、帝が引き留めます。

「待て。読んだぞ。あれは朕への当てつけか?」

そう語る帝。道長はあわてて否定するも、帝は作者は誰かと問いかけます。道長が藤原為時の娘・まひろだと言うと、帝は覚えていました。

「ああ、あの女であるか。唐の故事や仏の教え、我が国の歴史を取り入れている。書きての博学は無双である。その女にまた会ってみたいものだ」

帝はそう言います。これがなかなか重要で、読むとためになるのです。

これは来年の『べらぼう』の作家たちもそうですが、漢籍教養や儒教、はたまた老荘思想まで取り入れるをことでグレードアップを狙っていきます。日本のエンタメの伝統はそういうところにあるのです。

道長は予想外のことに驚きつつ、急ぎ藤壺に仕えさせると返します。

「会うなら続きを読んでからとしよう」

そう催促する帝。道長が困惑していると、「あれで終わりではなかろう」と帝は続けます。

「はっ、承知仕りました」

そう返す道長です。

ここで、実にまどろっこしい帝の「好き」アピールについてでも。

東アジアの君主は天下を司るものとされ「これが好き! 嫌い!」と言いづらい環境にあります。

各地の名産品が食卓に並んでも、等分に箸をつけねばならない。何か一つを気に入って、そればかり食べ続けると、その産地を贔屓したようになってしまう。

現在でも皇室献上品ブランド詐欺事件がありましたね。

それほどまでに特別なのです。

ゆえに皇室関係者はテレビ番組ひとつにせよ、本人が「好き!」と言うことはまずありません。側近や関係者がそっと漏らすことが通例。

そんな帝が好意を表明するというのは、異例の事態です。

明治時代、相撲廃止の話を耳にしたとき、日光東照宮破却案を聞いたとき、明治天皇が止めに入ったとされます。それほどの異例でもなければ、そうそう動けないのです。

それを踏まえると、一条天皇の要求は本当に凄い、異例のことであるとわかります。

 

藤壺出仕の誘い

かくして道長はまひろに会いにきます。

その姿を見て唖然としてしまう為時。

中宮様の女房にならないかと問われ、まひろは引き攣っています。

帝が続きを読みたいから出仕しろと言っていると道長が説明すると、まひろはそっけない態度をとります。

さすがに少し苛立つ道長に対し、まひろは続きが読みたいならここで書くと粘ります。いわばリモートワークですね。

しかし、それでは都合が悪い。帝は、博学な作者に興味があり、まひろが中宮に仕えれば、それを理由に帝がお渡りになる。

ゆえに道長は出仕を望んでいるのですが、まひろはこう答えます。

「囮でございますか」

あれだけ大量の越前紙をもらい、契りを交わした相手に、この態度はいかがなものか。

道長は、まひろが娘のことを気にしているのかと思い、「女童として召し抱えるから考えてくれ」とまで粘ります。

しかし、そうではなく、ただ単に面倒くさそうにも見えるまひろ。

彼女は、対人スキルが皆無に等しいのでしょう。

くどいようですが曲亭馬琴もそうでした。

江戸時代の文人はネットワークが大事で、パーティでのトークスキルも必須となる。それなのに「作家は書いてりゃいいんだよ」と塩対応だったのが馬琴です。

蔦屋重三郎に、店員として雇用されたときも、仕事そっちのけで本を読み漁り、困惑させていました。

そろそろキャストが発表される頃でしょうか。2年連続で日本文学史上めんどくさい陰キャ文人巨頭が大河に出るとは、素晴らしいことです。

土御門では、倫子がまひろ出仕のことを道長から聞き、「殿がなぜご存じなのか」と不思議がっています。

道長はスラスラと語る。

公任から面白い物語を書くおなごがいると聞き、帝はそのおなごの書いたものをお気に召してご所望である。藤壺にそのおなごがいて、才知を見せれば帝はお渡りになる。

道長はそこまで頭がきれるとも思えず、あまりセリフも長くはありません。

これは、こっそり練習しましたね。倫子に対してどう説明するか。必死にアリバイを考えた。

娘の幸せを願う倫子としては、名案だと褒めるしかありません。

彰子の不遇をどうにかしたい彼女にとって、疑う余地などないのでしょう。

倫子は、まひろのことは昔から知っていて嬉しいと、素直に返すと、道長はこれで妻の言質も取れたとばかりに、最後の賭けだと話を進めます。

道長は人がよいようで、なかなか悪だくらみができるようになってきました。

まひろも、先のことを考えると、藤壺で働くしかないと決意します。

為時が、まだ働ける、年寄り扱いするなと言いますが、帝の覚えめでたく、その誉れをもって藤壺で働くのは悪いことではないと語るまひろでした。

 

まひろ、決断する

思えば為時は、花山天皇の信頼を得たものです。あのときのことを思い出すと、感慨深いものがあるのでしょう。

しかし為時の栄誉は短かった。まひろはもっと、どうか長く……そう願っても不思議ではありません。

まひろは賢子が気になっており、左大臣は藤壺に連れてきてもよいと言っています。

為時は、それには反対の様子。内裏は華やかだがおそろしきところであり、賢子のような幼い子が暮らすところではないと語るのです。

まひろは父の好意を受け入れることにしました。

賢子も懐いているし、為時も「母を誇りに思う娘に育てる」と言っている。と、賢子がやってきて、母上は私が嫌いなのかとすねてみせます。

「そんなことありませんよ。大好きよ」

「大好きなら、なぜ、内裏に行くの?」

そう問いかけると、まひろは一緒に内裏に行くかと問いかけます。

「いかない。じじが可哀想だから」

「じじではありません、おじじさまでしょ」

幼い娘を厳しくしつけるまひろ。こういうところが賢子は苦手なのかもしれません。賢子は「いかない」とすねています。

まひろは休みには帰ってくるとなだめ、寂しかったら月を眺めるようにと言います。母も同じ月を見ていると……。

そしてまひろは内裏へ出向き、まずは道長によって彰子と倫子に紹介されました。

帝がまひろの物語を気に入ったと出仕の経緯を説明すると、彰子はさして反応せず、倫子は穏やかな、菩薩のような笑みを浮かべています。

母も娘も穏やかで何を考えているのかわからない。

不満が顔に出やすいまひろとは対照的です。二人とも愚鈍ではなく、奥ゆかしいということでしょう。

道長はやや困惑が顔に滲んでおります。彼なりに、妻とソウルメイトの同席は気まずいのでしょうか。

 

自己完結できる女たち

このあと、まひろと久々に再会した赤染衛門が内裏を案内してゆきます。

帝の目に留まるとは立派になったと感慨深げな赤染衛門。なんでも藤壺は息詰まった空気が流れており、彼女としてもそうした状況を改めたいのだとか。

そりゃ、いちいち『枕草子』を持ち出され、比較されていたら辛いですよね。道長の倹約思考で、豪華に飾るにせよ限界はあります。

赤染衛門はまひろの近況を尋ねます。

夫を亡くし、7歳の娘がいると聞き、大変だろうと気遣う赤染衛門。

すると彼女はこんなことを言い出しました。

「夫は頼りにならない」

なんでも赤染衛門の夫はあちこちで子を作り、彼女に育てるよう任せたとか。

最初の子が大きくなって下の子を面倒みるようになってくると、帰らぬ夫を待つことに飽き、土御門にあがったそうです。

まひろはそんな身の上話に驚いています。

二人は近いタイプかもしれません。夫の愛があろうがなかろうが、自分を満足させられる才能がある。夫が別の女と睦み合っているならば、私は依頼を受けて和歌の代作でも指導でもしている。そう割り切れるタイプなのでしょう。

彼女は文才で夫をアピールしたこともあり、良妻の鑑ともされます。

そんな夫婦愛だけでなく、たくましさもあるとこのドラマでは描いているように思えます。

確かに夫への愛もあっただろうけど、彼女はそれよりも文才アピールが楽しかったのではないでしょうか。

この夫妻の子孫が、自己実現のためにはるばる鎌倉までやってくる大江広元だと思うと、ますます興味深いものがあります。

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赤染衛門は微笑み、運不運はどうにもならない、あんなに素晴らしい婿とめぐりあえた土御門は類まれな方だと褒め称えます。

まひろも「まことに」と同意しながら、中宮様はどのような方かと尋ねます。

「それが謎ですの」

驚くまひろ。なんでも小さいころからそばにいても、奥ゆかしすぎて人柄がわからないそうです。

彰子も自己実現タイプに思えなくもありませんが、中宮がそれではまずいでしょう。

 

巨星墜つ

道長のもとに、安倍晴明が危篤であるという知らせが届きました。

馬を走らせ、晴明のもとへ。

大河ドラマの準主役であるにもかかわらず、平安時代が舞台では乗馬の機会がないようにも思われますが、それを逃さない柄本佑さんの鍛錬が光ります。

時代ものに出る以上、馬には乗りたいことでしょう。

晴明の側に影のように付き添う須麻流が、祈祷をしていました。床に就いた晴明は道長の顔を「拝見してから死のうと思い、お待ちしていた」と告げます。

道長は思いのほか健やかそうだと否定するものの、晴明はこう言います。

「私は今宵死にまする。ようやく光を手に入れられましたな。これで中宮様も盤石でございます。いずれあなた様の家から、帝も皇后も関白もでる……」

道長は困惑し、そこまで言わずともよい、父を真似る気はないと否定します。

「ただし、光強ければ闇も濃くなる……そのことだけはお忘れなく」

そう語り、晴明は呪詛も、祈祷も、人の心のありようだと語ります。私が何もせずとも、人の心が勝手に震えるのだと。

確かに道長は晴明の言うことを聞くと、導かれるままに動くところがありました。心理操作の達人として晴明が存在していたものです。

「なにも恐れることはありませぬ。思いのままにおやりなさいませ」

晴明は自らが導いた道長の前で目を閉じます。長い間世話になったと告げる道長。

その夜、自らの予言通り晴明は世を去ったのでした。まるで人から星の一つへなるような、そんな死でした。

晴明からまひろへ、道長を教え導く人が替わるようにも思えます。

ユースケサンタマリアさんも、DAIKIさんも、素晴らしい演技でした。

DAIKIさんはインタビューで、肢体に障害のある演者は大河初だと意義を述べておられました。素晴らしい取り組みだと思います。

 

伊周の復帰、月食、火災、八咫鏡消失

帝はついに伊周を陣定に召し出す宣旨を下しました。

実資は言葉がないと嘆いています。藤原顕光は左大臣は何をしているのかと言い、帝をお止めできるのは左大臣だけだと言います。

それに対し道綱は呆れています。左大臣ではなく右大臣がお諌めしてもよいではないかと正論を言い、顕光を困惑させるのです。

実資は、言葉もない、不吉なことが起きねばいいと漏らし、道長も困惑しているようです。

その夜、皆既月食が起きました。

闇を恐れ、内裏は静まり返る中、悲鳴があがります。

日食が終わるころ、温明殿と綾綺殿の間から火が起こり、瞬く間に燃え広がっていったのです。

帝は藤壺に向かいます。敦康親王はもう逃げていて、彰子が残っています。

「何をしておる!」

帝がそういうと、彰子はお上がいかがしたかと思っていたと言います。帝は逃げるよう促すと、途中で転んでしまう彰子。

「大事ないか?」

そうたずねる帝に、彰子は安堵感を噛み締めているように見えます。

東宮の居貞親王(後の三条天皇)は、ある知らせを聞き、喜んでいます。

三種の神器である八咫鏡が今回の火災で消失したのです。

賢所まで火が回って間に合わなかったと苦い顔でつげ頭を下げる道長。

居貞親王は、伊周を戻した祟りだと浮かれ、同意を求めますが、道長は八咫鏡消失は帝も傷ついているのだと嗜めます。

東宮が帝を責めるわけがないと言いながら、居貞親王は「月食、火事、八咫鏡消失が重なって祟りでないわけがない」と語気を強める。

天が帝に玉座を降りろと言うておる!と興奮している。

道長は帝はまだ若く退位など考えていないというと、居貞親王は察したような顔をします。

帝に彰子を入内させているからには、帝の退位は困るのだろう。それでも居貞親王は、帝の世は長く続くまいと浮かれるばかりなのでした。

道長は、帝に中宮を救ったお礼を言います。

帝は、中宮を救うのは当然だと言い、道長のことは評価しつつも、中宮のことばかりを言われると疲れると下がらせます。

そして、伊周とすれ違う。

伊周は帝に対し、今回は炎の周りが早い、火をつけたものが内裏にいると確信を込めて言います。

陣定に伊周が戻ったことが不満だろうと、放火は帝の命を危うくしている。

そんな者たちは信じられない。帝にとって信ずるに値するのは私だけだと確信を込めて語るのでした。

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道長の愛を求めて散る火花

藤原行成が火災の不始末を報告しています。

月食を恐れて蔵人も、中宮の側の女房も不在であったと弁明に努めると、道長は「その話はもうよい!」とイラ立ちながら言い放ちます。

そしてすぐさま謝る道長に対し、行成は、敦康親王の別当として申し上げねばならないと生真面目に報告するのでした。

と、そこへ藤原隆家がやってきます。

「左大臣と話したい」とズケズケ入ってくると、今度は行成が苛立ちを隠しません。

隆家は、家の再興よりも、志高い政がしたいのだと語りますが、「だまされないぞ」と警戒心をあらわにする行成。

「あなたに話していない」と隆家が答えると、今度は行成が、伊周は帝、隆家は道長を籠絡する企みであろうと持論を展開します。

「なんだと!」

さがな者(乱暴者)として知られる隆家が苛立ち、二人は一触即発の事態へ。

「そこまでとせよ!」

道長が止めに入り、行成をさがらせました。

しょんぼりとしながら去ってゆく行成をみて、隆家はこう言います。

「あのお人は左大臣様のことが好きなんですかね」

これはなかなか核心をついています。

道長は自分を好きになってくる倫子、明子、行成にはそっけなく、そうでもない相手に心を許しているようにも思えるのです。

なかなか罪つくりな男ですね。倫子と明子が道長の枕元で火花を散らしていたことを思い出しました。

そして、ここでの行成vs隆家も面白い構図です。

二人は、どちらも太宰府に赴きますが、異民族による襲撃である【刀伊の入寇】の際、行成が太宰府にいたら、隆家のように対応できたかどうか。

行成が道長が大好きだというのも実際その通りです。

二人はほぼ同時期に没していますが、周りは道長に気を取られすぎて行成のことは気づかれなかったとか。運命の皮肉でしょうか。

 

「お前が、おなごであってよかった」

まひろが、いよいよ出仕本番を控えて、家族に挨拶をしています。

感極まった為時が、帝に認められ中宮に仕えることは我が家の誇りだと語ると、弟の惟規は大袈裟だとからかいながら「内記にいるから遊びにこい」と姉に声をかけています。

「中務省まで遊びに行けるの?」

「待ってるよ」

そう返す惟規ですが、果たして二人にそんな時間があるのかどうか。

まひろは、父といとに賢子を託します。涙ぐみ「おまかせくださいませ」と返すいと。

為時が言葉を続けます。

「身の才のありったけを尽くしてすばらしい物語を書き、帝と中宮様のお役に立てるよう祈っておる」

「精一杯つとめて参ります」

「お前が、おなごであってよかった」

為時に言われ、まひろは涙がこぼれなくとも、目の縁があからみ、目は潤んでいます。

父に男であればと言われ続けた自分が、女でよかったと言われる――これぞ彼女が生きる意味、勝利を見出した瞬間でしょう。

乙丸が涙ながらに見送ろうとすると、まひろはたまには帰ってくる、きぬを大事にするよう言い残し、内裏へ向かうのでした。

雪の降る日、まひろが出仕すると、なかなか癖の強そうな女房たちが居並んでいます。

赤染衛門が「藤壺は行き詰まっている」と語っていた理由がわかりますね。

これでは、帝だって足を運びたくないでしょう。

身にまとう衣装の色は美しく、百花繚乱の趣とはいえ、どこか険しい空気が流れている。まひろの出仕先は、そんな場所でした。

 

MVP:まひろ

『源氏物語』誕生の過程が、前後編で描かれたように思えます。

まひろは名声やフィードバックなどはどうでもよく、自分が満足できるかどうかにかかっています。

ソウルメイトである道長。

そして至高の存在である帝。

それよりも自分の気持ちが大事、自分が満足できるかどうかを重視しています。

口では学問を究めると言いつつ、昇進と出仕が叶うと嬉しそうにしていた藤原公任

道長に「下がれ」と言われて落ち込んでいた藤原行成

そして、定子を励ますために書き始めていた清少納言。

こうしたクリエイターたちと比較すると、まひろはとことんマイペースのように思えます。

かなりの変人です。

そしてその変人ゆえに彼女は勝利をおさめました。

まひろも愛読している白居易『長恨歌』にこうあります。

遂令天下父母心 遂に天下の父母の心をして

不重生男重生女 男を生むを重んぜず女を生むを重んぜしむ

ついには天下の父母の心も

男より女が生まれることを喜ぶようになった

楊貴妃が玄宗より受けた類稀な寵愛ぶりは、楊一族の繁栄を招きました。

男尊女卑の世で、女児が生まれたらため息をついていた親たち。それが変わったとここでは謳われています。

楊貴妃の場合は美貌による寵愛です。

しかし、まひろは文才ゆえに家に栄誉をもたらした。

そんな偉業を彼女は成し遂げました。これぞまさしく奇跡でしょう。

 

跂つ者は立たず跨ぐ者は行かず

跂(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。『老子』

爪先立ちをしたらしっかりと立っていられないし、大股でずんずん行こうとしても途中で歩いて行けなくなる。

無理せず、自分のペースで進むことも大事――まひろはそう教えてくれます。

彼女の我が道をゆく路線は、現代社会では通じないように思えることは確かです。

ましてや今はネットの時代で「バズる」ことが正義のようにすら思えてきます。

でもこの「バズる」ことが危険だとしたらどうでしょう?

インターネットが登場したころ、この電脳空間こそ自由な言論の場になるという明るい希望に溢れていました。個性豊かでユニークな書き込みや動画があふれていたものでした。

しかしそれから20年以上経過し、人類が思い知ったのは、人の心と水は結局、低い方に流れるということかもしれません。

迷惑をかける。

誹謗中傷をする。

炎上する。

そうしたコンテンツがバズり、利益を生み出す仕組みが出来上がってしまった。

たとえば先日イギリスで逮捕された「キーボード戦士」は、Xで人種差別憎悪を煽ることで、収益を得ていたことが明かされています。

バズりたければ、PVを稼ぎたければ、憎悪を煽るのは妙手です。

インターネット媒体だとPV重視で、無難でファンダムが好む論調を流すことが王道だとわかってはいます。

しかし、そのせいでおかしくなってしまう事例を私は目にしました。

あるユーザーがいました。その人はとある作家のファンでした。ごく穏やかでユーモアがあって素晴らしい人でした。

しかし、推している作家がヘイト言動をすると、その人はでどこかおかしくなっていきます。

作者が批判されると「ファンだから庇わなくちゃ!」と、持ち前の義務感でその作者を擁護し、作者と同じヘイト言説を繰り返すようになったのです。

そうするうちにアルゴリズムで自分と同じヘイターの言葉ばかりが集まってきて、「いいね」や「リポスト」欲しさに過激な言動を朝から晩まで繰り返すようになります。

ヘイトの範囲もどんどん広まり、ありとあらゆるマイノリティを一日中口汚く小馬鹿にするようになっていきました。

その人の推している作家も悪化してゆき、誹謗中傷で逮捕されるのではないかとニュースになっていました。

その人もさすがに懲りたのかと思ったものの、皮肉っぽく冷たく、嫌がらせのようなことを書き込んでいるばかりでした。

どうしてそうなるのか?

犯罪として裁けないのか?

むろんそうした規制は重要ですが、もうひとつ、個々人が防ぐ手段をまひろは提示しているように思えます。

他人のフィードバックよりも、自分を前面に出し、重視すること。

無理して大股で歩こうとせず、自分のペースで歩いていくこと。

まひろはそう示していると思えます。

むろん、現代と平安時代では、社会の状況は異なります。

とはいえ、制作された時代を無視して作品は語れません。NHKは作家性を守り、好きにさせるドラマ作りを目指しているように思えます。

NHKは逆に、ネットムーブメント、共感と同調性を重視した時期があります。

それは2010年代前半のこと。2012年の大河ドラマは『平清盛』でした。

視聴率は低迷したものの、ネットのファンダムは盛り上がり、ハッシュタグに寄せられたファンアートが公式チームにより神社に奉納されました。

チームは、ネットのファンに酔いしれているように思えたものです。

朝ドラでは2013年、上半期の朝ドラ『あまちゃん』がネット中心に盛り上がりました。

こちらも視聴率はさほど高くないものの、ファンダムは大いに盛り上がり、製作側も波に乗っていました。

ただ、2010年代後半ともなると、弊害に気づいたのでしょうか。

大河ドラマでは2020年『麒麟がくる』が転機に思えます。

あのドラマはタイトルからして難解に思えました。

脚本の池端俊策先生は漢籍由来の語彙がかなり難解で、制作チームはこれを丸めるように言わないのかと私は感銘を受けたものです。

登場人物像もなかなか個性が強く、共感しにくいものでした。

一方、2023年の『どうする家康』では、出演者やファンダムのフィードバックを重視しすぎて失敗した大きな蹉跌に思えたものです。

あの珍妙な展開は、本当に脚本家一人の考えたのか?と私は疑っておりました。演出も奇妙でした。

たとえば乗馬にしたって、今年の道長の方がはるかにしっかりこなしています。

放映時、動物愛護だのなんだのあやしい言説がネット上で広まっておりましたが、今年の打毱と乗馬を見る限り、デマの類でしょう。

そうまでして庇いたいものは何だったのか――そのことは、よりにもよって「文春砲」で疑惑として報じられました。

主演のファンダムおよびマスメディアへのアピールをしておけば、高評価が得られる。そんな心理操作ありきのドラマだったことが疑われたものです。

そんな高度な操作は安倍晴明にだって不可能でしょう。

2010年代後半から2020年代前半は、同調性や共感を重視する風潮にとり、終わりが始まる時代となることでしょう。ネットでの世論誘導や洗脳、その弊害があらわになったからには、もはや不可避なのです。

「キーボード戦士」は滅びに向かう存在であると自覚し、そこから離脱する道を模索しなければなりません。

インターネット創世記から生きてきて、自分自身を情報強者だと自認していた層には辛いことでしょう。

確たる自我を保つ方法すら思いつかないかもしれません。

それでもそうせねばならない、自分の思考で立たねばならぬ日は早晩訪れるのではないでしょうか。

どうしても他者の思いを受け入れてしまうと、水が濁るように、自分の構想がおかしくなってしまう。

背伸びする危険性はどうしたってある。

まひろはそう理解しているタイプです。

清少納言は、喜ぶ定子の姿を想像することで筆が動くけれども、まひろはそうではない。

道長? 帝?

それも二の次――現代こそ、そんな作家の姿勢が重視されるのではないでしょうか。

作家のみならず、SNSに書き込む発信者がまひろのようになれば、インターネット空間もマシになるかもしれません。

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【参考】
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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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