柴田勝家/wikipediaより引用

織田家

柴田勝家(織田家の重臣)当初は信長の敵だった鬼柴田62年の生涯まとめ!

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信長上洛後の戦にほぼほぼ参加

その後も勝家は、織田家の動向に伴い、合戦の日々が続きます。

【織田家と共に歩んだ柴田勝家の戦歴】

◆上方での勢力を取り戻そうとする三好三人衆との戦

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◆石山本願寺攻め
→本願寺顕如や下間、雑賀衆などが立ちはだかり10年以上対立

長島一向一揆
→伊勢長島の一向宗を大量虐殺

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比叡山焼き討ち
延暦寺の僧侶らを数千人焼き討ち(大量の遺体や焼失跡が発掘されず、殺害の実数は疑問視されている)

比叡山焼き討ちの死者は意外と少ない? 信長の数千人虐殺&大炎上は誇張か

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◆槙島城の戦い
足利義昭を京都から追い出した

槇島城の戦いで室町幕府滅亡! 意外と緻密だった将軍の戦略【信長vs義昭】

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◆一乗谷城・小谷城攻略
→越前の朝倉義景・近江の浅井長政を滅ぼす

朝倉義景が2度も信長包囲網を失敗したのはなぜ? 煮え切らない41年の生涯

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長篠の戦い
武田勝頼ら武田軍団相手に完勝する

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信長に関わる合戦のほとんどですね。

大まかにまとめると「勝家は信長が上洛して以降の戦には、ほとんど参加していた」といえるでしょう。

 

刀狩りや道路整備 時代は大きく変わりスポーツも!

勝家の後半生に大きく関わる越前との縁は、天正三年(1575年)8月、越前一向一揆から始まりました。

越前一向一揆は信長自ら鎮圧! キッカケは旧朝倉家の内紛 信長公記125話

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ここでの功績で、勝家は越前に49万石と北ノ庄城(福井市)を与えられます。

北ノ庄城に着任した後は、両国経営にも力を入れ、領民からも比較的良い領主と思われました。

刀狩りで集めた武器を農具などに鋳直したり。

道路や橋の整備をして領内の行き来を便利にしたり。

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一般的に勇猛な武将というイメージの強い柴田勝家ですが、同時に政治的能力も有していたことがわかります。

天正四年(1576年)には北陸方面の総責任者に任じられ、前田利家佐々成政・不破光治・佐久間盛政などをつけられました。

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かなり有力なメンツが揃っておりますね。隣国の加賀は90年も一向一揆が勢力を保っていた地域なので、そのくらいの緊張感が必要だったでしょう。

その先には、別の強敵もおりました。

上杉謙信です。

強敵・武田信玄は既に没しておりましたが、越後の龍はまだ健在。織田家にとってこの軍神は、強大な敵でした。

 

手取川で謙信にフルボッコ?

天正五年(1577年)7月。
越後の上杉謙信が加賀へ進出しました。

当然ながら、この強敵と対するのは柴田勝家です。

ヘタをすれば織田家の屋台骨を揺るがしかねない相手を前にして、このとき信長は羽柴秀吉豊臣秀吉)も援軍として送り出したのですが、あろうことか秀吉は軍議で勝家と衝突。

修復不可能なほど関係が悪化してしまいます。

そして秀吉は、勝手に戦線を離脱します。

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そのため柴田勝家は単独で七尾城(七尾市)の救援に向かいましたが、とき既に遅く陥落しておりました。

さらにここから撤退している途中、手取川で上杉軍に襲われて敗北を喫します。

いわゆる【手取川の戦い】です。

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同合戦については記録が少なく、被害が大きくはなかったのでは?

とも言われておりますが、柴田勝家の敗北だったことは間違いないでしょう。

ちなみにこの半年ほど後の天正六年(1578年)3月、謙信が亡くなり、勝家がリベンジする機会はありませんでした。

鬼柴田とされる勝家でしたら、悔しかったことと思われます。秀吉だったら「ラッキー♪」ぐらいに平気で思っていそうですが。

天正八年(1580年)3月になると、勝家は、加賀一向一揆の中核である金沢御堂を攻略。

同年11月に加賀を平定し、能登・越中にも進出しました。

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また、同時期に本願寺攻略の不首尾などを咎められた重臣・佐久間信盛が失脚。

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勝家が織田家筆頭家老となりました。
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