戦国史を現代風に大胆アレンジして楽しむマンガ『戦国ブギウギNEO』の第20-21話。
大河ドラマ『豊臣兄弟』ではあっという間に武田信玄や、さらには浅井長政まで死へ追い込まれてしまいましたが、急ぎ足で進んだため省かれたことも多く……。
合間合間には何があったのか、本マンガで確認しながら進んでまいりましょう!
長島一向一揆

◆織田軍が比叡山の麓に陣を張り、延暦寺に逃げ込んだ浅井朝倉軍と睨み合っている最中に伊勢長島の一向宗も蜂起!
信長の弟で伊勢方面の守りを任されていた織田信興が自害へ追い込まれました。
詳細は別記事「長島一向一揆」をご覧ください。
明智光秀

◆越前朝倉のもとへ身を寄せ、足利義昭と信長を引き合わせたとされる明智光秀。
上洛後は義昭の家臣でありつつ信長のもとでも働く、「両属」として活躍しておりました。
こちらも詳しくは別記事「なぜ明智光秀は義昭ではなく信長を選んだのか」をご覧ください。
比叡山焼き討ち

◆「怖くないんですか?」と聞きつつ、比叡山焼き討ちの作戦を成功させたのは明智光秀とされます。
その功あって坂本城を建て、同エリアの支配を任されました。
一方、ライバルの秀吉は……?
横山城の秀吉

◆姉川の戦い後に横山城の城将に任ぜられた豊臣秀吉。
光秀との熾烈な出世争いの始まりです。
甲斐亡命

◆正親町天皇の異母弟あるいは異母兄とされる覚恕。
比叡山焼き討ちのときは難を逃れ、信玄に延暦寺の再興をお願いします。
獅子の最期

◆駿河侵攻を強行した武田信玄にブチ切れ、交戦状態に陥っていた武田家と北条家は、北条氏政への代替わりを契機に同盟を結び直します。
当初は、憎き上杉謙信と手を結び、武田家を潰そうとしたんですけどね。
その際、氏政の弟が謙信の養子に出され、後の「御館の乱」では当事者の一人となります。
それが上杉景虎でした。
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氏真の逃げ足

◆信玄に駿河を奪われ、流転の旅の末、北条に流れ着いていた今川氏真。
北条氏康が亡くなり、後ろ盾が心許なくなり、今度は徳川家を頼ります。
氏真さん、なかなか身のこなしの軽やかなお人です。
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摩阿姫

◆元亀三年(1572年)に前田利家の三女となる摩阿姫が生まれました。
寧々と夫婦になっていた豊臣秀吉は、相変わらず子宝には恵まれず。
そんな秀吉を不憫に思ったのか、それとも冷静に家の結びつきというメリットを選んだのか。
後に利家の娘が秀吉に養子入りします。
それが豪姫であり、彼女は後に豊臣五大老の一人である宇喜多秀家に嫁入りすることとなります。
利家が加賀百万石へと大出世を果たす礎は、この頃から積まれていたのですね。
軍配継承者

◆横山城では、秀吉の不在で城番を任されたともされる竹中半兵衛。
近江・浅井家には縁があり、同エリアでの調略で活躍されたと目されていますね。
十七条の詰問文

◆永禄十一年(1568年)に上洛したときは、織田信長のことを「父」とも呼び、慕っていた足利義昭。
当初は足利将軍として自由に振る舞えると考えていたのかもしれません。
しかし、信長から幾度も咎められるようになり、次第に敵愾心を抱いていくように……。
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そこで義昭が呼びかけていたのが、甲斐の虎こと武田信玄です。
義昭は、浅井、朝倉、本願寺などとも手を結んで、信長を追い込んでいきます。
それが「第二次信長包囲網」でした。
織田家最大の危機だったのでは?とも目されるこの包囲網で、果たして信玄はどう動いたのか、信長はどう立ち回ったのか。
詳細は以下の記事をご覧ください。
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武田信玄 迫る!第二次信長包囲網|信長はどうやって“最大の窮地”を脱したか
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※著者・アニィたかはしの『大河ブギウギ豊臣兄弟編Youtube』はこちらから👇️
文:五十嵐利休





