【賤ヶ岳の戦い】に勝ち、織田家を完全に掌握しようとしていた羽柴秀吉。
眼前の難敵は徳川家康だった。
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徳川家康の生涯|信長と秀吉の下で歩んだ艱難辛苦の75年を史実で振り返る
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清洲同盟を結んで以来、秀吉も長年、共に戦ってきた徳川家。
旧武田家の領地・人的資材を併呑し、その力を着実に伸ばしていた(天正壬午の乱)。
そこへ信長の次男・織田信雄が家康を頼り、今まさに豊臣・徳川による天下分け目の火蓋が切られ――戦国ブギウギ【小牧・長久手の戦い】、本編へ突入!
秀吉到着
◆見方によっては【小牧・長久手の戦い】の主人公である池田恒興さんと森長可さん(鬼武蔵)。
その後の派手な展開は後述いたしますが、羽柴方についた池田恒興をフォローするようにして森長可が共に徳川軍と戦い、これに敗北してしまいます。
通称【羽黒の戦い】の敗戦によって戦況は一時落ち着き、膠着状態に陥ります。
にしても反省感ゼロの2人……。
献策
◆戦況が動かずジリジリと展開する中で、先に耐えられなくなったのは羽柴方のこのお二人でした。
緒戦(羽黒の戦い)で負けた分を取り返したい――。
特に参戦の遅れた池田恒興は、何とか戦功を挙げ、自らの功をアピールしたいところ。そんな理由からでしょう。
徳川軍の背後を付いて三河へ出兵(中入り)すべし!
かくして組まれたのが
・池田恒興
・森長可
・堀秀政
・羽柴秀次(豊臣秀次)
の別働隊でした。
いったんは秀吉に否定されながら、最終的には強引に押し通すことになるのですが……。
岩崎城の戦い
◆陽動作戦で編成された軍団は、一説に池田恒興軍の6,000をはじめ、合計約2万だったとされています。
こんな大軍で、背後(三河)を衝くなんて出来るのか?
小牧・長久手の戦い、最初のヤマ場は、ハタから見ても疑問符のつく作戦でした。そして……。
徳川の奇襲
◆池田恒興と森長可が勇んで敵を攻撃してる一方、徳川軍に動きを察知された後続は戦闘に巻き込まれていくのでした。
狙われたのは堀秀政と豊臣秀次(羽柴秀次)。
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名人と呼ばれるほど戦巧者の堀秀政は早々と撤退を決め、徳川軍に一矢報いながら軍を後退させていきます。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!












