昭和の頃は、毎年のように年末年始に放送されていた『忠臣蔵』。
若い読者の皆さんはご存知ないかもしれませんが、【赤穂事件】をフィクションとして物語化されたもので、かつては非常に人気を博しておりました。
無念にも切腹された主君の仇を討ち、そして念願かなった後に切腹で身を処するところが、日本人の涙を誘ったわけです。しかし……。
史実【赤穂事件】
↓
物語『忠臣蔵』
昨今は以前の盛り上がりがなかったかのように、メディアでも取り上げられなくなりました。
・時代劇を見る層がいない
・視聴者の好みが多様化してきた
『忠臣蔵』の廃れた理由は複数囁かれたりしますが、とりわけ大きいのが
『そもそも赤穂事件って、討入する方が悪くない?』
という人々の心境の変化でしょう。
赤穂浪士たちのやったことは「無防備な老人に襲いかかるテロ行為に等しい」なんて見方が認知されるほど。
それは一体どんな流れだったのか?
赤穂事件で大一番の討入、マンガ『日本史ブギウギ』第193話スタート!
※前話は以下のリンク先に
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「殿中でござる!」江戸城で起きた刃傷事件からの|まんが日本史ブギウギ192話
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説得

憂さ晴らし

脱退者

◆赤穂事件の史実のあらましは以下の記事に詳しくあります
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赤穂事件=赤穂浪士の討ち入りは単なるテロ事件?史実はどのように進んだか
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パワーバランス

第二回円山会議

神文返し

◆史実に対し、物語化された『忠臣蔵』ではどのように描かれたか?
それが以下の記事です。
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フィクションの『忠臣蔵』は史実の「赤穂事件」と何がどう違うのか?
続きを見る
武士は相身互い

ボクが相手だ!

◆結果、討入は成功となりましたが、赤穂浪士たちにお咎めが当然くだされるわけで、全員が切腹となりました。
複数の大名家にいったん預かりとなり、そこで施行されることとなったのです。
そんな赤穂浪士たちを不憫に思ったのか。
細川綱利は切腹のその日まで彼らを厚遇し
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赤穂浪士46名の切腹を執行|最期の日まで最も礼を尽くしたのは細川家だった
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敬意を払っての最期を迎えさせています。
細川綱利は、大河ドラマ『麒麟がくる』でも活躍した細川藤孝・細川忠興の子孫ですね。
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後に首相(細川護熙)まで出すお家柄で、慈悲の心に富んでいたのでしょう。
平和な時代に突如起こった大事件。
今の皆様はどう感じるでしょうか……。
なお、赤穂浪士47名のうち、一人だけ切腹に処されなかったのが寺坂信行です。
興味をお持ちの方は関連記事をご覧ください。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を掲載!








