麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第22回 感想あらすじ視聴率「京よりの使者」

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「あの魚、無理をしたな」

そしてここからは、夫婦の閨へと。光秀はこう切り出します。

「あの魚、無理をしたな」

「大切なお客様ですから」

「まだ質に入れる物があったか」

「なんとかなるものでございます」

そう語りつつ、服を用意する煕子。ここで光秀が「すまぬ」といい、煕子が「おやめください」と返す。

理想的な夫婦像ですし、愛があります。

魚のことを見ていて、気遣える夫。夫の大事なお客様だからと返す煕子。これは個人単位の話ではなく、お互いを尊重しあってこその夫婦愛です。

壁ドンとか、顎クイとか。そういうことじゃないんですね。

光秀は妻に対し、能のため京都に呼ばれたことを語ります。光秀は戸惑いつつ、自分が呼ばれた理由がわからないと言います。大物ぶらない、いばらない。そう誠意を見せるからこそ、煕子は応じます。

「それでもお行きになりたいのですね、京へ」

「うむ。すまないと思うておる。おまえには苦労ばかりかけて」

「何ですか、さきほどから。すまぬすまぬと水臭い」

そんな妻に、光秀は語り始めます。

越前に来てもう八年。しかも、あいもかわらぬこの暮らし向き。子どもたちに読み書きを教えるのはそれはそれで楽しいが、これでよいとは思うておらぬ――。

確かに、マムシに振り回されていた頃より、ある意味安定感はあるかも。

でも、それだけでは満足できないのです。

「もっと何かできることがあるはずだ! その何かを見つけるためにも、京へ行ってみたい。己の力を試してみたいのだ」

「よくわかりました。どうぞいってらっしゃいませ。あとのことは案ずることはありません」

「すまぬ」

「また……ふふふふ」

木村文乃さんが、すごい。

ここでわざとらしく、甘えたり、すねたりしない。この美しい夫婦です。閨です。甘ったれたらそれだけで話題になる。

でも、そういうことじゃない!

どれだけ心が通じていて、煕子は夫の幸せは自分の幸せだと思っているから。こうすっきりと送り出せる。こういう妻がいる光秀は果報者だのう〜……となりますが。それだけでもない。

光秀は、貧しい暮らし向きに無頓着ではないけれど。それだけでもありません。自分の可能性を信じて、確かめたいという前向きな気持ちがある。そういう伸び代が、いつの何かに挑むところが、煕子にとって魅力的なのでしょう。

左馬助のように、相手を理解できないがゆえの言動が煕子にはありません。違いに理解をしている、そんな関係なのでしょう。

日が変わり、光秀は一乗谷の朝倉義景に許可を取りに行きます。

彼は光秀の魔法が通じない枠。扇で呼びよせ、京都のことを逐一知らせるよう、情報源として使うと言い切ります。

別に悪い人ではないのですが、信長あたりと違って、野心や伸びてゆく心は感じられないのですね。

「そなたの家のことは案ぜずともよい。留守の間、このわしがしかと面倒みる故。心置きなく行って参れ」

そう送り出すのでした。

朝倉義景
朝倉義景は二度も信長を包囲しながらなぜ逆に滅ぼされてしまったのか

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東庵の針と駒の丸薬

さて、京では。

老人が、東庵の治療を受けています。なんでも鍼治療を受けているとか。

先生の鍼は効くと褒めつつ、お駒ちゃんの薬も効くと言います。なんでも近所の婆さんが、腹痛が治ったと喜んでいるとか。しかもタダですって! 老人はわしも分けてもらいたいと言い出します。

その駒は隣室で丸薬を練っています。こういう漢方の所作や小道具が丁寧です。丸薬は、芳仁が言っていた【何にでも効く薬】なのです。

東庵は苛立ちつつ、どういうつもりで“そんなもの”を作っているのかと問い詰めます。

「そんなものって!」

「婆さんに薬をやったそうだな。言ったはずだぞ、無闇に配るなと」

「申し訳ありません、医者にかかる金もないというので」

東庵は効能もわからぬあやしげなな薬だと言います。

一方で、駒は「お言葉ですが」と断りつつ、薬草さえ手に入ればできる、医者にかかれぬ人によい薬だと反論します。

この東庵と駒の言い争いは、両者とも正しくて、両者とも間違っているからややこしい! しかも、東洋医学のことを踏まえていないとこれまた難しい!

◆東庵の主張

薬というものは十分に気をつけて扱わねばならぬ。ものによってはそのとき効いても、あとで悪くなったりすることもある。

→これは現代医学でも納得できる言い分です。のみならず、東洋医学ならではの考え方もあります。まず患者の体質を踏まえねばならない。「同病異治(どうびょういち、同じ病気でも患者によって治療法が異なる)」という考え方です。

腰痛の爺さんと婆さんがいる。爺さんに効いた薬でも、婆さんにはむしろ害となるかもしれない。長期的にふまえないと危ないということです。

◆駒の主張

この薬は、そんなに危ないものではありません!

→このあと、東庵も言います。東洋医学では、症状の除去ではなく、患者の生命力を高め、回復を促すものなのです。

生命力の底上げをするものであれば、何にでも効くし、危険でもない。

完治できずとも、貧しい人が薬で希望を得られるのであれば、それはそれでよいことなのです。

◆【麒麟がくる】と東洋医学(→link

理論はお互いにあるし、プライドや意地もあります。

駒は煕子のように素直でもない。新たなジェンダー要素も入れてきて、嫌われても仕方ないところはある。そんなヒロインになりつつある。

近年でも、医大受験で女子が減点される問題がありました。

なんでそんなことをする? なんだかんだで言い訳が出てきて、むしろ思いやりという擁護もある。

けれども、シンプルなことでしょう。女性が知恵をつけ、金を稼ぎ、力を持つことへの反発ではありませんか。門脇麦さんのインタビューを読んでいても、駒は知恵と技術で自立していく女性像を体現するとわかります。

駒は、世界的なドラマトレンドを強く意識したヒロインだと思えます。『ゲーム・オブ・スローンズ』だけの話じゃない。

『麒麟がくる』休止中、韓流や華流ドラマにハマる方がおりました。それが女性視聴者となると、ジェンダー観が理由としてあがります。

韓国は男女格差の解消のために「両性平等放送賞」があります。中国ドラマも、そこをきっちりと意識している。

良妻賢母だけではなく、技術を身につけ、意見を言い、大胆に生きてゆく女性像が斬新どころかないとむしろ違和感を覚える。そういう流れが来ています。

◆日本ドラマの「ジェンダー観」、実は劇的にアップデートされつつあった…!(→link

本作はそこを意識しているので、駒も帰蝶も強い。

駒はなまじ庶民であるだけに、女性の強さを体現しやすいのです。そうそう、民目線で描くことも、世界的歴史ドラマのトレンド。

そういう準主役級の駒を演じる女優として、門脇麦さんは要望に応じていると思います。

これからを切り拓く新しいヒロイン像。反発もある、向い風の中を歩いてゆく。そういう像を演じ切って、取材にも応じるのですから、堂々たるものです。これからも大変でしょうけど、意義のある挑戦を応援していきたい。

そんな強気な駒は、やってはならないダメ出しをバンバンしてしまいます。爺さんの弟子になれ、お前に何がわかると感情論に突っ走る東庵に、こう返すのです。

「なんですかその言い方! 私がいなくなったら困るくせに!」

これは男女喧嘩での必殺の一撃かもしれない。

実際に東庵は駒に頼りきりです。現実社会にも、母なり妻なりのライフライン整備なくしては生きていけない男性は多いもの。家事を任せるということは、生き抜く力を落とすことでもあります。だからこそ戦国武将は、飯くらい自分で作ったもんです。

このあと、妙に生々しいやりとりを経て、駒が出ていく流れに。さて、東庵はどうするのでしょう。

 

双六に興じる太夫と前久

伊呂波太夫は、どこかで双六をしています。また負けたと悔しがっているのは、近衛前久です。

「さき様は勝負事に向いてない」

そう笑う太夫。一体この人は何者なのかと思っていたものですが、近衛家と繋がりが濃いようです。

負けて意地になる相手に、なんどやっても同じだと笑う太夫。

負けたままえは終われないと意地をはる前久。

弱いのに負けず嫌いだと笑う太夫には余裕があります。それに、男女であっても艶っぽさがない、家族のようなものを感じさせる。

そこへ駒がやってきます。

薬のことで先生と喧嘩したと告げる駒。あの丸薬は効くと太夫も言います。そのうえで、胸がキリキリする前久にも勧めるのでした。

今日は楽な方だと応じる前久。御所に出向くとこのあたりが……いろいろ厄介なことがあってのう……そうぼやいています。ストレス性ですね。

太夫は、将軍様に困っているのか?と投げかけます。さすが地獄耳と前久は驚く。賢いし、人脈もある。そういう存在なのでしょう。太夫は、この人は関白だと駒に紹介します。

「殿下、一言お言葉を」

「近衛前久である」

駒は驚きますが、太夫は弟のようなものだと言います。子どもの頃、拾われて育てられ、赤ん坊の前久を世話したとか。小便たれでなかなかおしめが取れなかったと言います。それゆえ、前久は頭が上がらないのだとか。

そんな前久に扮する本郷奏多さんは、気品と癖が同時に出せるのですごい。『ゲーム・オブ・スローンズ』のジョフリーをまともにした系統ですかね。

太夫は、ここで「大和に行こう」と駒に持ちかけます。大和の支配者である松永久秀が、妻を失い、鳴り物禁止にしているそうです。これは太夫としては商売あがったりということ。

近衛前久も、松永久秀には用事があるとか。かくして大和へ向かうのでした。

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