麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第22回 感想あらすじ視聴率「京よりの使者」

2020/08/31

永禄7年(1564年)冬。

桶狭間から四年――越前国では、明智光秀が清貧の日々を送っておりました。

長女のお岸が育ってきました。どうやら明智家は、左馬助が働いて収入を得ているようです。

その左馬助はこう言うのです。

またです、難しい顔をして書物を読んでいるって。剣術の稽古でもしなければ体が鈍るってさ。

嗚呼、左馬助よ……。

彼は極めて善人で、父・光安そっくりで、明智家を支えているけれども。当主である光秀を完全に理解しているわけではないのでしょう。タイプが違うんだ。

コロナの時代、人間にはいろいろな種類がいて、重なり合わないこともあると判明してきました。人類史はどうやら新局面にあるようです。

で、そんな2020年代に光秀と左馬助がいたらどうなのか?

想像はつきます。

光秀は、リモートワークで驚異的な効率を発揮し、波にこれから乗ってしまう。

左馬助は、「こんなことではストレス溜まるよ!」と、不調に突っ込んでいく。

光秀みたいなタイプは、ああやって難しい顔で読書することで、心身ともに鍛えられるのではないでしょうか。そっとしておくのが良さそうです。

煕子はそんな夫を理解しています。何かお考えがあるのだと嗜めます。

そんな明智夫妻には、二人目の娘がおりました。たまという名前です。

 


関白と将軍の対峙

一方で、京は平穏です。

それというのも、三好長慶がキングメーカーになってしまったからでして、実権を握り、支配は盤石なのです。

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ただ、それは足利義輝がレームダック、傀儡(かいらい・操り人形)になってしまったということではあります。

若き関白・近衛前久は、義輝に対して改元を迫っておりました。

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甲子(きのえね)の歳は、改元をすることになっている。 将軍が伺いを立て、帝が応じる。

そういう慣例があるのに、義輝は動かない。将軍の名に傷がつくと、苛立っております。

今週は前川洋一氏の脚本ですが、この方はこういう室内での政治劇がお得意なのでしょう。

これからますます出番が増えて結構なこと。明日の大河は、前川氏のような人材あってこそ持つ。こういう方が、『軍師官兵衛』の名を背負ったことは、もはや罪悪であるとしか言いようがないのです。

こういう当時の慣習って、「つまんないし、今の視聴者はわかんないし、それより受け狙いできる場面にしちゃえ」とやりたくなる可能性もあったでしょう。

しかし、このドラマは逃げない。まったくほんとうに、よいことを為されます。

令和のあれやこれやを見ていて興味を持った方もおられるかもしれません。

改元って、重要なのです。

為政者が時代を変えてゆく。そういうことを天下に示す。ただの改元、されど改元。義輝にプライドなり野心があれば、そこは逃せないはずで……確かに異常だ。

「それがしを将軍と思いますか?」

はい、義輝はもう完全に壊れてしまっています。ヒビが入った顔です。

向井理さんは、捨て鉢で、疲れきり、心が砕けようとする将軍を体現しています。

京を治めているのは三好。何の力もない。

三好は将軍家に仕えていると言われたところで、その家臣に娘を人質に出していると自暴自棄になって語ります。

将軍など名ばかり。帝も軽んじてている。そう言われ、前久は色めき立ちます。なんでも五年前、朽木谷にいる折、勝手に改元してしまったのだと。

義輝はくやしかった。そののち、しばらく弘治の年号を使い続けたそうです。その時から、もう帝は信用していないのだと。

前久は、帝は武士の後ろ盾さえなければ何もできぬと粘りますが、義輝は改元など知らぬと言い切ります。

この、祭祀や行事を司る天皇と、実質的な権力を持つ将軍の対立というのは、日本独自のようでそうとも言い切れないものはあります。

遠いヨーロッパでは、教皇と王が対立――宗教改革がありました。

純粋にルターたちの思想に感動して、これからはプロテスタントだと思った王侯貴族から民までいる。

その一方、イングランドのヘンリー8世は教皇の顔色をうかが状態が嫌だという理由で、身勝手な宗教改革を断行しました。

経済が発達し、この時代は、多くの国で何かが変わりつつあるのです。

生まれた時代が悪かった! そうまとめられれば、そうだけれども。

 


藤孝、突然の来訪

光秀が静かに書物を読みふけっていると、一人の武士が現れました。

細川藤孝です。

そのまま光秀の様子を覗いておりますが、藤孝の何がすごいって、その段階で光秀への敬愛が漏れているところでしょう。後光みたいに、好きな気持ちがあふれている。

光秀もそんなオーラを感じたわけではないでしょうが、藤孝の姿に気づいて驚いています。

「十兵衛殿の顔を見たくなった」

光秀に対してそう言う藤孝の表情が素晴らしい。

視聴者だって、十兵衛殿の顔を見たかったんです!

汚いところだと言いつつ、光秀はもてなします。煕子もお客様に驚いています。

煕子は本当にほ菩薩様みたいな良妻です。

いつも話している細川藤孝殿の来訪と聞き、即座に理解してしまう。迷惑そうな顔をしない。夫にとって大事な方ならば、私にとってもそう。煕子は、儒教倫理にぴったり沿った良妻です。

こういう古典的な女性を描くことにも意義はあります。型破りタイプの女性との比較にもよいのです。

そんな煕子は挨拶しつつ、藤孝をもてなします。

光秀の「汚い家」は謙遜でもなく、ほんとうに汚い。それでも酒を注ぎ、煕子は豪華な焼き魚をサッと出してくるのでした。ここで光秀が驚くところが、無言でも絶品の演技です。

無理をしてでも、背伸びしてでも、客人をもてなす――。

能の「鉢木」があります。来客のために、大事にしている盆栽を燃やすこと。こういうことが、道徳として伝えられてきたわけです。古典的な道徳心が心にしみますね。

藤孝も、過分なおもてなしだと恐縮しています。眞嶋英和さんは、言動が嘘を感じさせないから、いつ見てもすっきりします。

そうしてもてなしているところへ、牧が岸とたまを連れてきます。

何気ない場面のようで、本作らしいロングパス。

人見知りをするたまが、穴が開くほど藤孝を見つめている。抱かれてもおとなしくしている。お気に入りのようだと煕子と牧は驚いています。

藤孝の抱き方も慣れている。彼も子どもがいるのでしょう。そしてお世辞でもなく褒めている。なんだか運命を感じるのです。

ここでわざとらしく、藤孝が同じ年頃の息子がいるとか。美人だからその息子の嫁にたまを迎えたいとか、言わせようと思えばできるはず。

それでもやらないところが、前川氏のストイックでうまいところ。

どうしてこんな藤孝から、あの息子が……そうちょっと思えてきました。このたまは、藤孝の暴れ癖のある息子の妻となります。誰が演じるのか、今から気になるところです。

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義輝は本当にダメになってしまったのか

藤孝と二人だけになると、京で何かあったのかと光秀は切り出します。

わざわざ顔を見にきただけではあるまいと。藤孝は、お会いしたかったのは本当だと言ったあと、確かにそれだけではないと認めます。

なんでも能を演じるから、光秀も京に来て欲しいそうです。

光秀は、公方様が自分を求めていることに驚きます。そのうえで、浮かれずにわかには信じられない、一介の牢人にすぎないと言うのですが。光秀は、それなりの猜疑心があるのと、自己評価が低いのと、自分をよく理解できていないのでしょう。

光秀は、駒から信長まで、ともかく求められる。

彼を知る人物の多くがそう言う。これはモテとか主人公補正ということだけでなくて、彼なりの大きな力なのですが、そこにどうにも本人が無頓着なようです。

藤孝は本音を言います。

上様はもう変わってしまった。ないがしろにされ、都は以前にも増して三好が力を増し、怠惰な日々を送っている。

光秀が五年前も元気がなかったと振り返ると、悪化していると藤孝は言います。奉公衆が諫めても、将軍としてのつとめを果たさないのだと。藤孝は実直に諫言を言いすぎて、遠ざけられてしまっているとか。

理想の名君とは、諫言を聞くというのが儒教規範の理想です。義輝はほんとうに駄目になってしまった。

だからこそ十兵衛を京に呼び、真意を探っていただきたいのだと。藤孝が丁寧に頼んできます。

やはり、光秀は【魔法の鏡】らしい。

対象者を見つめる役割を果たすがゆえに、求められる。光秀って、きっちりこうだという型がなくて、演じる長谷川博己さんも奮闘しどおしだと思います。

脚本を書く側だって、演出側だって、長谷川さんがどう演じてカメラに映るかまで、想像できないところがありそう。そんな鏡のようで、水のような、不思議で魅力的な人物を描こうとしている。

なまじ見られない時間が長かっただけに、そんな魔法のような光秀像がどれほど尊く、よいものか。噛み締めております。

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「あの魚、無理をしたな」

そしてここからは、夫婦の閨へと。光秀はこう切り出します。

「あの魚、無理をしたな」

「大切なお客様ですから」

「まだ質に入れる物があったか」

「なんとかなるものでございます」

そう語りつつ、服を用意する煕子。ここで光秀が「すまぬ」といい、煕子が「おやめください」と返す。

理想的な夫婦像ですし、愛があります。

魚のことを見ていて、気遣える夫。夫の大事なお客様だからと返す煕子。これは個人単位の話ではなく、お互いを尊重しあってこその夫婦愛です。

壁ドンとか、顎クイとか。そういうことじゃないんですね。

光秀は妻に対し、能のため京都に呼ばれたことを語ります。光秀は戸惑いつつ、自分が呼ばれた理由がわからないと言います。大物ぶらない、いばらない。そう誠意を見せるからこそ、煕子は応じます。

「それでもお行きになりたいのですね、京へ」

「うむ。すまないと思うておる。おまえには苦労ばかりかけて」

「何ですか、さきほどから。すまぬすまぬと水臭い」

そんな妻に、光秀は語り始めます。

越前に来てもう八年。しかも、あいもかわらぬこの暮らし向き。子どもたちに読み書きを教えるのはそれはそれで楽しいが、これでよいとは思うておらぬ――。

確かに、マムシに振り回されていた頃より、ある意味安定感はあるかも。

でも、それだけでは満足できないのです。

「もっと何かできることがあるはずだ! その何かを見つけるためにも、京へ行ってみたい。己の力を試してみたいのだ」

「よくわかりました。どうぞいってらっしゃいませ。あとのことは案ずることはありません」

「すまぬ」

「また……ふふふふ」

木村文乃さんが、すごい。

ここでわざとらしく、甘えたり、すねたりしない。この美しい夫婦です。閨です。甘ったれたらそれだけで話題になる。

でも、そういうことじゃない!

どれだけ心が通じていて、煕子は夫の幸せは自分の幸せだと思っているから。こうすっきりと送り出せる。こういう妻がいる光秀は果報者だのう〜……となりますが。それだけでもない。

光秀は、貧しい暮らし向きに無頓着ではないけれど。それだけでもありません。自分の可能性を信じて、確かめたいという前向きな気持ちがある。そういう伸び代が、いつの何かに挑むところが、煕子にとって魅力的なのでしょう。

左馬助のように、相手を理解できないがゆえの言動が煕子にはありません。違いに理解をしている、そんな関係なのでしょう。

日が変わり、光秀は一乗谷の朝倉義景に許可を取りに行きます。

彼は光秀の魔法が通じない枠。扇で呼びよせ、京都のことを逐一知らせるよう、情報源として使うと言い切ります。

別に悪い人ではないのですが、信長あたりと違って、野心や伸びてゆく心は感じられないのですね。

「そなたの家のことは案ぜずともよい。留守の間、このわしがしかと面倒みる故。心置きなく行って参れ」

そう送り出すのでした。

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東庵の針と駒の丸薬

さて、京では。

老人が、東庵の治療を受けています。なんでも鍼治療を受けているとか。

先生の鍼は効くと褒めつつ、お駒ちゃんの薬も効くと言います。なんでも近所の婆さんが、腹痛が治ったと喜んでいるとか。しかもタダですって! 老人はわしも分けてもらいたいと言い出します。

その駒は隣室で丸薬を練っています。こういう漢方の所作や小道具が丁寧です。丸薬は、芳仁が言っていた【何にでも効く薬】なのです。

東庵は苛立ちつつ、どういうつもりで“そんなもの”を作っているのかと問い詰めます。

「そんなものって!」

「婆さんに薬をやったそうだな。言ったはずだぞ、無闇に配るなと」

「申し訳ありません、医者にかかる金もないというので」

東庵は効能もわからぬあやしげなな薬だと言います。

一方で、駒は「お言葉ですが」と断りつつ、薬草さえ手に入ればできる、医者にかかれぬ人によい薬だと反論します。

この東庵と駒の言い争いは、両者とも正しくて、両者とも間違っているからややこしい! しかも、東洋医学のことを踏まえていないとこれまた難しい!

◆東庵の主張

薬というものは十分に気をつけて扱わねばならぬ。ものによってはそのとき効いても、あとで悪くなったりすることもある。

→これは現代医学でも納得できる言い分です。のみならず、東洋医学ならではの考え方もあります。まず患者の体質を踏まえねばならない。「同病異治(どうびょういち、同じ病気でも患者によって治療法が異なる)」という考え方です。

腰痛の爺さんと婆さんがいる。爺さんに効いた薬でも、婆さんにはむしろ害となるかもしれない。長期的にふまえないと危ないということです。

◆駒の主張

この薬は、そんなに危ないものではありません!

→このあと、東庵も言います。東洋医学では、症状の除去ではなく、患者の生命力を高め、回復を促すものなのです。

生命力の底上げをするものであれば、何にでも効くし、危険でもない。

完治できずとも、貧しい人が薬で希望を得られるのであれば、それはそれでよいことなのです。

◆【麒麟がくる】と東洋医学(→link

理論はお互いにあるし、プライドや意地もあります。

駒は煕子のように素直でもない。新たなジェンダー要素も入れてきて、嫌われても仕方ないところはある。そんなヒロインになりつつある。

近年でも、医大受験で女子が減点される問題がありました。

なんでそんなことをする? なんだかんだで言い訳が出てきて、むしろ思いやりという擁護もある。

けれども、シンプルなことでしょう。女性が知恵をつけ、金を稼ぎ、力を持つことへの反発ではありませんか。門脇麦さんのインタビューを読んでいても、駒は知恵と技術で自立していく女性像を体現するとわかります。

駒は、世界的なドラマトレンドを強く意識したヒロインだと思えます。『ゲーム・オブ・スローンズ』だけの話じゃない。

『麒麟がくる』休止中、韓流や華流ドラマにハマる方がおりました。それが女性視聴者となると、ジェンダー観が理由としてあがります。

韓国は男女格差の解消のために「両性平等放送賞」があります。中国ドラマも、そこをきっちりと意識している。

良妻賢母だけではなく、技術を身につけ、意見を言い、大胆に生きてゆく女性像が斬新どころかないとむしろ違和感を覚える。そういう流れが来ています。

◆日本ドラマの「ジェンダー観」、実は劇的にアップデートされつつあった…!(→link

本作はそこを意識しているので、駒も帰蝶も強い。

駒はなまじ庶民であるだけに、女性の強さを体現しやすいのです。そうそう、民目線で描くことも、世界的歴史ドラマのトレンド。

そういう準主役級の駒を演じる女優として、門脇麦さんは要望に応じていると思います。

これからを切り拓く新しいヒロイン像。反発もある、向い風の中を歩いてゆく。そういう像を演じ切って、取材にも応じるのですから、堂々たるものです。これからも大変でしょうけど、意義のある挑戦を応援していきたい。

そんな強気な駒は、やってはならないダメ出しをバンバンしてしまいます。爺さんの弟子になれ、お前に何がわかると感情論に突っ走る東庵に、こう返すのです。

「なんですかその言い方! 私がいなくなったら困るくせに!」

これは男女喧嘩での必殺の一撃かもしれない。

実際に東庵は駒に頼りきりです。現実社会にも、母なり妻なりのライフライン整備なくしては生きていけない男性は多いもの。家事を任せるということは、生き抜く力を落とすことでもあります。だからこそ戦国武将は、飯くらい自分で作ったもんです。

このあと、妙に生々しいやりとりを経て、駒が出ていく流れに。さて、東庵はどうするのでしょう。

 

双六に興じる太夫と前久

伊呂波太夫は、どこかで双六をしています。また負けたと悔しがっているのは、近衛前久です。

「さき様は勝負事に向いてない」

そう笑う太夫。一体この人は何者なのかと思っていたものですが、近衛家と繋がりが濃いようです。

負けて意地になる相手に、なんどやっても同じだと笑う太夫。

負けたままえは終われないと意地をはる前久。

弱いのに負けず嫌いだと笑う太夫には余裕があります。それに、男女であっても艶っぽさがない、家族のようなものを感じさせる。

そこへ駒がやってきます。

薬のことで先生と喧嘩したと告げる駒。あの丸薬は効くと太夫も言います。そのうえで、胸がキリキリする前久にも勧めるのでした。

今日は楽な方だと応じる前久。御所に出向くとこのあたりが……いろいろ厄介なことがあってのう……そうぼやいています。ストレス性ですね。

太夫は、将軍様に困っているのか?と投げかけます。さすが地獄耳と前久は驚く。賢いし、人脈もある。そういう存在なのでしょう。太夫は、この人は関白だと駒に紹介します。

「殿下、一言お言葉を」

「近衛前久である」

駒は驚きますが、太夫は弟のようなものだと言います。子どもの頃、拾われて育てられ、赤ん坊の前久を世話したとか。小便たれでなかなかおしめが取れなかったと言います。それゆえ、前久は頭が上がらないのだとか。

そんな前久に扮する本郷奏多さんは、気品と癖が同時に出せるのですごい。『ゲーム・オブ・スローンズ』のジョフリーをまともにした系統ですかね。

太夫は、ここで「大和に行こう」と駒に持ちかけます。大和の支配者である松永久秀が、妻を失い、鳴り物禁止にしているそうです。これは太夫としては商売あがったりということ。

近衛前久も、松永久秀には用事があるとか。かくして大和へ向かうのでした。

 

多聞山城の松永

そして大和の多聞山城へ。

センス抜群、浮世離れした壮麗さであったと伝わる、そんな松永久秀の居城です。

松永久秀像(高槻市立しろあと歴史館蔵)
信長を2度も裏切った松永久秀は梟雄というより智将である 爆死もしていない

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前久は改元のことを言いにきました。なんでも三好長慶から改元を提案したものの、帝は応じなかったとか。

昔から改元は将軍がするから。そう突っぱねられたわけです。

権力の移行は、武力だけではなく、儀礼でもするもの。三好長慶の下克上は、ここにも極まっているわけです。

ここで前久は、妙な噂を耳にしたと言います。

「将軍を亡きものにせんと企んでおる輩がおるというのじゃ」

「なんと! それはまことか!」

そうしらを切りますが、前久は久秀の子・松永久通が一枚噛んでいると言います。

それでも久秀は笑い飛ばし、こう来ました。

「……関白殿下ともあろうお方が、そのような戯言を真に受けるのはいかがなものですかな」

太々しい! この男は権威なんか笑い飛ばす気満々だと。

 

民に施しを行う覚慶=義昭

商人にも優しく声を掛ける僧に、駒は深々と頭を下げます。

彼女の心の琴線に触れたのでしょう。駒が丸薬を配る気持ちは、世界をより良くしたいから。貧しい人、苦しむ人を救いたいから。そんな彼女と思想が一致しそうな僧に、感極まっているのでしょう。

「よくお見えになるそうですね。みなさん喜んでおられました。生仏のようなお方じゃと」

「畏れ多いこと。私はただ、己ができることをしておるだけ。あれくらいしかできない。では」

僧侶は覚慶。のちの最後の将軍となる義昭です。

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足利義昭が民に施す僧侶かよ! 話盛りすぎだな!

そういうツッコミはあると思うのですが、本作には終始一貫した部分があります。

駒も、覚慶も、麒麟がくる世の中を待っている。

そのためには、目の前にいる困った人に善意を届けたい。こういうことはきれいごとでも何でもない。募金箱にお金を入れて、クラウドファンディングに協力する。そういう庶民がささやかな善意を見せることには、紛れもなく世の中をよくする力はあるはず……なのですが。

【情】の力です。

どうにもそんなものは微力だ、綺麗事だと言う意見は出てくることでしょう。

そんな船から水を汲み出すようなことをしてどうするんだ? 世の中の仕組みを抜本的に変えるんだ! そういう【理】の変革を見据える人物も必要です。

覚慶が見せるようなことを「婦人の仁」とも呼びます。韓信が項羽を評した言葉です。

男女差別はとりあえず横に置きまして。要するに、情にほだされて優しさを見せる。でもそんなことは世の中そのものを変えられないじゃないか。そういうことです。

立場もあります。一個人単位であれば、そういう情けがあった方がいいに決まっている。でも為政者ならば、もっとでかいものを持てと。為政者のおちゃめな話に流されている場合じゃないと。

覚慶のこの優しい好青年像は、今後誰かとの対比で見えてくる欠点の前触れかもしれません。

ここまで見てきた方なら、想像できるかと思うのですが……世の中の根本を変えるためならば、流血をおそれないし、悪名もどうということはない。そういう人物。

織田信長です。

それにしても、この覚慶。兄である向井理さんと比較して、年齢的に無理をしてでも滝藤賢一さんにしたあたりがすごい。

ひょうひょうとしていて明るいようで、クセがある。でも、豊臣秀吉を演じる佐々木蔵之介さんのように怖いところはない。ほんとうに、よくぞこういう適材適所ができるものだと思います!

 

久秀と太夫の奥深き妖艶

さて、大和では。

伊呂波太夫が松永久秀に、鳴り物禁止の件をなんとかして欲しいと頼み込んでいます。

しかし久秀は、喪が明けるまで待って欲しいと言います。そのうえで、あれ(久秀の妻)と仲が良かったのだから、わしの気持ちもわかるであろうと理解を求めるのです。太夫は、お優しいかたで、残念だったと振り返ります。

なんというかつてない松永久秀! 愛妻家じゃないですか。

久秀はなまじ、フィクションではエロに暴走する像が多いものでして。鼻をちょっと啜って、妻恋しさを出す久秀からは、新鮮なものを感じます。

「のう太夫……このままずっと大和にいる気はないか?」

「は?」

ここで久秀、こう切り出しおった。

愛妻家じゃないの?

久秀はとっくに倅に家督を譲り、今や隠居の身。三好の殿も病がちだし、もう我らの出る幕はないと言い出します。ここらでゆるりとしたいのに、女房に先立たれ……そしてこう来ました。

「もう寂しうて寂しうてたまらんのじゃ」

酒を飲み、赤い盃の向こうから太夫に目線を投げかける久秀。

なんじゃこりゃ、かつてないキュートな松永久秀だなぁ。スケベ心丸出しかというと、それがうまい寸止めというか。

深芳野と斎藤道三もそういうものがありましたが、いわゆる奸雄でも、女を侍らせてウハーという感じではない。

しっとりと、寄り添って、酒でも飲んで語り合いたいのじゃ。わしだって寂しいのじゃ……そういう境地に突っ込んできたな。

太夫の手を握り、こう頼み込む久秀です。

「……わしのそばにいてくれんか」

太夫はお気持ちはありがたいと言いつつ、「やることがございますので」とはぐらかします。

この「ふふふ……」と笑う尾野真千子さんは、もう、妖艶という境地の頂点に達しました。そりゃ久秀も頼むわ。

久秀はくやしそうに、まだ稼ぐつもりか、そんなに稼いでどうするつもりかと嫉妬をこめて言います。

「誰か貢いでいる男でもいるのかっ」

「はい、おります」

「どこのどいつだ、その果報者は!」

ここの久秀は、いろんな要素があります。

大和一の権力者。しようと思えば、力づくで太夫をなんとでもできるはず。でもしない。紳士だからさ。

妻に先立たれた、哀れな老いた男。若さよりも、寂寥感をアピールしています。

でも、太夫の愛する男を「果報者!」と呼び、嫉妬してしまうダメな男。コミカルなんだな。

これを全部ひっくるめて、そこを色気とダンディズムで覆い、見せてこなければならない。こりゃ吉田鋼太郎さんじゃなきゃできない。そういうとんでもないところへ着地しています。

圧倒的な色気! ここ数年でも、かつてない妖艶さがあります。大河のテコ入れでお色気報道があるたび文句をつけてきたクソレビュアーですが、これは最高です。もっとこの調子でがんばって欲しい。

古典的かつ最新鋭のお色気、かつ個性あふれる色気に突っ込んできました。

金や権力でどうこうする。アクシデント的に露出が見える、いわゆるラッキースケベ。いきなり相手が寝室までやってきて脱ぐ。そういうご都合主義。わけわからん壁ドン。スポーツ女性の隠し撮り。ここ数年のあれやこれやを思い出し、そうじゃないと毒づいてきた。それに対して、あり余るほどの妖艶さを見せつけられました。

別に久秀も太夫も脱ぐわけじゃないし、会話をしているだけと言えばそうなのです。

それでも、久秀は太夫の魅力に酔っているとわかる。太夫は相手を酔わせていて、それをわかっているとも伝わってくる。

そうそう、松永久秀は房中術に詳しいことも有名です。ゆえにフィクションでは、エロ大魔王扱いもあるのですが、これもそういう単純なことでもありません。

房中術も、医療や天地と関わりがあるものとされるのが、東洋の思想です。

陰である女性、陽である男性。この間に、不満や憎悪があると、陰陽の気が乱れて、ろくなことにならない。相手を気遣い、観察し、もちろん同意を取らなければならない。そういう極めて現代的なマナーを網羅してこそ、房中術なのです。まずはそこからだ!

だからこそ、この久秀は素晴らしいと思った!

相手に懇願し、条件をつけて、拗ねて、無理強いせず、会話を楽しむ。そういう粋な遊びの境地がそこにはありました。

吉田鋼太郎さんと尾野真千子さんでないと、この雰囲気は出せない。そういう凄まじい境地があった。すごかった。えらいものを見てしまった……。自分が見ているものが信じられないくらい濃密でした。ありがたいとしか、もはや言いようがありません。

 

将軍・義輝との対面

光秀は上洛を果たしました。

三淵藤英が迎え、能を見たら、上様から話があるはずだと言うのです。その内容は、おそらく三好長慶討伐であると。

光秀はあまりのことに困惑し、どういうことかと聞き返します。

なんでも義輝は、奉公衆にもそう頼んでいるのだとか。将軍家に力を取り戻すには、三好を成敗するしかないのだと。

藤英はお諫めし、考えを改めるよう訴えたと言います。

光秀はそのために呼ばれたのかとますます困り果てるしかない。

「どう受け止めるかは、そなた次第じゃ」

そんなふうに話を投げられる光秀。牢人を呼ぶのは使い捨てということ? けれども、光秀はそこで舞い上がって刺客になるほど甘い男でもありません。

そして能を見た後、義輝は光秀に語りかけます。

夢に観音菩薩が現れ、越前から現れる助けを頼みにせよと訴えたそうです。

夢のお告げにズッコケそうになるかもしれませんが、当時の人は現代人より信じるはずです。織田信長のような奴は別としまして。

義輝は考えました。

頭を冷やしてみると、武家の鑑でならぬ将軍が、意に沿わぬものだからと闇討ちをしては、将軍の地位は落ちるばかりだと。

義輝は、覚えているかと尋ねます。麒麟の話のことを。

立派な征夷大将軍になれば、世を平らかにできよう。さすれば麒麟がくる。この世に麒麟が舞い降りてくる――。

義輝は、麒麟を呼べる男になりたいと語ります。将軍になってからずっと、願ってきたことだと。

「それが思うようにならぬ。やればやるほど、皆このわしから離れてゆく。何もかもうまくいかぬ」

光秀はそんな義輝に、こう言い出します。

「上様、おそれながら、私に考えがございます」

将軍家に力を取り戻すためには、支えがいる。そう語る光秀に、呼びかけに応じぬと義輝は言います。

光秀はここで、尾張の織田信長の名を持ち出します。

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上洛するのかと訝る義輝に、こう言い切るのです。

「私がお連れいたします」

はたしてどうなることやら。

 

治るものは、己の生きる力で病を治す

このあと、光秀は東庵の元へ向かいます。

越前からいつ来たのかと驚きつつ、迎える東庵。

光秀は久方ぶりに京都に参り、気が昂っていて、落ち着くために歩いていたそうです。光秀はそのうえで、こう言います。

あるお方に会うた。大事に思っている方。そのお方は迷っておられる。雲がかかった月のように、雲を払い除けたい。そのために手助けを言い出したのだと。

「しかしこの先のことを思うと、大きな山を前にしたような心地がいたします。はたしてこの脚で、その山に登れるのかどうか。しかし、登るほかありませぬ」

そう語る光秀に、東庵は長く医者をしてきて悟った真理を語ります。

手を尽くしても助からぬ命もあれば、治るものもある。治るものは、己の生きる力で病を治す。医者はただひたすらに、その手助けをしているだけ。雲が晴れるか否か、目の前のことを一つずつ、やっていくしかないのではありませぬか?

「一つずつ、山は大きいほうがいい。登りきるとよい眺めじゃ」

そう東庵は語ります。

一般的な話のようで、根本に東洋医学があります。

よい医者は天下を治療する。患者の生命力を引き出し、治癒させる。病の根元を取り除くのではなく、生命力を蘇らせ、病気を追い出すようにすること。それが医術なのだと。

東洋医学の知識があったほうがわかりやすく、かつ難解な本作。この作品は、視聴者を甘っちょろく見て手抜きしない、硬派な作品です。

こういう作品の脚本を書くとか。演出をするとか。演じるとか。関わった人は幸運ですし、それは見る側もそうです。好みは分かれるのでしょうが。

そして河内の飯盛山城で、三好長慶が息を引き取りました。

京都はふたたび、動乱の時代に突入したのでした。

 

MVP:覚慶

民に施す足利義昭というのは、かつてなかったし、かなり重要な描き方だよ思います。

よい人、生仏とまで言われている。あの場面は、いかに彼がよい人はわかる秀逸さが詰まっていました。

しかし彼のそんな優しさも、信長が踏みつけにしてゆく。それを見越して、あんな像にしているのではないかと、楽しみに思いつつ、恐ろしいと感じています。

麒麟がくるためには何がすればよいのか。駒同様、体現してもいる。

少しでもよい世の中にするようにすることを、大事だと伝えてくれる。そういう人物なのですが。それも崩される前ふりなのかな。

 

総評

再開後、想像以上の出来でした。

コロナと重なった今、麒麟をもとめる気持ちは一致する。そんな時代になりました。

光秀も、駒も、麒麟がくるにはどうすればよいのか考えている。

義輝も覚慶もそう。

再開後こう見せておいて、そんな個人の努力だけじゃ足りないと信長が何かをするのではないかと思います。

再開したからこそ、どれほど素晴らしいか痛感できたところもある。

そんな本作は応援するしかありません。


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【参考】
麒麟がくる/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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