後三条天皇

後三条天皇/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

なぜ後三条天皇は道長一族の権力を排除できたのか『光る君へ』その後の世界とは

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何もかも上手く行かない摂関家

ジリジリと危機的な状況に陥っていった摂関家では、兄弟間での対立が激化。

そればかりか後三条天皇と釣り合う姫がおらず、どんどん勢力が衰えていきます。

藤原氏全体で見ると、後三条天皇に嫁いだ姫はいるのですが、その女性自身が若くして亡くなったり、子供に恵まれなかったり……。

政治的な成功を収めることはできません。

逆に、だからこそ後三条天皇は、自身の基盤を固めていくことができたのですね。

外交面でも変化がありました。

例えば現在の青森県全域が朝廷の支配下に入り、北海道と沖縄を除く「本州全域と四国・九州と周辺の島々」がこの時代の日本となっております。

 


長男の白河天皇に譲位すると半年で……

こうして数々の実績を積んでいった後三条天皇。

それだけにストレスやプレッシャーは大きなものだったのかもしれません。

徐々に健康面での不安が表面化してきたようです。

即位したのが34歳で、当時としては寿命が近づきつつあった頃でしたしね。

そして白河天皇に譲位して約半年で崩御となりましたから、本当にギリギリのタイミングでした。

白河天皇は譲位後に院政を推し進め、藤原氏が外戚として政治に大きく介入することはなくなり、次に院政の時代が続きます。

皇室の密かな悲願が達成されたといえるかもしれません。

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“後”のつかない三条天皇は、道長に追い込まれた上に眼を病み、不本意ながらに譲位した……という方でしたから、同じ諡号を持つ後三条天皇の功績を、きっと喜んでいたでしょう。

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その後、白河天皇の行状によってまた別の問題が出てきて、源平時代から武家政権の時代に流れていくのは、自然の流れだったのでしょうか。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon
後三条天皇/wikipedia

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