蒲生氏郷/wikipediaより引用

織田家 信長公記

秀政や氏郷が信長の前で相撲! 安土に集結した1,500人の力士~信長公記169話

東海畿内を制覇し、北陸や中国エリアへと勢力を広げる織田家。

順調に領土を拡大していくその先には、毛利や上杉、武田など強敵との争いがあり、戦を有利に展開するには一人でも多くの強者(つわもの)が必要となります。

そこで天正六年(1578年)8月15日、織田信長は安土で相撲大会を開きました。

『信長公記』に何度も出てくるほど信長は相撲が好きですが、

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今回は規模が違います。

参加力士の人数、なんと1,500人!

近江や京都などから腕っぷしの強い連中を集め、朝の8時頃から夕方6時ごろまで取組(とりくみ・相撲の試合のこと)が行われたというのです。

時間割としては現代の相撲とさほど変わりませんが、参加人数と試合数の多さを考えると驚異的なスピードですよね。

行司は162話のときと同様、木瀬蔵春庵と木瀬太郎太夫が務めました。

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各武将のお抱え力士たちも活躍

力士の多くは、津田信澄堀秀政などの重臣たちが集めてきました。

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その他に、各武将のお抱え力士たちも活躍。

せっかくですので確認しておきましょう。

活躍が目立った
各武将のお抱え力士

・京極高次
→江南源五

・木村重章
→深尾久兵衛
→木村伊小介

・布施公保
→小者勘八
→山田与兵衛

・堀秀政
→地蔵坊

・後藤高治
→麻生三五

・蒲生氏郷
→中間藪下

・瓦園
→綾井二兵衛尉

※その他は割愛

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などなどスター武将が並んでワクワクしますね!

しかし、今回の相撲大会は、さらにドキドキする展開となりました。

 


武将たちにも相撲を取らせた

力士たちの取り組みが終わった後、信長はかねてから剛力と聞いていた永田正貞と阿閉貞大の相撲を見たいと所望したばかりか、

・堀秀政
・蒲生氏郷
・万見重元
・布施公保
・後藤高治

この五人に相撲をらせたのです。

布施公保は蒲生賢秀の家臣だった人で、この相撲大会から二年ほど後に信長の直臣に取り立てられています。

後藤高治は元・六角家臣でした。信長がかつて足利義昭を奉じて上洛した頃から、織田家に使えたと考えられています。

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この二人と重元・正貞・貞大の生年はわかっていませんが、氏郷が弘治二年(1556年)生まれ、秀政が天文二十二年(1553年)生まれですので、離れていたとしても10歳前後かと思われます。

残念ながら五人の勝敗結果は記されておりません。

そして、信長が所望していた頂上対決【永田正貞vs阿閉貞大】は……。
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