『陳情令』&『魔祖道士』を見ていると、とても楽しいようで、不思議なことも出てきます。
隣の国だから、日本と同じかな?
いやいや、こんなの知らない、ワケわからない……そんなことが起きても仕方ありません。
しかし、ちょっとした描写にヒントが隠されている中国フィクションの世界。
本稿では、そんな「華流時代劇」を楽しむためのお約束を18項目にてまとめてみました!
名前の呼び方が大事
この作品がとてもがんばっていること。それはあだ名を無理矢理翻訳せず、言語を用いている点です。
なぜなら、呼び方というのは非常に大事だからです。
最もよく使われているのが【阿+名前の一部】ですね。
「阿羨!」
江厭離が魏無羨をそう呼ぶ場面はいくつもあります。
この「阿」とは、名前につける接頭語で、日本語ならば「〜ちゃん」あたりだとお考えください。
『三国志』関連でも出てくるもので、例えば曹操の幼名は「阿瞞」(あまん)とされます。幼名というより、あだ名で「嘘つき小僧」といった意味合いですね。
あまりよい意味ではなく「曹操って幼い頃から“阿瞞”って呼ばれていたんだってさ」と、ゴシップめいた印象も受ける名前です。
曹操と敵対した呉では『曹瞞伝』という「あの嘘つき野郎の話を集めたぞ」と言いたげな書籍もあり、正史の注に引かれております。
※以下は曹操の事績まとめ記事となります
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劉備の子・劉禅の幼名「阿斗」、魯迅の『阿Q正伝』も「阿」が使われていますね。
そして「呉下の阿蒙にあらず」という言葉があります。
『三国志』に登場する呉の呂蒙には、こんな逸話があります。
貧しい家庭に生まれ育った呂蒙は、武人としての能力はあるものの、知識がないまま出世を遂げていました。
そこで主君の孫権は、こう助言しました。
「もうちょっと本を読んでみてもいいと思うぞ」
「軍務でめっちゃ忙しくてそんな暇ねっす!」
「そう言わずに読みなさい。おすすめはこういうのだけど、どう?」
「え、マジっすか……」
孫権の言葉を受け入れ、呂蒙は猛勉強!
呉でも屈指の知恵者である魯粛は、呂蒙は無学だと軽蔑していました。
それが久々にあって話してみると、すっかり知識を身につけていて魯粛は驚きました。
「こりゃ参ったね。呉の蒙ちゃん(呉下の阿蒙)とは思えないよ!」
「士たるもの、別れて三日もすれば変わるもの。次に会うときは刮目(目を見開いて見る)するべきですな」
そこまで呂蒙は成長し、知勇兼備となり、「刮目」の由来となりました。
関羽を討ったためフィクションでは憎まれ役の呂蒙ですが、実際には努力家。
このように「阿蒙」とは「蒙ちゃん」という意味で使われています。
ちなみに日本の名前にも「お」とつけることがあります。
梅という人物を「お梅」と呼ぶようなもの。これを漢字表記にすると「御梅」あるいは「阿梅」となります。接頭語「お」にも近い使われ方でもあるのです。
もっと幼いニュアンスの呼び方もあります。
【名前の一部をくりかえす】(例:羨羨)ものです。「阿」をつけるよりも幼く、ともかくかわいらしくて仕方ないような、そんな印象があります。パンダの名前でもおなじみですね。
親が子を呼ぶような名前としては、名前の一部に「児」をたす(例:羨児)というパターンもあります。
どれも愛おしい思いが込められていて、かつ、年下の相手に使うことが多いです。
字(あざな)と号(二つ名)
本作では、武侠でも出てくることが珍しい、字(あざな)が出てきます。
名前で呼ぶか、字で呼ぶか、愛称にするか?
こうした呼び方ひとつでも親密度や礼儀があります。
馬超が劉備を字で呼び捨てにしたところ、関羽と張飛が「あいつを殺す!」と激怒したという逸話もあります。
信憑性の面で真偽の程はわかりませんが、呼び方が大変重要だということです。
さらには「号」も出てきます。
こちらは成長して実績を残し、その特徴から名付けられているもの。藍忘機の「含光君」のように極めて美しいものが多いのが特徴です。
魏無羨の「夷陵老祖」は『魔道祖師』というタイトルとイコールで結べるようなものとわかります。
夷陵にいる老祖(敬意をこめた尊称)とは、魔道を修めて始めた祖である。そんな畏敬と忌み嫌う感情は表裏一体。恐れられてもおかしくない人物が、実は好青年だった――そう誘導するタイトルです。
「拝師」とは?
魏無羨は甘えるように江離厭を「師姉」と呼びます。原語では「師姐」です。
武侠ものの門派は擬似家族を形成しており、師匠は親、弟子は子となります。
先に入門したら兄と姉。あとに入門したら弟妹。
これでもこの作品はまだ単純な方で、例えばこんな呼び方もあります。
師伯=自分の師匠の兄弟子
大師叔=自分の師匠の師匠の、弟弟子
頼むから系図を作ってくれ……そう嘆きたくならないだけ、まだ楽だとお思いください。
中国では共同体は擬似家族とみなされ、大変深い絆があります。
それゆえ、師匠と弟子が愛しあうことは、親子が愛しあうに等しい禁忌とされます。
それに挑んだ作品が金庸『神雕侠侶』です。肖戦もこの愛に挑む新作があるのですが……。
◆シャオ・ジャンも参戦!「禁断師弟愛」を描いた「玉骨遥」は「花千骨」を超えられるか?(→link)
一方で、満ちあふれている師と弟子の禁断の恋、クールな男性主人公とおてんばなヒロインという千編一律な人物設定に対してネットでは「マンネリ化」を指摘する声も相次いでいる。
またかよ! と、そんな声も出てきているとか。
なお、師匠と弟子の愛は禁忌ですが、きょうだい弟子同士のカップルは定番です。
魏無羨が江厭離に淡い初恋を抱いていたとしても、それは自然なことです。
魏無羨が「大師兄」であることも大事です。
江澄よりも上。雲夢江氏一門で最上位の弟子になります。
江澄が将来の宗主とはいえ、これは劣等感を覚えかねない配列です。そりゃ虞夫人も不満でしょう。
そしてこの「大師兄」という呼び方は、武侠ものの代表『笑傲江湖』主人公・令狐冲もそうなのです。「大師兄」にはあの伝説が連想されるもの。特別なのです。
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魏無羨と藍忘機のルーツ|陳情令と魔道祖師は「武侠」で読み解く
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“陰虎符”とは?
魏無羨が持っている特殊な道具。何かファンタジーRPGに出てきそうで、そうでもない。
これは一体何でしょうか?
西洋世界のアイテムで最も近いものは、あえてあげるのであれば「アミュレット」(Amulet,・護符)になります。
「虎符」とは、銅製で虎の形をした割符です。
徴兵と指揮権があり、軍隊を動かすために必須のものとなります。
半分は朝廷、もう半分を将軍が保持。虎符は銅製です。鉄が発達した後では用いられない、古代のものだとお思いください。
いざ軍を動かそうというとき、虎符がないとどうにもならない。
窃盗は犯罪だ、それでも危難の際にあえて虎符を盗むことは勇敢だ。
魏・信陵君の依頼を受け、虎符を盗んだ如姫はそのことで歴史に名を残しています。
虎符という単語が出てくることで、さまざまな要素が浮かんできます。
隠虎符は、古代らしさを感じる。
隠虎符は、軍隊を動かすほどの力がある。
隠虎符は、二つはあるのだろう。
隠虎符から思い出される信陵君と如姫。
「窃符救趙」という故事があります。個人が汚名を背負っても、成し遂げるべき大義があるのかもしれない。そんな義侠心が虎符からは連想されるのです。
あの浮かび上がる「隠虎符」で、そんな作中の世界観がつかめます。
※『虎符傳奇』というドラマもあります
「陰」が強いと悪いことが起こるのか?
では「陰」とは何か?
陰陽説です。どちらかが過剰でも、不足してもよろしくない。バランスを取ることが重要です。
魏無羨は鬼道を使うことを注意されると、目的が問題だと言います。
鬼道も「隠」に属するかもしれないけれど、バランスさえ取ればやっていけるという彼なりの考えがあるのでしょう。
陰の気が強いとされる場所は、怪奇現象が起こりやすいとされています。
では、陰気が勝る場所とはどういう条件があるのでしょうか?
湿気が高く、陽の気を司る日光が差し込まない……といった要素が揃います。
ただの迷信のようで、そうした場所はカビが生えたり、腐敗や害虫が発生しやすいもの。
病気やトラブルを避けるためにも、「陰が強すぎると不吉だ」とこうした知恵で、人々は身を守ってきたのですね。
陽が強すぎてもまたよろしくありません。確かに日光が差し込むことでものが痛むようなことも起こります。
なにごともバランスが大事であるという思想は、この世界観の根底にもありますよ。
「正邪」の対立とは?
元となる世界観の『笑傲江湖』では、正邪両派が対立しています。
邪とされる日月教は、フィクションでは見るからに悪どい衣装を着ていて、悪事をあちこちで働いている説明されます。
あの作品では「みんなわかっていると思うけど、あの邪派だぞ」と話は進んでゆく。
しかし、その理解前提がないと「邪派はそもそも何が悪いのか?」という説明が必要となります。
ゆえに『陳情令』と『魔道祖師』の世界観では、岐山温氏が悪事をテンポよく働いてゆきます。
これならば悪とされても仕方ない。そんな殺戮が続くのです。
けれども、温氏と同族というだけで悪事を働いていない大梵山温氏まで残酷な目に遭わせなくてもよいじゃないか! そう思い、魏無羨は岐山温氏が生き抜くためのコミュニティ作りに励みます。
反乱を起こした人々。邪悪とされた人々……彼らにも生活苦や事情があったのではないか?
そうした視点が中国史では大事です。
『三国志』の世界は、黄巾の乱から始まります。黄色いターバンを巻いた怪しい連中が反乱を起こしたぞ、と、官軍や朝廷目線からすればそうなります。
しかし、彼らのような人々がたちあがった背後には、悪政や生活苦があったはず。そこまで考察する必要があるのです。
『笑傲江湖』原作が発表された時代は、文化大革命の嵐が吹き荒れていました。
元を辿れば同じ仲間が、互いを正しい、悪だと言い張り、命を落とすほどの対立を繰り返している。
愚かなことだ。
江湖(=社会)を笑い飛ばしてやろうじゃないか!
そんな世相への思いが作品にはあるのです。
考え方のちがいを乗り越え、バランスをとることを大事にする。そんな今の世にも通じる世界観と道徳心があります。
お面を被っただけで正体がバレないの?
『陳情令』では、莫玄羽の獻舍(その身を捧げて悪霊を呼び出す)のあと、魏無羨が正体がわからないようにお面を被っています。
ドラマがおもしろいからスルーして進みますけれども、こうツッコミを入れたくはなりませんか?
「いや、あのお面なら正体バレるでしょ? 声や体型でなんとなくわかるんじゃない?」
そう言いたい気持ちはわかります。
しかもあのお面は顔の下半分は見えています。
これも中国の武侠ものにあるお約束で、お面を被ると正体がわからなくなるのです。
「なんだあの謎の存在は……誰だか想像もつかん!」
いや、わかるでしょ!
そう言いたくなるかもしれませんが、こらえてください。
人造皮膚のような謎の皮を被り、別人になりすますこともあります。
「義城編」での薛洋がその術を使っています。
ちなみに魏無羨のモチーフの一人と推察できる『神鵰俠侶』主人公・楊過も、十六年後パートではお面を被ります。
なお、美少女が男装してもバレないというお約束もあります。
魏無羨、酒を求め過ぎじゃない?
魏無羨が復活してすることといえば、ともかく酒を飲むこと。
もっと他にやることがあるんじゃないの?
そう言いたくもなりますが、これも中国の伝統。漢詩では酒を扱ったモノがともかく多い。
「詩仙」とされ、中国を代表する大詩人・李白にはこんな伝説があります。
「李白は酔っ払って船に乗っていて、月を取ろうとして溺死したんだって」
「あら、素敵……」
何が素敵なの?
酔っ払ったおじさんが溺死してそれっていい話なの?
そう言いたくなる気持ちはわかりますが、浮世離れして、現実離れして、死んだかどうかもわからないうちにあの世へ向かうというのは、羨ましがられたのです。
西洋では酒といえば暴力沙汰や中毒と結び付けられるものですが、東洋では楽しい酔っ払いの印象があるともされます。そんなイメージも、中国文学はじめ東洋ならではといえます。
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義兄弟を裏切ると報いがある
最終盤、金光瑤が裏切ったあとでも、藍曦臣は義弟に「阿瑤」とやさしく呼びかけます。
義兄弟の誓いは神聖であり、大事です。
『三国志演義』の冒頭は、桃園の誓いから始まります。
劉備、関羽、張飛が義兄弟として生き抜こうと誓い合う。そこから話は始まるのです。
武侠のみならず、中国では疑似家族が重要な役割を果たします。これぞ儒教由来の世界観ともいえます。
裏切らないことを表す言葉もいくつもある。
固い絆で結ばれたのに、嗚呼、裏切るなんて……そういう意味合いも当然出てきます。
裏切っても、裏切られても辛い。それが義兄弟。
悲しい絆がそこにはあるのです。
儒教の価値観は家族を重んじる
中国の宗教は「儒教・仏教・道教」が並んであります。仏教と道教はわかりやすいものの、儒教はわかりにくい。それはなぜかというと、道徳心という形で世界観に入り込んでいて、かえってわかりにくくなっているのです。
この世界観では、実の家族にせよ、疑似家族にせよ。一族が揃って生き抜くことを重んじています。
そんな家族や疑似家族が大事である価値観が、温情と江澄の関係に表れています。江澄は温情に好感を抱くものの、そこで温情は温一族も受け入れられるのかと問いかけます。自分個人を愛するのでは不十分、家族ごと受け入れる覚悟はあるのかどうか? そう問われ、江澄は踏みとどまってしまいます。
一方で魏無羨は温一族をまるごと受け止めて、新たな生活基盤の構築まで始めます。田畑を耕し、生きるために生活を始めるのです。そんな度量があればこそ、温情は彼を信じたのでしょう。
そこを江澄と魏無羨の度量の差とするのは気の毒ではあります。江澄はまず、大打撃を受けた自分の一族を立て直す使命があります。
こうした人間の集団が生きていくために団結することも、中国史を元にした世界観では重要です。
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剣とは何か?
日本では「刀剣」の区別が曖昧なのですが、華流では区別があります。
五大世家はじめ、名門の家は武器として剣を手にしています。
江澄は紫電という必殺の武器があるけれども、剣は携帯します。魏無羨が剣を持たないことが咎められ、重要な役割を果たします。
中国武術におけるああした剣の威力が高いかというと、実はそうでもない。両側が刃となってはいるものの、刺突が主な攻撃手段です。
まったく殺傷力がないわけでもなく、斬撃でも威力はありますが。
片手で持ち、急所を突くか、頸動脈を切るか。騎乗ではまず使えず、甲冑相手にはあまり役に立ちません。
利き手で剣を持ち、反対側の手は二本指を立てる。これを「剣指」とよび、武侠ものでは点穴にも使います。
※点穴とは、ツボをつくこと『北斗の拳』の秘孔の元ネタですが、あそこまで威力は高くありません
実戦では早くに廃れたためか『三国志演義』でも『水滸伝』でも、実はああした剣を手にした人物はそこまで多くはありません。
じゃあ、フィクションで剣を手にしているのは誰か?
武侠ものの正派の定番です。
特に道士(道教をなりわいとする者)は剣を装備しています。中国文学の剣は、魔法の杖も兼ねると思いましょう。
剣を抜くと雷鳴が轟く。何か不思議なものが飛んでゆく。これはもう剣術を超えているのでは?
そう言いたくもなりますが「剣術である」と定義されているのならば、そういうものだと思いましょう。
神秘的な武器ですので、剣はともかく大切にされます。
中国剣は、持たない方の手を「剣指」という形で揃えます。
人差し指と中指をピシッと立てて揃え、他の指で輪を作る。華流時代劇では定番の動作ですので、イラストやコスプレの参考にしてください。中国武術でもおなじみの動作です。
剣は片手で持つ。持たない方は剣指にする。これを心がけましょう!
なお、双剣は中国のフィクションでは女性の定番武器とされています。
劉備も双剣使いですが、あれはヒロイン属性もあるということかもしれませんね。
※『笑傲江湖』は主人公の流派はじめ、名門は剣を用いています
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刀とは何か?
剣が両刃であるのに対し、片刃で反りがあると「刀」とされます。
剣は片手で扱うものの、刀は片手、両手、状況に応じて変えます。
刃の形状で判別されるため、『三国志演義』の関羽が持つ武器も「青龍偃月刀」とされます。
関羽の武器からはそうしたニュアンスはないものの、武侠となると剣は刀よりやや劣る位置付けになることがしばしばあります。
作中では、聶氏が刀を扱います。
開祖が肉屋であったため、他の仙門とは異なり刀を武器にしていると説明されます。
肉売りとして蔑まれた人物と言えば、『三国志』に出てくる何進と、霊帝の皇后である何氏の兄妹がいます。
いくら出世しても出自が卑しいとされたのです。
作中では、刀霊(とうれい)という怨念が宿るから忌避されていると設定されています。史実にあった要素をうまく生かし、作中の設定に落とし込んでいます。
剣でなく刀を装備した人物は、武侠ものでは名門でない、チョイ悪になりやすいお約束があります。
悪人とは認定できないけど、ちょっと正義の味方とも言えない。そんな立ち位置です。
他の仙門は剣なのに、聶氏は刀なのか……何か理由があるんだな。そうわかる仕組みです。
”金丹”とは?
江澄が失い、絶望してしまう。それが「金丹」です。
そうはいってもどこにも傷はないし、何がそんなに絶望的なのだろう?
武侠好きならこう理解するところです。
「内功をこの作品では、金丹と呼んでいるわけか」
武侠ものや中国武術には「外功」と「内功」という要素があります。
外功:武術の技や型を指す
内功:精神力、心の力
内功を外功に乗せて発揮することが求められます。内功を喪失すると、外傷がなくとも威力のない技しか出せなくなってしまうのです。
また内功さえあれば何でもできるので、フィクションではこんな描写もおなじみです。
オーラが出て吹っ飛ぶ!
楽器を弾いたり叫ぶと、相手がダメージを受ける!
琴棋書画(琴・囲碁・書道・画)の達人は武芸も強い!
何がなんだかわかりませんが、あまりに精神性が強靭であるがために、そうしたことが起こります。
なんだかわけがわからない、科学的根拠がない!……とされたのは、かつてのこと。
心理学で研究され、精神性は確かに人間の力を発揮させると最近は注目されており、『鬼滅の刃』でも取り入れています。
あの作品では「心を燃やせ!」という。
呼吸をすることでより力を引き出せるとされるのです。
あなたが持っているスマートウォッチや、スマートフォンのアプリにも「マインドフルネス」という機能が実装されていませんか?
「アファメーション」という技法も注目を集めております。
かつては日本から「禅」として紹介され認識されていたものですが、中国やインドにも、こうした精神性重視の嗜好があったと認識されており、呼び方や説明も変化しつつあるのです。
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内功を失った、この作品での金丹を失った状態というのは、剣を執ろうにもまったく力が出ないような状態になったということです。
それを救われた江澄も、その真相を知り、精神的大打撃を受けることになるわけですが……。
なお、内功のような精神性は、武術以外、ありとあらゆる活動において重視されます。
たとえば書道では、心が乱れているとよい字が書けないと先生が指導することも往々にしてあります。その人の精神状態が作品に現れる。それは技術以上に重要であるとされるのです。
中国の文人は、琴棋書画(琴・囲碁・書道・画)に長けていることが重視されます。
さらには美食を楽しみ、酒を風流に飲むことまで求められるもの。高邁な心があれば、それができる。そうみなされる、なかなか大変かつ風流な世界なのです。
糯米は魔除けなの?
はじめに断っておきます。
日本の「餅」と中国の「餅」は別物です。
ややこしいのですが、整理してみましょう。
日本の「餅」:中国では「麻糬」。中国南方、台湾、朝鮮半島、日本にある糯米加工品
中国の「餅」:小麦粉を加工した食品、クレープ状のものが有名
そんな糯米を使ったおいしい料理はたくさん中国にあります。
ただ、お粥にすると糯米のよさが生きてこないことは確か。
道教では糯米を魔除けの効果があるものとして使います。だから糯米のお粥を食べさせる魏忘羨の行動は理にかなってはいるのですが、せっかくならもっと美味しいものがよいという不満はあるのでしょう。
紙人形を貼り付けて操る。お札を使う。こうした術も、道教由来です。
※魏無羨が桂花糯米藕(レンコンの餅米詰め)を作れば文句はなかったはず
お姉さんが果物を投げているけど……
自分たちを救ってくれた魏無羨に、お姉さんたちが枇杷を投げる場面があります。
お礼においしい果物をあげることは納得できるようで、フシギなこともありませんか?
魏無羨は「こっちはどう?」と藍忘機をさし、藍忘機はなんだかぶっきらぼうな態度をとる。
これには由来があります。
中国史上最高のイケメンは、西晋代の文人・潘岳とされます。
字は安仁であり、そのためか「潘安」と呼ばれることが多いのです。
“潘又安”という言い回しもあります。「潘安の再来=すごいイケメン!」という意味。
『世説新語』にはこんなエピソードがあります。
潘岳はあまりにイケメン! 車に乗って出かけると、推しを見たいと女性たちが押しかけ、果物を投げてきます。もう、そのせいで車が一杯になっちゃう!
このことから、日本には「擲果満車」、中国には「擲果盈車」という言葉があります。推しが尊過ぎて車が満載、きゃーっ!
と、そういう意味ですね。アイドルにそのまま使っちゃってください。
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話を戻しますと、あの場面にはこんな意味があります。
【お姉さんから果物を投げつけられる=モテ度判定!】
魏無羨はモテる、自分はイケメンだと自慢したくて、藍忘機はどうかと挑発している。そして困惑している弟を見て、藍曦臣は「枇杷が食べたいなら買おうか?」と助け舟を出しているのです。
何気ないようで、三者三様の性格がわかる場面です。
潘岳は政治闘争に敗れ、一族ごと殺戮されてしまいました。
そんな非業の死を遂げたものの、美男としては現在に至るまで親しまれているのです。
そのため、潘岳はインターネット上にも大量のファンアートがあり、「潘岳役に似合う俳優は?」という記事もあります。ご興味があれば、“潘岳”または“潘安”で画像検索してみましょう。
佩玉(はいぎょく)は徳の証
タッセルという名目で、コスプレ用グッズが売られている!
これは衝撃的なことでした。
佩玉とは腰につける飾りです。かつては日本でもあったものの、廃れてしまったもの。日本では貴石や貴金属を用いたアクセサリ類が用いられなくなっており、謎ではあるのです。
アイヌの風習を目撃した和人が「玉を飾るんだ!」と驚いている記録もあり、日本ではこうしたものは廃れてしまいました。
そんなアクセサリ類が、21世紀にもなってコスプレグッズとして戻ってきた!
これは歴史的なものを感じます。
凝った中国結びと、玉の組み合わせ。個人の好みが反映されていて、それはもうこだわりたいポイント。
各人の個性がでる二つとないものですので、遺失物として発見されると身元特定につながることも。中国の歴史コスプレやファンアートを楽しむのであれば、ぜひともご注目ください!
◆徳に喩えられた佩玉(→link)
扇子は貴公子必須アイテム
聶懐桑が手にしている姿が印象的な扇子。これがなかなか、実は扱いが難しいのです。
最初にああした扇子を使い出したのは一体誰? 日本の平安時代が起源という説があります。いやいや、中国由来だという説も。
いずれにせよ、作品のモチーフである魏晋南北朝にあったかというと、少々怪しいかもしれない。そんな小道具ではあります。
扇子を男女どちらが用いるか? これも時代と国によって異なります。平安時代の女性が檜扇を持つ姿は日本ではおなじみでしょう。ヨーロッパの貴婦人が扇を持つ姿もそうです。
東洋の場合、骨組みに紙を貼り付けたものは成人男性の正装アイテムとみなされました。中国と朝鮮の場合、男性が扇子、女性が団扇を持つことが定番です。幕末に来日した外国人の記録にも「扇子は男性の正装の一部である」と記されています。扇子は男性にとって重要なアイテム。ゆえに時代考証を考えるとちょっとずれてしまうけれども、出てくるのでしょう。
聶懐桑は扇子を手にすることで、武器は持たないけれど、ちゃんとした礼儀作法はできているとアピールしているのかもしれません。華流時代もので扇子を持ち歩いている男性は、上流出身であることが多いものです。
華流時代劇ファンアートを描く際に、重要なアイテムとなるのが扇子です。国と時代ごとに構造が若干異なりますので、描くときやコスプレの時にはよく観察しましょうね。
王霊嬌は“二番目に美味しい女”?
温晁の横に侍る王霊嬌は、セクシーな色気をふりまき、厚かましく振る舞い、虞夫人は苛立った目で彼女をみています。
この王霊嬌は、温晁の妻の侍女であったという設定です。この設定の時点で、こうわかります。
「温晁って古典的なゲスだな……」
中国文学には春本、要するにポルノも相当あります。なにせその『金瓶梅』にランクインしますから、それは当然です。
日本も中国のこうした文学を楽しみ、こんな調子でしたからね。
「うひょーっ、『金瓶梅』ってエロすぎマジやべえ! 俺らも日本版書かないと!」
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かくして東洋では「関係を持って美味しい相手ランキング!」として、こんなゲス概念が根付きました。
一盗二婢三妾四妓五妻
一盗:不倫寝取り
二婢:女中
三妾:側室
四妓:プロの女性
五妻:配偶者
下劣の極みです。
王霊嬌はこの二番目に当たります。身分差がありますから、拒みにくい相手であるし、しかもチョロい。
よりにもよってそんなゲスな女を連れて乗り込んでくるとはどういうことだ……そう虞夫人はイライラしているのです。
こんなしょうもない交流も、日中文学にはあるのです。
この世界観は用語が独自のものもありますが、中国史、思想、文学に基づいています。
ゆえに調べていくと意味がわかることもあります。
日本にもあるようで、少し違っているような……そんな言い回しや意味があることも興味深いものがあります。
世界観のもとになった人々に想いを馳せることで、華流時代劇はもっと楽しめるようになります。学んでゆきましょう。
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『魔道祖師』(→amazonKindle版)(→アニメamazonプライム)
【参考文献】
井波律子『中国文章家列伝』(→amazon)
井波律子『中国の隠者』(→amazon)
井波律子『奇人と異才の中国史』(→amazon)
佐藤信弥『戦乱中国の英雄たち』(→amazon)
岡崎由美『漂泊のヒーロー: 中国武侠小説への道』(→amazon)
岡崎由美/浦川留『武侠映画の快楽』(→amazon)
他













