2020年は良くも悪くも『週刊少年ジャンプ』にとっては歴史的な一年となりました。
『鬼滅の刃』が大人も子供も巻き込み、社会現象になるほどの爆発的ヒット!
しかし、その『鬼滅の刃』が連載終了を迎えてしまい、今後の部数減少が懸念される中、衝撃的な事件が発生しました。
◆「物語は女子高生のスカートの中にある」 強制わいせつ逮捕原作者の犯行動機【少年ジャンプ「アクタージュ」原作者】(→link)
人気作品『アクタージュ』の原作者が、未成年を相手にしたわいせつ行為により、突如連載が打ち切りとなってしまったのです。
これまで発売されていた既刊も販売(配信)停止という、あまりに重い処分がなされました。
実は『週刊少年ジャンプ』に連載経験のある作家が、性犯罪によって処分を受けたのは、これが初めてではありません。
◆少年ジャンプ編集部、『女子トイレマーク』マンガを掲載中止に「セクハラ」の批判相次ぐ 2017年(→link)
◆ 4月放送開始のアニメ、“胸をお触りできる”パネルを展示し物議 昨年は“等身大お尻”が騒動に 2019年(→link) ※ジャンプフェスタについて記載あり
直近数年だけでも、このような事件を起こしています。
表現の自由についても「憲法で保障されている」とは確かにその通りですが、どんなことでも許される免罪符ではありません。過去には問題とならなかった表現も、現在はタブーになっていることがあります。
例えば、未成年飲酒、喫煙、シンナー吸引などの描写ですね。かつては不良のシンボルとして描かれたものでした。
1990年には『燃えるお兄さん』が職業差別描写で回収騒動となったこともあります。
それから30年もの月日が経過し、時代は今や2020年代。
あらゆる表現は、社会的責任と折り合いをつけながら進めねばならず、そうした風潮も強くなってきました。
その辺の対応が素晴らしいと思えるのが『鬼滅の刃』です。
一体どういうことか?
なかなか結論が見えにくいかもしれまえせんが、一つずつ紐解いていきたいと思います。
少年漫画って何だろう?
漫画雑誌は、なぜ男女で分かれているのか?
起源は、少年向け・少女向けの雑誌にまで辿り着きます。
炭治郎の親世代が生きていた明治時代――日本では出版ブームが起こり、裕福な家庭の子ども向けの雑誌が、男女別々に発行されました。当時の少年や少女たちをあるべき姿へ導きたいという出版理念があったものです。
ここで重要なのが根底にある【ジェンダー感】ですね。
書き手の性別、生来の性別による違いは、必ずしも反映されているわけでもありません。社会が形成するその性別らしさ、そうあって欲しい願いが、そこには反映されています。
こうした少年、少女雑誌に掲載されていた小説が、やがて漫画へと変化。
生まれたのが、少年および少女漫画向け雑誌です。
少年漫画はバイオレンス、歴史もの、バトル要素。
少女漫画は恋愛、キラキラした世界観。
かつてはそんなお約束があったものですが、平成に近づいた頃から段々と垣根が崩れてゆきます。
腐女子が『キャプテン翼』や『聖闘士星矢』を題材にしていたことは、当時から有名でした。
コミックマーケットにしても最初から女性の参加者は多く、『ジョジョの奇妙な冒険』の単行本に掲載されたファンレターの文面、
「あーん! スト様が死んだ!」
はファンにはよく知られているところでしょう。2020年現在、女性をターゲットにした『ジョジョの奇妙な冒険』コスメや化粧品だって大人気ですね。
もはや、著者も読者も、少年漫画は少年だけのものじゃないことなんて明白。
バレンタインデーに男性キャラ宛てのチョコレートがどっさりと届いていたでしょうから、編集部だって女性読者の存在に気づかないなんてこともありえません。
つまり『ジャンプ』は男女が読む雑誌として作られるべき――となり、前述の通り『鬼滅の刃』はその辺が完璧であります。
“毒となる男らしさ“はいらない
少年漫画でありながら、少年に対してまったく優しくない。
『鬼滅の刃』ではそんな殺伐とした世界が展開されます。
出会って間もない、まだ幼い炭治郎たちは、全人格を否定されるような厳しい台詞を吐かれました。
富岡義勇にせよ、錆兎にせよ。そこまでしばきあげなくてもよいのでは……とは思えます。
これはなにも鬼滅隊だけでもなく、特に罪のない、たまたま鬼のいる場所に居合わせただけの男性まで出くわすことのある、地獄のような世界観です。
本作の大きな特徴として、状況分析が細かく、そのぶんセリフやモノローグが長いため、ますます逃げ場がない。
ただ、これも大正という過酷な時代には、日本男児が宿命的に直面していた状況とも言えます。
江戸時代まで、戦場で戦うのは基本的に武士階級のみとされていました。その武士ですら、太平の世では「真剣を見ない」ことが当然となっています。
そんな武士の規範が、一般庶民まで規定され、徴兵制度が制定されたのが大正時代でした。
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ひとたび徴兵されて訓練を受けるとなれば「それでも男か!」と怒鳴られるのが当然となってしまう。訓練についてゆけなければ、厳しい鉄拳制裁もある。
よい兵士となり、国のために命を捨てることが男児本懐とされ、刷り込みがなされてゆきます。
物語も、愛唱歌も、教科書も。
社会全体が男子にそうした価値観を刷り込んでゆくのですから、合わない人にとっては辛い人生が待っています。
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義勇や錆兎が特に厳しいわけでもなく、社会全体がそうなりつつあったことは、認識せねばなりません。
この男らしさの押し付けが、暴力的で息苦しいのであれば、それは描写として成功です。
男らしさのマイナス点、理不尽さを描くことによって、賛美ではない批判的な精神を見出すことができます。
実は男らしさって、むしろ有害ではないの?
”toxic masculinity(毒になる男らしさ)”という問いかけは、2020年の最先端をゆくものです。
「炭治郎が男ならば、って言われているけど。あれってどう思う? 嫌だな、って思わない?」
「炭治郎のよいところって、優しさや思いやりじゃないかな?」
こういうことを大人と子どもで語り合える――そんな思考実験の材料となるのであれば、本作は貴重な教材にもなり得ます。
◆英国紳士が男らしさをメッタ斬り! グレイソン・ペリー「男は常に女性の遅れをとっている」(→link)
感謝の気持ちを忘れずに、ほわほわしよう
そんな炭治郎は、小さいようで、大きな特徴もあります。
彼は丁寧な言葉遣いをしていて、感謝の気持ちを忘れません。
自分は鬼滅隊士だ、エリートだ! なんといっても主人公だ! そういう気取りや傲慢さがなく挨拶をするから、周囲もあたたかい気持ちになると描かれています。
共感能力も高く、鬼であろうと悲しい匂いを嗅ぎ取れば、尊重する態度を取れる。誰に対してもそうするわけでもなく、下劣なまま鬼となった存在には、断固たる態度になります。
炭治郎は、むしろ容姿を貶すことや、感謝しないで文句ばかり言うことを、嗜める性格をしていると描かれています。
礼儀や常識と縁遠いような野生児・伊之助ですら、衣食住の世話をしてもらえることで、ほわほわとした気持ちになっていることがわかります。
感謝すること。
【衣食住の世話=つまりは家事シャドウワーク】を認識すること。
そんな当たり前の気持ちが『鬼滅の刃』にはある!
本作のそんな長所に気づいたのは『るろうに剣心』について考えていた時でした。
弥彦は積極的に悪いことをするわけでもなく、やんちゃな少年ですが、振り返ってみると苦いものがある。それを突き詰めていくと、衣食住の世話をして、武芸の師匠でもある薫を飯がまずいだの、ブスだの、罵倒しているところでした。
和風ジャンプ漫画の『銀魂』も、妙がメシマズ設定をされ、それをギャグとしていたものです。
これって古い価値観というか、そもそも酷い話だと思いませんか?
誰かを笑いものにして楽しくなる。そのとき相手は傷ついているかもしれない。
そんなことよりも、ほわほわして感謝した方が世の中はよくなりません?
本作には、それを問題提起できる強い力があります。
毒となる男らしさより、ほわほわできる優しさが、今の時代には必要でありましょう。
“家父長制”の呪い――男子たるもの、家を守らねばならぬ
炭治郎は、惨殺された家族の中で唯一生き延び、鬼となった妹・禰豆子を守ろうとします。
「少年漫画らしい。兄が妹を守るって、定番で王道だよね」
そんな意見はよく見かけますが、それはどうなのか?
むしろ、恋をする相手、これからそうなりそうな相手を守る――そんな定番に取って代わったのではありませんか?
肉親のために命がけで戦うことは「つまらない」から、もっと捻っていこう。そういう価値観はあります。
ご存知、人気作品『進撃の巨人』が映画化された際、主人公が戦う動機が母の仇討ちではなく、ミカサ奪還にされておりました。
守る相手が、生まれついての家族か?
あるいは新たな家族を築くことになる未来の嫁さん候補か?
この違いはなかなか大きい。前者は既存のものを守り、後者は獲得する。そこには大きな違いがあります。
妹を守る兄――炭治郎の背景には【家父長制】があります。
父を亡くした男子は、家長として守り抜かねばならぬ。そんな重荷を炭治郎の言動からは感じます。
大正時代、日本人の家を守る意識は、現在よりずっと重いものでした。四民平等といえども、長男であれば家業を継がねばならぬ。次男以下は、自由なようで兄と差をつけられる。
女は、家を守る良妻賢母として適切であるかどうか。男子がいない家庭の長女であれば、婿を取らねばならない。
そして女が嫁いだら、相手の家の存在にはる。そうなればもう縁が切れたようなもの。
『るろうに剣心』の雪代縁について考えていた時、彼は奇妙だと思えたものでした。
縁は嫁ぎ、雪代家ではなく嫁ぎ先の女となった姉に対して、異常なまでの執着を見せているのです。それが彼の特異なところといえばそうですが。
もう嫁いで、しかも嫁いだ相手を裏切ったのであれば、けしからぬ女として成敗されてもやむを得ぬ――そういう結論に縁が至ったとしても、それはむしろ当然のことなのです。
既婚者である姉を自分のものであるかのように執着する縁は、奇妙な人物でした。
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そんな奇妙な縁と比べると、炭治郎は当時の家を守ろうとする男子そのものです。
鬼に家族が殺されたことは、彼の過失でもない。
年齢を考えれば災難であるにも関わらず、申し訳ないという罪悪感を抱いて生きています。
炭治郎以外の人物も、「家制度の中で自分が必要であるか、はみ出していないか、家名に傷をつけないか」を常に考えています。
鬼ですら、自分の子孫殺しに罪悪感を覚える描写があります。
本作の根底には、家制度が横たわっているのです。
現代人から見れば不可解で、重苦しい。明るくハッピーであることを求められていた時代にはなかった、本作らしさでありましょう。
『鬼滅の刃』に対して、野暮ったい、古臭いという意見もしばしば見受けられます。
が、これは意図的なものではないかと思います。家制度や道徳観念が重たくのしかかり、戦争の苦悩を知る世代が漫画を描いていた、1970年代以前へ回帰するような作風を敢えて選んだように思えるのです。
そしてそんな重苦しさを認識し、そこからの脱却を目指す生真面目さ――それこそが今を生きる若い世代にとってはむしろ魅力的であることを、考えていかねばなりません。
◆Sexy Zoneマリウス葉が着た「家父長制とかウケる」Tシャツのメッセージ(→link)
善逸よ、その“軟派”ぶりは恥そのものである!
『鬼滅の刃』はジェンダー観においても秀逸である――。
そう指摘すると、即座に否定材料にされる人物像は想像がつきます。
筆頭が善逸です。
善逸は、性的な妄想に悶々としているうえに隠さない、大正時代でも現代でも、極めてダメな少年です。
現代ならば「典型的な女好きのヘタレだな」で終わりますが、大正時代は本当にダメでクズな「軟派」扱いをされていたことは想像がつきます。
男はいつの時代だって、女にデレデレしちゃう、それが本能! それは思いこみであり、時代によって異なります。大正時代はどうであったかと言いますと……。
◆童貞崇拝の時代
日本は、男女ともに性的な経験でマイナスがつくことは、他の文化圏と比較すると無いとされてはいます。
女性よりも男性において、その傾向が強いものです。
その例外的な短期間が、明治維新後にプロテスタントの影響を受けた、ごく短い時代でした。
そうした道徳心だけではなく、梅毒予防という側面もあります。
遊ぶなとは言わない。けれども、遊ぶにしても慎重にして、大っぴらにしない。そういう嗜みは一応ある。
そんな時代で、女性に対して無闇にデレデレする善逸は、周囲からどうしようもない奴だと思われるのです。
◆軟派は恥だ!
「ナンパ」という単語があります。これも、かつてとは異なる意味で使われるようになった典型例です。
現在は、公共の場で面識のない相手に対して、遊びに誘う行動を指しますよね。
元は明治時代以降にできた新しい単語で「軟派」と書きました。変遷が激しいもので、男色趣味(=硬派)に対する異性愛を指した時代もあります。「軟弱な女を愛する派」という意味です。
男色が下火になっていくと「硬派」から男色の意味は消え、軟派はさらにチャラチャラしたものとなっていきます。
ポルノを愛好するとか。派手な服を着るとか。酒を飲んで遊び呆けるとか。その時代らしい軽薄な遊びをする者を「軟派」と称したのです。
そんな軟派が遊び相手を見つける行為に、その名前が残った構図です。
大正時代の日本人男性が、性的に真面目であったとは思えません。けれども、名目や建前では「軟派」は軽蔑の対象でした。
ロールモデルとして、吉川英治『宮本武蔵』の主人公がおります。
大正生まれの日本人が愛読した、昭和10年(1935年)連載開始のベストセラー。この物語では、武蔵は思いを寄せるお通という女性を思うけれども、結ばれることはなく拒み続けます。
お通はなんでくっつくわけでもうろついているのか?
そもそも当時の治安からして、女性の旅は当時無理があると思います。
これも当時のロールモデルとしての役割があります。
「お通みたいな女性ですら拒んでこそ、武蔵になれるんだなぁ……」
そう青少年を教え導く空気が、日本にはありました。
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大正生まれ青年の日記を読みますと、女性への憎悪をせつせつと語り出す日があります。
これはただの女嫌いでもない。
「嗚呼、日本男児でありながら、道ゆく女に見惚れるなんて。こんなにくだらないことで悩む自分が情けない、恥ずかしい。女が魅力的なのが悪いんだ!!」
そういう悩みを持って、延々と、グルグル回っているような悲惨さがある。
試しに、当時を生きていた青少年の日記や手記でも読んでみると良いでしょう。
自分の中にある、女が好き、かわいい女の子となかよくしたいという欲望を、全力否定せねばならないのです。
そういう時代に、善逸がどれほど軽蔑されることか!
現代人が思うよりも、厳しい目線があったことでしょう。
「こいつは駄目だ、人として、恥辱の極みだ……」
そう憐まれていたことを、想像してみてください。
「少年漫画からエロがなくなるなんておかしいよな〜。嫌な世の中になっちまったな〜」
そんな意見はよくあるものですが、それだって『鬼滅の刃』の大正時代よりはマシなんですね。
善逸は問題がある性格です。
こんな問題児をレギュラーにしておく、鬼滅隊士にする時点でありえないという感想も時折見かけます。
そういう落ちこぼれてしまいそうな彼をすくいあげることが、本作の個性です。
そういうこともあり、善逸の女好きは微笑ましいわけではなく、ひたすら無能でどうしようもないように突き放されています。ここが重要です。
よく勘違いされますが、【ジェンダー観】とはセクハラ描写を入れないことではありません。セクハラがどれだけバカバカしく、非効率的で、愚かで、くだらないか。加害者が社会的制裁を受けるか。そこまで描けば、むしろ批判や問題提起となります。
ポイントをまとめてみましょう。
・被害者が強く拒否しているか? “No means no.”(=イヤなものはイヤ!)とされているか?
セクハラ被害者には、賢い断り方のような、わけのわからない規範がまとわりつきます。
「やだぁ〜もぉ〜」
「やめてよぉ〜」
まんざらでもない。顔を赤らめている。性的魅力があると証明されたと喜ぶ。そういう明確ではない拒否、加害者ファンタジーに寄り添ったものはいけません。
善逸のみならず、本作は人物の問題行為が即座に否定される傾向があります。ダメなものはダメだとわかるという意味で、とても良心的なのです。
・被害者がトーンポリシングされない
トーンポリシングとは?
「なんだその言い方は! 断るにせよ、やり方ってもんがあるだろ、もっとお願いしろ!」
こういうことです。
女性に対して行われることが多く、たとえ「イヤだ」と拒否するにしても、ソフトにすべきだ!として、セクハラそのものの問題ではなく、話し方の問題へと論点をずらすこと。
善逸に迫られた側は、結構きつく、断固たる口調で断ります。
若い読者は、そんな断ることでもいちいち柔らかくしなければいけない時代もあったのかと、ショックを受けるかもしれません。
それこそが、世の中の進歩です。
善逸のセクハラは不愉快ですし、それで読まなくなったとすれば、仕方のないことだとは思います。
けれども、野放しにしているのではなく、考えた上での描写ではあります。
厳しすぎても窮屈だけど、ゆるすぎても周囲が困る。そういう欲求の出し方を考えさせる、善逸の描写です。
16歳少女という”トロフィー“は、沼鬼を救えない
善逸は女好きとされていますが、読んでいくとそう単純なものではないとわかってきます。
捨て子であったこと。愛情が不足していること。理解者が少ないこと。
自分を認めてもらいたい。受け止めてもらいたい。自分を認めてくれる誰かに執着する。
そんな愛情や理解者の欠如があります。
善逸は男性である正一にも、強烈な執着を見せていましたね。
なぜ、そうなのか?
自己評価の低さや、不安感の解消を、「女性さえいればなんとかなる!」と誤解していると思えるのです。こういう心理的な飢餓感を女性で埋めようとして、埋められずに破滅する人もいます。
そんな人物の成れの果てと推察できる存在が……沼鬼でしょう。
沼鬼は、女が一番美味である時期は、十六であるという持論を展開しました。
現代人ですと、こうなるところです。
「なんだこいつ、キモいロリコンだな」
実はこの“16”には、伝統的な意味がありそうです。
女性は16歳が色づきはじめるものとされていました。
民法でも結婚可能年齢とされたもの(2022年18歳に改正予定)。女体が成熟し、まさに食べごろになるのが十六だという伝統的な意識が、古来よりあったのです。
沼鬼は、そういう解禁された女を真っ先に食べることを喜びとする、下劣な心理が鬼になってからも発揮されているのでしょう。
江戸っ子が初鰹を待ち望むような心理ですね。
初鰹はじめ、初ものは味が決して良いわけでもないということは、指摘されています。ただ、レアもの、周囲に自慢できてステータスシンボルになるから、無茶をしてでも買って食べる。
そんな見栄っ張りが「女房を質に入れても初鰹」なんてバカげた言葉を生み出してもいます。
初鰹が必ずしも美味しくないように、女が16歳で最高の状態になり、それ以降は駄目になっていくなんて、検証のしようはありません。17歳になったからダメになるって? んなアホな……個人差だって当然あるでしょう。
それなのに、沼鬼のようなステータスシンボルを求めるものは、“16“というレアパラメータだけを自慢するために、犠牲者を手にかける。
相手がどんな存在であろうとどうでもいい。中身なんて気にしていない。まさしく下劣そのものであり、鬼であろうと同情を見せる炭治郎すら、あっさりトドメを刺しています。
この沼鬼は、嫌なリアリティもある存在です。
だって現実にいますでしょう。JKだの、JCだの、属性で価値を決め、被害者の画像や奪った装飾品を自慢する。一人を捕まえても、別の誰かが同じことをする。あるいは、ひっそりとどこかに姿を消す。
そういう事件が現実に起きているわけです。
そんなことをしても心の穴は埋まらない。憐まれることもなく、救われない。スマートフォンに何人美少女がいて、放置すらば育っていくところで、現実は何も変わらない。
心の穴を埋めるものは、自分自身で見出すしかない――本作はそう教えてくれていると思えます。
救われないどころか、現実にステータスシンボルとして未成年に手を出した結果、多大な損失を被ることを、他ならぬ『ジャンプ』読者こそ思い知る事件があったわけです。
そんな沼鬼のような価値観はいりません。大人ならば女性を守る漫画でも読んでみましょうか。
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伊之助は”ルッキズム“を偏見ごとぶち壊す
主人公と共闘するメインキャラクターでありながら、これまたクセがある。
それが伊之助です。
伊之助には、あきらかにおかしな点があります。複数あるので、いちいち取り上げていたらキリがないと言えばそうなのですが。
最たる例が「紅顔の美少年ぶり」でしょう。
母親によく似た美貌は、あの堕姫すら認めるほど美しい――にも関わらず、本人は顔を隠し、半裸で走り回っている。
彼は美貌に無頓着です。
周囲が気づいているのに、本人はむしろ気にしない。
蘭陵王の故事のように、ナメられたくないから顔を隠すわけでもないらしい。ゆえに、羨ましいだのなんだの言われても、どうでもよさそうです。
ただ、大正時代ということを考えると、むしろそれが正解のような気がします。
生々しい話ではありますが……。
かつて日本では、男色、特に少年への愛情を覚えることが今よりもオープンでした。明治時代は美少年を狙う「白袴隊」という犯罪集団が問題視されたほどです。
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伊之助がその美貌を意識し、周囲の目線も感じるようになると、不愉快なことも多いことでしょう。
これは禰豆子や蜜璃にもあてはまることではありますが、配慮を感じる点です。
本作の人物は美貌や魅力があっても、なまじ腕力が高いだけに見ていて安心感があるのです。
現実社会を見ると、特に年齢が高い層は、女性的な容姿の男性を平然と侮辱してきました。
「めめしい」
「あいつは◯◯※か?」
※差別的な同性愛者を意味する単語
「あんな顔していたら、アレに狙われるに決まってるだろ?」
こういうことを“面白いこと”だとして平気で言ってしまう。
昔の少年漫画などでもギャグとして使っていることがあります。
「その程度でダメだなんて、窮屈な世の中になったなあ〜」
そう思えるのは、楽しんだ世代だけ。
下の世代からすれば、なんでこんなくだらないことで笑っていたのか、痛々しく薄ら寒い気持ちになるだけでしょう。しょーもない偏見は、見る気をそいでしまうものです。
◆「保毛尾田保毛男」批判に、フジ・宮内社長が謝罪(→link)
そうした、現在では完全に否定されるべき差別のみならず、偏見もつきまといます。
作中で善逸もこうした偏見を口にするのですが、前述の通り彼の言動は痛々しくマイナスのものと描写されている点は注意が必要です。
美男子はモテる。モテるからこそ気取っていて、クールだ。そんなイメージ由来のキャラクター造形はよくあるものでした。
これ、美形とされた側からすれば、迷惑な押しつけにすぎません。
「そんなに美形なんだから、もったいない。綺麗な格好しなさいよ」
「せっかくの美形なのに、趣味が大工だなんて信じられない! もっとモテそうなことしよう」
「剣道部員がいいって? 何言ってんの。美形なんだから、もっと顔も見える競技を選びなさい!」
「モテるんでしょ? 休みの日はパーティ? 女の子、とっかえひっかえしてんの?」
伊之助がこういうことを言われたら、どう思うか……不機嫌になりそうではありません?
馬鹿馬鹿しい話ではありますが、そういう偏見を常識だと思っている人も、世の中にはいるものです。
『鬼滅の刃』にも、そうした造形のキャラクターはいます。
宇髄天元が典型例でしょう。
ただし、本作の人物像を見ていくと、モテる男は顔の作りではなく、総合的なものがあるとわかってきます。
伊之助のように、美形に生まれようと、変な格好で暴れ放題では、あまりモテそうにない。本人もどうでもよさそう。
天元は、生まれつきの外見だけではない。オシャレに気を配り、女性たちを大事にして気遣い、守る意思がある。女性のみならず、年少者を守る気持ちも常にある。そこがカッコいいのです。
伊之助は、ハッキリと言い切りますと、美形である意味がないキャラクターです。
顔をよく隠している。服装がおかしい。声は野太い。言動もガサツ。食事は手づかみ。気取りがない。モテそうにない。そもそもモテを求めていそうにもない。美形だからではなく、役立つからこそ崇めろと言う。
従来の典型的な美少年キャラクターとは真逆です。世間の期待とは無縁で、自分が追い求める目標を追いかけているように思えます。
妓夫太郎と堕姫のように、鬼となってまでルッキズムに取り憑かれている存在もいる。
この世界にルッキズムがあることも、それに縛られる宿命も、わかったうえでそれを無視するキャラクターを描く。
意図的に先入観を断ち切る果敢な挑戦が、この作品にはあると思えます。
いつの時代だって、少年漫画を楽しみたい心は同じ。
炭治郎たちが生きた時代にも、子ども向けの物語や歌はありました。
ただ、無邪気なようで、そうしたものには当時めざすべき日本人としての姿が反映されていたのです。
桃太郎のような童謡の歌詞にすら、勇ましく外征し、鬼を殺す心理が描かれていました。勇ましく攻め込む姿が、理想であったのです。
時代とともに、めざすべき人間の像は変わります。桃太郎の歌詞は穏健な部分だけが歌われるようになり、勇ましい歌詞は忘れられてゆきました。
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漫画だって、同じようで変わってゆきます。
毒となる男らしさ。
家父長制の呪縛。
女では埋められない心の穴。
ルッキズムに縛られる生き方。
作中の隊士が鬼と対峙するように、読者たちも偏見やそれに縛られた存在に立ち向かわねばなりません。
そうして生きていくうえで、この作品で学んだことは、きっと力強い味方となる。
『鬼滅の刃』を読んだ少年たちが作り上げてゆく社会は、心も価値観も、同じようで違うものになってゆくことでしょう。
それは悪いことではなく、むしろ進歩であり、歓迎すべきことではありませんか?
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【参考】
TOP画像『鬼滅の刃 片羽の蝶』(→amazon)
『鬼滅の刃』1巻(→amazon)
『鬼滅の刃』アニメ(→amazonプライム・ビデオ)











