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【藤原伊周】
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定子から生まれた敦康親王が頼みの綱
さすがに哀れんだのか、これ以上恨みを買わないためか。
同じく長保二年に藤原道長から一条天皇へ、藤原伊周の復位が奏上されています。
しかし、一条天皇はこれを拒否。
天皇にしても、愛妃を亡くして気落ちしていたでしょうし、もしかするとこんな気持もあったかもしれない。
「定子がこんなにも早く亡くなったのは、伊周の行いが悪いせいだ!」
しかし翌長保三年(1001年)の末、まだ回復していなかった東三条院からも
「伊周を元の位に戻すように」
と促され、一条天皇は承諾します。
『光る君へ』一条天皇は史実でどんな人物だった?道隆や道長とはどんな関係だった?
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かくして伊周は復帰すると、寛弘元年(1004年)秋には、道長が伊周の詩に唱和したり、両者の関係は改善したかに見えました。
これには理由があります。
この時点で一条天皇の皇子は、定子から生まれた敦康親王しかおらず、彼女の死後は彰子が養母となっていました。
今後もしも、彰子に皇子が生まれなかった場合、敦康親王が未来の天皇になる可能性がグッと高まる。
天皇の母方実家が権力を持つのが常ですから、そうなった場合、伊周が後見者になるわけで……。
そういった経緯で、一条天皇や道長も態度を和らげたのでしょう。他の公家たちも、敦康親王の伯父である伊周の屋敷へ密かに参上していたといいます。
ただし、伊周への信頼が全回復という状況には程遠いものでした。
暗殺実行計画の噂を立てられるほど
寛弘四年(1007年)、妙な噂が流れます。
「藤原伊周と藤原隆家の兄弟が、伊勢の武士・平致頼を抱き込み、大和の金峰山へ参詣中の道長を襲って暗殺しようとしている」
道長は無事に帰郷しましたので、暗殺計画の真偽は不明です。
しかし、こんな噂が流される時点で、伊周や隆家への評判がわかろうというものでしょう。
寛弘五年(1008年)には伊周が准大臣とされて発言権を持ちましたが、同年9月に状況が一変します。
道長の娘・藤原彰子が敦成親王を出産したのです。
当然、彰子の父であり敦成親王の外祖父となる道長の権威は、さらに強まります。
母が既に故人となっている敦康親王(定子の子で伊周の甥)と、母の彰子や祖父の道長が健在な敦成親王とでは、将来の安定度が違います。
一応、寛弘六年(1009年)1月には正二位に引き上げられていますが、これは口止め料のようなもの。
翌2月には彰子と敦成親王に呪詛をかけた疑いで伊周の叔母・高階光子が捕らえられ、伊周もとばっちりを受けてさらに力を奪われてます。
こうして真の意味での復権は叶わないまま、伊周は寛弘七年(1010年)1月28日に亡くなってしまうのでした。
享年37。
伊周は、子どもたちに含蓄のある遺言を残しています。
『栄花物語』では「心の幼い人」
藤原伊周の残した遺言とは?
まず息子・藤原道雅には、こんな言葉。
「人に追従するよりは出家しろ」
そして后がね(皇后候補)のつもりで育てていた娘たちには、こちらです。
「宮仕えなどして、親の名を汚してはならない」
もしも享年37という若さで亡くならなければ、こんな遺言する必要もなかったはず。
しかし現実とは辛いもので、道長たちの意向により伊周の次女は彰子へ出仕せざるを得なくなったとされます。
清少納言の娘で「上東門院小馬命婦」と呼ばれた女性も彰子に仕えていたので、宮仕えの時期がかぶっていれば、この二人が顔を合わせることもあったかもしれません。
実は彰子のもとにはいろいろと訳ありの女性もいまして……。
一方、息子の藤原道雅は、三条上皇の皇女・当子内親王と恋仲になったものの引き裂かれ、そのストレスで乱暴な性格が浮き彫りになったのか、「荒三位」とあだ名されるまでになってしまいます。
唯一救いがあったのは伊周の長女でしょう。
彼女は道長の次男・藤原頼宗の正室となり、多くの子供に恵まれるのです。
例えば藤原全子は、藤原頼通の孫・藤原師通に嫁ぎ、嫡男の藤原忠実を産みました。
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彰子の女房・赤染衛門が作者ではないか?とされる『栄花物語』では、伊周を”心の幼い人”と評しています。
プライドの高さや感情の振れ幅が大きく、まさに精神面が幼い。
一条天皇に嫌われてしまうまでの経緯や子供たちへの遺言、枕草子で清少納言に初めて会ったときのからかいようなどを合わせると、より一層、幼さが目立ちますね。
それゆ描き方によっては、貴公子というより残念な人にもなりかねない伊周。
2024年大河ドラマ『光る君へ』では、今のところ颯爽としていますが、問題は道隆の死後であり、三浦翔平さんがどう演じるか楽しみでなりませんね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
繁田信一『殴り合う貴族たち』(→amazon)
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