平安貴族の国司(受領)とは

画像はイメージです(駒競行幸絵巻より)/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安

なぜ平安貴族は国司になると経済的にウマ味があるのか?受領は倒るる所に土を掴め

2025/07/30

大河ドラマ『光る君へ』で佐々木蔵之介さんが演じていた藤原宣孝。

国司になって九州へ赴任した後に帰京し、藤原為時の邸を訪れた姿を見て、何やら不思議に思いませんでしたか?

宋からの珍しい酒を為時らと味わい、高級化粧品の紅をまひろにプレゼンとするなど、やたらと大盤振る舞いしている。

その姿はまるで成金のようで、いったい何があったのか?

藤原宣孝(栗原信充画)/wikipediaより引用

と、その疑問は藤原為時の行動で解けたでしょうか。

国司として赴任した為時に、越前介だった源光雅が、いきなり賄賂のような金塊を渡してきたのです。

堅物の為時はそれを断固拒否しておりましたが、いったい彼らは何だったのか?

国司とは、本来、地方国の徴税などを司るお役人であると歴史の授業では習います。

しかし現実はそうではありません。

現地へ赴く国司は受領(ずりょう)と呼ばれ、当時の貴族社会では、中級貴族に与えられた地方搾取システムの使いっ走りとも言える存在だったのです。

「受領は倒るる所に土を掴め」

そんな言葉も伝えられるほどで、紫式部は、受領の妻であり、受領の娘でもあり……哀しき中級貴族の現実を突きつけられてきた女性とも言える。

中級貴族と国司(受領)について、当時の現状を振り返ってみましょう。

 


紫式部がネガティブなワケ

紫式部の父・藤原為時は、中級貴族です。

得意の漢文により栄達を夢見ていたものの、上級貴族の陰謀により、出世コースから弾き出されてしまった不遇の人物でした。

その娘である紫式部も、当時の結婚適齢期である10代後半から20代にかけて、地方で過ごすことになるという負け組そのもの。

晩婚の28でやっと藤原宣孝と結婚するものの、相手は20歳ほど上であり、かつ他の妻もいます。

どう考えても恋愛結婚ではなく、妥協の産物というところでしょうか。

一女・大弐三位を授かるも、夫は2年半の結婚生活のあと、亡くなってしまいました。

いくら才能があるといっても、どうにもならない……大河ドラマのヒロインにしては、なかなか暗い境遇です。

紫式部/wikipediaより引用

しかも紫式部の場合は彼女自身のせいではありません。

当時の中級以下の貴族とは、ガチャに外れたようなもの。

上級貴族からはいいように利用にされるわ。

民衆からは「あのケチでどうしようもない汚職連中ね」とヒソヒソ言われるわ。

そんな負け組中級貴族の娘が、宮中出仕という栄華の道へ入ったものの、紫式部はネガティブ思考につっこんでいきました。

「ああ、宮仕だなんて……昔の友人からすれば、勘違いしている調子こいた女って思われちゃう……」

「なまじ知識を披露すれば、きっとマウンティング勘違い女と思われる。漢字は“一”だって読めないフリをしなきゃ……」

先天的に暗い性格も影響したのでしょう。

しかし、理由はそれだけではありません。繰り返しますが、父・藤原為時の立場をふまえればそうならざるを得なかったのです。

 


上流貴族に翻弄される、中級以下の悲哀

『光る君へ』において紫式部と藤原道長が一時は結ばれ、そしてソウルメイトになるというのは、むろんドラマでの設定です。

こうしたやや強引な関係性は、大河ドラマのお約束。

ただし、これを紫式部の父である藤原為時が知ったら、暗い顔になるかもしれません。

中級貴族である藤原為時には、一時、栄光を掴みかけた時期がありました。

ドラマでも描かれていたように、永観2年(984年)に円融天皇が譲位すると、師貞親王が花山天皇として即位。

この花山天皇の側近であった為時も、これにより出世できたのです。

花山天皇/wikipediaより引用

嗚呼、ついにここまで到達できた。あの優秀な娘が男であればなあ、安泰だったのになあ!

そう浮かれていたかもしれませんが、花山天皇即位の背後には舌打ちする人びともいました。

藤原兼家です。

兼家は娘の藤原詮子を円融天皇の女御とし、懐仁親王を授かっていました。

還暦が迫りつつある中、兼家としては一刻も早く、この皇子を即位させ、外戚として権勢を振るいたい。そうなると、まだ若い花山天皇が邪魔。

そこで、子の道兼による謀略を実行に移します。

精神的に不安定な花山天皇を出家させ、強引にまだ幼い一条天皇へと譲位させたのです(【寛和の変】)。

道兼によって出家に追い込まれた花山天皇を描いた月岡芳年「花山寺の月」/wikipediaより引用

ここから先は、藤原兼家とその一門による、花山天皇の側近排除ラッシュとなります。

藤原為時も当然のごとく免官されました。

結婚適齢期に突入した紫式部は、父のそんな転落人生を見ていたのです。

この兼家の一番下の男子が道長ですので、為時からすれば「娘がなんでそんな人とソウルメイトに……」と困惑しても無理はないところです。

実際ドラマでは、道長がお姫様抱っこで娘を運んでくる姿を見て、言葉を失くしていましたよね。

しかし、そんな為時にも運が回ってきます。

長徳2年(996年)、ようやく淡路守に任官。

わずか3日後には、さらに待遇のいい越前守に栄転となったのです。

ようやく運が向いてきて、経済力も得ることができる。紫式部にも縁談を見つけられる。

とはいえ、紫式部本人はそんな父の役職復帰をどう思っていたか。

受領か……確かにお金は手に入るけれども、その過程がどうにもね……。

そうため息をついていてもおかしくない――それが受領という職でした。

では、一体なぜそんな風に思ってしまうのか?

受領(国司)とは何なの?

 

受領は倒るる所に土を掴め!

平安時代の受領につきものの言葉として、こんなフレーズがあります。

受領は倒るる所に土を掴め

【意訳】どんな時でも私服を肥そう!

『今昔物語集』からの由来で、こんな話です。

信濃守としての任期を終えた藤原陳忠は、京へ向かう途中、峠で馬ごと橋から落ちました。

随行者があわてふためいていると、こう聞こえてきます。

「おーい、籠に縄をつけて下せ」

よかった、生きている!

そう言われるがままにして引き上げると、何かがおかしい。

ヒラタケが満載された籠があがってきた。

もう一度籠を下ろすと、今度はやっと陳忠が乗っています。しかも、片手にはヒラタケを手にして……。

この人は、いったい何を考えているんだ?

随行者がそうしらけきっていると、こう言いました。

「いやあ、落ちる途中で木に引っかかったんだけどね。見てみるとすぐそばにヒラタケがどっさりあるわけよ。こんなお宝を見逃すってありえなくない? だからさ、いっぱいとったワケ!」

ここで陳忠は「受領は倒るるところに土をも掴め」というフレーズを引いたのです。

受領ってドケチで強欲だな!

と、批判されているわけですね。

受領とはそう憎まれ、嫌われる存在だったのでしたが、受領にだって言い分はあるでしょう。

そうやってでも収入を得ないと、やっていけないんだってば!という事情もあったのです。

それはなぜか?

受領には徴税権があり、メリットはそこ。

当時の貴族にとって、地方は野蛮で行きたくない場所です。それでも向かうとすれば、金儲けというメリットでもなければやってられない。

税収で儲けることが目的で、地方に赴任する――現代人の感覚からすればとんでもない連中だと思えてきます。

しかし、当時もそうであればこそ『今昔物語』でネタにされたのでしょう。

そんな受領は、下々の者から「あいつら税金で金儲けか!」と舌打ちされるだけの存在でもありません。

皇族や上級貴族から「民から搾りとった金があるんでしょ? ちょっとそれを使ってくれない?」と、生活費を賄うように迫られたり、贈賄を要求されるのです。

そんな調子でいいのかよ……というと、どうやら当時は贈収賄が悪いという確固たる道徳観念が通用していないようで、なんとなく嫌だけど、どうしようもなかった。

受領といえば強欲。金のために地方に行くしょうもない連中。ともかく、そんなポジションだったのです。

ただし、悪どく略奪しているだけでもなく、インフラ整備や揉め事の解決など、行政に忙殺されていて大変ではありました。

仕事が忙しいだけならまだマシ。なまじ金が手にしやすいだけに、暴力沙汰や殺人の標的になることすらあります。

なにせ、上級貴族からすれば金を持った虫ケラみたいな存在です。

時代劇の悪代官や、ヤクザ映画の悪徳商人などを連想した方もいらっしゃるかもしれませんが、案外そう遠くないようにも思えます。

ただし、江戸時代の代官はむしろ真面目な人物が多かったので、受領と一緒にされたら苦い顔をしそうではありますが……。

 


『源氏物語』の受領といえば伊予介

紫式部としても、生活のために父がそうすることは仕方ないとはいえ、どうにもうんざりさせられる境遇ではあったのかもしれません。

ドラマで描かれたように、夫の藤原宣孝も、受領です。しかも派手に儲けていて、まったく悪びれる様子もなかった。

受領の娘が受領と結婚した――それが紫式部だったのです。

『源氏物語』にも受領は登場します。

上流の貴公子とお姫様だけの物語ではなく、中級以下の人物も描くところが、当時の読者としては「リアルだなぁ」と感心されたのでしょう。

地方出身で暑苦しい「大夫監」(たゆうのげん)といった人物も、当時の読者はモデルがそれとなくわかったようです。

そんな『源氏物語』に登場する伊予介がらみのプロットを改めて考えてみると、一体受領とは何なのか、不可解に思えてきます。

伊予介とは、光源氏が好意を抱く空蝉の夫です。

ここで空蝉の物語をみてみましょう。

空蝉は中流でも上流に近い貴族の娘でした。

野心家の父は桐壺帝に入内させようと娘を大事に育てていたにもかかわらず、父は急死してしまい、その話は消えてしまいました。

こうして売れ残った姫君である空蝉は、受領である伊予介の後妻となります。

伊予介の前妻の娘である軒端萩は空蝉と同年代です。かなりの歳の差がありました。

若い姫を妻にした伊予介は、そんな空蝉を深く愛しています。

しかし、空蝉からすれば当てが外れた結婚です。

「ハァ〜、夫の愛が重くてウザいのよね……」

そんな倦怠感のある夫婦生活。受領の伊予介が哀れではあります。

空蝉は夫の赴任先にも向かうことはありませんでした。

そんなある日、17歳の光源氏が方違えのため、伊予介の息子である紀伊守の屋敷へやってきます。

上流貴族は下流貴族をこき使うことが当たり前なので、厚かましくも酒宴をしながら、こう言い出します。

「きみの継母はなかなかプライドが高いというねえ。どこにいるのかな?」

このとき、空蝉はたまたま義理の息子の家にいたのです。

「まだそのあたりにいると思いますが」

これを聞いた光源氏は空蝉を探し当て、契りを結んでしまいます。

方違えにやってきた上流貴族が、平然と受領の妻と通じてしまう――なんと酷い話でしょうか。

しかし、空蝉はプライドが高く、上昇志向もある女性です。光源氏に抱かれて満足はするものの、先はないと計算する。

光源氏が二度目に忍んできた時、空蝉は衣だけを残してその場を去り、光源氏は代わりに軒端萩を抱きます。

空蝉は痩せ型で、そこまで美人でもなく、スペックとしては軒端萩が勝ると判断する光源氏。

ああ、それでも衣だけを残して去るあの人は忘れ難い! そう胸に刻むのでした。

衣だけを残して去ったことから、彼女は「空蝉」と呼ばれます。

このあと空蝉は、夫である伊予介が止めるのも構わず出家。これも光源氏からすれば、モノにできない女性になったと理想化されました。

それにしても、この脇役である伊予介は光源氏に家族を踏み躙られています。

留守中に空蝉と光源氏が通じた上に「ダサい夫より彼の方がいい」と思われてしまう。

軒端萩も巻き込まれるようにして、光源氏と通じてしまう。

しかも「まぁ、この程度はどうでもいい」とつまみ食い扱いとは、あまりに切ない。

軒端荻の弟である小君という少年、つまり伊予介の息子も、光源氏と性的に通じ、籠絡されている。この小君を使って、光源氏は空蝉と文のやり取りをしていたのです。

現代からすれば、セクハラ三昧の光源氏とは一体何なのか……と思えてきてもおかしくはないでしょう。

しかも、興味深いことに光源氏と空蝉の関係は、藤原道長と紫式部にも置き換えられるのです。

一体どういうことか?

 

光源氏と空蝉のモデルは誰?

光源氏と空蝉には古来より、こんなモデル説がありました。

光源氏=藤原道長

空蝉=紫式部

あくまで推察であり、ゴシップを楽しむような感覚であるとはいえますが、確かに面白い見立てです。

何よりも、親子ほど年齢差のある夫がいて、愛していないというところに嫌なリアリティを感じさせなくもありません。

そして光源氏のモデルが道長ならば、こんな気持ちがあると読み取れなくもありません。

「貴公子であるあなたに抱かれたい、そんな気持ちはもちろんあります。でも、あなたほどの方と私の恋では先が見えないの……でも本当はあなただけ!」

いやはや、なんとも生々しい。

『光る君へ』のストーリーとも妙にリンクしている。

しかもこの空蝉は『源氏物語』でも屈指の勝ち組ヒロインと言えるのです。

メインにはもっと重要なヒロインがおり、さして目立つわけでもありません。そのぶん面倒なことにも巻き込まれず、いつまでも気高いままでいられ、苦しむこともそこまでありません。

しかも、義理の息子である紀伊守も空蝉に気があるという、モテモテ設定でもある。

こうしてみてくると、紫式部が自分をモデルにしたモテモテヒロインをさりげなく書いたドリーム小説(理想のキャラクターと恋に落ちる小説)作者のように思えてくるかもしれませんし。

あるいは、スポンサーである道長に対し、最大限の媚びを売ったとみなせなくもありません。

「あなたは素敵、もう本当に光源氏そっくり! あなたと恋をしたいけど、先が見えないんです、わかって!」

そうアピールしているともみなせなくもなく……『光る君へ』の二人の関係が気になってきますね。

それにしても、亡くなっているとはいえ夫・藤原宣孝の立場がないような気もしますが。

 

不遇だが、文人としてのプライドはある

もしも藤原為時に「受領だなんて、かわいそう」と言おうものならば、「プライドはある」と胸を張って答えるかもしれません。

ご存知の通り、藤原為時は漢文学者です。

『今昔物語』にはこんな逸話が載せられています。

藤原為時は、国司になりたいと一生懸命張り切ってきました。

そうして迎えた除目(じもく・任官)の日、国司に欠員がないという理由で、願いが叶いませんでした。

この翌年、為時は文才とコネを活かし、一条天皇に自作の漢詩を届けます。

 

苦学寒夜、紅涙沾袖
苦学の寒夜、紅涙袖を沾(うる)おす

除目春朝、蒼天在眼
除目(じもく)の春朝、蒼天眼(まなこ)に在り

私は寒い夜でも、血の涙で袖を濡らしつつ、勉学に励んできました

待望の除目を迎えた春の朝、そこで目にしたのは、青空だけだなんて(名前がないことを嘆いているという意味)

 

一条天皇はこれを見て、ろくに食事もとれなくなり、涙を流します。

それを見た右大臣・藤原道長は乳母子・源国盛を呼び出しこう言いました。

「すまん、お前を越前守に任じた件だが。辞表を出してくれ」

「えっ!」

あまりのことに国盛はショックを受け、秋の除目で播磨守に任ぜられるも、亡くなってしてしまったのでした。

一条天皇/wikipediaより引用

こうして、漢詩によって越前守という地位を掴んだのが為時。

良い話のようですが、天皇と右大臣の思いつきでホイホイ変わる人事とは何なのか?と疑念を覚えるところではありますよね。

この話は為時の才能が素晴らしいだけでもなく、背後で彼の支持者がいたからこそ実現した人事のようです。

日本海に面した越前守は、為時にとってピッタリの任地でした。

その海岸には、北宋の船がたどり着く可能性が高いのです。

遣唐使船/wikipediaより引用

歴史の授業では、遣唐使廃止後に【国風文化】が始まったとされ、いかにも日本独自の文化が醸成されていったようですが、完全にそうとは言えません。

和様か、唐様か。そんな二択が生じるのです。

『源氏物語』においてもこれは意識的に分かれていて、ファッションからインテリアまで和様の人物もいれば、唐様の人物もいるといった具合。

為時は唐様、漢籍を読解し、漢詩を詠むことが誇りでした。

ちょっとした消息文でも「ふふふ、こんな譬えを使っちゃう私ってばやっぱり漢籍得意なんだよね〜」となるのが彼らのプライドです。

 

文人貴族として、その特技をフル活用する為時

長徳元年(995年)越前守として赴任していた為時のもとに、北宋の商船が上陸したという知らせが届きます。

北宋からの船は「10年か12年に一度は上陸してよい」というルールがあった。

しかし、その船はどうやら別物のようだ。

と、朝廷で協議のうえ、為時が応接することになったのです。

このときの為時の気持ちを想像すると、なかなか興味深いものがあります。

伝統的に日本でも漢籍が得意だと自認する者たちは、中国人を相手にテンションを上げていました。

たとえば江戸時代、長崎の唐人屋敷には自作漢詩をウキウキしながら持ち込む文人たちがいたものです。

『光る君へ』でも注目された人物がいましたね。

浩歌さんが演じる朱仁聡(ジュレンツォン)と、松下洸平さんが演じる周明(ヂョウミン)です。

画像はイメージです(五代南唐『 文苑図』周文矩作/wikipediaより引用)

宋の人々を歓迎した為時は、自作の漢詩をお披露目しました。

これがうまいか、下手か? というと、ちょっと答えが難しい。

時代を問わず、日本人作の漢詩あるある現象があります。

それは【押韻】はじめ、ルールを無視しがちなこと。

要するに漢詩は響きの同じ言葉で揃えなければならないのですが、本場と日本では発音も異なるため、おかしくなってしまうのです。

はじめこそ本場の教師を招聘して学ぶ機会はありましたし、紫式部の時代にも【韻塞ぎ】という【押韻】知識を活かしたゲームはあったものの、どこまで正確であったのでしょうか。

それ以外にもテーマがそぐわない。本場ではあり得ない表現を用いる。そんなズレはどうしたって生じました。

そんな日本人の漢詩を受け取る側の宋人たちも、そのあたりは心得ています。

「素晴らしいですねえ、詩を詠めるのですか!」

そうにこやかに対応して、『ありえん、なにコレ、日本人は仕方ないね』という本音は抑える。

彼らにとっては、自国文化を取り入れ、真面目に学んでいる姿が微笑ましいことは確かです。

要するに、現在でいうところの「町中華」ですね。

茹でるはずの餃子は焼いてあるし、片栗粉を使いすぎているし、スパイスは不足気味。

本場の人からすればどう考えても日本風――でも中国風だと相手が納得しているならば、それはそれでよいのです。

為時は、ちゃんと漢詩で相手をおもてなししたのだから任務達成ができた。それでよいのです。

朝廷の人々は、宋人の対応に神経を尖らせていたものの、この船は数年後には九州博多へ移動。

ここまで来れば、京都の人々も一安心です。

武力ではなく、優雅な文化交流でことを収める。為時は文人貴族としての面目を発揮し、役目を果たした。晴れがましかったことでしょう。

そしてこの父・為時由来の漢籍知識を、紫式部はフル活用しています。

宮仕えの同僚の前では、マウンティング女扱いを恐れていた紫式部は、陽キャの清少納言とは違う、陰キャであったのかもしれません。

清少納言/wikipediaより引用

そんな紫式部が、ありのままの漢籍知識を発揮できたのが、『源氏物語』の世界です。

物語の中に織り込んだ漢籍はなんと13種!

『源氏物語』を読んだ一条天皇はこう言いました。

「この作者は歴史書をずいぶんと読み込んでいる。才能がある人だね」

一条天皇がこう漏らした時、紫式部のパトロンである藤原道長もほくそ笑んだことでしょう。

あれは冴えない受領の娘のようで、知識豊富なのだ。見抜いたのはこの私。あれの父親だって大したモノだったぞ、と。

ちなみに紫式部は『源氏物語』の中で、光源氏が我が子である夕霧を育てる教育方針が特異だと記しています。

あれほどの血筋ならば、勉強をしなくても出世はできるはず。

それなのに、四位からではなく、六位という低い位しか夕霧にあてがわず、大学に入学させたのです。

光源氏を誉めているようで、勉強もできないのに出世するボンボン上流貴族を遠回しに皮肉っているように思えるのは穿ちすぎでしょうか。

ちなみにこうした貴族代表として、藤原実資から「一文不通」と罵倒された藤原道綱がおります。

道長はこの道綱よりは多少マシであったものの、日記文法が崩壊しているうえに記述が雑。

同じ日記でもインテリの藤原実資、こまやかな藤原行成と比較すると、教養面で見劣りがします。彼もボンボン貴族なのです。

悪筆としても悪名高い。『光る君へ』では、道長の字が整いすぎていると、NGが出るそうですよ。

ともあれ、紫式部が厳しい教育をプラスの要素として見ていたことは確かなのでしょう。

 

そして「武者の世」へ……

こうした中級以下の貴族の不遇は、藤原為時一人だけのことではもちろんありません。

上からコキを使われる。

せっかく学んでも、科挙を採用しない日本では芽が出ない。

アホなボンボン上流貴族に好き放題され、もうやってられんわ……そうなる者が出てきてもおかしくはありません。

紫式部が生きていた時代から、国家のシステムには少しづつヒビが入っていてもおかしくなかったのです。

外戚の政治介入を軽減したい天皇は、上皇が権威を持つようになります。

この体制は天皇と上皇が対立するという構図が生じ、【保元の乱】へつながってゆく。

こうした対立の解決に武士を引き込んだことにより、平清盛が台頭。

月岡芳年が描いた平清盛/wikipediaより引用

さらに坂東では、在地武士たちの不満が高まっていました。

そもそもとして、受領はプライドが高く、がめつい。

それでも従うしかないと思っていたけれども、これが平氏の連中ともなると、いっそ倒してよいのではないかと思えてくる。

疫病の蔓延。

気候変動。

統治への不満。

そんな燃料が溜まってゆく伊豆の地へ、坂東武者からみれば貴公子である源頼朝が流されてくる。

それでも坂東武者が勝手に東国に割拠しているだけならば、翻弄できたかもしれない。

そこへ不満を抱いた貴族である大江広元らが加わり、行政の仕組みが出来上がってしまいます。

坂東から武者たちが京へと雪崩れ込み、【承久の乱】により、ついに「武者ノ世」が完成。

その過程が『鎌倉殿の13人』で描かれたのです。

確かに京都の朝廷や貴族の嘆きも、もっともなことではあります。

ただ、そうなるだけの歪みが見えているのが『光る君へ』の背景であるともいえるのでしょう。


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【参考文献】
繁田信一『紫式部の父親たち』(→amazon
大塚ひかり『源氏の男はみんなサイテー』(→amazon
河添房江『源氏物語と東アジア世界』(→amazon
小島毅『子どもたちに語る 日中二千年史』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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