作者の和月先生が強い敬愛を抱いているのは作中からヒシヒシと伝わってきますが、同時にそれは、いささか複雑な状況も生み出しております。
というのも和月先生が影響されたであろう新選組とは、史実ではなく司馬遼太郎作品なのです。
フィクションだからいいじゃない! とは言い切れないほど人気のある両作品。
本稿では『るろうに剣心』における【新選組と司馬遼太郎】をセットで考察してみたいと思います。
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和月先生に絶大な影響を与えた司馬遼太郎
和月先生は、ご自身が好きな作品の影響を隠しません。
アメコミ、SNK、当時ヒットしていた有名アニメ。
まるで「おもちゃ箱」のように、和月先生や同世代の人々が好んだものを詰め込む――その中で大きなウェイトを占めているのが司馬遼太郎でしょう。
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司馬作品の存在感は大きく、
【るろうに剣心がオマージュとしている幕末の人物が、史実ではなく、司馬遼太郎作品の描写を基にしている】
という要素がとても大きくなっています。
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この【史実ではなく司馬遼太郎作品を元に創作する】という現象は、別に『るろうに剣心』に限った話でもありません。
むしろ当時としては自然な現象。
今なら『フィクションをもとに別のフィクションを描くってどうなのか?』 と突っ込まれると思いますが、連載当時(1994~1999年)は誰もそんなことを疑念に思わなかったのです。
とにかく、
・司馬遼太郎作品の文体は、創作と史実の区別がつけにくい
という状況もありました。
司馬と同年代である山田風太郎の作品や、柳生一族ぐらい中身がぶっ飛んでいると、読み手もさすがに史実だとは信じないものです。
柳生十兵衛が「将軍・家光の生首をぶん投げる」なんて場面が出てきたら、即座に『フィクションだな』と理解できるでしょう。
しかし、司馬遼太郎の世界観はそこまでぶっ飛んでいません。
彼特有の文体や言い切り方が巧みなため、創作と史実の区別がつけにくい。
日本中に勘違いを招いた有名な例としては、
「関ヶ原の布陣図を見たメッケルが、石田三成の勝利だと断定した」
というものがあります。
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これは現在では創作と認定されています。
他にも、司馬遼太郎が、実際に事件が起きた場所とは別の地名を用いた結果、その別の場所に「顕彰碑が建つ」という弊害も起きています。
※海外の歴史作品では、巻末に作者が史実との相違をまとめた付記をつける等して、フィクションと史実の混同が起こらないように工夫する事例もあります
司馬遼太郎が嘘をつくはずがない
司馬遼太郎は有名である。
司馬遼太郎はともかく売れる。
司馬遼太郎は史料集めの量がすさまじい。
ゆえに「嘘をついているわけがない、疑うはずがない」という評価が日本国内で定着。
結果、全国各地にこんな状況を作り出しました。
・司馬作品はいわば第二の教科書であり、歴史好きを自認するなら読んでいなければおかしい!
司馬作品について、校長先生が全校集会で語り、社長が朝礼で引用するばかりか、ゆかりの地には司馬の文を引用した記念碑が立つ……こうなるともはや経典であり宗教です。
司馬作品への批判そのものがタブー。
ちょっとでも疑念を口にしようものなら「司馬遼太郎先生を愛読した私を侮辱するのか?」とムッとされる……そんな空気すらありました。
逆に、大河ドラマを見て司馬遼太郎を愛読しているといえば、それだけで感心されたものです。面接愛読書の定番回答ですね。
まぁ、過去の話でもなく、今でも司馬批判をすると厄介になるときがあります。
が、今回は敢えて書かせていただきますと……。
司馬作品の中でも特に有名かつ人気を博しているのが『坂の上の雲』でしょう。
タイトルも秀逸ですし、中身も面白く、傑作として名高い。
ただ、明治という国家を「上り調子で爽やか」だと思わせる時点で、問題があると感じます。
日露戦争について、あの作品で描かれることはほんの一部です。
秋山兄弟はじめ、当時の日本に優れた軍人や政治家がいたことは確かですが、戦争は軍事費がなければ遂行できません。英米の思惑、金銭援助、外交交渉がなければ勝利できない戦いでした。
そもそも結果についても、勝利と言えるのかどうか。国内でもさんざん紛糾したものです。
そして日露戦争勝利という熱気は、その後の日本の判断を誤らせ、司馬遼太郎本人を戦争に駆り立てた方向性へ向かってゆく危うさがあるものでした。
そこを作者本人としても意識していたのか。彼の生前は映像化だけはしないよう、厳命していたわけです。
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司馬遼太郎作品に基づく歴史観なり、フィクションには、そういう歪みがある。
『るろうに剣心』も、その歪みを継承している点は、どうしたって避けて通れないことだと思えるのです。
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