麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第43回 感想あらすじ視聴率「闇に光る樹」

2021/02/01

信長は天下一統に近づいてゆく。

自分ならば思うままに振る舞えると思うようになった。

それなのに、帝は思うようにならない。

帝を替えよう。攘夷していただこう――そう願うようになる。

 


丹波制圧

天正7年(1579年)、黒井城と八上城が落ち、丹波全域がようやく制圧されました。

光秀は城主に温情を見せます。

開城した潔さを鑑み、波多野兄弟に助命を申し上げると告げるのです。

「安んじて旅立たれるがよい」

そう城主たちに声をかける光秀の顔には、穏やかな微笑みすら見えるのでした。

近江・安土城では、光秀が丹波と丹後を制圧した光秀と細川藤孝を労います。

信長はこう言うのです。

「天下に面目を施した。まことにめでたい」

信長は承認欲求の塊とされる。皮肉なことに、いくら人生を歩いて行ってもおさまらないのです。

かつてはうつけと呼ばれなければ済んだ。武士として褒められればそれでよかった。

それが今や天下を担うこととなった。天下に面目を施すことを常に考えていなければならない。

光秀はそんな信長に、殿の御威光あってのことだと返します。

すると信長が、側に控える森蘭丸に器を持って来させます。

中に入っていたのは波多野兄弟の首でした。慈恩寺で磔にするため、光秀に見せようと思っていた。塩漬けにしてある。

「我らを裏切った憎き者じゃ」

そう言い、皆に回します。

波多野秀治の肖像画
波多野秀治の生涯|光秀を一度は撃退した丹波の名将も最期は磔にされ

続きを見る

赤井直正
赤井直正の生涯|光秀を最も苦しめた丹波の戦国武将“悪右衛門尉”とは?

続きを見る

遺体の損壊描写を避けない大河。かつては極力こうしたものを避けてきたとは思います。

しかし『ゲーム・オブ・スローンズ』のようなドラマがヒットする2010年代以降、世界的に見てもそういう流れは変わりつつある。

遺体損壊がどういう心理への悪影響を及ぼすのか? 信長は本質が不変であるとも思えます。父・織田信秀松平広忠の首を贈った時と変わらない。

ただ、周囲は変わった。誰も信秀のように信長を叱り飛ばせないのです。

表情を一変させた信長は叱責を始めます。

佐久間信盛は本願寺を落とすのが遅い。

夜ごと連歌や茶会にうつつを抜かしておっては明智十兵衛の足元にも及ばぬ! 恥を知れ!

秀吉も! 毛利を討つまで京で女を漁っておる暇はないぞ!

「はっ、よくご存知で」と縮こまる秀吉は、そこが信盛より巧みだとは思えます。

信長の競い合わせる人材活用術も、巧みといえばそうかもしれません。

しかし限界はありましょう。家臣だって息抜きは必要ですし、連歌や茶会くらいよいではありませんか。

そして、今宵は天主で宴だと宣言するのでした。

壮麗な安土城が、なんとも陰惨な宮殿に見えてくる。これぞ阿房宮……そう思ってしまった。

阿房宮とは、始皇帝がつくりあげた壮麗な宮殿のことです。

始皇帝はいかにして中国を統一したのか|最新研究に基づく生涯50年

続きを見る

秦の天下が終わったあと燃やされてしまう。そんな儚い栄華の証です。

 


秀吉と藤孝の密談

光秀と藤孝が廊下を歩いていると、秀吉が光秀に奥の間に来いと殿が仰せであると伝えにきます。

そしてこのあと、藤孝と密談をするのですが……。

秀吉はキッパリと、御譲位はいかがなものかと告げるのです。

藤孝もそれには同意する。いかに上様でもやり過ぎであると。近衛前久の意向もここで確認すると、前久も不承知だそうです。

近衛前久
近衛前久の生涯|信長や謙信と交流を持ち戦国大名並に波乱万丈だった公家

続きを見る

「でございましょ」

秀吉は軽薄な口調でそう言います。

佐々木蔵之介さんは今週も圧倒的に素晴らしい。こういうおちゃらけた言い方をするから、将来的に「あいつは下賤で重みがない」と思う者も出てきてしまう。

武士としての教育を受けていない。そういうニュアンスを演技から滲ませるところがすごい。

「近頃上様は、何か焦っておられる。そう思われませぬか」

そう言われ、藤孝は黙ったまま。

藤孝は賢いということはよくわかりますが、持論を延々と展開するようなことはあまり多くはありません。

彼はじっと観察している。どう動くか、俯瞰気味に見る。

自分の感情や偏見を抜きにして、バイアスを捨てながら世の中を見据えるようにする演技って簡単ではないでしょう。眞島秀和さんが説得力のある顔でそういう心情を醸し出しています。

 

光秀に提示された従五位上

信長は光秀に【従五位上】と書かれた紙を掲げておりました。

この位階を光秀に授けるようにするのだそうです。

位階と官位
モヤッとする位階と官位の仕組み|正一位とか従四位にはどんな意味がある?

続きを見る

丹波と近江を支配する。明智末代までの誇りとなる。

信長は光秀に喜んでもらえると思っていて、相変わらずその愛情は一方的。

波多野兄弟の首を塩漬けにするなんて、光秀にとっては辛く苦しくてたまらないものである。そういう命を惜しむ光秀の心に気付かず踏みつけておき、位階でご機嫌を取ろうとしている。

誰かとの約束を破ってから、プレゼントをして穴埋めをするようなことが、よろしくないのはいつの世も同じでしょう。

光秀は「(従五位上を)いただきましても……」と困惑しています。

信長は、全国の大名もこの位が欲しい故、帝を崇めると言います。

かくいう信長は右大臣右大将を返上したと光秀が答えると、帝がくだされた故だと少し拗ねたように言う。

織田信長なのに甘えを感じさせる。こんな絶妙な演技ができるからこその染谷将太さんですね。

どうしようもなく子どもっぽい。春宮からならばいい。喜んでお受けする。光秀も春宮から官位を貰えばよいとまで言います。

彼は絶大な権力を持つ駄々っ子になってしまった。

嫌いな帝がくれる官位はいらない、そうでないならもらう!

光秀は混乱しつつ、どうあっても譲位をしたいのか?と尋ねます。

信長は自分なりの計画を告げます。

手始めに春宮を御所から二条に新たに作った住まいにお渡りになられて、そこを朝廷としたい。

その御所移転作業は光秀にやってもらうと告げるのです。

光秀はますます困る。

けれども信長は御所に親しい光秀が適任だと無邪気に信じてしまっています。なんとしても春宮からお渡りいただく。そう念押しするのでした。

 


信長と朝廷の関係は時代によって評価が異なる

最終回まで難解極まりないところに突っ込んできました。

信長と朝廷の関係は難解です。確かに譲位に関しては、織田信長は必ずしも悪意があったとは言い切れない。

莫大な費用もかかる。それを信長が出すからには、天皇側にもメリットはある。

そこを強調して、明治以降、第二次世界大戦までは、信長は【勤王】とされて顕彰されてきました。

譲位を迫る織田信長になぜ正親町天皇は大喜び? 100年ぶりの院政は夢叶わず

続きを見る

それが戦後となると、信長の革命的な像が反映されてゆく。

何でも否定し、破壊する。旧来の秩序破壊者とされ、その破壊対象には天皇制まで含まれるという解釈もされるようになる。

信長の皇位簒奪説
信長が自ら天皇になろうとしたという噂は本当か? 皇位簒奪説4つの根拠を検証

続きを見る

現代では、フィクションの描き方や高度経済成長期の願望を反映したような、そんなロックンロール信長像は古びてきました。

Amazonプライム『MAGI』において吉川晃司さんが演じる信長像は、このバージョンの最高峰といった趣はあります。

そして『麒麟がくる』の信長像は、それとは別解釈に突っ込んできました。

不器用すぎる。空気が絶望的に読めない。嫉妬深い。ロックンロール信長から、ハイカラバンカラデモクラシー信長ですね。

時代考証ミスではなく、新解釈になったと。

この信長はいちいち周囲の心を傷つけます。

金を出そうが、一応は意を汲んでこようが、ありがたいかもしれない。しかし、やり方がいちいち急ぎ過ぎで、焦っていて、無神経で……もうついていけない!

そんな心理作用を推理して展開しても、飛躍やミスとは言い切れないと思うのです。

実際、そうした研究もあって、ましてやフィクションならばそこはできる。

なぜ信長は何度も裏切られたのか『不器用すぎた天下人』を読めば疑問がスッキリ

続きを見る

 

『忠臣蔵』だって

そしてもう一点。

歴史を題材としたフィクションをややこしくさせるのが、作られた時代の背景や、作者が問題視するテーマが反映される点でしょう。

たとえば、現代人に「代官様ってどう思う?」と尋ねてみます。

と、ある一定以上の年代や、時代物が好きであれば、「ああ、悪代官ね。賄賂受け取っていた役職だ」となると思います。

しかし、実際の代官職は薄給のうえ酷使されており、典型的な悪代官はあり得ない。

ではなぜ、悪代官像が量産されたのか?

それは描かれた当時の政治を皮肉った結果ということも考えられます。

ストレートに批判できない場合、「いや、これは昔の話ですよ」と逃げを打つことは伝統です。

白居易の『長恨歌』は、当時の玄宗と楊貴妃がテーマ。ところが「昔の漢にあったことですが」と始まる。

忠臣蔵』だって「いや、気のせいですよ。これは南北朝の話です。あくまでフィクションであって、実在の大名とは一切関係ありません」とワンクッションを置いています。

赤穂事件(赤穂浪士討ち入り)
赤穂事件=赤穂浪士の討ち入りは単なるテロ事件?史実はどのように進んだか

続きを見る

忠臣蔵
フィクションの『忠臣蔵』は史実の「赤穂事件」と何がどう違うのか?

続きを見る

長くなりましたが、ここを踏まえますと『麒麟がくる』が何を批判しているのか、何を託したのか、そこは考える必要があるのでは?

歴史の知識や研究要素だけではなく、文学や社会学知識、そして現実のニュースまで把握しないと読み解けないものがありそうです。

日本人の天皇観。宗教観。意識。そういったところですね。

ゆえになかなか難解な作品だと思えてきます。

 

帝の意思は?

光秀は、京の若宮御殿へ向かいます。

誠仁親王ですら、二条に移ることについて嫌そうな心が顔に滲んでいる。

光秀が恐れおおきことと前置きしつつ、信長はぜひにと申しておると訴えます。

「二条の庭で毎日蹴鞠をやるのか……信長は何事もせわしなき男よのう」

そうこぼす春宮。

この場面には、日本史と天皇制への問いかけがあるようにも思えます。

御所から移りましょう。行事に参加しましょう。皇后はこの人で。そういう天皇周辺のあれやこれやは、実際に本人の意思であるとは考えにくい。そこに帝やその周辺の心が入り込む隙間がどれだけあったのか?

ましてや帝が意思を示したら、それはよろしくないと周囲が嗜める。

帝の意思はどこにあるのか?

ぽっかりと浮かんでくるような……不思議な問題提起を感じます。

譲位の件で困惑する信長の周辺も、帝を遠巻きにしているような感覚もある。おそれ、遠ざけるばかりで、敬っているだけとも違うような気がしてきます。難解な問いかけです。

譲位への反対理由もいろいろ考えられます。

大量の金と手間がかかるのだから、それは無駄なことではないか?という考え方があってもおかしくない。

松永久秀なら笑い飛ばすかもしれない。

信長は権威を笑い飛ばすとかなんとか言うし、仏だって壊すが、帝のことは崇め奉って意識しているからこそ、譲位なんぞに労力を費やしているのではないか?

過去の発言から久秀がそう話しても不思議ではないでしょう。

光秀は藤孝に本音を打ち明けます。

やはり違う。これは違うぞ。二条へのお渡りも行き過ぎじゃ。

藤孝に、明日のお渡りはやめていただこうと訴えようとします。

けれども、藤孝は止めます。

彼は状況を俯瞰するタイプです。自分の感情を一切抜きにして、最善の選択肢を考えています。

信長が譲位を望む限り、次から次へと無理難題をふっかける――藤孝はそう捉えている。そのうえで、信長の行き過ぎた思いが鎮まることを待とうとするのです。

そのときには声を揃えてでも申し上げると光秀に告げます。だからこそ、今日のところはひとまず。そう抑えるのです。

「藤孝殿がそこまで申すのであれば……」

ようやく収まる光秀。

藤孝は腹芸ができるわけでもないし、自分のために騙すようなことはしないと思います。

彼は彼の推察する最善の状況に進んでゆくのみ。素直と言えばそうなのでしょう。

光秀は信長に打ち据えられたことを思い出しています。そしてこう言うのです。

「何かが、変わった……」

その年の11月、春宮は二条の新しい御所に移りました。

 

世の中、武家と公家だけじゃない

三条西実澄の館には、近衛前久、細川藤孝、そして伊呂波太夫がいます。

太夫が不満をこぼしている。

爺様がいなくなった途端、この始末。生きていたら春宮を移さなかっただろうと。

これは前久には制御できないともとらえられるわけでして。

彼は、爺様も信長の力を借りて朝廷を立て直そうとしていたことを認めます。御所の塀も直せなかった。公家も大事にしている。

しかし伊呂波太夫は、本作の本質を突くようなことを言います。

世の中公家だけじゃない。武家だけでもない。百姓、商人、伊呂波太夫の一座の芸人もいる。皆にとってよい世の中にしなければ駄目だ。

なぜ、彼女がこの場にいるか。理由がわかりますよね。

太夫や駒が出てくるだけで不愉快だという意見もよく見かけますが、彼女らを抜きにしては語れないことがある。

廟堂の高きに居りては、則ち其の民を憂い、江湖の遠きに処りては、則ち其の君を憂う。

役所にいる為政者は民の苦労を考えること。民衆は、為政者の苦労を思うこと。これがセットになってこそ、世の中は回る。

自分の周辺のことだけではなく、遠くにある別の立場の人も想像しなくてはいけません。

“上級国民”なんて言葉が流行する現代だからこそ、そこは考えたいところ。

藤孝は、幕府に長く勤めていたものとして耳が痛いと打ち明けます。

信長ならば天下一統がおさまるかと思っていたが、戦はやむ気配がない。己の力不足と言う他ない。そう嘆くのです。

「そう思うならなんとかしてくださいよ」

伊呂波太夫は遠慮なくそう答える。

 

藤孝のポスト信長論

話題は、ポスト信長論へ。

信長がダメならば、誰を頼りにすればよいのか。前久は問われ、こう言い切ります。

「目下のところは、やはり明智でしょう。明智ならば信長も一目置いておる」

藤孝は同意しつつも、懸念を滲ませます。

光秀は備後・鞆の浦まで、足利義昭に会いに行った。前久も初耳だと驚いていますが、そのことに羽柴秀吉は不満をぶつけてきた。

光秀は我らが捨てた将軍をいまだに擁しているのか、と。

武家の棟梁は将軍であるという感慨を、藤孝は理解している。

しかし百姓の出である秀吉はわからぬ話だろう。

そういう藤孝の観察がそこにはあります。

伊呂波太夫はゴシップを知っているゆえに、理解を示します。秀吉は本音は武家が大嫌いで、それゆえ公家贔屓だと。

この場面は、最終回直前なのにこれまた情報量が多いと感じます。光秀と三英傑の今後を展望する目線がある。

藤孝が俯瞰するといろいろな本質が見えてくる。

光秀にはこんな評価もあります。

「三英傑のように英雄になりきれない」のであると。

それは器の問題ではないでしょうか。王の器でなく「王佐の才」(王を支える才能)。張良、荀彧、諸葛亮の類です。

天下を取るようにできてはいない。それを自分でもわかっているから、義昭や信長を求めてしまう。

一方の英雄にしたって、脇で彼らを支える人物がなければ立ち行かなくなる。

秀吉は、反発心が根底にある人物だという限界点が見えてきます。

豊臣秀吉の肖像画
豊臣秀吉62年の生涯をスッキリ解説・年表付き!派手な伝説はドコまで史実?

続きを見る

本当は将軍になりたかったのに、なれないから関白になったわけではない。そもそもが大嫌いな武士の上に、公家として載せられることで、世界に復讐を果たしてやる。そんな邪悪さが蠢いている。

そして家康の課題ですが……。

 

家康の課題とは

家康は、武家の棟梁たる将軍となることが、まずひとつ。

次に、日本人の心まで変えてゆくという課題があります。

百姓だから武家の棟梁を敬わない?

そんな潜在的な危険性は排除せねばなりません。第二の秀吉を出現させるわけにはいかないのです。

徳川家康の肖像画
徳川家康の生涯|信長と秀吉の下で歩んだ艱難辛苦の75年を史実で振り返る

続きを見る

江戸時代は日本の意識が変わりました。

儒教朱子学教育が徹底され、どの階層だろうと上には逆らえぬという意識が根付いてゆきます。

江戸時代に重罪とされることは、だいたいが身分秩序を乱したゆえのたものとされる。

士農工商】でお馴染みの身分移動については、実際のところそれなりに自由が効く一方で、目下のものが目上のものを害するような事件は厳罰が待っています。

士農工商
実はユルい「士農工商」の身分制度|江戸時代の農民や町人は武士になれた?

続きを見る

男女の心中だって「死んで身分を超えて一緒になろう」という動機が見出されると危険なので厳禁とされる。そうした思考は現代にまで残っているかもしれません。

要は、家康以降の徳川政権においては、社会に忠誠心が形成されてゆく。その課題設定が見られる場面です。

 

本願寺陥落と佐久間追放

天正8年(1580年)4月、大坂本願寺の顕如は5年にわたる籠城の末、力尽き、ようやく大坂を信長に渡しました。

最初の蜂起から約10年。

信長に敵対し、実際に戦闘を交わしていた勢力としては、最長の部類にはいる強敵でした。

いかし、その本願寺攻めの総大将である佐久間信盛は、その後、呆気なく追放されてしまいます。

『長篠合戦図屏風』に描かれた佐久間信盛
佐久間信盛の生涯|なぜ織田家の重臣は信長に追放されたのか?退き佐久間の末路

続きを見る

彼自身が悪いというより、信長がおかしいと思える描写でした。

信長にも面目はあり、佐久間信盛がそれに叶わなかったことはそうなのでしょうが、あまりに残酷である。

狡兎死して走狗烹らるとはこのことか。

これだけの場面とはいえ、熱心に祈る男女の姿が見えます。

信仰心があればこそ、本願寺の抵抗も頑強だったとわかる。

戦なしで宗教勢力をどう抑えるか。これまた、秀吉と家康の課題も見えてきますね。

 

東庵宅で駒に語ったことは

闇に光る樹を切る悪夢を見ていた光秀。

久々に東庵のもとを訪れます。

彼の家を示す飾りは月にいる兎。こちらの月はかわいらしいものですが……。

東庵は喜び、供も連れていない光秀の来訪を歓迎します。今、治療中で、駒はそこにいると告げます。

そして帰蝶に会ったことも話します。

どうやら帰蝶は京へ出てきているのだとか。

目を患っているそうで、曲直瀬という東庵の古い仲間を紹介したのだそうです。

東庵のモデルともされる曲直瀬道三でしょう。

曲直瀬道三
戦国時代の名医・曲直瀬道三~信長・元就・正親町天皇などを診察した医師の生涯

続きを見る

曲直瀬のように名を残した人物でなくとも、その仲間であれば名医とわかる。

そんな設定の東庵です。

ぼんやりとしつつも、帰蝶の名に反応はしている光秀。この後、駒と話します。

駒もすっかり歳を経て、落ち着きのある女性となりました。彼女は帰蝶に会っていないそうです。

「少しお疲れのご様子ですね」

「寝不足かもしれぬ。このところ毎日同じ夢を見て目が覚めてしまう」

「同じ夢?」

光秀は駒に夢の話をします。

「月にまで届く大きな樹を切る夢なのだ。見るとその樹に登って月に行こうとしている者がいる。どうやらそれは信長様のように見える。昔話で月に登った者は二度と帰らぬという。わしはそうさせぬため、樹を切っているのだ。しかしその樹を切れば信長様の命はない、わしは夢の中でそのことを分かっている。わかっていて、その樹を切り続ける。このまま同じ夢を見続ければわしは信長様を……嫌な夢じゃ」

この夢から、どこで光秀の目標が設定されたのか、そこはわかります。

西三条実澄の屋敷では、王維『送別』を読んだ。後の時点では、光秀は何をしたらよいのかわからなかった。

そのあと、月を見ながら帝と問答し、何かを聞いてしまった顔になる。

あのとき、闇に光る樹を見出してしまったのでしょう。

 

帰蝶との再会

今井宗久のもとで、帰蝶が茶を飲んでいます。

そこへ光秀が。

「帰蝶様、お久しうございます。宗久殿も」

宗久は如才なく、明智様がおいでになると聞き、帰蝶様が心待ちにしていると言います。

今井宗久
今井宗久の生涯|信長に重宝された堺の大商人は秀吉時代も茶頭として活躍

続きを見る

帰蝶は、心待ちにしているのは宗久殿のほうであろうと返答。丹波と近江を支配した明智に鉄砲百挺でも売るつもりで目の色を変えていたと微笑む。

対して宗久は、帰蝶のお召し物を褒める。どこまでも金儲けを考えている男ですね。

「堺の商人は口と心が別のところにある。そう思わぬか」

帰蝶にそう問われた光秀も同意をすると、「今日の茶は苦うございますぞ」と受け流すしかない宗久。

なかなかグロテスクな会話だとは思いました。

支配地域が増えても、増えればこそ、新たな戦道具がいる。

茶道具でも書物でも書画でも買って、ゆっくりする時間すら期待されていない光秀とは何なのか。

佐久間信盛の連歌と茶会すら叱責されるのですから、それが織田家臣のさだめということでしょうか。

光秀は帰蝶に目の病かと尋ねます。

朝はさほどでもないけれど、夕暮れになると見るもの全てがぼんやりとしてしまう。近頃はそのせいもあり、気が急いてならぬと。

光秀も同意します。何かとジタバタしてしまうのだと。

帰蝶は昔のことを思い出します。

道三も思い惑いジタバタして、よい歳をしてと笑っていた。皆、同じじゃな。そう振り返るのです。

ここで宗久が、帰蝶は父上に似ていると美濃の衆から聞いたことがあると話を振ります。

道三も言っていたそうです。帰蝶が男であれば瓜二つじゃと。確かに義龍よりも父親に似ていました。

光秀はだからこそ帰蝶の意見が聞きたくなると言う。道三様ならどうお考えになるのかと。

そういえばその道三も、晩年は答えを求めて仏像に聞いていました。答えは返ってこなかったけれど……。

「今日はそれで参ったのか?」

「そうかもしれませぬ……」

「では父になりかわって答えよう。何が聞きたい?」

思わず苦笑する宗久は声量をあげ、芝居っ気たっぷりに語る。織田家の大名が帰蝶様に見立てとは! 聞きたくもあり、聞きたくもなし!

そう言いつつ、別室へ。

 

信長様に毒を盛る

光秀は疲れ切った顔で茶を飲み干します。

「信長様のことであろう。想像はつく。長年仕えた佐久間を追い払い、他の重臣たちも僅かの咎で罰せられ、帝の御譲位まで……」

「道三様ならどうなされましょう?」

帰蝶は目を光らせて、力強く断言します。

「毒を盛る。信長様に。胸は痛む。我が夫。ここまで共に戦うてきたお方。しかし父上なら、それで十兵衛の道が開けるなら、迷わずそうなさるであろう」

「道三様は私に信長様とともに新たな世を作れと仰せられました。信長様あっての私でございます。そのお人に毒を盛るのは、己に毒を盛るのと同じに存じます」

そう言うしかない光秀に、帰蝶はなおも語ります。

あのとき父上は私に織田家に嫁げと命じ、そなたもそうしろと。私はそう命じた父上を恨み、そなたも恨んだ。

行くなと言って欲しかった。

あのとき、ことは決まったのじゃ。

今の信長様を作ったのは父上であり、そなたなのじゃ。その信長様が一人歩きを始められ思わぬ仕儀となった。やむを得まい。万(よろず)作ったものがその始末を為すほかあるまい。ちがうか? これが父上の答えじゃ。

「帰蝶様はそう答えるお父上のことをどう思われますか?」

「私はそう答える父上が大っ嫌いじゃ!」

「私も大嫌いでございました」

ここで二人は笑い合うのですが……。

縁側に出た帰蝶は光に顔をしかめます。

日暮れになると、見るもの全てが定かでなくなる。ジタバタせずに静かに夜を迎えることができればよいのじゃが、世はままならぬ。そう振り返る帰蝶。

これも最終回直前ということを思うと悲しいものはあります。

ゆっくりできない。人生の夕暮れにおいて、何もかも見えにくくなり、ジタバタしてしまう。

それが帰蝶の一生だとすれば、なんと悲しいことでしょう。

もっと悲しいといえば、それは光秀も同じ。彼は「王佐の才」であるからには、王と見定めた相手を抑制できず、そのせいで世間を苦しめている責任感と向き合わねばならない。

逃げられない。

責任感が強いからこそ、彼の心は蝕まれてゆくのです。

 

武田滅亡後に家康は

天正10年(1582年)3月。

織田信長の軍勢は甲斐国に押し寄せ、武田勝頼を討ち取りました。

信玄の死から9年後、武田氏は滅亡したのでした。

武田勝頼の肖像画/父・武田信玄の跡を継いで戦国の荒波を生き、最後は悲運の滅亡に追い込まれた武田家最後の当主
「風林火山」を使えない武田勝頼は最初から詰んでいた?信玄の跡継ぎ37年の生涯

続きを見る

この戦の勝利を喜び合っているのが、信長と家康です。

東国は片付いた、あとは西の毛利だけ。そう祝いあっているわけですが、この場面から信長と家康の違いを考えてみますと……。

家康はこのあと、甲斐国と武田氏に対して寛大な措置を取ります。

『真田丸』の真田 昌幸のことを思い出してください。

あんな舐め腐った態度をしつこく取ってくる昌幸を、殺さなかった家康は偉いと思いませんか?

確かに武田 信玄そのものが偉大でしょう。それでも武田最強伝説や戦術戦略が重視されるのは、そこに寛大さを見せる家康なりのパフォーマンスがあったと思えるのです。

幕末、将軍を守るために戦った新選組の上層部は、先祖を辿れば武田にまで遡ることを誇りとしていました。

会津藩は「高遠以来」という言葉がある。保科 正之が高遠をおさめていた時代から付き従う家のルーツを、会津藩士は誇りにしていたのです。

あの山本 八重の家は、山本 勘助の子孫だと名乗っていたとか。

於万の方
嫉妬に狂った於万の方(保科正之継室)予定が狂って実の娘を毒殺

続きを見る

新島八重
新島八重の生涯を辿れば幕末と会津がわかる|最強の女スナイパー86年の軌跡

続きを見る

武田を滅ぼしたものは、織田信長と徳川家康です。

それなのに江戸幕府滅亡の最後の最後まで戦ったのは、武田ゆかりのものであった。このことは、寛大さを示すことこそが最大の防御となり得る、そんな教訓を感じます。

情けは人の為ならず――優しさは巡りめぐって自分を助けることにもつながりましょう。

 

王佐の才は家康のもとで輝くのか

家康と光秀、二人の場面へ。

家康は摂津沖で頼みを聞いてくれた光秀に礼を告げます。

光秀は役に立てず、築山殿と信康殿をむざむざとあのような目にあわせてしまったことを詫びるのですが、あれは自分の失態であると家康は冷静に語る。

というのも、妻と息子が武田に通じ、謀反の疑いがあったと判明したのだそうです。

信長様に命じられる前に成敗すべきであった、と恥じいるばかりであるとか。ただし、この一件は、この場における家康の言い分であり、真相は不明です。

松平信康
松平信康の生涯|なぜ家康の長男は自害に追い込まれたのか?諸説を考察

続きを見る

築山殿
築山殿の生涯|息子の信康と共に殺された家康の正室 夫には重たい女だった?

続きを見る

それよりも……と、家康はお聞きしたいことがあると光秀を座らせます。

聡明だった家康が愚痴っぽくなったと言われたりしますが、むしろこの家康は自分の感情を切り離し、愚痴からほど遠い人物像に思えます。

光秀に相談するのも、自分の意見をただすために重要なのでしょう。

人は、いきなりビシバシと即断即決できるわけではありません。

むしろ信頼ある相手の意見を聞き、細やかな軌道修正をかけていくことが大事ではないでしょうか。

光秀が主人となった近江と丹後の国は内政が極めてうまくいっている。家康も新たに駿河を治めねばならない。統治において、どのようなことを手掛けておられるのか。

光秀は謙遜して申すことはないと返しますが、家康は「そうおっしゃらず」と聞いてきます。

興味深いのは、光秀と信長の会話にはないテンポがあることでしょう。

信長は一方的に押し付けるように話すのに対し、家康は光秀の真意を引き出そうとしている。

国がまとまらず、戦ばかりになるようでは困る。どうすれば国が落ち着くのか。穏やかな世になるのか。そう尋ねます。

対する光秀の答えは……。

いくさは他国の領地を奪うことから始まる。己の国が豊かで人並みに暮らせるところであれば、他国に目を向けるようにはならないはず。

己の国がどれほど田畑を有し、作物の実入りがどれほどなのか。そのうえで無理のない年貢を取る。

まずはそこから始めてみようかと。

「検地ですか」

家康は納得しています。

百姓が健やかに穏やかに暮らすこと。そのことを語り合う二人です。

枯れかけたような光秀が、水を注がれたようにシャッキリとしております。「王佐の才」である器は、家康から何かを察知して生き生きとしてきたのでしょう。

信長は自分の意のままに動くものばかりで固めようとする。煌びやかで楽しい安土城建設などはその一端。

秀吉は出世欲の塊であります。世の中への復讐のようなものが腹の底で滾(たぎ)っている。

自分のような貧しいものをなくすと言うけれども、健やかであること、穏やかであることは口にしない。

麒麟を呼ぶ王の姿を家康に見出した光秀は輝いている。

けれども、その姿を森蘭丸が見ているのでした。

 

「信長様は、私にはまだまだ怖いお方です」

安土へ戻ると、信長は家康を招いて戦勝を祝いたいと語り始めます。

家老の酒井も喜び、饗宴に乗ってきたのだとか。その上で、ぜひ明智様に饗応役をお願いしたいと希望します。

「なにゆえ十兵衛だ?」

信長が猜疑心を募らせると、すかさず蘭丸が「先ほども家康と光秀が仲良くしていた」と告げます。

丹羽長秀が、徳川様は宴で毒を盛られるのを恐れていると物騒な軽口を叩きます。

丹羽長秀
丹羽長秀は安土城も普請した織田家の重臣「米五郎左」と呼ばれた生涯51年

続きを見る

さらには、東国は家康のみだから片付けてしまえばよい、わしならそう考えると追撃する。

信長は怒りと猜疑心を募らせていく。

「家康め……まだ信康に腹を切らせたことを根に持っておるのか……」

信長がやはりおかしい。

そもそも本作では、家康父の広忠だって暗殺しているだろうに。自分がそうだからみんなきっとそうだと思うのは非常に危険です。

そんな信長の黒い感情には露ほども気づかず、光秀と家康はよい話ができたと満足げに別れようとしています。

別れ際に家康は念押しをしました。信長に安土へ誘われているけれども、祝いの席を設けてくれるのであれば、饗応役はなんとしても明智様にお願いしたい。

その話が出たらお断りしていただきたくない。そう念押しするのです。

光秀は自分以外にふさわしい方もおいでだと、また謙遜します。秀吉だったら調子のいいことを言って引き受けるでしょう。

ここで家康はこっそり告げてきます。

「信長様は、私にはまだまだ怖いお方です」

これは同時に、干し柿を与えてくれた光秀への信愛表明とも言えます。

たかが食事、されど食事。コロナ禍の時代、誰かと一緒にランチを食べられなくてどんよりしている方も多いことでしょう。

これはなかなか根源的な話かもしれない。

それこそ石器で獲物をとっていたような時代から、人間は仲間同士で食事を分け合ってきた。

手っ取り早くて根源的な信頼構築が一緒に食事を取ること。同じ釜の飯を食った仲と言いますよね。

そういう信頼関係をこれだけ長く共闘しても家康と構築できていない。悲しい男なのです。

 

裏切り者を見るような暗い目

天正10年(1582年)5月。

近江安土城で信長は上機嫌です。

「いよいよ今日は家康殿を迎える日じゃな」

光秀はできる限りのことをしたと告げ、信長もそんな光秀を褒めます。光秀は戦を二つほどやり遂げたほど疲れたそうです。

嘘がつけないというか、腹芸ができないというか。

そこまで気合が入ったのは、家康相手だからかもしれないとは思うのです。

秀吉みたいに調子よくちゃらけた調子でできないからこそ、何か嫌な予感はします。

と、信長は喜ぶどころか、光秀の饗応はここまで、あとは丹羽長秀にすると言い出します。

そのうえで光秀に対しては、秀吉の毛利攻めに向かえ、近江丹波から早々に出陣しろとそっけない。なんでも秀吉が兵が足らぬと矢の催促をしているとか。

それでも光秀は饗応役をやると言い張る。いいから毛利へ行けという信長。それでも光秀は粘りに粘って、今日一日だけでもと頼むこむのです。疲れ切って大変だとしても、饗応役をやり遂げたいと訴えます。

猜疑心全開の信長に、光秀は気づいてないのでしょう。家康に頼まれたからには仕方ありませんが、ここまで強行に饗応役を主張すれば、信長の精神状態を悪化させることに……。

このあと、光秀と家康が親しげに談笑しつつ歩く姿を、信長はどこか不穏な目で見ています。

まるで裏切り者を見るような暗い目と申せましょうか。

 

「十兵衛、膳がちがうぞ!」

安土城での家康饗応が始まりました。

「家康殿と徳川家が末長く栄えるよう、此度の戦勝を祝して大いに飲もうではないか!」

そう明るく陽気に宣言する信長。そして食べ始め、こう言い出します。

「十兵衛、膳がちがうぞ!」

「は? 御免。何がちがいましょうか?」

品数が足りぬと信長は言うわけですが、まだ二の膳が出ていないと光秀は説明します。

信長は一の膳で出せと命じたはずじゃ!と返す。

光秀が作法の説明をしても「黙れ!」と怒鳴りつけるだけで、みなの分を取り替えるように言い渡します。

「家康殿にこのような膳を出すとは無礼千万!」

家康は困りつつ、これで構いませぬと助け舟を出します。

「わしが困るのじゃ! これではわしの面目が立たぬ!」

それでも信長は怒鳴る。すると光秀がすぐ取り替えようとして、慌ててこぼしてしまいます。

「御無礼を!」

「十兵衛、下がれ!」

「申し訳ございませぬ!」

ここで蘭丸が「上様に無礼であろう!」と光秀を取り押さえようとしますが、光秀は押しのけます。

信長は光秀を蹴倒し、扇を首につきつける。

必死の形相で信長を睨みつけながら、手刀をかざす光秀。

その脳裏には、闇に光る樹を切る夢が浮かんでいる。

同じ心で大きな国をめざしてきた二人が決裂している。

信長は、自分でも説明がつかないまま暴れてしまう。子どものままの気持ちがずっとある。

十兵衛にはずっとずっと自分を見ていて欲しい。隣にいて欲しい。自分がこんなにも大好きなのだから、相手もきっとそう。そう純粋に相手を慕っているのに、十兵衛はそうしてくれない!

そう思うと毛が逆立ち、唸り声をあげてしまう獣のようになってしまう。

止められない激情が自分でも辛い!

光秀も、もう感情の制御ができない。

なぜ、あれほどにも猛って制御できないのか?

それはもう彼自身が「麒麟」になってしまったからかもしれない。

麒麟がくる世の中――それを作る王の器は家康だった。その家康を守るべく、考えることもないまま、体が勝手に動いてしまう。

彼自身が聖なる獣になってしまった、そんな瞬間が訪れました。

 

MVP:麒麟としての光秀

麒麟とはそもそも何か? 聖獣とされています。じゃあここで「聖」とは何かを考えてみましょう。

聖という文字は、耳と呈を組み合わせたもの。呈とは、差し出された正しい言葉のこと。正しい言葉を聞くことが、「聖」だということです。

帝との問答以来、光秀が周囲の声を聞く場面が多かった。

足利義昭の声を聞く。徳川家康の声も。駒の声も。声を聞き、そのことを理解して、光秀は聖なる何かを得てしまう。思えばそれが光秀の本質だったとは思います。池端さんもそういう意識ありきで構築しているとわかります。

光秀が義昭のことを物足りないと思っていた理由も、彼が麒麟だと思えば納得できるかもしれない。見抜いた上で、足りないと思ってしまったのです。

◆「麒麟がくる」光秀は受けの芝居多い難役 脚本・池端俊策「長谷川博己さんで大正解」(→link

声を聞く。そのことを考える。そうしていくうちに、何か人智を超えたものになっていく。

ただ、繰り返しますが光秀は「王佐の才」の器を持っている。彼自身が王となる器ではない。麒麟として目覚めた光秀は、王たるものを守り、そのための道を拓き、毒を飲み干し世を去るのです。

繰り返しますが、黒幕は存在しません。麒麟は黒幕の指示は必要としない。地に満ちる人の声と、天の声を聞き、動くのです。

そんな麒麟も素晴らしいとはいえ、そばにふさわしい王がいてこそ引き立ちます。家康は頭上に麒麟が舞い降りてきてもおかしくない風采になりました。そんな風間俊介さんが今週もお見事です。

 

総評

やっと最終回ですか。

こんなに疲れ切った状態で最終回を迎えた大河はついぞなかった気がします。

長谷川博己さん以下、素晴らしい出演者を見ても、号泣はしないし、ハンカチを握りしめているわけでもない。

ただ感動したことは証明したい。

池端さんが好きな漢詩からいかがでしょう。

一片の氷心、玉壷に在り――。

この作品の光秀はまさにこの境地でした。

氷のように澄んだ心が、玉(白い大理石あたりを想像しましょう)でできた壺に入っている。

涼しさ、さわやかさ、清々しさ。そういうものがある演技です。それがもう来週で最後なのか。なんとも言えません。

さて、最終回直前ということもあり、ここで考察してきたことの復習でもしてみたいと思います。

本能寺動機論1:「罪悪感と責任感の帰結」

ここではこんなことを書いてきました。

「暴走するAIロボット(信長)をプログラミングした技術者(光秀)が止めに行く」

「『ゲーム・オブ・スローンズ』における、ジョンによるデナーリス暗殺と同じ動機」

だいたい正解だったと思えます。

信長の暴走を光秀が止めにいく。野心でも黒幕説でもなく、彼の責任感と良心ゆえの行動であると。

それが2010年代以降のトレンドかもしれない。

最終回間近に迫った『進撃の巨人』でも、暴走するエレンとそれを止めにいくストッパーズの攻防が最終決戦となっております。

本作の光秀はあの作品のハンジと同じ立ち位置でしょう。

虐殺だけは何がなんでも許せない!

そのあとのプランはないけれど……それでも止めることに意義があるのです。

いや、ハンジに託されたアルミンか。帰蝶と光秀の対話は、ミカサとアルミンを思い出すところはあった。

それは私が漫画が好きで読んでいるからということでなく、2010年代から2020年代という時代の要請なり課題のようにも思えるのです。

本能寺動機論2:「人は心が原動力だから」

「人は心が原動力だから心はどこまでも強くなれる!!」

『鬼滅の刃』の名台詞です。この観点から本作のことを考えてみましょう。

心って、実は過小評価も過大評価もできないし、数値で計測できないし、不確定なので計算に入れない方がよいことも多い。

愛する人を失った。身体を損傷する。

そういうことはショッキングだけれども、慣れて心さえ立て直せば再起がはかれるのです。

しかし、精神が破壊されるとやり直しが効かない。

そんな心こそが、本作の重要な要素であると思えます。

そう踏まえて本能寺陰謀論はなぜ尽きないのか、という理由を考えてみますと……。

そこには「そんな単純な動機であんな大事件を起こしたわけがない」という願望もあるでしょう。そういう読み物に需要があるのも事実。トランプ大統領再選論といい、需要があればどんな与太話だって供給があるものです。

何度も繰り返してきましたが、本作は黒幕論は取っていないと思います。

誰が黒幕だろうと、最後の決断を下すのは光秀自身、光秀の心。本作は作っている側も出演者も、登場人物の心を見て欲しいと語っています。

これは薄々勘づいていたのですが、敢えて今まで指摘しませんでした。

けれどもいい加減限界だと思いますので、私の推理と断った上で記します。

本作は【心の理論】ベースの物語展開をしています。

なぜ、そうするのか?

と言えば、そこに至る人間心理を中心としているということ。

とりあえず『サピエンス全史』あたりから手に取ってみるのも良いかもしれません。

認知心理学を歴史や人類の進化にも適用して見ていく。そういう流れが定着しつつあります。

日本だと、まだ認識されていないようではありますが、取り入れているフィクションは増えている。NHKは2010年代半ばから取り入れた作品が増えていると思えるのです。

『鎌倉殿の13人』でもビシバシ取り入れてくると思いますので、楽しみにしています。

そして、その点を踏まえると、黒幕論は成立しない。

この論を使いますと、心情解釈は幅広くできる。

その利点を解釈として取り込みつつ、極めて高いレベルで仕上げた。

それが『麒麟がくる』ではないでしょうか。

次週迎える最終回、そしてその後の総論であらためてまとめたいと思います。


あわせて読みたい関連記事

織田信長
織田信長の生涯|生誕から本能寺まで戦い続けた49年の史実を振り返る

続きを見る

明智光秀の肖像画
史実の明智光秀はドラマのような生涯を駆け抜けたのか?本能寺までの足跡を辿る

続きを見る

豊臣秀吉の肖像画
豊臣秀吉62年の生涯をスッキリ解説・年表付き!派手な伝説はドコまで史実?

続きを見る

徳川家康の肖像画
徳川家康の生涯|信長と秀吉の下で歩んだ艱難辛苦の75年を史実で振り返る

続きを見る

始皇帝はいかにして中国を統一したのか|最新研究に基づく生涯50年

続きを見る

【参考】
麒麟がくる/公式サイト

TOPページへ


 



リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

-麒麟がくる感想あらすじ
-

右クリックのご使用はできません
目次