現代社会の大企業で出世するには有名大学の出身であることが必須も同然。
「平安時代もそうだったのか?」と思わされるシーンが大河ドラマ『光る君へ』にありました。
主人公・まひろの弟である藤原惟規が【大学寮】へ入るとして、父の藤原為時が「勉学に勤しんで出世するのだぞ」と発破をかけていたのです。
言い換えれば、大学寮での成績さえ良ければ、より高度な官位が与えられそうにも思えますが、果たして現実はそうなのか?
答えは否。
平安時代の中期は、真面目に努力するよりも、生まれつき手にしていた血統や財産によりその後の人生が決定づけられました。
藤原為時にせよ、ききょう(清少納言)の父である清原元輔にせよ、学識はあっても出世は伴わず、官職に就く者を記した【除目(じもく)】に自分の名前がないことを嘆いたものです。
ならばなぜ、為時は息子を大学寮に通わせたのか?
いったい平安貴族は何を学び、それが出世にどう影響したのか?
東アジアの官僚制度と対比しながら、平安時代中期、日本の大学寮と出世事情を振り返ってみましょう。
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平安京の最高学府・大学寮
日本も含まれる東アジアの文化圏では、様々な制度や文化が根付いてきました。
その中で官僚を育成するため、中国大陸や朝鮮半島で重要視されたのが【科挙】と【宦官】です。
日本では、このシステムは採用されず、代わりに存在したのが【大学寮】でした。
カリキュラムは以下の通り。
激烈に難しい【科挙】はないけれど、唐名で「国士監」と呼ばれる最高学府の「大学寮」はある。
ここで学力を身につけ、試験も行い、任官させる――それが日本の制度でした。
そもそも中国でなぜ【科挙】が採用されたのか?というと、従来の【貴族】制度では弊害が多かったからです。
上流貴族はおしゃれにうつつを抜かしていてもラクに出世できる。
一方、下流貴族はいくら才能があっても、努力しても、出世はどこかで頭打ち。
そんな状況では誰もが努力を放棄するようになってしまい、社会は硬直化してしまう。
その点【科挙】は、受験勉強をするために一定の資産や環境が必要ではありながら、官僚の多様性を確保するためには優れた制度でした。
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では、日本ではどうだったか?
残念ながら、出自の階級を問わない、実力重視の制度は限定的でした。
たしかに平安時代前期は、実力で出世を遂げた者もいましたが、その代表格とも言える菅原道真が上級貴族に潰されてしまうと、実力主義による抜擢は消えてゆきます。
華やかな平安時代、その中期以降の人事システムは「停滞の時代」とも言えるのです。
凄まじい“一族ガチャ”の時代
近世以降の日本では「どんな家に生まれようと努力すれば出世できる」ということが語られてきました。
実際は、そうではありません。特に明治時代は【藩閥】がものをいい、それ以降の時代でも生まれにより出世の大勢は決まっていながら、建前上は実力主義のようにされてきました。
会津の貧しい家に生まれ、周囲の助けと本人の努力で世界的に名を知られるようになった野口英世は、そうしたロールモデルの典型でしょう。
令和時代を迎えた現代では“親ガチャ”という言葉が流行しています。
どの親のもとに生まれたか――生まれでその後の人生は決まってしまうという意味であり、
「国公立大学で学ぶよりも、家に資産があればよい家庭教師をつけて、私立大学を出ればよい。それで出世できればいい。所詮、国公立で学ぶような連中は中流以下の貧乏人でしょ」
こんなことを誰かが語ったら、令和らしいぼやきに聞こえるかもしれません。
しかし、平安時代中期であれば、多くの貴族もこの言葉に賛同したかもしれません。
当時も間違いなく“一族ガチャ”の時代でした。
上流貴族は蔵書量が違う
上流貴族は家庭での教育環境が恵まれています。
まず漢籍が揃っているのが大きい。
紙をはじめとする文房具が、今では考えられないほど高価だった時代。
家に蔵書があれば、それだけで頭ひとつ抜きん出た教育が受けられます。
藤原為時の家は、蔵書だけは豊富と考えられます。
為時の祖父、紫式部の曽祖父までは上級貴族だったからです。
紫式部と比較されやすい清少納言の家系は上流貴族ではありません。
しかし、清原深養父(きよはらのふかやぶ)や清原元輔など、和歌の名人を輩出しており、センスや頭の回転が光る家系と言える。
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蔵書が豊富な努力家の紫式部と、鋭いセンスが光る清少納言は、そういう意味でも対照的なんですね。
紫式部は「清少納言の漢籍知識なんて浅い!」と記しています。それは清少納言の才覚だけでどうにかなる問題ではなく、家の蔵書量が影響した可能性は否定できないでしょう。
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