SAMURAI ART

島津豊久と捨て奸の激闘!もう一つの島津退き口【戦国浮世絵ANARCHY16】

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
島津豊久
をクリックお願いします。

 

お好きな項目に飛べる目次


捨て奸

捨て奸とは?

「捨て駒となる兵士」を道路の要所に置いておき、敵がやってきたら命がけで追撃を止める。

その間に、部隊は帰路を走り、できるだけ遠く逃げる。

当然ながら残された兵士はほぼ100%死ぬため、相当な覚悟が必要となるが、これをやってのけたのが島津豊久だった。

部隊の副将を任されていた豊久は、13名の従者たちと共に烏頭坂(うとうざか)に布陣。

その様子を鞘ェもんにイラスト化してもらった。

コイツだぁ!

島津の十字紋をあしらったフルカウルタイプのバイク。

4ストかつ排気量の大きそうな車種で、モデルはKAWASAKIか?と思ったら、BMW(SMZ=しまづ)レプリカのマークが入っているではないか。

火縄銃の火縄が飛んでしまわないよう腕に繋げているのも芸が細かい!

ということで……島津豊久は福島正之(福島正則の養嗣子)の部隊に討ち取られて玉砕。

その後も義弘を逃がすため、部下たちが交代しながら殿(しんがり・最後尾で捨て奸をする)を務め、長寿院盛淳(ちょうじゅいんもりあつ)は義弘の陣羽織をつけて身代わりになるなど、とにかく壮絶に戦った。

長寿院盛淳の最期は十字腹だったともいう。

豊久の最期は不明なり。

絵・鞘ェもん(ツイッターサイト
文・五十嵐利休

 


あわせて読みたい関連記事

島津の退き口
関ヶ原で負けて逆に敵陣へ突撃! 島津の退き口はなぜ成功できたか?

続きを見る

島津義久
島津義久は大友や龍造寺を相手にどうやって戦国九州を統一した?

続きを見る

島津義弘
島津義弘(島津四兄弟の次男)が鬼島津と呼ばれる由縁~功績凄まじい85年の生涯

続きを見る

島津歳久
島津歳久(島津四兄弟の三男)は矢を放って秀吉に反抗!非業の死を遂げ神となる

続きを見る

島津家久
島津家久は四兄弟で最強なり! 次々に大軍を撃ち破った軍神 41年の生涯とは

続きを見る

福島正則
福島正則は秀吉子飼いの武将だったから?徳川政権で喰らった「転封改易」の悲劇

続きを見る

井伊直政
武田の赤備えを継いだ井伊直政(虎松)徳川四天王の生涯42年とは?

続きを見る

本多忠勝
本多忠勝5つの最強武将エピソード!家康を天下人にした生涯63年とは

続きを見る

石田三成
石田三成・日本史随一の嫌われ者の再評価とは? 豊臣を支えた忠臣41年の生涯

続きを見る

小早川秀秋
なぜ小早川秀秋は東軍に走ったのか 関ヶ原の裏切り者 儚い生涯21年まとめ

続きを見る


戦国浮世絵バックナンバー

TOPページへ


 



-SAMURAI ART

×