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島津豊久と捨て奸の激闘!もう一つの島津退き口【戦国浮世絵ANARCHY16】

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捨て奸

捨て奸とは?

「捨て駒となる兵士」を道路の要所に置いておき、敵がやってきたら命がけで追撃を止める。

その間に、部隊は帰路を走り、できるだけ遠く逃げる。

当然ながら残された兵士はほぼ100%死ぬため、相当な覚悟が必要となるが、これをやってのけたのが島津豊久だった。

部隊の副将を任されていた豊久は、13名の従者たちと共に烏頭坂(うとうざか)に布陣。

その様子を鞘ェもんにイラスト化してもらった。

コイツだぁ!

島津の十字紋をあしらったフルカウルタイプのバイク。

4ストかつ排気量の大きそうな車種で、モデルはKAWASAKIか?と思ったら、BMW(SMZ=しまづ)レプリカのマークが入っているではないか。

火縄銃の火縄が飛んでしまわないよう腕に繋げているのも芸が細かい!

ということで……島津豊久は福島正之(福島正則の養嗣子)の部隊に討ち取られて玉砕。

その後も義弘を逃がすため、部下たちが交代しながら殿(しんがり・最後尾で捨て奸をする)を務め、長寿院盛淳(ちょうじゅいんもりあつ)は義弘の陣羽織をつけて身代わりになるなど、とにかく壮絶に戦った。

長寿院盛淳の最期は十字腹だったともいう。

豊久の最期は不明なり。

絵・鞘ェもん(ツイッターサイト
文・五十嵐利休

 


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編集管理人・五十嵐利休。 1998年に大学卒業後、都内の出版社に勤務。 書籍や雑誌の編集者を務め、2013年に新聞記者の友人と武将ジャパンを立ち上げた。 月間の最高アクセス数は960万PV超。 現在は企業のオウンドメディア運用やコンサルティング業務もこなしている。

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