『源氏物語』によって藤原彰子や帝の心が動かされ、ついには皇子の出産にまでたどり着いた大河ドラマ『光る君へ』。
藤原道長や源倫子は、主人公のまひろに対して感謝してもしきれない状況ですが、彰子の女房となった当初はまるで上手くいきませんでした。
イビキのきつい女房(宮の宣旨)がいたり、「男の足でも揉んでたの?」と嫌味を言う者(左衛門の内侍)がいたり。
はたまた最近では、道長との関係を疑い、赤染衛門に報告する者まで現れる始末。
いったい彼女らは何者なのか?
藤原彰子という、極めて位の高い女性に仕えるのですから、実は周囲の女房たちも相当な貴族の娘であったことは、ドラマの中でも触れられています。
では具体的にどんな貴族の娘たちが仕えていたのか?
紫式部とは仲が悪かったのか、良かったのか?
本記事では、藤原彰子に仕える紫式部の同僚たちに注目、史実面から浮かんでくる事績やエピソードを振り返ってみましょう。
宮の宣旨:リーダー
ドラマの中で女房軍団の先頭に座り、最も目立っていたのがこの方、宮の宣旨こと源陟子(ただこ)でしょう。
宣旨とは平たく言えばリーダーのことであり、宣旨の君とも呼ばれる女性です。
劇中では「コワモテで恰幅の良い先輩、チワッす!」というイメージもありましたが、紫式部が記した『紫式部日記』では、むしろ逆。
身分も高い上に美しい女性で気品もある――という風に記されています。
実際、源陟子は身分の高い女性でした。
以下のように醍醐天皇から臣籍降下した血筋だったのです。
醍醐天皇
│
兼明親王
│
源伊陟(これただ)
│
源陟子
いわば道長の嫡妻である源倫子(父は宇多天皇の孫)と変わらないわけです。
藤原彰子を支える宣旨(リーダー)ですから、『紫式部日記』の中では彰子と共に登場することも多く、物語のスパイスとして欠かせない存在であります。
ゆえに劇中でもあれだけ存在感のあるキャラで描かれているのかもしれませんね。
※ドラマでの配役:小林きな子さん
小少将の君:紫式部の親友
源倫子の弟・源時通の娘です。
劇中では黒木華さんの姪になりますね。
よって中宮の彰子にとっては母方の従姉妹に当たり、身分が高いため、やはり彰子の側近くに控えていることも多々ありました。
紫式部が最も親しかったと思われる同僚で、隣同士の局をくっつけて使っていたそうです。
あまりに仲がいいので、道長にからかわれるほどでした。
当然『紫式部日記』にも頻繁に登場し、一緒に身支度しているシーンや、愚痴り合うシーンなど、リアルな日常が書かれています。
外見としては可愛いタイプで、少々内気なところがあったようで、紫式部より年下だったと思われるため、似た器質の妹のように思っていたのかもしれません。
しかし彼女は早くに亡くなってしまいます。
紫式部集に彼女の死を悼んだ歌や、小少将の君の筆跡を懐かしむ歌もあります。
※ドラマでの配役:福井夏さん
大納言の君:小少将の君の姉妹
小少将の君の姉妹。
彰子の前では一緒に控えていることも珍しくありません。
『栄花物語』によると、長保の末~寛弘元年ごろ(=1003年前後?~1004年)から彰子に仕え始め、道長の寵愛を受けたとされています。
しかし別の史料だと出自が食い違っているため、栄花物語の記述には疑問も残ります。まぁ、物語だからと言われれば、それまでなのですが。
『紫式部日記』の中では、小少将の君より登場回数は少ないながら、紫式部は、自分の宿下がり中の場面で次のように記しています。
「大納言の君が中宮様の御前でいろいろとお話をしてくださったのが恋しい」
博識で、話し上手な人であり、紫式部にも優しい対応だったのでしょうね。
外見の描写としては、”比較的小柄で色白、上品な顔立ちで、見た目には背が高い”と書かれているため、姿勢も良かったのかもしれません。
※ドラマでの配役:真下玲奈さん
左衛門の内侍:いじめ女房
本名は橘隆子(たちばなのたかこ)。
ドラマの中で、寝坊したまひろに向かって「男の足でも揉んでたの?(男と寝てたの?)」と嫌味を放ったことで、一気に知られるようになったかもしれません。
なぜ、あんな意地悪に描かれるのか?
というと、やはり『紫式部日記』に残された有名なエピソードからでしょう。
『源氏物語』を読んだ一条天皇が「この作者は博識で、日本紀(日本書紀)も読んでいるに違いない」と評した――と聞いた左衛門の内侍。
「学があることを自慢する鼻持ちならない女だ」という意味を込めて、紫式部のことを「日本紀の御局」と呼んだ、というものです。
不思議なもので、いま見ても、ねっとりとした嫌味な言い方であることが伝わってきますよね。
※ドラマでの配役:菅野莉央さん
馬中将の君:もう一人のいじめ女房
左衛門の内侍と同じく、まひろに対して意地悪なお姫様である馬中将の君。
いったい『紫式部日記』でどんな風に描かれているのか?
というと、なかなか印象的であります。
藤原彰子が無事に出産を終えて、内裏に還御(かんぎょ・戻ること)するときのこと。
紫式部はこう記しています。
次の車に小少将、宮の内侍、次に馬の中将と乗りたるを、悪ろき人と乗りたりと思ひたりしこそ、あなことごとしと、いとどかかるありさまむつかしう思ひはべりしか。
【意訳】
次の車に小少将の君、宮の内侍、私と馬中将の君が乗ったんだけど……。
馬中将が、いかにも嫌いなヤツ(私)と乗っているという様子で辛い><;
だから女房なんてやりたくないの><;
紫式部が陰キャだからでしょ?
考えすぎなんじゃないの?
そんなツッコミもあるかもしれませんが、馬中将の君の出自を考えると、紫式部の感覚が正しいような気もします。
彼女は、父が藤原相尹(すけまさ)で母が源高明の四女でした。
道長の妻・源明子も高明の娘ですので、明子の姪にあたる血筋となります。
父の相尹はトップ貴族ではないけれど藤原道隆や藤原定子ら中関白家と親しく、馬中将の君自身も、定子方として「五節の舞」にも出ているほどです。
ドラマの中でまひろも源倫子の代わりに五節の舞に出ているので、もしかしたら劇中でも触れてくるかもしれませんね。
※ドラマでの配役:羽惟さん
宰相の君
「宰相の君」だけでなく、「弁の宰相の君」とか「讃岐の宰相の君」とか「美作三位」など呼び名が多数ある彼女。
本名は藤原豊子といい、藤原道長の異母兄・藤原道綱(劇中では上地雄輔さん)の娘でした。
つまりは道長の姪であり、彰子とはいとこ同士という身分の高い女房です。
藤原実資いわく
「(道綱は)40歳になっても自分の名前の漢字しか読めないヤツ」
だったそうですが、宰相の君はどちらかというと聡明な雰囲気。
母似だったのか、あるいは祖母である藤原道綱母(蜻蛉日記の作者)似だったのか。
女房名は、道綱が宰相(参議の唐名)を務めていた頃についたと思われます。
その時期は彰子の入内前であり、実家にいた頃からの女房だったようです。
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彼女は、倫子と彰子の二人に仕えた赤染衛門との親交もありました。
夫の大江清道は定子がいた頃、中宮亮(ちゅうぐうのすけ)を務めていましたが、その後は道長に仕えており、夫婦で道長方となっています。
身分や能力を買われ、彰子の長男・敦成親王の乳母を任されました。
そして敦成親王が後一条天皇として即位した後、従三位と典侍の官職を受けています。
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宰相の君は上品で可愛らしいタイプの女性だったようで。
『紫式部日記』の序盤で、宰相の君が昼寝しているところに紫式部がやってきて「物語の女君のようね」と話しかけて起こすシーンがあります。
宰相の君は「寝ている人を起こすなんてひどいわね」と少し機嫌を悪くしますが、軽口を叩けるような間柄だったのでしょう。
ちなみにその後、紫式部は「いつも素晴らしい方の魅力がさらに増して見えました」とベタ褒め。
というか紫式部は、宰相の君が登場するたびに美しさや衣装センスの良さを褒めたたえているので、同僚というより芸能人とファンのようです。
宰相の君は才色兼備といって差し支えない人だったのでしょうね。
敦成親王の誕生五十日のお祝いでは、来客たちが酔って大騒ぎしていたため、宰相の君と紫式部は二人でこっそり彰子の御帳台の後ろに隠れるという、初々しい少女のようなことをしています。
結局、道長に見つかり、和歌を詠めと振られてしまうのですが。
ちなみに「宰相の君」と呼ばれた女房はもう一人いました。
藤原遠度(とおのり)の娘で、道長のいとこにあたる女性です。
『紫式部日記』でも登場しますが、こちらは「北野の三位の」と注釈が付けられています。
日記には一度しか登場しないので、「宰相の君」といえば藤原豊子の方を指す場合が多いでしょう。
※ドラマでの配役:瀬戸さおりさん
紫式部は「ねちっこくてイヤな女」なのか?
紫式部が書いた『源氏物語』と『紫式部日記』では、貴族社会の非常に細かな描写が頻出し、現代人の脳裏にも平安貴族の姿が浮かび上がってきます。
ただし、清少納言への批評や愚痴っぽい記述など、マイナスな印象の内容までも詳細に書されているため、彼女のことを
「ねちっこくてイヤな女」
という印象の方も少なくないでしょう。
しかし、紫式部が嫌味なだけの人間でないことはわかっているはずです。
特に同僚の女房たちについては、振る舞いや服装を褒め称えたり、冗談を言い合ったり、姉妹のように寝起きしていた相手がいたりと、明るさをうかがわせる面もありました。
紫式部の出仕した年齢が遅かったこともあってか。
公卿たちとの恋愛より、彼女たちとの友情を選んだようです。
そういえば、百人一首に採られている彼女の歌も、昔なじみの女性との予期せぬ再会と別れを詠んだものでしたね。
『光る君へ』においては、貴族社会独特の意地悪な話はもちろん、女同士の美しい友情が描かれたら面白そうですね。
なお、赤染衛門や和泉式部につきましては以下に一本ずつ関連記事がございますので、よろしければご覧ください。
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【参考】
日本人名大辞典
『新訂版 紫式部と和歌の世界―一冊で読む紫式部家集 訳注付』(→amazon)
ほか







