国民的な歴史番組の宿命でしょう。
大河ドラマには毎年のように湧き上がる議論があります。
こんなのは歴史的にありえない!
いやいや、フィクションなんだからオッケーでしょ!
個人的には、史実通りである必要は全くないと思いますし、そもそもどれだけ寄せたって完全な再現など不可能です。
ただし、歴史ドラマという以上、一定の制約は必要とも感じます。
例えば作り手が「創作なんだから自由だよね」という理由で、鎌倉時代に火縄銃を登場させたり、戦国時代の日本に中国のような城を作ってしまったら、いったい我々は何を見せられているのか?となる。
「さすがにそれは屁理屈が過ぎるわwww」と、つっこまれるようなことを申し上げるにも、理由があります。
最終回を迎える前、時代考証を担当する柴裕之先生のインタビューが公開されました。
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<下>(→link)
この記事の中で「紫禁城みたいな清須城に驚いた」という心情をポロリと打ち明けているのです。
SNSでも批判の声がありましたが、ドラマに登場した中国の紫禁城みたいな清須城には私も驚きました。
台本には「家康は清須城の壮大さに驚いた」というくだりしかなく、「当時はまだ天守はありませんよ」という話はしましたが、ああいう城になるとは思いませんでした。
SNSで批判されたというのは『どうする家康』の第4回放送「清須でどうする!」に登場した清須城。
その描き方が「中国の宮殿かよ!これは紫禁城か?」と悪い意味で話題になっていたことを振り返っています。
いったい何事だったのか?
果たして城の描写はいかなるものだったか?
ドラマや他の作品を振り返りながら、考察してみたいと思います。
なお、付け加えますと2023年11月公開の映画『首』には、“紫禁城もどき”は一切登場しておりません。
-

北野武監督の映画『首』は本当に面白いのか?見どころは?忖度なしの徹底レビュー
続きを見る
中国産戦国ソシャゲ広告のやらかすミス
同放送をご覧になられた方はまだ覚えていらっしゃるでしょうか。
徳川家康(松平元康)の主従が清須城の城門を抜けた瞬間、目の前に広がる、なんだか薄気味悪い城内。
暗雲うごめくような空に影響されたのか、城は全体的に黒ずんだ色合いをしていて、家康が中に入ると、黒色の衣装に身をまとった信長の部下たちがズラリと並んで出迎える。
その状況に注目してでしょう。大手メディアでも、以下のような記事が出されました。
◆大河「家康」次回、清洲城がヤバい まるで中国宮殿 ネット沸く「紫禁城?」「二度見した」「キングダム!」(→link)
『どうする家康』の清須城を見て視聴者が感じたのは映画の『ラストエンペラー』とか『キングダム』だったようです。
以下、記事から引用させていただきます。
ネット上も「清洲城が平安京かラストエンペラー」「あの紫禁城みたいなのが清洲城なのか…?」「紫禁城みたいな清洲城出てきたな…」「中国の城のようで二度見してた。あれ、清洲城?」「ワタシの知ってる清洲城って来週予告の映像とかなり異なる気がするw」「清洲城ってこんな感じだった?」「どこのキングダムよ!?」「阿房宮が写ってなかった?うちのテレビだけ?」と驚きの投稿が相次いでいる。
話題になったのは城だけではありません。
◆『どうする家康』でド肝を抜いた「まるで平城京」清須城の規模に発掘中の研究者からも疑問が「今年の大河はファンタジー」の声も(→link)
清須城の規模や姿だけでなく、その周囲に広がる濃尾平野についても言及されました。
《何度見ても、これが濃尾平野とは思えんわ… それにこの時期の清須城はこんな大規模じゃないし》《(清須城が)まるで平城宮の第一次大極殿院のようだ。おそらくモデルは秦の阿房宮か漢の長安城ってとこだろう》と、考古学研究者の嘆きツイートは続いている。
果たして、これは歴史ドラマとしてありなのか。それとも過剰な演出なのか。
私の頭に浮かんできたのは、最近よく見かける「中国産の戦国ソーシャルゲーム広告」です。
例えば『信長の野望』など、コーエーテクモゲームスの作品は中国語圏でも非常に人気があります。
ソシャゲとなれば課金収益も見込める。ゆえに中国産の戦国ゲームも作られる。
そんな需要で生み出されていて、武将や甲冑の画像は、どこか既視感を覚えながらも、そこそこの出来に仕上がっています。
しかし、決定的におかしなところがある。
それは城攻めの場面で、高い城壁が立っていること。
中国語で「城」とは、城壁で囲まれた都市を指します。
『進撃の巨人』のような、ウォールで囲まれた状態をご想像いただければわかりやすいかと思います。
ゆえに城攻めとなると、雲梯車や衝車といった攻城兵器の出番となります。
しかし日本の城に、中国のような城壁はありません。
必然的に攻城兵器も規模が小さくなる。
ゲーム用のマップとなれば、たしかに城壁で囲んだほうが拠点がわかりやすいですし、攻城兵器があった方が戦術が複雑化して楽しくなる。ゲームならば“あり”の演出かもしれません。
では、大河ドラマ『どうする家康』の清須城はどうでしょう?
中国の宮殿のようだが
同ドラマの清須城に対して投稿された感想をピックアップしながら、なぜ視聴者の皆様が戸惑いを覚えたのか、考えてみました。
・『キングダム』で見た宮殿のようだ
『キングダム』と言うからには、始皇帝の阿房宮(あぼうきゅう)をイメージされているのでしょう。
日本の映画版でのロケ地は象山影視城です。

象山影視城/photo by wikipediaより引用
悲しいことに、象山影視城で撮影した宮殿の方がはるかに立派で、大河ドラマの清須城では、とても規模では追いつけません。
もともと国土の広さという違いがありますので仕方ないですね。
では次のご指摘はどうか。
・紫禁城のようだ
紫禁城は明の永楽帝が15世紀初頭から、元朝の宮殿を元にして建設したものです。
時代的には確かに近い。
しかし、当時の明人にしてみれば「あの清須城とどこが似てるのか言ってみなさい!」状態になるかと思われます。
紫禁城を見て、パッと目を引くのは、赤と黄――この二色を鮮やかに施した建築物こそ、中国北部を奪還した大明の権威をみせつける特徴でした。
全体的に黒っぽい清須城ではまるでイメージが異なるのです。
「我ら漢民族の威容を見せつけるとして、あんなちまちました色はない……五行説を意識しないとか、ありえないから!」
そんな風につっこまれそうです。
-

『麒麟がくる』のド派手衣装! 込められた意図は「五行相剋」で見えてくる?
続きを見る
・家臣たちがしょぼい!
紫禁城をイメージするならば、清須城で家康らを出迎えた「黒服の家臣たち」にもいささか問題があります。
圧倒的に数が少ないのです。
紫禁城と言えば、文武百官が勢揃いする場面。
文官と武官がそれぞれの制服を着てずらりと並び、その前に皇帝が座る――その威容を誇るわけです。
『どうする家康』の清須城を明の官僚たちが見たら
「もう少しエキストラを用意できなかったのですか……」
と困り顔になってしまうでしょう。
たしかに中国の皇帝と、日本の地方大名では国力に圧倒的な差がありますが、ドラマとして「信長の威容を見せつける」演出ならば、それだけで圧倒する人員を配置せねばならないのでは?
六本木のバーの黒服ではないのです。
だからこそ、あの清須城で信長の威光を強調するなら、もっと気勢を上げて欲しかった。
例えば、斎藤道三との面会に際して、朱槍五百・弓鉄砲五百の部隊を行進させたという『信長公記』の記述を踏まえ、それに準ずる仕掛けがあっても良かったのでは?
それなら一定の史実に配慮した、フィクションならではの場面となるでしょう。
『信長公記』の記述が全て正しいわけではないというツッコミもありますが、ドラマの演出に応用するなら問題ないはずです。
日本もかつては中国の宮殿を見本にしていた
放送後のメディア記事には、日本の建造物に似ているという意見もあり、大極殿が言及されていました。
平城宮にあった第一次大極殿は奈良市(→link)で復元されていて、そこから発想されたのかもしれません。

平城京大極殿
ご存知の通り、日本が国づくりを始めたとき、手本としたのは中国です。
長い分裂時代も終わり、大陸では隋、そして唐と統一され、日本にはうってつけのロールモデルであり、遣隋使や遣唐使を派遣して、様々な技術を吸収しました。
その中には長安で目にした壮大な宮殿もありました。
ただし、徐々に日本流にアレンジされ、ある代表的な建物へ推移してゆきます。
京都御所です。
驚くべきことにそれは防御を全く考えていない構造でした。
御所だけでなく、日本の朝廷は、戦乱をあまり身近に捉えていなかった節があり、中国の都市は真似ても、高い城壁を築くことはありません。
天皇に弓を引く者などありえないから防衛など考える必要が無かったのだ――そんな指摘もあるかもしれませんが、朝廷は非常に重要なときに、その弱点と直面することになります。
【承久の乱】です。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれましたが、朝廷と武家政権が本気でぶつかった合戦にしては、放送時間が短かったと思われませんか?
合戦の重要性から言うと『どうする家康』ならば【関ヶ原の戦い】や【大坂の陣】に匹敵するでしょう。
にもかかわらず、戦闘の見どころは宇治川で終わってしまった。
実は、あれで問題は無いと思います。
仮に、当時の京都に高い城壁があれば、鎌倉武士も簡単には陥落させられず、長く対峙することになったのでしょう。
しかし実際はそうじゃない。
京都には、確固たる防衛拠点がないのです。
自然の要害といえる宇治川を越えてしまえば、あとは丸裸の御所が待っていますので、ドラマでも、鎌倉武士が川を超えた時点で、後鳥羽院は慌てふためき、意気消沈していました。
後鳥羽院がどれだけ優れていようと、防御施設のない拠点に攻め込まれたらどうしようもありません。
-

宇治川の戦い(承久の乱)に注目|鎌倉時代の合戦は実際どう行われた?
続きを見る
実はこのことは鎌倉にもあてはまりました。
三方を山に囲まれ、もう一方は海――防御に向いた地形とされる鎌倉ですが、それは誇張であって、実は大して強くないのでは?という指摘もあります。
武家の屋敷にしたって、絵巻を見れば防衛に不向きなことがわかる。
『鎌倉殿の13人』でも、和田義盛が鎌倉で挙兵した際は、かなり危険な状態に陥っていました。
日本初の武家政権である鎌倉幕府でも、いや、だからこそなのか、都市防衛はそこまで追いついていなかったのです。
【承久の乱】では、京都にいた文官の大江広元と三善康信が京都進軍を進めました。
彼らは京都にいた月日が長いだけに、防衛がザルであることを理解していたのかもしれません。
日本の城は戦国時代にできてゆく
鎌倉幕府が滅び、室町時代となり、そして戦国乱世へ。
この時代に、おなじみの日本の城郭が極められてゆきました。
防衛に適した地形を選ぶと、堀を作り、石を切り出し、石垣を築く。
戦国時代も末になって出来た櫓や天守は、日本の城を象徴するものとなっています。
日本人が「お城」という言葉を耳にすると、天守のある戦国時代以降のものを思い浮かべ、それ以前のものはせいぜい「館」としか認識されません。
そうした意識の低さもあってか、主に昭和時代、考証を無視した「なんちゃって天守閣」付きの城跡が数多く整備されてしまいます。
他ならぬ清須城も鉄筋コンクリート造の模擬天守があるほどで、現在、全国各地でもなかなか悩ましい問題となっております。
大河ドラマと城
大河ドラマと城――もちろん両者には深い関係があります。
2016年『真田丸』のオープニングは、真田の六文銭から始まり、淡々と城を映してゆきました。
実景やスタジオ撮影にVFXを組み合わせ、実在しなかった真田幸村の持ち城を作りあげてゆくのです。
父や兄のように城主となることは叶わなかった幸村が、理想の城を持つとしたらどうなったか? そんなロマンがそこにはあります。
そして最後の場面では、真田の大軍勢がこちらへ向かってきます。
これも真田幸村が率いることはなかった、真田の大軍団です。
幸村が夢に見て叶わなかった光景をVFXで再現した、切なくロマン溢れるオープニングでした。
一方、信長らしい城作りをプロットに組み込んだのが、2020年『麒麟がくる』です。
妻の帰蝶は、織田家の鉄砲取引までもこなし、共に戦うことを選んでいました。
しかし信長の築いた城は暮らしにくいと、光秀相手に不平を漏らす。
あまりに高い場所にあって、登るのに骨が折れると語るのですが、彼女ほどの身分なら輿に乗って登ればよい。
つまりは、そういった体力的な問題ではなく、高いところに登る人々の苦労なぞものともしない、夫・信長の独善的な態度についていけないとこぼしていたのです。
これは光秀と信長との対話でも示されました。
光秀がなんとかして民衆の救済や内政の拡充に目を向けさせようとしても、信長は威圧的で、新しい城を築くことばかり口にします。
織田信長とは、天才であると同時に、民の痛みや苦しみを見ようとしない人物ではないか。
麒麟がもたらす“仁”の世の中を目指す光秀は、もはや信長のもとでは歩めない――築城術ひとつでそう描く、精緻なシナリオでした。
こうした事績を踏まえ、あらためて考えてみたい。
2023年大河『どうする家康』は今後どうなってしまうのか?
前述の『真田丸』では、オープニングのシーンをVFXではなく実写だと誤解するほどの声があり、そう見間違える程とは素晴らしいな……と驚かされましたが、一方で『どうする家康』に対しては中々辛辣です。
こちらの記事へ。
◆【どうする家康】CG多用&高速展開の“新しい大河”に賛否「試みは良かった」「乗馬シーンに違和感」(→link)
CGが安っぽい、あるいは乗馬シーンで違和感があると指摘されています。
しかし、実際にロケをして、乗馬シーンを取れば、その問題は解決されるのかどうか。
清須城の指摘と共に考えていますと、なぜ本作のVFX効果に対する評価が辛辣なのか見えてきました。
技術の問題でなく、現場スタッフの時代考証が足りていないのではないでしょうか。
NHK公式ガイドブックのあらすじを見ると、清須城の記述は
清冽なる城のたたずまいと、統制のとれた家臣たちを目の当たりにして息をのんだ
だけしかありません。
この脚本がどのようにして現場へ伝えられ、実際にどう作り上げられるのか。
私には作業工程はわかりませんが、今回の清須城は「誰も見たことのない斬新な城で行こう!」というようなコンセンサスの結果、残念なシーンになってしまったのではないでしょうか。
信長には他にも、小牧山城や岐阜城、そして安土城という重要な拠点があります。
それがどう描かれるか。改めて真価が問われるかもしれません。
信長がマント姿であるのは「脱亜入欧」路線
それにしても、なぜ中国宮殿風にしたのでしょう。
マントを身にまとっている信長。清須城には椅子とテーブルもありました。
ここまでやるなら、むしろ城も西洋風に仕立て上げれば整合性が取れたような気がしなくもないですが、まだ桶狭間直後の時代に南蛮というのもなかなか厳しいものがありますね。
確かに信長といえば南蛮マントと南蛮甲冑、ワインを飲むイメージがあります。
ゲームでもおなじみですが、その表現の源流を辿っていくと司馬遼太郎あたりに行き着きます。
司馬遼太郎は脱亜入欧思想が濃く、気に入った人物は西洋の影響を受けていたとすることがしばしば。
例えば幕末ですと、土方歳三がその一例で、西洋軍服を身につけた写真が拡大解釈されたように思えます。
戦国時代の脱亜入欧ですと織田信長が代表ですね。
信長は斬新だからこそ、漢籍教養なんて否定して一足飛びに西洋かぶれになる――そんなイメージが好まれます。
『どうする家康』と同じ脚本家で、同時公開の映画『レジェンド&バタフライ』も、そんな信長像が意識されているようです。
ただ、信長の南蛮イメージもあくまで後世のこじつけです。
信長が名付けた「岐阜」という地名に注目してみましょう。
「岐」にせよ「阜」にせよ、日本では他に使用例が少なく、書きにくいと感じたことはありませんか?
そもそもは禅僧の沢彦宗恩(たくげんそうおん)が、中国由来の地名である岐山(きさん)、岐陽(きよう)、曲阜(きょくふ)を挙げ、組み合わせて作られた地名だとか。
岐山は西周の中心地であり、曲阜は孔子の生まれ故郷。
孔子は西周こそ理想としました。
これを組み合わせると、孔子が理想とした西周を己の本拠地とする――そんな沢彦と信長の理想像が見えてきます。
戦国時代の禅僧は漢籍教養を最も身につけている階層です。禅僧の提案を受け入れた信長が、漢籍教養を軽視したとは思えません。
また、信長の花押は「麒麟」の「麟」とされています。
岐阜という地名を選び、「麟」を花押とする――『麒麟がくる』の光秀がワクワクと仕えた意味は、そんな史実からも読み解けるでしょう。
『麒麟がくる』では、信長の台詞からも彼の教養が伺えました。
彼は天下を取ることを「万乗之君」(ばんじょうのきみ)と表現しました。
これは戦車一万台を操る君子という意味で、騎兵ではなく戦車戦を行っていた中国古代ならではの言い回しです。
その一方で、宣教師からもらった南蛮服は光秀に譲り、彼が着る場面がありました。
あのドラマには、なぜか根付いてしまった信長の南蛮かぶれを訂正する意図も感じられたものです。フィクションながら史実に沿って独自の表現をしている、非常に面白い取組でした。
-

『麒麟がくる』で「来ない」と話題になった――そもそも「麒麟」とは何か問題
続きを見る
『どうする家康』に話を戻します。
本作の信長像は、従来の南蛮かぶれ路線です。
しかし、なぜか清須城は中国風。
フィクションだから史実に沿う必要はない!と言われても、さすがに支離滅裂としている感は否めないでしょう。
冒頭で「鎌倉時代に火縄銃があったら」と申し上げました。
さすがにそれは過剰な喩えだと承知しておりますが、本作でも似たような描写があり、以下の記事で問題視されていました。
◆『どうする家康』第2話で早くも“脱落”する視聴者続出「このノリについて行けない」「時代考証雑すぎないか」(→link)
火縄銃で“連射”をしてしまうシーンについて、おかしくないか?と記されています。
以下の部分です。
「第2話で、松平の軍勢が敵の奇襲に応戦する際、火縄銃を連射しているシーンがありました。当時の火縄銃が単発式だったのは、中学生でも知っているはずです。
ほかにも、信長が桶狭間の時点で西洋のマントを着用していたり、今川義元の首をぶら下げた槍を馬上から投げるなど、思わず首をかしげるシーンがいくつもありました。槍を投げるのは、台本にはなく、監督のアイデアだったようですが……。いくらエンタテイメントとはいえ、あまりにやりすぎな感は否めません」(テレビウオッチャー)
作り手が火縄銃の基本的な仕組みを知らなかったとはさすがに思えません。
それでも連射をするようなシーンを描いたのは、それがカッコイイという判断からなのでしょうか。
信長や家康のセリフや性格は、フィクションでいくらでも好きなように描けますが、その時代における科学技術の描写をめちゃくちゃにしたら、それはもう歴史ドラマではなくSFでしょう。
「闇鍋」は食べる人を選ぶもの
しかし、同時に思いました。
『どうする家康』の持ち味は、この闇鍋感なのかもしれません。
既に格闘シーンではプロレス技が炸裂していて、こちらも話題にされています。
◆【どうする家康】「家康」松本潤、「今川氏真」溝端淳平との瀬名争いでSTFさく裂「プロレス技じゃん!」の声(→link)
まずは元康と氏真の戦いについて、こちらではSTFという技が注目されています。
物語の中盤では、どちらが瀬名との祝言を挙げるかを巡り、元康と今川義元の嫡男・今川氏真(溝端淳平)が武芸対決。過去の稽古ではへたれだった元康が棍棒を打ち捨てると一瞬の固め技・STFをさく裂させ、“一本勝ち”。元新日本プロレスの蝶野正洋がフィニッシュホールドに使用した足を固めた上でのフェイスロックでの勝利にネット上は「STFさく裂!」、「まさかのプロレス技じゃん。熱い!」、「松潤、(織田信長役の)岡田准一に格闘技、習ったのかな?」などの声で沸騰した。
記事を読んでいると、格闘技を習っている芸能人がバラエティ番組で語っていたかのようで、もはや大河ドラマの話題とは思えません。
しかもプロレス技は一つではありませんでした。
◆「どうする家康」次回予告 これが相撲?岡田信長が顔面に強烈ラリアット!ついにVS松潤元康「マジ怖い」(→link)
信長が元康に稽古をつけるようにバトルをするシーンですね。
次回予告。一般的な相撲のイメージとは異なり、2人は観衆が持つ竹垣(竹柵)に囲われた“土俵”で格闘。むしろプロレスの金網デスマッチのようだ。信長は右かち上げ→右ラリアットと連続して元康の左アゴ付近を強打。元康は幼少期のように“寅”として立ち向かえるのか?
「金網デスマッチ」とか「ラリアット」とか、まるで邪道レスラーとして有名な大仁田厚さんのような……。
これは本当に何の記事なのでしょう。真面目な歴史ファンでしたら怒りが湧いてくるかもしれません。
それともフィクションだからアリ?
武術も歴史の変遷を経て成熟するものであり、時代を超えて技が繰り出されれば、それは本質的にはSFに近いと思います。
仮面をかぶり、薙刀を携えて登場したお市もそうです。
◆<どうする家康>乗馬シーンも登場 北川景子“市”誇り高き引き際に「カッコいい!」の声あふれる(→link)
北川景子さんの登場でお茶の間的には話題となりましたね。
問題は薙刀です。
柴田 勝家(吉原光夫)や木下 藤吉郎(のちの豊臣 秀吉、ムロツヨシ)ら織田勢の家臣たちも本格登場したこの回。久しぶりに信長と相撲稽古をした後、元康は面をつけ薙刀を手にした小柄な武者と槍でやり合うことに。元康が追い詰めたその相手が、市だった。
薙刀が女性の武器として定番になるのは江戸時代以降です。
それを非常に慣れた手付きで、凄まじいスピードで振り回していた。
薙刀自体は存在はしていたので問題はないということですかね?
ちなみに、謎の人物が仮面をかぶって登場するという「お約束」は華流ドラマあるあるです。人気作品『陳情令』でもあります。
-

魏無羨と藍忘機のルーツ|陳情令と魔道祖師は「武侠」で読み解く
続きを見る
実はこのような「ごちゃ混ぜ時代劇」は本作が最初でもなく、主に2000年代から2010年代にも制作されました。
リメイク版『魔界転生』、『SHINOBI』、『GOEMON』、『ICHI』といった作品が代表例でしょう。登場人物は月代を剃らず、服装も無国籍風でよくわからないものもありました。
なぜ、そんなテイストにしたのか?
というと、古臭い時代劇では若者にウケないし、日本文化や歴史を知らない海外の観客も取り込みたいから、あえてそうしていると指摘されたものです。
しかし、その手の映画は大してヒットはしていません。
むしろタランティーノが絶賛した『柳生一族の陰謀』や『魔界転生』は、日本の歴史を知らなければ通じないようなネタをどんどん取り込みながら、圧倒的なパワーで多くの視聴者を魅了しました。
-

歴史ファンも唸る映画『魔界転生』転生モノの元祖でエロイムエッサイムを唱えよ
続きを見る
-

深作欣二『柳生一族の陰謀』はギトギトに濃厚|タランティーノにも影響を与えた
続きを見る
『どうする家康』はどうか。
歴史に対する情念のようなパワーが足りず、なんだか小手先で誤魔化されているような印象を受けます。
原作や原典を侮辱しているようにすら思えてくる。
時代考証がおかしいとの指摘が多い『どうする家康』は、敢えてそうした枠組みを壊しているのかもしれません。
しかし、それは中高生がファミリーレストランのドリンクバーで、複数のジュースを無茶苦茶に混ぜて飲んでいるような感覚ではありませんか? あるいは闇鍋とか。
真面目に作った料理を食べたいと思う者が「お堅い連中だなw」と笑われてしまうような状況にも見えます。
『どうする家康』の主要人物は、言わずもがな家康や信長です。
彼らのような稀代の人物を描くのに、奇妙な城やプロレス技などの、奇をてらった描写は不要でしょう。
真正面から正攻法で戦国の非情さ、武将の凛々しい姿を描いて欲しい。
ただ、そう願うばかりです。
あわせて読みたい関連記事
-

家康に捨てられた瀬名が氏真に「遊女」扱いされるなどあり得るのか?
続きを見る
-

徳川家康の生涯|信長と秀吉の下で歩んだ艱難辛苦の75年を史実で振り返る
続きを見る
-

織田信長の生涯|生誕から本能寺まで戦い続けた49年の史実を振り返る
続きを見る
-

豊臣秀吉62年の生涯をスッキリ解説・年表付き!派手な伝説はドコまで史実?
続きを見る
文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)











