鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第45回「八幡宮の階段」

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鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第45回「八幡宮の階段」
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MVP:実朝と公暁

審判の日――この前回のタイトルは、新たなる神・北条義時の審判を実朝と公暁の二人が受けたということなのでしょう。

今週の八幡宮の階段は、まるで儀式の祭壇のようでした。

そこに二人が置かれ、殺し合う。

何か台本でもあるような、運命に吸い取られていくような。

二人とも美しい。神が選んだ最も美しい生贄のようで、見ているだけでも胸がいっぱいになりました。

無惨なはずが、荘厳で、圧倒されて何がなにやらわからない。

そんな公暁なのに、三浦館で飯を食べているところは普通の若者でした。あぁ、彼から天命が去っていったのだと思えた。

『歴史探偵』に柿澤勇人さんが出ていて、演じた実朝のことを熱心に語っていました。

ともかく実朝が好きで好きでたまらなくて、その情熱がこぼれ落ちるようで圧倒されました。

演じるということを通り越して、役を生きて、それが楽しかったのだと思えて素晴らしかった。

寛一郎さんもインタビューを読むと役に入り込んでいるんだなと。

理解がものすごく深い。演じるというのは天命と通じてしまうのかとまで思えてきます。

源実朝と、公暁が、時を超えてこの二人を選んだみたい。そんな奇跡が見られることに、大河の存在意義はあります。

 

天命が選んだMVP:“厳寒三友”の梅こと北条泰時

サウンドトラックの曲名がヒントになっていると思えるこのドラマ。

「厳寒三友」があります。

松竹梅です。今では酒か、弁当の等級のように思えますが、由来は風流です。

松と竹と梅は、寒い冬でも生きる姿を見せてくれます。そのことが、逆境でも生きる己を励ますようだということで、宋代以降の文人に愛されてきました。

北条にはこの三者がいるように思えます。

松が義時。

竹が政子。

そして梅は泰時。

梅とは花の中でも特別です。

春が来ると真っ先に咲きます。寒い冬から花を咲かせる。そこから時代の先駆者という意味合いがあります。

お札の顔になる津田梅子

彼女の父は男児が欲しかったのに、女児が生まれたので、ほったらかしにされてしまいます。

そして家の盆栽から適当に「梅」と名づけられました。

この名前を梅子は気に入っていた。自分こそは新時代を生きる女性の先駆けだと思っていたから。

津田梅子
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泰時はまさしくそんな梅の象徴に思えます。

御成敗式目を制定し、撫民政治を行なおうとした。時代の先駆者なのです。

義時がドス黒い顔で「北条の思うままの鎌倉にする」というと悪どく聞こえるけれども、このあとに泰時という梅が咲くのだと思えばよいことにすら感じられる。

こう解釈すると、実朝の歌が泰時の未来を守るようにも見えてきた。

多くの善意と愛が流れ込んだ泰時を、天命はこの先選ぶ。

坂口健太郎さんは梅のようだと形容しても納得できます。

梅は姿だけでなく香りもよい。香りとは高潔さの象徴です。この泰時には高潔さがある。素晴らしい。義時がどんなにドス黒くても、泰時は清らかだから大丈夫です。

一方、このドラマの小栗旬さん、山本耕史さん、生田斗真さんはそうではない。

ドクゼリ、ドクウツギ、トリカブトだと思いますね。

義時は松だと書いたけれども、毒があるからそれでもよいかなと。

そうそう、「寒い」と言いながら死んでいった仲章は冬になると枯れる草花ですね。

新時代を担う人材ではありません。残念でした。

 

総評

『麒麟がくる』の最終盤もそうでした。

このゾクゾクするような奇妙さがある回でした。

歩き巫女の言うことは正しい。あの八幡宮のそばにいたものたちは個人差があれど、天命に呑まれています。

巫女はわかっているから警告する。主人の命令と、親の仇討ちが完了していて、空洞であるトウにも入り込んでくる。

素直に受け止めつつある時房。

笑い飛ばしてやりたいけどできない義村。

何も気づいていない朝時。

感受性が強いため、天命の求める盤面を読み取り、興奮が止まらない広元。

確固たる意思があるため、呑まれない泰時。

そして自分こそ天命の代行者だと悟り、逃れられない義時。

義時はむろん話し、行動し、意志を通しているのだけれども、彼自身が考えて発している言葉なのかどうか?

そんな義時ともう一人、水に沈んで放心しているような姿も重なって見えてきます。

伊豆で木簡を数えていた青年の姿です。

この前、放送された『あさイチ』で、小栗旬さんが「八重さえいればこうならなかったかもしれない」と語っていました。

わかります。義時の心には穴が空いている。まずそこを塞がないと何を入れても満たされないのに、それができない。天命がどんどん流れ込んでいっておかしくなっている。

その箱の中で、かつての義時は沈んでしまった。

そんな義時が、己を模した仏像を運慶に依頼するところで、もう頭をぶん殴られたような衝撃がありましたね。

君主というものは、往々にして神に挑むことがあります。

キリスト教圏だと、教皇から破門されると、皇帝だろうと謝らなけばならない状態がありました。

そんな【カノッサの屈辱】は11世紀です。

それが近世へ向かう中、宗教改革に乗っかり、教皇を無視してよい仕組みを考える王が出てくる。

国王が宗教の頂点を兼任する、イングランド国教会です。

フランス革命はカトリックを否定します。

それをナポレオンは復活させたけれども、戴冠式では法皇ではなく自らが冠を被せた。

それをダヴィッドの手により壮麗な絵として残すことで、宗教の権威すら屈服させる皇帝の姿を残しました。

こういう神の敵となることを恐れない権力者としてのふるまいを、意図的に義時にさせていると思えます。

ここまでするか!

朝敵になるということは、日本人の価値観では最低最悪のはずだった。それを義時は軽やかに楽しんでそうしているようだ。

朝敵会津の弁明を聞くのか!と、一部で文句をつけられた『八重の桜』どころの話じゃない。

あのドラマで吉田松陰を演じた小栗旬さんが、狙い澄まして神との戦いに挑む様をこの作品ではやっている。

恐ろしいことです。さすが新選組を大河の主役にして描いた三谷さんはものがちがうと改めて思います。

私が注目している本作関連記事への回答にも思えます。

◆ 『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時、かつて「逆賊」扱いされていたのをご存知ですか?(→link

宋代専門で、儒教思想に詳しく、大河ドラマファンである小島毅先生のこちらの記事に、こうあります。

『鎌倉殿の13人』の義時(小栗旬)は、どんなふうにして後鳥羽上皇と戦うのだろう。

今回の登場人物の性格設定から推察するに、義時自身は(去年の慶喜みたいに)恭順の意向だったのに、そそっかしい三善康信(小林隆)が後鳥羽上皇の命令を誤解して「幕府の者たちは全員死罪らしい」と伝え、それを聞いたせっかちな政子(小池栄子)が義時に無断で御家人衆に即時挙兵をそそのかし、冷静な義時も彼らの暴走を制止できずに戦うことになる、といったところだろうか。

三谷さん、台本がまだだったら、ぜひそうしてください。

これは小島先生が、本気で仰っているとは思えません。

イデオロギーに敏感な小島先生は、2021年の徳川慶喜にむしろ不満があったと推察(そもそもあの儒教解釈があまりに雑なドラマを好きになる理由がないとみた)。

ゆえに、上記の記事で書いていることは、むしろ「こうなったらガッカリだな! こうするなよ!」という意味合いに読めます。

そんな小島先生もニッコリ微笑むような、神との戦いに本作は突入しています。

義時は仏像を己に似せようとした――このことが非常に重要。

神道の頂に立つ天皇に対し、天竺から唐を経由してきた仏教を掲げて立ち向かうのです。

義時は時代の先取りしているといえる。来年の大河主人公である徳川家康は『吾妻鏡』を熱心に読み、己を神として日光東照宮に祀りました。

日本人は無宗教なのではありません。

日本だけでなく中国もあてはまりますが、複数の宗教を同時に信仰できる。

日本は儒教・仏教・神道。

中国は儒教・仏教・道教。

キリスト教は複数の宗教を認めないので、日中両国での布教で色々揉めてきた。そういう構図をプロットにギュッと入れ込んできている。

神道の頂に立つ後鳥羽院を、仏教をかざした武士が倒す。

それこそ日本史だろうが、我々の歴史だろうが、そうして成立した武士に日本人は畏敬の念を感じているから、サッカー代表をサムライと呼ぶのではないか?

そういう思想史まで撃ち抜いてくる、とてつもなく高度な仕上がりを見せてきています。

ここまで見事ですと、三谷さんはじめこのドラマの作り手に、天命が憑依したんじゃないかとすら感じてしまいます。

神がかりな言動は否定したい。そういう気持ちもあるけれども、あまりに見事なものを目にしてしまうと、人智を超えた何かがあると思いたくなってしまう。

そういう境地に本作は到達しています。おそろしいことだ。

 

シェイクスピアに伏線があるのか?

最終回がとてつもない展開だと今から期待の高まる『鎌倉殿の13人』。

のえによる義時毒殺説を採用するか否か、予想合戦が盛り上がっています。

源頼家のモチーフとされる『リチャード二世』。

BBCドラマ『ホロウ・クラウン』タイトルの由来でもあるセリフに、そのヒントがあるかもしれません。見てみましょう。

“For God's sake, let us sit upon the ground
And tell sad stories of the death of kings;
How some have been deposed; some slain in war,
Some haunted by the ghosts they have deposed;
Some poison'd by their wives: some sleeping kill'd;
All murder'd: for within the hollow crown

神よ、ここに座り
王たちが死んだ悲しい話をしよう
彼らはいかにして屠られたか
戦場で殺されたものもいる
殺してきた者の怨霊に取り憑かれたものもいる
妻に毒殺されたものもいる
眠っている間に殺されたものもいる
みな、殺されてしまった、虚ろな王冠をかぶったままで

戦場で殺されたもの→北条宗時

殺してきた者の怨霊に取り憑かれたもの→畠山重忠を滅ぼし、その恨みをかった北条時政

妻に毒殺されたもの→北条義時?

どうにも義時は安らかに亡くなりそうではありません。大河ドラマの歴史を変える挑戦を期待して待ちましょう。

禍々しい鎌倉がなぜ大河の舞台になったのか?シェイクスピアから考察

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時代は変わり、基準も変わる

今回(第45回)放送がワールドカップ日本戦と時間帯がばっちり重なったせいか。

こんな記事が出ていました。

◆三谷幸喜「鎌倉殿の13人」がコスタリカ戦とカブっても動じないワケ(→link

本文の中では、カッコ付きで「関係者が語った」としておりますが、一体関係者とは何をもってして関係者と言うのか。

果たしてどこまで直接話を聞いたのかどうか怪しいものです。

視聴率については私なりの意見を記しておきたいと思います。

【海外では、視聴率ではなく、視聴者数あるいは視聴回数で測っている】

視聴率というのは日本独自の基準、海外では視聴者数で計測します。

ネット配信が普及した現在は、記録も容易なことから、特にその傾向が強く、海外ドラマの宣伝を見ていると「驚異的な視聴回数を記録!」といったコピーがついています。

ではなぜ日本では、未だ古めかしい基準に頼っているのか?

メディアや読者の感覚がアップデートされてないというのが大きな理由の一つ。

もう一つ、視聴者数と視聴回数が公表されていないことも確かですが、例えば大河についてNHK側が把握していないわけがありません。

NHKプラスの視聴者数データは当たり前のように計測されています。

例えばNHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』は、視聴率は低いものの、NHKプラスの視聴回数がかなり高かったため、NHKとしては成功とされているようです。

『鎌倉殿の13人』も、視聴回数は公開されておりませんが、かなり高いとか。

作品が高評価かどうだったかについては、雑誌の広告なり、書店を歩けばわかります。

歴史雑誌が秋以降も特集を組んでいるか。

歴史雑誌以外でも、記事が掲載されているかどうか。

この点で、2021年と2022年の大河ドラマではかなりの差がついています。

ネット記事と異なり、確実に利益が出そうでなければ紙媒体は掲載しません。ゆえにそこから判断できる。

今年は成功でしょう。

孫子』のような兵法書には「軍勢の旗の振り方で相手の状態がわかるよ」と書かれています。

『鎌倉殿の13人』は旗の振り方がいい。乱れがありません。

源仲章
源仲章は義時の代わりに殺された?実朝暗殺に巻き込まれた上級貴族

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※著者の関連noteはこちらから!(→link

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鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー

◆鎌倉殿の13人キャスト

◆鎌倉殿の13人全視聴率

文:武者震之助(note
絵:小久ヒロ

【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト

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