母の言葉を思い出している瀬名。
突然どうしたのか。瀬名はじめ本作の人物は過去を振り返らず、追悼もなく、見ているほうは戸惑います。
せめて瀬名が、彼女の両親だったり、親友・田鶴だったりの位牌に手を合わせる場面があったならまだしも、これまでおしゃべりやイチャつき要員で消費されていたので、一瞬、誰だっけ?となる視聴者もいたのでは。
戦が虚しい――と、ピロピロしたBGMと共に回想がぶちこまれますが、振り返ってみれば、つくづく薄っぺらいドラマでした。
ニタニタした瀬名と千代が顔を見合わせたところで、だから何なのでしょう。
あらすじ:おじさん構文バージョン
やあ、オイラだよ(^^)
平和を、愛する瀬名チャンが、壮大な計画を、立てたンダww ( ◠‿◠ )
瀬名チャンみたいな、人ばかりなら、世界に戦争は、起きないよね( ^ω^ )
『麒麟がくる』の、駒は、ただウゼエエだけだったけどww 瀬名チャンは、マジ天使( ・∇・)
それなのに、勝頼のせいで、台無しに( ´Д`)y━・~~ 男って、ヤダね(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
どうする春節中華街のような武田家
武田が赤い。くどいほど赤い。
インテリアまで赤いのは春節を迎えた中華街のようで意味がわかりません。
武田といえば赤備えの猛者がいる。だから軍装を赤くしよう。
そこまでは理解できますが、インテリアまで差し色に赤を使うという発想は理解できません。
衣装のセンスが相変わらず酷く、千代の鉢巻とか、しょうもないコスプレ感が漂っているではありませんか。
滅敬のしょうもないコスプレ衣装は、林羅山の服装でも参考にしたらもっとマシでしたよね?
徳川家康について調べたら林羅山は出てくるはずなのに、本作はそうではなく、横山光輝の漫画でも参考にしたのでしょう。
どうする座れない人々
今週もLEDウォールが大量投入され、棒読みの五徳が映るわけです。
今週よかったところは、家庭用プラネタリウムみたいな星空がなかった。それだけですね。
このドラマは、誰かがボーッと立ちっぱなしの場面があまりに多い。
男女問わず、ただ突っ立っている姿ばかりです。
和装で座るとなると、所作指導が重要です。
打掛ともなるとますます大変。だからといって、立たせっぱなしとはあまりに情けない話だ。
どうする密談
本作のセキュリティ意識の低さは、結局のところ予算削減のせいではありませんか?
密室セットを組めず、オープンな手抜きとLEDウォールを組み合わせる。
そして大声で話す演出しかしないため、全員がビアホールで騒ぐ意識の低い現代人のように見えます。
そろそろ瀬名と信康が退場するのに、こんなゆるいテンションでは何も伝わってきません。前半で随一の緊迫シーンとなると思っていたのに、どうしてこうなったのか……。
どうする衣装
今週も衣装にダメ出しさせていただきますが……。
『麒麟がくる』にせよ、『鎌倉殿の13人』にせよ、主役の衣装はだんだんと暗くなっていました。
若い頃はそれぞれ明るくのびのびとした若芽のようだった色合いが、どんどんと暗く、濁ってゆく。
それに引き換え今年は相変わらずカワイイブルー!
もう、いっそのこと最終盤で真田幸村に追いかけられている局面でもそうしたらいかがでしょう。
イメージチェンジした信長からすると、変えたところで期待できませんし、そもそも大坂の陣をきっちり描けますかね? まぁ、間をすっ飛ばせば可能か。
どうする平成レトロなシャギーヘア
女大鼠はもう罰ゲームですね。
出番が少ないのに、演じている方のイメージが落ちているという報道すらありました。
「殺すぞ」と花を食べるセンスは、一体何がしたいのか。花を捧げてプロポーズしてきたところを毅然と断ったって?
何度も申し上げますが、一体いつの時代のセンスなのでしょう。
時代考証はさておき、昭和平成前期で止まっていませんか?
女大鼠の髪型も、とてつもなくダサく感じます。
顔のラインを隠すようなシャギースタイルって、綾波レイが典型例でしたね。それを取り入れた『るろうに剣心』の巴もそうでした。
それは一体いつのことですか?
現代の流行にせよ、いっそ韓流ドラマあたりを参考にすればまだマシに思えるかもしれない。
こんな平成レトロを取り入れて、何がしたいのか。制作陣の趣味でしょうか。
念の為に申しておきますと、このドラマは大河ドラマ、つまりは時代劇です。
平成だろうが令和だろうが、本来そんなトレンドをやたらと取り込むものではありません。
どうする武田の人材不足
よりにもよって滅敬が穴山梅雪で、案の定、服部半蔵にバレているってどういうことなのか。
プロットの都合ではありません。
武田二十四将なんて考えるだけでキャパシティオーバーしちゃう、かわりにSTK(忖度)48でも動員しちゃお! ネット盛り上げるぞー!
そんな本作製作者の都合ゆえにそうなっているのでしょう。
そりゃあ、これだけ人材不足なら武田は滅ぶでしょうよ。
本作の武田は、長篠の戦い前から人材が不足し切っていた。こんな弱い武田家は前代未聞です。NHKは、二度と繰り返さないようにお願いします。
どうする忍者対決
忍者対決を見どころと言い張るわりには、一体これは何なのか。
忍道具の使い方がしっくりこない女大鼠。腰を落として歩く姿勢が安定しておらず、苦しそうですね。筋力がついていないのか、危ういのが見え見えです。
それと対峙するのは、実践的でもない飛び道具をドヤ顔で構える千代。
『鎌倉殿の13人』の善児とトウの翌年にこのくだらなさを見せられるのは辛くて仕方ありません。
どうする読書
『伊勢物語』を唐突に出してきた感が否めない。
幼年期に四書五経を読みこなしていた『麒麟がくる』の明智光秀と、知識の差が残酷なほどについております。
それにしても、このドラマは読書の姿勢からしていただけません。
家康が読書する場面は見ていてため息をついてしまいました。
書見台を使わない。現代人が雑誌でも読むように気軽に持ち、膝を立てている。そして片手で茶碗を持って飲む。こぼしたときのことを考えていないとわかります。
もしかして本作は読書そのものが嫌いなのでは?
「読書なんて非リアの陰キャだけがするもんでしょwww」
とか平気で思っていそうです。
いかがでしょう。制作者のみなさん、読書そのものはお好きですか?
なんなら反知性こそかっこいいなんて思っていませんか?
『鎌倉殿の13人』では、政子がりく(牧の方)から大量の書籍を渡されていました。本作の制作者にも渡したくなってきます。
どうするカメラワークや小道具
このドラマはカメラが甘くて、ぶれていたり、切り替えが雑だったり、どうにもやる気が感じられず、うなだれそうになります。
小道具の作りも甘い。ホームセンターで買った材料で頑張って組み立てた感がにじみ出ている。
今年の大河は何か特別なことでも起きているのでしょうか。
どうする発声
暗いことを話すからといって、ボソボソと発声が不明瞭なのもいただけません。
そうかと思えば、ハキハキと滑舌を良くしすぎて、何も深みもない明るさ、甘ったるさを出すのも見ていてキツい。
そんな口調で何を話されても、騙すつもりなのか?と不信感ばかりが募ります。
そしてピロピロBGMがつく。耳に悪いドラマです。
どうする殺生の悩み
「誰も殺したくないから戦をやめたい!」
そういう人はいるけど、それならそれでやることはありますよね。
出家遁世するとか。
殺してしまったあと、仏道を極めるとか、寺に寄進するとか。
そうした葛藤が何もない。だから言葉にリアリティがなくなる。
このあたりは『麒麟がくる』の足利義昭や明智光秀などはいろいろ考えていました。
松平信康は宿題から逃走したい子どものようだし、瀬名は何かにハマった怪しい人にしか思えません。
どうする今川氏真と糸
今川氏真と糸(早川殿)を思い出したように出してくるあたり、本当に腹が立ちます。
彼女が北条の姫って、後出しではありませんか?
思いついたように北条を出されてもなぁ……。
追加キャストでも北条が出るようですが、出して欲しくなかった。
どうする健忘症
それにしてもこのドラマは、基本的なことすら疎かになっています。
冒頭で思い出したように母・巴のことを思い出した瀬名。
それを殺したのは今川氏真でしょう?
夜伽役にするだのなんだの、性暴行を加えようとしたのも氏真。
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家康に捨てられた瀬名が氏真に「遊女」扱いされるなどあり得るのか?
続きを見る
あんな過去があってもすこぶるニコやかに対面できる、その神経が理解し難い。何かその壁を乗り越えられるような展開があったならまだしも、放送日が空いていて、単に脚本家や制作サイドが忘れているようだ。
このドラマって一話完結形式にしているようにも思えるんですよね。
そういうのは民放時代劇『暴れん坊将軍』あたりのフォーマットです。
どうする経済観念
瀬名みたいに、生花とイチャコラ(死語・朝ドラ『らんまん』で使っていました)しかしていなかった愚か者が、急にドヤ顔で経済の話をしても意味がわかりません。
「FXで儲けちゃおっと♩」
なんて言い出しちゃったような痛々しさがある。FXアプリの広告アニメのようで辛い。
書いている側も戦国時代の経済が理解できていないようで、現実社会と向き合っているかどうかすらあやしい。
どうする世を救う妄想
壮大な策とか言い出した瀬名は、カルトにハマった有閑セレブ主婦にしか見えません。
「富士山には神秘のオーラがありまぁす! その鳥居の下をくぐるとパワーが感じられるぅぅぅ……波動を受け取る私こそが、真の母……全人類に平和をもたらす選ばれし女なのです、全世界に生きる人類を救いたぁい!」
「おお、母上こそ世界平和をもたらす真のお方!」
「マザーセナ。マザーセナこそ、皆様にとっての母! 世界を救うこのお方には、そんな名前も相応しいのです!」
そんなノリですね。
思い返せば、一向一揆でもカルトと絡めていてウケていましたね。で、今度はもっとハードコアなネタに向かうわけですか。
瀬名がやたらと花の輪を頭に被っていたのも納得できます。
「マザーセナにこの花輪をプレゼントさせていただきました!」
こう言いたいんですよね。
どうする「戦をするフリ」
とっておきの作戦が
「戦をするフリ」
と言われた瞬間、ズッコケた視聴者も少なくなかったでしょう。
制作サイドも、劇中の徳川家臣団も、そんなことが通用すると本気で考えたのでしょうか?
武装集団は危険です。
「戦うのではなく、武装姿で訴えにいこう! そうすれば願いが叶うはずだ!」
そんな風に脅すつもりで進んでいて、何かの弾みで大惨劇が起こる――というのは歴史的によくあることです。
足利義輝の殺害、禁門の変、そして鳥羽・伏見の戦いですら、歯止めの効かない状況に陥り、大事件へ発展したと指摘されています。
江戸開城のときだって、武装解除をしていないから、上野戦争が起きています。おまけに幕臣が海軍力を頼りに箱館戦争まで粘った。
歴史を振り返れば多くの事例があることは、多くの方がご存知でしょう。
そのくせ、つまみ食い的に新説をかじるのが本作の特徴で、
「森蘭丸でなく、森乱にしました! 新説を取り入れてます!」
「口さがない者は蟹の模様が鬱陶しいと言いましたが、ああいう子ども服は現存します!」
と主張する。
そんなものはアリバイだし、そういう瑣末なところを拾って「歴史通なら理解できるこのドラマ!」とでも主張されたいのでしょうか。
しかもこのドラマは、ある意味、天運と通じているのか、現実とリンクしましたね。
ロシアの内乱を見てください。
今のところ少しは落ち着いたように見えるが、現実はどうなのか、この先どうなってしまうのか。
軍事力を持つ、持たない――そのリスクは古今東西あります。
なのに本作では、まるで子どもが持つおもちゃの兵隊のように扱っている。
一体どこまで幼稚なのか。砂遊びがしたいなら、大河でなくてもよいでしょう。小説投稿サイトに架空戦記でも投稿すれば良いと思います。
老子に「兵は不祥の器」とあります。
武力があるとどうしたって歯止めがきかない。だからといって、乱世で武装解除するわけにもいかない。まず天下を平定し、人心を和らげ、武装解除させる。
そういうプロセスもなく、いきなり妄想じみたことをして解決するわけがありません。
どうする「戦い続けて死にたい」
瀬名が発案した、妄想だらけの空想同盟は、結局、虚な目をした勝頼が全部ぶちまけることにしました。
男性原理を悪い方向に使っていますね。
「男は殴り合ってこそじゃん!」
そういうノリであるなら、本作の責任者が本気で謝罪して欲しい。
ゴニョゴニョ逃げない! そういう正々堂々とした姿を私は切望します。
どうする無責任
武田勝頼が悪いことにしたい――それはわかりましたが、そもそも、こんな無謀で非現実的な策を放置した徳川家康も悪いでしょう。
将たる者は責任を伴います。
家康といい、瀬名といい、キョトンとした顔で「知らなかったんですぅ」「悪気はなかったんだもん」と言い張れば免罪されると考えているようだ。
が、そんなわけないでしょう。
戦国時代のみならず、現代社会だって甘すぎて通じませんよ。お子様じゃないんだから。無知無責任と忖度にまみれた世界観でしか通じません。
このだらけきった幼稚な主人公たちと、本作の制作スタッフの顔が重なってくる。
どんな作品になろうと、誰も責任を取る必要がないから、こんな弛緩しきった状況になっているのでしょう。
どうするイベントがない大河
今回は、ほとんどスタジオ撮影で妄想を述べるばかりで終わりましたね。
本作については見えてきたものがあります。
「十年以内の戦国大河で描いたイベントは、すっ飛ばす」
推察ではあるのですが、作り手は『真田丸』『おんな城主 直虎』『麒麟がくる』は勉強として見たのでしょう。
そして合戦や謀略がつまんねーwww となった。
『麒麟がくる』の漢籍なんてどうでもいい、むしろ嫌い。
漢文なんて授業でいらねーwww と思っていそう。
「そういうジジババと陰キャだけが面白がる場面いらなくね? 俺らがおもしれーと思う話だけでいいじゃんw」
「確かにそうか……それなら予算も圧縮できるかも!」
ということで、金ヶ崎すら「なんやかんや」で済ませた。
そうなると以下のようなイベントもカットの嵐でしょう。
・本能寺の変
・伊賀越え
・天正壬午の乱
・大坂の陣
関ヶ原は、近年やってないからこそ、やる。
こうなると真田昌幸はどうするのか?
なんか悪そうなギラつき顔をしつつ、昼間から女中といちゃついたり、遺体を蹴り飛ばしたりする。
そしてやたらと「戦国の怪物だあ!」と周囲がアタフタ騒ぐ。
そういう“謎の存在”として済ませるのでは?
真田幸村も出てきた瞬間に消えそうです。
そのぶん淀の方の最期をねっとりと描きそうで……このドラマは美女の惨殺が好きですからね。
だとすれば『鎌倉殿の13人』の上総広常が上書きされる心配もないかな。
◆<どうする家康>制作統括・磯智明CP「家康の成長が試される、新たなフェーズに」三方ヶ原の戦いなど第2章に突入(→link)
なんせ上記の記事にもありますように、
「これまで大河で描いたことがない圧倒的なスケール感で描く」
と仰ってましたので。
金ヶ崎の戦い、姉川の合戦、そして三方ヶ原の戦いは、これまで大河で描いたことがない圧倒的なスケール感で家康と信玄の直接対決を描きます。
その後も大賀弥四郎事件、長篠設楽原の戦い、築山事件、武田討伐、本能寺の変、伊賀越えと歴史イベントが目白押し。戦国時代のど真ん中を家康とその家臣たちは駆け抜けていきます。
一体このドラマのどこに圧倒的なスケール感があったのか?
「言うだけならタダ」とばかりに視聴者を煽るだけ煽って、ナレーションで終わったり、CG馬の集団で視聴者をガッカリさせたり。
事前に、壮大な触れ込みを平気で出す作品をもはや信じることなどできないでしょう。
本作は、つくづく少年漫画雑誌のラブコメ枠感覚だと思ってしまいます。
バトル漫画はそういうのが得意な作家に任せて、俺らはパンチラとラッキースケベだけでいいんだよ! うるせー奴らには、もっと別の角度からパンチラを見せてやんよwww
こういう頑健なメンタリティだからこそ、今年の大河となっているのでしょう。
どうするジャンヌ・ダルク
なんでもこの瀬名はジャンヌ・ダルクを意識しているとか。どこに共通点があるのでしょうか。
・ジャンヌは農民、前線に立っている
・ジャンヌはいきなり「武装解除!」とは言わない
・ジャンヌの場合、イギリスが撤退すれば終わる。内戦が悪化している戦国時代の日本とはまるで違う
それでもなぜジャンヌ・ダルクだったのか?
というと単純にミーハーだからでしょう。
『八重の桜』の八重がジャンヌ・ダルクと言われるのはまだ理解できます。
・八重は前線に立っている
・八重はいきなり「武装解除したら終わるべした!」とは言わない
・八重の場合、西軍が撤退すれば終わる
瀬名の場合は、ただの妄想。
ではその妄想はどこから来るのか?考えてみましょう。
どうする「戦争を知らない子どもたち」の成れの果て
本作の戦争・軍事描写は、どうしてこうも薄っぺらいのか?
『麒麟がくる』では、何気ない場面でも、戦争で不自由になった人々が物乞いになっている姿が映っていました。
そういう社会に残る傷が、生々しい戦争の傷跡を映し出すものです。
散々文句を言われていた駒だって、戦災孤児です。
あの駒を“ファンタジー”だのなんだの報道したメディアは一体何だったのか。
ヌクヌクと生きてきた“戦争を知らない子どもたち”の成れの果てが、面倒くさいし見たくないと罵倒したくなる“ウザい存在”だの“ノイズ”だったんですかね。
ドラマとその報道に、どれだけ“戦争を知らない子どもたち”の成れの果てが溢れているか。
昨年の朝ドラ『ちむどんどん』の不評理由について、識者は「本土の視聴者は沖縄戦なんてどうでもいいから」と解説していました。
そんな沖縄人の忘れられない傷よりも、本土住民がキュンキュンしたい恋バナをやれってことでしょう。
どこまで傲慢なのか。こういう軽薄な傲慢さを信じ込んだ手法を信じた大河が、この惨状なのでしょう。
戦争を知らず、苦悩に耳を傾けないと、とてつもなく酷いことが待ち受けています。
◆ちむどんどんは本当に駄作だったのか 識者が考える「炎上の理由」と「作品の意義」(→link)
例えば、自分のことに置き換えて考えてみると、夏休み中の8月に親の実家に帰省して、終戦記念日が近いからと祖父から悲惨な従軍経験の話を聞いて、「大変な時代だったんだな」と戦時中に思いを馳せても、その後、毎日そのことばかり考えて人生を歩んでいくことはなかなか出来ません。
ただ、時々、聞いた話をフッと思い出すようになったり、それをきっかけに戦争について学ぼうと思うようになったりすることはありえます。
だから私は、「ちむどんどん」は何週にもわたって沖縄戦を描く必要はなかったのかなと思います。
こういうことを言いながら駒を叩く。「良識的な人間は、あんなヒジョーシキで人の痛みがわからない連中が出てくるドラマなんて、受け付けない」と来る。
実に辛い……。駒叩きでドヤ顔する風潮は本当に見苦しいものでした。
戦争体験者の体験談を聞く行事で、後ろの方に座ってヘラヘラ笑いながら友達とふざけ、終わったあと「あんなババアの話聞いてらんねえしw」とかイキる青少年っていますよね。
自分が無知で不真面目なことをくだらない武勇伝であるかのように語る連中。
そのくせ「ナチスもよいことをしたんだよなァー、歴史に詳しい俺はわかってるぜーww」とかドヤ顔で言い出し、SNSで研究者などに絡む。
そういうイキリ散らした連中の、幼稚なメンタリティが痛々しいのと同じです。
どうする再評価
『八重の桜』についてもう少し。
あの作品は今、再評価が進んでいます。
長谷川博己さんに小栗旬さんという、ここ十年で大河主演を二人も出した作品となっています。
『麒麟がくる』も再評価が進んでいます。
少しでも褒めると、やたらとすっとんできて駒を罵倒する人はいますが、現実に評価は高い。
こうした良作のみならず、『江 姫たちの戦国』や『花燃ゆ』ですら、再評価されているようです。
『江 姫たちの戦国』には、キラキラした感覚はあったんですよね。それこそ女の子ならば憧れる、綺麗なプリンセスワールドがあった。
『花燃ゆ』の文だって、おにぎり握って、家庭菜園で花を育てて、鹿鳴館でダンスすれば満足。セレブ主婦で満足しているのだから、無害と言えばそう。
それが『どうする家康』の瀬名は、テスラ缶を買っていそうな勘違い系セレブ主婦。
しかも我が子を巻き込んでまで破滅しますからね……。
憧れる要素が何一つとしてない。
どうする大河ドラマというビジネスモデル
大河ドラマは変わった――ならば、その原因はどこにあるのか?
出来の良い年ではなく、今年のような異常事態が赤裸々にした、ある環境について思い当たることがありました。
最近の観光地です。
コロナ明けという反動があるにせよ、最高級の部屋はどんどん価格が釣り上がっていて、庶民からすれば手が届かない。
外国人観光客のインバウンド狙いも大きく影響しているのでしょう。
大河も自然と影響を受けます。
かつて大河ドラマというコンテンツが肥大化してブランド化すると、観光業と結びつきました。
一家揃って大河ゆかりの地を訪れる。だからこそ観光地は熱心に誘致する。
しかし、嗜好も多様化します。
「大河は一年で終わりでしょ。その点、ゲームは長く続いたりする。だから今はむしろそちらを狙っていますよ」
歴史人物ゆかりの観光関係者からそう聞いたことがあります。
アクションゲームやソーシャルゲームとのタイアップの方が効果が上がるという認識があるだけでなく、拡大しつつある。
個人単価の高い外国人観光客狙いとなると、ますます大河の優先順位は下がります。
となると不真面目な作り手はどのへんに目を向けるのか?
これ以上考えるのは、私のなすべきことではありませんけれども……。
ゆかりの地の声を無視しても良い。良識のない作り手がそんな風に考えたら、歴史をネタにした妄想街道まっしぐらになってもおかしくないのでは?
ただし、大河は新しいビジネスモデルは掴んだのかもしれません。
あまりに不親切な作りだと、解説動画に誘導できます。
本作の場合、私のような辛辣意見も多いからこそ、ファンにとっては褒める相手は救世主のように思える。
歴史うんちくを語りたい層。
歴史を知る賢い人に、推しのでているドラマを褒めちぎって欲しい層。
そこに需要と供給の幸せな融合は確かに生まれました。
歴史ネタでマンスプしたい層にも合致したのです。
◆ 高圧的に説教する男性、それって…女性を見下す「マンスプレイニング」とは(→link)
今年は、褒めて、基本的なトリビアを語るだけで、いいねやRTが稼げるから美味しいのかもしれません。
果たして大河はそれでよいのでしょうか。
どうする瀬名
瀬名は一体何なのか?
これが理想だとすれば、何が託されたのか?
それを考えてみたいと思います。
◆論点1:瀬名の描き方はジェンダーを取り入れたのか?
かすかな望みをかけ、平和を望みつづけた瀬名。
その姿は、コロナ対応でも優しく毅然とした対応を取り、事態を収束させた女性リーダーたちを彷彿とさせる。
同じNHKの『大奥』では……(と、別のドラマを結びつける)
有村架純といえば……(と、出演者の別の作品を長々と褒める)
有村であればこそできた斬新な瀬名は、私たちの時代にふさわしいのではないか。
ジェンダーギャップにおいて低迷する日本。
その意識を変えるためにも、瀬名は令和の私たちが必要としたヒロインだった。
自分以外の誰かになりきって褒める記事を書いてみました。
ジェンダーギャップの落ち込みとからめて、
◆日本のジェンダーギャップ指数125位 前年より後退、G7で最下位(→link)
そういう提灯は光るのではありませんか?
あらためて瀬名とフェミニズムの関係を考えてみましょう。
瀬名のような考え方は、「カルチュラル・フェミニズム」であるとも言えます。
カルチュラル・フェミニズム(英語:Cultural feminism、直訳: 文化女性主義)は、男性と女性の個性には根本的な差があり、その差は特別であり祝福すべきものであるという理論である。社会であまり評価されていないとする女性らしさ、女性的な要素を再評価しようという考え方。
このフェミニズム理論は、男女の間には生物学的な差異があるという考えを支持する。たとえば、「女性は男性より親切で優しい」から、女性が世界を支配すれば戦争がなくなるだろう、とか、女性の方が子供の面倒を見るのに向いている、みたいな考え方をするわけである。カルチュラル・フェミニズムは、女性の固有の特性、習慣、経験などを賛美することにより、異性間の関係や文化一般を改善することを目指している。そして、「女のやり方」の方がよい方法であるとか、現在論じられる文化は男性的すぎるので、女性の観点からバランスをとる必要があると信じていることが多い。 Wikipediaより
この巴のセリフなんか、まさにそうでしょう。
「瀬名、強くおなり。我らおなごはな、大切なものを守るために命を懸けるんです。そなたにも守らねばならぬものがあろう。そなたが命を懸けるべき時は、いずれ必ず来る」
女性は本質的に平和主義者だから――そういう決めつけは、批判的な見方も相当されます。
この主張が悪いというよりも、悪用されがち、誤解が広まりやすいことも注意点です。
それが大河とは相性がいいんですよね。
『利家とまつ』の、なんでも解決するまつの味噌汁とか。
松下村塾を救う『花燃ゆ』の文ちゃんおにぎりとか。
まさにそうであり、まとめるとこうなります。
『どうする家康』にジェンダー要素があるとすれば、カルチュラル・フェミニズムのような現在では古く、しばしば問題視される思想を基にしている。
瀬名に敵対する男性に、悪しき男性性を付与しており、問題があり、雑な描写といえる。
◆論点2:瀬名に思想はあるのか?
瀬名はふわっとした感覚的な描写で、思いつきでしかないように思えます。
ヒントを与えた巴にせよ、家康の側室にせよ、思想的な背景がわかりません。
『麒麟がくる』の駒は、自作の薬に「芳仁丸」とつけました。
安価な薬で人を救うことを「仁」と見なしている。そんな駒は、朱子学への理解があるとわかります。
『鎌倉殿の13人』の八重は、孤児を救い、育てていました。
孤児の一人であり、八重が命がけで救った鶴丸は平盛綱となります。彼は泰時にとって欠かせない人物となった。
八重は幼い我が子を殺された辛い経験が、慈悲に直結し、仁政の種は八重によって蒔かれていたのです。
こうした慈愛だけでなく、そこに思想や教え、宗教が加わることで、国の礎たる仁政撫民が育つ。
芽吹いたら、水と栄養が必要であり、そのバトンを受け取ったのが、北条政子でした。
北条政子は、人を救いたい気持ちをどうすればよいのか大江広元に相談します。
すると彼は施餓鬼を提案しました。かくして慈愛だけでなく、そこに仏教思想が組み込まれた政子は、泰時と並んで、民衆に施しをする。
女性の慈愛が確たるものとして伝わっていく描き方とは、こういうものでしょう。
実現したい理想があるなら、思想を身につけ、手続きを踏んで、周りの人から救う。
そういう地に足のついた誰かがあたたかい手をさしのべる様を、私は否定しません。素晴らしいと思う。駒も、八重も、政子も、敬愛に値する立派な女性です。
一方で瀬名はただの妄想。思いつきだから見ていて辛くなる。
◆論点3:瀬名は現代人に近いのか?
現代人といっても、相当狭い範囲だと思います。
Amazon制作のドラマ『ザ・ボーイズ』に、キャプテン・アメリカのパロディであるホームランダーというヒーローが出てきます。
彼は古臭い“普通のアメリカ人”の家庭環境にこだわりがある。
専業主婦の母親がいて、クッキーを作って、子どもたちのことを家で待っている。一戸建てのマイホームにフォードのマイカー。
そういう一時期、マジョリティにとってスタンダードであったに過ぎない像こそ真実だと思っているわけです。
それがいかにアホで迷惑なのか、あの悪趣味なドラマではこってりと描いていきます。
『どうする家康』の制作者が考える理想像も、こういう古く、かつマジョリティ目線しかないものにすぎません。
瀬名は、第二次世界大戦後の短い期間に理想とされた“専業主婦”枠の中を泳ぎ回る女性でしょう。
やたらと裁縫をし、おにぎりを握る。家事育児を完璧にこなし、良妻賢母であることにしか、己の価値を見出せない。
『麒麟がくる』の駒は確固たる医学知識と腕があった。伊呂波太夫には機転、踊りの技術、一座を率いるリーダーシップがあった。帰蝶にはゆるぎない知性と意思があった。
『鎌倉殿の13人』は、政治力を持つ女性たちが何人も登場しました。北条政子、丹後局、藤原兼子など。
そういう家庭の外で発揮できる力があるとわからない。夫と我が子以外にどう振る舞うのかすら、わかっちゃいない。
瀬名が優しいという点にも、私は疑念を覚えます。
親や親友の弔いすらろくにしないし、五徳を人前で平気で貶めるような叱り方をします。夫の前だけ、ぶりっ子しているようにも思えますね。
たまたまいい家に生まれた、親ガチャにあたった。
夫ガチャでも当たって、権力者の妻になった。
夫のおかげで周りはチヤホヤしてくれて、しょうもないことでも褒めてくれる。
愚かだからそうした忖度を信じ込んで、自分はすごいと思い込んでしまう――そんな夢の中にいて、せいぜい刺繍の腕前でも、家庭菜園でも褒められていれば無害です。
しかし、妄想にとりつかれたら、もう見ちゃいられない。
断っておきますと、私は昭和一時期の専業主婦が悪いと言いたいわけではありません。
そういう嘘っぱちの社会構造を真実だと思い込み、押し付けてくる層が腹立たしいのです。
戦国時代のできる妻には、夫を叱り飛ばす強さがあった。
前田利家の妻・まつがその典型例。
吉田松陰の妹は幕末らしい烈女だった。
ただし、一番上と二番目の話であり、三番目は年齢差があって兄とそこまで関わらない。
悪質な大河ドラマはこうした歴史上の人物を薄め、無理に“専業主婦神話”に押し込めてきた。そういうドラマの作り手は、むしろ検証していかねばならない。
『おんな城主 直虎』や『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』ではできていたのに、本当に今年はどうしたのでしょう……。
瀬名はwokeでスピリチュアル
先週のタイトル
「瀬名、覚醒」
からして決定的に危険だったと後に気づきました。
“woke”(ウォーク)というスラングがあります。
「覚醒した」という意味です。
何か陰謀論やスピリチュアル、カルトにハマった人が、「私は目覚めたからあなた方とはちがうの!」と謎のマウントをとってくるような現象を、揶揄して言うわけですね。
瀬名はまさしくwokeでスピリチュアル。
地に足のついていない妄想を滔々と語る様は、ゾッとしてしまいました。
私の身近にもいました。
友達だと思っていたら、いきなり“目覚め”、朝から晩まで、自分こそが世界が知らない真実を知ってしまった系のことを語っている人。
全くもって別人に思えてしまい、陰謀論に友を盗まれてしまった気分です。
そんなイヤ~なリアリティをもってヒロインを“覚醒”させないでくれ、と泣きたいほどです。
これも先ほどさんざん書いてきた“専業主婦信仰“が関係していると思えます。
日本の女性には、家庭に押し込められ、孤独な環境で夫と我が子に向き合い、達成感を味わえなかった人もいるわけでして。
でも、私でもできる、世界を変えられる!――そんな妄想に取り憑かれて、この世界をまるごとリセットする幻想に巻き込まれていく女性はいたわけです。
瀬名って、そういう女性と重なってしまって辛いものがあります。
これを理想のヒロインだと思って描いているのであれば、作り手に相当のマザーコンプレックスがあるのではないでしょうか。
目を覚ましてほしい。こんなヒロイン像は、むしろ若い層を遠ざけますよ。
羊頭狗肉
羊頭を掲げて狗肉を売る。『無門関』
今年の大河は「羊の頭を置きながら、犬の肉を売る」そんな商法に見えてしまいます。
制作者は「かつてないスケールで合戦を描く」と堂々と宣言していた。
それがあの結果です。
同じく「脚本家は周りが驚くほど資料を読み込んでいる」とも言う。
どうしてそれを素直に信じられましょう?
最も嘆かわしいのは、こうした触れ込みです。
◆ 大河ドラマ『どうする家康』が若者世代を繋ぎ止める?ドラマ評論家・木俣冬が教えるNHKの仕掛け「二次創作化の世界に入ってきている」(→link)
出来の悪い部分を「今の若者はこういうのが好きだから」と誘導している。
しかしデータを見ると、若年層の視聴者は昨年から半減しています。
勝手に若者のせいにされるなんて、あまりに酷い話。
それでもこういう提灯記事を光らせれば誤魔化せると制作陣は判断されているのでしょうか。
『どうする家康』のこうしたやらかしは、「なろう小説」に通じるものがあります。
イマドキの若い世代に人気とされておりますが、実際には中年向き。正確に言えば、10年以上前に若者だった層が、まだ読み続けているというところでしょう。
それでもTwitterは中年が一番分厚いメディアですので、そこだけ見ていたら「ウケている」と錯覚してしまいます。
『どうする家康』も、そういう錯覚を利用していると思います。
Twitterの好評意見ばかりを拾って「号泣」「悲痛」といれた見出しのネットニュースでも作れば、それを信じる層は一定数いるのでしょう。
しかし、そういう狡猾な誘導がいつまで通じるか。
◆ジャニーズの性加害問題を生んだ「権力構造」を多くの日本企業は抱えている(→link)
本当に視聴者が望んでいるものではなく、権力構造が正解とするものを供給している――そういうメディアのスタンスは見抜かれつつある。
以下の記事では、
◆《ジャニー喜多川氏の性加害》TBS「報道特集」“総ざんげ”のキャスターに唯一欠けていた視点とは(→link)
はっきりと若い世代の不満の声があげられています。
筆者が日頃大学で教えている20歳前後の若者たちはなかなか辛辣だ。テレビや新聞という既存メディアへの不信が強まったという声は多い。
テレビ不信の声を以下にまとめてみた。
・テレビには元々期待していないし、ふだん見ることも少ないが、ジャニーズ問題での対応を見てもキャスターもタレントも言い訳ばかりでもうたくさん。
・加害者が死亡した過去の出来事なのに、真実究明にこれほど時間がかかっていることに驚く。メディアにおいても日本というシステムの劣化が欧米以上に深刻ではないか。
・“性加害”にいっさい触れず、何事もなかったかのようにジャニーズのタレントが明るく振る舞い続けている番組も多い。そうしたテレビ全体の姿勢に吐き気がする。
・報道で権力をチェックするというタテマエを言いながら、テレビは大きな権力に屈して押し黙る構図だ。ジャニーズという自分たちにとっても関心が強い問題で、テレビというメディアがダメな現状がつくづく見えてがっかりした。
将来はメディアで働くことを夢見ていた若者たちほど一様に失望している。
ジャニーズがいくら悪いと盛り上がったところで、公共放送たるNHKがジャニーズ主演と副主演の大河を堂々と放映する。
それだけでなく、わざとらしいほど擁護する提灯記事が出る。
こんなことを続けていたら、もう大河の未来なんてないかもしれない。
「あんなもの信じられるか」と、一蹴されてしまうのではないでしょうか。なんせ今は海外ドラマが気軽にいくらでも見られます。
半世紀も超えて築き上げた信頼性を投げ捨てでも、自分たちさえよければいい――こんな作り手がいくら平和だのなんだの解いたところで、wokeな戯言にしか聞こえないのも当然のことでしょう。
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文:武者震之助(note)
【参考】
どうする家康/公式サイト






