ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第20回

ドラマ10大奥感想あらすじ

ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第20回 和宮の思いは家茂ありてこそ

2023/12/08

徳川家茂が孝明天皇に、粘り強く「大攘夷」を説いています。

開国し、貿易し、異国の技術を習得し、己の手で作れるようにする――こうした考え方を「大攘夷」と呼びます。

阿部正弘が主張していたことでもあり、これこそが幕府の方針でした。

 


「大攘夷」と「小攘夷」

幕府は協力相手としてフランスを選びます。

ロシアやイギリスは危険。南北戦争で落ち着かないアメリカは厳しい。オランダは、付き合いが長くても小国である。

ではフランスは?

ライバルであるイギリスと外交で争っていて、日本を味方につけたい。国内の蚕が伝染病のため絶滅寸前であり、これをどうにかしたいという思いもありました。

一方、幕府には、蝦夷地に左遷されていた栗本鋤雲という切れ物の幕臣がおりました。

メルメ・カションという宣教師と親しく、互いに交流を深めていて、こうした関係もあったことから、日仏は接近してゆきます。

幕閣はフランスに尋ねました。

「我が国は武器を買うべきか? それとも作れるようにすべきだろうか?」

「作れるようにするべきです!」

返ってきたのは明確な方針。こうしてフランスの助力のもと、工学系の才能においては幕閣随一、いや、当時の日本最高といえる頭脳の小栗忠順がテキパキと横須賀製鉄所はじめ様々な施設を作り上げるのです。

こうした前向きな動きに対して厄介だったのが「小攘夷」です。

劇中でも孝明天皇が「開国とは異国の言いなりではないか?」と家茂に質問を投げかけていました。

この発想がまさしく小攘夷といえる。

異人は殺す! 異人のことを真似する奴も殺す!

極めて排外主義的なレイシズム、ヘイトスピーチです。

「小攘夷」は百害あって一利なし。冷静に考えれば誰だってわかりそうなものなのですが、直情的で短絡的な人気取りにはピタリはまってしまう。

実際に徳川斉昭が「異人を斬る!」と騒ぎ立てると、志士たちは声援を送り、我も続けと考えていました。

幕末の訪日外国人はサムライに戦慄|銃でも勝てない日本刀と意味不明な切腹

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孝明天皇 考えを変える

孝明天皇もその愚に気づいたのでしょう。

「小攘夷」から「大攘夷」へ、一気に発想が進展。それも家茂の誠意あってこそだと、笑顔から伝わってきます。

孝明天皇の真意とは、実のところ大変わかりにくい。というよりも、いまだに真意が隠蔽されます。

劇中で描かれたほど、攘夷の考えを改めることができていたのか、なかなか判断がつきません。

本作はかなり厳密に考証をしておりますし、かつ、家茂が信頼されていたことは確か。ですので、この描き方は革新的で素晴らしいと思えます。

御簾の奥から出てきて、人間としての意思を持った孝明天皇。

髪を切り落とし、上洛した家茂の誠意が天皇をも動かしたのです。

さらに家茂は澄み切った目で、慈悲深き天皇にもうひとつお願いがあると頼み込みます。

それは親子様――女の身でありながら断髪し、京都から江戸まできた偽和宮のことでした。

それにしても志田彩良さんの家茂は透き通っていますね。

原作では可愛らしさが強い家茂。ドラマ版では聡明さと意志の強さも出ていて、これ以上はないと思うほどの適役です。

江戸にいる和宮は悩んでいました。

母・観行院は京都に残した本物の和宮を思うあまり、娘の贈った金魚鉢を割ってしまうほど錯乱している。

金魚はなんとか助かったものの、観行院は一人でも帰ると暴れるほどです。

なんでも和宮が夢枕に立ち、死にかけていると訴えたとかで……親子がなだめようとしても一切聞かず、それどころか「母子の仲を引き裂こうとしている!」と怒り出すではありませんか。

弟の和宮と入れ替わった偽和宮の親子は、そもそも母を独占するための大奥入りであった。それがわかっている彼女は、母に対して何も言えません。

すっかり錯乱した観行院は、猫を抱いた天璋院にまで京都に戻りたいと訴えます。

偽和宮としてはやむを得ず、真相を天璋院に打ち明けるしかありません。

中澤はもう観行院は京都に帰るしかないのではないか、と切り出します。確かにあんなに叫んだら秘密が暴露されますもんね。

すると偽和宮は、もう一つやり方があると切り出します。

 

素晴らしき、船に乗る公方様

家茂は勝海舟に「帝を説得できた」と報告しています。

「あっははははは!」と笑い飛ばし、膝をパチンと叩く勝がいいですね。江戸っ子らしい。

公方様を前に笑っていると気づいた勝が詫びると、家茂は恭しく一礼しこうきました。

「勝先生にお褒め頂き光栄です」

こんな素晴らしい公方様にそう言われて、勝は調子に乗ったことを詫びつつ、嬉しくてたまらない顔になっています。

もう理屈じゃねえ!

勝は家茂のことを話すだけで目が潤んでしまったほど大好きですから、そうなるのもわかる。説得力がありますね。

家茂が外に目をやると、船が見えました。

江戸まで3日か?と尋ねる家茂。

勝はあの船は異国からの輸入品だけれども、そのうちすぐに作れるようになると自慢げに話しています。

確かに幕府海軍の強化ぶりは驚異的であり、「作れる」というのもあながち嘘ではありません。

戦国から江戸時代への移り変わりで、かつて猛威を振るった大型船は製造および所有が禁じられていました。

大型船舶である「御座船」は公方様だけの特権。

そうした造船停滞期を経て、日本の造船が再び動こうとしている。

徳川家の御座船

徳川家の御座船/wikipediaより引用

そもそも上洛は陸路で行うもので、それを家茂は臆せず船に乗り込むのだから、海軍に力を入れてきた勝としては感無量でしょう。

まぁ、造船については、勝の功績というより、小栗忠順あたりの知性あってのような気もしますね。

大奥主体の本作ではクローズアップされませんが、その外ではフル回転で幕閣が国作りを進めていました。

ちなみに勝海舟は船酔い体質で、咸臨丸で渡米した際はろくに表に出てきませんでした。

同乗していた福沢諭吉は、何もしないくせに偉そうな勝をこれ以来嫌いになり、明治以降もしつこいアンチ活動を続けています。

そんな幕臣バトルはさておき、この家茂と勝の姿は目に焼き付けておきたい。

幕府にもこんな素晴らしい瞬間があった。

そしてその希望は、彼らだけのものでもありません。

『将軍天保山入港』という絵があります。

家茂二度目の上洛時、翔鶴丸で天保山沖に入港した様子が描かれたもので、非常に威風堂々と威厳に満ちた一枚。

文化遺産オンラインからご覧になれますが(→link)、その様子を彷彿とさせてくれる本作の素晴らしさよ。

そして、強い海軍を作るように、と家茂から言われ「はい!」と答える勝海舟の嬉しそうな姿よ。ぜひこのシーンを覚えておいて欲しい。

 


御宸翰を得ていた家茂

家茂が江戸に戻ると、帝とのことを聞かされた和宮も安心しています。

「あの装束がよかったようだ」と喜ぶ二人。装束には力があると和宮が言います。彼女の助言だったんですね。

すると家茂が、和宮も江戸風の装いをしてみないかと提案します。

そんなことしてどうするのか?と訝しむ和宮に対し、微笑む家茂。

和宮が江戸風のかいどりを着て、家茂が袿を着る。こっそりと着て、かもじをつけ、お茶を飲むと家茂が言えば、甘いものをぎょうさん食べると続ける和宮。

なんとも楽しげに微笑む二人です。

しかし和宮は寂しそうな表情を浮かべ、京へ戻ることを考えていると告げます。

本物の和宮に会いたい母のことを思えば仕方ない。この際自分が戻って、本物の和宮に来てもらうのはどうか。そうすれば母の気うつも治る。家茂も子作りができ、公武合体を天下に訴えられる――。

そう語る和宮に、家茂は書状をかざします。そして珍しく強く言い切る。

「いいから開けなさい!」

江戸にいる和宮は私の妹宮――。

孝明天皇直筆の書であり、和宮も「御宸翰(ごしんかん)やないの!」と驚いています。

木箱に入れず裸で持ち歩くことに慌てている様子から、いかに重大なものかわかるでしょう。

それにしても素晴らしい出来ではありませんか。

孝明天皇には御宸翰が実在します。松平容保が秘蔵していたもので、本物は滅多に公開されない貴重なものです。

それを参考にしながら、筆跡を近づけたのだと想像できますが、実際、ドラマで用意するとなると相当な重圧だったことでしょう。本作の小道具班は本当に素晴らしい!

家茂は、和宮と一緒にいたいからこそ、天皇からいただいてきました。

それなのに、そんな気持ちをわかってくれないのか……と、初めて家茂が怒りを見せています。

和宮も動揺しながら「考えてこそのことだ」と答えるのですが、家茂は宮様こそが光と申し上げたとさらに畳み掛けます。

私ではどうやってもほんまの夫婦にはなれないと目を逸らす和宮。

確かに家茂は公武合体の証となる子を生まなければならい。それでも子などどうにかするという家茂に対し、まだ迷う和宮。

「どうにかします!」

ついにきっぱりと言い切る家茂。それで後悔しないのか和宮が念押しすると、微笑みで答える。和宮の目も潤んでゆく。

家茂は、観行院が京へ戻る手筈を整えました。病を得たことにしていったん家茂の生家に下がり、そこから一人の公家の女人として京へ戻るようするとのこと。

江戸時代は「入り鉄砲に出女」ということで、女の移動には制限がかけられました。それを考え、上手に計らいましたね。

しかも、新たに親子(ちかこ)となった和宮に礼を言うようにと告げ、別れる日まで母と子として愛しんで欲しいと伝えるのでした。

こうしてようやく本物の母と娘として語り合えるようになった二人。

親子は、母が弟を愛していることを理解していると告げます。それに対し観行院は謝るだけ。

「うそでも親子さんのこともかわいいとは、言うてくれはらへんかったわ」

そう聞かされて悲しむ家茂。「大事ない」とそっけなく返す親子(ちかこ)からは、強がりのような、母ではなく家茂がいればいいというような、入り混じった感情が浮かんできます。

すると猫を抱きつつ天璋院がやってきて、大奥は不思議なところだとしみじみ語る。

血のつながりが誰一人としていないのに、何の縁か、肩を寄せあい、一つ屋根の下に暮らしている。

猫まで含めて居心地のよい不思議な場所です。サト姫を天璋院から受け取り、かわいがる親子。それを見て家茂も微笑んでいます。

そこへ瀧山から「人がきた」と告げられます。

観行院が減った分の増員、家茂乳母の娘である志摩でした。男装し、京都風の装束を身につけ、能登として仕えることに。

親子は「土御門一人でええ」と言うものの、新たに雇い入れるには意味もありました。

嫁ぎ先で子ができず追い出された彼女にとって、大奥は大事な就職先でもあったのです。

大奥は将軍の愛をめぐるバチバチバトルの場所だけでなく、女性のキャリア形成の場でもありました。

きっと家茂は、親子だけでなく、志摩のことも気遣って連れてきたのでしょう。親子もこれを承知します。

 

自分が賢いと思っているものが一番のバカだ

そのころ京都では、三条実美が孝明天皇に決断を迫っていました。

公家たちが「小攘夷」を求めて突き上げてきたのです。背後には長州藩士はじめとする「志士」も蠢いています。

しかし「大攘夷」に目覚めた孝明天皇は気が重い。

もはや辟易として、島津久光に相談を持ちかけました。

孝明天皇の叡慮を察した久光は早速動きます。攘夷派公家と長州藩士を都から追い落としたのです(【八月十八日の政変】)。

すると慶喜がニタニタした得意顔で出てきました。

「結句、京に残ったのは徳川の唱える公武合体に納得する大名ばかりとなりまして。まぁバカどもは時の流れにのまれていなくなったというわけですな」

出てくるだけで視聴者を苛立たせ、カーッと頭に血が上る、この不快さ! 大東駿介さんの憎たらしい表情が適役すぎるぞ!

慶喜は【参預会議】で政治を動かすことになったと告げています。

合議制であり、近代的で優れた政治制度と言えます。この体制では世襲の大名や公卿により回すことにしておりますが、ゆくゆくは実力なり、選挙で代表者を選べばよい。

それでこそ阿部正弘の夢に近づき、家茂も喜んでいます。

かくして慶喜が参預会議に入り、かつ上洛することとなりました。しかも家茂にもう一度上洛するように告げます。なんでも孝明天皇の望みだとか。

「上様はおかわいらしうて、私もやりやすうございます」

またもやニタニタと笑う慶喜の不快感が凄まじい。もう、生きてそこにいるだけでマウンティングしてきよる、コイツは。

温厚な家茂も不快だったのでしょう。その流れを聞いた親子はピシッと言います。

「腹立つことしか言わんのか、その慶喜いうんは!」

家茂が孝明天皇を説得したからこそ政局が動いた。孝明天皇が家茂を求めるのは、慶喜を信頼していないから。それがわからんのか、アホなのか、と親子がズバリ言い切ります。

これぞまさしく、慶喜という男の卑劣さが詰まった素晴らしい台詞ですね。

慶喜は好意を盗みます。

孝明天皇が家茂に寄せる心をかすめとり、自分こそ信頼されていると吹聴する。

ファンは推しのアイドルを慕っているというのに、横からプロデューサーが出てきて「どうもどうも、私が彼女を育てましたよ」と目立つような話です。

経緯はどうあれ、こうして孝明天皇の前に集い、開かれた国に向かって進んでいけると家茂は言います。

しかし、ここで気づきませんか。

それは明治維新が成し遂げたことだと、学校の授業で習ってきませんでしたか?

天皇を国の頂点とする合議制と開国――実は江戸幕府の時点でそこを目指していたことが示されています。

親子は、それでは徳川が他の大名と横並びになると疑念を呈しますが、家茂は内戦だけは回避せねばならないと言い切る。

 

慶喜、盛大なオウンゴール

親子は、家茂とのやりとりを天璋院に話しています。

実は家定の生前も同じことを語っていた。徳川がこの世の初めから国を治めていたわけではない。その時々にふさわしい者が治めればよい。

天璋院がそう答えると、慶喜はそれでええんかと親子が気にしています。

帝の血筋が入っていることを誇りに思っているような男――これは史実でもそうで、幼い頃からその血筋を使ったマウンティングを繰り返していました。

そんなマウンティング男が横並びなんて耐えられるのか?

と、親子の懸念は的中します。

京都の参預会議であった酒席で慶喜は泥酔し、島津久光にこう吐き捨てたのです。

「おぬしのような無能と将軍後見職である私を同じにするな!」

ここで怒りに震える久光が理想通りだ。威厳と鋭さを備えた顔立ちが実に素晴らしい。

「分からぬか? 己のことを賢いと思うておるバカ者ほど始末に追えぬバカはおらぬ!」

まるで慶喜自身に吐いた自己批判のようにも思えますが、そんなつもりは毛頭ないでしょうね。

慶喜はさらにこう煽ります。

「何をしておる? バカは参預会議より出て行け」

ここまで言われて、さすがの久光も激怒します。

彼は薩摩隼人らしい藩士たちより忍耐強い。しかし怒るときは怒ります。

この慶喜の暴言は、幕末最大のオウンゴール――その瞬間が迫力ある映像で見られて最高です。周囲が慌てている様子も実にいい。

本当にこのときの慶喜は下劣の極みでした。

そもそも慶喜の失脚を救って世に出したのは久光ですが、慶喜からすればそれも鬱陶しかったのでしょう。恩着せがましいとでも思ったのかもしれません。

ここには慶喜に望みをかけていた松平春嶽も同席しています。春嶽は、慶喜の卑劣さに散々振り回され、担ぎ上げてしまったことを後悔したと語り残しています。

家茂の人間性は、接した人はだいたいが褒める。

慶喜の人間性は、接した人はだいたいが苦い顔になって振り返る。

さらにドラマでは描ききれなかったことを付け足しますと……。

久光たちは孝明天皇の意を汲みつつ、開国を進めようとしていました。

しかし、慶喜はそういう大事なことを決めるうえで、自分抜きにされるのが気に食わない。そこで酒の席でわざと久光を貶し、スッキリしたのだとか。

大河ドラマ『青天を衝け』では、この場面の後あろうことか「快なり!」と慶喜に笑顔で喜ばせていました。

盛大なオウンゴールだし、周囲に迷惑をかけまくっているのに、ああも喜ぶとはどういうことか。そういう証言があるにせよ、もうちょっと描き方はあるでしょう。

家茂も腹に据えかねたのでしょう。

なぜ開国を止めるのかと慶喜に詰め寄っています。開国を進めてきたは徳川なのに何事かと。

慶喜はいやらしい口調で言い訳します。

そもそもこの会議を作るように上申したのが薩摩だとわかった。徳川としてあり得ない、と。

確かにこれは薩摩の狙い通りです。斉彬時代からそうでした。

薩摩は斉昭・慶喜父子を尊敬していたのではなく、あくまで島津も加わる合議制を実現したかったのです。

「薩摩の芋の下に徳川が列するなど! ならば攘夷に転じると申し上げたまで」

差別をむき出しにして語る慶喜。

これも日本史では重要でしょう。五穀という呼び方の通り、米以外でも穀物はあります。伝来して以降、芋だって大事な食料です。

しかし米が最上位にされ、そうでないものを主食とするものを貶める。

薩摩は、気候や火山灰の影響もあって芋を食べている。それだけでこの言い様です。慶喜はそんなくだらないことでぶち壊しにした。どこまで卑劣なのでしょうか。

「まことに左様につまらぬことで!」

「つまらぬ? は……今はどの藩も隙あらば徳川を出し抜こうとしておるのですぞ!」

「ほかの大名らの力を借りねば、今の徳川に天下を束ねる力はない!」

「だからこそ、徳川の地位を守ろうとしておるのではないですか! さようなこともお分かりになられぬとは……驚きにございます」

そう慇懃無礼な態度を見せ、頭を下げる慶喜。所作は丁寧なのに、小馬鹿にしきっている顔が見ていて苛立つ~!

家茂を見ていると心が晴れる。

慶喜を見ていると苛立ちで体が熱くなる。

これぞ幕臣の気分を追体験しているということかもしれません。

家茂が阿部正弘の夢見た世界へと進もうとしているのに、マウンティング大好き男・慶喜がそれを台無しにしてしまう。

家茂の掲げた理想は、明治以降の雛形となるものです。

これも明治維新を理解するうえで重要なこと。新政府は新しいことをしたようで、実はそうではない。幕府が進みかけていた方向へ舵を切っただけのことです。

イデオロギーとしては、どちらもそこまで対立していません。

尊王思想は全国的に広まっていたし、開国しかないという方向で結局は一致していた。

ではなぜ対立したのか?

一言で表すなら“マウンティング”でしょう。誰が政治を主導するか。ここをめぐって争った。

慶喜はそこで上に立ちたいだけで国づくりを引っ掻きまわし、足を引っ張り、都合が悪くなったら逃げ出した。

日本史上、最低のリーダー候補でしょう。それを再現するこの作品は素晴らしい。

孝明天皇は家茂に伝えます。

誰のおかげで将軍後見職になれたのか、忘れていないか。久光はそう怒り心頭であったと。

家茂も、薩摩からすればそうなると納得しています。

「家茂、慶喜はあかん。あれは人のついてこぬ男や」

孝明天皇がはっきりと懸念を口にします。

 

病に蝕まれる家茂

家茂が江戸に戻ると、親子が思わぬことを言い出します。

家茂に側室を持たせ、親子との子ということにする。

家茂が困惑していると、親子は次の上様はあの「すかんタコ」でええと思っているのかと言い出します。

孝明天皇に続き、その妹まで慶喜にダメ出しをしてきました。天璋院も瀧山も、上様がいいなら考えてみてもよいのではと言ったとのこと。

家茂は親子の心遣いに感謝しつつ、「この一年、月のものがない」と告げます。だから側室を持ったところで子は望めぬ……。

もはや子供のことより体調のほうが懸念事項。休めば元に戻ると家茂は言い、他の者には告げぬよう口止めします。

「それより私たちの子は養子ではいかがですか?」

こうして板倉勝静経由で、田安家から養子を迎えることになりました。

田安亀之助です。

公武合体がなったとは言い難いものの、慶喜への牽制にはなる。そう天璋院と瀧山は語り合っています。

家茂は縁側で菓子を食べつつ、孝明天皇の言葉を思い出しています。

「慶喜はあかん、あれは人のついてこぬ男や。ひょっとしたら慶喜こそが戦の火種となるやもしれん! 参預会議に出とった大名たちは皆力のある者たちや。このままやったらそのもんだちが一斉に徳川に矛先を向けるいうことも考えられるんと違うか?」

そこへ親子が来て、散歩に誘います。

家定も散歩で元気になった。きっと天璋院からそう聞いたのでしょう。

親子が家茂の履き物を差し出します。

史実でもこの履き物の話が残されています。実はかなり驚異的なことで、愛情の深さが表れている。そのためわざわざ記録されたのでしょう。

お礼を言いながら家茂が庭に踏み出そうとします。

と、その瞬間、力が抜けたように倒れてしまう。

脚気でした。別名「江戸患い」です。雑穀を食べるとよくなるとか。

現代人ならばビタミン不足とわかりますが、この脚気論争の決着まで長い歳月がかかったものです。軍医の森鴎外が、脚気の対策に失敗した話は有名ですね。

ならば白米以外を食べたらどうかと仲野が提案すると、瀧山が上様の食事にはいろいろ決まりがあると浮かない顔。

天璋院は豚肉を提案します。

薩摩では「歩く野菜」と呼ばれて昔から食べられ、幕末の薩摩藩士は他藩の人々より体格がよいとされます。脚気にかかる者もいないとか。

しきたりを気にする瀧山の懸念を「んなこと言うてる場合か!」と親子が押し切り、食事改革が始まりました。

家茂がきちんと豚を食べるか確認する親子。

幕末は、豚肉の効用に気づいた時代でもあります。

医者も導入を勧めたため、新選組屯所でも豚が飼育されていました。新選組屯所は何度か移転していますが、物騒というより、豚の飼育を嫌がられたこともあったとか。

そして忘れちゃならねえ「豚一」よ。

慶喜のことですね。彼も豚肉が好きでよく食べていて、ついたあだ名が「豚一」。豚を食う一橋家当主という意味で悪意が込められていますね。

「二心殿」という、身も蓋もないあだ名もあります。裏表野郎ということです。

 

行かんといて! ここにいてて!

江戸での家茂の平和な日々は長く続きません。

板倉が申し訳なさそうに、またもや上洛を訴えてきます。なんでも「豚一」慶喜が帝に約束したとか。

謝る家茂にそうしなくてよいと言う家茂。板倉は「良い知らせ」として、養子の件がまとまったことも告げてきました。

こうして迎えられたのが田安亀之助、のちの徳川家達です。

家茂が母、親子は父になります。

閨で親子は、えらいことをしてしもうた気がすると語っている。

親と子がどう振る舞えばよいかわからないとか。座敷牢に閉じ込められてきた彼女は、子供とどう接したら良いからわからないのです。

「簡単ですわ。宮様がして欲しかったことをして差し上げればよろしいのかと」

親子が納得すると、やっと出立できると言う家茂。それを聞いて親子が驚いています。長州征伐に向かわねばなりません。

第一次があっさりと終わり、再燃したのです。

孝明天皇はなんとしても長州を倒そうと考えていました。長州藩士のせいで【禁門の変】が起き、都が焼け、御所まで戦火が迫った。

世話役として能登を連れてゆきたいという家茂に対し、許さない、絶対に行くなと強く止める和宮。

「行かんといて! お願い、頼むし、ここにいてて、な!」

そう訴えますが、家茂は土産も買ってくるという。親子はそれでも絶対に行かんといてと止めるのです。

家茂の決意は変わりません。

最愛の人に別れを告げ、上洛するのでした。

一人江戸に残された親子は、増上寺の仏を借り、御百度参りをしています。そして、いいことを思いついたと瀧山を呼びます。

家茂が懐妊したことにするとのこと。ならば家茂は帰ってくるしかない。

仰天の策を告げられた瀧山が、嘘偽りを言えないと戸惑うと、この策には続きがありました。

表向きは家茂が懐妊したことにして、実際は親子が本当に妊娠するというのです。

それでは正体が隠しきれないと瀧山が困惑すると、座敷牢で育ってきたと女やで、と平然としている。十月十日ぐらい意気を潜めて暮らすなどわけないとのことです。

中奥で出産のしきたりがあると瀧山が言っても、親子はここで産むと平然としている。

女の婿をもらっておいて今更しきたりも何もないとのこと。

そして最後に、家茂は、ここ一年、月のものがなくなっていると打ち明けてしまいます。到底長旅ができるような体ではないのです。

 

この国の行く末を、どうか

そのころ家茂は、御所で孝明天皇の御前におりました。

なんでも兵が集まらないとのことで、孝明天皇が心配しています。家茂は詔勅をいただきながらこの不始末と詫びるしかない。

これも慶喜が悪い。

薩摩がろくに動かぬ一因として、久光が激怒したことがあげられます。

それまでも薩摩藩には尊皇攘夷を掲げるものたちはいました。しかし、久光が制御に成功していた。

その久光が怒り、失望し、もう倒幕へ向かっても良いとなってしまった。孝明天皇の懸念は当たっていたのです。そんな薩摩に長州征伐を命じたところでどうにもなりません。

さらには薩摩と接近していたイギリスが、幕府に向かって長州征伐の際には海上航行をせぬよう求めてきます。

これでどうやって勝てというのか?

幕府軍が強い弱い以前の問題です。手足を縛られながら走れと言われたようなもの。

手足を結束バンドで縛ったのが、すかんタコの慶喜です。

家茂はそんな絶望的な状況に耐えきれず、ついに病臥してしまいます。

そこへ勝海舟が慌ててやってきました。廊下を走る所作が素晴らしい。軽やかで和装ならではの足捌きです。

勝は、薩摩の動きを問いかける家茂に、薩摩は来ぬという見通しを伝えます。ここでの勝の焦りよ。

「何故?」

「薩摩は裏で長州と結んだという噂があります」

薩摩と長州は結びつきつつある。そのために手筈を整え、走り回ったのは教え子だったあの坂本龍馬だ――そんな勝の狼狽が顔にあらわれています。

このころの勝は任命と罷免を繰り返しています。その理由として、坂本龍馬のようなものとの付き合いを問題視されたということもあります。

「そうか。では薩摩抜きでこちらが勝てる見込みは?」

勝は何も言えません。

「慶喜公は! 慶喜公は何をしておいでなのじゃ?」

温厚な家茂も、さすがに声を荒らげています。

「退くことは考えぬ。このうえはフランスから借金し、武器を集め、長州、そして出兵を拒否する薩摩を一気にたたくと仰せで」

家茂の顔が歪みます。

「公は、一体、何を……」

家茂は力尽きようとしています。その前に重大なことを言います。

「勝! 徳川の持っておる大政を朝廷にお返しすることはできぬか? お上に大政を返し奉るのだ。さすればお上の名の下この戦を止めていただくことができぬか?」

「ああ……確かにそれならば!」

勝はそう返します。【大政奉還】のグランドデザインは家茂にあるということになります。

「急ぐのだ勝! このまま徳川が負けるなどなれば徳川の息の根が……戦が長引けば、民も……異国にも……」

「承知しました! 承知しましたゆえ、上様、これ以上はもう!」

「勝、頼む! 徳川とこの国の行く末を、どうか……」

勝は家茂にそう託されたのでした。

おめでとうございます。これで勝海舟も救われました。

勝は明治以降、幕臣から徹底的に嫌われます。

なぜか?

明治政府に仕えたから。

忠臣は二君に仕えず――そう誓った幕臣たちは、明治政府に出仕なんて考えるだけでゾッとしたのです。それが勝は明治政府に仕えるのだから、とんだ恥知らずであると。

勝が幕臣の会合に向かおうものなら「どのツラ下げてきた?」と凄まれるわ。

福沢諭吉にはアンチ文書『痩我慢の説』を刊行されるわ。

とことん嫌われましたが、この描写でその心情は浮かんでくる。

俺ァ家茂公にこの国を託されたんだ! 投げ出してたまるか!

史実でも勝は家茂公に忠誠を尽くすと語っていたとか。

本作はあくまでSFドラマですが、勝海舟の真意を切り取った感がある。これぞ作品の持つ力でしょう。

親子の子作り計画に巻き込まれた仲野は、閨まで来ながら土壇場で「そんなことはできぬ」と怖気づきます。

仲野は蘭方医の子であるため、小柄な親子では出産に耐え切れぬのではないかと心配している。

それに子が生まれたとして、嘘に嘘を重ねることになる。家茂はそんなことを望んでいないはずだからこその養子のはずだと仲野は訴えます。

親子は言われなくともわかっている。けれども何もできないのがつらい。家茂に優しくされて甘やかされて何一つ返せない。そのことが悔しくて無茶を言っていたのでした。

するとそこへ瀧山がやってきて、仲野はいるのではないかと尋ねると、親子は中に入るように告げます。

瀧山は告げます。

先の二十日、大坂城で、家茂が亡くなった――。

 

勝海舟の憤り

慶喜が、長州との和睦交渉をしろと勝に投げています。

慶喜と勝は相性が悪い。というよりも、慶喜は自分のイエスマンしか重用しません。諫言する勝を疎んじていたのです。

それでも使える時だけは使うからタチが悪い。そんな二人の関係性を踏まえて見ると、歯ぎしりしたくなる場面ですね。

慶喜はえげつないことを言う。

徳川敗北必至の今、上様薨去は好機だ、と。勝が絶句していると、好機であろうと念押しする慶喜。

「実に新しい! 主の死を好機と呼ぶ侍には初めてお目にかかりましたよ!」

そうチクリと嫌味を言わずにはいられない勝。本当ならば、江戸っ子らしく蹴り飛ばしたいところでしょう。

「そうか? 戦国の昔にはそれこそが能のある侍であったと思うぞ」

下劣なことをさらに言い募る慶喜。

いや、戦国の倫理を貫くなら、あなたが切腹では? その前に久光をおちょくった時点で斬り殺されてもおかしくなかったはず。

いますよね、こういう都合のいい時だけ歴史を持ち出す、嫌なマウンティング野郎。

しかも、勝の人脈の広さをついてくる。

長州とも知り合いが多いだろうというのは、勝の腹を探っているということでもある。さらに孝明天皇まで持ち出す。

そして近づいて肩を叩き、こうだ。

「励むがよいぞ、勝安房」

「承知……つかまつり……」

引き攣った勝の顔が素晴らしい。

目にはカッと怒りの炎が見える。本当は切り捨てたいけどできねえ! 生粋の江戸っ子だから、はらわたが煮えくりかえっている。

でも俺ァ武士だ。やれと言われたらやる!――この勝の武士としての誇りが重要です。

勝は頼まれたらやる男だ。味方良介さんのこの顔がいい。所作もキビキビしている。

そして照明です。この明暗をうまく使った美しさ。まさにこれです。時代劇ならば、こういうものが見たい。

幕末の浮世絵師である月岡芳年の作品に『魁題百撰相』があります。これは背景が黒一色であることが実に多い。

月岡芳年『魁題百撰相』 /wikipediaより引用

穏やかな時代の浮世絵は、ここまで黒ばかりではありません。妖怪が出てくる夜の場面にはあうけれども、花見や旅路は黒一色ではありません。

それが幕末には、背景が黒一色の絵が売れる。世相を反映しているんですね。

慶喜と勝の場面は、別に昼間でも構わないでしょう。それを夜にして黒い背景に顔が浮かび上がる絵が、幕末らしくて圧倒されます。

ちなみに『魁題百撰相』には、慶喜や勝をモデルとしたと思われる作品があります。

慶喜は足利義輝、勝は片桐且元という名目ですが、彼らにそっくりな顔をしています。

 

家茂は大奥に帰りたかったが……

天璋院は瀧山から聞かされ、嘆いています。親子は魂が抜けたようなのだとか。

「生きるとは別れるだけのことなのか。大切な方たちをこうもお守りできず……」

そうしみじみと瀧山に訴える天璋院。

激動の時代を生きる嘆きがそこにはあります。これは何も彼一人だけのことではなく、同時代を生きる多くの人が嘆いたことでした。

親子は帰ってきた能登を出迎え、家茂の最期を訪ねます。

能登は、静かに亡くなったと伝えるよう家茂から託されていました。

「苦しまんと逝かはったん?」

そう問われ、能登は迷います。脳裏には家茂の姿が浮かんできます。

「悔しい。このひ弱な体が恨めしい。これからなすべきことが山ほどあるのに……徳川のためにも、この国にも……」

彼女は最後まで苦しんでいました。

息も絶え絶えで、胸を掻きむしり、それでも死にたくないと訴えていました。

「死にたくない! こんなところで! だって宮様と約束したんだもの。宮様にお土産買って帰るって。二人でかもじをつけて京と江戸のとりかえばやをするの。会いたい。宮様に会いたい。大奥に帰りたい……親子様に、会いたい!」

そう家茂最期の様子を聞かされ、親子の涙がこぼれます。能登は家茂の土産である袿と打ち掛けを差し出しました。

親子は立ち上がり、土産を手に取り、羽織ります。

「これでええ? ま、かもじはないけど。前から言おう言おうおもてたんけど、徳川とか、この国とか、そんなんどうでもようない? そんなんは争うことが大好きな腐れ男どもにやらして、私ら綺麗なもん着てお茶飲んで、カステラ食べてたらそれでようない? 上さんはほんま……おせっかいいうか。いつもいつも人のことばっかりで、とうとう命まで差し出してしもて……は……あほやろ。上さん、あほやろって」

そう涙を落とし、親子は泣きます。

「そやから言うたやない、行くなって! おればよかったやないの、私のそばに、おればよかったやないの……」

親子の慟哭が響くのでした。

 

君ありてこそ

今回のラストシーンは、和宮が詠んだ歌を元にしています。

空蝉の 唐織り衣 なにかせん 綾も錦も 君ありてこそ

どんな美しい衣を身につけたとて、何の意味があるのか。あなたあってこそのものなのに――そんな嘆きです。

これは和宮一人だけではなく、幕臣たちも似たようなことを語っています。それこそ勝海舟は、家茂薨去でもう何もかもが終わったと思った。

まるでこの世界から光が消えたような悲しみを、多くの人が味わいました。

今回を見て、魂が抜けていくほどの虚脱感に襲われたとすれば、それが物語の持つ力です。

悲しみの追体験が、歴史劇を見る意味でもあるのでしょう。

 

そのうえで上書きしましょう

物語の持つ力は素晴らしくもあり、おそろしい。

今回を見て、慶喜像が『青天を衝け』と比べて違いすぎると焦った方もいるのではないでしょうか?

あのドラマで得た幕末と明治の描写は、僭越ながら申し上げますと、全部忘れた方が良い。

まずは明治以降の渋沢栄一の危険性です。

近代、帝国主義時代の経済政策は、今日の観点では参考にできません。

『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』という素晴らしい、今年のベストセラーがあります。

ナチスは経済を強くしたのだから良いという理論展開の是非が問われます。

誇張ありきではないかという検証もありますが、それ以前に今日の観点ではしてはいけない手段がとられました。

たとえば外国人労働者を過労死ありきで酷使するとか。

ユダヤ人を追いやって奪った資産を分配するとか。

渋沢栄一の経済もそうです。

労働者の人権軽視。公害軽視。女性蔑視。外国人搾取を前提とする。優生学思想を信奉し、ハンセン病患者隔離政策を肯定する。むしろ現在まで禍根を残しています。

こういう手段を学んでも何一つとしてよいことがありません。

そして幕末では、主に徳川慶喜について。まず、渋沢栄一の人物鑑定眼には大きな問題があります。

現在、ベルギー王族からすらも全く評価されなくなったレオポルド2世を絶賛していたのが渋沢です。

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搾取が悪という発想すらありません。

そんな彼とその同志が名を成し、人脈を形成した幕末期の手段はテロつながりです。そんなものを真似できるわけがない。

ゆえに、あのドラマはいかに楽しんだにせよ、教養や知識としての活用は推奨しません。むしろ危険です。

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NHK近代史ドラマ、また一歩進む

今回の放送を見て確信できました。

この『大奥』こそ、黎明期の大河ドラマに通じる志があると。

あの頃のドラマは作品として面白いかどうかだけでなく、歴史観の転換も狙っていました。

『花の生涯』はなにせ井伊直弼が主役です。

日本の第二次世界大戦後は、明治以来の歴史観を見直すようで、そうはなりませんでした。

高度経済成長期の日本人にとって必読書は司馬遼太郎です。司馬の歴史観は、幕末については薩長礼賛だとされます。

司馬はテロリズムは否定すると言いつつ、【桜田門外の変】は肯定しています。

司馬史観が昭和サラリーマン必須となると、初期の大河が試みた歴史の見直しは止まってしまいました。

それを『新選組!』や『八重の桜』といった果敢な大河が変えようとしたようで、そうはなっていない。むしろ2015年以降の大河はバックラッシュといえると思えます。

2015年以降の幕末大河ドラマを思い出してください。

孝明天皇の顔を思い出せますか?

その存在感の薄さが答えでしょう。

孝明天皇は幕末の政局において重要な意味があるにも関わらず、見えない存在とされてきた。これこそがタブーだということです。

今回はハッキリと、御簾の奥から出てきました。

その上で孝明天皇は家茂を深く信頼し、そして長州を断固倒すべきだと主張しています。

これぞタブーの理由でしょう。

孝明天皇が長州を憎んでいたことをどうしても隠したい何かがあった。そのベールをこのドラマは引き剥がしました。

そしてもう一人、名前すら出てこないのに、影が見える人物がいます。

松平容保です。

孝明天皇が誠意を愛し、信頼を寄せた人物が会津藩主にして京都守護職である松平容保です。

なぜ本作に容保が出なかったか?

時間やペース配分もありますが、なにより家茂とかぶるからではと思えます。

孝明天皇の絶対的な信頼。病弱。生真面目。それを悪用する慶喜。そして悲運に翻弄される。その人を知る者は誰も悪いことを言わず、人柄を礼賛する。

ここまで重なっていて、さらにもうひとつあります。

ドラマ出てきた御宸翰はむろん架空のものです。

しかし、孝明天皇の御宸翰は確かに存在し、歴史上大きな意味を持ちます。

松平容保に渡された御宸翰がそれに該当する。

敢えて御宸翰を出し、しかも本物と筆跡を似せてくることで、影絵のように容保の姿が見えてくる。見事な構成だと思います。

そしてもうひとつ、見えてくるものもあります。

家茂はなぜ影が薄いのか?

反対に容保はなぜ存在感があるのか?

共通点の多いこの二人。これについては旧会津藩士である山川健次郎が御宸翰の存在を世に知らしめたことが大きいのでしょう。

のみならず山川らは会津藩の再評価に向け、かなりの労力を割きました。

会津は歴史観光で儲けたいためにアピールしたとは言われます。

しかし、それをいうなら、それこそ山口の松下村塾といい、どこも似たようなものでしょう。

なにせ司馬遼太郎の創作を信じてしまい、高杉晋作の挙兵地ではない巧山寺に雄々しい騎馬像まで建てられてしまっています。

そもそも観光の弊害を言い出したのは地元、会津の人です。

それも慰霊の地である飯盛山を芸者連れの観光客が歩いたらどうすべえ、という嘆きの類でした。近年も飯盛山のポケストップが問題になったぐらいです。

もう一点付け加えておきますと、この「会津観光史観」に立脚した理論展開は、2000年代以降から広まったインターネットミームの類に思えます。

オフラインではまず聞きません。Wikipediaで論拠の薄い項目まで作られていて、それを薄めた理論展開がネット上だけでやたらと広まっているのが現状です。

ネットを中心にやたらと揶揄される会津の姿勢。けれども結果的にそれが正解だったのではないかと、この作品を見ていると思えます。

会津が主張したからこそ、無視できなくなっている。

家茂はそうでなかった。

だからこそ、再評価して推していかねばならない。

そしてこういう素晴らしい物語を紡いでゆく。その意義を今回の素晴らしい家茂を見て感じました。

家茂に涙し、慶喜の憤るこの感情はもう、想像をはるかに超えて素晴らしかった!

嗚呼、まるで幕臣の気持ちのカケラを拾ったみたいだ。

本当にシビれる作品です。

 

ボーイズクラブとシスターフッド、そしてサイコパス

歴史物としても素晴らしい。

のみならず、このドラマは未来への提言もあります。

家茂と和宮というカップルが女性同士というのは、とても意義があると思える。

愛情と友情の違いって何?

血が繋がっていることは本当に必須なの?

そうして共同体型の家族を提案してきます。

愛しあい、思い合う、二人のシスターフッドを見ていると、これに一体何の文句があるのかと胸の奥底からこみあげてきます。

愛のかたちは、人の数だけある。他人にそれを邪魔する権利があるのか。

その対比として、対立する必要などないのに、マウンティングで無茶苦茶にする慶喜が出てきます。

親子(ちかこ)が、そんなのどうでもいいと叫ぶ台詞は胸に迫るものがありました。

これは男性性由来なのか?

赤面疱瘡が克服され、男性が権力を取り戻したからこそ、こんな争いが起きているのでは?

赤面疱瘡の克服前、吉宗の孫たちも権力闘争を繰り広げていました。

彼女なりの志がある松平定信。

志などない。ただ退屈で自分のことだけ。そのくせ頭は切れる一橋治済。

女でも権力の中にいればああした争いを見せると、示しているようにも思えます。

慶喜はおぞましいけれども、既視感があります。

無責任で人を馬鹿にしていて、命を粗末にする。一橋治済の再来ともいえる。

治済と違って慶喜は直接手を下していません。

しかし、彼はある意味たちが悪い。今回の時系列で、慶喜は自己保身のために水戸の天狗党を処断して大量に死なせています。

治済のお遊びより、慶喜の無責任の方がはるかに被害は大きいのです。

治済はサイコパスとされました。慶喜もそれに該当すると思えます。

表面的には魅力的なのです。取り繕うのはうまい。

しかし実際は自己中心的で自分さえよければいい。マウンティングをする。人を見下す。利用する。

自分の非や責任は認めない。経過はどうでもいい、自分に有利な結果が出ればそれでいい。

平然と嘘をつく。同情なんてない。自己正当化がうまい。良心がない。

そのくせ、人を挑発したり、刺激を求めたりする――男性性の悪に迫るようで、それだけではない、無責任さも断罪するように思えてくる秀逸な展開です。

そしてそんな慶喜像は、史実に近いと思うとゾッとしてきませんか?

そんな慶喜を善人として信じ込ませた『青天を衝け』は、意味がわかると怖いドラマなのです。

ナチスはヒトラーが子どもと微笑む写真を撮影し、プロパガンダとして利用しました。

そういうことがあったと知識として身につけるだけでは不十分でしょう。

目の前でそんなことが行われていないか、立ち止まって考えてみることも大事なことではありませんか。


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【参考・TOP画像】
ドラマ『大奥』/公式サイト(→link

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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