べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第36回鸚鵡のけりは鴨 豆腐の角に頭をぶつけて

2025/09/23

寛政元年(1789年)2月――新作の黄表紙も、昨年出した作品も売れている。

天下の蔦屋は、乗りに乗っていると、地本問屋たちは褒めています。

江戸時代の調子こいた男らしく、煙管を吹かす蔦重のシーンが入る。いやぁ、ノッてますね。

煙管をふかす姿にも個性があります。

再来年の主役となる小栗忠順は無表情で「フン、フン」と相槌を打ちつつ吸っていたとか。比較対象として、この得意満面な蔦重の顔も覚えておきたいところです。

話を今年に戻しますと、この天狗になったツラがむしろ嫌な予感しかしねえわけですが……。

喜多川歌麿『煙管を吸う遊女』

喜多川歌麿『煙管を吸う遊女』/wikipediaより引用

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅

 


風刺で売りに行く版元の戦略

地本問屋連中が感心しているのは、蔦屋重三郎が風刺という要素をうまく取り入れたことです。

田沼貶めのあとから松平越中守批判へうまく乗っかっていく――これが売れるセオリーじゃないか?と感心されているんですね。

よくSNSでは「エンタメに政治を持ち込むな」「作品に思想を入れるな」なんてことが言われますが、それは日本伝統文化の否定に繋がりかねません。

このように蔦重ら版元は風刺でヒットを狙いました。

曲亭馬琴『八犬伝』の八犬士が持つ珠には「仁義礼智忠信孝悌」という儒教思想が刻まれています。

エンタメと政治や思想の関係を否定することは江戸文化の否定にも繋がりかねませんが、それでよいのでしょうか。

大河ドラマとタイアップする番組『浮世絵EDO-LIFE』では、今回、歌川国芳『源頼光公館土蜘作妖怪図』(みなもとのよりみつこうやかた つちぐもようかいをなすず) を取り上げました。

源頼光公館土蜘作妖怪図

歌川国芳作『源頼光公館土蜘作妖怪図』/wikipediaより引用

国芳は蔦重の没年生まれで、この作品も天保14年(1843年)のもの。それでも風刺は売れるということで取り上げられたのでしょう。

というわけで、地本問屋連中が得意そうに戦略を語る中、どこか沈鬱、うかぬ顔をしているのが鶴屋喜右衛門です。

「蔦屋さん。これ、お奉行所から何か言われてきてませんか?」

「鶴屋さん、どうも越中守様は黄表紙好きらしいんですよ。こりゃ私たち、意外とやりたい放題かもしれませんよ?」

こう言われ、皆驚いています。

さすがに九郎助稲荷が「随分と調子に乗っている蔦重」とツッコミを入れておりやす。なんでもその松平定信は、幕府の立て直しのため黄表紙を読む時間もないほど忙しいのだとか。

 


実入りがなければ役目も務まらぬ

松平定信はなぜそこまで多忙なのか。その一因となる場面が出てきます。

文武に優れている者を見出し、いざお役目につけようとしても、固辞されてしまうのです。

水野為永は「殿の志が高すぎる」と言うけれど、果たしてそうなのか。定信は、自分はただ奉公の心を持って忠実に役目をつとめているだけだといいます。

そんな定信の元に、ある密告があがってきました。目を通すやいなや顔色を変えていますが一体何が……。

すぐさま本多忠籌を呼び出し、その書状を突き詰めます。なんでも彼の収賄を告発する内容だったのです。

「範たるべき本多の者がなんたることか!」

そう憤る定信の前で平伏する本多忠籌。ここで「家老にきつく言っておく」と弁明するところがなんとも日本的と言いますか、責任転嫁はよくあることですね。

「次はないと思え」

定信がきっぱりと言い切ります。

この場面、改めて見ると定信がまるで闇に沈んだようで、顔だけが浮いて見えます。服装が暗い。華やかさがまったくない沈んだ色ではないですか。

室内にも飾りがない。掛け軸すらない。

すると本多忠籌が収賄の理由を知ることも一考に値すると弁明を続けます。

「単なる田沼病であろう。考えるまでもない」

「お役目を果たすためのかかりは家禄から払う仕組みとなっております。お役目にあずかれば持ち出しが増え、実のところ役付きになったとて、大したうまみがないのでございます。田沼のもとで皆が競ってお役目につきたがったのは、賂(まいない)をもらえるうまみがあったゆえ。今、役目を辞退する者が多いのは、つまるところ、それが理由と存じます」

「ではそなたは賂を復活しろと?」

定信は一瞬動揺したようで、すぐに自らを言い聞かせるようにしずめ、畳みかけます。

「そもそも知行家禄とは奉公をなすためのもの。もらうものはもらいたいが、奉公をなくしたいでは筋が通らぬ。いやもはや盗人ではないか! 持ち出しなどにとらわれず、御公儀への忠義、お役目を果たせる、そのことを無上の喜びとする!」

「それを喜びにできるのは、懐に余裕がある者だけかと!」

「故に倹約せよと言うておる! 私の言う通りにしておけば良いのだ! 言う通りにすればうまく回るように私は取り計らっておるのだ!」

本多忠籌は越中守の優秀さを認めつつ、それだけでは世の中は動かないと言います。

そして恭しく差し出してきたのは、黄表紙本です。

『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』

『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』/国立国会図書館蔵

ようやく定信が手にした『鸚鵡返文武二道』(おうむがえしぶんぶのふたみち)――そこには定信政策の空転が描かれているのでした。

定信は本を破り捨てこう叫びます。

「これはもはや謀反も同じである!」

 

幕末まで解決できぬ武士の貧窮

松平定信と本多忠籌のやりとり、おていさんなら眼鏡を押し上げつつ

「水至って清ければ則ち魚無し、と申します」

と『孔子家語』でも引っ張ってきそうな話でありやす。

志だけではどうにもならない。劇中に繰り返し出てきた問題が解決していないどころか、悪化させかねない状況が見えてきます。

問題とは、武士の困窮です。

瀬川を見受けした鳥山検校が頂点に立つ当道座は、大金を蓄え、それを資金として旗本御家人株を買い漁っていることが描かれました。

※以下は「検校」の関連記事となります

鳥山検校と盲人の歴史
鳥山検校はなぜ大金持ちなのか?盲人の歴史と共に振り返る『べらぼう』市原隼人

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徳川家治はそれを問題視し、田沼意次は解決を目指そうとしました。

しかし、意次の跡を継ぐはずであった嫡男・田沼意知は、佐野政言に斬られて落命してしまった。

そもそも佐野政言が追い詰められていったのは、一橋治済の奸計もあるにせよ、根底には困窮した幕臣という問題があったのですから、なんとも皮肉な話で……。

小田新之介が生まれた小田家では、役のつかない彼を養う余裕はなかったのでしょう。幕臣の三男坊などは、生まれた時点で詰んでいるのです。

なぜ旗本御家人は総じて貧しいのか
なぜ江戸の旗本や御家人は総じて貧乏なのか|金持ちにはなれない社会構造

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そういう現実を本多忠籌が示唆しても、どうにも定信には通用しないようでして、早くも壁にぶつかっています。

ちなみに、当時の贈収賄は、社会の潤滑油であったことも否定できません。

たとえばこの先、火付盗賊改になる長谷川平蔵は、旨みのある役職であるとみなされていました。

江戸の治安を守るついでに町人がお礼を渡してくる。火付盗賊改の方でも証言者にちょっとした小銭を渡す。そんな仕組みができあがっていたわけですね。

石頭の定信には、長谷川平蔵のような搦手からのアプローチができる人物が効きそうな気もするところですが。

 


絶版を言い渡される耕書堂

江戸の街を、黒い羽織に十手を持った奉行所の男たちが歩いてゆきます。

後に続くのは三尺棒を持った捕手。

鶴喜が不安そうに出てくると、男たちは耕書堂の前に止まりました。

蔦重が出てきて用件を尋ねると、こうきました。

『鸚鵡返文武二道』(おうむがえしぶんぶのふたみち)

『天下一面鏡梅鉢』(てんかいちめんかがみのうめばち)

『文武二道万石通』(ぶんぶにどうさんごくどおし)

この三作を絶版とする!という申し渡しです。

役人が去ってゆくと、つよは「これ以上の御咎めはあるのかね……」と不安そうにしており、蔦重は鶴喜に言います。

「越中守に会えませんかね? こりゃ直に訴えるいい折だと思うんでさ。俺らだっていい世にするためにやってんだって。きちんと申し上げてみようかと」

「……ご老中といえば田沼様のような方だとお思いになってらっしゃるかもしれませんが、常のご老中とは気軽に町方に会ったりはしないんです」

「けど、人と人ですよ。腹割って話しゃ……」

すると、ていが冷静に言います。

「旦那様が身二つに破られるだけになりますかと」

そうなんです。田沼意次と蔦重が顔を合わせることは色々と批判されてもきましたが、あれも一種の個性なんですね。

田沼意次/wikipediaより引用

鶴喜は、今は派手に動かないように、他の地本問屋も探られかねないと釘を刺します。

こうなると蔦重もしゅんとして言うことを聞くしかありません。

 

朋誠堂喜三二の断筆宣言

さて、探られている者は既におりまして、秋田佐竹藩主・佐竹義和は、松平定信から呼び出しを受けていました。

なんでも家老の資質に問題ありとのことで……朋誠堂喜三二の正体が平沢常富だと露見してしまい、呼び出されているわけです。

定信に投げ出された『文武二道万石通』を手にして困惑する義和。

「これを平沢が……」

その心境を考えると、胃が痛くなってきます……。

殿に怒られたまぁさんは筆を折ることにしました。

黄表紙の執筆だけでなく、遊び呆けていた江戸パリピライフも問題視されたとのこと。

まだ若い佐竹義和は「家の恥だ! ご先祖に申し訳が立たぬ!」と顔を真っ赤にし、涙目で怒っていたのだとか。

それでも蔦重は、やめることはない、名前を変えて続ければよいと引き留めます。

「まぁ、遊びってえのは誰かを泣かせてまでやるこっちゃないしな」

そう笑顔を見せる喜三二は優しい。

どうにも蔦重には、忠義ってもんへの理解が足りない気がします。喜三二はそこをわかりやすく噛み砕いて穏やかに伝えているんですよね。

繰り返しますが、喜三二が優しいからこそこういう対応になる。この先、登場する曲亭馬琴にそういう優しさはありません。イケボでそのあたりを散々当てこすられそうだと思いやすぜ。

曲亭馬琴(滝沢馬琴)/国立国会図書館蔵

生真面目な恋川春町も、喜三二の横で苦い顔をしている。

蔦重がそんな春町に確認します。お殿様は戯作のことを知っていますよね?

 

松平信義は倉橋格を庇う

自分の殿が戯作のことを知っている。それを踏まえて、浮かない顔になる春町。

彼の場合は、殿様公認での当て擦りゆえ、さらに難しい事態に陥っているようです。なんでも「殿こそが恋川春町ではないか?」と疑われている程だそうで。

そのころ、“殿”こと藩主の松平信義は定信に対して弁明をしていました。

恋川春町とは、家中の倉橋格(くらはしいたる)であり、現在は後悔のあまり病を患って隠居した――そう語ったとか。

春町は直参ではないため、これ以上のお咎めはないだろうと続けます。

隠居して倉橋の家はどうなるのかと気を揉む蔦重。

禄は減るだろうけれども、殿も気にかけているから大丈夫、戯作で補うとどこか楽観的に答えます。

その割には顔が暗いのですが、家の存続は、子か、弟か、甥にでも継がせればどうにかなるでしょう。武士でありながら絵師を専業とした歌川広重がその一例です。

「もちろん! 末永く、お願いの介にございます!」

安堵したように頭を下げる蔦重。

喜三二は大田南畝のことも気にしています。

大田南畝(四方赤良)/国立国会図書館蔵

するとその南畝から書状が届きました。

ちなみに書状の開き方ですが、同輩以下だと振って一気に開く。目上の相手だと、そうせずゆっくり。注目して見てみると、蔦重は町人ですから丁寧に開く機会が多くなっています。

さて、書状の中身は、平秩東作(へづつ とうさく)が病気だということでした。

 

源内は時代遅れになってゆくことを許せるのか?

南畝と共に見舞いへ向かう蔦重。

平秩東作は剃髪し、すっかりやつれていました。

役者の年齢が合わないためわかりにくいのですが、東作は平賀源内より年上で、大田南畝にとっては親世代になります。

須原屋市兵衛も見舞いに来ておりましたね。

平秩東作/wikipediaより引用

さて、ここで平秩東作と大田南畝が顔を合わせ、後白河法皇の『梁塵秘抄』から「遊びをせんとや生まれけん」を引き、こう言い合っています。

「戯けをせんとや生まれけん!……だ」

劇中ではそこまで描かれておりませんでしたが、若き大田南畝を文壇の新星として見出したのが平秩東作、須原屋市兵衛、そして平賀源内となります。

南畝にとっては恩人も恩人、父親のような人物。劇中でも、彼の眼差しはなんとも暖かい。

須原屋が、蔦重が手掛けた狂歌本の話題に触れてきました。蔦重も一緒に戯けようと誘います。

本を手にし、東作は微笑むと、歌麿の挿絵の美しさを誉めます。

「あ……じゃあ源内さんに言っとくよ。こないだ来たのよ。狂歌が流行る前に江戸から去っちまったから狂歌会、出てえって」

こう言われ、納得したような、呆然としたような顔をする見舞客たち。

この源内は狂歌ブーム前に亡くなったと言うのも重要でして。若き南畝の作品を源内が絶賛した時は「狂歌」ではなく「狂詩」、つまりパロディ漢詩のことでした。

漢詩は難易度が高いけれど、和歌はそうでもない。

難易度の低下が、狂歌ブームのポイントの一つでしょう。

このあと東作の枕元から去った三人は、源内が夢枕に立ったのかと語り合っています。

須原屋は地球儀を回しつつ、こう嘆く。

「世界の時計は進むのに、日の本は百年前に逆戻りか。ますます取り残されてしまうな。俺や田沼様がやってたことは一体何だったんだ! 平賀源内、それが言いたくて出てきたんだよ」

須原屋が手を前に出し、だらりと垂らして幽霊の真似をすると、南畝も同じポーズを取ります。

かくして平秩東作が波乱万丈の人生を終えました。

この場面は教材に使いたいほど情報がびっしり。隔年で江戸中期以降をドラマにすべきではないかと思うほどです。

須原屋は地球儀を見ている。

大田南畝の前にはギヤマンのグラスとデカンタがある。

彼らが蘭学はじめとする西洋の知識を取り入れていることがみただけでわかります。

徳川吉宗は蘭学を重視したものの、彼らはそれだけでは不十分だと理解していた。

蝦夷地とその先のロシアが頭の中に入り、さらに学ばないと取り返しのつかないことになるということを理解しているのです。

須原屋市兵衛は、そうした現実を広めようとして蝦夷地ロシア関連の書籍を発刊して罰せられ、店を畳むことへ繋がってしまいます。

『蘭学事始』/wikipediaより引用

そんな最先端の知識に吸い寄せられつつも、平賀源内の亡霊を信じているところも実に興味深いではありませんか。

江戸時代の人々は迷信深いことばかりが強調され「まるで江戸時代だ」というのは時代遅れを示す定番の悪口です。

しかし、本当にそうでしょうか?

こうも活発な文壇をしぶとく形成し続け、世界から知識を得ようとし、識字率を高めてゆく。

狂歌会には女性も名を連ね、活発に作品を詠んでいく。

こうした江戸っ子たちの姿は、当時の世界規模で見ても十分に自由闊達、なかなかのものだと思います。

そして再来年の予習ついでにいえば、幕府崩壊を防ぐターニングポイントになりかけたのが、田沼時代とされます。

『逆賊の幕臣』でも重要な役割を果たすであろう川路聖謨は、田沼意次を再評価しております。幕府はなぜ田沼路線を貫徹できなかったのか――彼は噛み締める日々を送っていたのでしょう。

 

蝦夷地にて、クナシリメナシの戦いが起きた

松平定信は倹約を進めています。

倹約の定番である大奥に入り込み、持ち物チェックに余念がないようで。

このせせこましさは、なにせ大崎が菓子を出しただけで断るほど。この大崎は毒を仕込みかねないので、ある意味理にかなっているとはいえますが……。

11代将軍・徳川家斉は、柴野栗山のもとで松平定信も立ち会いながら『論語』を学んでいます。

もしも、この場におていさんがいたら、困惑することでしょう。

家斉は読み方がなっておりません。『麒麟がくる』の明智光秀。『光る君へ』の藤原実資藤原公任と比較すると、漢籍への理解不足が窺えます。

せいぜい紫式部の弟である藤原惟規や藤原道長程度の熱意ですかね。

するとここで異変が報告されます。

蝦夷にて戦が起こったというのです。

後の「クナシリメナシの戦い」であり、松前藩主の松前道廣が即座に鎮めたとはされますが、これがまたも大問題となります。

蝦夷の民(アイヌ)が挙兵したのは、松前家とその請負商人があまりに酷使したためだと幕府側も理解していました。鎮圧のやり方も残虐非道であったと語られます。

アイヌの歴史を扱う際「今の価値観で昔を裁くな」とは、しばしば用いられるレトリックなのですが、この時代から既に「彼らをあまりに酷使搾取しすぎている」という認識があったのです。

定信は蝦夷の民が恨んでいることを理解します。

松前家に任せては根本的な解決ができない。となれば取り上げて天領にすべきだと察知できるのです。

定信は正義感が強い。

蝦夷の民相手でも搾取はできぬとし、かかり(費用)がかかろうと召し上げるべきだと判断したんですね。

実はこの場面も、実に重要です。

人の情けとして、蝦夷の民が酷使されていて実にけしからん、残虐ではないか、そう江戸時代から告発する和人は一定数おりました。

最上徳内や松浦武四郎がそうです。

アイヌの酷使と、それによる武装蜂起、そして幕府の対応や意識が描かれたこの場面は実にためになる。毎年こういうドラマを放映して欲しいと考えるほどでして。

特に今回の大河ドラマは、その舞台やテーマからして「アイヌをどう扱うのか?」という点はずっと気になっていました。

メインテーマではないため、そこまで時間を割けない。アイヌの姿も見えない。

しかし「アイヌの問題」と和人が言う際、往々にしてそれはアイヌ自身の問題ではなく、アイヌと向き合う和人の認識の問題であることがほとんどです。

これを取り上げただけでも重大な一歩ではないでしょうか。

今回の放送を契機に、最新研究をふんだんに取り入れた北海道ご当地大河を実現を目指していただきたいところです。

松前廣年『夷酋列像 窒吉律亞湿葛乙』/wikipediaより引用

 

蝦夷地を上知とは田沼政治の踏襲では?

目を爛々と光らせる松平定信。

これは「国難」と言い切り蝦夷地を天領とすべく動き出し、御三家にその旨を告げました。

しかし蝦夷は遠いと反応は鈍い。

松前に警備を任せればよいし、戦も得意であると返ってきます。

定信が「それは蝦夷の民相手であり、異国相手では心許ない」と返します。定信の意識の中では、もうロシアが見えているようですね。

確かに国を守ることは公儀の務めであり、武家の本分である。

議論は一歩進展します。

しかし、乱を鎮めて功を立てたにも関わらず、所領を取り上げるのはいかがなものかと物言いがつきます。

そもそもが蝦夷の民を苦しめた松前の政治が悪いのだと返す定信。

すると一橋治済が口を挟んできました。

「しかし、かかりはどうするのじゃ?」

御三家はともかく、将軍の父だからと政治に口を挟む。しかも自分の仲間(松前道廣)のためにそうする一橋治済は、まったくもって言語道断です。

交易と開墾を行えば費用が捻出できる。

定信は、蝦夷の金銀に期待をかけており、天領とすれば幕府財政も好転できると言うのですが……この定信の主張には、視聴者の皆様も首を捻ったかもしれません。

その“疑念”を治済が指摘します。

田沼意次と全く同じ政策をとることで「田沼病」と笑われないか?

途端に顔色が変わり、目を剥く定信。

この目元が歌舞伎の化粧や、それを模した役者絵を彷彿とさせ、実に良いお顔ですな。

豊原国周『島千鳥月の白浪』/wikipediaより引用

治済は、定信の政策は田沼路線だと指摘します。

必ずしもそうでないと徳川治貞からフォローが入りますが、もう定信のプライドはズタボロ。

それでも治済はズケズケと「蝦夷地政策は田沼路線の踏襲だ」と言い募ります。

治済はさらに、定信が黄表紙を取り締まっている件に触れ、懐からある作品を取り出しました。

『悦贔屓蝦夷押領』(よろこんぶひいきのえぞおし)。

このあと、一橋治済を前にして松前道廣は目をぎらつかせ、上知回避できそうだと浮かれています。定信のプライドを刺激したので、田沼路線は取らぬはずだと答える治済。

道廣の悪辣さは、初登場時に気に縛りつけた女中に銃を向けることで表現されていました。あれは誇張どころかむしろマイルド化に思えなくもありません。家臣領民のみならず、アイヌに対してこの男がどれだけ残虐非道であったことか。

「ありがた山の昆布がらす!」

ニヤつく松前道廣です。

こんな和人幕僚たちのわけのわからないプライドで翻弄される蝦夷の民が本当に気の毒でなりません。

ちなみに昆布だしのことを和人が一から考えていると誤認している方を時折見かけますが、蝦夷地名産品として古代から認識されています。あくまでアイヌ由来の日本伝統です。

『悦贔屓蝦夷押領』をあらためて読む定信。その高い読解力で強烈な皮肉を理解すると、作者の名前にさらなる怒りをたぎらせます。

「恋川春町……倉橋格なる者を呼び出せ!」

彼にとって大ファンであった作家が、怨敵に変わった瞬間でした。

 

倉橋格を呼び出せ

恋川春町は、耕書堂で今後について話し合っています。

まだ呑気な蔦重は、呼び出しに応じて腹を割って話し合ったらどうか?なんて言っとりますが……相手は将軍補佐で、こちらはたった一万石の家来だと春町は警戒するばかり。

蔦重はそれでも黄表紙ファンだといい、自分もついていくと言います。

「……うまくいけばよいがうまくいかねばその場でお手討ち。小島松平家がお取り潰しともなりかねぬ。それは打てぬ博打だな……」

「嘘八百並べ立て、這いつくばって許しを乞うんですか? 春町先生にそれができるとは思わねえんですが……」

なおも食い下がる蔦重。春町の顔色がどんどん悪くなって倒れ込んでしまいます。

彼自身、それはわかっているんですね。

『吾妻曲狂歌文庫』に描かれた恋川春町/wikipediaより引用

蔦重はここで、まことに病死するのはどうか?と言い出します。

そして倒れ込んだ春町に策を語ります。

「死んだふりをして別人になりすまして生きていけばどうか?」

しかし、瞬く間に考えを変え「流石にそれはないか……」と諦める蔦重です。

と、すかさず春町が跳ね起きる。

「いや! それが最善かもしれぬ」

春町は起き上がり、取り憑かれたようにどこかへ出てゆきました。

行き先は松平信義、この策を話します。

春町が死ねばそれ以上責めるものもなくなり、殿もこれ以上しつこく言われなくなる。

それでも信義は「そんなことができるのか?」と疑問を口にします。

春町は「人別や隠れ家は蔦重が取り計らう」と言い、準備期間中だけ「病だ」と言い張ってくれるよう信義に頼み込みます。

「……当家はたかが一万石。何の目立ったところも際立ったところもない家じゃ。表立って言えぬが、恋川春町は当家唯一の自慢。私の密かな誇りであった。そなたの筆が生き延びるのであれば、頭なぞ、いくらでも下げようぞ」

そう春町に語りかける信義。あまりのことに涙をこらえているように見えます。

「ご温情、まことありがたく……」

かくして信義は、倉橋は麻疹にかかったと定信に告げました。

黄表紙を強く握りしめている定信。

そしてなんと翌日には、定信自ら倉橋格のもとへ足を運ぶことになりました。

信義はなんでも麻疹も偽りだろうと疑ってのこと。春町は殿が定信を騙したとみなされたことに、衝撃を受けています。

「倉橋! 今すぐ逐電せよ! 後のことは私がなんとかする!」

信義は、そうこれ以上はないほどの温情をかけてきます。

 

まぁさんの吉原送別会

まぁさんが江戸から去る日が近づき、吉原で最後の大接待、送別会が開催されております。

それにしても、まぁさんよ……その遊びも殿を怒らせたんじゃなかったのかい?

喜三二は、舞っていた芸者に何やら感謝しています。

「姐さんにはお世話になってよぉ……」

やけに丁寧な態度で、次郎兵衛があれは誰か?と蔦重に尋ねると、なんでも筆下ろしの相手だとか。

まぁさんは根っからの女好きなんですね。女という存在そのものが大好きで、若さやら何やらは二の次なんでしょう。

ステータスシンボルとして美女を侍らせるとか、制圧したいという暴力性を伴う欲求とは異なり、蝶が花に群がるように、女のもとへフラフラ飛んでいってしまう、そんな色好み。

そしてここで、喜三二サイン会が始まりました。

皆が、彼の著作である黄表紙を持ち寄り、サインを入れてもらいます。

江戸時代には、現代とそうそう変わらないファン心理ができており、サイン入りグッズは定番のお宝。

こうしたグッズを作家が売り捌いて金を集める「書画会」なんてイベントもあったもので。

しかし、春町はこの送別会に参加していません。

耕書堂の前にフラッと現れ、女将のていに声をかけられると「少し歩きに出ただけだ」と告げます。

豆腐売りの声を聞き、「豆腐を買う」とだけ告げて去ってゆくのです。何やら思い詰めている感じもありますが……。

一方で、まぁさん送別会は続いています。俄踊りも披露され、これまでの流れが振り返ることができますね。

月岡芳年『風俗三十二相 にあいさう』

月岡芳年『風俗三十二相 にあいさう』/wikipediaより引用

俄を披露するのは、初代ではなく二代目の大文字屋です。父子の違いが見えてこれまた味わい深い。そんな大文字屋は、父から聞かされた話をしています。

まぁさんは、次の俄にも誘われるわ、吉原案内のお礼は言われるわ、引き留める言葉が花のように咲いていますね。

惜しまれつつ去る幸福がそこにはあります。

「もったいない。あのように冴えたお筆を」

一人の美女がそう言います。

「花魁? おいら〜ん!」

今まで堪えてきたまぁさんも、これには止まらず美女に抱きつこうとしますが、すかさずいねとふじが捕まえて引き戻します。

「もう、花魁じゃないですよ」

「年季が明けて手習の師匠と一緒になって、今は自らも手習の女師匠さ」

そう紹介されたのは、松の井改めおちよ。彼女も一冊本を差し出し、サインを求めてきました。

「世話かけたねぇ、あの時は」

ああ、あの『見徳一炊夢』(みるがとくいっすいのゆめ)の時のことですな。

「いいえ、今となっては楽しい思い出で」

「楽しかったよねぇ」

そう、うっとりと語るまぁさん。吉原で遊んでいる彼はろくでもない、酷い目にあうべきだといった意見も読みましたが、彼はあくまで良識的な範囲内で遊ぶ、よい客だったのだと思えますぜ。

大田南畝にはやや塩対応をして、南畝から「そっけないね」と突っ込まれる喜三二でした。

歌麿は敢えて、春町の作品にサインを求めてきます。

あのスランプで拗ねた春町を、喜三二や歌麿が励ましたときの思い出ですね。

北尾政演は「北里喜之介」名義を希望しています。次の号は北の遊里で遊ぶだろうから、その名義で自作を出せばいいと言い出しましたぜ。

蔦重がたしなめると、喜三二はこうきました。

「やります! まぁさん、まだ書けます!」

「いいんですか、お家は?」

蔦重がいうとペちりと額を引っ叩き、みんなで示し合わせて引き留めているのだろうと言い出します。

「まったく面白いことばかり考えやがってもう!」

蔦重は認めつつ、どうしてもまぁさんに書いて欲しいと言い出します。そして「春町も続けるっていうし」という。

しかし、その春町がこの場にいないことにやっと気づき、具合が悪い、また後日改めて挨拶したいのだと蔦重が答えます。

惜しみつつも、また大宴会を再開する一同。三味線の音が響き出します。

すると駿河屋の親父様が蔦重を呼び出しました。

 

恋川春町の最期

駿河屋の親父様は、偽造した人別と通行手形を蔦重に渡します。

恋川春町のものですね。歌麿の時とは違って顔見知りも多いから、慎重にやれと告げています。

しかし、蔦重のこうした策は歌麿では成功したものの、瀬川の時は失敗したものです。

果たしてうまくいくのか……。

と、思ったところで場面は変わる。

恋川春町が白装束を身に纏い、三方に小刀を乗せています。

そして作法に則り、己の腹に刃を刺す。

蔦重がていから、春町の具合がよくなり外を歩いていたことを聞かされています。

訝しむ蔦重。具合がよくなったのであれば、喜三二の送別会に顔を出さないのはおかしい。仮病を装っていることを考えれば、日中にフラフラと出かけることも妙だ。

すると喜三二がけたたましく耕書堂の戸を叩いてきました。なんでも大宴会の後、喜三二はが家に戻ると、春町のところから知らせが来たと告げます。いったい何があったのか。

「春町が……腹、切ったって……」

泣きじゃくる喜三二。蔦重も言葉を失い、呆然と宙を眺めています。

朋誠堂喜三二(平沢常富)の肖像画

朋誠堂喜三二(平沢常富)/wikipediaより引用450

春町は自刃しました。

その死に顔を見て、喜三二と蔦重は手を合わせています。

妻のしずが黄表紙の裏表紙に書かれた辞世を差し出します。

蔦重が、破れた紙の入った籠に目を留めると、しずの許しを得て紙の復元をします。

蔦重、いきなりかような仕儀となりすまぬ。

実は例の件が抜き差しならぬこととなってしまってな。

殿は逃げよと言ってくださったが、然様なことをすればこの先どうなるか知れぬ。

小島松平、倉橋は無論、蔦屋にもほかの皆にも累が及ぶやもしれぬ。

それはできぬと思った。

恩着せがましいか。

もう全てを円くおさめるにはこのオチしかないかと。

春町はこの書き付けを破りました。

遺体の横には、ていとすれ違ったあとに買った、桶入りの豆腐がありました。

 

鸚鵡のケリを、鴨でつけ

なんで本を書いただけでこんなことになるのか!

蔦重から顛末を聞いた歌麿が嘆いています。

我もまた 身はなきものと おもひしが 今はの際は さみしかり鳧(けり)

彼の残した辞世です。

鳧(けり)とは鴨のことも指し、「鸚鵡のケリは鴨でつける」という意味だと読み解かれています。

唐来三和がここで何かして北尾重演に留められています。南畝がここで読みます。

我もまだ 実は出ぬものと おもひしが 今はおかはが 恋しかり鳧

「腹壊した歌にしちまって……」

そう重演があきれると、三和はこうきました。

「だって……こんなのやってられねえじゃねえかよ! ふざけねえとよ!」

ここで蔦重が思いついたように言います。

なんでも春町の頭には豆腐がくっついていたとかで、彼なりの推理を語ります。

腹を切った春町は、最期の力を振り絞り、豆腐に頭を突っ込んだのではないか?

豆腐の角に頭をぶつけて死んだことにしたのではないか?

それに対し、喜三二が読み解きます。

「戯作者だから……真面目な、クソ真面目な男だったじゃない……ふざけるのにも真面目でさ。恋川春町は最後まで戯けねえとって考えたんじゃねえかなぁ!」

涙ぐみつつ泣き笑いだす一同。

「べらぼうでさぁ! 春町先生……おふざけが過ぎまさぁ!」

蔦重が泣きながら思いを絞り出します。

悲しい無念の死を、笑って見送る仲間たち。

そのうち幾人が、春町と同じく、理不尽な処罰に苦しめられることになるのやら……。

 

武家として、戯作者として、生きて死ぬ

松平定信は、松平信義から倉橋格の死を聞かされました。

信義は「腹を切り、かつ……」と言いながら、笑い出します。

「豆腐の角に頭をぶつけて……」

信義が説明を続けます。

ご公儀を謀ったことについて、武士である倉橋格としては腹を切って詫びるべきだとそうした。

戯作者の恋川春町としては、死してなお、世を笑わすべきだと考えたのだろう。そしてこのことは版元の蔦屋重三郎から聞いたことだと付け加えます。

「一人の至極真面目な男が、武家として、戯作者としての“分”をそれぞれわきまえ、まっとうしたのではないかと、越中守様にお伝えいただきたい。そして戯ければ腹を切らねばならぬ世とは、一体誰を幸せにするのか。学もない本屋風情には……分かりかねると。そう申しておりました」

蔦重が願った定信との対話は叶わずとも、こうして間接的には届いたことになります。

信義との対話を終え、一人になった定信は悄然として歩いています。そして床に落ちた黄表紙を見ると、倒れ込み、泣き伏す。

己を励まし、新たな世界を見せてくれていた黄表紙。その作家を己が殺めてしまった――これほどの悲しみと絶望はないでしょう。

文人を迫害するとは、為政者としても暴虐そのもの。始皇帝の焚書坑儒のような悪行を為したことを、後世の人々はどう思うのか!

あまりに深い絶望が、彼を飲み込んでいました。

 

MVP:恋川春町

史実の恋川春町は、死にいたる状況はおおよそ把握できるものの、死因や詳しい状況は不明です。

それをうまく脚色し、最高の退場が用意されていました。

死せる春町、生ける越中を哭かす――なんとも見事な最期ではないですか。

ドラマとして創作しつつも、人々の感情を組み合わせ、見事に織りなしている。

春町が中心にいるものの、その周囲まで輝いて見せてきます。

同じ目に遭いつつ、どうして朋誠堂喜三二は生き延びたのか。藩主の対応により、そのことを対照的に見せてきました。

松平信義は、なまじ春町を信じて理解していたからこそ、悲劇の結末になったといえる。

理解ある上司ゆえにかえって縛られてしまうというのは、なんとも日本的な悲劇ではないですか。

そして春町を死に追いやってしまう松平定信も、複雑で興味深く、研究を反映させた描き方となっております。

松平定信の政治姿勢は、田沼時代から踏襲した部分も多い。

そう描くことで、田沼意次と松平定信を正しく評価しています。

そのうえで、風雅を愛する定信の美質がかえって彼自身を傷つける因果も理解できます。

最新研究を取り入れ、文化を描き、人の心理を織り込んで、おもしろくドラマとして仕上げる。

毎回超絶技巧で仕上げてくる。

今回も実に見事な出来でした。

 

総評

とんでもねえほどに世間の風と一致してしまう本作。天意を汲み取ったらこうなっちまうということでしょうか。

今回は権力による言論弾圧を問題提起してきました。

海の向こうアメリカでは、政権の意向に沿わぬ言論弾圧の嵐が吹き荒れております。

こういうとき、西洋は「言論弾圧は恥である」という方向に向かわないのかと首を捻ってしまったんでして。

言論の自由ってぇなぁ、近代以降、西洋由来のもんじゃなかったんですかい?

ちょっと嫌味をかましてしまいましたが、これはなかなか重要なことだと思いまして。

日本ではどうにも、近代の要素とは西洋から海を越えて到来するものだという刷り込みがなされているように感じます。

それこそ松平定信の弾圧にせよ、蛮社の獄にせよ、安政の大獄にせよ、幕府の言論思想弾圧は東洋の古びた悪しき価値観ゆえのものだと説明されがちです。

果たして実態はどうなのか?

東洋にも言論弾圧を恥と考える思想はあったのではないか?

都市の発展と時代の進歩により、言論が活性化されていったのではないか?

この考え方はなかなか重要だと思えるのです。

江戸時代の言論は弾圧されっぱなしだったかというと、そう単純なことでもありません。

定信が初めてそれをしたわけでもない。

徳川綱吉時代には朋誠堂喜三二の先輩のような人物がおりました。

絵師の英一蝶(はなぶさいっちょう)です。

英一蝶の肖像画

英一蝶/wikipediaより引用

彼は吉原で大名らと派手に遊び過ぎて、三宅島に12年間も流罪になっております。

身分の差といった要素もあるのでしょうが、それと比べて喜三二の処分は穏当に思えなくもありません。

春町は結果的に命が失われたものの、はなから死なせる気であったかはわかりません。

前述したように、天保年間には歌川国芳がド派手な風刺画を発表し、大ヒットを飛ばしております。

狂歌のように、男女双方が政治批判を含めた言論を交わし合う場も、実に特異的といえる。

近世日本の言論の自由とは、実に複雑怪奇なんですね。

さらに付け加えますと、始皇帝の言論弾圧である焚書坑儒は絶対悪と看做されています。

『キングダム』は始皇帝陣営が主役という時点で見る気が起きないという中国人も少なくないものです。

また、奸雄とされる曹操も、自身を痛烈に批判した文人の陳琳(ちんりん)を放免しています。

これを踏まえて「言論弾圧は曹操以下の悪行」とみなす考え方もあります。

こうした東洋の例をふまえるに、言論の自由は西洋の専売特許扱いするというのも、妙な話ではないか?と私には思えてきます。

同時に、歴史を学ぶ面白さとは、そんなところにもあるのでは……と思えてくるわけでして。

アメリカから流れてくるニュースがあまりに憂鬱で、大河ドラマで気分転換を図ることになるとは予測だにできぬことではありましたが、そうなりつつありますぜ。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


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【参考】
べらぼう公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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