鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第15回「足固めの儀式」

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MVP:上総広常

木曽義仲にも言えることですが、本作の上総広常は、史実よりも邪気が抜けています。

特に政治的な権力闘争要素が抜けています。

広常はオラオラしていたので、御家人にデカい態度をとったとか。

岡崎義実が頼朝の水干をもらおうとしたらケチをつけて大喧嘩になったとか。

そういう癖の強さもあるのですが、劇中では、子どものような無邪気さというか、素直な一面が見えてきてしまって。

広常が無邪気で無垢なだけのはずがないのに、そう思えてしまうからすごい。

しかも敢えてエグい演出にしている。

広常は痛くて苦しくて意味がわからないまま、無念のまま死んでいく。

それが伝わってきて、胸を抉られるように痛い場面でした。

この回は「神回」予告もされているし、三谷さんも自信を見せていたのですけれども……気持ちはわかります。伏線を張り巡らせるひとつの境地に到達していると感じます。

武衛と呼ぶ飲み会とか。

彼が字を練習するところとか。

クスッと笑えて微笑ましいようで、それが最後になって突き刺さってきてひたすら辛い。

しかし、そういう仕掛けを作る側にしてみれば、そりゃ得意げになってもよいと思えるのです。

しかも、ああいう場面も、時代考証の先生の意見を取り入れつつ、当時の坂東武者の像を反映させて仕上げている。

軽いだの笑えるだの言われてきた本作ですけども、いやいや、本当に恐ろしいドラマです。

それにまだ序の口。これからは死屍累々、毎週のように陰謀と惨殺三昧になります。

たびたび持ち出す『ゲーム・オブ・スローンズ』では、毎回死んでしまった人物をイラストにして公式サイトに展示するという、おそろしいコーナーがありました。

この大河でも、それが成立し得ると思います。

 

総評

坂東武者たちをしばしば“猟犬”と呼んでしまって申し訳ないと思います。

ただ、意図があります。

上総広常のような人物を表現する言葉が漢籍にはあります。

飛鳥尽きて良弓蔵る。狡兎死して走狗烹らる。

飛ぶ鳥が尽きて弓は片付けられる。素早い兎がいなくなれば、猟犬は煮られてしまう。

天下草創のために血と汗を流して走り回ってきたのに、待っていたのは粛清だった――そういう人物の悲運は、こう振り返られるのです。

広常誅殺の状況は不明点が多いけれども、このドラマではまさに走狗が煮込まれるような状況にあわせてきたように思えます。

そうならないためには、どうすればいい?

無害なふりをして隠居するとか。間抜けさをアピールするとか。引き際を弁えることが大事だとは思えますが、そう思ったところでこの上総広常の場合、どうにも手の打ちようがないというのが困ったものです。

このドラマを見ても、失敗を防ぐコツはなかなか学べない気がします。

三浦義村大江広元のように、人の恨みを買っている人物は横死しないし。

畠山重忠のような高潔な人物でも酷い死に方をするし。

人間、死ぬときは死ぬ!

そうまとめたくなるけれども、いやいや、それだけではないはず……とも思う。

一点ご報告を。来週は木曽義仲討ち死に備えるため、本レビューの公開は遅れます。

 

日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』度が上がってきました

こんなニュースがありました。

◆ 「鎌倉殿」源義高、大姫安徳天皇 気品ある子供たちに「展開がつらい」と嘆く声(→link

こちらの記事を読み、本作が順当に日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』になってきたと確信できました。

あの作品は、序盤から子どもたちが酷い目に遭い続けるため、その時点で脱落した人もいます。

遺体損壊。

陰謀に次ぐ陰謀。

騙し討ち暗殺。

そして野心で心が濁る人々!

これです。このタイトルは原作シリーズの『氷と炎の歌』と異なり、サーセイ・ラニスターという人物のセリフを元にした1作目からとられています。

「王座のゲームを遊ぶならば、勝つか死ぬかしかない」

権力闘争をしたら、勝つか死ぬだけだ!

というのは、今週の頼朝、そして義時の心境にぴったりなセリフと言えるでしょう。

本作における悪の要素は見えてきました。

政治闘争です。

王座を奪おうと手を伸ばすと毒が流れ込んでくるように思える。そのマニュアルを脳にみっちりと詰めた奴が京都からやってきた。

大江広元です。

彼の登場以来、どんどん頼朝の人相が悪化し、ついでに義時の目からも光が消えてゆきます。

『麒麟がくる』の明智光秀は、理想の政治実現から遠ざかることで心が濁るようだったけれど、この北条義時は、権力に近づくと濁ってゆきます。

これから、どれだけ真っ黒になってゆくのでしょうか?

一方で、本作を見ているとき、頼朝の心境にすっと入り込むようにすると、言い方はあれですが、ものすごく楽しくなります。

自分の命令ひとつですっ飛んでいって、御家人が別の御家人を刺す。

御家人たちが平伏し怯える姿を見てやる。

どうだ! 俺はこんなにも強く、人を従えているのだ――そう成りきって見ていると、それなりに楽しい。しかし……。

我に返るとゾッとするし、自分が嫌になる。

そういう感情移入をしやすい演出やカメラワークまで考えているようで、実に興味深いものがあります。

そしてふと思うことがある。

権力って、自分は別に欲しくないなと。

 

今年の大河からマネジメントスキルは学べない

大河ドラマで学ぶ人間関係――そんな記事を見かけますが、今年は学べないでしょう。

この時代の人間はメンタリティが違いすぎる。

せめて上層への朱子学定着以降、室町後期あたりからの方がよいかと思います。

そもそも、平時と乱世では社会のルールが違い過ぎます。

現代日本で坂東武者のような世渡り術をやらかしたら、犯罪をやらかすことになりかねません。

謀略や殺人上等の世界から学ぶのって、

『仁義なき戦い』から学ぶ! 組織のマネジメントスキル

のようにトンチンカンな話なので、誰かが言い出したら話をそこで打ち切ることを推奨します。

何をどうすれば、このドラマの人物に共感できるのか?

そこは真顔で考えた方がよいかもしれませんよ。

では、なぜ、そういう記事が出るのでしょう。

需要あるところに供給あり――去年は渋沢栄一から『論語』を学び(これまた推奨できません)、来年は家康から学ぶ。そういう需要は毎年あるものです。PVが稼げるなら、何でもアリで記事が作成される。

何かを学べるとすれば、大江広元かもしれません。

彼は際どい事態に何度も巻き込まれ、それでいて断定的なことはなかなか言わず、責任転嫁する達人です。

今回の会話でも「決定したのは頼朝ですよ」と言い切り、うまく責任回避しました。

それでいて頼朝が一から考えた陰謀とも思えない。広元がうまく誘導しているように見える。ともかく只者ではありません。

こういう「王佐の才」(主君を助ける才能)はよいものです。

敵意を投げかけられやすい立場ながら、自身は逃げ切る。その巧みさは学べることが多いものでしょう。

そんな広元の行動原理を学ぶには?

大河もよいですが、実際に彼が読んでいた古典があります。

例えば『貞観政要』(→amazon)などは応用が効き、北条政子徳川家康明治天皇も愛読していました。

 

中世の神頼み

史実から景時の人間性を掘り下げる――そんな脚本が光った今回、中世の殺人者らしい発想がありました。

殺すことがまずありながら、動機づけをしたい。

そこで神の出番です。

神が殺していいと言ったから……という理屈を通す。

これは別に日本特有でもなく、中世のカトリック教国では「おらが村の聖遺物」だの、その日の守護聖人だの、そういう神頼みを理屈にして色々やらかすことはありました。

しかし「そういう迷信って、どうかと思うよね……」という意識の進歩があり、プロテスタントではそういうことはやらなくなる。

そんな中世人らしい神頼みをするところが、景時なのでしょう。

というのも「殺したいから殺した!」「殺した方が手っ取り早いからそうした!」とスカッと笑顔で言い切る奴も、ごく少数、人間の中にはいます。

木曽義仲は違いますね。

彼は法皇を盾にした。

平宗盛も違う。

彼は幼い安徳天皇を盾にした。

答えは源義経です。

権威や神を平気でぶん殴るような相手が隣にいると、景時の神経はもう、やすりで削られ続けるようなものでしょう。

景時の悪夢が来週始まります。

※著者の関連noteはこちらから!(→link

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◆鎌倉殿の13人キャスト

◆鎌倉殿の13人全視聴率

文:武者震之助(note
絵:小久ヒロ

【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト

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