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【麒麟がくるキャスト】
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豊臣家
◆豊臣秀吉(佐々木蔵之介さん)……庶民から貴族頂点の位へ――日本史上最も出世した男であり、光秀を倒して家康を封じ天下を牛耳る
豊臣秀吉のド派手すぎる逸話はドコまで本当か?62年の生涯まとめ
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◆豊臣秀長(未定)……若い頃から秀吉の快進撃を支えた弟。その死により豊臣政権の崩壊が始まったとの見方もあるほど有能
2026年大河ドラマ『豊臣兄弟』の主役・豊臣秀長とは?天下人の兄を支えた偉大なるNo.2
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◆寧々(未定)……秀吉の正妻。大の女好き夫の浮気にブチ切れていたところ、信長から手紙を貰ったこともある
秀吉の妻ねね(寧々 北政所 高台院)女癖の悪い夫をどう操作した?
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◆茶々(未定)……浅井三姉妹の長女(信長の姪っ子)にして、豊臣家の跡取り・豊臣秀頼の母
◆豊臣秀次(未定)……秀吉の親族にして豊臣政権の跡継ぎと目されていたものの、秀頼の誕生により立場がなくなり、自刃する
豊臣秀次(秀吉の甥)はなぜ自害へ追い込まれ殺生関白と呼ばれたか?
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◆竹中半兵衛(未定)……官兵衛と並ぶ秀吉の参謀的存在とされる。伝説の稲葉山城乗っ取り事件が有名
官兵衛と並び称される天才軍師の実像~竹中半兵衛36年の生涯まとめ
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◆黒田官兵衛(未定)……秀吉の天下取りに大きく貢献するも、関ヶ原では嫡男黒田長政と共に東軍で活躍、御家を発展させる
黒田官兵衛は本当に天下人の器だったか?秀吉の軍師とされる生涯59年まとめ
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◆蜂須賀正勝(未定)……死ぬまで所領を持たず秀吉に付き従った美濃の川並衆。代わりに息子が阿波の国主となる
◆石田三成(未定)……秀吉子飼い武将の中で最も信頼されたキレ者。豊臣政権をよくまとめるも秀吉子飼い武将の中で浮いてしまう
石田三成・日本史随一の嫌われ者を再評価~豊臣を支えた41年の生涯
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◆加藤清正(未定)……豊臣政権の補佐を期待されていながら三成と反目し、徳川政権下で不審死を迎える
加藤清正ならば秀吉亡き後の豊臣を救えたか?子飼い大名49年の生涯
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◆福島正則(未定)……清正と並んで、秀吉子飼い武将の猛将二枚看板の一人だったが、城の修復を巡って改易の憂き目に遭う
福島正則は秀吉子飼いの武将なのに~徳川政権で転封改易の悲劇を辿る
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◆小早川秀秋(未定)……秀吉の親族ながら関ヶ原では東軍につく。現在では裏切り者ではないとの見方が浮上
関ヶ原の裏切り者・小早川秀秋はなぜ東軍に?儚い21年の生涯まとめ
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◆京極高次(未定)……姉・竜子が秀吉の側室、自身の妻が浅井三姉妹の初。これら女性の力で出世したとされ「蛍大名」と呼ばれる※実際は有能
近江の戦国武将・京極高次が「蛍大名」と呼ばれた理由とその生涯
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◆千利休(未定)……商人・茶人として頂点に上るも、秀吉の勘気に触れて自害へ追い込まれる
斎藤家・土岐家
◆斎藤道三(本木雅弘さん)……光秀の元主君(?)。マムシと呼ばれた下剋上の代表的大名。実は2人だった説が最近有力視されつつある
マムシと呼ばれた戦国大名・斎藤道三の成り上がり63年の生涯まとめ
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◆小見の方(片岡京子さん)……道三の正室で、信長の義母(娘の帰蝶が信長に嫁ぐ)
道三の妻にして信長の義母~小見の方を知れば明智家や斎藤家がわかる
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◆土岐頼芸(尾美としのりさん)……元は美濃を治める守護大名にして道三の主君だったが、その道三に追い出され、武田家の庇護下に置かれる
道三に追われ信玄に拾われた土岐頼芸~美濃の戦国大名83年の生涯
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◆土岐頼純(矢野聖人さん)……父の土岐頼武が、美濃守護である土岐頼芸の弟(つまり頼純本人は甥に当たる)。守護就任を控えてから不審死を迎え、道三による暗殺説が囁かれる
土岐頼純は道三に暗殺されたのか~戦国美濃で起きた兄弟骨肉の争い
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◆深芳野(南果歩さん)……元は土岐頼芸、その後、斎藤道三に譲られた側室。息子の義龍、本当の父はドッチ?という疑念が……
夫と息子が殺し合い!道三の側室・深芳野は美濃に災いをもたらす美女
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◆斎藤義龍(伊藤英明さん)……道三の嫡男にして道三を討った男(→長良川の戦い)。その後、急死する
信長に刺客を放った斎藤義龍はマムシの息子~美濃を支配した生涯33年
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◆斎藤龍興(未定)……道三の孫(義龍の息子)。信長に美濃を奪われ、各地を転々としながら織田家を攻撃し続ける
織田軍に国を追われた斎藤龍興が信長にネチネチ反撃~26年の生涯
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◆稲葉一鉄(村田雄浩さん)……美濃三人衆の一人で斎藤家の重臣。龍興を見限り、信長に降る
信長に寝返った美濃三人衆・稲葉一鉄は生涯74年でどんな働きをしたか
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◆斎藤孫四郎(長谷川純さん)……道三の次男
道三の次男・斎藤孫四郎はなぜ兄の義龍に殺された?骨肉の家督争い
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◆斎藤喜平次(犬飼直紀さん)……道三の三男
道三の三男・斎藤喜平次もまた暗殺~なぜ兄の義龍は凶行に走ったか
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合戦その他イベント
◆長良川の戦い(1556年)……斎藤道三が、息子の義龍に殺される(信長は救出に向かい、逆に敵に囲まれピンチになるも、信長が殿を務めて無事に尾張へ帰る)
長良川の戦いで道三と義龍が激突! その後の斎藤家はどうなった?
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◆桶狭間の戦い(1560年)……信長が今川義元の首をとり、日本史上最大の番狂わせとなる
桶狭間の戦い 信長の勝利は必然か『信長公記』にはどう書かれてる?
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◆金ヶ崎の退き口(1570年)……浅井長政に裏切られ、秀吉や光秀が命を賭した撤退戦を担う
信長最大の危機「金ヶ崎の退き口」撤退戦を務めたのは秀吉で家康は?
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◆姉川の戦い(1570年)……浅井朝倉軍を織田徳川連合軍が打ち破る
「姉川の戦い」織田徳川vs浅井朝倉の決戦は実質引き分けだった?
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◆比叡山焼き討ち(1571年)……比叡山延暦寺に攻め込み、光秀が大活躍。史実では何千人も虐殺しなかったのでは?という指摘も
比叡山焼き討ちを強行した信長~数千人の虐殺大炎上は誇張なのか?
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◆三方ヶ原の戦い(1572年)……徳川織田連合軍が武田信玄にフルボッコにされる
家康はなぜ信玄に戦いを挑んだ? 三方ヶ原の戦い 謎多き戦場を歩く
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◆槇島城の戦い(1573年)……信長に反旗を翻し、包囲網を敷こうとする将軍義昭。信玄が死んでその構想は崩れ、京都から追放される
信長vs義昭「槇島城の戦い」で室町幕府滅亡~意外と緻密な将軍の戦略
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◆長島一向一揆(1574年)……伊勢長島の一向宗信徒を虐殺
長島一向一揆で信長が宗徒2万人を虐殺~徹底的に潰したのは何故か
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◆長篠の戦い(1575年)……長篠城の戦いから発展。徳川方の一兵卒・鳥居強右衛門の働きもあり、設楽原に築いた砦に武田軍を誘い込んで撃破
長篠の戦いで信長の戦術眼が鬼当たり!勝因は鉄砲ではなく天然の要害
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◆黒井城の戦い……丹波を平定するため、光秀が赤井直正や波多野秀治とやりあった合戦(二度にわたる)
光秀の功績で最も輝く黒井城の戦い~丹波衆と激闘の末に得たものは
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◆本能寺の変(1582年)……光秀、13,000の兵で本能寺と二条御所へ攻め込み、信長と信忠を死に追いやる
なぜ光秀は信長を裏切ったか「本能寺の変」諸説検証で浮かぶ有力説は
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◆中国大返し(1582年)……光秀謀反の報を聞いた秀吉は10日間で230kmの道程を移動
中国大返しは可能か?秀吉と官兵衛による10日間230kmの強行軍を考察
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◆山崎の戦い(1582年)……京都山崎で秀吉と光秀が激突! 秀吉が完勝する
明智軍vs羽柴軍「山崎の戦い」で秀吉が勝てた理由~光秀は何処へ?
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小牧・長久手の戦いは秀吉vs家康の総力戦!一体どんな合戦だった?
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◆後日追加予定
高屋城の戦い
信貴山城の戦い
神吉城攻め
有岡城の戦い
天王寺の戦い
毛利家
◆毛利元就(未定)……安芸の国衆(地方領主)から中国地方を治めるまでになった稀代の戦国大名。寡兵で大軍に勝利すること3度あり、最強との呼び声も高い
毛利元就はどんな合戦や策を用いて中国地方8カ国を支配したか
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◆毛利隆元(未定)……毛利元就の長男にして三本の矢の一人。早世するも、その息子・輝元が次代の毛利当主となる
毛利隆元(元就の長男)失って初めて実感する跡取りの偉大さ優秀さ
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◆吉川元春(未定)……毛利元就の二男。毛利家の主要な戦いに参加し、最前線で戦ってきた同家を代表する勇将
吉川元春(毛利元就の次男)が熱い~11才で初陣の勇将と奥様に注目
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◆小早川隆景(未定)……毛利元就の三男。吉川元春と共に「毛利両川」と讃えられる。武力だけでなく政治外交も得意な文武両道タイプ
元就の三男・小早川隆景はキレ者ぞ 王佐の才は毛利や秀吉に重宝され
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◆清水宗治(未定)……備中高松城の戦いで同城をよく守り抜くが、本能寺の一報を受けた秀吉と、毛利の和睦により切腹。敵味方から称賛される
秀吉の備中高松城水攻めで籠城した清水宗治が武士の鑑と称された理由
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◆毛利輝元(未定)……毛利隆元の子(元就の孫)にして毛利家の当主。関ヶ原の戦いでは西軍の大将だったが、負けて所領を減らされる
◆毛利秀元(未定)……父は穂井田元清(元就の四男)。秀吉に気に入られ、文禄の役では初陣にして毛利軍の総大将を務める
元就の孫・毛利秀元が文禄の役で鮮烈デビュー!毛利軍3万の総大将
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制作スタッフ等
◆語り……市川海老蔵さん
◆脚本……池端俊策さん・前川洋一さん・岩本真耶さん
◆制作統括……落合将さん
◆音楽……ジョン・グラムさん
◆題字……中塚翠涛さん
◆時代考証……小和田哲男さん
◆衣装デザイン……黒澤和子さん
◆風俗考証……佐多芳彦さん
◆建築考証……三浦正幸さん
◆医事考証……星野卓之さん
◆古文書考証……大石泰史さん
◆時代考証補…… 小和田泰経さん
◆所作指導……花柳寿楽さん
◆芸能指導……友吉鶴心さん
◆殺陣武術指導……久世浩さん
◆馬術指導……田中光法さん
◆演出……大原拓さん・一色隆司さん・佐々木善春さん・深川貴志さん
◆プロデューサー……藤並英樹さん・中野亮平さん
【参考】
国史大辞典
『戦国武将合戦事典』(→amazon link)
NHK