天正12年(1584年)3月――家康と秀吉の天下を巡る決戦の火蓋が切り落とされた。
そんな字幕が流れ、歌いながら土木工事する人足の姿が映ります。
30回もの放送を過ぎ、ようやく落ち着きのある大河らしさを前面に出してきたようです。
これまでは時系列を逆転するなどの遊びが酷く、見ている側は混乱させられました。
ただ、せっかくの雰囲気も、ナレーションがあの調子では結局台無し。
「決戦の時が迫っております!」
と、盛り上げようとしているようですが、声のトーンが相変わらず講談師のようで、ズッコケそうになります。いっそのこと本職に頼めばよいのに、どうにもチグハグで……。
ナレーションはドラマの土台でしょう。
彼女の声は春日局説もありますが、そんな小手先の話ではなく、もっと全体の骨格をしっかり整えてくれるような語り調のほうがよいのではありませんか。
直後に登場する秀吉の陣羽織も、質感が絨毯のよう。
『真田丸』の秀吉も、派手で凄まじいセンスの衣装でしたが、それが似合っていたし納得できた。
このドラマは脚本の流れだけでなく、衣装にも説得力が感じられず、その思いはオープニングテーマを聞いていると、さらに強くなります。
戦国乱世の重厚さどころか、せいぜいが運動会のマーチ程度に思える。
わかりやすさを重視して間違ってしまったのか、背景のアニメも同様に緊迫感がありません。
キラキラした悪趣味なロゴばかりがドーン! と目に飛び込んできて、「いつの時代のセンスで作っているドラマなんだ?」という違和感が拭えません。
どうする「赤鬼」
「良いところを無理やりに探す」少女ポリアンナのように、本作の改善点を強引に挙げるらば、床几の導入でしょうか。
しかし、その思いも井伊直政で台無しになります。
彼は顎が細く、色が白い、そして全体的に細い。
2021年大河ドラマ『青天を衝け』では幕末の貴公子として登場したため、違和感はありませんでした。
しかし今回はどうしたって線の細さが目につく。
江戸時代後期以降の白米を食べている印象顔に見えてしまいます。適材適所にできなかったのでしょうか。
どうする発声と罵倒
現代ドラマの詐欺師のような本多正信がわざとらしく登場したかと思ったら、秀吉のことを「悪逆非道なり〜」と、何らひねりのない罵倒。
罵詈雑言を浴びせるにしても、他に言葉はなかったのでしょうか?
なぜ脚本の語彙力不足をどこかで加筆修正できないのか。
フィクションであればこそ、こうしたところは書き手の腕の見せ所であり、面白さを出せる場面でしょう。
それが、手垢にまみれた「悪逆非道」という語句では、せっかくの正信の知性もぼやけてしまう。
おまけに腹の底から出ていない発声のせいか、声がペラペラと聞こえて、悲しくなるばかり。
抑揚の付け方、ピロピロしたBGM、何もかもが頭を抱えたくなります。
そもそも、こんなところで怒鳴って、誰に聞かせるつもりなのでしょう?
徳川勢が愚かで品性下劣にも見えてくる。あまりにくだらない場面です。
どうする罵詈雑言への反応
悪口が記された看板や紙を池田恒興が秀吉の前に持ってきて、何やら煽っている。
しかし、ここでも言葉が物足りない。
どうせフィクションなのですから、別に戦国時代にこだわらず、『三国志』だって参考にしてもよいでしょう。
例えば、曹操が袁紹と対決したとき、袁紹のプロパガンダ担当者である陳琳が曹操を罵倒する文書を書いています。
私も何度か引用させていただいてますが、これが名文で『文選』に収録されています。
これを読んだ曹操は「これを書いた奴は殺すしかねえ!」と激怒する。
そして袁紹を倒して陳琳を捕縛すると、目の前まで陳琳を連れてきました。そして「おっ、作者発見。俺の前でこれを音読してみ」と声をかけたところ、陳琳は死を覚悟しながら読み上げました。
すると曹操は、
「きみ、煽りの才能あるよ。これからは俺のために俺の敵を煽ろうぜ!」
と許して陳琳を採用。無事、曹操配下を代表する文人となった――というものです。
「ドラマだからフィクションで当然」というならば、なぜこうした過去の名シーンを参考にしてアレンジしたりしないのか。
このとき、秀吉は尻を相手に向けて叩いて挑発したなんて逸話もあります。真偽のほどはわからないものの、このドラマはそういう話でも取り入れてきたじゃないですか。
全く見せ場になっていない。視聴者に「おっ」と言わせるような、ひねりがない。
挙句の果てに、秀吉に
「人の悪口を書いて面白がっている奴は、自分の人生を特別だと思っているんだ!」
なんて言わせてますが、これはどういう意図なのでしょう。
暗に、『どうする家康』を批判する者たちに向けて発せられているんですかね。
あるいは、秀吉のその言葉を肯定的に捉えるのだとすれば「だから徳川軍はダメなんだよな」となってしまいます。急にどうしたのでしょう。
曹操と陳琳のやりとりなんて非常に面白いと思うんですけどね。
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どうするアドリブ頼り
罵詈雑言の看板に対して、秀吉が吐いた台詞。
あれはアドリブの可能性も考えられます。
以前から、脚本ではなくアドリブが目立っている本作、公式ガイドブックの「第32回あらすじ」では、秀吉の台詞が「家康はひざまずく」といった趣旨の一文しか記されていません。
編集者が公式ガイドブックを確認したところ、このシーンでは榊原康政による「野人の子」という言葉に注目されていたそうです。
それが思いのほか長いシーンになっていて、後から脚本家が加筆したのか、それとも現場で追加されたのか、すべては謎。
いずれにせよ当初の予定とは若干異なる展開であり、現場の役者が必死になっている可能性も考えられますね。
どうする軍師
なんとなく偉そうな正信。なぜ、ここまで大きな態度でいられるのか。
軍師的ポジションならば、まずは天候の話をするのが自然な流れでは?
風が強ければ火を使うとか。
雨が降るならば水害を利用するとか。
そういう見通しが一切なく、未来を知っているからこその結論(中入り)をドヤ顔で出してくる。
同じ脚本家の映画『レジェンド&バタフライ』の帰蝶もそうでした。
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実際の戦場は、ゲームではありません。敵がどう出るか。軍の動きが何に左右されるか。攻略本などない世界で、必死に思いを巡らせ、少しでも勝率の高いほうへ向かう。
本多正信のポジションでは、そうしたロジカルな説得力が必要とされるのではないでしょうか。
それがいきなり石を落として、三河中入りが怖いぞ、ドーン!って喪黒福造じゃないんだから。
視聴者を納得させて初めて、映像作品といえるはずです。
どうする「鬼武蔵」
豪華キャストが鬼武蔵こと森長可を演じるということで話題をさらっていました。
誰が見てもカッコイイ。
確かにそうですが、あの恐ろしいイメージの森長可なのに、陣羽織が真っ白で血の一滴すらついておらず、凄みが感じられない。
鬼武蔵を出すならば、あえて首を二~三個髷同士で束ねて持ち運ぶとか、生首から滴る血を舐めるとか、血まみれの握り飯を食うとか。
感染症なんて関係ねえんだわ――という鬼ならではの個性が欲しかった。
今後、そうした武将の登場機会があれば、月岡芳年『魁題百撰相』でも参考にしていただきたい。あれは芳年が上野戦争を目撃した結果の絵ですので、人間のリアルな狂気が伺えて実によいものです。
NHKの夜8時ではきついかもしれませんが、血しぶきだけは好きな本作ですので今さらではありませんか。
それと、森蘭丸(本作は森乱)の兄という点も説明してもよかったのでは?
以下の記事のように
◆【どうする家康】14年ぶり大河、「鬼」と呼ばれた人気武将を演じた役者は…(→link)
“人気武将”であると、サラッと説明されても、鬼武蔵の個性が全く伝わってこないでしょう。まったくもって勿体ない。
どうするバディ
井伊直政と本多正信をバディにしたいというのはわかった。
ただ、描き方がひどく稚拙に見えます。
『麒麟がくる』の明智光秀と細川藤孝とか。
『鎌倉殿の13人』の畠山重忠と和田義盛とか。
彼らのように複雑で物悲しい人物同士の繋がりが、本作では全く描けていません。
今まで二人の関係性が全く描かれてなかったものだから、どうしようもない回想を入れて間を持たせただけのように見えます。
それだけでなく、直政の顔の汚し方も、正信の握り飯の食べ方も、とにかくわざとらしくてリアリティがない。
過去のエピソードがあまりにお粗末なので、二人は役に入り込めているのか?と不安になりながら見てしまいます。
それに前述のように、井伊直政はあまりに細い。
腕の細さは困惑するばかりで、それでも彼を登用したいなら、見た目とは違って戦場ではとにかく非情だという一面にスポットを当てるべきではありませんか?
ハッキリ言ってしまえば、力仕事は別の武将に任せるべきだったでしょう。
『鎌倉殿の13人』の八田知家は、土木工事担当キャラクターでした。あの丸太のような腕と分厚い胸板なら、圧倒的な説得力があった。
今年は適材適所が全くなっておらず、だからこそ物語も薄っぺらく感じてしまいます。
どうする「すごい図面」
なにかすごい図面があるらしい。
いや、だから、どうすごいのか?それを説明するのがドラマではありませんか?
このドラマは戦場での説得力が圧倒的に欠けていて、ため息をつくしかありません。
昭和平成の中高生が「おめーって、マジすげーよ」「ベンチ入りするなんてヤバい」と言い合っている程度の描写しかできない。
なぜ、そんな限定的世代の青春コメディしか描けないのに、大河をやろうと思ったのか。
自分の力量を知ることも、勝利には欠かせない要素です。
自らの経験から、歴史フィクションを描くのは苦手、合戦なんて無理だと、事前に把握できるでしょうよ。
それがなぜ「シン・大河を作れる俺らw」と誤解したのか……。
どうする「羽柴秀次」
「出て欲しくないリスト」にいた羽柴秀次が、ついに出てきていまいました。
今後おそらく、彼の立ち位置を満足に説明せず、妻妾惨殺だけはねっとりと描くのでしょう。
そうなれば駒姫の描写は避けられず、頭の痛いところです。
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まっとうな徳川家康のドラマならば、最上義光との関係は重要ですが、今年はそうでない。
このドラマが本当に最新の学説を取り入れるのであれば、87年の大河ドラマ『独眼竜政宗』の頃からはるかにアップデートされた東北戦国史が描かれればよいですが、せいぜい伊達政宗が登場して終わりではないでしょうか。
そもそも、この時点では「羽柴秀次」ではなく、まだ信吉のはず。
本作は名前の変遷をやらず、一番通じる名前だけで通すようです。
『鎌倉殿の13人』の北条政子のような前例もあるとはいえ、そこを意地悪く突っ込みたくなるのは、本作が信頼できないから。それに尽きます。
どうする「レーシックお愛」
今週もド近眼設定を忘れたレーシックお愛。
戦国時代の女性というよりも、昭和平成学園ものの女子マネですよね。
こうして「レーシック」と近眼設定に触れると、「そんな細かいことはどうでもいい」という意見もあるかもしれません。
違います。
この近眼設定を忘れることそのものに、このドラマの本質がみっちり詰まっているのです。
彼女が近眼であると伝わっているのはなぜか。
同じ近眼の人々に情けを施し、それが慈愛ある姿として記録されているからでした。
もしも彼女の魅力が「優しさ」にあると真摯に思っていれば、そこを間違えるはずがありません。
結局、近眼設定は最初だけ義務的に流されていた印象。
こうした状況から、本作の制作陣には「人助けとかww ダッサ、うっぜwww」という価値観でもあるのでは?と疑念を抱いてしまいます。
過去作品でいえば『麒麟がくる』の駒を嫌いそうな感受性ですね。
駒は、光秀の父に救われた結果、医学を身につけ、多くの人を救う医者になりました。
たったひとつの少女の命を救うことで、助かる人がたくさんいる。人間の命をひとつひとつ大事にするという彼女の心は、作品の根幹にあるテーマの象徴だったと思います。
そこを読み取れず、小馬鹿にしてヘラヘラ笑っているのだとしたら、どういう感受性なのでしょう。
赤い羽根募金活動や署名運動を小馬鹿にしていた中高生時代の気分が抜けないようで。
善意をおちょくって小馬鹿にする結果が、今年のレーシックお愛そのものでしょう。
戦争で人が死ぬのに女子マネ感覚でラリラリしている。軽薄そのもののヒロインに思えてきます。これなら生真面目だったぶんだけ『花燃ゆ』の文の方がマシでしょう。
本作の根底には、あの秀吉が語っていたように「悪口を言う奴がおかしい」という、批判を物ともしない精神性があるのでしょう。
ならば笑ってレーシックお愛と踊り続けてください。
人助けを笑いものにする社会は、あまりに殺伐としていて私は嫌でなりません。
こんなランキングを見ると、心底うんざりしてしまいます。
◆「人助けランキング」日本は世界118位、ビリから2番目に“納得の理由”(→link)
どうする「クライマックスになるなる詐欺」
本作の家康は何度も嘘をついてきました。
信長を倒す。
秀吉を倒す。
これが最後の大戦。
まるで「クライマックスになるなる」詐欺ではありませんか。
秀吉は床几に腰掛け顔芸タイム。
家康は詐欺タイム。
徳川家臣は青春タイム。
レーシックとその周囲は女子マネタイム。
そんなことより、もっと合戦シーンに注力すべきではありませんか?
合戦というのは、何も戦うばかりではなく、先に申しましたように、本多正信がもっと様々な想定を提案して家康に投げかけてもいいし、地図を使った戦術のシミュレーションだってあるでしょう。
それなのに私達はいったい何を見せられているのでしょう。
どうする照明
夜間戦闘の場面が、でかいライトで照らしているのが見え見え。
スモークも、霧とか土埃ではなく、炊いていることが見え見え。
なぜこれほどまで安っぽい作りなのか。
本作の合戦は、やたらと暗いことが多く、晴れていることがまずない。
あのお粗末VFX馬がいなくなったと思ったら、今度は迫力不足の殺陣と戦場が前に出てきました。
どうする「井伊ひよ」
井伊直政が母ひよを思い出す場面は一体なんなのか?
あの不気味なメイクをさせる意味がわかりませんし、言及すらされてこなかった直政の母を出すというのもなんだか違和感があります。
直政の父で、彼女の夫・井伊直親を失ったあと再婚していますので、役名も「井伊ひよ」で良いのですかね。
井伊家再興を願う女性であれば、むしろ井伊直虎があの場にいた方がよかったのでは?
『おんな城主 直虎』の主役ですから、それなりに盛り上がったことでしょう。
衣装もどうなのか。井伊家再興という割にいい着物を着ているようで、説得力が感じられません。
本作は、新規で作った衣装と、ストック衣装の落差が激しい。新規はお粗末で、NHKのストックだと素晴らしいように見受けます。どういうわけか彼女だけ能装束だそうです。
しかも、そんな彼女は、直政のことを顔選抜だと言ってのける。
あまりにひどい言い草ではありませんか。
このドラマの制作者はルッキズムがひどく、悪口でも身体的特徴を出す。井伊直政の長所も、この言い方では顔だけのようだ。
なぜ、こんな描き方になってしまうのでしょう。
もしかしたら作り手は、井伊直政本人の事績や逸話をかいつまんで拾っているため「顔がいいだけ」と言わせてしまうのでは?
直政の魅力を作り手が把握していなければ、視聴者に伝わるはずもない。「顔だけ」なんて描写は、あまりにも杜撰です。
母に美形だと褒められたから、直政は女装して家康を殺そうとしたのでしょうか。
とことん意味がわからない。
それとも暗殺に失敗した後で、母親が「女装も似合うくらいカワイイ顔でうまく立ち回りなよ」と言ったとか?
やはり、下劣すぎて理解できない。
こんなニュースが出ている昨今、
◆ いまだジャニーズ性加害問題は解決しない中…「24時間テレビ」のポスターが物議を醸しているワケ(→link)
母の口から幼い我が子に「美貌でのしあがりなよ」なんて言わせるとは、非常に挑戦的なスタンスですね。
どうするBGM
このドラマのBGMは自己主張が激しすぎる。
わざとらしくバイオリンを響かせるのはやめましょう。興をそがれます。
劇を盛り上げるのではなく、自分の世界観を押し付けようとしてくるようで、どうにも耐え難い。
どうする赤備え
ガンプラのメタリックカラーを混ぜたようにテカテカした笠。
直政陣羽織の紐の違和感。
これが「シン・大河」の赤備えなんでしょうか?
井伊の赤備えに対し、これほどヘイトが溜まったのは、幕末以来でしょう。
幕末の井伊家は、井伊直弼が桜田門外の変で討たれて以来、統制を失っていました。
京都守護も本来は井伊家の役目でしたが、それが不可能となり、会津藩松平家に京都守護職が回ってきました。
そんな無茶苦茶な状態だったのに、格式高いと威張っていた井伊家、その赤備えは時代錯誤の象徴となった。
まさにこの大河の井伊家は、幕末そのもの。
プライドだけ高くて見掛け倒しで、中身は空っぽです。
どうする本多忠勝と蜻蛉切
戦場で本多忠勝が、
「かすり傷ひとつ負ったことがない!!!」
って、自らドヤ顔でなんなんですか。
子どもが考えた「さいきょうの ほんだただかつ」というテーマのマンガでも見せられているようで、本当にこの作品はリアリティを感じさせてくれないな!
実際にどこで誰がそんなことを言ったのか。問題はそこではなく、戦場で、のんきにそんな台詞を吐いている間に矢玉が飛んできたらどうするんだ。
この忠勝は、衣装合わせもおかしいのか、兜のサイズすら合っていないように見えます。
鎧を身につけているにせよ、それが軽いとわかる動きをするのはどうしたものか。
今年の大河は武器甲冑の重さを考慮しているとは思えません。
思えば初回、織田信長が10キロはゆうに超えるであろう今川義元の兜首を槍投げした時点でそうでしたね。
役者がどれだけ頑張ろうとも、重力すら無視するドラマにリアリティは一切ありません。
それにしても、蜻蛉切にトンボが止まっても切れず、普通に飛んでいく場面は、一体何がしたかったのでしょう。
蜻蛉切は、止まったトンボが切れるほどの切れ味だからこその名前。
「実際には切れるはずないよね!」って?
だとしたら、戦国ファンのロマンを小馬鹿にしているようで、いたたまれない気持ちになってしまいます。
どうする勝利と敗北
勝利の後で、エイエイオーと叫ぶところすら声がヘロヘロに聞こえてしまう。
さらにはピロピロBGMのせいか、昔のRPGで敵を倒した後のポーズを見ているよう。
負けた後の秀吉も全くなってない。
悔しがる以外にすることはいくらでもあるでしょうよ。
このドラマは戦後処理が全くありません。
まず、大量に発生した死体を早急に埋葬だけでもする必要がある。疫病が発生しかねません。
戦果を確認した上で、信賞必罰をあきらかにした論功行賞も必須。
戦死した一族の後継者を決めるとか。遺族の補償とか。ともかくやることが山積みのはすなのに、このドラマでははしゃいでラリラリすることしか頭にない。
『麒麟がくる』の光秀はノリが悪く、みながはしゃいでいるような場所でも正論を口走ってしまった。
『鎌倉殿の13人』の義時も真面目。みなが酒を飲んでいるとき、木簡を数えているような青年でした。
そういう真面目でしっかりした人間を「陰キャww」と嘲笑っているパリピ勢が、本作の支持層なのでしょうか。
どこがだよ「学びと鍛錬」
義元に学び、信長に鍛えられ、信玄の兵法を習得する――前半はそういう流れだったとドラマ内で歴史修正が行われました。
いつ、そんな学びや鍛錬があったでしょう?
側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか。
戦場では「いやじゃーいやじゃー」とピエピエ泣き叫ぶ。
何をもってして学びといい、鍛えられていたのか。
結局、本人の申告であれば、見ている方はそれを呑み込めということなのでしょう。いや、嫌なリアリティはありますね。
なぜ、家康はVIPの名前ばかり出し、太原雪斎は出さないのか。
『貞観政要』のように読んだ書物名は出せないのか? 『鎌倉殿の13人』最終回では『吾妻鏡』を読んでいたのに。
薄っぺらい自己顕示欲そのものなんですね。
学歴やら、何十年も前の模試や入試の結果をSNSに書き込む。有名人とSNSでフォロー同士だとひけらかす。大物と一緒に写真を撮影したと自慢する。
そんな過去の栄光やセレブとのお知り合い自慢よりも、自分自身が何者なのか。読んだ書物は何か。学んだ具体的な内容は何か、それをどう生かしてきたか。
そういう具体性のある話を理詰めですればいいのに、それすらできないのでしょう。
この作品の作り手の自己申告は、全くもって信頼できない。前半のあの情けない姿を「気弱なプリンス」だと認識しているあたりからして、まったくもって意味がわかりませんからね。
◆松本潤は“気弱なプリンス”としてどう成長? 『どうする家康』演出&制作統括が込めた思い(→link)
作り手の人生観なんですかね。
自分が若くてイケてると思っている間は、エロいことと面白いことばかり考えてラリラリしていた。
でも、もういい歳だし、学んで大人になった、偉い人だと持ち上げて欲しい♪
顔が変わった。貫禄が出た。鍛えられ学んだ人だ。そう思われたいんでしょうね。
しかし徳川家康は、そんなバブル期に青春を送ったイケイケ昭和平成のレトロ課長とは違います。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし――そんな語りで描かれる人物です。
それをパリピ風に描くのは侮辱ですらあるでしょう。
出演する役者さんにとっても、不幸でしかありません。
例えば主演の方はそろそろ40代に入ります。
いくら美形だろうと、不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ。
『麒麟がくる』の長谷川博己さん、『鎌倉殿の13人』の小栗旬さんなどは、そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります。
今年は、その力強さが大河ではなく朝ドラに向かったようです。
要潤さんが高みへ駆け上がる、その背中を『らんまん』は押しています。
◆「要潤」最低な悪役が“ハマる”と高評価 イケメンキャラから「ダーク系」にシフトできた理由(→link)
どうした真田昌幸
真田昌幸は家康より4歳下。劇中では、まだ不惑前の壮年期です。
それなのにこの貫禄は何ごとか?
と、思ったら役者の親ネタですか。
◆真田昌幸役・佐藤浩市さんの扮装写真公開にオールドファンが涙する理由【どうする家康満喫リポート】秘話発信編(→link)
A:いや、これはオールドファンにとっては涙腺崩壊の扮装写真ではないでしょうか。
佐藤浩市さんの父三國連太郎さんが1981年にTBSで放送された大型時代劇『関ケ原』で本多正信役を演じた際の感じにそっくりです。
いやいやいや、1981年って、もはや40年以上も前のことですよ。
そんな古いことを覚えている層だけに取り入ってどうするつもりなのか。
って、まぁ、仕方ないですね……。
今年はもうドラマとして終わっている。だとすれば、こんな風に
「あれは佐藤浩市さんの父である三國連太郎に似せているんですよw 歴史ファンならそのくらい常識でしょw」
周囲にマウントするぐらいしか役割がないのでは?
話題作りが第一でドラマとしての出来はそっちのけ。だからこそ、こうした状況になってしまうんですね。
どうしてこうなったんだ! 衣装
毎回衣装にダメ出ししていて、我ながら疲れますが……。
秀吉の陣羽織が、どうしてもカーペットのように見えてしまう。
実は以前も似たようなことがありました。
『花燃ゆ』で、ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレスが、カーテンに見えたのです。
あのときは『八重の桜』で大山捨松が着用したドレスを着回した、津田梅子の方がよいとしみじみと思いました。
画像のリンクを貼っておきましょう(左が美和で右が梅子→こちらの画像)。
大河の衣装において、絨毯だのカーテンだの、連想したくありません。
まっとうな衣装デザイナーはいないのか……。
と、思ったらいました!大河ではおなじみの黒澤和子さんが映画『リボルバー・リリー』を手掛けております。
◆映画『リボルバー・リリー』綾瀬はるかが身にまとう衣裳は黒澤和子率いるデザインチームが担当(→link)
『八重の桜』の八重と尚之助を演じた綾瀬はるかさんと長谷川博己さんが出るなんて、これまた素晴らしい。
『八重の桜』の評価点として、川崎尚之助の汚名を晴らしたこともあげられます。
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新説を無意味に取り入れればよいのではなく、そこまでしてこそ良い大河。
『どうする家康』では「森蘭丸でなくて森乱です!」なんて大仰にいうものだから、さぞかし暴れるのかと思ったら、気がつけば消えていましたからね。
アリバイとして新説を取り入れたなんて言われても意味がありません。
※謝罪と追記
大変失礼しました。
秀吉には絨毯を陣羽織にしていたものがあり、制作側の正解です。
私の不勉強ゆえのあやまちであり、以下に参考リンクがございます。
◆鳥獣文様陣羽織(→link)
実物はドラマほど「モロに絨毯です」とは見えず、着用時期にも疑問は残りますが、私のミスはミスです。大変申し訳ありません。
謹んでお詫びを申し上げると共に、今後も勉強を重ねていきたいと思います。失礼しました。
どうしようもない好感度
ムロツヨシさんは「自分は好かれない」と語っております。
◆「どうする家康」ムロツヨシ怪演がネット話題“大河史上最恐”秀吉の魅力は「野心」「好かれないピエロ」(→link)
あの秀吉なら仕方ない……とは思いますが、では、誰が好かれているのか?
去年の和田義盛や畠山重忠、あるいは上総広常なんて、主役を食う勢いで支持されていました。
他にも挙げたらキリがないですが、では今年は?
ムロツヨシさんが心配せずとも、誰も好かれていないように見受けます。
立ち位置的に石川数正の人気が高いようにも思えますが、どちらかというと「グルメの人だ♪」という印象から来ているようにも見えるし……。
もはやドラマに出番があることそのものが呪い。
「あの武将は出て欲しくない」というリストを私は脳内に作りました。
どうしようか提灯記事
井伊ひよだの、森長可だの、過去大河からのサプライズ使い切り出演者がなぜ出てくるのか。
それはニュースソースを切らしたくない事情からでは?
◆「真田丸」の“吉野太夫”中島亜梨沙が出演 直政の母・ひよ役で第32回に登場「今週の日曜日、ぜひ」(→link)
◆NHK大河『どうする家康』城田優に「もったいない」! 『VIVANT』小日向文世の不倫には「裏がある」?(→link)
この大河はもう巻き返しが期待できない。決定的に勢い不足です。
時間帯が近い民放ドラマの勢いと比べると一層際立つ。
◆ 【VIVANT】第5話視聴率14・2%で番組最高更新!「テント」のリーダー判明、前回から0・8P増(→link)
もはや絶望的な状況です。
大河の観光土産も減った。
歴史雑誌記事は史実の解説のみ。
時代劇役者インタビューは別の作品に向かっていく。
一般誌は扱わない。
書店のドラマと歴史の書籍コーナーには『らんまん』の本が並ぶ。
時代まつりのパレードに本作の役者がでたとニュースになったのは、せいぜい初夏まで。
『信玄公祭り』では冨永愛さんがメインの信玄役に起用され、大河とはまったく絡みません。
そりゃあ諏訪法性の兜をぞんざいに扱われ、死後の信玄が山中で野晒しにされたように描かれ、武田家をここまで貶められたら、ゆかりの地としては絡みたくないでしょう。
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大河の存在意義も変わってきています。
一年限定かつ不出来な年は観光が見込めなくなっているし、そもそも日本人より外国人観光客のほうがはるかに増えている。
大河が観光の目玉であった時代は終わりつつあることも認識せねばなりません。
今年の大河は、ビジネスという面で考えても、本当に儲からない問題作です。
去年と比べると残酷なまでの落ち込み。
もはや残っているのが、会場のスケジュールを抑えた展覧会やイベントのみで、こうなると大河ドラマ枠ごと沈んでしまい、NHKとしても非常にまずいでしょう。
だからこそ、サプライズキャストが必要になる。
NHKの関連番組や展示に無理矢理にでもニュースをねじこみ、忘却だけは回避しなければ……そういう状況に思えます。
◆「どうする家康」の世界を紹介 NHK大阪放送局で巡回展(→link)
NHK側に残された選択肢は、もはや今年より来年以降。いかによく仕上げるか。
そして今年の敗因の徹底検証でしょう。
作り手の懸念としては、提灯記事の減産もあるのではないでしょうか?
こんなニュースがあります。
◆ジャニー氏性加害問題を糾弾し…大手スポーツ紙に囁かれるジャニーズ事務所への“出禁”騒動(→link)
『どうする家康』は、スポーツ紙がこぞって褒めています。
しかしそれもジャニーズとの蜜月が崩れたら、いつまでも持つものでもないとか。
さぁ、どうなるか?
見どころのないドラマですが、そこは気になりますね。
どうする白兎とイケメンの似合う時代劇
イケメンとイケメン同士を描く時代劇――。
『どうする家康』がやろうとして全くできなかったことを達成した華流時代劇『陳情令』が、ついに地上波に登場です。
◆テレビ大阪(TVO) 2023年9月1日(金)より 毎週月~金 9:30~10:30
◆TOKYO MX (MXTV) 2023年9月19日(火)より 毎週月~金 11:04~12:00
◆テレビせとうち(TSC) 2023年9月20日(水)より 毎週月~金 14:30~15:25
https://twitter.com/theuntamedjp/status/1617416824307732480?s=61&t=LO19T4SKIH0XXbLpq78V2A
『陳情令』のヒットにより、驚きの事態が起こりました。
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『南北朝時代: 五胡十六国から隋の統一まで』(→amazon)
中国史でも屈指の難解な時代です。
それでもドラマの時代背景だということで、本が売れてしまう――この現象はよくある偏見も打破しています。
『どうする家康』についてこんな意見を見かけました。
「イケメン目当ての若い女を惹きつけるには、一話ぶつ切りにしないとついてこないんだよww」
若い女性のせいでつまらないと、責任を押し付けているのです。
発言者が若い女性を愚かだと思いたい、そんな偏見や願望が見えてきますが、実際のところは『陳情令』を見て『南北朝時代: 五胡十六国から隋の統一まで』を買う。
衣装や建築を調べる絵描きの方も多い。
中国史書籍を扱う書店にいくと、熱気が激っています。
若い女性が愚かだと思いたいのは、単なる偏見です。
そして制作側にせよ視聴者にせよ、そうした偏見に依存して本質に向き合わない人々が、少なからず存在する。
『どうする家康』の惨状は、まさにこうした状況から生まれていったものでしょう。
作り手の意識が歪んだままであれば、この先、非常に根深い問題と言えます。
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黒船が来航したらどうする?
『どうする家康』を見ている層はどこにいるのか?
以下の記事では、岩盤支持層も、若い世代も見ていないと分析されています。
◆ 【どうする家康】存在感のない家康、所作も作法も軽んじられ…岩盤支持層に不人気な原因は多数あった(→link)
所作も作法も軽んじていて、誰にも受けていない。
その結果は視聴率によく表れていますし、ヤフーコメントには非常に辛辣な批判が多数掲載されています(→こちら)。
中には「これが新しい大河です、滝田栄さんの版をリメイクすれば満足ですか?」という挑発的な書き込みもありますが、リメイクの方が今年の大河よりマシでしょう。
問題は、別のところにあります。
今年の大河を庇う人は過去の大河とばかり比べています。
VOD全盛期のいま考えるべきことはそんな狭い視野ではなく、他国の歴史劇、特に東洋史とライバル関係になったと認識を改めねばなりません。
もう一度『陳情令』のヒットと地上波放送について考えてみたい。
あのドラマは所作までもが非常に美しい。
中国の俳優は演劇科専攻者も多く、時代劇の所作ぐらい基礎から学んでいます。
仮にそれ以外の出身者でも、きちんと指導されるため、役者の所作は美しく、その時代ならではの意味合いがあります。
勉強熱心でハマっていて、二次創作だってこなしたいファンは、ひとつひとつの所作の意味まで調べ、感動する。
そういうパワーが他国のドラマにあれば、そこに流れたファンは戻らなくなるでしょう。
大河ドラマは、なぜ特別なものとして存続してきたか?
2010年頃までの大河ドラマの状態は、19世紀を迎えた徳川幕府のようなものでした。
破綻しつつあるし、満足しているわけでもない。しかし、それ以外にどんな支配者がいるのか、知識がないからわからない。
それがVODが押し寄せていない時代の、大河を取り囲む状況でした。それが変わった。
状況は激変しました。
黒船来航後の世界です。
筆もまともに持てない役者の時代劇なんて、淘汰されて終わってしまう。
もはや一刻の猶予もない状況を迎えています。
国家昏乱して、忠臣有り
国家昏乱して、忠臣有り。『老子』
ファンダムが乱れてくると、“信者”が悪目立ちようになる。
今回の第32回放送は、秀吉の言葉「俺のアンチはゲスだ」と喚くところが出色の出来でした。
あのセリフは、ドラマに批判を繰り返す私のような不届き者へのメッセージにも思えました。
考えすぎでしょうか?
公式ガイドブックのあらすじには、まるでなかった意味合いの言葉が加えられたら、そう感じるほうが自然でしょう。
もしも意図的に加筆されたものだとしたら、残念でしかありません。
ドラマで本当に描きたいことはそこなのか。
一時的な感情に委ねて、そんな台詞を入れていたとしたら、視聴者に対して失礼ではないか。
と、じっくり考えていると、やはり私の邪推にも思えてきますが、現場の士気が低下して役者さんから覇気が奪われていたとしたら残念でしかありません。
懸念するのは、制作現場だけではありません。
投稿ドラマ感想欄を見てみると、私の言葉など大人しい部類に入るほど激しく批判的な言葉があります。
そうした状況に反発してなのか。一部のファンはSNSでやたらと攻撃的になっていて、回を追う毎に激しくなっている。
人間とは集団を作る生き物で、そうしてチームを作り、別のチームを攻撃することで盛り上がる習性があるのだとか。
『蝿の王』がそういう話ですね。あれは普遍的な心理で、派閥争いはそうして起きるらしい。
現代人は合戦はしないし、学校卒業と共に部活動のようなことをやめる人も多い。だからといって、群れて争う本能が消えるわけでもない。
そういう歴史に認知心理学視点を取り入れた書籍も最近は増えていますね。
SNSの炎上や誹謗中傷は、そんな人間の心理ゆえに起きることのようです。
そうした心理を考察していると、人間が集団を形成し、流される様子が興味深く思えることも確か。
軍事心理学の古典である『孫子』は、このあたりを実にうまく読み解いていて、あらためて唸らされてしまいます。
さしずめハッシュタグとは、現代の旗印でしょうか。
戦場でもない場所で、スマホ一つで孫子気分になれるというのは、良いことなのか、悪いことなのか。
私にもわかりかねますが、皆さん、もしも不満があればSNSでやたらと攻撃的な合戦に走るのではなく、NHKに送りましょう。
SNSで誰かを攻撃するよりも、本作を「支持する」「支持しない」旨をNHKに送ったほうが有用ではありませんか。
◆NHK みなさまの声(→link)
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文:武者震之助(note)
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どうする家康/公式サイト















