どうする家康感想あらすじレビュー

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』感想レビュー総論・後編26~48話 悪夢の一年間を総括

「シン・大河」と威勢よくスタートを切りながら、いざ蓋を開けて見たら

・大のオトナが人形を持って林の中をはしゃぎ回り

・戦はイヤじゃ~と総大将がゴネまくったかと思ったら

・歴戦の戦国大名たちがマザーセナ教の信者となる

など、理解し難いシーンの連続だった大河ドラマ『どうする家康』。

第1話から25話までの感想レビューを以下の記事にまとめました。

どうする家康感想あらすじレビュー
『どうする家康』感想レビュー総論・前編1~25話 悪夢の一年間を総括

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今回は26話から48話(最終回)までを一気に振り返ります!

なお、直前の第25話では、多くのキャストとスタッフにとって「一番ショックだった」という瀬名の死が描かれています。

こういうとき定番となるのは妻の位牌に合掌する夫の姿でしょう。

『麒麟がくる』では、光秀が妻の爪を小さな箱に入れ、それを振って聞こえる微かな音から彼女を思うシーンがありました。

ちょっとした工夫でドラマが面白くなる好例だと思いますが、果たして『どうする家康』はどうだったのか。

後半を振り返ってみましょう。

 

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第26回:46日後に死ぬ信長

「46日後に死ぬ信長」という字幕が突如出てきました。

相変わらず小手先の話題作りばかりで……まぁ『100日後に死ぬワニ』へのオマージュですね。

そんな炎上作品を意識しなくてもいいでしょうに、ダサいセンスが光ります。

・本能寺黒幕説の扱い方が最低だ

昔、横光三国志を読んでいる人にこう声をかけました。

「五丈原かぁ。諸葛孔明が死ぬところがめっちゃ感動的だよね」

「いやいや、ネタバレやめてよ!」

無茶苦茶怒られました。

「死せる孔明生ける仲達を走らす」という言葉もあるし、土井晩翠の『星落秋風五丈原』もあるし、ネタバレという発想そのものがなかったので驚いた次第。

なぜそんな昔話を思い出したのか、というと『どうする家康』のセンスがあまりに酷いから。

三方ヶ原の戦いで家康が死んだかもしれないとか、本能寺の変の黒幕が家康とか、多少の歴史好きであれば、すぐに「ありえない」とわかる引っ張り方をするのが本作の得意技です。

たしかに、本能寺黒幕説は一時期盛り上がりましたが、基本的にはしょうもないものとして扱われる。

家康黒幕説
家康黒幕説で盛り上がる『どうする家康』どこまで根拠のある説なのか

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『麒麟がくる』の方が黒幕説のミスリードとしては、はるかに上手です。

正親町天皇と光秀の会話、義昭と光秀の接触といった要素を積み重ねておき、その上で光秀単独の決意であることが示され、動機に【麒麟】という朱子学の理念が置かれていた。

伏線やテーマの丁寧な描き方とはこういうことを指すのでしょう。

本能寺黒幕説は、結局、扱い方次第なのですね。

フィクションならば入念に、かつ面白くすれば生きてくるものであり、映画『首』もまさにその好例です。

そうした作品と比べると、本作『どうする家康』は存在自体が恥ずかしくて顔を覆いたくなる。

なぜ、こんな幼稚な大河ドラマが成立するのか、今後、徹底した検証が必要ではありませんか。

公共放送ですから、歴史に何の興味もない脚本家を起用した明確な説明は必要でしょう。

映画『レジェンド&バタフライ』でも本能寺がクライマックスでしたね。あれもひどいうえに、本作と似た要素が多い。アイデアが枯渇しているのでしょうか。

レジェンド&バタフライ
ド派手な話題作りで中身は空っぽ?映画『レジェンド&バタフライ』

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・波が動かないVFX

VFXの便利さというのは、ありえないような動きも見せられることかもしれません。

これまでも、天を駆け抜ける馬など、ファンタジックな描き方はありました。

真田丸』のオープニングでは、真田信繁がついに持つことのできなかった城と大軍勢が表現されていて、その意味を知ると胸が熱くなったものです。

『どうする家康』でも、ありえない景色を見せてくれました。

富士山の前の湖が、全く波が立たないのです。湖と言えど、風で小さな波は常にある。それが完全に静止している。

思わず「銭湯の絵かいな!」と突っ込みたくなりましたが、そもそもこの仕上がりで納品され、そのまま使われる現場の体制に疑問が湧いてきます。

・スイカバーの精霊

なぜ本作の衣装は妙なセンスのものばかりなのか。

大久保忠世はスイカバーを彷彿とさせ、それ以外の人物も酷い。

信長の家臣が黒スーツ軍団みたいだとか、徳川家臣団はアイスクリームフレーバーじみているとか、家康が最晩年まで白い羽織というのもマヌケでした。

衣装について、毎週のレビューでもしつこく言及していたところ、こんな反論を頂いています。

「お前は『麒麟がくる』で批判された衣装に文句をつけてなかっただろ!」

『麒麟がくる』については、衣装そのものではなく映像の色合いの問題だったのか、調整されたら批判はすぐにやみました。

衣装デザイナーが『麒麟がくる』と同じ、黒澤和子さんの映画『首』は『どうする家康』よりもはるかに素晴らしかった。

NHKドラマ10『大奥』も、『麒麟がくる』から美術担当者である大原拓さんが続投しているせいか、非常に良い仕上がり。

こうした作品を見ていると、やはり『麒麟がくる』は美しかったのだと腑に落ちました。

『麒麟がくる』と『どうする家康』は雲泥の差で、比較するまでもありません。

・えびすくいがキレッキレ!

無様なVFX馬の場面があったせいか。

本作の家康は乗馬ができない疑惑が囁かれ、それを払拭するためなのか、富士山遊覧の場面では馬に跨っています。

『鎌倉殿の13人』の小栗旬さんのような障害飛越はこなしていません。

『大奥』シーズン1の冨永愛さんは、大河常連のバンカー号に感動していました。シーズン2の愛希れいかさんは乗馬撮影が初めてで、馬との触れ合いに感動しつつこなしていましたね。

それでも主演の熱心なファンは大丈夫なのだと確認させられたのがこの回。

えびすくいがキレッキレ!だとして、SNSでは紫ハートマークが好きな方が大層褒めておられました。

大河主演に求められるはそこなのでしょうか? アイドル公演と別物では?

このドラマについては「史実と違うから否定派が騒いでいる」という誘導がしばしば見られましたが、それは勘違いです。

史実ではなく、現実とかけ離れているからツマラナイだけ。終始、リアリティが感じられません。

大河主演に求められるのはダンススキルだ!なんて価値観は時代劇に不要でしょ。

◆ 「史実からかけ離れたファンタジー」なのか?繰り返される大河ドラマの史実問題…それでも『どうする家康』が“ナシ”とは言い切れない理由(→link

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第26回「ぶらり富士遊覧」

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第27回:「安土城の決闘」というタイトル詐欺

何が決闘なのか?と思ったら、安土城で信長と家康が相撲を取る設定だったそうです。

それが出演者のアドリブで拒否され、その場面がなくなった。

ならばなぜサブタイトルを修正しないのか。

本作はサブタイトルもコロコロ変わるとして、何かと話題になりましたね。

・逆恨みには一貫性がある

家康が信長を恨む理由がわからないのです。

マザーセナの慈愛の国妄想に乗っかって、雑な裏切りをしていたのは自分。

瀬名と信康だけでなく、家康自身の首が飛んでいてもおかしくないような、やらかしになっていました。

それなのに信長は許した。

しかも「妻子はお前でどうにかしろ」という寛大な対応であり、処分を家康に任せていたところ瀬名が自害したわけですよね。

このとき領民の女を身代わりに差し出そう!という恐ろしい動きもありましたね。

ともかく、そんな優しい信長について「しくじりを決して許さない男!」と言われても支離滅裂ではありませんか。

岡田准一さんも辛いのか、自分の出番は一切見ないと放送中に語っています。

せっかくの大河で信長を演じたのに、悔しかったのかもしれません。岡田さんは歴史好きですから、辛かったことでしょう。

そんなブレブレの本作でも、一貫性あるのが“逆恨み気質”です。

作中の言動だけでなく、製作者、持ち上げる提灯記事、そしてファンダムまでもがそうでした。

・理解できない奴はセンスが枯れ果てた高齢者か知識不足だ! と、誘導する

・提灯記事でも同じように誘導する

・中立的に記述されるWikipediaにおいて、少しでも否定的な記述があると即座に編集される

・視聴率の低迷はセンスがない愚かな連中のせいだと誘導される

こんなところで一貫性を発揮されても閉口するしかありません。

・幼少期トラウマが好きだよね

少年漫画あるあるとして、悪役のトラウマ設定があると思います。素直な少年なのに親に虐待されて……という誘導ですね。

まさか織田信長にまでそれを適用するとは驚きでした。

地下秘密基地のような環境でしごかれ、ひねくれたという設定。

先天的にどこかずれていて、親からすら理解されない。そのため数少ない理解者である光秀や帰蝶に、まるで幼子のように甘えてしまう。そんな『麒麟がくる』の染谷信長の後に、秘密基地育ちの信長を出されてもなぁ……。

ただ、思い当たることはあります。

なまじ育ちがよく、苦労知らずのエリート男性って、自分が受験勉強に励んだことを大仰に語りがちなんですよね。

「それしか苦労がないというのは、むしろ恵まれていたのでは?」なんて口にしようものなら、たちまち修羅場になる。そういう男性とのやりとりを思い出しました。

ついでにいうと、親への感謝がないのも彼らの特徴。マザコンと言われたくないから、とにかく母親を突き放す。

『どうする家康』の家康も、母親へ塩対応してイキってましたよね。

凄まじく典型的な像で、驚くほどです。

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第27回「安土城の決闘」

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第28回:本能寺の恋、ボーイズラブ本能寺

もういい加減、数年前の大河ドラマを焼き直して「斬新!」とか言わないで!

そう突っ込みたくなる『どうする家康』。

なんでも本能寺はBLバッドエンドにしたかったようですが、それは『麒麟がくる』で通った道なんですよ。

・動物の知識がおかしい

このドラマの一般常識はどうなっているのか。

草食動物の兎が狼を喰らうだの。明治以降に激減した狼が、安土桃山時代にはもう減っているだの。雑食の狸が狡猾で恐ろしいだの。

動物図鑑から見直して欲しい。

脚本の考証って、歴史だけでいいんですかね?

『たべっ子どうぶつ』でも差し入れしていたら、少しはマシになったのかな。

・消えた伊賀者五百人

家康が信長を殺すため、本能寺周辺に配したという伊賀者五百人。

本作を語る上では外せない重要キーワードなので、語り継いでいきたい。

なんせ、この伊賀者五百人は、何の説明もなしに消えています。

RPGの召喚獣じゃないんだから、何処へ行ったの?

伊賀越えのときになぜ呼ばなかったの?

・「くそたわけ」と「あほたわけ」

本来ならば「くそたわけ」(たわけは“たーけ”の方が近いらしい)である罵倒が、それだと汚いので「あほたわけ」にされたそうです。

ところが光秀は「くそたわけ!」を連呼。

一体どういうことでしょうか。

・「のぶながぁ~!」「いえやすぅ~!」

本作の信長は、家康に討ち取られたい妄想があったとか。

チベットスナギツネ顔になって「なんじゃ、それ」案件。

本作は、そういうヤンデレが好きなのか。

「思い合っているのに討つ・討たれる」というパターンを最終回までしつこく繰り返します。

他に無いんですか?

劇中では家臣や民衆まで巻き込むし、ドラマにせよ視聴者まで巻き込まれる。そんな羞恥プレイの結果、史上最低の本能寺が更新されました。

映画『レジェンド&バタフライ』の光秀と信長も、こじらせ本能寺でしたね。

この脚本家さんは本当に使い回しが好きだな。

1年間の長丁場に耐えうる発想力に欠けているのであれば、やはり勇気を持って辞退すべきでした。

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第28回「本能寺の変」

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こんな大河ドラマ本能寺の変はイヤだ!NHKは過去の失敗を繰り返す?

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第29回:キャバクラの客引きを避ける伊賀越え、まじつれえわw

伊賀者が五百人もいれば伊賀越えなんて余裕余裕!

そう思っていたら、伊賀者は都合よく忘れ去られてしまいました。

まぁ、家康一行だけでも余裕の伊賀越えでしたよね。まるで駄作RPGの一本道になったダンジョンで、迷宮でもなんでもない。そもそもが、お市も街中をろくに供もつけずにうろつけるくらい、このドラマの世界観は安全ですから。

ただし、作り手だけが「こんなの耐えられない!」と思っていた可能性はあります。

無駄に戦国キャバ嬢みたいなのが並んでいて誘惑してくるんですよ。でも遊んでいる余裕はないんダナ♪ そういう色気を跳ね除けるということが、彼らにとっては“苦労”という意味だったのでしょう。

本作の伊賀越えに対する不満は、映画『首』で解消されますよ。あれこそがまさにエクストリーム伊賀越えでした。

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・レーシックお愛

明智光秀は謀叛をやらかしそうなゲス顔だった」と語るお愛があまりにマヌケ。

目の前にいた家康を判別できない程の近眼だったのに、すっかり忘れてしまったようで、視力1.0ぐらいは発揮していました。

都合によって切り替えられる視力のオンオフは、戦国レーシックでもやったからですかね。

近眼という史実要素を盛り込んで、現実離れしてしまうという矛盾は、なぜ脚本を書いてて気づかないのか。

あれだけマザーセナでウダウダ騒いでおいて、新しいエロ女が出てきたらムフフとしている家康もどういうことでしょう。

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第29回「伊賀を越えろ!」

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第30回:史上最低の浅井三姉妹登場

今あらためて振り返ってみると、この第30回放送では、市、茶々、家康の関係を出発する展開だったようです。

秀吉の天下取りはおまけ。

合戦もおまけ。

だから小枝のような腕と脚の井伊直政が、殺虫剤じみた恥ずかしい赤備えで出てきて、戦術も無茶苦茶なのでしょう。

しかし肝心の恋心も意味がわからない。

「お母様と家康様がくっついていたら、浅井姉妹の父は家康様だったかもしれない!」

「戦場を突っ切って、安物の木綿を贈ってくるお市様はセンスがある!」

前者は浅井長政に対して失礼過ぎる。

生きるか死ぬかの瀬戸際に家康へ布切れを贈り、質素なセンスをアピールするお市がとにかく意味不明でした。

・発想が小児性愛者だ

浅井三姉妹の茶々が、色気と共に秀吉を誘惑し始める場面は、気色悪いだけでした。

いま振り返ってみても、この茶々はますますわけがわからない。

実はこの時点で、全く面識もない家康を慕っていたという設定が後付けで出てきます。

一体なんなのでしょう。小児性愛者向け18禁漫画じみた設定を大河ドラマでやらないで欲しい。


・倒す倒す作業

「信長はわしが倒す!」

「秀吉はわしが倒す!」

はいはい、だからどうやってやんのか、この口だけ男さんは。

映画『首』との差があまりに激しい。

飄々と「天下など望まない」と語る小林薫さんの徳川家康は絶品でした。出てきたらすぐに死ぬ家康の影武者だって『どうする家康』より随分とマシに見える。

我々素人から見ても両者の実力差は歴然なのに、プロの制作陣はその現実をどう思っているんですかね。

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第30回「新たなる覇者」

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