保元・平治の乱から応仁の乱、そして戦国前夜まで。
武士が政治の主役へ躍り出て、二つの幕府が生まれ、やがて秩序が崩れていく約400年です。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台となった鎌倉初期は、とくに手厚くまとめました。

北条義時イメージ(絵・小久ヒロ)
源平争乱(1156〜1192)
保元の乱で武士の力が可視化され、平氏政権を経て、鎌倉に武家政権が生まれるまで。
貴族の世が終わる瞬間を、人物と合戦の両面から追います。
源平の人物
清盛・義朝・頼朝・義経。そして彼らを動かした後白河法皇と女性たち。

月岡芳年が描いた平清盛/wikipediaより引用
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源平の合戦・政変
保元・平治から壇ノ浦まで。どこで流れが変わったのかを順に見ていきます。

『安徳天皇縁起絵図』壇ノ浦の戦い/wikipediaより引用
- 富士川の戦いで水鳥は飛び立っていない?現実は武田信義軍vs平維盛軍
- 1歳で即位して6歳で壇ノ浦に沈んだ安徳天皇|清盛に振り回された生涯
- 平治の乱 1160年|平家の天下を決定 勝因は清盛の政治力だった?
- 頼朝の曽祖父・源義親の乱が平家の台頭を招いた?暴れん坊源氏の所業
- 源平合戦の趨勢を決めた一ノ谷の戦い(鵯越の逆落とし)平敦盛も討死
・源平の合戦・政変をさらに表示(全7件)
- 屋島の戦いで注目の那須与一『扇の的』伝説とは?頼朝は平家に王手!
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鎌倉時代(1192〜1333)
頼朝の死後、御家人たちの合議と粛清が繰り返され、やがて北条得宗家へ権力が集中します。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が描いた世界です。

かつては源頼朝、近年では足利直義では?とされる神護寺三像の一つ(肖像画)/wikimedia commons
鎌倉幕府の人々
十三人の合議制から得宗専制へ。誰が誰を消していったのかが見えてきます。
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- 北条に2度滅ぼされた三浦一族『滅亡から読みとく日本史』鎌倉殿の13人
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- 頼朝古参の御家人だった仁田忠常|笑うに笑えない勘違いで迎えた切ない最期
・鎌倉幕府の人々をさらに表示(全53件)
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- 武蔵の御家人・足立遠元|粛清に怯えることなく平和な最期を迎えた?
- 史実の源実朝は男色ゆえに子供ができず?源氏将軍が三代で途絶えた理由
- 悲劇の最期を迎えた北条時政の娘|畠山重忠や稲毛重成の妻たちは何処へ
- 「幕府」という言葉はない鎌倉幕府の役職|執権や侍所は何をしていた?
- 義仲に仕えた巴御前は和田義盛の妻に?時代を反映する伝説的女傑を考察
- 若狭局は頼家の嫡男一幡を産むがドラマでも史実でも不憫すぎる最期
- 阿波局の生涯|義時の妹は野心家だった?実朝将軍で陰謀画策
- なぜ亀の前は政子に襲撃されたのか?後妻打ちを喰らった頼朝の浮気相手
- 北条時頼(義時の曾孫)五代目執権に訪れた難局|三浦を倒して体制強化
- 陳和卿が源実朝と夢見た船は交易が狙いだった?“希望”は由比ヶ浜に座礁
- 三浦義村の生涯|義時の従兄弟は冷徹に一族を率いた
- 北条時政の生涯|なぜ権力欲と牧の方に溺れたか
- 源頼朝の生涯|伊豆に流され蜂起して鎌倉幕府を設立
- 三浦義澄(義村の父)は頼朝の挙兵を支えた鎌倉幕府の重鎮
- 義時の弟・北条時房|鎌倉殿の13人“トキューサ”は幕府を支えた名将だった?
- 源実朝の生涯|朝廷と北条に翻弄された生涯28年
- なぜ公暁は叔父の実朝を暗殺した? 背景に義時の陰謀というのは本当か
- 源仲章は義時の代わりに殺された?実朝暗殺に巻き込まれた後鳥羽院の忠臣
- 鎌倉時代はどれだけ荒涼殺伐としていた?泰時が変えた無法者の世界
- 輪廻転生を否定はしてない鎌倉殿の13人 泰時が「ぶえい」と泣く世界観
- なぜ梶原景時は鎌倉御家人たちに嫌われたのか|頭脳派武士の無惨な最期
- 伊豆の武士・伊東祐親が孫(頼朝の子)を殺害|平家と頼朝に挟まれた苦悩
- 義時が手に持つ帳簿が「木簡」だった理由|紙の普及が遅い東国で重宝され
- 伊豆で頼朝に用いられた破戒僧の文覚|実はストーキング殺人事件の被疑者
- 義時がベタ惚れだった姫の前(比奈)北条と比企の争いで引き裂かれ
- 鎌倉時代の御家人は普通の武士と何が違う?御恩と奉公そして実際の手続き
- 義時の二男・北条朝時は史実でもダメ人間?ラブレター事件を振り返る
- 刃傷沙汰にもなった鎌倉御家人の宴会は命懸け!
- 義経が海戦で活躍できたのは三浦氏がいたからこそ
- 鎌倉殿の13人で頼朝と義時の妻だった八重はどんな女性?そもそも実在する?
- 坂東武士の鑑とは一体どんな武士なのか|なぜ畠山重忠が代表とされた?
- 坂東武者のカリスマ・和田義盛|愛すべき猪武者は滅亡へ追い込まれる
- 頼朝を救い育てた乳母・比企尼|なぜ一族が悲惨な最期を迎えねばならんのか
- 史実の北条時行はどんな人物?漫画『逃げ上手の若君』のように戦い続けた?
- 鎌倉幕府を滅亡させた北条高時|最期は「腹切りやぐら」で一族ほぼ自害
- 鎌倉幕府の公式歴史書『吾妻鏡』が北条に甘~く源氏に厳しい!のはなぜ?
- 北条義時の生涯|殺伐とした武家社会を乗り切る手腕
- 史実の北条義時は一体どんな最期を迎えたのか?死因は意外なアノ病気
- 北条泰時の生涯|人格者として称えられた三代執権
- 頼朝の蜂起に駆けつけた岡崎義実の生涯|三浦一族の重鎮で重忠や義盛の大叔父
- 畠山重忠の生涯|時政と牧の方にハメられた悲劇の最期
- 「バカと話しても無駄」と突き放された三浦胤義|なぜ鎌倉を裏切った?
- 北条政子の生涯|頼朝と義時の鎌倉幕府を支えた尼将軍
- 大姫の生涯|頼朝と政子の娘は婚約相手を殺され
- 源頼家の生涯|頼朝と政子の長男は伊豆で暗殺され
- あまりに不気味な頼家の仮面と『修禅寺物語』死直前の恨みが込められている?
- 頼朝や義時の墓はドコにある?兵どもの夢の跡を巡る 鎌倉観光Googleマップ付き
- 阿野全成殺害事件|頼朝の弟はなぜ頼家に殺されたのか?
- 北条泰時が制定した御成敗式目には何が書かれている?
- 頼家の正室で公暁の母・辻殿|祖父は伝説の武人・源為朝
- 藤原兼子の生涯|後鳥羽上皇の乳母から出世して政子と対談
- 六代目執権・北条長時(義時の孫)時代は平和だった? 血筋は800年も続く
- 北条宗時の生涯|最期は祖父・伊東祐親の軍に囲まれ
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争乱・政変・元寇
承久の乱と二度の蒙古襲来。幕府を揺さぶった大事件を集めました。

蒙古襲来絵詞/wikipediaより引用
- 宇治川の戦い(承久の乱)に注目|鎌倉時代の合戦は実際どう行われた?
- 順徳天皇はなぜ佐渡へ流されたのか|父と共に承久の乱で幕府に敗れた結末
- 元寇「文永の役・弘安の役」は実際どんな戦いだった?神風の正体は?
- 無関係なのに流罪~土御門上皇はなぜ承久の乱後に土佐へ流されたのか
- なぜ義時の妻・伊賀の方は「伊賀氏の変」を起こした?政子が幕府を守る
・争乱・政変・元寇をさらに表示(全8件)
- 元寇に勝利した八代目執権・北条時宗は他にどんな実績があったのか
- 和田合戦(義盛vs義時)の結果は紙一重?鎌倉を戦場にした哀しき権力争い
- なぜ承久の乱は勃発しどう鎮圧されたのか?後鳥羽上皇が抱いた不信感
- 知られざる知将・北条政村|元寇前年まで最前線にいた北条義時の五男
- 宝治合戦|三浦までもが北条に滅ぼされた壮絶な戦い
- 牧氏事件(牧氏の変)|新将軍擁立を画策する時政が義時と対立
- 「尼将軍」評価の変遷|北条政子像が時代によって違う理由
- 三浦義明の生涯|孫の畠山重忠に攻められ討死
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鎌倉仏教と宗教
法然・親鸞・道元・日蓮。民衆へ広がった新しい信仰のかたちです。

道元/wikipediaより引用
- 敦盛を討ち取った坂東武士・熊谷直実|政争や粛清に疲れ果て法然の下へ
- 信者を大量獲得した法然の浄土宗は何が凄かったのか「南無阿弥陀仏」
- 矢部禅尼(北条泰時の妻)の不思議な魅力|三浦が滅亡するも多くの孫が執権に
- 太鼓を打ち鳴らしての踊り念仏「一遍上人」も最初は地道に木札を配っていた
- 曹洞宗の宗祖・道元の生涯|弟子・懐奘との師弟愛に感涙
室町時代(1336〜1573)
南北朝の分裂から義満の全盛期を経て、応仁の乱で秩序が崩壊。
戦国へ地続きの時代です。
室町幕府と諸勢力の人々
将軍・管領・守護大名。力の所在が絶えず入れ替わります。

足利尊氏/wikipediaより引用
- 後醍醐天皇の生涯|味方のはずの公家からも大クレーム どこで何を間違えた?
- 4代将軍・足利義持は地味だけどハイスペックだった?父義満を乗り越えて
- 鎌倉将軍9代・足利将軍15代・徳川将軍15代の名前 すべて言えますか?
- 足利氏の始まりは尊氏ではなく義康|初代~七代までの歴史を一気に振り返る
- 奥州総奉行を設置した頼朝の狙い|鎮西奉行&京都守護と共に役割を確認
・室町幕府と諸勢力の人々をさらに表示(全25件)
- 新田義興(義貞の次男)は矢口の渡しで謀殺|新田家嫡流の血脈が終わる
- 佐竹義政はなぜ広常に謀殺された?義光流の佐竹が河内源氏の頼朝と対立
- 観応の擾乱は尊氏vs直義による史上最大の兄弟喧嘩|最後は毒で呆気なく
- 頼朝が守護地頭を設置した切実な理由|実際はどんな仕事をしていたのか
- 土肥実平の生涯|初戦で敗北の頼朝を支え後に西国守護
- 足利義詮の生涯|尊氏の跡を継いだ二代目はこうして難局を突破した
- 北条貞時と永仁の徳政令|戦乱で凹んだ御家人たちを借金チャラで救える?
- 足りない金は天龍寺船で|後醍醐天皇の怨霊に苛まされた尊氏が天龍寺造営
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南北朝の動乱と応仁の乱
建武の新政から明応の政変まで。戦国の起点はどこにあったのか。

応仁の乱を描いた『真如堂縁起絵巻』/wikipediaより引用
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室町の文化
能・茶・水墨画。今日の「和」の原型はこの時代に整いました。

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中世の文化・暮らし・信仰
時代をまたいで続いた信仰と生活の記事をここにまとめました。
中世の文化と暮らし
貴族から武士へ、そして庶民へ。文化の担い手が移っていきます。

東大寺南大門金剛力士像
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- 現代なら炎上確実?吉田兼好(卜部兼好)の徒然草は生々しいがそれがイイ
- 南都焼討を実行した平重衡|なぜ清盛は東大寺や興福寺を攻めたのか
・中世の文化と暮らしをさらに表示(全7件)
- 鎌倉武士はどんな日常生活を送っていた? 衣食住・武芸・刀剣甲冑の事情まとめ
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- 『方丈記』は災害ノンフィクション|枕草子や徒然草と比較してみよう
- 平安末期~鎌倉時代の「呪術事情」生臭坊主・文覚の呪詛はどこまでマジ?
- 鎌倉武士の文化を支えた陶磁器の歴史|時政を筆頭に荒くれ者達も成熟する
- 鎌倉大仏は誰が何のために作った?|なぜ外に座っている?
- 平泉の中尊寺~奥州藤原氏の無念
- ▲ 中世の文化と暮らしの先頭に戻る
中世FAQ
特定の人物・幕府に紐づく疑問は、上の各セクション内へまとめました。
ここでは時代をまたいで考えたいテーマを扱います。
時代をまたぐ疑問
用語の違いから通史のまとめまで。
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・時代をまたぐ疑問をさらに表示(全50件)
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