足軽あるいは百姓からの成り上がり者だったゆえ、信頼できる家臣や味方が少なかったとされる豊臣秀吉。
出世すればするほど、人手不足という辛い現実に突き当たるわけですが、その中でも例外的に、秀吉の若い頃から常に付き添い、働き続ける武将がいました。
蜂須賀正勝です。
蜂須賀小六という呼び名でも知られるこの武将、秀吉が駆け出しの頃からの“親友”のような扱いをされるため、伝説的なエピソードと共に語られがちだったりします。
しかし実際は、そこそこ歳上であり、思いのほか早くに亡くなっていたりして、生涯を通して見ると意外な思いに駆られるかもしれません。
では実際に、蜂須賀正勝にはどんな功績武功があったのか?
振り返ってみましょう。
出自
蜂須賀正勝は大永六年(1526年)、尾張国海東郡蜂須賀村(現・愛知県海部郡美和町)で生まれたといわれています。
豊臣秀吉が天文六年(1537年)かその前年あたりの生まれとされているので、正勝とは一回り近く年の差があったことになりますね。
蜂須賀家は尾張守護・斯波氏の末裔ともされます。
その後、斯波氏に対して下剋上した織田弾正忠家(信長の家)に正勝が仕えることになるのは、まさに乱世。
母親については出自がよくわかっていません。
森可成(長可・蘭丸らの父)のいとことか、あるいは浅野長政の遠戚とか。そんな説もあって本当ならば世間は狭いというか……話半分で聞いておくのが良さそうですが。
若き日の正勝は、木曽川周辺で自らの党を築き上げていたとされます。
小説等では”山賊の親分”といった表現をされていることが多いのは、このあたりからきているのでしょう。
やがて美濃の斎藤道三に従い、ついで尾張の犬山織田氏(信清)、岩倉織田氏(信賢)に仕えました。
この三人の経過をざっくり見てみますと。
正勝は永禄三年(1560年)の桶狭間の戦い時点で信長に従っていたとされますので、道三→信清→信賢と移り、その後、信長についたと見るのが妥当でしょうか。
今後の研究によって順番が判明したり、また別の人に仕えていた説も出てくるかもしれません。
また、永禄元年(1558年)に正室・まつ(大匠院)との間に息子の蜂須賀家政が生まれており、少なくとも前年までには結婚していたと思われます。
そして永禄七年(1564年)、木下藤吉郎(豊臣秀吉)の配下となりました。
秀吉の若い頃のことも不明な部分が多いため、織田家に仕え始めてから出会ったのか、旧知の仲だったのかも正直よくわからないところです。
秀吉の右腕へ
蜂須賀正勝の活躍が知られるようになるのは、永禄九年(1566年)の墨俣城築城ですね。
俗に”一夜城”として知られる話ですが、結論から言って後世の創作でしょう。
確かに正勝の出自からして、木曽川近辺に顔が利き、材木の調達や輸送がスムーズにできたという話はワクワクして面白い。
しかし、確かな記録としては残されておらず、秀吉の物語がどんどん脚色されていって一夜城という伝説に帰結したと考えるのが自然です。
この辺のことをリアルに考えると戦国ロマンがなくなってしまいますが、「お話はお話」として楽しむのが嗜みなのでしょう。
その後も秀吉と行動をともにするわけですが、正勝は信長配下の秀吉につけられた寄騎(与力)という扱いであり、個人の活躍に関する記録はあまり多くはありません。
永禄十年(1567年)の稲葉山城攻略、永禄十一年(1568年)9月に始まった信長の上洛戦などには加わっていたとみられます。
さらに元亀元年(1570年)4月、浅井長政の裏切りに遭い、秀吉が殿(しんがり)を務めた【金ヶ崎の退き口】では秀吉軍の将として戦い、その直後、同年6月に起きた【姉川の戦い】にも参加していたようです。
姉川の戦いにおける予測布陣図では、信長本陣の正面を守る六段の陣の前から三段目に秀吉の陣があり、おそらくその中に正勝もいたのでしょう。
江戸時代の書物『浅井三代記』などでは、姉川の戦いにおける朝倉軍の奮闘を
「織田本陣十三段の陣のうち、十一段を破った」
としていますが、正勝などの寄騎の陣も一段ずつ数えれば十三段くらいになったかもしれませんね。
姉川の戦いの後、秀吉が近江横山城(現・滋賀県長浜市)の城主となると、正勝は在番に任じられました。
在番とは一時的な城主のようなもので、秀吉外出中の留守を任されたということになるでしょうか。
この頃までに、正勝に対する信頼は揺るぎないものになっていたと思われます。
仮に永禄七年(1564年)に秀吉と初めて会ったとしたら、信頼するには少々早いかもしれませんが、金ヶ崎の死線を共にくぐり、一日も早く信頼できる味方が欲しかった秀吉にしてみれば、正勝は大事な人物だったと思われます。
天正元年(1573年)に本格的な浅井氏攻めが行われると、秀吉軍は小谷山城京極丸にいた浅井久政(長政の父)を攻め自害させました。
この功を賞されて、正勝は秀吉から長浜領内に土地をもらいました。
もはや完全な右腕とも言えるでしょうか。
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