今週は大坂冬の陣、城へ大筒を撃ち込む回想シーンからスタート。
本多正純のピカピカ兜に反映する“スタジオ天井の照明”が気になると同時に、結局、最初から最後まで戦場のVFXはすべて曇り空だったのでは?という不自然な描写にも目が奪われてしまいます。
かと思えば『鎌倉殿の13人』の父子描写を悪化させたかのような、秀忠と家康の衝突シーンが続く。
冷酷な父と優しい子にしたいのかもしれませんが、そもそも親子に見えてこないのはどうしてだろう。
いくら家康に老けメイクを施しても、せいぜい飛び込み営業をやらせる会社の先輩と後輩ぐらいに思えてきます。
「ご無事でありますように」と執拗に呟く幼い茶々は、他のセリフも用意できなかったのでしょうか。宗教考証はどうなっているのでしょう。
なぜ千姫に駆け寄るのか?
茶々が千姫を庇ったことを美談にしたいのはわかりました。
しかし、茶々にも、千姫にも、そばには侍女がいるのでは?
実際のところ冬の陣の砲撃で亡くなったのは茶々の侍女でしょう。
貴人をむざむざ死なせてしまったら、それは仕える者としては恥ずかしいこと。
しかし本作はそんな武士のメンタリティがありません。このドラマの作り手はいつだって「自分だけが大事」という精神性が気づかないうちに滲み出てしまっているのです。
どうした筆跡
先週の「お千」という文字と、あまりにレベルが違う家康の筆跡。
なぜこうも場面ごとに筆跡が変わるのか……って、考えるまでもないですよね。
まともな筆跡は書道家が書いている。
先週はどういうわけかそれをしなかった末の、ある意味、放送事故に近いのではありませんか。
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小道具班は今週も力尽きていた……
黒い土(砂?)の上に、その辺で拾ってきたかのような木片が並んだ――大坂城の布陣図があまりにも稚拙でため息すら出てきません。
もはや手抜きというレベルではなく、単に間に合わせただけに見える。作画崩壊したアニメレベルのやらかしが毎週続き、悲しくなるほど。
一体どうしてこうなるのか?
ニコライ・バーグマン押し花で小道具班の気力も尽きたんですかね。
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何が「知られざる」だ!
合戦シーンの収録については、こんな言い訳記事が出ていました。
◆知られざる「どうする家康」戦闘シーンの舞台裏 高コストなロケから「バーチャル・プロダクション」でスタジオ収録へ(→link)
「知られざる」も何も、テカテカ兜に映り込むピカピカ照明で、スタジオ撮影だったのはあからさまだったじゃないですか。
ドラマ作品の出来は、完成品の中身だけが問われるのであり、コストだのなんだのは子供じみた言い訳にすぎません。
大河ドラマという貴重な枠で、最終盤まで何を言っているのでしょう。
戦闘シーンでロケをしていないことは、他の作品でもわかりました。
『大奥』でもLEDスクリーンを背景にしていて、ロケを省いたと思われる場面はある。それでも最小限ですし、違和感なく見えている。
問題は技術ではなく、やる気です。
露骨に手抜きをして汚らしい絵ばかり見せられ、そのしょうもなさが批判されているのに、論点をずらす。
この“論点ずらし”こそ『どうする家康』の本質に思えます。
春日局がナレーターだと明かされたのだが
「神の君!」と素っ頓狂な声でナレーションをしているのは春日局だと明かされました。
そのナレーターが、茶々の妹・初を呼び捨てにしている。
大河のナレーションは別にそこまで細かくなくてもよいとは思いますが、春日局となればそうはいかないでしょう。この語り口調は、あまりにも無礼では?
主君である徳川家光の伯母である初を、なぜ小娘扱いするのか。倫理観が欠落している。
あまりにしつこい『鎌倉殿の13人』オマージュ
大竹しのぶさんを一瞬だけ出しておいて、セリフもないってどういうことですか。
なんでも松本潤さんに頼まれたとか。
コネで大女優を出しておいて、さすがにこの扱いは酷すぎるでしょうよ。
こうした強引とも思えるキャスティングは、文春砲の信憑性を増すばかり。主演俳優がここまでキャスティング権を行使するというのは、禁じ手ではありませんか。
ジャニーズ事務所に任せきりにした結果、局内で性犯罪が起きていたのに、またもこうも責任感を投げるようなことを繰り返しているのですか?
◆どうする家康:大竹しのぶ、“せりふなし”の芝居満喫「すごく面白い」 松本潤から「自由にやっちゃって」 最後は「ガッカリ顔」意識(→link)
◆喜多川氏が高校生にNHK局内で 性加害の証言を番組で報道(→link)
最低最悪のミソジニードラマ
このドラマは「ポリコレでフェミに媚びたw」だのなんだの言わないで欲しい。
大蔵卿局ほどの女性重要人物でもセリフは一切なく、置物扱いだった。
思えば寿桂尼が出てこない時点で気づくべきでした。
このドラマの作り手にとって、女はどんな存在なのか?
・エロいことをさせてくれる
・自慢できるトロフィー
・小馬鹿にするBBA枠、実母だろうがうぜえw
・自分のモテモテファンタジーを満たしてくれる喜び組
・出てきたと思ったら死ぬ話題稼ぎ女、いわゆる「冷蔵庫の女」
・なんでも肯定してくれる便利な存在、いわゆる「マニックピクシードリームガール」
差別云々の話はこの際置いといて、どういうセンスをしているのか?と問いたくなります。
今はもう2023年です。「タランティーノまじやべえw」と思ったあたりでセンスが止まっていませんか?
『パルプ・フィクション』は1994年ですよ。
彼らは多様性のない、男だけのボーイズクラブで生きてきた。そのルールしか念頭に置いていません。
多様性のない集団は弱い。いわば船同士を繋いで宴会をしているようなもの。東南の風を呼びよせれば、一気に炎上しますよ。
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どうしたカメラワーク
このドラマのカメラワークは、撮り直しがなかなかできないと文春砲で暴露されました。
それも納得できます。阿茶局と初の和議は、わざとかと思うほど酷い。真正面からアップを切り取るだけで、なんなんでしょうか。
単調なカメラワークに、ぺろぺろと悪目立ちする劇伴。とても歴史作品とは思えません。
本多正信はとんだ無能
京都で放火があったのに「あ〜あ」と口にする本多正信は一体なんなのでしょう。
未然に防げなかった己を恥じることはありませんか?
愚かなだけでなく、性格も最低だと思います。無責任で他人をおちょくることしか考えていない。今週の放送だけで「あ~あ」を二~三度放っていて、その度に辛い気分にさせられました。
『平清盛』の時はきちんと晩成していたのに、本作は一体どうしたことでしょう。
和睦だのなんだのいうけど
この家康は女の前でカッコつけることしか考えていないと思います。
浅井三姉妹をどうしてこんな使い方にするのか。
家康のファンクラブ、喜び組要員のように見えます。
結局、他の役者頼りだった
そこまで存在感がなかった北政所が長々と語るのは時間稼ぎでしょうか。
演者の風格からして、彼女が画面にいると大河らしくは見えます。
そういうアリバイ作りのため、長々と時間をかけているとしか思えません。
どうしようもない! 気持ち悪すぎるおっさんの妄想
12歳の茶々が、ろくに顔を見たこともない、面識もないアラフォー家康の無事を祈っていたという超展開はなんなんだ!
最大の庇護者である伯父の織田信長が討たれ、彼女自身が生きるか死ぬか恐ろしい状況と思っても仕方のないところで、面識もないおっさんに妄想を募らせるか?
そんなことがありえると、このドラマの制作者は本気で思っているのですか?
憧れの方が助けてくれなかったから恨んだって?
いや、もう、あまりの妄想の激しさに言葉を失います。
「あのJC(女子中学生)が、オレをチラチラ見るんだよなーッ!」って、おじさんがニヤニヤ言い出したら、普通はドン引きですよね。
そんな薄気味悪い描写を受信料で流すなんて……絶句しました。
これは何のドラマなのだろう?
一応、今回は大坂冬の陣から夏の陣への流れを描いているんですよね?
それなのに家康モテモテファンタジーだの、江と千姫のしょうもない対話だの、公共放送でいったい何を見せつけてくれるのでしょう。
脚本家の能力が追いつかず、本作は現実逃避に走ることにしたのでしょうか。
大河ブランドがあれば女優を集められる。その撮影でダラダラと時間潰しても、提灯記事もでるし楽勝♪ そんな手抜き仕事にしか見えません。
どうする散る花びらとろうそく
泣きじゃくる江を秀忠がなだめ、家康が思いに耽る。その背後で唐突に散り始める花びらのマヌケさよ。
歴史トンデモ作品の『47 RONIN』を連想させ、思わずにっこりと微笑んでしまいました。
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蝋燭の火力も凄まじいですね。バーナーか。
散る花びらにバーナーろうそくがロマンチックだと思っているって、いつの時代のセンスなのでしょう。
どうする筆の持ち方
一応、筆を立てて持つようになったものの、見ていてなんだか危なっかしいというか、落ち着かないというか。
習字を始めたばかりの教え子を見て、心配そうに眺めている担当教員の気分です。
主演の方は、親友だという歌舞伎役者の方から教わったらよかったのでは?
まぁ、全ては本人のやる気次第ですよね。もう来週は最終回です。
もうどうしようもない家康の偽善!
「秀頼くんを生かしてこそ母だよ」
と、したり顔で淀殿に手紙を送った家康。
本丸にカルバリン砲をバンバン撃ち込んでおいて、よくこんな書状を書けますね。
BGMはニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、ぺろぺろしたお涙頂戴ストリングス。
脳が割れそうです。
戦場で命を燃やし尽くすとか言い出しおった
あまりにも突然、好戦的な性格に豹変した豊臣秀頼。
家康と淀殿の恋バナを無理やりねじこんだせいで、秀頼が戦バカだという設定にされてしまいました。
乱世の夢を見た秀頼のせいだったんだね! これが乱世の亡霊か!……って、なんじゃそりゃ!
それで茶々は納得しているし、大野治長も止めるどころかおかしい。千姫まで洗脳されているかのよう。
具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える。
第47話にして、秀頼教が始まってしまった。
籠城してどうやって徳川を倒すのでしょう?
このドラマってつくづく兵法が嫌いですよね。
物資の確保は? 堀のない城での戦術は? 武器はありますか? 兵糧は?
具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える。
現実感が何もない。
最初から最後まで、黄巾党しか出てこない『三国志』もののようですね。黄巾党は兵法を学んだ朝廷軍の曹操たちが本気を出したら、戦略的には鎧袖一触されましたよ。
本作を『三國無双』シリーズにたとえるならば、チュートリアル「黄巾党の乱」で終わっています。そんなものは製品版でなくて体験版でしょうよ。
このドラマが嫌われる理由は、史実に反するからではありません。
幼稚で陳腐、センスが古い。
エイエイオーと叫ぶとピアノがピロピロ響くとか、意味不明です。
映画『ナポレオン』は一途なのに……
映画『ナポレオン』が話題です。
迫力ある映像に対し、ストーリーはナポレオンとジョゼフィーヌの愛を中心としているため、賛否両論だとか。
こうした世界的な映画でも、恋愛中心となると歴史劇はそういうトレンドなのかと思いますよね。
しかし、考えてみてください。この『ナポレオン』の場合、一途にジョゼフィーヌを愛しています。
元カノのデジレ。愛人のマリア・ヴァレフスカ。このあたりは出てこない。
再婚相手のマリア・ルイーザは出てきますが、ジョゼフィーヌの不妊が重要ならばそうなるでしょう。
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では『どうする家康』を比較するとどうでしょう?
マザーセナが生きている頃から「側室オーディション」。
死んだら補給されてくるレーシックお愛。
それも死んだらまた生えてくる自称男勝りの阿茶局。
これだけではない。
市とも愛し合っているかのような設定。
しかもその娘の茶々も家康に惚れていた!
もう純愛でも何でもないでしょうよ。
晩年の家康は孫のような年齢の女性に子を産ませていました。彼なりの健康法かもしれません。
そのことを踏まえると、本作のキモすぎるお手紙を送る家康が、心底嫌になります。ここまで気色悪いシナリオを作れるのは、ある意味鬼才ですよね……。
母と娘同時に恋愛感情展開は気持ち悪いと気付かず、どうする!
このドラマではセリフ処理で終わった、豊臣秀次の自刃と、その後の妻子大量処刑は惨たらしいものでした。
秀次の悪虐ぶりは捏造や誇張も多いとみなされます。
このとき、処刑される中に母娘がおりました。
両者ともに秀次の愛妾だったのか?
それとも片方が巻き込まれただけなのか?
もしも両者ともに愛妾だとすれば、母と娘を同時に愛するとはあまりに酷い、そんな印象を抱かれるでしょう。
時代を超えても気持ち悪い、母と娘の二代にわたり恋心を抱くという設定。
こんなしょーもない妄想を、いかにもすごいことを思いついちゃったと出してくる、このドラマ制作者は一体何を考えているのでしょう。
コンビニで成人雑誌を選び、わざわざ女性店員のいるレジにニヤつきながら差し出す。
温泉地の土産におっぱいチョコレートを買ってきて、女性社員に「キミは何色なのかな〜」と言いながら渡してくる。
宴会で用意された「気の利いたイベント」が、お色気コンパニオンだった……そんなおぞましいセンスを連想させます。
なぜ、この大河は失敗したのか?
この大河のよいところは、来週終わることです。
しかし、終わるからって安堵するだけでは不十分。なぜ失敗したのか考えねばならないでしょう。
まず、歴史劇を丁寧に作ることのできる脚本家を起用しなかったことがあげられます。
◆ドラマ10「大奥」“放送尺ちょうど”を目指す、筋肉質な脚本作り/脚本家・森下佳子(→link)
家光から慶喜まで、大奥の成立から終焉までを描く『大奥』。
長い原作をどう再構築するか。
森下佳子さんがいかに丁寧に取り組んできたことか。
こういう尺作りが大事です。
一方、『どうする家康』の場合、こうなります。
小豆袋の逸話は後世の創作だって
↓
なら、創作してもいいってコト?
↓
小豆袋を擬人化して走らせちゃえ!
この発想のどこがまずいのか?
小豆袋という創作を元にしたからだと、脚本家は思っているようです。
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またお市が信長“小豆袋”を送る…『豊臣兄弟!』でも繰り返されたありえない話
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違います。箇条書きにしましょう。
・あの距離、あの状況を、あの年齢の女性が走り切れると思っているのか?
・「阿月」という名前からしてセンスがない
・元ネタとして鳥居強右衛門を使い回していると思える。そのせいで鳥居強右衛門の話がつまらなくなった
・若い娘を出して死なせたら盛り上がるという発想を何度も使い回すセンスがともかく古い上に、気色悪い
・話としてつまらない、ともかくつまらない
・こんなつまらない話に一話を使ったら、尺が不足すると計算すらできないのか?
最後のひとつ、尺の構成を無視した愚かさが、呆れられているのです。
森下佳子さんにそのあたりを相談してみたらいがかですか?
夏休みの宿題を最終日に詰め込んでいた。そんな幼少期から何一つとして進歩せずに生きてきたかのようです。
一年の長丁場が無理だとわかっていれば、断ることもできたはずでしょう。
そこを反省もせず、にこやかにインタビューに応じるなど、その感性に呆れ果てます。
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『どうする家康』はペース配分がヤバい?1983年の家康大河と徹底比較
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民放『大奥』にも注目を
ドラマ10『大奥』だけでなく、フジテレビ版でも放送を控えている、『大奥』の衣装写真が公開されました。
◆小芝風花が“お姫さま”、亀梨和也が“将軍”に 『大奥』メインキャストの豪華役衣装が公開(→link)
文春砲で松本潤さんが拒んだという、宮舘涼太さんの扮装が見られます。よくお似合いですね。
立ち姿だけでもある程度、和装に慣れているかどうか判断できます。
彼は松平定信らしい生真面目さが伝わってきて、放送時の仕上がりも良さそうだ。
思えば今年はポスターとロゴを見た時点で嫌な予感がしたものです。
どちらも時代劇に思い入れがない、要は無茶な自己流センスを押し付けられる印象でした。
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それでもこの『鎌倉殿の13人』オマージュならば見たい
最終回のあらすじでは、なぜか天海だけがキャスト未発表です。
長谷川博己さんか、小栗旬さんか。そんなサプライズではないか?という予測も出回っています。
心の底から勘弁して欲しい。
仮に、小栗旬さんだとして、その展開を妄想してみましょう。
鷹狩りから戻った家康に、鯛を油であげて、ニンニクをたっぷりかけた料理を振る舞う。実際に作ったのは茶屋四郎次郎だけど、そこは改変で。
運動後の空腹のためか、うまそうに食べる家康。しかし気づく。
これはもしや、毒ではないか?
そう呻きながら、這いずり回る家康。胃によい薬がないかとのたうちまわり、まだやるべきことがあると苦しむ。
しかし天海は涙ながらに胃薬を飲ませようとせず、家康は嘔吐しながら息絶える。
啜り泣く天海の声と共にこの物語は終わり――。
要するに『鎌倉殿の13人』のオマージュですね。
去年は薬を飲めずに息絶えた小栗さんが、今年は薬を飲ませずに相手を死なせる。そんな逆転現象にする。
それならば評価できると思います!
徳川家康が主役なのに? だからか?
このドラマは「あの徳川家康が主役なのに、どうしてつまらないんだ!」と指摘されます。
私もそう思っていました。
しかし、むしろ逆ではないかと最近思い始めました。
直近の大河ドラマにおいて、徳川家康はおもちゃにされています。『青天を衝け』も酷い扱いでした。
あの家康が好きだという方に、じっくりと意見を聞いてみたいところです。
徳川15代将軍の中で、初代と最後を比較することは適切でしょうか?
徳川慶喜が家康以来の英傑だという評価は、時代がくだってからアリバイ的に持ち出されたものです。
元幕臣の福地桜痴がその代表格。
幕臣の子である夏目漱石は「福地桜痴なんて忘れられる」と辛辣な評価を下しておりますが、そういう態度が嫌だったのかもしれませんね。
なにせ、勝海舟はじめ、当時の幕臣、そして江戸っ子にとって敬愛すべき最後の公方様は14代徳川家茂です。
慶喜は「なんか知らねえうちに京都で徳川の世を勝手に終わらせた豚一(一橋の豚野郎・豚を食う一橋家当主)」でしかありません。
そういう慶喜を持ち上げるために、あんなふざけた家康を持ち出すことそのものが、侮辱に思えます。
あんなおちょくった扱いをしてよく抗議がなかったものだと思うほど。
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もしもあのとき、強く苦言を呈する偉い誰かがいたら、今年の徳川家康だってもっとマシだったかもしれない。そう思うのです。
もう大河にとって徳川家康とは、フリー素材になったのではありませんか?
『青天を衝け』では辞めジャニが徳川慶喜を演じ、話題をさらった。
ならば臍を曲げたジャニーズ事務所の御機嫌取りのために、主演大河を作ればいいじゃん!
主役は徳川家康でいっか? あいつはフリー素材みたいなもんだし、どんな描き方しても抗議はないし。なんだかんだで知名度は高いからな……。
なんて誰かが思ったのではありませんかね?
この十年を見ていますと、大河ドラマで取扱注意なのは幕末長州あたりのようです。
『花燃ゆ』では異例の脚本家交代が相次ぎました。
『西郷どん』では、薩長同盟がまるで「光の騎士である長州がついに薩摩に味方してくれた!」という描き方で違和感を覚えたものです。
実際には追い詰められた長州に、薩摩が手を差し伸べたようなものでしょう。
『青天を衝け』では、伊藤博文や井上馨がすっかりロンダリングされて出てきました。
一体どういうことなのか。この謎が解かれる日も、そう遠くないと私は思いますが。
2023年末は、プロパガンダのからくりが明かされています。大河ドラマがらみなんて、まさしく文化人の領域ではありませんか?
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どうするNHK
『どうする家康』なんて大駄作を看板として放送してしまった2023年。
NHKの放送倫理に向けられる目はこの上なく厳しくなっています。
先日、クローズアップ現代のジャニーズ性加害問題特集を見ました。
NHKの建物内でも加害は行われてた。しかし、NHKはジャニーズに任せきりで、何が起きているかすら把握していなかったとのこと。
NHKでまさかそんなはずがないだろう。そう思い、被害に遭われた方。そのご家族。どれほど辛い思いをしたのでしょうか。
公共放送という信頼性があればこそ、NHKは他局と一線を画しているといえる。
その信頼性を悪用していたと明かされたにもかかわらず、呑気なものだと思わざるを得ません。
それでも、契約だからと今年の大河を放映し続けた。異例とも言える高待遇を主演に対して行なった。
朝ドラでは、放送前からこんな逆風が吹いたためか、ともかく各メディアで絶賛の嵐です。
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しかし、ドラマそのものを褒めるというよりも、モデルとなった歌手の逸話や、主演女優の家族エピソードを拾うような苦しい展開を見せています。
私の個人的意見ですと、今季の朝ドラはここ数年でも最低の水準に思えます。
何が問題か?って、昭和の大歌手を、歌唱経験の少ない役者に演じさせることに無理があるのです。
なぜ歌唱力と演技力があるキャスティングにしなかったのか?
どうして歌がテーマなのに、朝から耳に悪いドラマになっているのか?
疑念が募るばかりです。
もうひとつ、東北人の描写があまりに差別的です。
「とーほぐ弁を話す連中なんて、素朴で頭がちょっと緩い連中だべした」
そう言わんばかりのセンスには辟易とさせられます。ニヤニヤと差別でウケ狙いしながら、御涙頂戴の展開を入れてくる。あまりにも無神経ではありませんか。
時代劇に思い入れのない大河主演俳優。
歌唱経験が不足している朝ドラ主演女優。
適材適所すらできないテレビ局、しかも公共放送でこの体たらく、あってはならないでしょう。
「七実三虚」の必要条件
本作の脚本家はインプットが圧倒的に足りない。
ドラマ10『大奥』脚本家の森下佳子さんと再び比較させていただきますと、彼女の『大奥』は、原作の尺を切り詰めながら、時代劇愛にあふれた要素が追加されています。
赤ひげ先生のモデルである小川笙船。
大岡越前守。
遠山金四郎。
原作には出てこない、あるいは触れられる程度の人物を見事に生かして出してきます。
彼らは時代劇ではおなじみの人物。敢えて出すことで、時代劇への愛と面白さが増しているのです。
たとえ創作でも敬意が込められていて、幅広い世代に受け入れられているはず。
それに森下さんの場合「七実三虚」であると思えます。
七割が史実、三割は虚構であるという、『三国志演義』のバランスとされます。
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つまり「七実三虚」はインプットあってこそ。
歴史をきちんと踏まえてないと、描けないのです。
『どうする家康』は、その点があまりに脆弱でした。
三割の創作があるにせよ、その創作部分でも考証は必要になってくる。
例えば『大奥』で非常に重要だった“赤面疱瘡”という病気は実在しない伝染病です。
しかし、それを描くなら好き放題描いていもよいかどうか?というとそうではない。実際の種痘接種について調べた上で、克服する過程が描かれていく。それがドラマの見どころになっている。
では『どうする家康』はどうか?
前述した阿月マラソンの場合、あの時代の若い女性一人が長距離を駆け抜けることは可能かどうか、検証が必要でしょう。
マザーセナの慈愛の国構想にせよ、数年間空砲を撃ち合うことは現実的なのか、考える必要がある。
それをこの脚本家は省いているのでしょう。だから時代考証以前に物理的にありえない、現実味のないくだらなさが横溢している。北半球で南に虹が出るようなことばかりだ。
しかし、私がくどくど指摘したところで、「へっ」と鼻で笑って屁理屈でもこねくり回すのでしょう。
「そーゆー真面目な歴オタ、史実至上主義、原理主義がつまらないんですよww」
「負けて悔しいんですかwww」
「偉そーなこと言いますけど、あんた勘違いしていたことありますよねwww」
といったような論点ずらしばかりで本質とは向き合わない。
はっきり書く人が少ないようですが、あえて指摘しますと……。
『どうする家康』から伝わってくる制作者の人間性が、あまりに幼稚です。中学生あたりで人間性の成長が止まっていて、頭にあるのはエロとマウンティングだけ。
そしてお決まりの言葉が出てきます。
「それってあなたの感想ですよねw」
「はい、論破www」
まぁ、その通りでいいですよ。
しかし、それで済むと思っているのであれば、武士としてのメンタリティ不足ではありませんか。
非力な私ではなく、例えばの話、薩摩隼人の前でも同じことを言えるかどうか?
武士というのは、
「心せよ。相手は薩摩隼人かもしれん。ならば初太刀だけは避けよ」
という心意気があるものでしょうよ。まぁ、こういう心境も新選組好きだけかもしれませんけどね。士道不覚悟は切腹だ!
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「シン・大河」とは結局何だったのか?
「シン・大河」――このわけのわからないフレーズに何が期待されていたのか?
迷う弱気なプリンスという描き方に、どういうわけか期待を寄せた人はそれなりにいたようです。
私はタイトルとコンセプトの時点で嫌気がさしましたものですが、言わんとするところは想像がつきました。
脚本家世代は、教養としての歴史にうっすらと反発を覚えていたのでしょう。
アジア太平洋戦争敗北まで、日本は臣民の教養や理想として、武士道を利用してきました。
例えば吉川英治『宮本武蔵』は格別のものでした。
それが敗戦後、GHQは問題視し、武士道奨励が禁忌とされます。
その規制が解け、高度経済成長期となると、一国一城の主となる出世物語や、自分たちの先祖に親しみや誇りを持てる時代ものが流行。
やたらと血生臭い武士道批判路線よりも、明るく穏やかなこうした作品が主流となりました。
代表が司馬遼太郎ですね。
当時は大衆教養主義の時代でもあります。
家に百科事典と司馬遼太郎の本を揃えることが、日本人のステータスシンボルになった。大河ドラマはそんな時代にピタリと当てはまったものです。
そうした司馬遼太郎と大河ドラマで教養を身につけた世代の下が、今年の脚本家と同世代です。
彼らは親のそうした大衆教養主義がウザい。反発したい。だからこそおちょくるようなことをする。
例えば戦国武将を萌えキャラ女体化して遊んだりする。
それでもまだ、親や先生の御機嫌取りのため、一応、司馬遼太郎を読んでいるのであればマシでした。
気合を入れて、あえてメインストリームから外れた血みどろ武士道、伝奇路線をこよなく愛する。これも少数派ながら、歴史への愛はあるでしょう。
小説ならば隆慶一郎、山田風太郎。漫画ならば『シグルイ』を熟読するようなタイプですね。
この脚本家の場合は、それすらないとみた。
司馬遼太郎を読み、大河を見てきた親をおちょくりたいだけ。高校生あたりで卒業して欲しいそうした精神性でもって、大河に乗り込んできたと。
そんなインプット不足で、面白い歴史劇が描けるわけがありません。
でも、彼らは誤魔化し方、いわば論破芸だけはマスターしています。
こういうときはまず、シナリオを描きます。
『どうする家康』は「シン・大河」だ。
それを理解できないのは、司馬遼太郎を愛読していてそれでマウントとってくるような古臭いおじさんだけ。
そういう残念なダサいおじさんは放っておこう。おばさんはイケメンを脱がせておけばなんとかなるだろ。『青天を衝け』もそれでうまくいったし。
オレたちはマジでやばい、センスのいい話を作れる!
そうシナリオを描いて、提灯記事を書かせよう。スポーツ紙に「SNSでは」「ネット大ウケ」と見出しを書かせれば世論なんて操れる。いつも通りだ、ちょろいもんだ。
なにせこちらにはあの事務所もついているんだし。紫色のハートマークが乱舞する。
めんどくせー歴オタだって、紫ハートーマークのいいね欲しさにコロッと参るだろう。
そうそう、熱狂的な固定ファンがいる『平清盛』『いだてん』スタッフとキャストを押さえておけばバッチリだな!
恐ろしいことに、このシナリオには、失敗した時の想定がない。だからシナリオ通りに大成功したと、主演や脚本家は振る舞っているのでしょう。
論破芸で勝てるという見込みもある。
脚本家のインタビューを読むと、論点をずらします。
批判されている箇所はそのくだらなさ、つまらなさがあるのに、認めようとしない。言い訳や自己満足、ナルシシズムを語るよりも大事なことはあるのに、そうしない。
ワースト2という不名誉に関する弁解があってもいいだろうに、現実逃避して軽薄なことをしゃべるだけ。
『レジェンド&バタフライ』でも同じように絶賛し、ノベライズを担当した、そんな半分身内のような相手に滔々としゃべるだけで終わります。
◆松潤主演NHK『どうする家康』は「シン・大河」になる? 大ヒット大河ドラマ“勝利の方程式”とは | 2023年の論点(→link)
◆脚本家・古沢良太が語り尽くす!【前編】(→link)
◆脚本家・古沢良太が語り尽くす!【後編】(→link)
◆大坂の陣。でも今、戦う武将をヒーローとして描けるだろうか。「どうする家康」古沢良太の選択 (→link)
◆ ドラマは「脚本家」で見るともっとおもしろい! なかはら・ももたさん×木俣冬さん「私たちがあの脚本家を推す理由」(→link)
私にはまるで劉禅と黄皓に見えます。もたれあいの精神に驚くしかありません。
聖人は天を体し、賢人は地に法(のっと)り、智者は古を師とす
聖人は天を体し、賢人は地に法(のっと)り、智者は古を師とす。『三略』
聖人は天を手本とし、賢者は地を手本とし、智者は古を手本とする。
『どうする家康』とその周辺に漂うくだらなさを彷彿とさせる、こんな記事がありました。
◆ 「自分こそ正しい」というバトル そのツールになった「エビデンス」(→link)
小豆袋の逸話はあるだの。森蘭丸をあえて森乱丸にするだの。なじみのある呼び方ではなく、最新の説に応じた呼び方とする。
そのうえで、そんなことも知らんのかとマウントをとるあたりが、このドラマのいやしさの根源にあると思い当たった。
このドラマは歴史に対して敬愛がない。体系立てた筋道すら学んでいない。そのくせ、小ネタだけは仕込んでくる。
そうして逸話を仕入れている歴史ファンに目配せして、その蘊蓄語りをさせることで、批判する相手に「こんなことも知らないんですかぁw」とマウントを取ろうとする。そういう狡猾さが常に滲み出ています。
脚本家のインタビューを読んでいるとわかります。
彼は史実をツールとしてしか考えていなくて、蓄積を重視しない。積み上げてその結果を生かすことなく、その場しのぎで使う。
ワンクールドラマや映画ではそれでもよいのかもしれませんが、長丁場でそれをやったら物語は破綻してしまう。
以前、家康と氏真が抱き合って「ネット号泣」だのなんだの提灯記事が出ていました。
瞬間風速だけ競い、目の前の相手を言い負かして「論破w」と気取る手合いにはこれでいいのだろうと思える描写と反応のコタツ記事です。
しかし、キッチリと覚えている視聴者もいます。氏真がマザーセナ相手に、未遂であろうと性的暴行をやらかしたことを。
そんなことを綺麗さっぱり忘れて、瞬間的な感動だけを狙う。どこまで浅ましいのでしょう。
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家康に捨てられた瀬名が氏真に「遊女」扱いされるなどあり得るのか?
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スマホで検索した結果をふりかざし、自分は情報強者で相手は情弱だと決めつける。青年期をネット匿名掲示板と共に過ごしてしまった中高年らしい振る舞いに思えます。
確かに、それでしばらくは勝てる時代も続きました。
相手をおちょくる。相手に刺激を与える。相手がまごついているところで何かを突きつける。侮辱する。論点をずらす。そして「論破ww」だの「顔真っ赤ww」だのいいつのる。
ネット上ならば漫画のコマでも貼り付けて勝利宣言をする。大河ファンは字幕付き大河スクリーンショットも使いますね。
そういう軽薄さと、露悪趣味と、しらけきった冷笑を使えば、とりあえずネット論戦では勝ったふりができる。
これが論破芸の正体です。
『どうする家康』とはそんな論破芸を大河ドラマで一年間流し続けたようなものだと思います。
批判があれば、
「でもその史実って誰か見てきたのw」
「史実至上主義w 歴史絶対主義ww」
「勝者が作り上げた理屈でしょw」
とでも言って、小賢しく立ち回る。この言い分は制作チームで共有して使いまわしていますが、誰かがそんなシナリオを作り上げているんですかね。
それは、いつまでも通じるものでしょうか。
全てをしょうもないインターネットミームで消費するとき、使う側もネタとして消費されています。
冷たい笑いで何かを小馬鹿にするとき、している自分自身をも冷たく突き放しています。
「司馬遼太郎おじさん」だのと揶揄されてきた、昭和大衆教養主義を生きた人々。彼らは自分磨きをするために司馬遼太郎を読んで、大河を見るのだという名目はあった。
うんちく語りが鬱陶しくとも、一目置くに値するだけの教養を身につけたい意思があった。
しかし『どうする家康』を無理やり「シン・大河」だと言い募る層に、同じ志があるかどうか?
かつて、大河好き、歴史好きがそれなりに一目置かれたのは、人格の修養をしているという暗黙の了解もあったはずです。
今年は大河界隈の幼児性にしみじみと嫌気がさした一年でした。
もっともこれは今年だけでもない。それすらも積み重ねです。
例えば、聞かれてもいないのに唐突に「でも『いだてん』は好き」と言い出す方は、これだけ五輪関連の汚職が明白になりながら、大河ドラマは無関係だと言えるでしょうか。
工作に使われた可能性が高い作品を無邪気にほめる弊害はないのでしょうか。
『青天を衝け』も同様です。
あれをアイドルドラマやイケメンコスプレ動画として楽しんだのであれば、それでいいかもしれません。
しかし幕末明治史を学んだと言うのは危険。渋沢成一郎と小栗忠順を出しながら、彰義隊に触れないドラマにどれほどの価値があるのやら。
あの酷い歴史修正は、局内でも恥晒しという懸念でもあったのか。『大奥』で軌道修正がはかられております。NHK内部にも幕臣ルーツの方はおられるでしょうし。
そして今年が極め付けだ。
ファンダムは狭い界隈で褒め合い、反対意見を揶揄しておちょくるばかり。
古を師とする態度なくして、どうして智者と思われることがあるのか。
『どうする家康』は最低大河の持つ要素を全て持ち合わせています。
今回はスイーツを無駄に出してきて『江』を彷彿とさせました。
さらには出演者が大麻所持で逮捕されました。『花燃ゆ』以来のことです。あの作品は放送後、今回は最終回目前という違いがありますね。
最終回直前に「出演者が逮捕でどうする!」となるとは、なんということでしょう。
◆俳優の村杉蝉之介容疑者、大麻をレターパックで受け取った容疑で逮捕…「どうする家康」にも出演(→link)
◆俳優・村杉蝉之介容疑者逮捕 所属劇団「大人計画」がイベント急きょ中止 開催3時間前に…今後も全て白紙(→link)
それのみならず、歴史好きや大河好きなんて嘘っぱちなのではないか、人格修養ができていないのではないかという疑念まで振り撒き、新境地の駄作に突入しています。
これぞ「シン・大河」ならぬ、「惨・大河」だというのだれば、賛同しかありません。
大河を愛する皆様方も、思うところあればNHKに送ってください。
◆NHK みなさまの声(→link)
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【参考】
どうする家康/公式サイト

















