明治22年(1889年)夏――。
寛永寺のある上野では、徳川家康江戸入城三百年祭が行われていました。
徳川家康がおどけた口調で説明しますけど、なぜ自分の子孫や家臣たちが辛い目に遭っていて楽しそうなのか、未だに釈然としません。
江戸が再評価されるという機運が高まって喜んでいますが、そもそも江戸っ子は明治政府を評価していないでしょ。
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徳川同窓会
旧幕臣たちが祝いの会合を開催。酒を飲みながらこう言います。
「快なり!」
これも相当おかしい。
「快なり!」と慶喜が言う場面に、いましたっけ?
視聴者が「ああ、あのときの!」と思うのは、ドラマの演出を見ていたから。幕臣たちもそうではないはず。
首を捻ってしまう理由は他にもあります。
「快なり!」というのは「きもちいい〜」という意味で、当時のインテリエリート層からすれば、ありえないほどお粗末な語彙となります。
平成令和舞台のドラマで、トップ官僚が「パネェ〜」「マジ、パネェ~!」とパーティ開いてたら相当マヌケになるのと同じです。
今さら井伊直弼を再評価するあたりも呆れてしまう。
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栄一なんて暗殺を喜んでいたではないですか。
茶歌ポンだの、それこそ大河一作目『花の生涯』から馬鹿にするようなことを散々繰り返し、今になってアリバイじみた再評価はあまりに心苦しい。
そして相変わらずの髪型で徳川昭武も登場。
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このシーンも眉間に皺が寄ってしまいました。
武士にとって、かつての主君が来たというのに「気づかず申し訳ない」という態度もない。単なる同窓生扱いのように見えてしまいます。
幕臣同士も誰もがみな一様に仲良かったわけでもなく、それこそ栗本鋤雲が、再会した榎本武揚を怒鳴りつけるような話もあるわけです。もう少し起伏に富んだ再会を期待してはダメでしょうか。
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会話も相変わらず、事実をなぞるだけのような説明セリフ。まるで◯◯高校の同窓会ホームビデオです。
そして、すっかり忘れさられていた永井尚志を、よろよろさせながら登場させます。もう完全に忘れている方も多かったことでしょう。
土方歳三「いや、俺のことも全然思い出さないよな」
確かに土方は仕方ないとは思います。そもそもが渋沢栄一とはほとんど無関係ですから。
孫が読んでいる幕末小説に土方が出てきたもんだから「おじいちゃんも知り合いだった」と言い出しただけであって、同窓会で「◯◯高校のアイツはやばかったよなー。オレとはダチだったけどな」という知り合い自慢みたいなものです。
本作では、ビッグネームな土方を利用しただけのこと。その証拠に、土方が近藤勇にほとんど言及することなく退場させられてました。
要は、視聴率のため片手間に出されたようで、侮辱にすら見えました。
このあと、みんなでこう叫んでいます。
「徳川万歳!」
こんなことを実際に叫んでいたとしたら、なかなか辛いものがあります。
「万歳」というのは「万年=永久」に続くように!という意味があります。徳川幕府が滅んだのに「万歳」って相応しいと思えないんですよね。
だいたい、渋沢栄一なんて、周囲からは「どのツラ下げて……」と思われていても仕方のない立場です。
ステルス討幕派で、水戸学を掲げ、天狗党とお仲間、おまけに慶喜が将軍になって文句を言っていた。
栄一の事績はナレ解説
駿河では、やすが美賀子に対し、江戸弁で何かしゃべっています。
そろそろ終わる本作、やすを含め、最後まで綺麗な江戸弁を聞けなかった気がします。というか、薩摩も、長州も、京ことばも、あらゆる方言がなんだか妙でした。
美賀子も災難です。将軍様の御台所が、女衒と同席とは侮辱にもほどがありましょう。
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しかも美賀子は結局、
「SSR渋沢栄一をゲットした平岡のガチャ運いいよね」
みたいなことしか言っていません。
誰も彼もが延々と渋沢栄一を誉めているだけ。
スマホに出てくる漫画広告の、魔王が転生した漫画みたいで「あれがSSR魔王の実力……!」という展開ですね。
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一方、慶喜は油絵を描いていました。
この場面に出てくる子供は全員、慶喜が女中との間に作った子供たちです。
栄一はこのあと「大きくははばたいていた」とざざっとナレーションで事業が全部説明されます。
銀行業、製紙、紡績、建築、肥料、食品、鉄道……多くの事業に関わってきた。
と、この辺の話を視聴者に飽きさせることなく、緻密に描いてこその大河では?
長州閥と昵懇で手繰り寄せた事業にせよ。
渋沢栄一はやっぱり凄い! と、思わせるには、彼の実績で納得させるしかないはず。
それが簡単な説明と当時の建物画像を引っ張ってくるだけでは、渋沢栄一に失礼ではありませんか。
周囲に「アイツはすげぇ」ばかり言わせていて、もはや高校ヤンキー列伝。
だからでしょうか。すでに50歳ぐらいのはずの渋沢栄一をはじめ、出演者の多くが高校生程度の頭脳に感じてしまう。
兼子の演技が素晴らしいだけに落差が目立ちます。
追い出される妾くにも美談に
栄一の次女・琴子も結婚。くにの子も結婚していました。
そして彼女は渋沢家を出ていく。
妾になるのもくにの意志。出ていくのもくにの意志。この経歴ロンダリングはあまりに不憫だ。
「くには幸せどす。みなさんの立派に育ったお姿をお千代さんに見せてあげたかった……大変お世話になりました」
とまぁ、妾が追い出される様も美談にされ、NHKのロンダリング技術の高さには眼を見張るばかりです。
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そのころ、篤二はぬぼーっとしています。息子というより同級生みたいですよね。
後継者として期待されていると説明されますが、見るからに「コイツはダメだな……」としか思えない雰囲気。
役作り? 何がなんだかわかりません。
そしてバザーの場面へ。
『八重の桜』から使いまわしたドレスが綺麗。赤と黒です。
そして兼子。大島優子さんはやはり着こなしも所作も素晴らしい。
バザーの客は「文化祭で盛り上がっていますね」としか言いようがないのですが、兼子だけは安心して見ていられる。なんちゃらに鶴とはこのことかもしれません。
このバザーに、また圭十郎とやすが来ました。
女衒が顔を出すバザーとは何なのか?
そう思うとまともにセリフが入ってこないのですが、相変わらず「夫が生きていたら」とかなんとか言い出します。
確かに平岡が生きていたら、やすも女衒にはなっていなかったでしょう。
それに「もしも生きていたら……」というIFストーリーを考えるなら、平岡円四郎より小栗忠順のほうがはるかに興味深い。
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渋沢栄一寄りの資料や自伝をそのまま無批判に使うから、大河だというのに「半径数メートル視点」という枠の小さな話に収まってしまうのではないでしょうか。
以前から感じていたこのドラマの限界を改めて感じてしまいます。
気になるのが栄一の背景にある花と、栄一の浮腫んだ顔です。
吉沢さんの健康が心配になってきます。
背景の花もなかなか難しいものです。当時、こんな色鮮やかなで派手な、洋風の花があったものかどうか。その辺の考証も曖昧に見えます。
慶喜の子供たちって……
さて、ぬぼーっとした篤二ですが。
芸者遊びをしています。そこで渋沢一家がやたらと誉められる。差別的な優生学の穂積も誉められていました
そして篤二が歌うのですが……歌唱指導をもっときちんとして!と嘆きたくなる。
篤二は、栄一のもとではなく、姉のうた夫妻に育てられていて、うたが迎えに来ました。
そして怒っている。
ただ、セリフがボソボソしていて聞き取りにくくて……。
大河に出て未来の明るい若手俳優の発声指導も見直すべきではないでしょうか。
明治23年(1890年)、初めて衆議院議員選挙が行われました。
といっても、選挙権があるのは25歳以上で高額納税者のみ。貴族院議員も選出され、栄一も選出されました。
ここまで政府とべったりで「民だ!」と言い張るのはさすがに無理を感じる。
栄一の事績をすっ飛ばしまくるため、有能な人物に見えないのも痛い。
本作は要人の公私混同を平気で流すから、やっと仕事をしたと思ったら、篤二のゴタゴタが持ち込まれて場面が変わる。
結局、篤二は熊本に預けられることになりました。
いい加減、事業の話にしてくれー!
そう思ったら、今度の話題は美賀子の乳がんです。
慶喜はこの正妻を散々邪険に扱っておいて、ここが数少ない美談ですので、欠かせないのでしょう。
堅苦しい事業の話はウケが悪いと考えているかのようで、もはやワイドショー化しています。
そして子供の遊ぶ場面が入るのですが……。
なんでしょう。まるで来賓に見せるため「お遊戯の舞台」を演じているようだ。
しかも、くどいようですが、ここの子供は全員が美賀子の子じゃない。
慶喜が女中に産ませた子です。
女中が腹だけ貸して美賀子に子を捧げたように見えなくもないし、あるいは美賀子が全てを諦めて自分以外の女が産んだ、夫の子をあやしている図とも見ることができる。
いずれにせよ残酷なシーンだ。なぜ、いかにも「よい場面」のように見せてくるのでしょう。
篤二の駆け落ち騒動
栄一が「水道管は国産ではなく外国産を使う」と言い出します。
また突然の話がきました。
ここまでの流れをきちんと説明して欲しい。
安全性を重視しているとは言うものの、腕組みして偉そうにしているだけで、外国産ならどこがどう安全性が高いのか、さっぱりわかりません。
本作を取り上げる記事の中で、栄一のセリフはともかく長くて大変だ、と役者本人から共演者まで、くどいほどに繰り返されます。
だからでしょうか。
いざとなったら具体性のある長いセリフがカットされ、「おかしれぇ」「がっぽんがっぽん」「ぐるぐるする」というしょうもない決め台詞ばかり連呼されるのかと勘ぐってしまう。
渋沢栄一のセリフは、量が多くても難易度は低く、要は中身のないセリフばかりです。
例えば第36回放送では、
「こっちを間違っているというお前が間違っているというこっちを間違っているお前が間違っている……」
という驚きのセリフもありましたよね。
昨年の長谷川博己さんの方がはるかに大変だったと思います。
セリフだけでなく、初回から屋根へワイヤージャンプしたし、甲冑も着用したし、乗馬もしたし、古式剣術もこなしたし、漢籍も読みこなした。今年が大変なら、去年は神の所業ですよ。実際素晴らしかったですし。
去年のことはさておき、話を今年に戻しますと、中途半端な説明の最中で栄一は席を外します。
しかも用件が馬鹿息子・篤二のことだからどうしようもない。
なんでも駆け落ち騒動を起こしたとか。
栄一は、女癖のだらしなさは自分の悪影響か?と反省してもよいところですが、当然ながら触れません。
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うたは責任を感じ、父を煩わせるわけにはいかないと言っています。
このドラマの女って全員がわきまえていますよね。妾のくにはニコニコ笑顔で追い出されるし、うたもこの調子。理想の放置女しか出てこない。
正直、こんなどうしようもない家庭事情、心の底からどうでもいい。
草むしりとは思えない草むしり
ここから篤二の血洗島の時間です。
肝心要の栄一の事業話は飛ばし、お蚕様のことをしつこく繰り返す。
序盤はまだヤル気もあって、それなりに調べたのでしょう。だから使いまわす。
そしてここで、本作お得意「思った本音をいきなり語り出すシステム」の発動です。
「がんばれば母が治るっていうから、庭の草むしりをしたのが父との唯一の思い出だもん」
お庭の芝生で篤二と栄一がチョロチョロしています。
草むしりするのに、むしったものをその辺に捨てるだけって……所作指導も半端で、とても草むしりをするように見えません。
和装なら袖をたすきでとめるぐらいしましょうよ。
栄一は農家出身だ、庶民派だ、と何かといえば主張しますが、こういうディテールが甘いから嘘くささしかないのです。
何かのセレモニーでちょっとだけ土をさわり「植樹した」とアピールするVIPじゃないんだから。
そして千代が死んだ場面の回想です。あらためて叫び方がわざとらしかったなぁ。
「だから夏が苦手なの」とアピールする篤二。
しかし、どうしたって話の流れが不自然です。
例えば千代が肺結核で、それを心配しながら草むしりするならわかりますが、容態が急変するコレラでこんなことやってます?
どうも千代の死が、古典的な悲運の死である肺結核をアレンジしているようで、設定が無茶苦茶に思えてきます。
それに篤二の「愛を知らないかわいそうな僕ちん」アピールも大概にしろ、と。当時の子供は、往々にして凄絶な人生を送っています。
今時の若い世代の歴史ファンは『ゴールデンカムイ』の尾形あたりで、明治少年の暗黒を知ってます。
※尾形……父親に捨てられた妾の母親が精神を病み、その母親を殺鼠剤で殺害。後に父親と義理の弟(正妻の子)も殺す
篤二の苦悩など、だから何だ?としか言いようがありません。
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そしてまた、初期に得た知識使い回すようなプロモビデオ。
地元料理を前大統領にふるまったり、埼玉県民へのアピールに余念がありません。
暴漢に襲われる栄一
栄一は馬車を襲われ、負傷しました。
後に「水道のことで脅された(だから殺されはなかった)」とする栄一ですが、あの襲撃を見て「やばい!栄一が殺される!」と本気で心配した視聴者はいたのでしょうか。
事前に暴漢から「いったん襲ったらスグに引きますんで、エヘヘ」と言われていたかのようで、安心して見ていられました。
本作の刃傷沙汰はあまりにリアリティがありません。
慌ててやってくる成一郎も、やっぱり騒いでいるだけで役に立ちそうになく……。頼りになりそうなのは、むしろ兼子です。
ドラマなのですから天狗党の残党に襲わせたらよかったかもしれません。なんせ天狗党が送った慶喜宛の嘆願を栄一が握り潰し、その後、あの大殺戮が起きていますので。
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栄一はあらためて決意します。
コレラで妻を亡くしたから、水を綺麗にするんだ!
なるほど……と言いたいところですが、これがどうにも胡散臭い。
五代友厚といい、渋沢栄一といい。露骨に自分の懐が潤うよう、利益誘導するのが当時の事業者です。
それを五代は北海道開拓、渋沢栄一は朝鮮半島で実行。
舶来物を選んだ過程が「善意に依るものかどうか」わかったものではありません。
当時の商習慣だから良いのでは?という指摘もあるかもしれませんが、それを現代において称える必要はないでしょう。
それにもし「当時だから」で今も話が済むのなら、もっとそうした露骨な部分が描かれるはずです。
本作がキレイにキレイに渋沢栄一を描くのは、書き手としても「当時をそのまま描いたらマズい」と思っているからでしょう。
慶喜が暗室で写真を焼いています。
実際に彼の写真はたくさん残されております。
幕臣が生きるか死ぬかだった時でも、自分だけは趣味に生きていたからこそできたものです。
美賀子だけでなく、子を産ませた女中のものもたくさんあります。
暗室で美賀子の死を描いているようですが……栄一も、美賀子の死にショックを受けています。
今週のロス戦術は美賀子でしたか。
それをステップに、栄一が徳川慶喜伝記を書く!とぶち上げ始めました。
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回想シーンがどんどん流れ、昔から妙なドラマだったなぁ……と絶句してしまいます。
討幕→幕臣→新政府へと、真逆の立場へコロコロ考えを変える栄一の口から、綺麗事ばかりが語られていて閉口です。
小栗忠順はそんな栄一を喝破していました。
まるで逸りの服に着替えるように方針を取り替える――そんな人物のどこが英雄なのでしょう。
さすがに奸物とまでは言い過ぎかもしれませんが、いちいちハキハキと、まるで観客がいるかのように芝居がかった話し方をするから、嘘くさくて仕方ないのです。
ただ、吉沢亮さんの顔色が優れないのが不安で……。あの爽やかな彼の笑顔はどこへ行ってしまったのでしょう。
明治22年(1894年)、日清戦争における日本快進撃の様子が伝えられます。
栄一は広島大本営の明治天皇のもとを訪れ、祝いの言葉を述べました。
日清戦争勝利で賠償金だ!
その帰り道、栄一は静岡の慶喜を訪れます。
慶喜は四男結婚も決まり、篤二も縁談がまとまったようです。
栄一は世代交代を感じているそうですが、当人は顔に皺もなく、頭髪もほぼ真っ黒で、まだ高校生ぐらいに見えるので、わけがわかりません。
世代交代というより「さすがに文化祭も終わりじゃね?」とか言い出しそうです。
栄一は、慶喜の功績を知らせたいと言い出しました。
しかし慶喜は断ります。
そうしたほうがいい。私の脳内で幕臣と会津藩士たちが一斉にブーイングし始めました。
福沢諭吉「将軍を叩くかわりに『痩せ我慢の説』で勝海舟と榎本武揚を叩いておきますね!」
栗本鋤雲「いいぜぇ、この『痩我慢の説』はその通りよ! あいつらよくも恥ずかしくねえもんよ」(髪型のおかしなドラマは忘れてください)
山川浩「ったく、このおんつぁげすども」
山川健次郎「嘘つき出版をしたいんですよね、わかります!」
松平容保「…………………………」
こうして進められるのが『徳川慶喜公伝』の編集。
来週以降の放送で描かれるのでしょう。
しかし、今から断っておきますと『徳川慶喜公伝』は徳川慶喜と渋沢栄一の思い通りに描かれていて、とてもそのまま鵜呑みにできる内容ではありません。
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現代でも、怪しげな団体のトップに自伝を書かれても、それをそのまま受け取る方はいませんよね。
本作が、そんな自伝をもとに構成されているとすれば本当に危険。
大河ドラマで歴史修正過程が美化して描かれたとしたら由々しき事態ではありませんか。
このあとの日清戦争はナレ勝利。
「日本万歳! 日本万歳!」
エキストラの服装も髪型も、何もかもがおかしく、篤二はあいかわらずぼけーっとして、あの声で歌ってます。
伊藤博文と栄一が語っています。
栄一は病気で寝込んだとか、もう歳だと言うけど、慶喜と会ったときと同じでまだまだ若い。確かに顔色は冴えませんが。
それにしても日清戦争で「賠償金!」と喜ぶ栄一の顔ときたら……。
戊辰戦争や西南戦争では「戦争なんて馬鹿馬鹿しい!」とか言っていました。
それが今度は喜色満面。自分たちが儲かるなら、戦争オッケー♪ということですかね。
程なくして始まる日露戦争では、真っ当にやれば半年で戦費が尽きるものました。
それが英米の思惑ありきで、ロシアを倒すために援助され、辛勝をおさめますが、賠償金を取れずに国民は大激怒。暴動が起きたりします。
そのときはまた「戦争はダメだ!」とか言い出しそうで……。
しかも呆れるのが、日清戦争で勝ったから慶喜を東京に戻せるとか言い出すこと。
どういう理屈なんでしょう。
そして2年後、30年ぶりに慶喜が東京へ戻ったと語られますが、栄一が若いので何がなんだか理解できません。
総評
明治から昭和にかけての経済を語る上で、日清戦争と日露戦争は避けて通れません。
富国強兵とは、教科書に出てくる言葉ですが、明治政府がセットで進めたようで、そういうわけでもない。
富国か? 経済充実路線。薩摩閥の大久保利通らが推進。
強兵か? 軍事を増強すること。薩摩閥では西郷隆盛が推進。長州閥は吉田松陰『幽囚録』にある満洲、朝鮮、樺太、台湾、ルソンまで領有すべしという方針を掲げる。
経済と軍事、どちらを優先すべきか?
それをジックリ考える重要な場面で日本は日清戦争の勝利を得て、一気に傾きました。
戦争で勝利をおさめたら大儲けだ!
賠償金を得た成功体験があまりに大きかったのです。
しかし日露戦争で早くも崩れます。
英米が間に入ったギリギリの辛勝で、莫大な戦勝金も得られず、領土も南樺太を取り戻しただけ。
政府はその苦しい内情を隠蔽したものだから、民衆は怒ります。
「苦しい戦争を我慢したのにこれっぽっちか!」
そして日比谷焼き討ち事件が発生。政府はこれを機に言論統制に乗り出します。
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日露戦争に勝利してポーツマス条約~なのになぜ日比谷焼打事件は勃発したのか
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大正時代というと「大正デモクラシー」の明るいイメージがあります。朝ドラのようなフィクションでも上塗りされてゆく。
しかし、戦争へと向かう危うさを抱えた時代です。
言論統制や国家による隠蔽が悪化する一方、日本は戦争で勝利する旨味が忘れられなくなっていた。
満洲を巡っては英米と決裂し、ドイツと同盟を結ぶ。
緊迫した時代の最中、いざ足元の経済をみてみると、到底英米には勝てない。
四方を海に囲まれ、強引に領土拡大をした結果、引き返せないほどの破綻を迎えている。
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日露戦争は勝利をしたといっても辛勝でしたし、下士官は大量に戦死した。
かくして、どこか危うい軍の組織ができあがってゆく……。
日露戦争までは、日本の兵器は優秀でした。
それがどんどんと性能が落ちる。
アジア・太平洋戦争でも用いられた銃は「三八式歩兵銃」。明治三十八年モデルが現役だったことからも、軍装の遅れがわかります。
戦術にせよ、日露連想で用いられたものを引きずってしまったのです。
たとえ劣った戦術だとしても「日本人は魚を食べるから強い!」式の無茶苦茶な日本スゴイ精神論でごまかしていました。
そのあたりは近代史の本にいくらでも書かれています。
要するに、アジア・太平洋戦争での敗北のきざしは日露戦争時点ですでに芽生えていたのです。
そして元をたどれば、渋沢栄一らの経済対策にも、その一因としてゆきつくのではありませんか。
仮に、渋沢栄一の経済が盤石で素晴らしかったのであれば、アジア・太平洋戦争前夜、あそこまでアメリカと大差がついていた理由は何でしょう?
資源や人口の差はあるでしょうが、それだけでもないでしょう。
そういう思いがあるから、敗戦の記憶がまだ濃い昭和や平成では、渋沢栄一なんて大っぴらに顕彰できたものではなかったのだとも思えます。
彼は確かに実績をあげてきた。しかし、あの日本史上最大の破綻について無責任というわけでもない。そう評価されれば、単純に褒めるわけにもいかない。
それがいつしか、戦争の記憶も薄れ、かつ近代史の知識が軽んじられている時代だから、作る側も見る側も騙されてしまう。
しかし、私は絶望してはおりません。
『週刊金曜日』で渋沢栄一の負の面について連載をしている大学生からは、そんな悪循環は感じない。
未来を担う世代には『青天を衝け』などという時代錯誤大河は放っておいて、もっと色々なことを学んで欲しいと思うのです。
巧言乱徳
今週の漢籍です。
子曰く、巧言は徳を乱る。小(ショウ)、忍(しの)ばざれば、則ち大謀(タイボウ)を乱(みだ)る。 『論語』「衛霊公」
「口先だけでうまいことを言う、そういう中身のないコタツ記事みたいなものはな、結局のところ、徳を乱すんだよ。ちょっとした批判ですらキレ散らかしているようでは、大きな事を成し遂げることはできんぞ」
ドラマ完結も間近です。
孔子が見たら嘆くような記事が、てんこ盛りです。
◆【大河ドラマコラム】「青天を衝け」第三十七回「栄一、あがく」急展開を見せる終盤の行方を占う見事なドラマと俳優陣の好演(→link)
最終回を意識する12月に入り、持ち上げ記事もいよいよ熱を帯びています。
「残り少ない回数でいかに栄一の後半生を描くのか」。この回の的確な構成や俳優陣の好演を見る限り、その心配は杞憂(きゆう)に終わりそうだ。むしろ、どんなふうにこの先の半生を描いてくれるのか、楽しみになってきたと言ってもいい。最終回まで無事に駆け抜けてくれることを期待して、残りの物語を見守っていきたい。
杞憂に終わるどころか、大河枠ごと破壊しかねないと私は嘆息が止まりません。
「的確な構成」とおっしゃられますが、本作で明治時代の政治や商業の何がわかるというのでしょう。
視聴者は「おかしれぇ」とか「がっぽんがっぽん!」だけしか覚えてないのでは?
振り返ってみれば、福沢諭吉も同時代に輸入していた複式簿記を「凄い!」と持ち上げつつ、結局は外国人との算盤対決に話をすり替えていました。
あんな調子では、とても銀行業や他の産業について描けるワケもありません。
以下の記事では、テンプレ通りにSNSの声を拾ったような文面が作られています。
◆“栄一”吉沢亮&“五代”ディーン・フジオカ、友情の微笑みSHOTにファン感動「素敵なふたり」「エモ過ぎ」(→link)
具体的には以下の部分です。
これに対し、コメント欄では
「一段とかっこよくて素敵でした」
「再び五代様ロス」
「素敵なふたりをありがとうございます」
「素敵なツーショットです」
「共演シーンはエモ過ぎました」
「西のイケメン、東のイケメン」
などの反響が寄せられた。
おそらくウンザリしているのは私だけではないでしょう。
その読者の声って、テキトーにアカウントを作って、自分で投下しても書けてしまいますよね。
まぁ、実際にそんな声が広がっているのかもしれませんが、イケメンが見たいなら、単に並んでいるだけでなく戦ったり合奏したり、やたらと陰謀が起こったりする『陳情令』のほうが何もかもがエモいですよ。
アマゾンの海外ドラマランキングでTOPになっただけのことはあります。
主演コンビは歌も上手ですから。
お次は大手スポーツ紙から。
◆ NHK大河「青天を衝け」再婚したばかりの栄一に離婚話が浮上! 家庭内がバタバタ…第38回見どころ(→link)
千代ロスについての言及です。
悲しみを忘れることは簡単にはできない。それでも前を向いて生きないと自分も周囲もつらい。栄一のように“千代ロス”を引きずる番組関係者は、離婚話について「実際のところは分かりません」と説明。史実かどうかは分からないが、傷心の栄一と一緒に胸を痛める視聴者にとっては、架空のエピソードには思えないだろう。
本作品の栄一は、平九郎や長七郎、土方歳三あたりが死んだことはイベント感覚で、あっさり忘れていました。
千代のことだけダラダラ引きずっているのは、ただの都合にしか思えません。
そもそも史実では、千代の死後、兼子との間にすぐさま子供ができています。再婚までに三人作り、そのうち二人が夭折でした。
そして大河について一家言ある方の話を聞いている、そんな記事はこちら。
◆ NHK大河ドラマ「青天を衝け」クライマックスへ 吉沢亮、栄一の役 染み込んだ(→link)
どうせなら小島毅先生か一坂太郎先生に話を伺っていただきたいところですが。
辛口のコラムニスト桧山珠美に、人気の理由などを分析してもらった。
◇
スタートが遅く、(オリパラによる)中抜けもあった逆境の中、うまく盛り上げた脚本のうまさが光る。渋沢の成長と、吉沢亮の演技の成長がうまくリンクした。千代役の橋本愛らも仲の良いファミリー像を見せ、千代がコレラで亡くなる様子はコロナ禍にかぶせて理解しやすくしていた。
脇の使い方もうまい。朝ドラ「あさが来た」で五代友厚を演じたディーン・フジオカを同じ役で使う仕掛けは、なかなか商売上手。土方歳三役の町田啓太、渋沢平九郎役の岡田健史らイケメンの若手で歴女の心をつかむ「キラキラ大河」の側面も見せた。栄一の浮気は「千代が許可した」という女性主導に仕上げ、炎上リスクを抑えたと思う。
今回の大河は、女性や子どもが親しみやすい味付けで新しい潮流を感じる。世間の「新1万円札の人」に対する愛着は相当上がり、「国家プロジェクト」の意味でも成功だったのではないか。 (談)
「辛口のコラムニスト」という肩書ですが……滴り落ちる蜂蜜のような言葉ではありませんか。
甘いけれども、ジャンクフードのように中身がない。
渋沢の成長と言いますが、加齢演技をできているとは思えません。
何年経っても10代の頃の「ぐるぐるする!」を口にしている。
現代で言えば、
「おめえつぇぇなぁ! オラわくわくすっぞ!」
「営業王に、俺はなる!」
とかなんとか言っているようなもんでしょう。どこが成長しているのでしょうか。「ぐるぐる」の、二度目の「る」の言い方が成長しているんだとしたら、もう私にはお手上げです。
脇役の使い方というのもどういうことでしょうか。要するに話題性や役者さんに頼っているだけでは?
そしてこの記事は、このドラマの本質を突きました。
「歴女」という言葉。この単語は死語になっていただきたい。差別的だと私は指摘したい。
歴史を好きになることに男女は関係ありません。
それなのに、女性というだけでこんなことを散々言われる。
「乙女ゲーで新選組にハマったんでしょ?」
「あれでしょ。『戦国BASARA』やって伊達政宗はイケメンだと思ってない?w 当時からむしろブサイクと言われていて……」
男性だって『信長の野望』や『無双』、『FGO』からはまっていたりしませんか?
それなのに女性だけ「どうせイケメン目当てっしょw」とコケにされる。
いいかげん、こんなことやめていただきたい。
今年の春には、日本史の男性研究者が女性研究者に対し「お姫様扱いされる」という趣旨のことをSNSで投稿し、問題視されました。
そういう葬るべき価値観を東京新聞で再生産してどうなさるつもりですか?
「キラキラ大河」とか「女性や子供に親しみやすい」という言い回しからして、古典的な「女子供向け」とバカにするニュアンスが滲んでいます。
「女子供向け」で「キラキラ大河」が成功するのであれば、なぜ『花燃ゆ』は失敗しましたか?
そして、以下の一文に、本作の意義を語り尽くした感があります。
世間の「新1万円札の人」に対する愛着は相当上がり、「国家プロジェクト」の意味でも成功だったのではないか。
受信料でオリンピックを盛り上げるプロジェクト『いだてん』は大失敗でした。
その轍を踏まないよう、巧言を弄し、徳を乱すことと引き換えに利を得る――『青天を衝け』では、そんなメディア展開が見えてきます。
私が思い出したのは、天狗党の乱のことです。
あの事件では幼い子供たちすら処刑されました。
しかし、あまりに幼いと斬首も難しい。首をすくめてしまう。なので、甘いお菓子を差し出して、首を伸ばしたところを斬った。
このドラマの甘ったるさとは、まるでそんなお菓子のよう。
そうでもしないと首を伸ばさない誰かがいて、害するためにお菓子をちらつかせる誰かがいる。一体どんな状況なのか?
私はそんなことに加担したくありません。斬ることも、斬られることも、御免被ります。
では、徳を乱さぬためにはどうするか?
前述の『陳情令』でも見ましょう。
イケメンを見るだけのドラマじゃありません。
あの作品に登場する雲夢江氏の家訓は「明知不可而為之」、成せぬことを成す――『論語』「憲問」が由来です。
子路、石門に宿る。晨門(しんもん)曰く、奚(いず)れよりぞ。子路曰く、孔氏より。曰く、「是れ其の不可なることを知りて而(しか)もこれを為す者か」。
子路(しろ、孔子の弟子)が石門で一晩を過ごした。門番は子路に問いかけてきた。
「どちらからいらしたんです?」
子路は答えた。
「孔先生のところからだ」
すると門番はこう言いました。
「ああ、あの無理だとわかっているのに、そんな理想を追っている(是知其不可而爲之)人のお弟子さんですか!」
なぜ、こんなことを引用するのか?
新札の顔であれば、私は津田梅子の大河が見たかった。
その思いを同じくする方の記事が以下にあります。
◆作家・柚木麻子「渋沢栄一より大河ドラマにしてほしい"ある女性たち"の物語」(→link)
津田梅子が主役となれない理由。
あまりに理不尽なものです。
そんな5年間を過ごす中、「朝ドラや大河ドラマはもっと女性史にスポットを当てて、わかりやすくドラマにしてくれたらいいのにと思います。少なくとも、津田梅子は渋沢栄一より先にやってもよかったのではないか」という思いを強くしたという――。
津田梅子を研究している方に、「津田梅子って、なぜ大河ドラマにならないのですか?」と聞いたら、「外国ロケが多いと、女性の話はドラマになりにくい」と言われました。まず、予算が組まれないらしいのです。梅子は少なくとも10年間アメリカに滞在していたので、人気の若手女優に生き生き演じさせたい少女時代の舞台が全部アメリカになってしまう。予算の問題のほかに、女の人が外国にいると「自分とは遠い人」「エリート」だと敬遠されてしまうという配慮もあるようです。
成せぬことを成す――誰かがそう思い、津田梅子大河を『おかえりモネ』のキャストとスタッフで実現していたらばどれほどか。そう嘆息するばかりです。
女子と小人とは養い難し
孔子だからといって、『論語』だからといって、よいことだけがあるとも限りません。
その代表例がこちら。
女子と小人とは養い難し。『論語』「陽貨」
「女と小者はどうしようもないよね」
これは大河ファンにもある悪き傾向で「女大河」「スイーツ(笑)大河」という蔑称がありました。
先ほどの記事からすると「キラキラ大河」という言い換えで誤魔化しているような印象も受けます。
その轍を踏みたくないから「キラキラ大河」と言い換えているとか?
『青天を衝け』は大体がスイーツ大河の条件に合致します。
渋沢栄一が愛人多数であること、ロンダリングしながらもアリバイ程度には描いているから、除外しているのでしょうか。
個人的にこの言い方は好きではありません。
というのも、
「女向けだから」
「女性脚本家だから」
というミソジニーとセットになるから。偏見を助長するから「女子と小人とは養い難し」同様に使いたくないのです。
しかし、そんな私でも流石に「養い難し!」と唸ってしまったことはある。
◆大河「青天を衝け」草なぎ剛 脚本の大森美香さんは「びっくりしながら見ていた」(→link)
私は慶喜役が決まった時から、苦い顔になることが増えました。
なぜなら役者のファンがこういうことをSNSに書いておりまして。
「つよポンが演じるならきっと慶喜もいい人だよね!」
いや、いや、いや。
演じる役者と歴史上の人物を混同することはなりません。
それなのに、この脚本家氏は堂々と語ってしまう。
大森さんは「慶喜の能の面が外れたところから、ずっと、びっくりしながら見ていた。慶喜はこういう人だったんじゃないかと、草なぎさんを見て思わされたところが多かった」と述懐。
主人公に善性を見出すのであれば、それは資料や研究からすべきこと。
『麒麟がくる』ではこんなアプローチをしていました。
光秀の建てた城の構造。
当時残された証言。
治めた地域の伝承。
そういった要素から、これまで積み上げられてきた分厚い悪人イメージを剥がし、光秀の本質を求め、作品に生かす。
間違っても
「長谷川博己さんがイケてるから光秀もいい人にしよう!」
なんてことは言いません。それが当然です。
しかし、慶喜に対する言葉で、謎は解けたところがあります。
「彼が演じる慶喜の、こんなところは見たくなーい!」
そういう心理があったとすれば、そりゃあ慶喜の卑劣で悪どい所業なんて描きませんよね。
天狗党の残酷な見殺し。
妾を連れての軍艦逃亡。
周囲の困窮を無視して女中と子作り三昧。
渋沢栄一の数々のあくどい言動もそうなる。
それでも出演者も同意することでしょう。
大河も変わったなぁと思います。
『独眼竜政宗』の撮影であったことですが。
◆ 渡辺謙が語る『独眼竜政宗』 命懸けだった勝新太郎との緊迫シーン(→link)
渡辺謙さんと勝新太郎さんが緊張感を保ったまま本番にのぞんた話は有名です。
緊張感を高めるため、この場面の収録まで勝は渡辺と一切顔を合わせなかった。迎えた撮影時、ヒリヒリと緊迫した雰囲気の中で、勝は「この若造が」とばかりに、手にした采配を渡辺の首元に突きつける。完全な勝のアドリブだった。当時の現場を渡辺が懐かしそうに振り返る。
「とにかく何が起こるかわからない。全身にアンテナを張り巡らして、命懸けでした。それが政宗の心境とシンクロしたのでしょう。勝さんとのシーンはすべて何が起こるかわからない雰囲気でした」
この緊張感が空前の大ヒットを生んだのだ。
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昔を偲んで懐古趣味なんかに陥りたくはありませんけど。
今年は、あまりに弛緩しすぎではありませんか?
昨年の長谷川博己さんと染谷将太さんにも緊張感がありました。
長谷川さんは、撮影後メイクを落とした染谷さんを見て「あ、こんなにかわいいんだ……」と驚いていたとか。
それが今年はいつでも高校の文化祭だ。
しかし、どうやら作り手は賛美しか耳に届かないようではある。
◆「青天を衝け」脚本・大森美香、五代が主役のドラマにも意欲(→link)
渋沢栄一同様、人当たりがとてつもなくよろしい方です。
巧言令色鮮し仁とはこのこと。
そりゃ需要があれば「また五代様ドラマやりたいです」と笑顔で返すでしょう。
しかし、聞きたいのはそんなことじゃなく、インタビュアーにもきっちりと仕事をしていただきたい。
五代を二度も描いておいて、黒田清隆すら名前も出さないで、それで彼の生涯を描いた意味があるのでしょうか?
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彼の事績で最も知られている開拓使事件を二度も捏造まみれにして、大隈重信はじめ当時の声、特に北海道の声を「誹謗中傷だ! 嘘だ!」と言い切っておいて、それをまた繰り返す。
はっきり言いますが、彼女の描いた五代様は名前と設定を借りただけのオリキャラ状態です。
文豪の名前を使っているけれども、ほぼオリキャラ――そんなゲームがありますよね。それと大差はありません。
五代友厚の伝記を読んでも、広岡浅子や渋沢栄一は、ほとんど出てきません。
この二人の人生にでしゃばっている五代友厚なんて、オリキャラでしかなく、そういう侮辱や捏造についての考えを確認したいのです。
学問としての歴史を勉強をするとき、こんな風に釘を刺されることは多い。
「ドラマやゲームの印象は一旦忘れてください。それはむしろ歴史を学ぶうえで邪魔です」
それなのに、まさか大河の脚本家が、役者のプロモーション気分で歴史を捻じ曲げるのはいかがなものでしょう。
女子だから養い難いとは申しません。小人ではないか?と私は伺いたい。
歴史を扱うのであれば、歴史学とは何か、その基礎くらいは最低でも学んでいただきたいのです。
メディアにも問題があると感じます。
・なぜ歴史を学ぶ意義がわからないで、大河を引き受けたのか
・『あさが来た』の時点で歴史を扱う力量に問題があると懸念されていた方を、なぜ再起用するのか
その辺りを突っ込んでこそジャーナリズムの価値があるのでは?
そして気づきました。
『麒麟がくる』のときは、クランクアップ後も、作り手も役者さんも、「放映されてからでないと終わった気がしない」と語られていました。
作り終えてから観客の反応を見て、それで初めて終わる。そんな意識ですね。
それが今年は、もう終わって成功したと「万歳!」している有様。ろくな反省もなく、次もあればやると即答してしまう。
歴史と向き合い、作品を丁寧に仕上げていくというより、そろばんを弾いて儲けを出す商人の姿勢ですよね。
儲かるか、そうでないか。
判断基準がそれだけだとすれば――仁義礼智信――すべてが欠けた姿勢ではないでしょうか。
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【参考】
青天を衝け/公式サイト





















