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戦国一のワルはMr.奉公構の勝成で決まり!戦国浮世絵ANARCHY20

戦国時代の最強武将は誰か?

そんな話題になると、戦国ファンの間では「忠勝だ!」「宗茂だ!」「いやいや勝家忘れるな!」と主張が止まらなくなり、最後は「結局、1対1で戦うことなんて無いもんね」となりがちです。

そこで少し視点を変えてみましょう。

最強武将ではなく、「戦国一のワルは誰か?」と問われたら?

答えはこれだ。

水野勝成の一択だ!

えっ、誰それ?

そんな声も聞こえてきそうですが、戦乱期のカオスな世界においても「型にハマらない」タイプのぶっ飛んだ武将でした。

 


家康の母方いとこ

水野勝成の「水野氏」はどこかで聞いたことがおありでしょう。

戦国時代であれば水野信元

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徳川家康に縁の深い「姓」として知られますが、実際、母(於大の方)方の実家であり、水野信元は家康にとって伯父、水野忠邦も遡れば於大の方の兄である水野忠守にあたりました。

では勝成は?

というと、家康の従兄弟にあたる。

家康の母・於大の方の弟である水野忠重、その息子になるんですね。

こうなると尚更、世間に名を知られてないのが不思議に思うかもしれませんが、実は仕方がない理由があったりします。

この勝成さん、あまりに行状不良なため、父親に勘当されていたのです。

 


奉公構を喰らっても

戦国時代の勘当は「奉公構(ほうこうかまい)」と呼ばれ、これを破って他家が雇うと「お前はウチにケンカを売っとんのか!」となるため、出された方は無職に追い込まれます。

水野勝成以外では、後藤又兵衛基次黒田長政に奉公構を出されていましたね。

そうした関係もあって又兵衛は大坂の陣で西軍に入ったんだな、と。

では水野勝成はどうか?

昔から暴れん坊で戦場での一番槍は当たり前。

織田信長から感状を貰うほど武芸に長けていた勝成ですが、ある日、父親の部下を殴り殺してしまい、以来、奉公構を喰らって放浪生活となりました。

実際、武の腕前は凄まじかったのでしょう。

水野家から追い出されたその後は、仙石秀久豊臣秀吉佐々成政立花宗茂黒田官兵衛西行長など名だたる武将に雇われているのです。

見方を変えれば、勘当を喰らった後も一箇所に落ち着くことができてない――まさしくNo.1のワルではないでしょうか。

本稿では、その様子を戦国浮世絵師・鞘ェもんに再現してもらいました。

Katsunariを現代に転生されたら、どんな姿になるか?

それがコチラ!

来ました特攻服!

赤の裏地に龍が描かれ、甲冑には「毘沙門天」のような透かしプリントが施されている、実はおしゃれなコーディネート。

髪型もリーゼントですねー。

まさに『スクール・ウォーズ』の大木大助であり、大木が「川浜一のワル」なら、水野勝成は「戦国一のワル」。

胸元に入っている水野氏の家紋「水野沢瀉(おかだか)」だけでなく、徳川の「葵(あおい)」も入っていて、意外と律儀感もありますが。

ともあれ水野勝成ってどんだけスゴかったん?という方は以下の関連記事からご覧ください。

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絵・鞘ェもん(ツイッターサイト
文・五十嵐利休


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