藤原義懐

画像はイメージです(源氏物語絵巻/wikipediaより引用)

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藤原義懐はなぜ花山天皇と共に出家へ追い込まれた? 何か策は無かったのか?

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花山天皇の挑戦

花山天皇は17歳という若さで即位したせいか。

エキセントリックな一面ばかりが強調されますが、なかなかどうして、政治的な見識がなかったわけでもなさそうです。

28才の叔父である藤原義懐

そして乳兄弟32才の藤原惟成(これしげ/これなり)と共に政治改革に挑んでいます。

この時代は平安時代も曲がり角を過ぎていて、荘園制度や貨幣流通に改革の一手を施さねばならない時間が迫っていました。

もしここで花山天皇の改革が成功していれば、後世、長いこと名君とされていたかもしれません。

しかし、それは最後まで断行せねば意味がない。

関白・藤原頼忠にせよ、叔父の右大臣・藤原兼家にせよ、周囲は改革を煙たがるばかり連中で政争が相次ぎ、むしろ政治の停滞を招きました。

義懐は政治には前向きであったものの、外戚としての権勢を握ることには疎かったのかもしれません。

あるいは義懐の娘を花山天皇に入内させていれば盤石だったのかもしれませんが、まだ若く、年頃の娘はおりません。

しかも花山天皇は女色が強烈で、何かと気まぐれ。

娘を入内させたくない貴族のほうが多いほどです。

こんな状況を超野心家の藤原兼家が手をこまねいて見ているわけもなく……。

兼家は娘の藤原詮子円融天皇に入内させ、唯一の皇子となる懐仁親王を授かりました。そして花山天皇の東宮とされた懐仁親王が即位すれば、兼家の勝利!

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といっても“絶対”など、ありません。

なんせ寿命の短い平安時代です。若い花山天皇がいつ譲位して兼家の孫にその座を明け渡すのか?

それより先に兼家の命が尽きてしまう可能性もあります。

できれば1~2年以内のうちに孫を即位させておきたい!

年老いた兼家はどうすべきか?

 


兼家の奸計に、敗北した花山天皇主従

花山天皇は若く、好色でした。

なんせ、即位式でも女官を連れ込み、房事に耽っていたとされるほど。

花山天皇は、藤原義懐の妻の妹であり、藤原為光の娘にあたる藤原忯子(しし/よしこ)を入内させたいと強く望みました。

しかし彼の激しい愛に耐えきれなかったのか。

せっかく入内した忯子が寛和元年(985年)7月18日、急死してしまうのです。

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精神的に落ち込み、不安定となった花山天皇。

義懐ら側近は、若い彼の気まぐれであり、また別の愛する女性さえ現れれば立ち直れるだろうと甘く構えていました。

その点、藤原兼家は非常に狡猾です。

寛和2年(986年)6月23日、花山天皇の不安定な精神状態につけこみ、兼家の二男・藤原道兼が出家を促します。

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道兼は天皇と共に出家する――として、まんまと騙し、自分は逃げてしまうのです。

側近たちが、失踪した花山天皇を探すと、彼は元慶寺で剃髪していました。

しまった、謀られた!

頭を混乱させながら必死に打開策を考えても、刻一刻と時刻が進んでゆくだけ。

共に花山天皇を支えていた藤原惟成に、

「見苦しい真似をするよりも、潔く出家すべきである」

と言われてしまいます。

もはやこれまで――政治的敗北を悟った義懐は、惟成と共に剃髪し、出家を果たしたのでした。

兼家からすれば笑いが止まらない展開でしょう。

邪魔だった花山天皇だけでなく側近まで一緒に消えてくれたのですから。

一連の政争は【寛和の変】と呼ばれます。

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かくして藤原義懐は悟真と名を改め、受戒して寂真となりました。

世間の人々は「あんな状況で出家して、果たして真っ当な僧になんてなるものか?」と噂しましたが、極めて真面目な僧侶となっています。

彼の男子も多くが出家。

なお、主人である花山天皇は出家後も女色を好み、そのせいでまたもや大事件を起こすこととなり、対照的な末路を辿ります。

藤原義懐は寛弘5年(1008年)7月17日、享年52で世を去りました。

最期はきっと極楽往生を遂げただろう、と人々は噂したのでした。

こうしてみてくると、彼の主である花山天皇、敵である兼家とその子たちをはじめ、悪事を為す方が目立っている。

グッドルーザー(良き敗者)としての義懐は、むしろ一服の清涼剤のようにも思えてきます。


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文:小檜山青
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【参考文献】
橋本義彦『平安貴族』(→amazon
倉本一宏『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』(→amazon

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