寛弘3年(1006年)、強訴する興福寺僧侶の狙いは何なのか?
何やら背後には暴力沙汰があるようで、彼らが審議を求めているのは、
源頼親(みなもとのよりちか)
当麻為頼(たいまのためより)
の二名でした。
「言うことを聞かねば火を放つ」とまで言ってのける定澄に対し、藤原道長は、脅しても無駄だと応戦。
藤原とその氏寺が争って何とするのかと付け加え、さらに続けます。
御仏を預かるものとしてそれでいいのか?
別当でいられないぞ、興福寺とてただでは済まないと定澄に反論するのです。
それにしても、この僧侶たちのおどろおどろしさはなんなのでしょう。
仏事考証はとても大変なものであり、本格的に再現していることでしょう。僧侶を演じる方も本当にご苦労なさっているかと思います。
興福寺の強訴に動揺する朝廷
道長は陣定で、興福寺の一件を持ち出します。
と、これがなかなかの暴力沙汰で、内容は以下の通り。
・興福寺の僧が殺害される
・その報復として当麻為頼の屋敷と田畑を焼いた
・当麻為頼の上にいる大和守・源頼親からも、興福寺からも訴えがあった
要は、国司である源頼親と興福寺が、殺しと放火のトラブルに発展し、裁定を有利に働かせるため興福寺が【強訴】してきたというわけです。
動揺する帝に対し、判断を誤ったと認めた道長は「検非違使を遣わして追い払いましょう」と進言。
そなたらしからぬ考えだなと帝が反論すると、道長も、内裏裏の門にまで押し入られては朝廷をないがしろにしていることだとして、武力(検非違使)で追い払うしかないと言い切るのでした。
興福寺僧侶たちの悪どさが際立つこの場面、実は道長の先見の明が示されているのかもしれません。
京都は、防衛機能が極めて貧弱であり、天然の要害となる鴨川くらいしか防衛に使えませんでした。暴力で朝廷へ迫れると気づかれてしまったら、手遅れなのです。
そしてその「手遅れ」となる様を、私たちは大河ドラマでも目にしています。
2022年『鎌倉殿の13人』のフィナーレは、【承久の乱】でした。
興福寺の悪僧よりおそろしい坂東武者が御所にズカズカと上がり込み、後鳥羽上皇を流刑にしてドラマは終焉へと向かったものです。
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幕末大河でも同様の場面があります。
【禁門の変】です。
武装して孝明天皇の元へ押しかけ、要望を通そうとした長州藩士が会津・薩摩藩により返り討ちに遭った出来事。
大河ドラマではしばしば悲壮感たっぷりに描かれるものですが、個人的には当然の帰結に思えます。
このとき孝明天皇は長州藩に対して激怒していましたが、それはそうでしょう。
『青天を衝け』で描かれた【天狗党の乱】も、上洛して自分たちの主張を通そうとしたものの、そんなことをされたら大失態となるとおそれた徳川慶喜により、大量処刑された事件です。
つまり、日本史上、暴力を用いて天皇に言うことを聞かせようとする人々はしばしば存在したということです。
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藤壺では、今日も敦康親王と中宮が仲良くしています。
いつも硬い表情の中宮も、敦康親王の前だけでは明るい表情。
すると中宮大夫の藤原斉信が険しい顔でやってきて、中宮を奥の間に隠すよう指示を出します。
興福寺の僧侶が太極殿にまで押し寄せてきている。万一に備え、中宮を守るようにと言うのです。
そうはいっても女房はオロオロするばかり。女性が薙刀で武装して守るようになるのはもっと後のことです。
すると、まひろが清涼殿に連れて行くことを提案します。
万が一のことがあっても、帝のそばにいれば安全だという判断であり、これには斉信も納得。
すぐさま支度を整えて、中宮は帝の元へ向かうと、一条天皇は「大袈裟すぎる」と言います。左大臣が陣頭に立って抑えるから、そなたの父を信じよと語りかけるのです。
「顔をあげよ。そなたは朕の中宮である。こういう時こそ胸を張っておらねばならぬ」
おずおずと帝に目をやる中宮。
帝は微笑みます。
モンスタークレーマーと化した興福寺
藤原顕光が、道長に「興福寺別当を追い払った」と報告してきました。
ただ、左大臣に会いたいと申しているとかで、うんざりしたように「この上何を」と困惑する道長。
内裏にあげるか?と顕光に言われ、後日、土御門へ来るように告げます。
「はぁ、しつこいのう」
うんざりとした様子の道長です。
土御門に定澄がやってきて、道長と面会。定澄はなんと、これだけの要求をつきつけてきました。
1.大和守・源頼親が訴えた「興福寺の僧侶が当麻為頼の屋敷と田畑を焼いた件」を再審査してほしい
2.大和守・源頼親の解任
3.右馬允・当麻為頼の解任
4.蓮聖が公の法会への参列を禁じられているが、任じていただきたい
道長はため息をつきます。
いかなる理由があろうとも、屋敷を焼かれ、田畑を荒らされた方を罰するわけにはいかない。つまり1、2、3は却下です。
蓮聖のことを訴えたいなら、それだけの申し文を書くようにと言い、御仏の道に生きるようにと話を打ち切るのでした。
どっと疲れた様子の道長に対し、部屋を退出した定澄は、去りながらニヤリとしております。
「よかった。ひとつでもこちらの望みが通ったならば上出来だ」
ぬけぬけと言い放つ定澄は老獪で、道長より一枚上手のようです。
日本の仏教は血腥い歴史がある
それにしても一体この僧侶の姿はなんなのか?
先週から頭を悩ませております。
どうやら日本の宗教は、海外からすると理解し難いもののようでして。
東アジアの場合、複数の神を信じていても問題はなく、むしろレアカードを増やす感覚でした。一神教の国や文化からは、これが理解しにくいこともあります。
天皇が仏教を信じようと全く問題ナシ。ときどき道教も混ざります。
『光る君へ』の安倍晴明にしても『鎌倉殿の13人』の阿野全成にしても、道教がハイブリッドされた術を使っていました。
そして仏教の【強訴】やら、戦国大名のもとで軍師のようなことをしている太原雪斎のような人物についても、海外に説明しようとするとなかなか大変です。
中国でも、少林寺僧のように武装することがないとは言い切れません。
ただし、刃物は用いないですし、弱者救済のためにやむを得ず戦うという設定が、エンタメ作品でもなされています。
興福寺のように、ありのままに暴れる宗教関係者となると、邪教徒認定されることでしょう。
道長は「御仏の道を歩め」として、武装に頼らず真面目に修行しろと命じています。
これは北条泰時も「御成敗式目」で規定しました。御仏の道どころか復讐の道を歩んだ公暁のせいで、源実朝は横死を遂げていますので……。
本当に一体なんなんでしょう。
戦国武将が寺社で勉強を習うということも、海外では理解しにくいようです。
遣唐使の廃止以降、情熱を持って中国へ渡り、勉強してくるのは仏僧でした。
最新鋭の学問を身につけてきた僧侶のいる寺は最高の教育機関になります。
殺生を避ける仏僧なのに、人を殺す武将に勉強を教えるってどういうことなの?
ましてや軍師になるとはなんなんだ!
そう困惑されるわけですね。
武田信玄の君臣など、主君に合わせて家臣も大勢が出家し、僧形になって戦い続けるのだからもう、わけがわかりません。
では日本の【僧兵】はいつまで続いたのか?
というと、武装解除が完遂されたのは江戸時代です。
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そこでようやく、暴力ではなく仏事で人々の心を広く掴むようになりました。
幕末から明治にかけて、【水戸学】から始まった【廃仏毀釈】という暴挙が起こりました。
しかし、民衆の信仰心は消えません。
戦災や空襲で寺が焼けても、たちまち寄進が集まり再建されてゆく。そこまで心に根付いた存在となりました。
一方で明治以降の宗教、いわゆる新宗教はそうした歳月の積み重ねがない。
となると、一部の宗教団体は平安時代の仏僧のように危険な手口で権力者に接近し、人々を洗脳して利潤を得ようとします。
『どうする家康』でも生臭坊主が出てきて、「宗教はやばい」と現代の問題へと誘導するような描き方でしたが、新宗教とそれ以外は区別して考える必要があるでしょう。
中宮様のお心が開かねばどうにもならない
まひろが藤壺の局で執筆していると、疲れた顔をした道長が姿を見せます。
気遣うまひろに「たいしたことはない」と返す道長。
せめて中宮と帝が仲睦まじくしていれば疲れも吹き飛んだかもしれませんが、まひろも「お渡りはある」としか言えません。
敦康親王に会い、物語の話をする――されど道長が期待しているような懐妊はないどころか、帝が中宮の手を触ることすら、まだないとか。
道長はたまりかねたように、なんとかならぬかとまひろに訴えかけます。
「おそれながら、中宮様のお心が帝にお開きにならないと、前には進まぬと存じます」
まひろがそう返すと、道長は「それにはどうすればよいのだ」と返してきます。
お急ぎぬならぬようにと答えるものの、皇后定子が身罷られてからもう六年経過していて、焦らずにはいられないと道長は訴えます。
まひろは手は尽くしているというものの、実質執筆だけのようにも思えます。
それでも道長は猜疑心が薄い性質で、かつまひろを信じています。
「お前が頼みだ! どうか頼む!」
そう言い、執筆を邪魔したとまで言い、頭を下げます。
なんていい人なのでしょう。
まひろはソウルメイトとはいえ、女房に過ぎません。それでもこう腰を低くしています。
用件を終えたようで、道長ははたと気付きます。
まひろに弟がいたことを尋ねると、「任官まで時間がかかったものの、中務省の内記をしている」と答えが返ってきます。左大臣にもお目にかかったことがあるとか。
道長は「そうか」と納得し、その場を去ってゆくのでした。
この道長と藤式部の関係は、女房の間で噂になっています。
足を揉む仲かはわからないけれど、ヒソヒソ、ヒタヒタしている……そう語られているんですね。
実際にこの二人の関係は判然としませんが、こうして語り合う女房がいたことは確かなのでしょう。
そんな話の種が書き留められて伝えられたからこそ、今でも定期的にこの二人の関係は話題にのぼる。
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さらにいえば、この二人の仲が歴史になんの影響もないところもポイントかもしれません。
日本では家柄に箔をつけるため、不義密通の噂すら利用する世界的にも変わった文化があります。
島津家の祖が、源頼朝との不義密通の子というのがその典型例です。
しかし、紫式部には藤原宣孝との間に賢子がいるだけです。
ゆえに自由度が高い、盛りやすい関係といえます。
道長は気遣いの達人
さて、そのころ土御門では源倫子が四女・嬉子を出産し、寝込んでいました。
六度目の出産ながら寝込むことが珍しいのですから、倫子は頑健な肉体の持ち主ともいえます。
長寿の血統なのか。本人のみならず、道長と倫子の間に生まれた子は、皆当時としては驚異的な長寿でした。
場面変わって、藤原斉信がひどく落ち込んで、呆然としています。
なんでも屋敷が焼けたとか。家のものは無事だったと公任が言い、道綱も風が強かったし運が悪かったと慰めます。
よかったらうちに来てもいいよ、と言葉をかけますが、別邸はあるからそっとしておいてやれと公任は言うのでした。
「そうだね」
道綱もそう答えますが、斉信は虚無の顔のまま覇気がありません。
道長から「中納言のお着替え」である直衣一式が届き、道綱は気の利く弟に感激しておりますが、斉信はそれどころではないようです。
その道長は、帝と人事について語っていました。
なんでも蔵人に三名の欠員が出たため、伊周の嫡男・藤原道雅を任じたいと希望を伝えます。
道長は表立って阻止するわけでなく、道雅が若いことを理由に、年長者も入れてはどうかと言います。
そしてここで、まひろの弟である惟規をあげると、帝は「それでよい」と返します。
道長の政治家としての能力があがってきました。
伊周の嫡男、道雅は怒れる青年に育っていた
藤原伊周は、自邸で道雅任官の件を聞き「帝は我が家を引き立ててくれる」と喜んでいます。
そして息子に対し、心して勤めるよう説くのですが、道雅は素っ気なく嬉しくもないと不満そうな表情を浮かべながら「やることはちゃんとやる」と答えます。
この機を生かすようにと伊周が続けると、こう返す。
「この機を生かすってなんですか? 父上の復讐の道具にはなりませんから」
道雅の母である幾子もおり、ハラハラとした表情。
幼少期に父の伊周と叔父の隆家が失脚する様を目の当たりにした道雅は、色々と心が荒んでしまったようで、バイオレンス貴公子として歴史に名を残しております。
初回から、まひろの母・ちやはを殺害し、話題をさらった藤原道兼がおりました。
彼はドラマで描かれた殺人とは無縁です。
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しかし道雅はそうでもないのです。
ドラマで描かれたように謀略のせいで出家してしまった花山院には内親王がおりました。
内親王であっても父がああも数奇な運命をたどれば、娘にも暗い影を落とし、中宮彰子に出仕することになります。まひろの同僚というわけです。
この内親王にアプローチして叶わなかった貴公子として道雅がおりました。
そして師走に事件は起こります。
藤壺に強盗が入り、女房の一人を攫って逃げたのです。
金目のものである衣装を剥ぎ取り、女房は路上に残されました。灯りもない暗い平安京をさまよい歩く彼女は水路に落ち、助けを求めるも得られず、凍死。
その遺骸は都の死体処理係とも言える野犬が食い散らしてしまい、内親王の遺骸は黒髪以外ほとんど残っていなかったそうです。
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犯人は自白してきたものの、世間はこう噂しました。
「黒幕は道雅様じゃないのか? フラれて逆恨みしてたじゃない……」
「あの人ならやりかねないわ!」
そう言われるだけの悪辣さが道雅にはあったのです。
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果たして『光る君へ』ではこのまひろ同僚惨死事件を扱うのかどうか。
私は出る可能性はなかなか高いと考えております。
中宮は物語が理解できない
出世を遂げた弟の藤原惟規は、父のお下がりだという六位の衣装を着てまひろの前に現れます。
よく似合うと褒めるまひろ。
ちょっとカビ臭いと惟規。
いとが大事に保存していたようで、藤原為時の家では火災が発生していなかったことの表れでもありますね。
惟規は「案外狭い局だ」と少々毒づきます。
慌ててまひろが「しっ」と嗜め、蔵人になれたのは左大臣のおかげなのだから顔を潰すなと叱る。
左大臣のくせにケチくさいと取られたくありませんし、これ以上、同僚の噂になるのも面倒ですからね。
惟規はさっきの女房は悪くないとデレデレしますが、道綱の娘だと知ると、六位の蔵人じゃ相手にされないなと居直っています。
まひろもそうは認めながらも、わからないと言う。
なんでも惟規には身分の壁を超えて欲しいとか。自分がしたい夢を弟に託しますか。「なにそれ」と惟規も突っ込み返します。
「神の斎垣を越えるかも、俺」
なんだかちゃっかりとそう返す惟規。タブーを超えた恋をするかもしれない宣言であり、いったい何をやらかす気でしょうか。
すると、中宮がやってくると告げられ、惟規は慌てて去ってゆきました。
まひろがかしこまりながら「御呼びがあれば参った」と告げると、中宮は「藤式部の局が見たいのだ」と答え、さらに続けます。
「そなたはよい」
「えっ?」
「さがれ」
案内してきた女房・左衛門の内侍は唖然としつつ、去ってゆきます。
そしてまひろと二人きりになると、中宮はおもむろに質問を投げかけてきました。
・まひろの物語の面白さがわからない
・男たちの言っていることもわからない
・光る君が何をしたいのかもわからない
困惑しながら受け止めるまひろ。
「帝は物語のどこに惹かれているのか」
とさらに聞かれて、まひろも「帝の心はわからない」と答えながら、こう続けます。
まひろの願い、思い、来し方をふくらませて描いた物語が、帝のお考えになることと重なったのかもしれない。
まだ理解できない様子の中宮。
するとそこへ敦康親王がやってきて、双六に誘いました。中宮は笑顔で「勝てない」というと、親王は中宮様が勝てるようにするといい「早く参りましょう」と急かします。
去り際、また来ても良いかと尋ねる中宮に対し、「もちろんでございます」と返すまひろ。
読者から「意図がわからない」と言われ、まったくショックを受けていないとは言い切れないでしょうけど、同時に想定通りのようにも思えます。
諸葛亮が「思った通りですね」と涼しい顔で言うような雰囲気です。
まひろは中宮を理解しつつあります。
心を開いていないのだ、と。心という器を閉ざしたままでは、いくら水を注いでも流れてしまう。
しかし、蓋が開けば、一気に流れ込み、どうなるかわかりません。
物語を読解する上でそれができれば、帝との距離も縮まり一石二鳥。
道長よりも、まひろがどっしりと落ち着いているのは、そうした読みがあるのでしょう。攻防を楽しむ余裕すら感じさせる。
それがまひろの恐ろしいところです。
「帚木三帖」は大好評
まひろの物語は、心を開いている読者には奥深く沁み込んでいます。
公任と敏子は「空蝉」を読んでいる。
公任が「光る君はとんでもない男だ」と笑えば、「あなたにもそんなことがあったのではないか」と敏子が返す。
「ははは、何を申すか。俺はこのような間抜けなことはせぬ」
そう笑い飛ばしてはおりますが、確かに恥ずかしいこともしていたかな……というような中年ならではの深みが出ています。
公任は、妻を愛していると見ていて伝わってきます。
若い頃、モテて、モテて、恋文を落としていたほどの男が、じっくり考えた結果、美貌や色香よりも聡明さで妻を選んだと思えてくる。
公任は敏子と対等の目線で話していて、彼女の意見を尊重していることが伝わってきます。モテモテの若い頃とは違う魅力がありますね。
行成は、ハキハキとしていて優しい声音で読み上げる。
斉信は女の膝枕でデレデレしつつ読んでいます。ドラマの中でも屈指のセクシー枠ですね。
行成はともかく、公任と斉信の姿は皮肉にも思えます。
この二人がまひろに会いにきた時、地味な女だと自己紹介していたまひろ。そして二人が去ると「打毱」と書いておりました。
まひろはあの二人のゲスなロッカールームトークを元に書いていたとも言える。
それに気づかず楽しんで読んでいるとは、なかなかおそろしいですね。
藤壺では、筑前の命婦も読み上げていますが、これは『おじゃる丸』コラボの一環です。
坂ノ上おじゃる丸の声優を担当している西村ちなみさんが、筑前の命婦を演じている。おじゃる丸バージョンでの朗読も公開中です。
光源氏が成人し、女遊びを繰り広げていた「帚木三帖」が絶賛されているようです。
前回、惟規がおもしろがり、いとが下品だと評していた箇所ですね。
さて、まひろは物語の続きを構想しています。
すると帝がやってきました。
帝は宮の宣旨を下がらせ、まひろと二人だけになります。
「ぜひ聞いてみたいことがあって参った。なぜそなたはこの物語を書こうと思い至った?」
まひろは全て明かします。お上に献上すべく、左大臣が書かせたのだと。
驚く帝。まひろは物語を書くことが好きだし、光栄だと引き受けたと明かしています。しかも、帝のことを知りたいから左大臣にあれこれ聞いたとまで言います。
帝からすればどうにも不気味かもしれませんが、まひろは続けます。
左大臣から話を聞くうちに、帝の悲しみを肌で感じるようになったのだと。
「この先はどうなるのだ?」
「一言では申し上げられませぬ……」
「そうか」
帝はすっかりファンですね。帝の話を聞いた上で、あんなあてつけのような「桐壺」を書かれたというのに、怒るわけでもありません。
それどころか、嬉しいようです。
なぜなら、真っ直ぐ、ありのままに語りかけてくる者が滅多にいない。それなのに彼女の物語はまっすぐ語りかけてくるのだと。
畏れ多いと、まひろがかしこまると、「また来る」と告げ、帝は去ってゆくのでした。
心を閉ざしているのは中宮だけでもないのかもしれません。
帝は幼い頃から定子が側にいて、真っ直ぐに話しかけてきました。
そういう心の内側にまで入り込んでくる存在が愛おしくてたまらないのに、定子亡きあとはそれすらない。
それが物語によって叶って、帝はうれしくてたまらないのかもしれません。
まひろは心の底でこう思います。
私ではなくて、中宮様に会いにいらしてください――それをどうするか考えるのが、まひろの使命です。
曲水の宴にて
3月3日、上巳の祓の日、土御門邸で曲水の宴が開かれます。
曲がりくねった水の流れに沿って座り、和歌や漢詩を読んで競い合う催しです。
水の神によって穢れを祓うというもので、道長は中宮彰子の懐妊を願って開催しました。母である源倫子の不在を彰子は残念がっております。
この「曲水の宴」ですが、実は深い意味があります。
中国由来であり、現地では「流觴曲水」と呼ばれていました。
三月の上巳に行うとされたのは漢代です。
NHKで放映が開始された『三国志 秘密の皇帝』では第47話にて、曹操主催による「曲水の宴」が繰り広げられますので、見比べてみるのも一興でしょう。
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曹魏のあと、東晋の時代、名士である王羲之が蘭亭にて曲水の宴を開催しました。
このことを記した「蘭亭序」こそ伝説的な書の名作とされます。
そんな伝説の舞台となったためか、東洋文化の極みとして、中国、朝鮮半島、日本においてこの行事は残され、絵画の題材にもよく選ばれました。
土御門邸に呼ばれた書の名人である藤原行成は、そのことを連想し、自分も王羲之に倣って書を献じたいと思っていたかもしれませんね。
このドラマでは、曲水の宴そのものではなく、突如、雨が降り、彰子とまひろたちの前で名士たちが雑談を繰り広げるところが見どころとなります。
雨が降る前、お題が発表されるところ、真剣な目で墨をする姿もよいもの。
水の上を流れてゆく素朴な鳥のおもちゃも愛くるしい。
道長が雨を詫びると、源俊賢が「左大臣のせいではない」とフォローしています。
昔は雨に濡れるなど平気であったのにすっかり弱くなったと斉信。
年を取ったことを嘆いていると、斉信が、道長は昔も今もいい体をしていると褒め出します。
道長はきょとんとしていますが、上に立つ者はキリリとしておらねばならぬと続ける俊賢。
考えたこともなかったと笑い飛ばす道長です。
俊賢はここで、いま流行りの物語を書いている女房、まひろに気づきます。
そしてなぜ、主役の“光る君”を源氏にしたのか?と問いかけます。
親王様では好き勝手なことをさせられない――これは確かにそうで、実在人物を中心とした歴史物を描くにしても、架空の人物を動かしやすいキャラクターとして設定することは基礎的なテクニックです。
『ベルサイユのばら』におけるオスカル、あるいは放映中朝ドラ『虎に翼』の山田よね等が典型例ですね。
大河に架空人物が出てくるだけで、ファンタジーだのなんだの騒ぐ方もいますが、歴史作品では定番の技法なのです。
俊賢はそんな作劇上のことはさておき、亡き父を思い出したと感銘を受けています。
父の源高明は素晴らしい人だったと語る俊賢。まるで亡き父を誉められているようで、感銘を受けてしまうのでしょう。
たしかに複数名いる光源氏モデルのうち、源高明もその中に入ります。
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「どなたのお顔を思い浮かべられても、それはお読みになる方次第でございます」
そつなく返すようで、何か考えているようなまひろ。
すると斉信は、光る君は俺のことだと思っていたと言い出します。
すると、一気にしらける場の空気。
それを和ませるように、行成が「少なくとも道長様ではない、笛もお吹きになれないし」と言い出します。
確かにそうですね、字も悪筆です。
「俺だって少しは吹けるぞ」と返す道長。
行成は心底道長が好きなのに、ツンツンしたくなるようで、笛を持ってこようと盛り上がっています。
他愛の無い会話を、ジッと聞いている彰子。
天気が回復し再開されました。
時人 処を得て 青苔に坐し
酒を清流に汎かべて 取次に廻る
水は潟ぐ 右軍 三日の会
花は薫る 東閣 万年の杯
波月を巡行するは 明府に応じ
沙風に斟酌するは 是れ後来なればなり
曲水の宴にふさわしい漢詩が詠まれる中、彰子は父が心から笑うところを初めてみて、びっくりしたとまひろに言います。
「殿御はみな、かわいいものにございます」
きょとんとする彰子。
「帝も?」
「帝も殿御におわします。先ほどご覧になった公卿たちとそんなにお変わりないように存じますが。帝の顔をしっかりご覧になって、お話申し上げなされたらよろしいと存じます」
そう言われ、目をしばたき、目の前にある膳のものを口に運ぶ彰子。
顔を赤らめるとか、目を伏せるとか、涙ぐむわけでもないのに、何かに目覚めたことが伝わってきます。
道長はそんな彰子とまひろを遠目にみて、何か感じるものがあるようで微笑んでいます。
雨が降らねば、この偶然は起きなかったのでしょう。
もしもあのとき、二人が結ばれていたら
まひろは道長から送られた檜扇を取り出しました。
そこに描かれているのは、小鳥を追いかける少女とその少女を見る少年の姿。
出会った時のまひろと三郎ですね。
小鳥を追って行った先で出会ったあの人……あの幼い日から、恋しいあの人のそばで、ずっとずっと一緒に生きていられたら……一体、どんな人生だっただろう。
物思いに耽りながら、雀の声を聞き、まひろは何かを考えています。
幻のように少女の姿が浮かんでくる。
筆をとり「若紫」を書き始めるまひろ。
雀の子を逃がしてしまった少女が、物語の中に登場します。
この場面では、まひろが考えながら筆と同じ手にもった墨をすっている様が見事です。
よほど慣れていないと、ほどよく力が抜けてこうはならないと思わされます。根本先生の指導のもと、吉高由里子さんはどれほどの鍛錬をしたのでしょうか。素晴らしい手つきでした。
根本先生は最近出番が多く、雑誌でも、NHKでも、よく見かけます。生き生きとしておられて、かな書道も広まっているようです。
ついでにいえば、来年の題字を担当されている石川九楊先生も見かける機会が増えています。
二年連続、書道大河となるのか。気になるところです。
まひろは読者との会話を通し、次の創作の源を得ました。
誰の人生を反映させてもいい。
ならば、私が小鳥を逃がし、運命の相手と出会う話を書いてもいい。
そう悟ったと。
もしも三郎に私が愛されていたら?
そんなif展開が「若紫」から展開します。その「若紫」由来の「紫式部」と呼ばれるとなると、壮大な展開に思えます。
道長、嫡男・頼通とともに御嶽詣へ
道綱が虚な目で空を眺めています。
「興福寺の僧を追い払ってから何かがおかしい」
覇気なくそう語るのは理由がありました。斉信の家が焼けたかと思えば、今度は道綱の家も焼けたのだとか。
激しく落ち込む道綱を気遣う斉信と公任。
道綱は道長がいろ〜んな見舞いをくれたとつぶやき、良い弟だと言いますが、実際はそれどころではないでしょうね。
その直後、敦康親王が病に伏せりました。
中宮が看病していると伊周がやってきて、見舞いとして源為憲による『口遊』という本を持ってきました。
敦康親王は不機嫌になり、「いらぬ」と断ります。
しかし道長がやってくると、敦康親王はそちらに懐いた様子を見せます。
咳き込む敦康親王を気遣う道長。
伊周はどこか暗い目でその姿を見つめるのでした。
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土御門で道長は、何か準備をしています。
嫡男である藤原頼通が尋ねると、不吉なことが続き、中宮も懐妊しないため、吉野の金峯山に参るそうです。
「一生で一度の御嶽詣だ」として覚悟を決めている。
頼通が同道したいというと、道長は、8月の出立まで、酒、肉、欲、色を断たねばならぬと注意します。
思わず怯みながら迷ってしまう頼通。
道中も険しいと道長はさらに警告するのですが……。
「お供いたしたく存じます。中宮様の御ためにも参ります」
「そうか。ならばともに参ろう」
「ありがたき幸せに存じます」
かくして父と子の旅が決まります。
父と嫡男が同時に行動し、両方落命するリスクは後世【本能寺の変】であらわになります。そのため徳川家康は【関ヶ原の戦い】で父と子が別れて行動するわけです。
中宮に報告し、出立する道長一行。頼通と俊賢が同道しました。
そのころ、伊周一味は何か陰謀を企んでいるようです。
道は険しい!
嫡男も一緒だ!
一行の背中を見送る怪しい男は、これぞ暗殺の好機だと考えていることでしょう。
昨年の大河ドラマでは、家康の伊賀越えが余裕たっぷりで、結果はわかっているしどうでもええと投げやりな気分になりました。
しかし今年は、結果がわかっていても、手に汗を握る展開になりそうです。
平安中期なのに、戦国末よりスリリングなのは一体どういうことでしょう。
MVP:まひろ
まひろが重要なことを語っています。
中宮から帝に心を開かねばならないのだ、と。
そして帝とまひろの会話からは、「帝も誰かに心を開いて欲しい」のだとわかりました。
キーワードは「心を開く」ということでしょう。
そしてこれは脚本家の大石静さんだけが一人で考えたことでもなく、NHKドラマチームが掲げている課題に思えます。
それというのも、同時期に放映されている『虎に翼』にも、心を閉ざしていた人物が登場するのです。
ヒロインの再婚相手となる星航一です。
彼は当初「心に蓋をしている」と表現されていて、どこか人との距離を取るような言動をしていました。
彰子にせよ、航一にせよ、表情に乏しく、反応が鈍いように思えます。
周囲の反応も芳しいものでもなく、航一は作中で実の子どもや同僚から「つまらない」とすら言われています。
彰子も「うつけ」という噂が立っておりましたね。
視聴者も騙されてしまい、航一はヒロインの前夫である優三と比較してわかりにくいと困惑されました。
彰子も「バカとして描かれている」とすら言われています。
心を閉ざしている人というのは、自分の才知どころか意見すら隠してしまうし、とっつきにくいのです。
ゆえにフィクションではあまり扱われないタイプに思えます。
それこそ昔なら「愚鈍」、今なら「陰キャ」と処理されてつまらない人間として軽んじられることすらあるのです。
しかし、心を開いたら、生き生きとしてきて、非常に魅力的である――NHKドラマ班としてはそう訴えたいがために、こうした人物像を設定していると思えます。
過去の大河ドラマと比較してみましょう。
2015年『花燃ゆ』では、壁ドンをアレンジしたようなラブシーンがありました。
2021年『青天を衝け』は、屋外で叫んで告白する主人公と、それをドギマギしながら聞くヒロインの場面がありました。
2023年『どうする家康』は、やたらと大きな子ども時代も松平竹千代が、後の妻となる瀬名と幼少期に出逢います。
こういう手垢のついた、昭和平成のドラマや漫画で見たようなラブシーンは、一定の世代はパブロフの犬のように食いつきます。
SNSで反応して書き込みます。
それを集めてコタツ記事を流せば、それなりに成功したように導ける。
一方で、閉じた心を開くシチュエーションは、わかりにくいし、ネットの瞬間風速も稼ぎにくい。
それを敢えてやるということは、NHKは長期視点で何かを変えたいということではないでしょうか。
まひろは、そんな今のNHKドラマの象徴のような存在です。
彰子の心を開くよう導き、帝のカウンセリングを引き受け、さらには物語の中に自分の開いた心から溢れ出したものを注ぎ込む。
安倍晴明に続く心理操作の達人ですね。
『虎に翼』のヒロイン寅子の場合、グイグイと精一杯誠心誠意で迫ることで、相手の心を開いていきます。『鬼滅の刃』の炭治郎タイプです。
一方で『光る君へ』のまひろは、あえて回り込んで、用意周到に人の心を開く策士の風情があります。
どちらも違っていて、どちらも魅力的。
来週は心が開いた彰子と帝の姿が見られます。期待して待ちましょう!
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【参考】
光る君へ/公式サイト














