光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ

『光る君へ』感想あらすじレビュー第6回「二人の才女」

2024/02/12

永観2年(984年)――藤原道兼が母の仇であると弟の藤原道長に告げたまひろ。

二人の道は別れてしまいます。

まひろが顔を洗おうとする水面には、道長の姿が浮かぶ。

それを否定するかのようなまひろですが……。

 


水に映る顔

水に映る顔というシーンで、『鎌倉殿の13人』を連想した方がいたかもしれません。

源頼朝は水面に映り込む後白河法皇に怯えていました。

ただし、状況は異なります。

まひろ→道長の顔を知っている

頼朝→後白河法皇の顔は知らない

前者が未練ならば、後者は生き霊ということでしょう。

まひろは決着をつける意味がある一方、頼朝は怨霊のせいで平家打倒に追い詰められていくように思えます。

 


父のため、己のために、左大臣家潜入を続ける

娘を案じた藤原為時がまひろに話しかけてきます。

今宵、何があったかは聞かない。その上で左大臣家の集いには行かなくともよいとのことです。

己の浅はかさを認め、ゆっくり休めと気遣う為時。

しかし、まひろは父に感謝しつつも、これからも左大臣家の集いに行くと言うのです。

為時が外に出たいからか?と問うと。

「それだけではありませぬ」

とキッパリ返すまひろ。為時の拠り所が、仇である右大臣家だけでは嫌だ、源とのつながりをもっておくに越したことはない、と彼女なりに、と考えたのです。

なんせ源雅信も、ことのほか娘の倫子を可愛がっています。むしろ今よりも覚悟を持って左大臣家と仲良くするとまひろは決意を表します。

「そこまで考えておったとは……お前が男であったらのう」

感心する為時に、おなごでもお役に立てると言い切るまひろ。

娘の決意に感服した為時は、左大臣家の集いに参加し、父を支えるように伝えます。

彼女は大人になったのでしょう。

自分の好き嫌いを二の次に置けるようになった。

しかし、これもなかなか腹黒い話で、まひろを信じていると告げていた源倫子側の立場になれば「私を利用するなんて、腹黒い女だ」となりかねません。

まひろもまひろで、倫子に友愛があればこうも吹っ切れるとも思えない。

つまり彼女は「目的に義があれば、手段が多少汚くともよい」ところまで吹っ切れるように進歩したのです。

中国文学の話ですが、『三国志演義』に貂蟬というヒロインがいます。

彼女は董卓に仕えながら呂布に色目を使い、嫉妬した呂布が董卓を殺すように仕向ける。

二人の男を手玉に取るため、当初は悪女扱いでした。

それが時代が降ると、貂蟬は「養父のために董卓を倒す」という動機が設定されます。

親孝行という素晴らしい動機があるならば、男を誘惑する悪事はマイナスとならず、むしろプラスとなる。

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ここでのまひろも、あくまで一族のためならば手を汚すと言い切っている。

進歩したヒロインなのです。

つまらないドラマは、登場人物たちの好感度を上げることだけを意識し、泥を被らないよう無茶苦茶な設定にしてしまうことがあります。

そういう人物像は、全く深みがなく陳腐なもの。今年はその点、安心できます。

 

兼家とその道具である息子たち

藤原兼家が、息子の道長に「そろそろ婿入りさせよう」と告げています。

奇しくもと言うか、これぞ定番の一手と言うか、勧めてきたのは源雅信の一の姫こと源倫子

猫を追いかけていた彼女をバッチリと目撃し、品定めをしたのですね。

もしも入内されると政敵が増えて面倒なだけですから、息子と姻戚関係を結んで取り込んでしまうのも悪くない

源雅信は宇多天皇の血筋であるし、立派な屋敷もある。

富も血統も心配はない――一挙両得だと、自分の都合でばかり勧めてきます。

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しかし道長は反応が鈍い。他に好きな女子でもいるのかと聞かれてもブスッとしているだけで、兼家に「いない」「顔に書いてある」とまで言われてしまいます。

そして「兄・道兼の所業はもう今宵限りで忘れろ」と告げられました。

道兼には道兼の使命があると言い始めました。

道隆と道長が表なら、道兼は裏。

この「長男と三男」と「二男」という構図は、なんとも残酷な話だったりします。

というのも、他ならぬ父の藤原兼家が三男であり、長男と結託して、二男を除け者にした過去があるのです。

兄弟同士で対立し合う、骨肉の争いを息子の世代にも引き継がせるのでした。

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父の兼家と話を終えた道長が廊下に出ると、道兼とすれ違います。

自分が殺した女を知っていたのか?と弟に尋ねながら、一応は謝る。

怒りが止まらない道長は、憐れむように蔑むように突き放すように、兄上は泥を被る役目だと言い放つも、道兼は平然とした様子で答える。

「父上のためならいくらでも泥を被る」

そしてこう付け加えます。「違いはないのだ」と。自分だけ綺麗なところにいると思っている道長を喝破するのです。

「足元を見てみろ。俺たちの影はみな、同じ方を向いている。一族の闇だ」

まひろは自ら父の役に立ちたいと訴えました。

道長は、兼家から家の道具になることを突きつけられます。

二人の道はまた離れていくのでしょうか。

まひろは考えています。道長様から遠ざからねばならない。そのためには何かしなければならない。そしてこの結論に至ります。

この命に、使命を持たせなければ――。

迷いをふっきったまひろ。

一方、霧の中、馬で竹林を走る道長にはまだまだ大いに迷いがありました。

 


文学解釈をするとシラける場

寛和元年(985年)、まひろが左大臣の姫君サロンに参加しています。

嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る

あなたが来ないと嘆きながら、一人で寝ているとき、夜明けまで待つことがどれだけ長いかあなたにはわかる?

今日の和歌は藤原寧子(道綱母・寧子はドラマ上の設定/演じるのは財前直見さん)の作品です。

この作者みたいになりたくないわ〜! と姫たちが嘆いていますが、そんな心配をしていると本当にそうなってしまうと倫子が脳天気に語っています。

寧子は倫子よりも身分が低いといえばそうです。

するとまひろが、めんどくさい文学オタクぶりを発揮します。

蜻蛉日記』は嘆きを綴ったものではない、前書きにも身分の高い男に愛されたと書いている――。

そう説明すると、教師役の赤染衛門も賛同します。

今をときめく右大臣・兼家に愛されたことと、その煩悩を自慢するものかもしれないと解釈します。

ただ、そうは言っても歌がうまいだけに、一人寝の寂しさを嘆く気持ちが強く感じられるのも確か。

文学に詳しい二人は、その技巧を読み解いてしまいます。

「家に写本があるから持ってくる」とまひろが提案すると、倫子は微笑みつつやんわり断ります。

書を読むのが苦手だそうで、

「私も」

「私も〜」

と次々に続く姫たちの反応を見て、まひろの表情がこわばる。

わかります……あるある現象ですね。

私は普段は極力、大河ドラマの話をすることを避けます。

しかし、どうしてもそういう流れになったときに、言わないでもいい蘊蓄を語ると、相手がサーッと引いていく。

もっと知りたい、興味を持たないかな?と思って話をふると、

「私は別にそういうオタク語りまでは求めてないんで」

とドアを閉められる瞬間があるのです。そのときフフフと笑いつつ話を逸さなければならなくて……。

大多数に受け入れられる話題って、美男美女に萌えるとか推しとか、あるいは恋バナとか、戦国武将のちょっといい話とか悪い話とか。

スナック感覚でつまめる軽い話題であって、ヘビーな話はむしろ鬱陶しがられるんですよね。

「実は、こういう本があるんですよ! 貸しましょうか?」

そんな風に勧めたって、どうせ読まれないですし、結局は、トークが好きなのか、考察が好きなのかって話ですよね……。

 

生きるということは、疲れる

疲れていないか?と倫子がまひろを気遣います。

彼女はそうだと認めざるを得ない。幼い頃に母を亡くしてから、いつも肩に力を入れてきた。

書を読むのが苦手な倫子様のように、自分は生きるのが苦手だと語るまひろ

「そうでしたか! 苦手なことを克服するのは大変ですね。苦手は苦手ということにしてまいりましょうか」

人間みんな苦手なものがあるもんね――と、ずいぶんアッサリまとめられてしまいましたが、まひろの疲れは姫君サロンから来ているものでしょう。

苦手なおしゃべりに参ってしまったようだ。

例えば以前の代筆仕事ではもっと元気だったし、一人で何か打ち込んで空を見上げるような場面では、澄み切った顔と瞳になります。

それがサロンでは、仮面をかぶっているんだな。

本当は、あそこで引き攣った笑顔などを見せず

「はーーーーー! せっかく貴重な写本があるのに読まないとかつまらない! 絶ッ対人生損しているし!」

ぐらいの本音を言いたいのかもしれない。

でも、できないじゃないですか。

だから仮面を被り、愛想笑いをしてごかますしかない。

それで無用の摩擦をさけて生きていけるし、なんなら人生攻略法を見つけたように一時は落ち着くかもしれない。

まひろだって、当初はサロンでそれなりに楽しかった。

でも漢字の知識も、文学トークもぬるい。どう考えても誤読している意見が通るし、レベルが低いんだな。

いちいちそういうのに対して手加減するのも嫌になる。

弟相手なら「こんなこともわからないの?」「書くらい読みなさいよ」と容赦なく言えるけど、姫君にはそれもできない。

だいたい、歌がうまくなりたいなら恋をするよりも、学んでこそでしょうよ!

なのになぜなの、なぜ……というドツボに陥っているのでしょう。

先天性のズレを抱えているまひろは、この先ずっと「生きることが苦手だな」と嘆きながら人生が続いていく。

ハァー……めんどくさい主人公ですね。そこが好きです。

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まひろは散楽新作プロットを練る

帰り道、まひろは散楽の一座を見つけました。

直秀も飛んで稽古を積んでいます。

乙丸が止めても、ズンズン近づいていくまひろ。こういうときは生き生きとしていて、疲れなどありませんね。

まひろが無邪気に「まるで人ではないような動きだ」と言うと、直秀が皮肉っぽく返す。

虐げられている者はもとより人扱いされない――。

思わず、たじろいでしまう彼女に、直秀は冷たく追撃します。

「まことのことを言ったまでだ」

なんでも彼らは「五節の舞姫卒倒事件」を題材にするつもりだそうです。

自分のことをおちょくるネタにされても、まひろは全く気にならないどころか、自分でささっとプロットを考えだします。

五節の舞姫が舞台から下を見ると、大勢の男が並んでいる。

でもその舞姫は、実は大勢の男と契っている。

神に捧げるために舞いながら、頭の中では男との逢瀬が渦巻いている。男に都合のいいようで、実は女の方がしたたかだという話!

そうウキウキワクワクしながら、いささか過激な話を提案するも、相手はしらけきっている。

「ダメか……」

がっかりするまひろ。

風刺としてはわかります。男性が女性に清純さを求める妄想をスカッと笑い飛ばす痛快な話ですよね。

でもそれは、まひろが若い女性だからそう思うだけです。

懲りずに彼女がまた別の案を考えるというと、誰もお前に頼まないと直秀は冷たい。

散楽を観にくる客は笑いたい。笑って憂さ晴らししたい。

「おかしきことこそめでたけれ」

と言い切られます。

所詮貴族の戯言ではつまらない。おもしろくない。笑えない。そう直秀に否定されても、

「笑える話……今度考えてみるわ! 稽古がんばって!」

と、去っていくまひろ。

直秀は一座の仲間から「惚れているのか?」と問われ、明日をも知れぬ身でそれはないと否定します。

おかしきことこそめでたけれ――まひろはそんな極意を掴みました。

なかなか興味深い作品論ですね。作品の中に作品論を入れ込むなんて、実に高度。

まひろのプロットがまひろにとって笑えるのは、自分のモヤモヤをスカッと晴らすものとなる。これをテレビで考えてみたい。

私も楽しみにしているNHK夜ドラに『作りたい女と食べたい女』があります。

この作品では、男尊女卑思想を振り翳し、自分に対して冷たかった父親から祖母の介護を押し付けられそうになった女性が、それを突っぱねて父と絶縁するという場面があります。

この流れがスカッと爽快に描かれるわけです。

けれども、彼女の父からすれば究極の親不孝です。

こんな親不孝娘を痛快に描いてどうするんだ!と誰かが反対したら、通らなくなりますよね。

だからこそ、放送されることそのものが、挑戦であり進歩なのだと思いました。

同じプロットでも、受け手によってはまるで違う意味になる。

作り手がそこに過剰に忖度したり、偏った層ばかりだと、ワンパターンになってしまうということでもある。

そもそも今年の大河は「戦もない異色の題材」とされます。

なぜ異色とされるのか?

日本の歴史はこれだけ長い。

それなのに特定の時代や地域だけに偏るとすれば、そのほうが偏見あるのでは?

むしろ、そこを打破していく一手がこのドラマの挑戦では?

本作に対するアンチの意見として、「テーマがない」とか「何を言いたいのかわからない」という趣旨のものを見かけます。

そうした意見を出す人はどういうタイプの人なのか?

まひろみたいなモヤモヤを抱えていない、かつ偏見のある人には通じないことはありえるでしょう。

女性の苦労を全くわかっていない人には、そのことを訴えても通らない。

そういうことが社会においてどれだけ弊害があるか。

たとえば被災地の避難所を仕切る人が男性ばかりだと、女性用品の配給が滞る、性犯罪予防が疎かになるといった弊害があります。

大河ドラマは啓発する役目もあります。

ならば、今年は人の偏見をあらわにし、暴いていくという役目を見事に果たしているのかもしれません。

 

忯子の憔悴、斉信の焦燥

弘徽殿女御こと藤原忯子が寝込んでいます。

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すっぽんの甲羅を持参した兄の藤原斉信が、煎じて飲むようにと言うと、何も喉を通らないと返す忯子。

斉信としては奮発したのでしょう。

お高い漢方の薬剤です。いい医者に頼んだんだぞ。わざわざ手に入れたんだ!

そうしたモノで愛を示そうというのだろうけれども、忯子からすれば、もう飲めないのだからありがたいのかどうか。

それでも斉信は、元気な皇子を産んでいかねばならないと残酷なことを言う。

苦しそうな忯子は「はぁ」と返すしかない。

「実はお願いがありまする」

斉信の本題はこの話だったのでしょう。出産のため里に下がる前に「斉信は使える男だ」と帝に囁いて欲しいとか。帝のよき政には兄のような若い力が必要だってさ。

「そのようなことは……」

忯子は怒る気力すらありません。斉信は我が一族の頼みとするのは女御殿しかいないと頼み込んでいます。

もはや息も絶え絶えの忯子。

そんな妹に対して、どうして斉信はこうも酷い対応なのか。

高い薬があればいいわけじゃないんだってば! まずは彼女のことを第一に気遣いなさいよ。

そう思っていると、長い袴をぞんざいに扱いながら、花山天皇が入ってきます。所作の粗っぽさで彼の個性はわかります。

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なんでも忯子が気になって、政治に身が入らないとか。

「もったないお言葉……」

「朕がついておる、案ずるな」

忯子は、しおれた花に水が注がれたように、少しだけ気力を取り戻しているように思えます。

手を重ね握り合う花山天皇と忯子。この愛とぬくもりが癒しとなるのでしょう。

ここでようやく斉信に気づいた天皇は、めんどくさそうに言い放ちます。

「お前は誰じゃ」

そう言われてしまう斉信の胸中はどうしたものでしょうか。

帝王が寵姫の親族を引き立てることは、それこそ唐玄宗と楊貴妃のように、ごく当然のことだというのに、どうにもそうなっていないようです。

となれば、斉信には別の手段しかありませんね。

 

「漢詩の会」という策

優雅な藤原道隆が、愛妻である高階貴子とくつろいでいます。貴子に酒を勧め、夫婦で酌み交わす仲睦まじさがあります。

そこへ道長が来て、素早く貴子がもてなします。

「邪魔なことはない。わしと貴子の仲睦まじさはいつものことじゃ」

道隆が、優雅にそう言い放つと、貴子の合図で女房たちも下がってゆきます。

このドラマはクズ男にせよ、モテ男にせよ、解像度が実に高い。こんな夫婦を見せつけられたら、そりゃあ道兼も歪んでしまうのかもしれない。

道隆の魅力は顔だけではありません。

優美さでも優雅さでもない。愛妻にさりげなく酒を勧めるところ。

自分一人だけで飲んでいたらつまらない。酒を飲めば口は軽くなる。そういう妻の本音を聞き出したいさりげない貪欲さ。何よりも気遣い。そういうところが、圧倒的なオーラとなって出てきます。

しどけなく身を伸ばしていた姿もいいですね。貴子も惚れていると伝わってきます。

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そんな二人が、道長の様子から何かを察知し女房を下がらせ、密談モードになるところが実に素晴らしい。

道長は、四条宮で藤原行成から聞いた情報を兄に囁きます。

明日の夜、藤原公任、藤原斉信が、藤原義懐の屋敷で会う予定だとか。

義懐は若い貴族を懐柔し、その父もろとも帝一派に組み込むのが狙いのようで、道隆は素早く情報を分析します。

道長が呼ばれていないのは、右大臣家排除のたくらみだと理解して

「斉信はわかるが公任まで……」

と呟く道隆。義懐が、斉信と公任を懐柔する様子が見られます。

道隆は弘徽殿女御に皇子は生まれない、帝も長くは在位しないと言い切ります。それでも若い貴公子が義懐に与することはよろしくない。

なぜ皇子が生まれないと言い切れるのか?

道長がそう尋ねると、兼家が安倍晴明に頼んだ呪詛のことを語ります。

依頼の場所には関白・藤原頼忠も、左大臣・源雅信もいた。皇子が生まれないのはこの国の意思だと言い切るのです。

さすがに嫌悪感が滲み出てきそうな道長。

道隆は今までマイペースだった弟が、内裏の政治に興味を持ったことをおもしろがっています。

心を入れ替えたのか?と問われ、今でもさほど興味はないと返す道長。

それでも帝を支えるのが義懐は国を乱す。父上の方がずっとよいと考えている。

道隆は、父と道兼には黙っておけと言います。

彼らは力で押さえつける。そのやり方では若い者の憤懣をかえって煽ってしまう。それよりも、うまい策を考える。

すると愛妻の貴子が「漢詩の会を開催してはどうか」と言い出します。

漢詩には選んだものの人柄が出る。若い方々は学問の成果を披露する場に飢えている。

道隆はそんな妻の策を認めます。道長は和歌ができても漢詩は苦手だと言い、参加を断り、その場には和やかな笑い声が響くのでした。

ここで左大臣の姫君サロンも様子が映し出されます。

倫子が「父の顔にほくろが増えたと思ったらハエだった」という、しょうもない話をしている。

笑い転げる姫君たち。

ひきつった笑みを浮かべる、まひろと赤染衛門でした。

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詮子の“裏の手”

藤原詮子が東宮懐仁といるところに源雅信がやってきます。

詮子の言う“裏の手”でしょうか。

何の御用かと尋ねられ、詮子は先帝の退位は父が促したことだと言い切ります。

雅信が言葉を濁していると、先帝に聞いたのだからそうなのだと詮子は言い切ります。

もう父を信じられない詮子。

都合が悪ければ、彼女自身も懐仁も手にかかりかねないと危惧しており、雅信が曖昧に否定するものの、詮子の決意は固い。

表立って反対することは危険だが、父とは違う力が欲しい。

「もうおわかりでしょう。もう私の言葉を聞いてしまった以上、あとにはひけない。覚悟をお決めなさい」

雅信に対し、末長く東宮と私の味方となれと迫る詮子。

さもなくば、雅信から手を組むように誘われたと父に訴えると脅してきます。

詮子は父が嫌いです。

しかし娘であり父に似ていると開き直っています。

円融天皇も指摘していました。為時とまひろにせよ、同族嫌悪に陥る父と娘の関係があるようです。

雅信が、言葉を絞り出すように答えます。

「私なりに東宮様をお支えいたしまする」

すると詮子は距離をぐいっと縮めて、雅信の手をとり、こう言います。

「ああ、ありがたいお言葉! 生涯忘れませぬ!」

芝居ががかった振る舞いが、父にそっくりですね。

しかし、詮子の策はここでは止まりません。左大臣には姫がいたな、として年齢を確認し、殿御から文が絶えぬはずだと言い出します。

雅信は答えます。

「それが殿御に関心がない、殿御が好きではないのではないか?と妻と話しているところです」

「入内して辛酸を舐めるよりはよい」

詮子は、ここでも父同様に探りを入れているのでしょう。入内してしまえば、雅信も下手に出るとは限りません。

先手を打つためにも、その姫君をどうにかしたい。

思考パターンが似ている父と娘は、その姫君と道長をめあわせたいと思うわけです。

詮子は道長に会うと、左大臣家の一の姫をささっと勧めます。評判の姫だと言い、その割に歳はちょっと上だけど味があるとゴリ押し!

味ってなんだと戸惑う道長に、こうきました。

「私の言うことに間違いはないから、いいわね」

断れない状況です。

 

清原元輔の娘、ききょう登場

4月27日、藤原道隆の家で漢詩の会が開かれます。

まひろの父であり漢籍教養の男である藤原為時にも声がかかり、名物文人貴族・清原元輔も呼ばれているとか。

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招待者の中に藤原道長がいないことをまひろは確認しています。

為時は、弟の藤原惟規にも、来るか?よい勉強になるぞと誘いますが……。

「無理無理無理無理! 今度だけは無理!」

断固としてNOだそうです。あまりにも素直すぎるでしょうよ。

「私がお供いたします」

右大臣家主催だがよいのか?と為時が念押しするお、まひろの仇(道兼)はいないし、父の晴れ姿が見たいとのこと。

まひろは、なんというか、かわいくなくていいですね。いや、とてもかわいらしいところはたくさんあります。

しかし、媚びがない。

わざとらしくキュンキュンして、「父上の晴れ姿が見たいんですぅ」と甘ったるく言うとか、笑顔を見せてもいい。それをしないところが彼女の個性ですね。

そして当日、清原元輔がやってきて、為時に声をかけてきます。

両者とも学識は高い。学問で名を高めてめでたいと互いに言い合います。

為時がまひろを紹介すると、この歳の姫がおいでとは……と元輔。

時の経つのは早いものだと感慨深い表情を浮かべます。

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自慢の愛娘・ききょうも登場しました。

「ききょうと申します。どうかよしなにお導きください」

ファーストサマーウイカさんは、写真で見た時から、ここまでイメージにぴったりな配役をよくできたものだと感動しました。

動くとますますそう思えます。まさしくこれだ。こういう彼女を求めていたと。

目が常に挑む気持ちと、笑みを含んでいます。

ききょうという名前も、賛否両論ではあります。

しかし、孫くらいの娘が生まれた元輔が、庭に咲いていた桔梗でも見ながら命名したのかと想像すると微笑ましいものがある。

このききょうは、圧倒的な陽キャパワー全開です。

藤原公任、藤原斉信、藤原行成と、錚々たるお方がおそろいしている!

そう緊張するどころか、私が見定めてやる!といったふてぶてしさがあるききょう。

まひろは圧倒されています。

なんでしょう、まひろの理想と現実は……五節の舞姫が男を見定めてやるなんて痛快でしょ!

そんな妄想をひけらかして、散楽から痛い子扱いされていたのに、そんな女性が実在するところに居合わせると縮こまってしまうこの切なさよ。

千年の時を経て、今も読み継がれる文学を記した紫式部と清少納言、若き日の姿だと解説されます。

なんと生々しい姿でしょうか。

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ここで雅楽が演奏され、貴公子たちが奏でています。

藤原公任が筆を吹く場面は、アジア時代劇美男子・日本代表の姿そのもの。

筆を吹く美男子は絵画定番の題材です。

中国時代劇『陳情令』では登場済み、笛を吹く日本代表時代劇美男の登場は待たれるところではありました。

それがついに叶いました! おめでとうございます!

月岡芳年作『藤原保昌月下弄笛図』/wikipediaより引用

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お題は「酒」

会場に、道長が遅れてやってきました。

兄の道隆も頷いています。漢詩を通して弟の器量を図りたいのかもしれません。

まひろとお互いに気づき、目線と目線が交錯。

元輔が今日のお題を披露します。

「酒」

東洋文学における酒は、ウェーイと楽しく気晴らしのために飲むだけのものでもありません。

当時はまだ貴重でもあるし、憂いを解くためのものでもある。酒に託して精神の高揚を詠い上げてこそ。

それと漢詩について。漢詩は嫌だとジタバタする人が複数名いましたね。

日本では【和様】と【唐様】という分類があります。

和歌と漢詩。

漢字とかな文字。

輸入したかそうでないか。

【和様】は身近で柔らかいものであるのに対し、【唐様】はより大きなスケールのものごとを扱う。

そんな大雑把な分け方です。

『源氏物語』の女君のインテリアなどにも反映されています。

愛くるしく柔らかな紫の上は【和様】タイプ。

生真面目な明石の君は【唐様】タイプです。

和歌とは異なり、漢詩の会となれば、「きみたちの政治ビジョンを聞こう!」というニュアンスもありとみてよいでしょう。

さて、皆の選ぶ詩は?

◆藤原行成
白居易「独り酌し微之を憶(おも)う」

独酌花前酔憶君 独り花の前に酌し酔うて君を憶(おも)う
與君春別又逢春 君と春に別れ又春に逢う
惆悵銀杯来処重 惆悵(ちょうちょう)銀杯来たる処重ね
不会盛酒勧閒人 盛に会わずし閒人に酒を勧む

一人、花の前で酒を飲み、君のことを思っている
君と春に別れて、また春が来てしまった
憂鬱だ、銀の盃をただ重ねて
盛り上がることもなく暇人に酒を勧めている

平安貴族の定番であり、人気ナンバーワンである白居易『白氏文集』より。

この行成を皮切りに、他の参加者も次々に白居易の詩をあげる展開。

道長が何かを連想してもおかしくない流れです。

筆をやわらかく手にとり、優美な動きでさらさらと書きつけた字は実に美しいものがあります。

◆藤原斉信
白居易「花下自ら酒を勧む」

酒盞酌来須満満 酒盞酌(く)み来たりて須(すべから)く満々
花枝看即落紛紛 花枝看(み)れば即ち落ちて紛紛(ふんぷん)たり
莫言三十是年少 言う莫(なか)れ 三十是(こ)れ年少と
百歳三分已一分 百歳三分(さんぶん)して已(すで)に一分

酒を注ぐならば常に並々とそうするべきだ
花の枝はすぐに落ちてバラバラになってしまう
三十はまだ若いなんて言わないでくれ
百歳まで生きるとすれば、もう三分の一を過ぎてしまった

焦りを示す詩を選びました。

もう自分が若いだけじゃない、何か痕を残したいという焦燥感が見えます。端正さと力強さがある字です。

◆藤原道長
白居易「禁中九日菊花酒に対し元九を憶う」

賜酒盈杯誰共持 賜酒杯に盈つれども誰か共に持せん
宮花滿把獨相思 宮花把に満ちて独り相思う
相思只傍花邊立 相思いて只花辺に傍いて立ち
盡日吟君詠菊詩 尽日君が詠菊詩を吟ず

酒を賜ったというのに、杯を共にするものはいない
花が満ちても一人あの人を思う
互いに思いただ花のそばに立ち
一日中君が詠んだ菊の詩を口ずさんでいる

素晴らしいチョイスですが、字はうまくありません。

◆藤原公任

一時過境無俗物 一時境を過ぎるに俗物無し
莫道醺々漫酔吟 道を醺々漫酔吟ずる莫かれ
聖明治蹟何相致 聖明治蹟何ぞ相致る
貞観遺風触眼看 貞観遺風眼を看るに触れる

国境を過ぎれば俗物はない
通をただ漫然と酔い潰れて進んでくれるな
聖王の事蹟が至る所にある
貞観の治の遺風がどこにでみあるではないか

丁寧で細い、美しい字です。

彼らは皆、左手で紙を持つなり、膝に置くなりして筆を走らせていますが、相当の鍛錬がなければできません。美しく持っています。

ついでに当時の音の重要性にも触れておきましょう。

書道にせよ、詩にせよ、当時の芸術はリズムを乗せるようにして描かれるものでした。

漢詩は歌うことを想定していたものであるし、筆もリズミカルに動かした方が良い。そんな軽やかさまで出ていて眼福そのものの場面です。

ちなみに渡辺大和さんの藤原行成は、日本書道界のレジェンドです。

行成が筆を手にとりサラサラと書きつけるというのは、厳しい目で見られます。

源義経の八艘飛びや、本多忠勝の槍捌きくらいの精度が要求されます。よくぞこなしました。

かな書道が光る『光る君へ』「三跡」行成が生きた時代

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まひろは道長の想いを感じ取り、動揺がさざなみのように表情に広がっています。

一方で道隆と貴子は、計算通りだと笑みを浮かべている。

彼らは斉信の焦燥感と、公任の心を察知しました。

【貞観の治】をめざす公任は、政治的野心に満ち満ちています。

 

ききょうとまひろ、そして道長

藤原公任の詩を評価する際、まひろは白楽天(白居易)のようだと言いました。

すると、ききょうが突然カットインして「そうは思わない、白楽天の親友である元微之(げんびし・元稹)のような闊達の歌いぶりだ」と発言します。

同意を求める娘に、咳払いで返す元輔。

ちなみに道長の引いた詩は、白楽天が元微之を思い詠んだもの。漢詩にはこうした親友を思い詠むものも定番です。

そして友情と愛情のハードルが低いと言いますか、区別がつきにくい。

海外の研究者からみると「これはもう恋愛関係でしょう」と言いたくなるほど切ないものが多い。

そんな詩人の交流を思い、引用した道長はなかなかのもの。

ちなみにこの詩は藤原実資が『小右記』でも言及しています。

白楽天は平安貴族の人気ナンバーワン詩人なのです。

まひろはそんな道長のことが気になって仕方なく、どことなくぼーっとしています。

道長も、気もそぞろの様子。

ききょうは「まひろ様はお疲れなのか」と聞いてきます。そして貴公子たちの噂話を始め、さすがに元輔から「ですぎたことを申すでない!」と叱られてしまうのでした。

道長以外のF4も、歩きながら話し始めました。

彼らはやはり、道隆殿だと思っている様子。義懐じゃないと思ったようです。

そして話題は元輔の娘であるききょうへ。

あの小賢しげな鼻をへし折ってやりたいと、なかなか妙なことを言い出した斉信。

いや、これは強がりというか、本音はむしろああいう強気で生意気な女性に、頬を引っ叩かれてうっとりしたいタイプなんじゃないですか。

後に斉信は、ちょっとしたストーカー状態というか、頻繁に清少納言へちょっかいを出し、彼女の元夫に「お前さぁ、彼女の居場所わかってるだろ?」としつこく迫ったりしていますからね。

一方でまひろと道長は、また交錯した互いのことをうっとりと思っているのでした。

さて、ある夜、道長は盗賊の窃盗現場に駆けつけました。

弓を放ち腕に命中させるものの、相手は布を投げて撹乱。その間に逃げてしまいます。

そして、まひろのもとへは“三郎”の従者が何かを届けてきました。

花山天皇が最愛の忯子が命を落としたことに狼狽える一方、まひろは道長の書状を抱き締めています。

ちはやぶる 神の斎垣(いがき)も越えぬべし 恋しき人の みまく欲しさに

神が囲った斉垣も超えてしまいそうだ。恋しい人に逢いたくて

『伊勢物語』より

 

MVP:ききょう(清少納言)とまひろ(紫式部)

二人の顔合わせを、こうもキッパリと見せてくるとは思いませんでした。

案の定、圧倒的な陽キャオーラの持ち主であるききょう。

貴公子たちもすでに惹かれていて、彼女にちょっかいをかけたいことが見えてきます。

一方でまひろは、道長にしか理解できない陰キャ。

月光が似合うと言えば聞こえはいいかもしれないけれど、その前に「陰キャ」という表現がしっくりくるからたまらない。

まひろの不器用さ、対人スキルの残念さも出ていた前半部。

これもききょうだったら、軽やかに舞うように、ささっと会話して、むしろ人気を上げたのだろうと思うと切ないのでした。

 

空気を読むことだけでいいのか?

まひろが空気を読むスキルを身につけようと努力し、それに疲れ果て、胸に迫るものがあった今回。

姫君サロンで浮くけれども、あの感受性があればこそ見えてくるものもあるでしょう。

人と感受性の範囲が違うばかりに苦労して……そして大河ドラマそのもの、いやひいてはドラマ鑑賞のことも思い出してしまいました。

こんな記事を見かけました。

◆『セクシー田中さん』原作者と宮藤官九郎の“苦悩”に共通点。クドカンも被害「TV局の改悪と作品私物化」を芸能記者が解説(→link

「いだてん~』の視聴率がにわかに怪しくなってきた時、クドカンは関係者にこんな言葉を漏らしていたといいます。

「本(脚本)が面白くないから数字(視聴率)が獲れないっていうけど、本をメチャクチャにしたのは局の方だョ。大河は時代考証とかの検閲を5回位経て台本が完成するんだけど、完成された台本には最初に書いた地の文章なんて跡形も無く消えてしまっている…これで面白くないって言われてもね…」

これを私なりに解釈すれば“脚本家・宮藤官九郎という名前が欲しかっただけで、実際の脚本は大河の優秀な演出家さんたちのもの”となります。

私が聞いたわけではないけれど、そうなんだろうな、と思います。

序盤から作風がどんどん変わっていきました。

彼ならこんな雑な伏線放置をしないという箇所がでてくる。

当時の語彙を面白おかしく混ぜてきたのも序盤だけ。語彙力そのものが落ちていきます。

コメディタッチのシーンもセンスが悪い。差別やおちょくりのものが増えていて、これが彼の作風なのかとずっと疑問でした。

しかし、そういうことを指摘できる空気でもない。

むしろかえって「クドカンにケチつけるのか!」と険悪な空気になりますよね。

でも、私はこれほど残酷なことはないと思います。

書いている彼自身が俺の作品じゃないと思っているのに、彼の作風を知り作りしているというファンが、「これぞクドカンだ! クドカン最高だ!」と褒めてはしゃぐのですから。

それって、彼の作風ではなく、名声やファン同士てはしゃぐことが好きなだけなのではないか。私にはそう思えてきてしまいます。

推しを無闇に褒めるだけでなく、推しの状態が明らかにおかしいとか。

抑圧されている気配があったら、見て見ぬふりをせず、どうにかできないか考えることも大事ではありませんか。

といったところで、気のせいだの考えすぎだの言われるだけなのでしょう。

私はなるべくフラットな状態でいきたいから、特定の脚本家や役者のファンだと思わないようにしています。

魅力があると思ったとしても、その気持ちをドラマが終われば全部捨てて、やり直すくらいでないといけないと思っています。

そうはいっても、そんなものは私の勝手なルールであり、他者に強要できるものでもないし、空気を読んで共感を稼げることがメディアの勝ちセオリーですもんね。我ながら無駄な努力をしているもんです。

みんなで楽しくはしゃいでいれば、それでいいんでしょうけど。

自分に嘘をついてまで忖度することと、空気を読まずに見えたものをはっきり言うことと、どちらか疲れずに済むのでしょうか。

💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅


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【参考】
光る君へ/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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