まひろが指をさしたせいで、捕えられてしまった藤原道長。
「その人ではない!」
と、まひろが叫んだものの、連行されてしまいます。
「俺は大丈夫だ」
そう力強く言い切る道長。
正体が露になれば釈放されるでしょうから、確かに大丈夫だろうとは思いますが、そもそも追われていた散楽の直秀とは何者なのか?
緊迫の展開から第3話が始まります。
道長、獄から解かれ、父に叱られる
美しいオープニングが終わると、道長はあっさりと釈放されています。
高貴な相手を盗賊と見間違えるのは何事か!と、捕まえた側がかえって厳しい尋問を受けそうな予感もします。
道長は平惟仲と共にあっさりと解放されました。
家に戻ると、父の藤和兼家が放免を相手にするなと怒っています。
放免とは、検非違使の下にいる捕縛担当者のこと。
兼家は、自分が屋敷にいたからよかったものの、もしもいなければ獄で嬲り殺しにされていたかもしれないぞ、とイラ立っています。
一方の道長は、兼家が屋敷にいてよかったとケロッとしている。
息子の服装にもイラ立つ兼家に対し、道長が「民の暮らしを知るためにこんな格好をしている」と答えると……。
「民の暮らしなど知らんでいい! なまじ知れば、思い切った政治はできぬ」
兼家はそう言い切ります。大事なのは一族の名誉。今がどういう時であるか、わかっているのか?と凄みをきかせます。
わかっておらぬかもしれないとトボける道長。
姉の詮子は帝に嫌われているのだから、厄介ごとを起こしたらいけないと兼家が釘を刺す。
懐仁親王にまで傷がついては困る。一つの過ちもあってはならぬ。そう滔々と語るのです。
藤原兼家には野望があります。
娘の藤原詮子が産んだ円融天皇の子・懐仁親王を一刻も早く東宮にして、さらには帝にする――そうして己は摂政になる。
そんな父の野望に対し、道長が呆れたように「もう右大臣ではないか……」と返すと、さらに語気を強める兼家。
「上を目指すことは我が一族の宿命である!」
道長が、自分は三男だとのらりくらりと返そうとすうと、兼家は「わしも三男だ!」と即答。たしかに、そうでしたね。
【参照】
(父)藤原師輔
(母)藤原盛子
(長男)藤原伊尹
(次男)藤原兼通
(三男)藤原兼家
道長が「お腹に虫が……」と父をからかい、騙されたと知ると兼家はこうだ。
「うつけもの!」
似ているのか、似ていないのか、よくわからない父と子です。
-

骨肉の権力争いを続けた藤原兼家62年の生涯|執拗なまでにこだわった関白の座
続きを見る
撫民仁政への道はまだ遠い時代
兼家と道長のやりとりは、彼らの置かれた状況を説明するシーンとなっていました。
説明台詞の分量も多くなりますが、親切設計とも言えるでしょう。丁寧に描いておかないと、付いてこられない視聴者も多いかもしれない。
様々な要素がギュッと詰まった場面ですので、当記事でも解析してみましょう。
・「撫民仁政」の欠如
『鎌倉殿の13人』と比較したい場面です。あの作品では、北条政子が北条泰時と共に施餓鬼で民に施す場面がありました。
民なんてどうでもいい!という兼家の態度と比較して、随分と優しい。
兼家のような京都の貴族からは、民衆を思いやる気持ちが欠如している様子が浮かんできます。
・理念がない兼家
兼家はともかく出世することが大事です。
出世して、実現したい政治ビジョンはない。理想の政治像があった北条泰時と比べると、出世しか眼中にないように思えます。
・三男の野心
儒教理念を徹底し、長幼の序を重視した江戸時代とは異なるとわかる、三男同士の会話です。
こうしてみてくると、当時の貴族は何なのか?と思えてきます。
平和といえば確かにそう。けれども陰湿というか、これならいっそ拳で殴り合った後にわかりあえる――そんな坂東武者が相対的にマシに思えてきます。
まぁ、坂東武者は殴り合いどころか、首の取り合いになるからそこは忘れてはいけませんけれども……。
“三郎”は無事なのか?
東三条にいる詮子は、道長のことを面白がっています。
兼家が道長の従者である百舌彦を解雇しようとしており、道長は必死に庇おうとしている。詮子もとりなし、道長は甘えます。
「姉上、お助けください」
「わかったから」
弟に頼られてうれしそうな詮子。可愛らしくて仕方ないようですね。
詮子はどうやら、道長が誰か思い人に会いに行ってトラブルに遭遇したのかと興味津々。
百舌彦は秘密を知っているのかと聞くと、その上で身分の卑しい女は慰み者だから捨てるようにと言います。姉上、なかなかキツいですな。
父上も姉上の言うことなら聞くから、と百舌彦の救出を訴える道長は、同時にまひろの顔を思い出します。詮子の見通しも、実は当たっているのかもしれませんね。
そのまひろは、梟の声が響く中、家の中にいるしかありません。三郎のことが心配になって部屋を出ていこうにも、乙丸が見張っています。
月を見るだけだと言い訳しながら見上げると、屋根の上にいた直秀が声をかけてきました。
「見るな。声を上げるな」
そう前置きしながら、あいつは無事だと告げる直秀。“あいつ”とは、まひろが心配している男のことです。
ここからが面倒くさいまひろの本領発揮だ。
朝になると、似顔絵を描いて太郎に渡します。四条万里小路のあたりにいる、身の丈六尺以上の“三郎”を探して欲しいとのこと。
藤原か? 源か? と太郎が尋ねても、それはわからないと返すまひろ。
貴族じゃないのかよ、と太郎がぼやいています。
「早とちりしないで」
無事かどうか知りたいだけ。高辻富小路の絵師のもとにいるかもしれないと似顔絵を渡すまひろです。
歌は上手いが絵は下手だと面白がる太郎の頬を、まひろがつねる。
面倒くさい。恋心なのか、なんなのか、規定ができない。反応が本当にかわいらしくありません。直秀が念押ししても「お待ちください!」とかなんとか動揺しつつ言いそうなもの。
それを「あの男はああ言ったけど、確かめないと納得できない!」として太郎を使おうとする。しかも、テキパキと相手の特徴を告げていて、恋愛感情じゃないという。
頬を赤らめたり、目を潤ませながら頼みでもすれば、わかりやすくてかわいい女になると思うんですよね。
けれども、このかわいげがない、面倒くさいところが紫式部として重要だと思います。
-

紫式部は道長とどんな関係を築いていた?日記から見る素顔と生涯とは
続きを見る
本当にいいヒロインです。
素晴らしい!
貴公子たちの勤務と“品定め”
ここからは平安貴族の勤務時間へ。囲碁をさしている貴公子たちがいます。
「今宵は盗賊はいないし、宿直はいらん」
リラックスしながら、話題は道長が獄に繋がれたことへ。
藤原公任は関白・藤原頼忠の息子です。姉は中宮遵子。
藤原斉信は大納言の息子です。
見るからに貴公子然とした藤原公任。
月岡芳年『月百姿』「しらしらとしらけたる夜の月かけに雪かきわけて梅の花折る」に命が吹き込まれ、動き出したような、町田啓太さんの姿です。

月岡芳年『月百姿』の藤原公任/wikipediaより引用
藤原斉信はきっちり仕事をこなしそうな、はんにゃ金田哲さんが切れ者貴公子に扮しております。
道長は獄に繋がれた感想を聞かれ、「少し臭い」とかなんとか……。
そんな話はいいからこれでも見よう、と公任が和紙に書かれた和歌を出してきました。思いを寄せる女性が贈ってきたものだそうです。
姉上についている女房は、歌は上手いが顔はまずいだのなんだの、好き放題に言いあっている。
公任は女の文を厠に落とすこともあるとか。落とされたら運がないで済まされ、なんとも残酷です。
道長は鈍感なのか。男からだけでなく、女からも文を送るのかと感心しています。そして自虐的につぶやく。
「俺は漢字が下手で、歌も下手だ……」
はい、そうですね。だから練習をしなさいってば……と、それはさておき、公任は「別に歌だの文だの送らないでも尋ねてしまえばいい」と、恋愛に慣れきった余裕の発言をします。
道長だって隠し持っているのではないかと斉信が続けます。
「とぼけるなよ。ぼーっとした顔で、存外女子の気を引いている」
そう言い、どんな女子に興味があるのかと問われる道長です。
悩んでいる道長。そこがいいところで、そばにいるとホッとすると魅力が語られております。
ここで、年頃なのに婿がいないとか、左大臣の姫君の噂が語られ、斉信は俺を待っているのかも?なんて言い出しております。一体どんな女性なのでしょうか。
『源氏物語』の「雨夜の品定め」オマージュと言える場面でした。
太郎は絵師のもとへ向かうものの、素っ気なく相手にされません。事前に父の藤原為時が口止め料を払い、きつく言い渡しておいたのが効いているのでしょう。
代筆で儲かったくせに恩知らずだと太郎が詰め寄っても、代筆なんてやってないとそっけなく返されます。
そんな太郎が“三郎”探しをしていると、道長が通り過ぎてゆく姿が見えるのでした。
街で“三郎”候補を見つけた太郎が、家に連れてきて、御簾越しにまひろに見せます。
「違う」
そしてまひろは、またもかわいげのないことを言い出します。まさか太郎が本当に探してくるとは思わなかったとのことで、猜疑心旺盛ですね。
太郎はかわいらしく「たった二人の姉弟だ、賢くないけれどやる時はやる」と返します。紫式部には夭折した姉がいたともされますが、本作ではカットされているようですね。
太郎は姉上が見た“三郎”は鬼や悪霊、怨霊の類じゃないかと言い出します。
「それを確かめたい」と返すまひろは、怖がることもありません。彼女らしさが非常によく出ている。吉高由里子さんだからこそできる役に思えてきます。
円融天皇、回復せず
安倍晴明が祈祷しております。かなり迫力がありますね。
当時の陰陽師は公務員であり、公務として真面目に勤務しているからこそかもしれません。
逆に、公務員以外で祈祷や呪詛をするような連中は、危険人物です。『鎌倉殿の13人』の文覚がそういう副業をしていましたね。
-

平安末期~鎌倉時代の「呪術事情」生臭坊主・文覚の呪詛はどこまでマジ?
続きを見る
しかし、そんな祈祷の甲斐もなく、円融天皇の容態は回復しないまま、時間が経過。
先週の放送から藤原道兼が毒を盛らせていましたね。
張本人である道兼は気になって仕方ないのでしょう。藤原実資に対し、天皇の様子を尋ねます。
重くはなっていないものの、回復の兆しもない。ただのお疲れでもない。祈祷も五日目なのに、効き目がないのもおかしいと怪しむ実資に、道兼が帝は体が弱いから……と自身の毒盛りに追及がおよばないよう、さりげなく誘導しています。
しかしこの実資は何やら勘が鋭いようで「今回はおかしい」として、内侍所で、陪膳の女房を取り調べ、朝餉夕餉も見聞すると言い出します。
道兼がついていこうとすると「一人でいい」とのこと。
果たして道兼の運命は……?
-

藤原道兼は実際どんな人物だった?兼家・道隆・道長に囲まれた七日関白
続きを見る
不安になったのでしょう。道兼が父の兼家に事の次第を報告すると、証拠は出ないとふてぶてしい兼家。
命まで奪わず、道兼も今はもう毒を盛っていないんだとか。
頭中将(実資)は思い込んだらしつこい、どんな追及をするかと気が気でないのに対し、兼家は余裕があります。
むしろ天皇の信頼が篤い実資をうまく味方にするように、とアドバイスとも命令とも取れるような指示を出します。
そして極めつけはこれだ。
「その女房を抱いたのか?」
当分大切にしておけ。道兼に守られていると思うことで、味方につけるのだと、いかにも下劣なことを平気で言う兼家が、さらに念押しします。
「一族の命運がお前にいかかっておる。頼んだぞ、道兼」
「ははーっ!」
伏せながら、顔がほころんでしまう道兼。なんとまぁ、素直なんですかね。
この父は愛情をちらつかせて、息子に悪事を働かせながら、繋ぎ止めようとしている。構図としては、道兼が利用する女房を抱くのと同じようなもの。
愛情で人を操っています。
そのことに鈍感だからこそ道兼は籠絡されてしまうのでしょうか。空っぽの心に愛を満たそうとして、悪に手を染めてしまうのか。
同じ兄弟でも、妻子から愛を受け止めている兄の藤原道隆。なぜか誰からも愛されてしまう弟・藤原道長とは違う道兼。愛情の欠如が彼を動かしています。
その長兄の道隆ですが……妻の高階貴子が、庭で娘の藤原定子が転ぶところを見ています。
「定子、自分で起きなさい」
転んでしまった幼い娘にも厳しい貴子。道隆も手放しで彼女を褒め、賢い自慢の妻だと誇りに思っているのだとか。
-

伊周や定子の母・高階貴子|没落する中関白家でどんな生涯を送ったのか
続きを見る
夫妻は定子を入内させるつもりです。
姉と弟のように遊んでいても、やがて懐仁親王は帝になる。だからこそ、転んで泣くようではいけない。強い心を養うのだと貴子が決意を語ります。
さて、ここで立派な鶏が映りました。兼家自慢のペットですね。
安倍晴明が兼家に、邪気を払った報告。
そのうえで、荷物が重いからおそ回復できない、一番重い荷物を下ろした方が良いのでは?と円融天皇に奏上するつもりだとか。
喜び、褒美を遣わすと言う兼家に対し、ニヤリとする晴明。どうやら計算通りのようです。
頭中将・実資は疑う
円融天皇は、安倍晴明の奏上を聞き、彼まで譲位を促すのかと疲れ切っております。
それではいけないと怒っているのが藤原実資。
お上はまだ若い、回復すれば政務が行えると信じていて、譲位など考えぬようにと念押しします。
けれども天皇は、皆がそう思っているとは限らないという。そして邪気をはらっても、また別の邪気が襲ってくるとこぼしています
実資が、邪気祓いをすればよいと訴えても、円融天皇とてわかってはいるのです。
右大臣・兼家の思い通りとはいえ、唯一の皇子である懐仁を東宮にしたいことでは一致している。そうしなければ自身の血統が絶えてしまう。
とはいえ実資は、あの師貞親王が帝(花山天皇)になったら世が乱れると気が気でありません。円融天皇とて、そこはわかっているとのこと。
さて、その右大臣兼家が天皇のもとへやってきます。
回復してホッとしていると兼家がいうと、晴明の祈祷が効いたと円融天皇は返す。その上で急に良くなったり、悪くなったりおかしなものだとも言います。
兼家は気遣うようで退位を促すように、お疲れだというようなことをいう。
円融天皇は懐仁の様子を聞きながら、あまり甘やかすなと釘を刺すと、東宮になればもう少し強くなると返す兼家。
懐仁が東宮になることこそ、この国の意見だなんてことまで言い出します。自分の孫を天皇にして権力を手にしたいだけなのに、サラッとこんな言葉が出てくるのです。
さて、捜査を行なった実資は、女房から全力で嫌われました。
「頭中将様、いけすかない!」
「疑うなんて」
「無礼無礼無礼!」
「己の吐いた言葉をこじつけただけ!」
「嫌な奴!」
そう檜扇で顔を覆った女房が嫌がる様が見えてきます。
実資も、こうなると内侍所の検分は勘違いで、終わりにするしかないと道兼に告げるしかない。道兼は回復の兆しがあるならよいと安心しています。
女房たちの憤りにあい、やりにくくなったとこぼしている実資に対し、道兼は「頭中将は筋の通ったお方」と褒め、どこまでもついていくと熱っぽく言います。
「あ、そ」
そうそっけない実資でした。
-

道長にも物言える貴族・藤原実資『小右記』著者は史実でも異色の存在?
続きを見る
さて、実に日本史らしい場面と言いますか。こうした女官たちの権限はいつまで存在したか?というと明治維新で区切りがつきます。
江戸時代は、朝廷の女官にせよ、江戸城の大奥にせよ、女性が一定の権利を手にしていました。
幕末の“志士”たちは、この女性たち相手の政治工作にほとほと嫌気がさしたようです。明治維新で、大奥と大名家の奥は終焉を迎えるのです。
そして東京遷都に伴い女官に暇を出し、天皇の意思を女官がやりとりする慣習ごと、数百年来の伝統を消しました。
明治4年(1871年)、薩摩閥の吉井友実は日記にこう記したのです。
「数百年来の女権唯一日ニ打消シ愉快極まりなしや」
-

渋沢栄一の妾たちはどんな境遇で生まれた? 明治維新で作り出された女の不幸
続きを見る
そしてもうひとつ。
毒盛りは東洋史ドラマ定番の展開ですが、こんななし崩し的に終わっていいのか?という気持ちは湧いてきます。
これが日本中世史らしさかもしれません。
ちょうどこのころ、中国は北宋の時代にあたります。当時の人気のある人物として、清廉潔白な官僚である包拯(ほうじょう)がおります。
彼は賄賂を受け取らない。悪徳宦官に屈しない。死後、ますます名前が高まり、正義感の強い包拯の名裁判は、フィクションの題材とされます。
清廉潔白で賢いお役人様が、悪党を裁いて欲しいなぁ!
そんな民衆の需要と、作家の供給が、南宋から元、日本ならば鎌倉時代あたりには一致し作品として結実していたわけです。
それが日本で実るとなると、大岡忠相の名裁きあたり、江戸時代まで待たねばなりません。
大岡裁きは「包公案(包拯様の名裁き)」の影響を受けております。文化同士で影響を受けてきたのが、東洋のエンタメなのです。
このドラマは、中国や韓国ドラマを意識していると言います。
それを踏まえて比較してみると、毒を盛ってもゆるゆるしたオチとするところに、日本らしさを感じないわけでもない。
厳密な推理と法の裁きは、このドラマに期待するところではない。そこも個性として楽しむことが正しいのでしょう。
中国や韓国を意識していると、内田CPが明言したのは素晴らしいことです。日本の伝統回帰ともいえます。
鏡を見なければ顔の確認はできませんよね?
日本は伝統的に、唐(から・中国)や高麗(こま・朝鮮半島)と比較することで、自分たちの定義をしてきました。
明治以降、それを無視して無理してきたと思えます。それを取り戻す流れがきていて、本作はそこにスッと入り込んだと感じるのです。
優雅な姫君が、土御門にいる
藤和道長は、勤務中の兄・藤原道兼の姿を見付けます。
太陽光の下で見る、この平安貴族の美しさよ。衣装が見ているだけでうっとりとしてしまいます。
道長は甘えの達人なので、あの道兼にいつもお目にかかれないと言います。だからなんだと突き放しつつ、道兼がこう言います。
「いつか一献傾けたいな。父上も交えて」
「はっ」
この短いやりとりなのに、兄と弟の個性の違いが見えてきます。
第1回で視聴者の憎しみを買ったはずの道兼なのに、なんだかとても寂しそうで、哀れで、愛着すら感じるようになってきました。
道長のおかげでしょうか。道長に近づくと、花が開くように人の心もそうなるのか。不思議ですね。
-

『光る君へ』感想あらすじレビュー第1回「約束の月」
続きを見る
藤原為時は、東宮様の勉学について兼家に報告中です。
なんでもやる気を出しているとか。
しかし兼家が気になっているのは、左大臣・源雅信の姫君のようです。
左大臣の思惑は何なのか。帝にも東宮にも娘を差し出さないのはなぜなのか。
スパイとして使い物にならない藤原為時を下がらせようとすると、その為時が立ち止まります。
お役に立てるかもしれぬと言い出しました。
左大臣の住まいである土御門殿では、一の姫である源倫子が、雅信と穆子(ぼくし/あつこ)の前で琴を奏でています。
雅信に対し穆子が、新しい装束をお召しになるかと問いかけると、倫子の琴を聞いていると鬱陶しそうに応える雅信。
「よき姫に育ったものだ」
うっとりとしています。
しかし、彼女も来年は22だと穆子がチクリ。
宇多天皇の血を引くのだから歳などいくつでもよいと強気の夫に、穆子は、雅信が土御門に婿入りしたとき、私は20だったと穏やかに反論します。
それでも雅信は、よい音色だとうっとりしております。
ここで黒木華さん演じる倫子が出てきます。
-

なぜ源倫子は出世の見込み薄い道長を夫にしたのか? 超長寿90年の生涯に注目
続きを見る
貴公子が噂し、兼家が気にしていたあの姫君です。
これは確かに可愛らしい。衣装も、所作も、何もかもが愛くるしく、「お姫様」という概念を体現していると思えました。
姫君サロンへようこそ
藤原兼家に雇われ、点数を稼ぎたい藤原為時は、左大臣家の姫君に集いに行かないか?とまひろに言い出しました。
なんでも赤染衛門という歌人に、姫君たちが集って学ぶサロンになっているのだとか。
彼女は月岡芳年『月百姿』「やすらはで寝なましものを小夜更けて傾くまでの月を見しかな」で描かれ、本作では凰稀(おうき)かなめさんが才知あふれる姿を見せてくれます。
『鎌倉殿の13人』でおなじみ、大江広元の先祖ですね。

月岡芳年『月百姿』の赤染衛門/wikipediaより引用
身分が低いから行くところではないと乗り気でないまひろに対し、賢いのだから身分の差など乗り越えられると為時。
特に穆子様は親戚なのだから楽しんでくるようにとプッシュします。
それにしても、まひろはどこまでめんどくさいのか。外出と気分転換のよい機会だろうに、何か疑っているようにすら思えます。
結局、まひろは姫君サロンへ。
公式サイトで熱く解説されるほど、美しく華やかな世界が広がっています。
「日本の宮殿って地味だなあ! 飾りが全然ないわ」
これは平安時代ではなく、幕末の来日外国人が江戸城などを見た感想です。
怒らないでください。これは確かにそうです。
柱に色を塗らずにそのまま立ててあったり、ゴテゴテと貴金属で飾り立てるわけでもなく、花をいけてあったりする。
見た瞬間にわかる派手な豪華さとは異なるけれども、目を凝らすとしみじみと美しい――そんな風雅な趣きがあるのが、本作のこの場面と言えるでしょう。
姫君の衣装が美しい。襲(かさね)の色合いがどうしてこんなに可愛らしいのかと見惚れてしまいます。
平安時代って、知れば知るほどこの時代に生きていなくてよかったなぁと思えるほど、実は過酷な時代。
それでも憧れを持ってしまうのは、まさにこうした繊細な美しさにあるのでしょう。
親戚の娘と穆子に紹介され、丁寧に名乗るまひろは、見るからに衣装が地味でちょっとつらい。しかも父は、現在官職に就いていないと言わねばならず、これまたつらい。
姫君たちは「うふふ」「おほほ」と笑いながら、赤染衛門が「偏つぎ」遊びをすると言います。
漢字の旁(つくり)を示すと、そこに「偏」をつけ、文字を完成させるもの。
空気を読めないまひろは、次から次へと当てて圧勝してしまいます。
「すごーい! まひろさんは漢字がお得意なのね」
「一枚も取れなかった」
そう上品に笑う姫君たちを前にして、やりすぎた己に気づくまひろ。どこまで面倒くさいのか。
赤染衛門は、女でも漢字を覚えて、漢詩を詠めて、漢文を書けねば、我が子の指南ができないと諭しております。
「はーい」
「みなさまもですよ!」
「はーい」
真面目なのか、不真面目なのかわからない返し方をする姫君たちです。
ここで檜扇を操りつつ、ふわふわと笑う倫子の愛くるしさは何なのでしょう。空を飛ぶ蝶々か、花びらのような軽やかさがあります。
何かと重いまひろとは正反対のようにも思えます。
四端ーー人に忍びざるの心
平安貴族の貴公子たちは、関白・藤原頼忠の屋敷で休日でも漢籍の勉強をしています。
-

兼家のライバルだった藤原頼忠|なぜ関白まで上り詰めた公任の父は無名なのか
続きを見る
今日は『孟子』「公孫丑上」。
公任がスラスラと読んでいます。
孟子曰く、
「人皆人に忍びざるの心有り。
先王人に忍びざるの心有りて、斯(ここ)に人に忍びざるの政有り。
人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること之を掌上に運(めぐ)らすべし。
人皆人に忍びざるの心有りと謂う所以(ゆえん)の者は、今人乍(たちま)ち孺子(じゅし)の将(まさ)に井に入らんとするを見れば、皆怵惕(じゅってき)惻隠(そくいん)の心有り。
交わりを孺子の父母に内(い)るる所以(ゆえん)に非(あら)ざるなり。
誉れを郷党朋友に要(もと)むる所以に非ざるなり。
其の声を悪(にく)みて然するに非ざるなり。
是に由(よ)りて之を観(み)れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。
羞悪の心無きは、人に非ざるなり。
辞譲の心無きは、人に非ざるなり。
是非の心無きは、人に非ざるなり。
惻隠の心は、仁の端なり。
羞悪の心は、義の端なり。
辞譲の心は、礼の端なり。
是非の心は、智の端なり。
人の是の四端有る、猶(な)ほ其の四体有るがごときなり」と。
孟子が言った。
「人には皆、他人の不幸を見過ごせない気持ちがあるものだ。
古代の聖王は、人の不幸を見過ごせない気持ちをみな持っていたのである。
だからこそ、人の不幸を見過ごせない政治ができたのだ。
人の不幸を見過さぬ気持ちを持ち、人の不幸を見過ごせぬ政治を行えば、天下を治めることは、手のひらに玉を載せて転がすように簡単にできる。
人には誰でも、他人の不幸を見過ごせない気持ちがある。それはどこからくるのか。
もし目の前で、幼児が今にも井戸に落ちそうになっているのを見たとする。これはいかん、大変だと誰だって助けようとするだろう。
それは幼児の親に恩を売ろうと思ってするわけではない。
近隣のものや友人に褒められたいから、そうするのでもない。
幼児を見殺しにしたと悪評が立つと嫌だからそうするのでもない。
遠慮し、人に譲る心を持たぬ者は、人ではない。
善悪正邪を見分ける心がないものは、人ではない。
人の不幸を見過ごせない心というものこそが、仁のもとである。
自身の不善を恥じ、他人の不幸を憎む心こそ、義のもとである。
互いに譲り合う心は、礼のもとである。
善悪正邪を見分ける心は、智のもとである。
人がこの四つの萌芽を持つことは、両手両足があるのと同じことだ。」
性善説です。
このように知識を仕入れることと、実践の間には距離があり、平安時代の政治は民を重んじているかというと、なかなか厳しいものは感じますね。
積極的に戦乱を起こさないと言う意味では、確かに平和ではありますが。
大河ドラマ『麒麟がくる』では、こうした儒教の教えを初回で主人公が実践していました。
火災があり、その中に子どもが置き去りにされた。もう前後のことも考えずに飛び込んで助ける光秀。
その姿を見て、かつて己も燃え盛る家から救い出された駒が「麒麟がくる」と語る。
光秀は孟子が説く教えそのものの行動を咄嗟に成し遂げたからこそ、駒は「麒麟」を連想したのです。
あの場面はカッコつけだのハリウッド映画だのなんだの言われましたが、孟子の言うところの性善説を端的にまとめたものでした。
-

『麒麟がくる』で「来ない」と話題になった――そもそも「麒麟」とは何か問題
続きを見る
町田啓太さん扮する公任が、澱みなく、スラスラと漢籍を読み上げます。素晴らしいですね。
秀才そして知られる公任。町田さんは台詞に出てこない箇所まで覚えたと嬉しそうに語っていました。
長谷川博己さんも、光秀の行動原理を深く理解するために儒教の関連書籍を読んでいたそうです。
学ぶ姿勢が、演技を磨き上げ、ただでさえ美しい姿を一層深みのあるものにします。公任が美しいのは当然ですね。
そして、このドラマの楽しみ方を見出しました。
光源氏探しです。
登場人物の理想的な部分をつなぎ合わせていくことで、光源氏をカスタマイズしながら作り上げていくのです。
教養は公任。
筆跡は行成。
要領の良さは斉信。
気品は道隆。
屈折は道兼。
愛嬌は道長……なかなかおもしろいんじゃないでしょうか。
そして書道の場面です。
皆美しい中、道長だけが個性的な字を書いている。
藤原行成の手元を覗き込む道長。いいから真面目に練習しろ!
そう兼家のように道長に言いたくなるのは、あまりに個性的な悪筆だから。字が下手だと台詞にもありましたが、史実の道長もあまりに癖が強い字を書きます。
一方で藤原行成は日本書道史のレジェンドです。
そんなレジェンド行成から癖が強すぎる道長まで、字を再現する根本知先生は大変だと思います。
行成役の渡辺大知さんも、大変なプレッシャーですね。なにせあの行成です。全国の書道家が、目を凝らして筆の持ち方まで見ていますからね。
今年の大河は書道に気合が入っています。
文房四宝こと筆・墨・硯・紙まで、特殊で高いものを用意していて、この文房四宝の質感だけでも見ていて眩しいほど。美しい場面が続きます。
父の間者となるメリット
帰宅したまひろは、よい時を過ごしたと為時に報告します。
源倫子についてを問われると、まひろは「あのようなお方にあったことはない」と言います。よく笑う方だと。
しかし為時が知りたいのはそういうことではない。年頃ゆえに、東宮の妃となってもおかしくない。一体どういうお考えなのか?
すると、まひろの猜疑心が発動します。嗚呼、めんどくさい。
兼家様に頼まれたのか、間者にしろと言われたのか?と父を問いただします。
為時は、お前が外に出たがったから、高貴な方とお近づきになって損はないと言うしかありません。その上で、いやなら行かなくていいとまで言ってきました。
まひろはここで割り切ります。そういうところがちょっと気持ち悪いんだぞ!
父の言葉に納得もあるんでしょうね。楽しいことはそうだし、メリットはある。
そして倫子様に気に入られるようにすると、キッパリと言い切るのでした。
とはいえ、内心父への軽蔑が高まったのか。
一人、母の遺品である琵琶の前に立つ時の白い顔は、憤怒がふつふつと滾るようにも見えます。吉高さんだからこそできそうな、この表情がたまりません。
そんな土御門姫君サロンでは、こんな歌が詠まれました。
見てもまた またも見まくの 欲しければ 馴るるを人は いとふべらなり
一度逢えても、またすぐ逢いたくなってしまう。あの人は私と親しくなりたくないのか。
しかし、赤染衛門がそれは『古今和歌集』「恋歌」の、読み人知らずの歌だと指摘。
人の歌をそのまま盗んではならない、自分の言葉で歌を作るのが大切だと説きます。
「はーい」
そう言いながら、ふふふと笑い合う姫君たち。なんでも赤染衛門は『古今和歌集』は全て覚えているのだとかなんとか。
ここで同じ『古今和歌集』からあの小野小町の歌です。
秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば ことぞともなく 明けぬるものを
秋の夜が長いというけれど、言葉だけのことでしょう。せっかく愛しいあの方と逢う夜なのに、これということもなく、あっという間に明けてしまった。
小町がよい歌を詠めたのは、きっと素敵な恋をしたから。そう盛り上がり、恋をしようと言い出す姫君たち。
まひろの笑みは、どことなくひきつっています。
帰り道、四条万里小路に寄っていくと乙丸に告げるまひろ。お目当ては散楽です。
乙丸は姫が見るものではないと諭しますが、それでも行くと言い、フフフとあざとく笑うまひろ。
乙丸が困惑していると、源倫子様の真似だと言います。
まひろよ、倫子と違ってあなたがやると策略の臭いがしますぞ。
すると道長も“三郎”の服装でやってきていて、散楽を挟んで二人は見つめ合います。
あなたは誰?この気持ちは何?――そう焦らす展開は、ここで区切りがつくようです。
MVP:源倫子
これぞまさに姫君でしょう。
かわいらしい。出てくるだけで周りの空気が甘く、柔らかく、明るくなる。圧倒的な華やかさがあり、癒されます。何もかもが素敵です。
琴を奏でる指先。
檜扇を持つ手。
笑い声。
細める目。
可愛く、愛らしい。目の前で花びらが舞っているようで、見ているだけでたまらないものがあります。
燦々と差し込む光のような姫君により、まひろのめんどくさい個性もあらわになったと思えます。
-

なぜ源倫子は出世の見込み薄い道長を夫にしたのか? 超長寿90年の生涯に注目
続きを見る
人皆人に忍びざるの心有り、では恋心は?
漢籍が何か意味を示すこの作品――今回はこの点に注目したい。
何かがひっくり返った気がします。
このドラマは、まひろと道長の恋愛で焦らしているように思える。
けれども、そうなのでしょうか?
もしかして二人とも「困っている人を助けたいんだ!」という惻隠の情で動いていただけであり、恋をしていないのではありませんか?
この読み違いは前述した『麒麟がくる』でもありました。
光秀が駒を助けたものだから、この二人に恋愛フラグが立ったと誤解した視聴者がそこそこおりました。
光秀は親切心です。確かに駒は淡い恋心を光秀に抱いていたものの、それよりも人助けに生きがいを見出すようになる女性でした。
なんでもかんでも恋愛フラグ扱いにするのはどうなのか。
ドラマ鑑賞程度ならばまだしも、実際の人間関係でこれをやられると、大変迷惑です。
『光る君へ』に戻しまて……。
やはり、まひろは何かおかしい。
三郎がいなくなって大丈夫かと気にしている。けれども直秀から無事を聞かされても、喜ぶどころか猜疑心全開にして太郎を使って調べようとする。
その太郎に、妖怪かどうか確認したいと言う。
これが恋をする若い女性の言動なんだろうか……。なんなんだ、本当になんなんだよ!
だいたい「謎の男」というタイトルも妙です。逢いたい相手を謎呼ばわりってどこか変ですよ。
そんなズレたまひろも、源倫子がとてもかわいらしいことはわかる。
笑顔を用い、手のひらで玉を転がすように人の心を掴めることも学んできた。人心掌握を学べるからこそ、父の陰謀に乗っかっているのかもしれない。
とはいえ、それを真似て乙丸に笑うところはなんだか滑っていて、ちょっと不気味なのか、乙丸も引いてしまう。
小野小町のように恋をしたいとはしゃぐ姫君サロンで、笑顔が引きつっている。
なんかこう、私はこういうの好きじゃないというオーラがじわっと滲んでいるというか、理解できていないというか、“かわいい若い娘”という仮面をかぶっているというか。
まひろって、実はガチガチの理詰めで、恋するままに動けない性格なのではありませんか?
周囲から学び、空気を読んでふるまおうとしているけれども、実は何かがずれているのかもしれない。
そういう心の奥底では「世の中なんてさ〜、心なんてさ〜!」と思っているひねくれ女子が、人間の心を転がすような話を組み立てるって、やっぱり面白いと思えます。
そういう醒めた俯瞰目線があればこそ、ああいう物語は描けるのだろうなと。
まひろのこういう性格って、イギリスの女性作家であるジェーン・オースティンも思い出します。
恋愛小説の名手として知られ、英語圏の教科書には掲載常連、国民的作家です。
けれども本人は恋愛をした情熱的なタイプでもなく、皮肉屋で理知的です。
恋愛小説にせよ、流行しているものを自分流にアレンジして皮肉って書いてやるような動機があります。
オースティンのヒロインはなかなかひねった設定です。書簡集を読むとものすごく嫌味なことを書いているとも思える。
そういう皮肉屋だからこそ、見えてくるものがあるのかなと。
ひねくれたヒロインって実にいいですね。もう本当に変なヒロインです。
「よかれ」と思ってしているのかもしれないけれど
さて、以下は余計なことながら。
視聴率が低いこともあり、早速叩き記事が出ています。
◆『光る君へ』第2話で視聴率ダウン! まひろ(吉高由里子)の恋愛描写メインで高齢視聴者が大量離脱(→link)
◆NHK負のスパイラル…『紅白歌合戦』『光る君へ』“低視聴率”続きで予算削減へ(→link)
“事情通”という方が、こんなことを語られています。
「PRを見れば見るほど、見る気が起きないのが『光る君へ』です。まず多くの視聴者は登場人物を理解するのに時間が掛かる。なんたって8割以上が同じ姓を持つ『藤原』と『源』なんです。60歳以上のシニア層が混乱することは必定。しかも、物語の大半は権力闘争でこれといった盛り上がりがありません」(事情通)
「よくぞまあ、これだけ魅力のない役者を揃えたといったところでしょうか。ヒロインの吉高由里子は旬をすぎ一巡した感が強い。また、イケメン枠で出演する恋人役の柄本佑も正直、微妙です。ましてや下地となる『源氏物語』が男と女のまぐわいが中心の恋物語。大河が放送される時間帯で、その世界観を描くのは到底無理があります」(同)
「事情通」とは、誰でも自称できるし、資格もなにもないところがポイント。
ライター本人が書いているという可能性もあります。
そして私は愕然としたことがあります。
この記事の書き手も、読み手も、シニア層を意識していることです。
シニア層は教養があると思いたい。それなのに『源氏物語』をこう説明してしまうのはいかがなものか。
ましてや下地となる『源氏物語』が男と女のまぐわいが中心の恋物語。
まぐわいって……『源氏物語』はそういうものでしょうか。
国民的古典を学ぼうという好奇心や知識欲はないのでしょうか?
「恋愛描写が多いからつまらん」というのも、納得できかねますし、藤原の多さに困惑しているという指摘も甘えではないでしょうか。
同じことを女性が言おうものなら「このバカ女」となりそうなのに、なぜ中高年男性は当然の如く、こんな威張った調子で言うのか。世間はそれを許すのでしょうか?
それこそ中国や韓国の時代劇なんて、馴染みが薄いともっと難易度が高いというのに。
『光る君へ』は、むしろ権力闘争描写や、毒を盛ることによるミステリ的な盛り上げもあることは、きちんと視聴していればわかるはずです。
それなのに恋愛しか目がいかないとすれば、何か偏見がある可能性を感じます。
今日は絶対にカレーを食べるぞ!
そう思って出かけたら、やたらとカレーばかりに目がいくようになった。そんな経験はありませんか?
人間はどこにマインドセットするかにより、注目する点が変わってきます。
本作について私は、兼家中心の権力描写が東洋史宮廷ドラマっぽくて面白いと感じておりました。
2023年のように、徳川家康の生涯において、側室オーディションやら、お手つきやらクローズアップすることこそ、余計な恋愛描写(ろくに恋すらしていない、正しくは性欲描写か)だと私は思います。
今年はむしろ、今回の描写を見ていると、まひろは恋愛に対し何かずれている変でめんどうくさい女性に思えてきます。
道長も周囲から恋愛のアドバイスを受けているし、何かおかしいのかもしれない。
そして感じたのは、以下の記事にある「カスハラ」です。
◆「よかれ」と思って無自覚カスハラ 気をつけたい「中高年男性」(→link)
「よかれ」と思い、いい事してやったと語っている記事なのだろうなと。
藤原ばかりいるのはおかしい。恋愛をやるな!
そう自分のアドバイスを聞けという意識で記事を作ると、ある程度読まれるんだろうな、と。
でも、それでいいのでしょうか。
大事なのはこの記事の原田さんのような、意識改革ではないでしょうか。
◆ 原田泰造さん、芸能界30年「他の世界分からず」主演即決したドラマ(→link)
意識を改革せねば、取り残されてしまいます。
何度でも言いますが、「戦! 戦国! エロい女!」の2023年は「シン・大河」どころか、記録的大失敗、「惨・大河」になりました。従来の読みは通じません。
視聴習慣が変化する時代
視聴率は低いが、鑑賞者は多い――再放送希望も多いのか、異例の一月での1、2回再放送もありました。
◆録画にネット視聴、実は見られていた「光る君へ」…演歌冷遇・受信料宣伝の「紅白」はそれでも過去最低(→link)
私も以前から思っていたことです。
海外では視聴者数または視聴回数で評価します。そういう過渡期の作品なのでしょう。
今年は「視聴率は低迷する」と覚悟の上で作っていると思います。
しかし現場の士気は高いようです。
参考までに、昨年との比較でも。
◆「前作とは大違い」「やっぱり脚本だよね」『光る君へ』評価が上昇中…「家康に比べたら死ぬほどおもろい」(→link)
◆大河ドラマ『光る君へ』スタッフが骨抜きになった吉高由里子(35)の「触る力」(→link)
◆密着取材したものの…大河ドラマ主演・松本潤の『プロフェッショナル 仕事の流儀』が放送されなかった理由(→link)
第3話を迎えて、今年は良い一年になると信じています。
💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅
あわせて読みたい関連記事
-

なぜ源倫子は出世の見込み薄い道長を夫にしたのか? 超長寿90年の生涯に注目
続きを見る
-

紫式部は道長とどんな関係を築いていた?日記から見る素顔と生涯とは
続きを見る
-

藤原道長は出世の見込み薄い五男|なのになぜ最強の権力者になれたのか
続きを見る
-

藤原定子の生涯と辞世の句|最期まで一条天皇に愛され一族に翻弄され
続きを見る
-

藤原彰子は紫式部や一条天皇と共に父・道長を盤石にした功労者だった?
続きを見る
【参考】
光る君へ/公式サイト














