光る君へ感想あらすじレビュー

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第31回「月の下で」陰キャ全開で大胆不敵な女

突然、まひろの邸へやってきた道長。

為時と娘御はいないのかと尋ねると、まひろが「外に出かけている」と答え、続けて「土御門では父が世話になっている」と礼を告げます。

なんでも為時は、道長の長男である藤原頼通の聡明さに感心しているようで、それを彼女が褒めると、道長がふと話題をそらす。

「四条宮で和歌を教えているそうだな」

「なぜ知っているの……」

そう驚くまひろに対し、藤原公任から聞いた答える道長。

会の主催が公任の嫡妻ですので、それが表に知られるのは時間の問題だったような気もしますが。

いずれにせよ道長はなぜまひろの邸へやってきたのでしょうか?

 


道長はまひろの物語を読みたい

道長の目的は『カササギ語り』でした。

学びの会で公開したまひろの物語であり、公任の北の方も女房たちも夢中だと道長が言い出します。

「物語を読ませてくれないか」

道長がそう願っても、猜疑心が湧いてくるまひろ。

そんな用件のために「わざわざ粗末な身なりをしてここまで来たの?」と疑っていると、道長は『枕草子』よりずっと面白いという評判を聞いたと補足します。

相変わらず、まひろは「どうでしょう……」と疑っている。

物語が面白ければ中宮に献上したい。道長がそう説明するのですが、残念ながら『カササギ語り』はもう燃えてしまいました。

それは本当か……と疑う道長に対し、焼けた床の跡を見せて説明するまひろ。

この二人はソウルメイトなのに、実はそうそう素直でもありません。

『カササギ語り』を燃えてしまった真の理由は、賢子がそうしたからで、まひろはその説明を省いています。

一方の道長にしても隠し事があり、まひろは不信感を抱いている。

これがもしあかねだったら、このような展開にはならないでしょう。

愛する誰かが、身をやつしてまで会いに来たら、目を潤ませて抱きついてきそうなところです。ききょうも、ここまでややこしくないはず。

最愛の相手が来たのに、なぜ疑うのか――と、そこはもうまひろの性格ですね。

自分を騙そうとしていた周明のことを見破り、夫である宣孝に対しても嘘をついたら見抜いて灰をぶつけたものです。

まひろは猜疑心旺盛です。

相手が嘘をつくと見破る上に本人は嘘が得意で、幼少期から妄想じみたことをパパッと思いついては語っていました。

もしも、まひろが乱世に生まれていたら、『鎌倉殿の13人』のりく(牧の方)を上回る策謀家だったかもしれません。

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臥竜を目覚めさせるには誠意がいる

まひろよりずっと素直な道長は、疑ったことを謝ります。

無念で昨夜は眠れなかった。そうこぼすまひろに対し「思い出して書けないか?」と願う道長ですが、そんな気持ちになれないそうで……うーん、わがままでめんどくさい奴だな。

自分の父親には「土御門で家庭教師をして家計をどうにかして!」と言っておきながら、自分自身は道長の依頼に怒涛の塩対応。

見ていてイライラした方もいらっしゃるかもしれません。

道長は諦めず、泣き落としにかかります。

帝のお渡りもお召しもない中宮様を慰めるためである。政のために入内させたとはいえ、申し訳ないのだと。

これは、なかなかよい言い訳ですね。

というのも、妻の源倫子は中宮彰子を慰めるためにせっせと環境を整えていますもんね。嘘をつくならば、そこに少し本音を混ぜるとそれらしくなります。

しかしまひろは「そう易々と新しいものは書けない」と塩対応が続きます。

まぁ、依頼を安請け合いして、いざ書き始めて何も思いつかなかったらどうしよう……という不安な気持ちを抱くのはわかりますが。

諦めきれない道長は、まひろには才能があるからやろうと思えばできると言い出しました。

それでもなお「買い被りだ」と返すまひろも、さすがに内心ではまんざらでもないかもしれませんね。なんせ幼い頃から妄想する姿を見せてきたわけですから。

道長は最後まで「力を貸して欲しい」頼みながら、まひろの邸を去ってゆきました。

あれだけお願いをされて、まひろはどう思うのか?

孔明臥龍――『蒙求』から、そう思い出しているかもしれません。

諸葛亮もなかなか面倒くさい性格の人物でして、才能がありながら敢えて引きこもり、劉備が三度訪ねてくるまで塩対応したのには、理由があると思われます。

何の実績もない若造が、百戦錬磨の劉備のもとに入ったとして、自分のやりたいことをできるか保証はない。

ゆえにどこまで相手が自分を重んじるか、試したとも言えるのです。

道長は、為時に頼通の指導を頼んだときは、自らは訪れておりません。

今回まひろのもとに来たということは、それだけ高く買っていることがわかります。

 


公任、出仕を辞める

寛弘元年(1004年)、ちょっとした事件が起こります。

藤原斉信が従二位となり、一歳年上の藤原公任を追い抜いてしまい、それが不満で公任は出仕を辞めたのです。

なんと、しょーもない話なのか。

藤原斉信
藤原斉信は隆から長に鞍替えして貴族社会を生き残る『光る君へ』はんにゃ金田

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斉信が四条宮の邸にきて、北の方である敏子に案内されますが、若き日によく来ていたから案内などなくてもよいと斉信。

公任から「忙しいのではないか?」と言われると、「いつまですねているのか」と返します。

和歌や漢詩を学び直していた、と語る公任は、本来の道に戻るだけだとしています。

「政で一番になれないなら、こちらで一番になる」

拗ねるというより、心が折れたのかもしれませんね。

もうやってられないな。夜明け前から起きて出仕して、何やってんだ俺。

そんな生き方よりも、ゆっくり起きて、香でも焚いて、書物に向き合う方が向いているんじゃなかろうか? そう思ってしまったのかもしれません。

道長の出世により中宮大夫へ上げてもらっただけだと斉信が語ると、道長はお前に娘を託したということだと公任は言います。

内裏にお前がいないと寂しいから、出仕して欲しい――斉信がそうストレートにお願いすると、今度は「誰かに頼まれたのか?」と猜疑心を募らせる公任です。

コイツも、めんどくさい奴だな! ただし、乱世だったら軍師になれるタイプですよね。

「俺の気持ちだ」

もうこれ以上説明する言葉を失ってしまったのか、斉信は情に訴えることにしました。

若い頃からここに通っていたとアピール。

素直な藤原行成あたりが聞いたら「そうですよね」と目をウルウルさせそうなところですが、公任は、打毱のあと、愛情でなく身分で女を妻にすると語り、まひろと視聴者をがっかりさせたことがあります。

彼には、感情を無視してでも、理論を求めるところがある。

別に冷血でもなくて、愛情もあるのだけれども、物事に優先順位をつけているだけですね。

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実際、北の方である敏子は、公任と仲がよいと思えます。

敏子は聡明で常識的で、夫も「俺の目は正しかった。彼女はよくできた妻だなぁ」と満足していることでしょう。

これが極端になると『鎌倉殿の13人』の三浦義村枠ですね。

北条時政とその息子たちが源頼朝について挙兵したあと、三浦義澄と義村は援軍に駆けつけようとするも、悪天候で川が荒れていて引き返すしかありません。

このとき父の義澄は、親友である時政を助けられず、悔しそうにしていました。

一方、義村にとっても義時は親友です。

息子もがっかりしているだろう……と気遣うものの、義村はむしろあっさりと帰ると言い出していました。

義村は別に「義時が死んでもしゃあねえか」とまでは思っていないにせよ、ここで悲しんだって無駄だから、そういう手間を省いていたのでしょうね。

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