道長にとって穢れとは

『紫式部日記絵巻』の藤原道長/wikipediaより引用

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『光る君へ』の藤原道長は“穢れ”の取扱いを間違えている?それとも創作上の狙い?

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『光る君へ』における穢れ
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対処は、時にいい加減で時に冷酷

【穢れ】は業務を停滞させかねないため、厳密に守られないこともしばしばあります。

第11回放送では、一条天皇の即位式に用いる高御座(たかみくら)に生首が置かれるという、ショッキングな出来事がありました。

道長はこの生首を何食わぬ顔で回収、鴨川に捨てさせることで即位を続行するのです。

この高御座の生首は、『大鏡』に掲載されているエピソードを元に描かれましたが、目的のためなら手段を選ばず、【穢れ】を無視する当時の貴族の姿が浮かび上がってきますね。

道長の強かさと同時に柔軟さが窺える一件とも言えます。

道長は状況に応じて、見なかったことにしたり、口止めしたり、死体を秘密のうちに始末して【穢れ】を避けていたことが、彼の日記『御堂関白記』からも掴めるのでした。

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一方、生真面目すぎて非情になる場合もあります。

自邸で働いている者が急病死しそうになると、家から追い出す――当時はこんなこともありえました。

腹を刺されて今にも死にそうな下人が、迷惑を避けるためフラフラと去っていくような記述も見られます。

【穢れ】を厳密に守りすぎるため他人の不幸に対して非情になるのであれば、むしろ道長のようにごまかしながら、柔軟に対応する方がマシでしょう。

例えば藤原実資は、生真面目な性格で知られています。

【穢れ】に対しても厳密に対処しており、それがゆき過ぎて現代人からすれば冷酷に思えることもあります。

火災が起きて童女が行方不明になった。井戸に幼児が転落死した。

そんなことが起きても、実資が重点を置いていることは、自らの周辺を【穢れ】からいかに遠ざけ、業務を滞りなく遂行するか?ということに尽きる。

彼は決して冷酷な人物ではないですが、仕事に生真面目すぎると冷たくなってしまう。

この点、どこかいい加減な道長の方が、人情味がありますね。

【穢れ】は職務遂行を妨げるため、平安京のインフラ整備にまで影を落としています。

天災や疫病で死者が大量に発生しても、貴族たちは【穢れ】をおそれて積極的に対処しない。

為政者の保身のため民が苦しむ――そんな政治不在の状況がしばしば発生するのでありました。

 


穢れは日本特有の慣習だった

いったい【穢れ】とは何なのか?

他国にはなく日本独自のものである――ということは当時の貴族もわかっていました。

むしろ他の国からすれば、わけのわからない慣習と思われても無理のないところではあります。

他の儒教文化圏では、儒教倫理による規定がなされています。

人の死による停滞があるとすれば「目上の者の服喪」が最大の要因となります。

三国志』でおなじみの曹操は、自らの死を前にして、自分が死のうが部下は持ち場を離れるなとわざわざ書き残しています。

敵対する勢力があるのに持ち場を離れ、攻め込まれたくないという意識や、儒教への反発心もあるのでしょう。

服喪期間は、飲酒、肉を食べること、服薬、性行為等も禁止されています。

正史『三国志』の筆者である陳寿は、服喪期間に薬を調合服用したため、親不孝者と批判にさらされております。

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そしてこの【穢れ】も日本の歴史から消えたからこそ、現代人は違和感を覚え、理解しにくくなりました。

平安貴族はしばしば暴力沙汰を起こしていたものの、道長の時代はそこまで苛烈でもありません。

【摂関政治】の影響を薄めるために【院政】の時代へ。その打破のために武力が重宝されるようになると、政治的にも武士が台頭してくる。

平安時代も折り返し地点を過ぎるとなると、藤氏長者にもなった藤原頼長ですら矢を射られて死ぬような事態が発生します。

さらには平家が台頭し、源平合戦となると、もはや【穢れ】だのなんだの言ってられない。

それでも当時の貴族たちは価値観が抜けきっていないのか、戦乱で荒れる都にあっても、現実逃避するかのように見て見ぬふりをしたいような姿勢も感じられます。

鎌倉時代、武士の世となると、貴族と武士の文化が混ざってゆきます。

鎌倉の武士たちは、犬を追い弓矢で射る【犬追物】のような訓練をする一方、仏教の信仰に目覚め、五辛や肉食への禁忌は【穢れ】というより仏教信仰という形で残されてゆく。

時代がさらに降り江戸時代となると、徳川家康林羅山を重用し、儒教倫理を統治に取り入れます。

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綱吉や吉宗といった歴代の将軍もそれを引き継ぎ、定着。

時代がくだると人権といった要素も加えられてゆきます。

現代の日本人が、葬儀のために仕事を休むのは【穢れ】のためではありません。

ただし、【穢れ】の意識が完全に消え去ったのか?というとそうでもなく、葬儀を後に塩を渡されることもその一例と言えるでしょう。

塩は【穢れ】を払うとされているものです。

相撲の土俵に女性が上がれない問題をはじめとする「女人禁制」の根拠としても、【穢れ】が都合よく持ち出されます。

ここで根拠とされる月経を【穢れ】として扱うことは、社会通念としてもはや通じません。差別のために伝統をねじ曲げて持ち出すことは慎みたいものですね。

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【穢れ】という日本固有の慣習は、当時から曖昧で都合よく運用されてきました。

そのことを踏まえれば、ドラマ作劇上の都合として「厳密に扱わない」ことこそ伝統とも思えます。

藤原道長は前述の通り、日記を読めばかなり柔軟な対応をしているのです。

ルールがあるようでそこは柔軟である――そんな当時の価値観を実感できるといえるのかもしれません。


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文:小檜山青
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【参考文献】
倉本一宏『平安京の下級官人』(→amazon
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(→amazon
『権記』(→amazon
『御堂関白記』(→amazon

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