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靖康の変:北宋から南宋へ
【靖康の変】とは、1126年に起きた大事件のこと。
北宋が女真族の金(国家としてのキン)に敗北し、開封にいた皇族が捕縛の憂き目にあいました。
残った皇族は、南の杭州へ都を移し、南宋となります。
そして北宋と、交易を通してのみ関わっていたといえるのが、平安京の貴族たちでした。
このころ日本では、藤原氏の【摂関政治】に対抗するため、天皇側は譲位後も上皇が権力を握る【院政】時代へ突入。
華北を支配する金ではなく、江南の南宋との交易を続けてゆきます。
この状況は、パワーバランスに変化をもたらしました。
北半分が別の王朝に支配されたとなると、南宋は交易がより重視されるようになる。
特に欲しいのは貴金属である金です。
中国大陸は早くから金を採掘した結果、早々に枯渇してしまい、それを補うために絹を生産、交易に充ててきました。
そんな中国大陸と比較すると、日本はまだまだ金の豊富な国。
南宋での需要の高まりと共に、金の産地が重要になってゆき、特に東北地方で産出されたことから、【奥州藤原氏】も台頭してきました。
この状況に目をつけたのが、平清盛です。
【日宋貿易】を促進し、経済的な優位を得る――とりわけ【宋銭】に着目したことがターニングポイントでした。
『光る君へ』では、花山天皇が銅銭鋳造改革を政策にあげていました。しかし、その後は短期間で退位させられ、政策も実現されません。
それを清盛は、鋳造ではなく輸入で解決するという画期的な手段を思いついたのです。
銭を輸入すればボロ儲けで清盛ニヤニヤ~日宋貿易が鎌倉に与えた影響とは?
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平家政権の崩壊後、日宋貿易は鎌倉幕府に引き継がれました。
結果、源実朝の試みは失敗に終わり、『吾妻鏡』でも無謀な夢であったように描かれています。
しかし、目の付け所は全く間違っていなかったのでした。
実朝の頓挫した計画は、北条泰時により実現しているのです。
思えば日本史は、外交面において“うたた寝”するような状況と、そこを叩き起こされて改革に向かう時代が繰り返されてきたように見えます。
幕末のように激しいときがあれば、何もない時代もある。
平安時代半ばは、ちょうど眠たい時代だったんですね。
だからこそ対馬や壱岐が襲われ、さらには博多にまでやってきた【刀威の入寇】のような襲撃事件にしても、中央の反応は鈍かったのでしょう。
北宋というよりも、薄れゆく長い唐の幻の中にいたようにすら思えます。
北宋から南宋への激動を嗅ぎつけ、己の権力強化に利用した平清盛は、その点が優れていました。
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日本の都市の中で、宋の影響が最も強いのはどこか、想像がつきますか?
実は鎌倉と言えます。
現在でも海岸からは磁器のかけらが見つかります。鎌倉を見守る大仏は、宋銭と金属の成分比率が類似していることから、宋銭を溶かして作られたという説もあります。
そんな鎌倉幕府も、元朝相手には外交ミスをしてしまいます。
交易を求めた使者を何度も追い返した上に、ついには斬り捨てたことを契機にした【元寇】が起きてしまうのです。
侵攻を回避した勇気ある戦い――というより、外交ミスにより幕府崩壊へ繋がる契機となった――と見なしたほうが適切かもしれません。
戦国時代に終わりをもたらした豊臣秀吉は、無謀な【朝鮮出兵】により、政権の寿命を縮めました。
外交においてもっと慎重ならば、避けられた痛恨のミスといえるのかもしれません。
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そして幕末です。西洋列強からの脅威にうまく対処できなかった結果、江戸幕府は終焉を迎えたとされます。
実際には【維新志士】がイギリスに取り込まれてしまい、その意向による明治政府が成立したのでした。
★
今年の大河ドラマ『光る君へ』では、宋代の品々や文化を「唐のもの」と語り、愛でている様が見られます。
ずらりと並ぶ美しい磁器。
越前から取り寄せたという鏡。
カッと体が熱くなる珍しい酒。
あざやかな化粧品。
素晴らしくよく効く薬。
そしてこれからは朱仁聡と周明も登場し、まひろに大きな刺激を与えることでしょう。
それほどまでに、海を超えた場所に大きなビジネスチャンスや改革につながる力があるにもかかわらず、なぜ、平安京の貴族たちは反応が鈍かったのか?
その先に、政権を奪っていった平清盛の影を見出すことも、歴史を楽しむということなのかもしれません。
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文:小檜山青
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