平安貴族の結婚

画像はイメージです(源氏物語絵巻/wikipediaより引用)

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

平安貴族が結婚に至るまでの不思議な手順~文を書き夜を共に過ごして三日通う

大河ドラマ『光る君へ』の第12回放送で、藤原道長源倫子へ婿入りを果たしました。

二人が結ばれるシーンをご覧になり、皆さまはどんな感想を抱いたでしょう。

「あれ? 婿入り?」と思われた方もいれば、「結婚式など、儀式の前に夜を共に過ごしちゃっていいの?」と心配された方もいるかもしれません。

なんせ当時の結婚事情は、現代人の想像する婿入りとは異なり、かつ他の文化圏とも異なる、かなり不思議な形態となっています。

いったい当時の平安貴族はどう結婚していたのか。

史実や『源氏物語』と比較しながら振り返ってみましょう。

 


藤原道長、源倫子に婿入りする

『光る君へ』における藤原道長と源倫子の結婚過程をおさらいしましょう。

摂政・藤原兼家の三男である道長は、左大臣・源雅信の一の姫である倫子との結婚を希望します

このとき道長は倫子に直接【懸想文】を送ることはせず、兼家経由で雅信に伝えます

雅信はいったん倫子の気持ちを確認すると保留

倫子は打毱見学のとき道長を見かけて恋をしていたため、この縁談を引き受けたいと父に伝え、母・穆子も賛同しました

そのあと道長が倫子のもとを訪れ、二人は同衾します

スムーズな流れのようで、当時の慣習ベースで考えればこの婚姻は成立しなかった可能性も考えられます。

そもそも打毱という珍しい機会があってこそ、倫子は道長に恋をしました。

父の雅信は倫子を目の中に入れても痛くないほど可愛がっている。倫子がそんな父に道長と結ばれたいと訴えたからこそ縁談は進みます。

しかし、道長が左大臣邸を訪れた際、母の穆子は「文も来ていない」と漏らしました。もしも彼女が「文もなしに来るとはけしからん」と却下し、道長が部屋に入ることを拒否したら成立しなかったでしょう。

倫子の意思。

雅信の娘への愛と甘さ。

穆子の判断力。

どれが欠けても成立しない過程といえます。

この夫婦は後に道長が頂点に立つことから、運命的なビッグカップル成立のように思えますが、結婚当初は互いに完全無欠とも言い切れない要素がありました。

道長は三男であり、兄に藤原道隆藤原道兼がいる。彼らが長生きしていれば、道長の栄光はなかったかもしれない。

倫子も、入内させるべく大事に育てられながら、花山天皇は避けた結果、一条天皇の相手には年上過ぎてしまった。

そうした情勢を踏まえると、倫子はそろそろ婿を求めねばならないタイムリミットだったのです。

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では史実においては、どんな経過を持って結婚に至るのか、見てみましょう。

 


三日間通って餅を食べる

現代人からすれば、同衾した時点で結婚成立のように見えます。

しかし、当時はそうではない。

ドラマでは描かれなかった、その後の結婚に至るまでのプロセスを史実から辿ってみましょう。

◆後朝(きぬぎぬ)の文

枕を交わしたあと、相手から【後朝(きぬぎぬ)】の文が届きます。

【懸想文】はなかったものの、もしも後朝まで出していなかったら、ちょっとした騒ぎになることでしょう。

関係を持ちながらこの文が届かないとなると、弄ばれて捨てられたという意味になる。

そんなことをすれば道長は大層怒られるでしょうから、いそいそと書いて、百舌彦が届けたはず。

◆三日夜(みかよ)の餅

倫子と一夜を過ごしたあと、道長は世が明ける前に、誰にも見つからぬようそっと出て行ったはず。

仮に見つかったにせよ、周囲は見てみぬふりをします。

二日目も同じようにします。

そして三日目、二人の枕元にお膳が置かれます。きれいな食器に特別な餅が置かれ、これを食べて正式な結婚が成立するのです。

餅の準備は、新婦側の母親が行うものとされるため、藤原穆子が張り切って準備をしたことでしょう。

藤原穆子
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特別な餅として美しく飾られ、婚礼を盛り上げます。

この三日間通うというところが重要です。

それまで通っていた男君が、三日間やってこなかった。それ以来、訪れが稀になってしまった……こんな事態が起きたらば、嫡妻レースからの敗北だと悟ることにもなる。

藤原兼家の妾(しょう)であった藤原寧子藤原道綱母)の『蜻蛉日記』には、そんな敗者の嘆きが記されています。

ドラマをより楽しむために一読おすすめです(→amazon)。

まひろ(紫式部)もこの日記を読んだとされ、『源氏物語』では、光源氏の息子である夕霧が失敗しています。

親友である柏木の妻であった落葉の宮を訪れたものの、肌を重ねなかった夕霧。二日目は訪れませんでした。

しかし、そのことは周囲には伝わっておらず、落葉の宮の母である一条御息所は、娘が捨てられたのかと絶望し、ショックのあまり亡くなってしまうのでした。

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