藤原忯子の亡骸に抱きつくことすらできず、遺品を手にしてその死を悼む花山天皇。
あまりに儚い愛でした。
その頃まひろは月を見ながら考えています。
私は道長様から遠ざからねばならない。そのためには何かをしなければ――これが本作のテーマでもあるのでしょう。
新たに発表されたビジュアルは、まひろと道長が隣り合いながらも視線が合わない「二人」。
そしてまひろが熱心に書きつける「書」です。
愛がなければ女の人生は意味がないのか?
そんなことはない、書くこと、創造がある!
そう突きつけてくるようなドラマです。
忯子は愛を得たけれど、それだけだったとも言える。生きて書くことのできるまひろとは違います。
紫式部を「壁サーの神、最強の同人女」と解釈する見方も今はあるとか。確かにそうかもしれませんね。
人を殺めることの是非
貴族たちの邸宅に潜入し、盗みを働いた盗賊団は、野原に衣服を置き、民衆たちに分け与えます。
「お天道様のお恵みだ!」
喜ぶ民衆。
金目のものや食糧ではなく、なぜ衣服なのか?と思われるかもしれません。
当時の盗賊はそれが定番。服を盗まれて全裸で怯えていた女房の記録も残されています。
屋内ならばまだしも、屋外で脱がされると季節によっては凍死の危険性すらあった。小判を盗む鼠小僧より、ずっと原始的な時代なのです。
宿直(とのい)の道長は、じっと考え込んでいます。
同僚の宗近が声をかけると、人を射たことが初めてだったそうで。
これまで猪や鳥は射た、狩りは幾度も行った、けれども人となると……そう困惑する道長に、宗近は盗賊は猪や鳥より下だと言い切ります。
その道長に、射られた直秀は矢傷の手入れをしています。熱が出てきたようです。
毒矢かどうか心配されていますが、貴族は用いないとのこと。実践的な由来よりも、神話や精神的な制約があるのでしょう。
この殺傷に対する精神的葛藤があればこそ、道長もいろいろ悩んでいます。心が繊細に描かれたドラマです。
和弓の特徴も影響しているのでしょう。
同じ日本でも、かつての蝦夷地こと北海道のみ【トリカブト毒文化圏】に含まれます。
アイヌのトリカブト毒矢は興味深く、もしもご興味のある方は映画『ゴールデンカムイ』をご覧ください。
※以下はゴールデンカムイの関連記事となります
-

『ゴールデンカムイ』アシㇼパが使うアイヌの弓矢は本当に羆を倒せるほど強力?
続きを見る
-

実写版映画『ゴールデンカムイ』レビュー!原作ファンが見る価値あり
続きを見る
おかしきことこそ――まひろは考えています。
代筆屋の絵師もそんなことを言っていたっけ。そして直秀も。
おかしきものにこそ魂が宿る。下々の者は笑って忘れたいものがある。そう考えを巡らせています。
まひろは考えることで忘れたいのです。
祟りが怖いか? そりゃ怖い!
藤原兼家が、安倍晴明と向かい合っています。
詫びることはないのか?と問い詰める。
(藤原忯子の)腹の子だけを殺せばいいのに、女御までオーバーキルしてしまったことにクレームを入れているようでして。
いや、腹の子が流れたら母体にも悪影響が出るでしょうよ!
しかし晴明は、むしろ逆手にとってくる。
腹の子が死ねば皇子は生まれない。そして女御が死ねば失意のあまり政治が乱れる。あるいは別の女にうつつを抜かす。
右大臣にとっては吉、この国にとっても吉兆ではないかと言うのです。
「長い言い訳じゃのう」
怯えを隠す兼家に対し、いずれお分かりになると、不穏な表情の晴明。私を侮れば右大臣一族とて危ういとまで言い切りました。
安倍晴明には彼なりの政治を為すという意識があるのです。
何もかも見通すような晴明に、もったいぶっていると言われ、戸惑う兼家です。
そこへ藤原道長が帰ってきました。兼家はホッとしたようにいたわり、盗賊と渡り合ったことを褒めます。
「されど人を殺めるなよ」
道長に念押ししながら晴明に聞かせるように、人の命をあやつり奪うのは卑き者の仕業であると圧力をかける兼家。
立ち上がり、出て行こうとする晴明に向かい、道長が父の非礼を詫びると、しれっとこう返します。
「道長様、私はお父上とのこういうやりとりが、楽しくてならないのです……」
顔がひきつる道長。微笑む晴明。そして見送りを断ると、その場を去って行くのでした。
この晴明はおもしろい。
妖怪と戦うというよりも、心理戦の達人、揺さぶりの名人です。
晴明からすれば、妊婦が亡くなるくらい想定内といえるかもしれない。どんな呪詛をしたのかわかるのは晴明だけですから。
けれども兼家は怯えている。その怯えにつけ込み、裏の裏をかき、操ることは確かに楽しい。
相手は祟りが怖いから手出しもできない。そりゃあ楽しいでしょうね。
そうはいっても、自分は呪われても跳ね除けるという精神の頑健さが必須ですが。
精神の強弱が今回のテーマかもしれません。
臆病な兼家
安倍晴明から暗に脅された藤原兼家はどう感じていたのか。
藤原寧子の隣で就寝中ですが、この時点で兼家は甘ったれモードかもしれない。
当時の寧子は『蜻蛉日記』の筆を置いて十年以上が経過していました。
もう愛欲もない。ドライでサバサバした人生を送っています。
兼家は当然のことながら若い妾もいるけれど、敢えてここは慣れ親しんだ寧子で! ってのは、これはもう完全に甘えでしょうよ。
「寧子、寧子、寧子ぉ!」
叫んで起きる兼家がもう、駄目だ。パニック状態に陥り、寧子に怯えを打ち明けます。
恐ろしい夢を見たのだとか。院にも帝にも女御にも呪われていると慌てています。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
と慰める寧子。怖いと怯える兼家。
寧子は大丈夫と言いながら、合間に息子である藤原道綱のことを挟みます。
怖い夢と道綱に何の関係があるのか?と兼家がキョトンとしていると、飄々と答える。
「よいではございませぬか、殿のお子ですよ、道綱も」
はい、何の関係もありませんねー。うろたえている相手につけ込み、我が子を頼み込んでいるだけです。
兼家の怯えとそれをあしらう寧子がお見事。
彼女は若い頃、悶々としていた時よりも、今が一番楽しいのかもしれませんよ。なんという勝ち組女性でしょうか。
自分を散々弄んだクズ男が「ぴえん」しながら甘えてくる。耐え忍んだ甲斐がありますね。
狐に福を頼み込む猿ども
まひろは生き生きとした顔で散楽にやってきます。
直秀の傷に気づくものの、相手は「猿だって木から落ちるんだ」とそっけない。
まひろは笑える話を考えてきたと言い出します。誰も頼んでいねえと言われてもお構いなし。
さて、その話は?
狐に騙される猿の話です。
猿の顔をしている藤原一族が、神のふりをしている狐にすりよる様を描くというのです。
「福をくれ! 福をくれ!」
狐の周りをうろうろする猿を見て、面白がるという単純な話です。
狐に騙されて馬糞まで頭に乗せる猿を見れば、そりゃおかしくなりますよね。
これも漢籍を読みこなすまひろらしい話です。
「虎の威を借る狐」のように、漢籍は動物を用いたたとえ話が多いもの。
そして「狐」は安倍晴明だと読み解けるところもポイントです。
安倍晴明は、母が狐の「葛の葉」だいう伝説があります。
狐が人間に化ける説話は中国にもあり、それが日本に伝わったと考えられます。あまりに不可思議な存在ゆえに、そんな伝説が生まれたのでしょう。
ちなみに「化け狸」伝説は日本特有です。
ややこしいことに「狸」は中国では猫の古い呼び方で、タヌキは「狢」と書きます。

月岡芳年『新形三十六怪撰』「葛の葉きつね童子にわかるるの図」/wikipediaより引用
義懐の孤軍奮闘、花山天皇の嘆き
藤原義懐(よしちか)が張り切りながら政務をこなしています。
実態は、やる気をなくした花山天皇に代わり、自分のやり口を押し出すだけですね。
陣定めに行って参ると退出し、藤原為時に任せる義懐。
花山天皇は為時に足をさすれと命じてきます。
畏れ多いと戸惑う為時に向かって「朕が許す」と花山天皇。それでも躊躇していると「義懐が嫌いだろう?」と花山天皇が言い始めます。
為時があわてて否定するも、任せきりはよろしくないとポツリ。
花山天皇にしてみれば、もはや義懐と為時以外は信じられない状況です。
他の者は皆、右大臣に繋がっていて信用できない。自身が追い出されれば、右大臣の孫が即位する。忯子の死だって関与しているのかもしれない。
そう嘆く花山天皇に「東宮はまだ幼い」と為時は返します。その上で右大臣は義懐よりも政治を理解しているというのです。
花山天皇はうんざりしたように、やはり義懐は嫌いなのか?と力を落とすしかない。
義懐は、仕事はできても、人身掌握が苦手なようです。そういう意味では為時もそうでしょう。
前回、義懐は藤原斉信と藤原公任らの若手たちを酒宴でもてなしていました。
しかし貴公子たちは、自分の胸の内を打ち明けたかった。酒と女ではそれが足りません。
高階貴子はそうしたことを配慮して、夫の藤原道隆に「漢詩の会」を提案したのでしょう。
何か表現することで胸のつかえがすっきりする。ましてや清原元輔が掲げたお題は「酒」ときた。
書くこととは精神にとっての酒、解放することなのでしょう。
そうした状況と比較すると、義懐はどうしても人身掌握が拙い。
ちなみにこうした対比は『鎌倉殿の13人』でも見られました。
素朴な坂東武者は京都からきた大江広元たちを素朴な酒宴でもてなすものの、広元は目が笑っていません。自分の心や実力を発揮できなければ、心が濁る人もこの世界にはいるのです。
「ああ、忯子に会いたいな……」
寂しそうに呟く花山天皇には、確かに愛があったのでしょう。
そうはいっても天皇となればただの愛では終わりません。忯子に皇后の称号を贈るかどうかの是非を巡り、公卿たちが話しています。
皆「前例がない」だのなんだの言い出し、賛同されず。
義懐は孤立しながら、忯子の父である藤原為光に頼ろうとするも、意見は下位から述べるとそっけなく躱されるだけ。
しかし兼家だけが「先例が見つかればよろしい」と返すのでした。
ともかくしつこい実資のぼやき
ロバート秋山さん演じる藤原実資が登場します。
先週、見かけなかっただけで実資ロスに陥ったので、うれしい限り。
その実資は、帝がいよいよおかしくなったと憤っております。なんでも義懐の出世が早いのだとか。去年は蔵人頭なのに追い越されてしまった。
愛妻の桐子は、夫の愚痴が鬱陶しい様子。どうやら毎日嘆いているそうで、確かにそれを聞かされ続けるのは辛いところですが、それでも実資は止まらない。
参議の枠はいっぱいだったのに、帝が無理矢理増やした。誰も除目で異を唱えないとはどういうことだ。
右大臣もおかしい! 右大臣は嫌いだけどきっぱりと筋を通すのに今回はどうしたのか。
そうぶちまけていると「私に言わずに日記に書け」と桐子がこぼしています。
くだらなすぎて日記には書かないと、さらにイライラする実資。
いや、こんな細やかな心情は、日記『小右記』に掲載だからこそ残っているんでしょう。そうこちらが突っ込むところまでセットになっています。
しかしこの桐子、中島亜梨沙さんが演じる美人妻なれど、そこまで癒されないのは受け止めないからではないでしょうか。
その点、我が子を頼みたいという自己主張をゴリ押ししつつも、やんわりと受け止めて「おーよしよしよし」とできた寧子は達人に思えてきます。
寧子の前では、兼家がまるで雷に怯える柴犬状態でしたもんね。
もちろん兼家と実資の性格の違いもありますけどね。実資は非常にしつこい。いつもくどい。
-

道長にも物言える貴族・藤原実資『小右記』著者は史実でも異色の存在?
続きを見る
そしてこの日記も重要です。
当時の貴族は、彼らがこだわる前例を残すために日記をつけます。
これがどれほど重要か。
当時の坂東あたりは記録が残っていなくて何が何やらはっきりしないことが多いのに、京都は日記のお陰で色々なことが生々しく伝わっているのです。
実資はそんな日記筆者の代表格です。
道隆は道兼を受け止める
さて、こちらも心理戦の達人――藤原道隆が弟の藤原道兼と語り合っています。
道兼が義懐の出世スピードに苛立っている。しかし道隆は、いずれ父上の世がくるから心配していない、それは私たちの世だと余裕をもっています。
道兼はそれは認めつつも、納得できません。
そんな道兼に対し、道隆は、父上に無理をされていないか、お前は気が回る、そのぶん父上にいいように使われてしまうのでは?と気遣っています。
「わしはわかっておるゆえ、お前をおいてはゆかぬ」
泣き崩れる道兼……なんと寂しい男なのか。
すると道隆の愛妻・高階貴子の姿がチラリとみえ、夫と目線を交わすと、静かにその場を去ってゆきます。道隆は一人ではなく、妻からも心理戦を学んだのでしょう。
-

なぜ藤原道隆は伊周へ権力を移譲できなかったのか?中関白家の迷走
続きを見る
-

伊周や定子の母・高階貴子|没落する中関白家でどんな生涯を送ったのか
続きを見る
そして道兼は、妻はいても心が開けていないのでしょう。
だから兄夫妻に籠絡されてしまう。
今年の大河ドラマはオンオフの切り替えを意識しているとか。くつろいでいる時はそのリラックス感を出したいそうです。
道隆の井浦新さんのリラックス感は常に最高です。少し崩れた感が艶かしいほど。
「玉山(ぎょくざん)崩る」という言葉があります。
『世説新語』由来で、イケメンで有名だった嵆康(けいこう)が酔ってグラグラしていると、まるで貴石の山が崩れてくるような美しさがあったという言葉です。
道隆は、まさしくこの言葉を体現しています。美しい!
道兼も張り詰めていた緊張感がブツっと切れた。
第1話で憎々しかったあの道兼が、こんなにも弱々しく、哀れに見えるようになるとは……このドラマの玉置玲央さんはいつでも魅力全開です。
-

藤原道兼は実際どんな人物だった?兼家・道隆・道長に囲まれた七日関白
続きを見る
貴公子たち、打毱を企画する
F4たちが投壺(とうこ)をしています。
壺に矢を投げる中国由来のゲームで、韓国でも人気があり「トゥホ」ゲームセットが輸入販売されているほど。
藤原斉信は、妹・藤原忯子の入内を悔やんでいました。
なんでも藤原義懐がしつこいから根負けしたとかで、あの時止めておけばあんな若さで死ぬことはなかった――なんて言ってはいますが、それはどうなのよ。妹に出世したいと頼み込んでいたくせに。
そんな斉信に対し、藤原公任が「身罷られる前に出世させてもらえばよかったのに」と毒舌をチクリ。
斉信を傷つけたわかったのか「すまぬ」と謝ります。
藤原道長は、入内が女の幸せではないと信じていると言います。姉・藤原詮子のぼやきを聞かされていたら、そうなるでしょう。
「左様でございますか」と優等生っぽく返すのは藤原行成。
彼は父が早くに亡くなり、出世レースから遅れていますから、流すしかありません。
しけた話ばかりしていても妹が浮かばれぬから、気晴らしに打鞠(だきゅう)でもやるか!と斉信が言い出すのでした。
襲われてしまう、不謹慎な散楽一座
藤原道長が、馬で街を歩いています。
百舌彦が気になっていたことを聞き出します。それはまひろに届けた文のこと。返事がないということは……そうおずおずと切り出します。
あちらの従者が渡していないかもしれないと、百舌彦は言います。実際そういうタイムラグや事故はありました。
『源氏物語』では、落葉の宮という女性が出てきます。光源氏の息子・夕霧が彼女に思いを寄せたのです。
彼女は親友である柏木の妻で、柏木は死ぬ間際にその面倒を夕霧に託していました。そんな彼女にどうにも惚れてしまうと。
この落葉の宮からの手紙を、夕霧の妻・雲居の雁が取り上げて隠してしまいました。
そのせいで返事が遅れたところ、もうこれきりだと焦った落葉の宮の母はショック死してしまうのでした。
それぐらい当時の恋文の遅延は命懸けのうえ、従者がアクシデントでなくすこともあったのだから、なかなか恐ろしいものです。現代人の既読スルーどころじゃない破壊力かもしれない。
それをおずおずと切り出した百舌彦はどれほど緊張していたことか。
道長は、あっさり「振られた」と認めます。右大臣家の若君をふるなんてどんな相手かと驚く百舌彦。
すると何やら不穏な気配が……武者たちがドカドカとどこかへ!
なんでも藤原をおちょくる不埒な散楽を懲らしめることにしたとか。
東三条殿を愚弄するなと散楽を殴りかかる武者たち。まひろも巻き込まれそうになります。
そこに道長が入り込み、乱闘を止めようとします。検非違使に気付き、散らばる者たち。気絶した乙丸は気掛かりなものの、道長に連れられてまひろは逃れるのでした。
さて、人気のないところにいくとまひろは謝ります。
「みんなに笑って欲しかっただけなの。私は考えたの……」
そう素直なまひろ。笑わせようと思ってここまで火力が高い話を考えてしまうとは。もしかしたらこの件は、祟りに怯えている兼家が怒り狂ったためでは?ということも想像できますね。
道長はけろりと、俺たちを笑いものにする散楽なら見たかったと言います。
いい雰囲気になった……と思ったら、そこへ乙丸と直秀がやってきました。
置き去りにされた恨み言を言う乙丸。謝り、一礼して、去っていくまひろです。
直秀が従者は無事だと告げると、道長が警護が乱暴だったことを詫びます。そしてこうきた。
「お前たちの一族は下の下……」
「まったくだ」
冷静に認める道長です。
為時、間者を辞める
藤原兼家がペットの鶏に餌をあげています。そして藤原為時から帝の様子を聞き出している。
気持ちが弱っている。今日一日伏せっていたと告げる為時。
さらに様子を聞こうとする兼家に対して、為時は詫びながら「もうこれで終わりにして欲しい」と嘆願します。
兼家は意外そうに振り向く。
右大臣の恩義は生涯忘れぬとしながら、このお役目は許して欲しいとのこと。帝の信頼を得ているのに、こんなことはできない。もう許して欲しい。
切々と訴える為時に対し、そんなに辛いとは知らなかったと、兼家はあっさり認めます。
為時が帰宅すると、いとが迎えます。そこには藤原宣孝とまひろがいました。
為時は重荷をおろしたような晴れやかさで、間者を辞めたと告げます。
兼家にねぎらわれながらあっさり認めて貰ったと説明すると、宣孝が怪訝な顔をします。
一度つかんだものをそう簡単に離すものか?
まひろはホッとしています。ようやく正しいことをする父に戻ったと安堵しているのでしょう。
しかし宣孝は「黙れ」といい、次の東宮が即位したら右大臣の世になるのに、東三条から離れてどうするのかと訴える。
それでも父は正しいとまひろは言う。
いとも「もう昔のような苦しい暮らしは嫌だ」として、くどくど訴えてきます。
いくらなんでも、厚かましいようにも思えますが、この邸には妻もいないし、為時にとっては妻のような存在なのかもしれません。
-

藤原宣孝は妻の紫式部とどんな関係を築いていたか|大弐三位は実の娘?
続きを見る
打毱を見ましょう
源倫子の姫君サロンでは、打毱の話題で盛り上がっていました。
誘われたと笑い合う姫君たち。ちょっとまひろを憐れむように、誘われているのか?と聞いています。
誘われたけれど、行かないと返すまひろ。
「どうして? 行きましょう!」
若い殿方を間近に見る。胸が高鳴る機会なんだとかで、姫たちははしゃいでおります。
「参りましょう! 参りましょう! 参りましょう!」
あまりにもテンション高くはしゃいでいるせいか、そこへやってきた赤染衛門が「うるさい、はしたないことこの上ない」と苛立っています。
しかし倫子はいつものマイペースで、赤染衛門にも行きましょうと微笑む。
うふふふ、うふふ。そう笑いあい、すっかり楽しみにしている姫たちです。
なんでしょうか、この陽キャの祭りは。まひろは辛いかもしれませんね。
そして打毱当日、藤原公任がいらだっています。
藤原行成が遅い――と思ったら、にわかの腹痛で欠席したいと従者の知らせが来ました。
姫君サロンが観客席に向かうと、あの陽キャ女王のききょう(清少納言)も案の定います。
なんでも斉信から「是非に」と招かれたとか。そんなマウンティングにも聞こえる言葉にも、源倫子は余裕の笑みで受け止めています。
それにしても、斉信はどれだけアプローチが熱心なのですか。
赤染衛門は、清原元輔殿の娘と出会えたことを喜んでいます。それだけでなく、あの歌人の娘はどれほどなのかと見定めているように思えます。
-

倫子や彰子の指南役・赤染衛門|紫式部とはどんな関係だった?
続きを見る
行成が欠席となり、三人でどうすべきか。
貴公子たちがそう悩んでいたところで、道長が突如「最近見つかった弟がいる!」と言いました。
もしもこの会話を藤原寧子が聞いていたら「道綱をぜひ!」とでも訴えていそうですが、そうではない。藤原道綱は道長の兄ですもんね。
来るか来ないか、迷っていたまひろは遅れてやってきました。「漢詩の会」といい、今回といい、一人だけ地味な服装です。
太鼓が鳴らされ、競技開始です。
「いんじゃん!」
掛け声が入り、打毬の説明がナレーションで解説されます。
なんでも紀元前6世紀、ペルシャが発祥とされる競技であり、イギリスのポロよりも何百年も早いとか。
起源は諸説あるようですが、日本の場合は唐由来とされます。
『三国志』の時代、地球は寒冷化していました。
寒さに追われるようにして中国北部へ騎馬民族が入り込んできて、文化を変えていった時代。
魏晋南北朝という長い乱世を経て、中国には北から訪れた異文化が根付きました。
そんな騎馬民族の風習を感じさせる競技です。
-

極寒の三国志~天災が後漢を滅亡へ追い込む~そのとき曹操が詠んだ詩とは?
続きを見る
道長が呼んだ代役は、なんと直秀でした。
まひろは倫子の猫・小麻呂を撫でながら、競技を見ています。
打毱は馬に乗り、片手で手綱を持ち、もう片方で杖を持ちながら、馬を走らせなければならない大変なものです。
小道具やロケも大変でしょう。ストーリーの中に「打毱を出す」と決めたことがどれだけ大変だったことか。
このドラマには、その効果が十分にあります。
カメラも良いものを使っていて、ともかく圧巻の美しさと爽快感があります。見ていてよかった。
リーダーシップのある藤原公任の策の通り、よい勝負になったとのこと。
「漢詩の会」で貞観の治を持ちだすあたり、公任は揺るぎない自信と上に立つ者の自覚があるようです。カリスマのある、天性の仕切り屋ですね。
雨が降り、逃げ出してしまった小麻呂を、まひろが探しに行くのでした。
平安の「ロッカールームトーク」
小麻呂を探していたまひろは、選手のロッカールーム裏に入り込んでしまいます。
中で誰がどんな話をしているか。
立ち聞きができる場所であり、急遽参加した直秀が杖の振り方を褒められていると、話は観客の姫たちのことへ。
藤原斉信は「漢詩の会」で見かけたききょうを呼び出していました。しかしそれだけではまずいので、為時の娘=まひろも一応呼んだそうです。
「あれは地味でつまらん」
そう切り捨てる藤原公任。斉信もあれじゃないとあっさり続きます。
斉信は倫子を狙っていたのではないか?と公任が聞くと、実物を見たらもっさりしていて好みでないと答える斉信。
今はともかく、ききょう!
そう断言します。
公任は、付き合う女は為時の娘みたいな邪魔にならんのがいいという。身分が低いならば遊び相手になると、公任と斉信はここで意見が一致しました。
「大事なのは恋とか愛とかじゃない」とキッパリ。
いいところの姫の婿となって、娘を産ませ、入内させることこそ家の繁栄。女こそ家柄。
そうしておいて、あとは好いた女子に通えばよいとのことです。公任は、そもそもききょうは人妻と言います。
「そうなの?」
「知らなかったのかよ!」
そう言い合う斉信と公任の、なんてゲスなことよ……。
これぞ平安ロッカールームトーク――なんて地獄みがあるのだ!
「ロッカールームトーク」は、トランプの発言で有名になりました。
「男の子同士が、更衣室で、やらかすような話で、深い意味ないヨ〜^ ^」
こういう話ですが、そんな言い訳は通じませんよ。
◆ トランプ、性的発言を「更衣室トーク」→スポーツ界で炎上加速(→link)
結局、あの打毱も、この下劣トークの前振りかと思うとおそろしいものを感じさせます。
しかも、ちゃんと当時の価値観を反映させながら、その上で、当事者は胸が傷ついてズタズタになったことを描いてくる。これぞ匠の技でしょう。
千年前のことがギューンと迫ってきて現代人の胸も抉る。
そんな瞬間がこのドラマにはいくつもあって、しかもそれは『源氏物語』と通じることでもある。なんて贅沢な時間なのでしょうか。
そうそう、斉信のストーキングのせいで、ききょうは元夫と絶縁するんですよね。
斉信はききょうの元夫・橘則光に「お前の妻はどこだ?」としつこく問いかけます。
すると則光は嘘をついてはぐらかすうちに、苦しくなってきてその場にあったワカメを掴んで口に入れてしまう。
斉信は、さすがに「なにこいつ?」となったのか、退散!
それでもしつこい斉信がまたきた時、則光は妻に「どうしよう」と手紙を送ります。
「ワカメの時と同じにして!」
そう意味を込めてワカメを送るも、通じず……「なんでワカメを送ってくるの?」と返ってくる始末。
ヤバいな。こんな鈍感男だから別れたんだった、やってられん!ということで絶縁してしまったんだとか。
元夫婦をぶち壊す斉信の迷惑ぶりがどこまで描かれるのか、今後も注目ですね。
しかし、ききょうと違い、真面目なまひろは心にこのやりとりが突き刺さりました。
ついでに呼ばれただけ!
地味。つまらん。身分は低いから遊んでもいいかな。結局、女は家柄だ――そんな本音を聞かされてどうしろというのか?
雨の中を駆け抜けるまひろ。
小麻呂はどこかで保護されたことを願いましょう。
家に戻ったまひろは、道長の文に火をつけ、焼き捨ててしまいます。
一方、道長は直秀の腕に矢傷があることに気づいてしまいます。直秀の正体を悟ってしまったようです。
MVP:藤原斉信&藤原公任
前回の予告で、藤原公任の脱ぐ姿が映った時、これぞ女性向け大河だと言わんばかりの反応がありました。
しかし、そんな脱ぐ公任を見て、まだときめいていられるかどうか。
ゲストークが全力で炸裂ではないですか。
相対的に素朴な『鎌倉殿の13人』坂東武者がマシに思える日がくるなんて……。
ただ、このゲスさは前振りだと思いたい。
やんちゃで元気、冒険が好きな藤原斉信は、ききょうみたいな暴れ馬を乗りこなしてみたいと気になってしまう。
低い身分だしあしらおうと思ったら、気がつけばききょうにいいようにあしらわれてしまう。
そんな金田哲さんが見られることでしょう。
公任はプライドが高く、賢く、自分が全てをコントロールできると思っている自信家です。
こういう男が何かに挫折しバタッと倒れる姿は、さぞや素晴らしいことでしょう。
そういう転落を楽しむ気持ちまで込めて、この貴公子を組み立てている本作製作者の匠の技を感じます。
町田啓太さんはもうすでにワールドワイドの美形としてチェックされているようですし、ますます磨きをかけてください!
-

藤原公任はモテモテの貴公子だった?道長のライバルが歩んだ道
続きを見る
海を越える熱気がある
こんなニュースがありました。
◆大赤字、続編未定…「VIVANT」が海外で大コケの理由 「幽☆遊☆白書」に“惨敗”で戦略練り直しか(→link)
日本でヒットしても、所詮はガラパゴス戦術だったのか……と興味深く読みました。
それと同時に、今はもう世界進出といえば欧米だけでなく、アジア含めた世界が計測されるのだと。
この点でいけば今年の大河ドラマ『光る君へ』は、とてつもなく高い可能性があるようです。
既に町田啓太さんは、中国語圏のファンからロックオンされています。
「日本からえらい時代劇美男が出てきたな!」と注目を集めているようなのです。
中国語圏の大河ドラマや日本史ファンは『信長の野望』といったコーエーテクモゲームス由来の層が厚かった。
生粋の『源氏物語』ファンもいるとはいえ、少数派でした。
そのためか今年は「戦もないから様子見か」という反応だったのですが、為時やまひろが『史記』を引用するものだから「お?」と興味を持ち始めた。
そして前回の「漢詩の会」で盛り上がったようです。
「貴公子たち、こんなに漢詩が好きなんだ!」
行成の筆の持ち方が素敵。
漢詩チョイスがいい。
公任の漢詩は自作なんだ。
白居易が好きなのだな!
と前のめりになりつつ、ざわついています。
今回の投壺や打毱で、さらに盛り上がることでしょう。
今年の大河は、しっかりとアジアの熱気を掴みにいく、したたかさ、賢さがあり、緻密な作りをしています。
日本留学している方が緻密な考察をしていることもあり、こちらも身が引き締まります。
今年の大河は海外からも熱い目線が送られています。視聴率では見えてこない大きな反応を感じます。
素晴らしい兆候でしょう。
海を超えて時代劇と自国文化を語り合えるなんてどれだけ素敵なことか。先祖帰りでもある。
東洋は隣国同士で比較してきた長い歴史があります。
今年の大河ドラマは、とてつもない挑戦をしているのではないかと、毎回毎回噛み締めています。
三鏡の教え
藤原公任も大好きであろう『貞観政要』から。
太宗、嘗て侍臣に謂(い)いて曰く、
夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。
古を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し。
人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。
朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過を防ぐ。
太宗が家臣に言った。
「銅を鏡とすれば、身だしなみを整えられる。
歴史を鏡とすれば、天下興亡がわかる。
人を鏡とすれば、長所短所がわかるのだ。
私は常に三つの鏡で、身を正し、過ちを防ぐこととする」
『貞観政要』
先ほど、海外の反応に触れましたが、今や地上波だけの時代ではりません。
VOD、配信、海外の目線を鏡とすることも重要です。
それが欠落した悪い例があります。まずはこちら。
◆アラサー女子がモヤる…「不適切にもほどがある!」に見える"変われない自分を許してほしいおじさん"の甘え(→link)
クドカンさんのドラマが批判されています。
私はこの流れを見て思いました。既視感があるな、と。
『いだてん』でもジェンダー監修者をつけた方がよいと私は批判しました。
当時のあのドラマは低い視聴率と反比例して、批判がなくなっていきましたが、それは危ういなと感じていました。
批判が目立つようになったのは、ドラマが終了して何年か経過してからのことです。
クドカンさんにとっては良くないことでしょう。
過ちを改めにくくなり、誤魔化してばかりいる人間はどんな階層にいるか?――それは社会的地位が高い男性ほどそうなるという分析があります。
カリスマCEOあたりが危険なのですね。
クドカンさんとその周囲は、若い頃の挑戦的で斬新なイメージが強い。けれどもそのままでいられるわけもない。ファンが人として鏡になることを怠れば、どこかで躓きます。
もし、あのとき、大河ファンが鏡になっていれば、失敗は防げたのではないか。どうしてもそう思ってしまうのです。
絶賛よりも諫言が必要な局面もあるでしょう。
そしてこちら。
◆「どうする家康」&静岡・浜松市「ロケーションジャパン大賞」グランプリ!大河13年ぶり快挙 CPも感激(→link)
この大賞は「浜松まつり」が理由とされています。
しかし妄信的かつ組織的な票があることも推察され、昨年の評価は歪んでいるとしか言いようがありません。
歪んだ鏡に映った像を見てはしゃいでいるようでは、立ち直ることなど望めません。
そしてこのニュースですが。
◆『どうする家康』ロケ大賞グランプリ受賞 松本潤ら参加の「浜松まつり」には約260万人が参加(→link)
記事内容を一部引用させていただきますと、未だに「黒田 官兵衛」が登場させられています。
そして、豊臣 秀吉、黒田 官兵衛、真田 昌幸、石田 三成と次々と現れる強者(つわもの)たちと対峙し、死ぬか生きるか大ピンチをいくつも乗り越えるさまを映し出した。
いったい黒田 官兵衛は『どうする家康』のどこにどう出ていたというのか?
制作サイドから貰ったソースを大手メディアがそのまま垂れ流す。しかも古いデータを活用しているから、こんなことになってしまう。
これだけでも提灯記事の数々がいかに怪しいものなのか、理解できるはず。
今年の足を引っ張るような真似だけはして欲しくない。そう切に願います。
💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅
あわせて読みたい関連記事
-

紫式部は道長とどんな関係を築いていた?日記から見る素顔と生涯とは
続きを見る
-

藤原道長は出世の見込み薄い五男|なのになぜ最強の権力者になれたのか
続きを見る
-

藤原定子の生涯と辞世の句|最期まで一条天皇に愛され一族に翻弄され
続きを見る
-

藤原彰子は紫式部や一条天皇と共に父・道長を盤石にした功労者だった?
続きを見る
【参考】
光る君へ/公式サイト














