時は貞元2年(977年)――陰陽師・安倍晴明が星を占っています。
紫微垣(しびえん)の星が強い光を放っている。これは京都に凶事が起きるのではないか?
そう星を見つめながら、大雨の証だと呟く晴明。
星も月も輝いているのになぜ雨なのか? 彼には理解できている様子ですが。
下級貴族の家に生まれた少女まひろ
同じ空の下、一人の少女がいます。
彼女の額に一粒の水滴が落ち、いそいそと動き出す。雨漏りの備えのため、こんなに幼い少女も動かねばならない。
少女の名はまひろと言いました。
父である藤原為時が『蒙求』を読んでいます。まひろが熱心に父の漢籍を聞いている一方、太郎という弟は全く興味がないようで。「遊びながらでもよい」と父が言ったところで一切興味を示しません。
すると下女の一人が「暇(いとま)をもらう」と、母のちやはに告げてきました。年老いた親の面倒を見ると言われ、ちやはも聞き入れるしかありません。
まひろは、母のちやはに屋根を直す蓄えがない窮状を嘆いています。年が替わればうまくいくと返答されるものの、彼女は、母の衣がまた食べ物に変わったことを見ていた。
それでもちやはは、博識な学者である夫の前途を信じている。
母が琵琶を弾かなくなったことも指摘するまひろ。この少女は幼き身にして世の動きをジッと見つめ、読み解く才知がある。
後の紫式部です。
※以下は紫式部の生涯まとめ記事となります
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オープニングへ
そして第1回のオープニングが始まりました。
見ているだけで目が潤んでしまいそうな美しさがありますね。
まずロゴです。書道家・根本知さんの字であり、今年は書道にかなり気合が入る模様。
起筆からして美しくすっと入り、紫式部がどういう人物なのか?と考えながら書かれたようで、この書の時点からして素晴らしい。
初めてこのロゴを見た瞬間、胸のつかえが取れるような気持ちがしましたし、ドラマに対する期待値も上がりました。
オープニングも端正で、色合いが素晴らしい。
東洋の色彩特有の、自然や気候と合った美がある。重なってくるピアノの旋律は、美しいようで、遠雷が聞こえてくるような予感もある。
VFXで描かれる平安京は、鳥の目線でこの京都を見る喜びと申しましょうか。
本作は、時代劇として当たり前のことを、きっちりと真面目にこなす――そんな美しさがあります。
同時に紫式部の歌を思い出しました。
水鳥を 水のうへと やよそに見む われもうきたる 世を過ぐしつゝ
いかにも大河らしいオープニングだな、って思うでしょう?
退屈だとすら思っちゃうとか?
でも、この華やかな映像のためにスタッフは、水の下で脚を一生懸命動かして作ったんですよ!
第1回のサブタイトルは「約束の月」です。
大納言藤原兼家の家族
平安京では、出世争いが熾烈を極めておりました。
三条殿にいるのが、大納言藤原兼家。
嫡妻である時姫との間には、道隆、道兼、詮子、そして三郎(のちの道長)がいます。
兼家には別の妻との間にも子がおりましたが、当時は【双系制】であり、母の身分も重視されるため、そうした母の異なる子はしばらく出てこないようです。
「詮子」のことは「あきこ」と呼びましたので、本作は訓読みで進めるようですね。
兼家は、この詮子を天皇に入内させる気満々。
長男である藤原道隆は、そつなく父母に挨拶を述べます。
色白で、おっとりした顔立ちで、古典的な東洋美男ですね。井浦新さんの魅力を引き出してきています。
この道隆は妻である高階貴子との間に、姫が生まれていました。この孫を兼家は抱かせるように迫り、もう美しいと浮かれています。
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このころ大人気であった白居易『長恨歌』にはこうあります。
遂令天下父母心 遂に天下の父母の心をして
不重生男重生女 男を生むを重んぜず女を生むを重んぜしむ
男尊女卑の時代。
女児なんて嫁ぐし、その嫁入りにも金がかかるし、産むだけ損だ。
そう思われていたのに、玄宗の寵愛を受けた楊貴妃により、一族は出世してゆく。
父母は皆女児を欲しがるようになった。
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中国では「寵愛を受ける妃には注意しよう」と教訓にしましたが、日本ではむしろ当たり前、外戚政治の全盛期へ突入していきます。
ここで膳が運ばれてきました。後に出てくるまひろの家と比べると興味深いですね。
そんな晴れがましい席に三郎はおりません。
遅れてようやく姿を現すと、背ばかり伸びて、ろくに勉強もせず、遊び回っているということで叱られてしまいます。兄の藤原道兼が憎々しげに、天真爛漫な弟に毒付くのです。
道隆は詮子が入内するのだから、しっかりするようにと弟を嗜めるのでした。
藤原兼家は、安倍晴明が裏切ったと毒付いています。関白藤原頼忠の一の姫・藤原遵子の入内に先を越されたとのこと。それでも寵愛を受ければよいと、道隆は詮子にやんわりとプレッシャーをかける。
ずっとイライラしている道兼は「妻が欲しい」と父に訴えかけるも、話を流されてしまい、兄の道隆が選んでやると助け舟を出しても、さらに苛立ち「父に頼んでいる」と返します。
なかなか屈折していますね。
兄の道隆は、才女と名高い高階貴子と愛を交わして妻を迎えたのに、道兼はどうにもそれができないようで。
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当時は、恋愛の華やかな時代とされます。
しかし裏を返せば、モテないと厳しい時代とも言える。あまりにモテないため、拉致して暴行するような残念貴公子もいました。
道兼はこの時点で、何かやらしそうな気配があります。
時代劇が似合い、演技力が確か。そんな玉置玲央さんだからこそこなせる難役です。
貧乏貴族・藤原為時の悲哀
まひろの父・為時は五年間官職を得られずにいました。
次こそは任官!
そう思いつつ、貧しい生活を送っている。一体どうやって生計を立てているのか。粗末な夕餉が出てきます。
いいですね。
子どものころ、百人一首辞典を見て「この時代に生まれたくない……」としみじみ思わされた質素な食事。
そこへ藤原宣孝という、ちょっと軽薄そうな男が、酒を手にしてやってきます。
まひろの父・藤原為時の親戚だそうで。出てきた瞬間に、派手で、軽薄で、あまり上品でない、そんな人物像がピタッとはまっていて、佐々木蔵之介さんの魅力が存分に発揮されている。
ちやはは前祝いかと喜んで酒を受け取っています。
するとまひろが、今宵は誰のもとへ行ったのか?と尋ねる。
幼い子にそう言われ、苦笑してしまう宣孝。複数の女性のもとへ通っていることを、まひろはお見通しです。後の二人の関係を考えると、なかなか興味深いものがあります。
宣孝は為時に「大納言と話して式部省で働きたい」と言うようにせっついています。漢詩の会で売り込みをしろと尻を叩くのですが、不器用な為時はそういうことができないようです。
そのせいか、なまじ学があると誇り高い……と、からかわれてしまう。まひろの性格もこの父に似ているのでしょう。
宣孝は見る目があるんですかね? これからは大納言の家が力を持つから東三条に行け、推挙を頼めと念押しして去っていきました。行き先は女性のもとでしょう。
東三条の大納言邸では、管弦の音が響いています。
篝火がともり、音楽が聞こえてくる、美しい場面。
兼家のもとへ為時がやってきましたが、けんもほろろに追い返され、なんとか粘って書状だけは渡します。
この書状一つとっても憐れみを覚えてしまうと言いましょうか……上質な紙を使っています。当時の紙は高級品であり、為時にとっては安くない出費でしょう。
字も実に美しい。筆を寝かせずキリッと一画目に入る緊張感、流麗さが伝わってくる。
身なりが粗末な為時が、こんな綺麗な書状を提出してくる。精一杯がんばった証であり、書状ひとつで高い教養が感じられますね。
三郎は本音を引き出し まひろは真実を見抜く
藤原詮子が三郎と話しています。
帝の顔が好きになれるかどうか――そこが気になって眠れないとか。
三郎が「床入りしてだんだんと好きになるんじゃないか」と返すと、彼女は困惑しながら「そんなことを言ってはいけない」とたしなめます。
そもそもは詮子が言い出したことだとして「がんばれ」と素っ気なく対応する三郎に対し、「まるで父上や兄上のよう、三郎だからこんなことが言えるのだ」と姉が返答する。
まひろと三郎は、歳に似合わずませているというか、観察眼があるというか。いずれにせよ物事を見通す鋭さを持っているようです。
父や兄が聞いたら火がついたように怒ると詮子がこぼすと、三郎は怒ることが嫌いなのだとか。父上の子なのだから、元服すれば偉くなると姉が続けますが、為時のような努力家からすれば虚しい話だ。
兄が二人いるから出番は無いと開き直っている三郎は、突然「足で名前を書ける」と言い出しました。
そうして姉と弟でふざけていると、通りがかった藤原道兼が三郎を突き飛ばします。戸惑う詮子に向かって慣れていると返す三郎。
砂利にひっくり返るわ。当時は不衛生だわ。今より格段に危険な転倒です。道兼の精神性は、かなり危うい。
道兼が苛立ったのは、三郎がリア充のように思えたからかもしれません。
姉とはいえ異性とああも親しげに話す三郎は、俺と違ってモテる……そんな暗いものを感じさせます。ただ暴力的なだけならまだマシで、何か鬱屈している様子が不気味です。
ちやはは、まひろと太郎を連れて参拝へ。除目によりなんとか官職について欲しいと願っています。
しかし、その晩、父は帰らない。嫡妻であるちやは以外に妻がいて、そこへ向かっているのです。
まひろは、母が願掛けしているのに、なぜ父は今宵も家を空けるのかと問いかけます。実家が豊かではないからと答えるちやは。有力貴族であればコネも利用できるということでしょう。
大人になれば、父と母の気持ちがわかると語りかけますが、果たしてどうか。
世間のルールとしてそういうものだと理解できても、心の底から納得できるようにはならないのかもしれない。
『源氏物語』には他の女を愛する男を許せないヒロインが出てきます。女たちの嘆きを見ていた彼女が物語を通してそんな気持ちを書き残したのだとすれば、それは一種の奇跡なのでしょう。
馬を指して鹿と為す
貞元3年(978年)、正月の除目――清涼殿にて行われる人事です。
希望する官職と売り込み文が持ち込まれ、審議を経て、帝が承認して決まります。
藤原為時の自薦分も読まれました。
中納言になった家の出ながら今は無官で、幼い子二人を養い、食べさせるのも困難。式部省には学識不足の者もいる。大学主席の私のようなものこそが相応しい――。
と、これを聞いた円融天皇はムッとします。学識不足の者を登用しているということは、朕の審美眼に文句があるのか?というわけで、この年も任官は叶いませんでした。
為時はあまりに正直すぎる。嘘をつけないことが仇となっています。
そんな為時は、まひろに『史記』を読み聞かせています。弟の太郎と違って彼女は興味津々。
「お前が男子であったらよかったのになあ」
そうぼやきつつ、始皇帝の死後、二世皇帝胡亥を操った悪徳宦官・趙高の逸話を話します。
趙高は胡亥を軽んじるようになってゆきます。
あるとき、群臣の見ている前で、趙高が鹿を「馬でございます」と言い、皇帝に献上しました。
皇帝は笑って、これは鹿だと言います。
皇帝が周囲に同意を求めるものの、群臣は黙っています。
そしてある者が言いました
「馬です……」
それでも「鹿です」と答えたものは趙高に始末されてゆきます。
忖度するものの浅ましさ。我が身可愛さに嘘をつく愚かさが語られる逸話といえます。
円融天皇の寵愛を受けるのは誰か?
まひろは鳥の世話をしているうちに、餌がないと気づきます。
いっそ外に逃してやったらどうか?と母に問いかけると、一度人に飼われた鳥は外では生きていけない、最期まで面倒を見なくてはいけないと教えられます。
しかし、最後の使用人からも辞職を告げられ、いよいよ追い詰められてきた一家。
この年、藤原遵子が先んじて入内し、そのあと藤原詮子が入内しました。
兼家は、念願の右大臣へと出世します。
円融天皇と対面する詮子。
「お上のために命を奉る」と宣言すると、大仰なところが父親に似ていると円融天皇は返します。吉田羊さんの生真面目さが滲む端正な美貌を見れば、それも納得できます。
それにしても、円融天皇も複雑な気持ちでしょうね。何かと顔を突き合わせる家臣の娘が送り込まれてくるわけですから。
円融天皇は人格者だけれども、はじけた天皇なら嫌気がさして何かやらかすのでは。
さてこの夜、安倍晴明の館に落雷がありました。
入内した詮子は寵愛を受けたようです。
しかし藤原道隆は落雷の件が気になっていて、父に伝えると「慶事の折の雨風は吉だ」という噂を流せと言われました。
困惑する道隆に兼家は続けます。
「世の流れは己で作るのだ。頭を使え、肝を据えよ。そなたは我が嫡男ぞ」
いかにも曲者らしい笑顔を見せる兼家は、嘘をつくことに罪の意識がありません。
弟の藤原道兼は、矢を射ております。相変わらずイライラしていて、その様子を見ていた時姫が一休みしないか?と声をかけると、三郎もやってきました。
お菓子を食べる親子。
なんでも姉の詮子は天皇に大事にされていると、三郎に文を届けてきたとか。時姫は喜びながらも「娘なのに雲の上にいてさみしい」と本音を漏らします。
道兼が苛立つ理由も語られます。父と兄だけで話していて自分が呼ばれないのはなぜなのか。
母の時姫は、道隆には妻子がいて一人前だとして、道兼にも早く妻を娶って欲しいようです。意中の者はいないか、道隆は自分で見つけたと語ると、道兼の苛立ちも募ってゆく。
これはコンプレックスを刺激してしまう、ダメな言い方だなぁ……女流歌人でもある高階貴子を射止めた兄との格差を思い知らされてしまう。
案の定、道兼は三郎に当たり、笑ったとケチをつけながら弟を投げ飛ばしました。時姫が止めに入ると、
「母上に免じてこれくらいにしてやる!」
と吐き捨てる兼家は、あまりにも情緒不安定だ。
さすがに母として懸念を覚えたのでしょう。時姫が夫の兼家に「道兼の暴虐ぶり」を訴えても、そんなもんでいいという調子。
道隆を穢れなき存在として役立てようとする一方、兼家は汚い仕事をやらせようとしています。時姫が驚いていると、とってつけたように三人とも大事だと言います。
優等生型の道隆。
猪突猛進型の道兼。
そして物事を見通す目をもつ三郎。
三郎がちょっとわかりにくい個性に思えますが、俯瞰するようにものごとの輪郭を見通せるという意味でしょう。
まひろと三郎の出会い
その三郎が「散楽に連れて行って欲しい」と百舌彦に言います。
藤原家の悪口大会には行きたくないとボヤく百舌彦。
散楽とは、政治批判コメディのようなものであり、歌って踊りながら藤原家を茶化すコントを見せます。
古今東西、エンタメというのは時の権力をおちょくるもの。
宙返りをしながら藤原家を小馬鹿にしている芸能を、三郎は面白がって見ています。
これも彼の特性かもしれませんね。
政治批判は問答無用で禁止にするか。あるいは黙って眺めて「これはこれでありだ、自分はこう見えているのか」と客観視するか、権力者の対応もそれぞれですね。
三郎は、エンタメが作った物語を、鏡のようにして見つめることのできる個性があるのでしょう。
百舌彦は隣り合った見物人の女と、そっと手を重ねています。
三郎は大いに楽しみ、次回も来ようと言い出します。
そのころ、まひろは世話をしていた鳥が逃げてしまいました。鳥を追いかけていくうちに、鴨川のほとりでまひろと三郎は出会います。
これがこのドラマ最大の見どころであり、考証的な問題点とも言えますが、物語として成立していて意味があるならばありとして見ていきたい。エンタメはそういうものと割り切って進みましょう。
今年はいいカメラを使っていることもわかります。手前の人物はクリアに、奥の背景はきれいにぼかした豪華な絵が特徴。やはり大河はこうでないと。
外へ逃げたらあの鳥は生きていけない――そう落ち込んでいるまひろに、逃げたかったのだろうから諦めろと三郎が言います。
そして泣きそうなまひろに、足で文字を書くところを見せる。
サービス精神が旺盛で、咄嗟に何かできる。こういう瞬発力はモテる男の条件ですよね。そういうところが道兼を苛立たせるのでしょう。
しかし、名前よりも漢文を書いて欲しいと言い出すまひろ。
『蒙求』を地面に記し、続きを促します。
驚いた三郎は、自分は貴族の子でないから名前だけ書ければいいと誤魔化す。そして女子なのにどうして漢文が書けるのかとまひろに問いかけます。
私は帝の血を引く姫だからと咄嗟に嘘をつくまひろ。なんでも、母は宮中の女房で、帝の手がついて身籠り、身分が低いから宮中を追われたのだと。漢文は寵愛を受けているうちに教わった。
まひろの嘘は、子どもらしからぬようで、実際は彼女の世界から作り出された嘘です。
帝が漢籍に詳しいというのは、あくまで父・為時の理想でしょう。もしも帝が漢籍を大好きならば、彼の持つ知識の価値はもっと高くてもよいはず。
三郎は、そんなまひろの嘘に付き合い、敬語になって、文字通りお姫様扱いをしてみせます。
まひろは気取って、姫であることは誰にも内緒だと言うのでした。
三郎はお詫びに餅菓子を渡します。まひろはそれをかじり、貴族でもないのになぜこんな美味しい菓子を持っているのかと不審を覚えています。やはり彼女は幼い頃から観察眼と推理力が高いのですね。
紫式部と藤原道長の関係は、フィクションだからのこと。
しかし、幼い頃から見せる才知の片鱗は、両者ともなかなかよいところを突いているからこそ、話として成立すると思えます。
もしも、まひろが三郎にうっとりしたり、餅を食べてニコニコしているだけだったら、何かが違います。紫式部は小さいころから面倒臭い女でないと。
百舌彦が探しにくると、三郎は散楽がある日を指定し、再びここへ来るよう伝えて去ってゆくのでした。
場面変わって、円融天皇の執務です。議案は安倍晴明館の落雷火災について。藤原兼家は飢饉や災害ではないとして負傷者への見舞金を牽制するも、円融天皇は施しを決めます。
優しいからなのか、それとも兼家への反発なのか。
さらにこの後の天皇は、藤原遵子のもとへ渡ります。
するとヒソヒソと、檜扇で口元を隠した女房たちが噂にしています。おかわいそう、一人勝ちはよくないなどなど、この檜扇がいいですね。
本作は、こういうものが好きで好きで好きで仕方ない、そんな誰かが妥協せずにこういう小道具を作っています。
どうせこんなものまで注目されないよな。でも自分が凝りたいからそうするんだ! という情熱が伝わってきます。素晴らしい仕事ぶりです。
衣装にせよ、小道具にせよ、セットにせよ、VFXにせよ。
見た瞬間に胸がふわふわと温かくなりますね。
為時を籠絡する兼家
苛立つ藤原兼家は、ふとしたはずみで藤原為時からの書状を目にしました。
何かを思いつき、呼び出される為時と、ニコニコした笑顔の兼家。
段田安則さんが胡散臭さを全開にしてきました。
愛想よく、漢詩の会を開かなくてすまんと詫びる兼家に対し、為時は、自分こそ右大臣の就任を祝えなかったと頭を下げます。
そんな為時に対し、正月の除目で、申し文は評判だったと嘘をついている。兼家にしてみれば、目の前の為時が機嫌よくなればいいだけで、実際はどうでもよい存在だってことがよくわかりますね。帝は怒ってましたからね。
そして、一風変わった東宮である「師貞親王の漢文指導をしないか?」と持ち掛けます。漢文無双だとしておだてながら、禄は右大臣として出す――そう不気味なほど親しげに言うには理由がありました。
扇で床をトントンと叩き、
「近う、近う」
と、為時の籠絡にかかり、漢文の指導をしながら東宮の様子を逐一知らせるように実質命令されました。
要はスパイになれということです。春宮坊には話をつけておくとか。
哀れ為時。兼家の鉄砲玉にされました。というのも、この東宮は藤原兼家にとって邪魔者だったからです。
円融天皇の先代は、兄である冷泉天皇でした。冷泉天皇を譲位させ、円融天皇を即位させた際は、皇統の中継ぎとされました。円融天皇のあとは冷泉天皇の子を即位させるという流れです。
しかし前述の通り、兼家は娘の詮子を円融天皇に入内させた。となると、円融天皇の子を天皇にすることが権力を得るには必須となる。
つまり、円融天皇の東宮なんて邪魔者でしかない。
どうにかして失脚させたい東宮を監視するため、金がなくて断れない為時を送り込んだ。
卑劣な男ですね。道兼には汚い仕事をさせ、為時は使い捨てにしようとしています。
なんてバカな私たち
まひろと三郎は、二度目の出会いを果たしています。
しかし肝心のお菓子を持ってきていない三郎。忘れたのではなく、落としてしまったと詫びると、まひろにこう言われます。
「バカ」
バカ……とは?
偽りを信じる愚か者のことであり「鹿を指して馬となす」を説明します。諸説ある「バカ」の語源の一つですね。
嘘を言う者と重用する者はバカ……と、なかなか鋭いことを言うまひろ。
為時が兼家の嘘に籠絡されているとき、娘はその息子にこう語ってしまう。
恐ろしいほどの皮肉ですね。
そもそも娘にそう語って聞かせたのは父の為時です。その父が兼家の嘘を見抜けずひっかかってしまう。
一方で、父の兼家が為時の知識を利用しようとしているとき、子の三郎は、まひろの知識に対して純粋に感心している。
三郎をバカ、バカ、バカと言いつつ、私もバカだと語るまひろ。
なにがバカなのか?
帝の血を引く姫なんて嘘を語ったことがバカだから。
なんでそんなことを言ったのかよくわからないと言いつつ、素直に謝るまひろ。
怒ったか?と尋ねると、怒るのは嫌いだと三郎はすぐに返します。三郎はおかしいとまひろ。まひろこそわけがわからんと三郎。
そして六日後の同時刻に待ち合わせをして、二人は別れるのでした。
藤原為時は、保管していた綺麗な服を着て、出かける準備をしています。
「カビ臭い」
と、ボヤく為時に対して、ちやはが詫びると、カビ臭いのは母のせいではなく雨漏りのせいだとまひろが突っ込む。
父のめでたい日である、と、母のちやはが嗜めていますが、まひろはこの時点で空気がかなり読めず、感性の鋭さを発揮していますね。裏表になった個性ですから仕方ない。
為時は右大臣様のおかげ、東三条には足を向けて寝られんと語るのですが……。
藤原兼家が、なんとも立派な鶏に餌をやっています。
当時、こうした鶏は食べてはいけません。鑑賞や卵を産ませるため、あるいは朝の訪れを告げてもらうために飼育している。
そこへ安倍晴明が呼ばれてきました。なんでも藤原遵子が孕まぬようにせよとのこと。
戸惑う安倍晴明。兼家は迫ります。
「やるのか、やらんのか?」
「承りまする」
晴明はそう答えるしかありません。もう兼家がすっかりマフィアのボスのように見えてきました。鶏の餌やりだって、マフィアの親分が猫を可愛がっているような絵に見えてきましたからね。
悪事で荒んだ心を鶏の世話で癒す大納言か。なんだか嫌だなあ。
為時は東宮に漢文指導を行います。
君子、重からざれば則ち威あらず。『論語』「学而」
君子とは、軽薄な態度であっては威厳が伴わない。
ところが、東宮は全然聞いていない。それどころか変顔をしておちょくってくる。後の花山天皇です。
もうこの時点で、嫌な予感がフツフツとにえたぎってきました。
ちやはとまひろの母子は、父の出仕お礼参りをしていました。
三郎との待ち合わせを気にして、急いで石段を登っていくまひろ。苔むした石段を上り下りする姿だけでも、時代劇を見ている喜びが胸に湧いてきます。
そのころ道兼が三郎を殴っていて、時姫が止めています。どうやら出過ぎたことを言われて苛立ったらしい。一体何を言ったのか? 時姫が問いかけると……。
意に沿わぬことがあったからと、弱きものに乱暴を働くのは、心小さきものがすること――。
そんな正論を語って苛立たせてしまったようで、時姫は三郎の言い分に納得すると、道兼は憎々しげに吐き捨てます。
母上までたらしこんで、お前は恐ろしい奴だ。
道兼はこじらせ方がいよいよ煮詰まってきましたね。もう一度三郎を突き飛ばしながらその場を去ってゆきました。
母の死を覆う愚かな偽り
まひろは一生懸命急いでいます。
女子はそんなに走ってはいけないと嗜められても、母と乙丸を2人で帰らせ、三郎と会う約束を守ろうとしています。
そこを馬に乗った道兼が通りかかり、まひろとぶつかりそうになって落馬。
従者がまひろを捕えると詫びるように強制し、道兼もまひろを蹴り飛ばします。
ちやはが止めに入り、まだ子どもではないかとまひろを抱きしめます。
そしてまひろに詫びさせ、何事もなく事態が治まりそうなところで、道兼の従者がうっかりこんなことを言ってしまいます。
「道兼様を黙らせるとは、肝の据わった女子だ」
すると、電光石火、道兼が従者の刀を抜き、ちやはに駆け寄ってその身を貫いた――。
飛び散る血飛沫。
あまりのことに目を見開いているまひろ。
何も知らない三郎は、菓子があるのに来ないまひろを待ちわびている。
ちやはの遺骸が自宅に届けられました。
当時は道端に遺体を放置していると野犬に食われかねないので、死体処理はスピードが大事。
太郎は大声で泣きじゃくり、まひろはじっと黙っています。
父の為時は妻の死に愕然とし、“ミチカネ”という男が犯人だと聞かされ、彼はこう絞り出します。
「ちやはは急な病で死んだ……その旨、心せよ……」
納得できるはずもないまひろは、母は“ミチカネ”に殺された! 乙丸も見ていた! と訴えます。そんな娘に、父は「忘れろ」と言うしかない。それがお前や太郎のためだと……。
それでも“ミチカネ”を捕まえてと嘆くちひろに、父は怒鳴ります。
「お前も忘れるのだ!」
あまりの理不尽に、ここまでこらえてきたまひろも号泣してしまいます。
為時は高潔でした。誇り高かった。
「鹿を指して馬と為す」とまひろに読み聞かせたとき、彼はきっと、嘘をつかず誠実に生きる大切さと、保身のために嘘偽りを語る愚かさを伝えていたはずです。
そんな父が、大事で敬愛すべき父が、保身のために汚い嘘をつく。母の死を嘘で覆い隠す。
まひろはそんな「バカ」な父に、どれほど絶望したことでしょう。
この夜、まひろと三郎は同じ月を見ていました。
激動の運命が、動き出します。
MVP:ちやは
まるで菩薩のような国仲涼子さんが、背後から刺されていきなり死ぬ。
これでこの話は見えてきました。
いくらなんでもバイオレンス上等すぎる道兼ですが、そこは中世です。命は軽いし、身分が高い連中はやりたい放題が通じる。
『鎌倉殿の13人』の坂東武者よりはマシかもしれませんが、平安京貴族も荒ぶっていました。
そういう世界観を紹介するために、犠牲となった優しい母。
強引に思えるかもしれませんが、話としての見応えはあります。
映像が圧倒的に美しく、衝撃的で、プロットとしても緻密です。嘘をつくにせよ、こうも巧みに描くのであればよいのでしょう。
ちやはを殺した藤原道兼役の玉置さんは、顔と姿が絶品ですね。
時代劇に彼が出ていればもう、何も心配することはないと思えるほど、絵師が筆で描いたような佇まいを見せてくる。
道兼は極悪非道だけれども、あの従者の刀を抜いて刺し殺す流れるような動き。
血飛沫が散った頬。
目をいからせてズンズンと歩く姿。
これを見られただけで満足だと思えてしまう。凄いことです。
紫式部は、偽りを広めた罪で地獄に堕ちた
鎌倉時代の『宝物集』には、紫式部が地獄に堕ちた話が掲載されています。
虚言で人を惑わせた罪により、地獄に堕ちたのだ、と。
これを知った時は『なんでそうなるのか……』と驚いたものですが、理由はわかってきた気がします。
ストーリーは、人を騙すうえで重要です。
例えば藤原為時ならばいくつも知っているであろう故事成語。
「蛇足」というたった二文字の言葉にも、「蛇の絵を描くはずが足まで描いてしまった絵師」にまつわるストーリーが潜んでいます。
何かにエピソードを付与すると、それだけでもスッと人の意識に潜り込んでくる。
ちやははまひろに、鳥が逃げたら生きていけないと教えました。まひろは小さな胸の中で、小鳥が命を落とす物語を思い描いてしまう。
たかが鳥です。お腹が空いたら焼いて食べてしまってもよいようなものではある。
でもそれに名前をつけ、背景まで考えるようになると、傷つける心が摘み取られてしまうことでしょう。無事を願うようになることでしょう。
たかが鳥が、されど鳥になるのです。
物語を作ること。それを付け加えること。それにより覚えやすくなり、操られやすくなる。そのことを罪だとみなせば、地獄ゆきも納得できる。
このまひろという名を持つ紫式部は、初回から地獄へ踏み出したと思えました。
目の前で母親が殺されたら、それはもう地獄でしょう。
しかしまひろは、涙ひとつこぼさず、しばらく耐えています。
その忍耐が限界に達したのが、父が嘘をついて母の死を誤魔化すと宣言したとき。偽りのストーリーが彼女の母の死を覆ったとき、まひろは絶望して泣き出しました。
嘘をつくことがどれほど罪深いか、人を絶望させるか。そう訴えるかのような涙でした。
たとえどんなに辛い目にあったとしても、真相を暴き出せればそれで救われるのに。それを嘘で塗り固めたら、人は地獄に堕ちてしまう。
偽ることの罪深さと浅ましさが、この初回では何度も出てきました。
身を捧げるとうやうやしく誓った藤原詮子にせよ、帝の顔が気に入らなかったら嫌だと三郎には語ってしまう。
父や兄の前では「入内する健気な詮子」というシナリオで振る舞うようにしているけれど、本音はそうではない。
藤原兼家は狡猾です。安倍晴明は有無を言わさぬ態度で騙す一方、藤原為時をコロリと騙してしまう。
藤原宣孝はヘラヘラと、世渡りのためならおべんちゃらを使えと言いにくる。
ちやはは誠実で心優しい。国仲涼子さんがまるで菩薩のように演じています。
でも、夫が他の妻の元に通うことを本当に容認できているのでしょうか。
生きていくならみんな騙しあって生きていかなきゃいけない――そんな世界の中、まひろと三郎だけは何かが違うように見えます。
藤原詮子は三郎にだけは本音を語れる。藤原兼家は三郎には世の中を見通す力があるという。藤原道兼は弟の何かを恐れているようにも思える。
まひろは大人のついた嘘をを見破り、まっすぐな目でそのことを問いかける。
どこかこの世界で浮いている、不思議な目を持っている。わかりあえるのは互いだけで、恋愛感情ともまた違ったものがある。
そういう意味ではソウルメイト。とても不思議な関係に思えてきます。
まだ幼い二人ですが、成長するにつれ、妥協や忖度もしなければならなくなります。
幼い頃のように、ズバリと言うこともできなくなる。空気を読めないとヒソヒソと言われてしまったり、妥協したり相手をおだてたり、鬱陶しいことが増えてゆく。
そういう鋭すぎる目を持ったために苦しむ、どこかずれてしまった二人というのは実に興味深い。
嘘偽りを見抜く目を持った二人が、帝を、朝廷を、日本を、やがて世界まで届く、華麗で眩い作り物『源氏物語』を生み出してゆくというのは、なんと興味深いことでしょうか。
そんな世界を騙す共犯者同士を描くこの話だって、私たちを丸め込むストーリーです。作り物です。
作り物だけど、だからこそ、精緻で花よりも花らしいものが咲く。
そんなふてぶてしいほどの挑戦を初回で感じました。
これだけ美しく作り込まれているのならば、もう、それだけで讃えるべきではないか。そう思ってしまう、圧巻の第一回です。
目の前で開いた花は、想像以上に香り高く、美しいものでした。
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【参考】
光る君へ/公式サイト







