最終回になっても徳川家康さんが登場。
当初は歴史解説をしていたこのコーナーも、単に「家康役が出るための時間」としか思えなくなりました。
視聴率を分析してみると、家康の登場が実はマイナス影響を与えていたという見方もある。
◆『青天を衝け』視聴率半減の真相~大河で見たいのは“偉人伝”でなく“人間ドラマ”~(→link)
あの家康、SNSでは盛り上がっていたけれど、多くの人が視聴をやめていたと指摘されているのです(以下、引用)。
制作陣の誤算は北小路欣也扮する徳川家康による解説コーナー。ここで多くの人が視聴をやめていた。SNSではこの演出を面白がる声が多かったが、サイレントマジョリティは必ずしも評価していなかったのである。
制作側はなんのかんのと効果を謳っていましたが、冷静にデータ解析をしていなかったことが悔やまれます。
SNSでノイジーマイノリティがいくら活発であろうと、サイレントマジョリティの声を聞かねば足元をすくわれるということでしょう。
あの話題作『江~姫たちの戦国~』と同キャストの家康が、十年ぶりに出たというのに、心苦しい限り。
そんな家康が、今週もいきなりトンデモナイことを言い出します。
渋沢栄一の、真心の道の先を歩んでいるのはアナタたちだ! らしいですが……はぁ……なんすか、この薄っぺらい言葉は。
脚本家さんにガチで問いたい。
真心って、どういうこと? それが我々と渋沢栄一とどう繋がるの? もっと具体性をもって教えて欲しい。
こんなもん、ぶっちゃけて答えさせたら「大して意味はなく、家康にそれっぽいことを語ってもらいました」的な回答になるんでは?
居酒屋での雰囲気トークじゃないんだから、NHKの大河枠で本当に勘弁して欲しいです。
パリ講和会議
大正7年(1918年)――ドイツの降伏により、第一次世界大戦が終結しました。
パリ講和会議で、日本は人種差別撤廃を欧米諸国に求めます。
何かと話題になるこの条約で、日本は世界に先駆けて人種差別に反対していたとされることもありますが、実際は矛盾だらけの行動を取っていました。
本作では、アメリカの排日運動は大々的に取り上げ、日本が加害側であった人種差別はほとんど無視。
どうしても渋沢を聖人君子にする物語にしたいのか。
都合が良いところだけピックアップするスタンスには、どうしても違和感を覚えます。作品を面白くするために、ありのまま描いて欲しいと願うのは贅沢でしょうか。
日本がドイツ領であった山東半島の権益を求めたことで、欧米諸国が警戒するようになったと説明されます。
これも全ては吉田松陰の『幽囚録』路線ですね。そういう明治維新以来のマイナス面を本作はまたもスルーしました。
たとえば高杉晋作や坂本龍馬が主人公ならば、維新前後で斃れるため、こうしたマイナス面を描く必要性はありません。
しかし時系列が明治になるとそうはいかない。
ゆえに1980年大河『獅子の時代』では、架空主人公である強みを生かして、会津藩と薩摩藩という目線で描いた。
1998年大河『徳川慶喜』は、明治以降を描いていません。
鳥羽・伏見の戦いで逃亡して以来、とにかく逃げ腰及び腰だった徳川慶喜の人生を描くのであれば、むしろよい選択だったでしょう。
それがこれまでの真っ当な大河ドラマというものでした。
今年はそれを崩しました。
明治以降に突入してからというもの、都合の悪いことは徹底して避け、気持ち良くなるように快感だけを与える、どうでもいい描写のみをひたすら流すようにしたわけです。
敬三が栄一に興味を持った理由が
飛鳥山の渋沢邸に画面が映ります。
イキイキきびきびした栄一は、なんで「こんなに嫌われるのか!」とわざとらしく咳き込んでいます。
こりゃ渋沢敬三も大変だわ。
じーちゃんに、そんなこと言われても、孫としては困惑するだけでしょう。
呆れるのは「世界は共存共栄に向かうべきだ!」なんて言い出していることです。
誰がどんな立場から、そんな偉そうに語っているのでしょう。財界人の重鎮が語る言葉は、小学生が「世界平和♪」と合唱するのとはワケが違います。
相変わらず周囲のせいにしてばかりで、堅実な加齢が全くできてない。歳をとっても若者のように突然叫ぶし、落ち着きもなく、本当に目をそむけたくなります。
何事もどっしり構えてこそ、年長者の人徳ではないでしょうか。
すると、ここでわざとらしく『徳川慶喜公伝』完成がアピールされます。
この書籍が発行された当時、内容があまりにご都合主義ではないか!と激怒した山川健次郎(元東京大学総長)なんて、出てくるわけないですよね。
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本当に自信があるのだったらフィクションなんですからドラマ内で論争させたって良かったはず……ですが、それほど骨のあるストーリーをこの局面で描けるスタッフでしたら、そもそもこんな展開になってませんね。
渋沢栄一は喜寿を機に引退しても衰えないと言われますが、そもそも全く喜寿に見えない。結局、最終回まで鬼舞辻無惨の不死身モードは継続です。
先週はデ・アール大隈に「80近くにもなって口出しするな!」と言っておいて、自分は別ってのも何なんだ。
このころの渋沢は六時起床、入浴を済ませて朝食をとる生活だとの説明が入りました。
心の底からどうでもいい情報ですが、続けますと、7時から客が詰めかけ、15時間働くそうです。
でも……それって典型的なダメ組織では?
しかるべき代替りもできず、老人に頼り切りの組織なんて危険で仕方ない。
それでも敬三が後継ぎとして手伝っているようで、安っぽいセットの前で、本の間から古い祖父の写真をみつけ、敬三はこう言い出します。
祖父をもっと知りたいと思った……って、なんじゃこりゃー!
またもや雑すぎる展開。後継ぎなのに、栄一のことを初めて知りたいと思ったのが、そんな偶然頼りでいいんでしょうか。もし写真を見つけなかったら、どうするつもりだったんです?
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本作は、書き手の能力が問われるストーリーの繋ぎ部分で破綻の傾向が見て取れます。
おそらく著者が歴史に興味が無いから、そんなことになっちゃうんですよね。
子供だらけでドン引きされなかった?
栄一は日米友好につとめていて、日系人排斥の理由をアメリカ人に聞いています。
知っていて、わざと交渉相手を問い詰める材料に使うのか?と思ったらさにあらず。
本当に知らなかったように見えるから、このドラマの栄一は本当に勉強をしてくれません。
ここで大仰に、アメリカでの日系人排斥運動が描かれました。
実際はアメリカ西海岸だけの話でもなく、中国や朝鮮半島でも反日運動が起きていたんですけどね。
案の定、アメリカ人は日本人がしている中国人差別も指摘してきて、「アナタたちだって差別しているじゃないか!」と言われてしまいますが、そこはノーコメント。相手をネチネチ責め、自分の過失は認めない。
本当は、相手から責められたときに、上手な切り返しをすることで、外交手腕や各人物の魅力を描けると思うんですけどね。
この作品は周囲の人間に「栄一は凄い!」と言わせることでしか、能力を表現できないから仕方ない。
そしてごまかすように、おもてなしをすると言い出す栄一。
グラント前大統領に出した「煮ぼうとう」あたりでしょうか。
彼らに「日本の家庭の真心を味わってもらいたい」と言い出す栄一ですが、あんだけ大量に子供(庶子)がいる時点で、プロテスタントのアメリカ人ならドン引きですよ。
表向きは微笑んでいても、後で「汚い奴だ」と日記に書くパターンだ。
この後、敬三が素手でトイレを磨く場面は何でしょうか?
使用人はいない? 本作は、千代がグラント夫人の虫刺されを世話する場面も美談扱いしていました。
歴史が嫌いで何も調べたくないのはわかりますが、それにしてもトイレ掃除を美談にする感性って、さすがに滅んだほうがいいと思います。
◆ 「素手で便器掃除」が美談になる日本のおかしさ ドイツ出身の筆者が驚いた「異常すぎる校則」 (→link)
以下の記述にありますように、トイレは「病原菌」リスクのある場所です。
しかし、相手はあくまでも「トイレ」です。どんな病原菌がいるかもわからず、生徒が感染症になったりする危険性は誰も考えなかったのかとショックを受けました。一般社会でトイレ掃除がプロの仕事であるのは、「掃除を素手でしない」のは言うまでもなく、適切な対策とノウハウがあるからこそ求められるからであり、そのおかげで私たちも快適にトイレが使えて病気にもならずに済むのです。
妻をコレラで失っておいて、その妻の血を引く嫡孫に素手でトイレ掃除をさせるとは、何事ですか?
きっと本物の汲み取り式トイレなんて、知らないでドラマを作っているのでしょう。
日常の服のまま掃除するって、意味がわかりません。強烈な臭いがこびりつくから、このあと一日潰れますよ。
移民をめぐる各国の思惑
平民宰相と呼ばれた原敬が出てきます。
最終回まで人の死で引っ張るロス戦術ですね。
しかも原が悪い方向へ誘導する流れが見え見え。
栄一が、原の言葉を遮って「日本の外交はどうしたいのか?」という辺りがとても感じ悪く見てしまう。お得意の三白眼で睨みつけます。
史実はさておき、このドラマの栄一に外交センスなんてありません。みんなで文化祭していれば仲良くなれるし~程度のオツムしか備わっていない。
そして結局、移民の話です。
自国民の保護は、他国へ干渉する言い訳の王道であり、この描き方だと日本がまるで悪くないかのように思えてきます。
果たしてそうでしょうか。
歴史は立場によって見方が変わるのが当然で、自国だからこそ多面的に捉えておくのが大切でしょう。
そこで参考になるのがVODなどにある他国の作品。いくつかピックアップしておきます。
・韓国フィクション
日帝時代を描いた傑作は数多いですが、ここは敢えて『お嬢さん』をオススメします。
植民地支配を描いたものにしてはマイルドで、かつ日本人と朝鮮人女性の熱愛というロマンチックな要素があります。ただし18禁なのでそこはご注意ください。
この作品を入口にして、その後、レコメンド作品を見るのが良いのでは?
・中国語圏フィクション
ブルース・リー『ドラゴン 怒りの鉄拳』がオススメでしょう。
悪役が日本人。当時、香港でこんな映画が作られていても、日本人も「まぁ、そうなるわな。そんなことよりブルース・リー最高! アタァ!」と盛り上がっていました。
『無敵のゴッドファーザー ドラゴン世界を征く』もVODで見やすい一本です。
悪役が枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)という世界観から、当時の香港人が抱いていた想いがわかります。映画としては全く面白くもなんともありませんが、勉強としては良いかもしれません。
・欧米圏
『高い城の男』なんてどうでしょう。アジア・太平洋戦争以前の日本は、ナチスドイツと並び、勝利したら最低最悪の国家と見られていたとわかります。
最後まで「であーる!」頼りが痛すぎる
話を本編に戻しまして、敬三です。栄一に対し「外で働きたい」と言い出しました。
祖父と孫というより見た目は兄弟ですね。むしろ孫である敬三の方が、突然、怒鳴ったりもしないから、落ち着きがあるぐらい。
寝室で栄一は「敬三に跡を継がせたい自分はワガママである」と兼子に愚痴ります。
兼子は今週も和装所作が綺麗ですね。
確かに栄一はワガママでした。吉原で遊ぶ金だって父に出させた。乳児を抱えた千代は放置で好き勝手に生きていました。
そしてデ・アール大隈もまた登場。
「元気が増すのであーる!」
最終回までバカバカしいことは続けるんだなぁ……。
もう、何なんでしょう。こんなのが本当に面白いと思っているんですか?
オープニングの家康といい、蚕ダンスといい、一体なんなのか。
栄一もまたナントカの一つ覚えで、移民問題だけを言い募る。
脚本家もスタッフも、渋沢栄一の事績を調べきれなかったんですかね? 明治時代に入ってから、まともに経済なんて描いてませんが、それでよしとするNHK側の神経も理解できません。
本当に杜撰な仕事っぷりですわ。
そして極めつけがこの台詞。
「胸がムベムベして眠れない!」
なに?
これなに?
ぐるぐるといい、ムベムベといい。オノマトペの使い方が絶望的。
敢えて皆さんにお尋ねしますが、この「ムベムベ」を誰かの前で使う勇気がありますか?
響きからして不協和音な感じ。
最終回まで語彙力とセンスが『おねがい社長』広告動画と同程度でした。
※『おねがい社長』:社長経営シミュレーションアプリ。広告の無茶苦茶な日本語が話題になっている
デ・アール大隈は栄一に対して寝ていろと言います。
たまにはこいつもいいこと言いますね。私も栄一が寝ていればいいと思う。
そう言われて「むーっ!」と幼児のように口を尖らせる顔がもうわけがわからない。喜寿を迎えても七五三か。
デ・アール大隈はしつこく「であーるであーる」。病室で連呼って、一体どんな症状なんすか……。
「外交は人と人との関わり!」
デ・アールは最期まで無能でした。
日米開戦になったらどうするのか。そのことしか言わない。あまりに戦争を単純化しすぎです。
太平洋戦争の原因は移民問題であり、それを作ったのはアメリカという方向へ印象付けたいのでしょう。
大正9年(1920年)には、日米の実業家同士で協議会が開かれ、関係改善に務めます。
明治村らしい廊下で、日米の要人が話しています。やたらと照明がくすんでいるのは、ヘアメイクと衣装の不出来さをごまかすためでしょうか。
栄一は軍備縮小に賛成すると啖呵を切ります。
本当に初回から最終回まで、三白眼で威張るしかない演技ですね。誰も注意できなかったんでしょうか。
愚かというか浅はかというか。移民のことばかりしつこいし、軍事のことを考えていないように見える。
何より世界地図が頭に入ってないような物言いばかり。
しまいには
「外交は人と人との関わり! 心の尊厳の問題だ!」
なんて、しょーもないことを言い出しました。
綺麗事ばかり並べて、何をどう解決するのでしょう。
しょうもない精神論で外交に口を突っ込む栄一を見ていて、こんな言葉を思い出しました。
麒麟も老いては駑馬に劣る。
麒麟のように優秀な人物も、歳をとれば駄馬以下になる。
『戦国策』
引用しておいてなんですが、本作の栄一って、麒麟のように輝いていた時期など無かったので使い方が間違ってますね。失礼しました。
去年(2020年大河)が麒麟だったのに、今年は駑馬に劣る――それなら合っているか。
「外交は心だ!」と言われたほうは、若干の間をおいて「栄一さん、スゴーイ♪」とリアクション。
ここまで来たら「感情ゼロのキャバ嬢に褒められて喜んでいるオッサン」を笑う場面に思えてきました。とにかくもうすべてが虚しい……。
そもそも渋沢栄一の権限は?
渡米先の渋沢栄一は、原敬が暗殺されたことを知りました。
今週も来ました。栄一が渡米するたび首相が死ぬ、斬新な連動システムです。
参加した会議では軍縮も受け入れました。
しかし、栄一が議論した排日問題は議論もされません。
気になるのは、渋沢栄一の権限です。
どこまで発言力があり、発言内容を任せられているのか。単なる民間商人なら、そもそも大して権限は無いでしょう。
ならば「自分が提案したのに受け入れてもらえない!」としても当然。そもそも彼は「一線から引いた」と自分で言っている。
これが本作特有の卑劣な価値観なんですよね。
栄一のみならず、徳川慶喜もそうでしたが、権限と責任の所在が曖昧なのです。
ドラマ内では、何かよいことを成し遂げたらば「自分のおかげ!」と言い張り、他人の功績を奪うこともある。
典型例が孝明天皇と徳川慶喜の関係でしょう。
あれは会津藩主・松平容保との信頼関係に慶喜が乗っかったもの。それを「慶喜は天皇にも信じられちゃう!」と誘導した。
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天狗党の件もそう。あれほど厳しい処断は、天狗党と関係を消したい慶喜の保身あってのものです。
それを田沼意尊の独断にして責任転嫁した。
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よいことは全部自分のおかげ。
悪いことは自分以外の誰かのせい。
無責任な規範を大河で流し続けてきたのです。それが哀しくて情けなくて、怖くもなる。
それでも平和を訴える旅を続ける栄一だそうですが……本当に栄一の無能っぷりにはイライラが募ってきます。
押してダメなら引いてみろ、直進がダメなら迂回しろ――といった機転さがまるでない。目を潤ませてゴリゴリ説得すれば何とかなると思っている。
外交を舐めてませんか?
デ・アール大隈が死に、大正11年(1922年)には敬三も結婚、ロンドンへ向かいました。
ここでやっと出てくる敬三の妻のほうが、レギュラーの若手女優より和装所作がうまいのは何なのでしょう。ほんとワケのわからんドラマです。
そしてバカ息子・篤二の話が始まった。
どうでもいい。心の底からどうでもいい。こんなワイドショーネタを大河ドラマで引っ張らないで欲しい。
最終回まで一体なんなんだ。
関東大震災で俊敏すぎる動き
大正12年(1923年)9月1日――関東大震災が発生しました。
栄一は喜寿を過ぎているとも思えないほどキビキビした動き。
わざとらしく前髪も乱し、イケメンなのは良いですが、老人だということをスッカリ忘れていませんか?
老人があんなに素早く転がって、落下物を避けられるとか、制作スタッフは本気で思っています?
渋沢栄一であって、永倉新八じゃないんですよ。
※永倉新八は老いてからもヤクザ者を追い払った逸話あり(新聞記者が話を盛った可能性は考えられます)
『いだてん』から二年。
圧倒的に衰えた震災描写が続き、脳内でこんな声が聞こえました。
「あのねえ、『おかえりモネ』や他のドラマで震災はやったでしょ! まっとうな震災はそっちでいいでしょ、予算も時間もないんですよ! 大河だってありがたがって鑑賞して、ケチつけるんじゃない!」
栄一のわざとらしい演技で震災を表現する演出には、バカバカしすぎて絶句。
『いだてん』の森山未來さんが語りで描いた関東大震災は素晴らしかった。いっそ使い回しでもよかった。
『青天を衝け』では、この震災をダシにして栄一と篤二が抱き合い、ぎこちない演技であっという間に和解に変換されてしまったのです。次から次へと、なんなのよ!
史実の渋沢栄一は、関東大震災を利用して民衆に責任転嫁する【天譴論】をぶち上げましたが(詳細は後述)、ドラマの栄一は先頭に立って指揮をしています。
杖をつくような老人が被災地を歩き回るなんて危険極まりない。
NHKは一体何を考えているのでしょう。
実際の被災地を思い出すと、侮辱にすら思えてきます。転倒して怪我人が増えたらどうするのか。人に依っては、動き回らない方がよいこともある。
人間は加齢と共に学ぶべきことが多く、状況的に、余震や足元の危険性の方が先に立つと思う。
そして、この後の展開がおかしく、こうなった。
過激な社会主義者が襲ってくるから危険である
もちろん「そんな噂がある」という言葉です。しかし、噂にしては伝達速度が不自然でもあるし、どうにもおかしい。
むしろ「震災後だから不穏な噂を利用してやろう」と警察と軍が暴走し、惨劇が起こっています。
以下の事件は警察と軍が悪用し、特定の思想を持つ人々を冤罪で拘禁虐殺したものです。
関東大震災では、社会主義者が冤罪で殺害される凄惨極まりない死亡例があります。
亀戸事件
関東大震災の混乱の中、亀戸の労働組合員らが軍隊によって不法に拘束されたうえに、虐殺された事件
甘粕事件
関東大震災の混乱の中、憲兵が無政府主義者・大杉栄、伊藤野枝、僅か6歳の橘宗一らが虐殺された事件
中途半端にこうした事例に触れてしまうから、余計にことをややこしくしています。因果関係を逆転させてよいものでしょうか?
繰り返しますが、噂があったから事件が起きたのではなく、噂をでっちあげて事件を起こしたのです。
「あれこそ渋沢栄一だ」
そうバカ息子の口から言われますが、何が?
さらには、ロンドンでも敬三が無事を知るという、どうでもいい場面が挟まります。ただただ、こんなシーン、要らんと思う。
日米関係が悪化
関東大震災後、海外から寄付が集まり始めました。
日米関係が不穏な空気だったアメリカからも物資が届きます。
ただ、こうした支援も、数々の虐殺事件が報道されると「こんな連中に支援できるか!」とトーンダウンしたんですけどね。
『青天を衝け』でそんなこと描くわけもなく、栄一は相変わらず「友とはありがたいものだ」と文化祭が続きます。
80才超えで文化祭はいい加減、みっともないのですが、栄一は無反省の男。アメリカ議会が日本からの移民を禁じたことに失望していました。
アメリカ人がいかにも悪党のように描かれます。
おまけに劣等国の烙印を押されたと言い出す連中もいる。これは戦争を仕掛けてくるようなものだと言い出す。
何を言っているんですか?
Why ジャパニーズ ピーポー?
アメリカの言い分も聞きましょうよ。
日露戦争まで、日本は英米のバックアップを受けてやってきました。
それなのに、アジアで威張り散らすようになるわ。日系移民を大量に送り込んでくるわ。日本政府のやらかしも大きいのに、全部アメリカが悪いことにする。
しかも、ドイツのことをかすりもしないから、まったくワケがわからない。
なぜアメリカで日本人排斥論が広まったかという説明をすっ飛ばしているからです。まるで太平洋戦争がアメリカのせいで始まったと言いたげな描写に絶句。
敬三は、祖父の十年来の努力も無駄になったと言いますが、実業家を引退した元経済人が十年間何をしていたのでしょう?
いや、していたことはある。「青い目の人形」です。
昭和2年(1927)、有効の証として、アメリカから約1万2000体の「青い目の人形」が届けられました。
栄一はこれを日本各地で子どもたちに披露し、学校に寄贈されました。そしてお礼に市松人形を贈ったのです。
この人形を抱えた渋沢栄一の写真は有名で、顕彰における定番の一枚です。
おまけに実は第39回で、思わせぶりに大統領の前に人形が置いてあったと。
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青天を衝け第39回 感想あらすじレビュー「栄一と戦争」
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外国人がわざとらしく日本人のことをウダウダと話し、ルーズベルトも日本人形相手に話しています。
この人形もあざとい伏線ですね。来週、日米で送り合うところを流すのでしょう。
スタッフの悲鳴が聞こえてきそうだ。
「せっかく市松人形用意したのに、なんで人形交換の場面がカットされているんですかァ!」
この「青い目の人形」は戦時中廃棄されたものが多く、悲話として伝えられています。そこを踏まえてカットしたのでしょうか? それとも単に忘れただけですか?
こうして他国のことを貶めながら、渋沢周りを褒める――終始一貫した妙ちくりんなドラマは、まだまだ続き、敬三の子を名付けるどうでもいい場面へ突入します。
この場面もカメラワークや演出がおかしくて。敬三夫妻が舞台上の役者というか、観客を意識した動きに見えるんですよね。
敬三は帰国します。生物研究は叶わなかったけど、お祖父様のことは知りたいと言い出します。
プレゼントをおじいちゃんにねだる小学生みたいな口ぶりですね。
そして大正15年(1926年)、第一国立銀行の取締役に敬三が就任。
12月には、大正天皇が崩御し、元号が昭和になりました。
土方のどこが友なのか
昭和6年(1931年)、孫たちが小説を読んでいます。
そこに土方歳三が出てくると「土方は私の友だ」と栄一は言い出します。
あーあ、言っちゃったよ。
最終回で話題稼ぎのために使っているのでしょうけど、渋沢と土方の関係については、渋沢栄一側の証言しかなく、真偽の程がわかりません。
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幕末を生き急いだ多摩のバラガキ・土方歳三が五稜郭に散る|生涯まとめ
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何らかの接点があったとしても「友」といえるほどの関係ではない。
問題なのは、そんな間柄なのに平気で孫たちに「友」だと言ってしまう、性格なんですよね。ヤンキー中学生が「トーマンのドラケン先輩知ってるからよー」とイキるのと同じです。
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女遊びが強烈すぎる渋沢スキャンダル 大河ドラマで描かれなかったもう一つの顔
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だいたい尊王攘夷の志士でありながら、土方と友ってどういうことなんですか。それがガチなら、単なる信頼できない奴でしょうに。
1931年に中国大洪水が発生し、91歳の栄一は「中華民国水災同情会」の会長に就任しました。
日本は、こうやって日中友好を考えていたと示したいんですね。
そして明治村感の漂う場所で、栄一がラジオに向かって話す場面。群衆が、ありがたく聞いている場面は何なのですか?
この場面って結局、日本が中国に対してしたことを消すためのロンダリングですよね。
中国との親善活動は本当に注意したいこと。アジア・太平洋戦争前の日本人は、中国の文化や歴史には親和的でした。
わかりやすいものが『まちぼうけ』。北原白秋作詞、山田耕筰作曲の童謡です。
あれは故事成語、『韓非子』の守株を元にしています。
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朝ドラ『エール』志村けん配役のモデル・山田耕筰は日本近代音楽の父だった
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この時代、中国に親和的だった=中国にとって優しい人という図式を抱かないようにご注意ください。
このスピーチも酷かった。
「反日に負けないで! 私たち日本人は優しくてスゴイ! 素晴らしい! 私たちってホントサイコー! 仲良しサイコー! 手を取り合いましょー! 助け合いましょー! なかよくしないととっさまやかあさまにしかられる、手を取り合いましょう!」
って、最終回まで文化祭でした。高校生が読み上げる赤い羽根募金のスピーチより届かない。
90歳を超えてまで「とっさま」だの「かっさま」だの言う教養人は嫌だ。心底嫌だ。まるで成長していない。何に感動しろと?
感極まっている兼子は首まで皺があるのに、栄一はどうして鬼舞辻無惨様状態なのでしょう? なぜ、頑なに老けメイクをしない?
「届いたかなあ? 本当かい?」
そんなことより自分のスピーチ力に興味津々なのか。早く評価して(褒めて)もらいたい出す栄一。このシーンは、SNSで
「号泣! 栄一の言葉が胸に届いた!」
となってコタツ記事で出ますね。
私がこう書くと結構当たるんですよね。
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青天を衝け第40回 感想あらすじレビュー「栄一、海を越えて」
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兼子はじめ周囲の反応がいいから、なんとか見られる印象ですが、どうせSNSやニュースで「今も通じるよね!」と飛び交うのでしょう。
◆『青天を衝け』40話「生きていてよかった」渋沢栄一と徳川慶喜、笑顔の別れ。次回最終回(→link)
この言葉は、むやみに日本人を敵視し、排斥しようとしているアメリカ西海岸の人たちに向けたものでもあり、かつて、会ったこともない外国人を殺そうと計画していた自分への言葉でもあるだろう。そして、今のネットでの誹謗中傷問題や、移民問題にも通じる話だ。
最後までスピリチュアル
募金は集まったものの、満州事変に抗議するため、中国は物資受け取りを拒みます。
そりゃそうだ、こんなの日本が悪いでしょうよ。それなのに、中国人が悪いと言いたげ。
それをいかにもメソメソと、
「大正義渋沢栄一を拒む中国が悪いのぉ!」
と誘導するようで、一体何なのでしょうか。
そして昭和6年(1931年)11月11日。
日本の行く末を憂いながら渋沢栄一は亡くなりました。
「手をつなげ、みんなで……幸せに……」
今年の大河は死ぬ場面すらおかしい。辞世すらない。
どいつもこいつも成長の跡のない子どもじみたことを言いながらなくなる。こんな教養人は嫌だ。
たとえ辞世が現代にまで残ってなくても、スタッフが作れることは『おんな城主 直虎』の小野政次が証明しています。
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『おんな城主 直虎』感想レビュー第33回「嫌われ政次の一生」
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しかも、死ぬ間際まで元気なんだよなぁ。
特に栄一はなかなか死なず、くどいほど時間稼ぎをします。
兼子はちゃんと加齢しているのに、栄一は目に強い光があると思ってしまいます。兼子より老けメイクが薄いのはなぜなのか。実年齢はずっと上なのに。
臭いBGMがピロピロと重なってくる演出。どう演技したらよいか分からず、戸惑うような遺族たち。
そして明治村感あふれる舞台で、敬三が何かを言い出します。
「私は、祖父のことを偉人ではなく、故郷の血洗島村のもとで励む1人の青年のように感じていました。偉人という響きはどうも祖父には似合いません」
敬三まで儒教知識のない愚か者にされましたね。
先祖を「偉人じゃないし」と言いきる敬三。なんという不孝よ。
これって脚本家さんの見解ですよね。
◆ 『青天を衝け』生い立ち丁寧に描き“愛すべき栄一”に 脚本・大森美香氏「偉人伝ではなく人間ドラマとして描いた」(→link)
大森氏は「偉人伝ではなく人間ドラマとして描きたい」と考えていたという。その狙い通り、栄一の生い立ちをしっかりと描くことで、応援したいと思うような愛される人物に。
というか渋沢栄一の経歴を描き出したら、とてもじゃないけど感情移入できませんしね。
テロリストとしての活動。
女狂い。
ハンセン病患者隔離。
工場法成立阻害。
天狗党の助命を握りつぶしたこと。
ステルス討幕派。
関東大震災被災者バッシング。
日本の公害第一号・足尾銅山に根深く関与。
女性関係を曖昧に少しだけ見せておき、他の都合悪いことはすべてカット。そりゃ、そんなこと描かれたら大河の主役どころか「お札にしていいのか?」となってしまう。
ゆえに、無理にでもロンダリングしまくり、愛される人物にしなければならなかった。
毒は苦いから、甘い飲み物に毒を仕込む。それがいかにも才能だと言いたげに語る脚本家と褒めるメディア。
あまりにも不誠実です。
敬三の演説は続きます。もったいぶって伝言とやらを言い出すのです。
「長い間お世話になりました。私は百歳まで生きたいと思っておりました。今度という今度は立ち上がれそうにもありません。これは病気が悪いのであって。私が悪いのではありません。死んだあとも私は皆様の事業や健康をお守りするつもりでおりますので、どうか今後とも他人行儀にはしてくださらないようお願い申し上げます。 渋沢栄一」
最後までスピリチュアルアピール。渋沢栄一の写真を持っていれば病気にかからない! そんなテスラ缶信仰じみたことを言っても驚きません。
そしてどこかのワンダーランドにいる栄一は、若返ってこう言い出します。
「今の日本はどうなってる?」
「それが恥ずかしくてとても言えません!」
「ははっはははっ何言ってんだい! ハハハハ! まだだまだ励むべぇ!」
この場面はおそろしかった。
渋沢栄一ら天保老人の呪縛が爆発し、日本史上最低最悪の悲劇であるアジア・太平洋戦争があった。
栄一を見て敬三は涙ぐんでいますが、敬三が祖父の尻拭いをしたことを思い出すと、どういう涙なのかと思いますね。
とっさまとかっさまと、千代たちもいるらしいワンダーランド。
栄一はバカそのものの笑いをしています。
「ハーハハハハハわーあはははははー」
栄一が若返ったのみならず、肉付きが格段によくなって、ドタドタ走っているところがなんとも見ていて辛い。
絶叫ばかりしていた。
主演は、肉がついた。
この苦行もやっと終わりました。
総評
もしも一世紀後、こんな国民的コンテンツがあったらどう思いますか?
「ある寿司店社長が海外の海賊を消滅させた! そんな素晴らしい経済人を讃えます!」
おいおい、未来人よ、大丈夫か? もっとちゃんと調べようよ。
と、そう思いますよね。
なぜ、こんなことを書くか?というと『青天を衝け』も同様のコンテンツであろうと思からです。
すしざんまいのニュースを肯定的に取り上げ、はしゃいでいる人を見た時は、知っていればいるほど、悲しくなりました。
どうしてこんな雑な嘘で感動できるのかと。
思えば大河に関してもずっとそんな感じでした。
しかも社長が、たとえホラ吹きでも善人ならまだ許せますが、そうでもなかったら?
◆すしざんまいは“助成金不正”ざんまい【全文公開】(文春オンライン)(→link)
幸田露伴が伝記の執筆後、
「あれは要するに時代の流れに乗っただけ」
と言い、話を避けるようになったという渋沢栄一。
『獅子の時代』は渋沢大河の計画だったけれども、山田太一が変更した説もある、そんな渋沢栄一。
『獅子の時代』と『青天を衝け』までの間に、日本はどうなってしまった?
◆平然と嘘をつくようになった
『獅子の時代』のように架空主人公ならば自由が効く。そして視聴者は「ドラマだ」とワンクッションを置ける。
そういう安全装置なしに『青天を衝け』は堂々と嘘をつき続けました。
◆現実逃避に陥った
こんな記事がありました。
◆日本が国際的地位を格段に下げている痛切な事実 いつの頃からか日本人は「謙虚さ」を失っている(→link)
記事には以下のような記述があり、
日本の地位がこのように低下しているにもかかわらず、日本人はいつの頃からか、謙虚さを失った。
大河はじめエンタメもそうではないでしょうか。
かつて韓国のテレビクルーは九州から電波を拾って、日本のドラマを見ていました。
大河ドラマは憧れの的であり、いつかこんなふうに自国の歴史をドラマにできれば……そう思い続け、それが実現され、2004年にはNHKが『チャングムの時代』を放映しました。
そして2021年、若い世代は韓流時代劇に夢中です。
中国もそう。華流時代劇も大人気です。
一方で日本は「おじいちゃんおばあちゃんの娯楽」と時代劇を切り捨てた結果、大河以外はほぼ消え去りました。
そんな時代に、大河では惨めたらしく、
「日本の渋沢栄一のおかげで韓国も中国も繁栄できたんだぞ!」
と現実逃避をしている。
先ほどの記事にあったことそのまんまの状態です。
韓国の高い成長率に学ぶ必要であるというと、「韓国は日本の支援で成長したのを知らないのか」という意見にぶつかる。
どの国にも良い点と悪い点がある。
自国の問題点を強調するのは、それを改善したいからだ。他国の良い点を指摘するのは、それが自国を改善する参考にならないかと考えるからだ。
事実を正しく認識することは、事態を変えるための第1歩だ。
そして、1960年代の謙虚さを取り戻すことが、日本再生のための不可欠の条件だと思う。
◆制作サイドに謙虚さがない
先ほどの記事のタイトル通り、本作は謙虚さがありません。
『麒麟がくる』のインタビューが手元にあるのですが、だいたいみなさん謙虚です。「俺すごい! ドヤァ!」などしていない。
それに引き換え『青天を衝け』は一体何なのでしょう?
視聴率だって初回で20パーセント、前作のご祝儀ありきで取ったものですぐに下落。それ以降は特に高くもありません。評価もそれほどでもないだろうし、渋沢関連書籍もそこまで出るわけでもない。昨年はドラマ完結間際まで関連記事があった歴史雑誌ですが、今年は秋には消えました。
それなのに、類を見ない大成功を収めたとばかりに浮かれている。
◆ 吉沢亮、渋沢栄一を演じて改めて実感「新一万円札にふさわしい人」 91歳演じる苦労も語る (1)(→link)
◆『青天を衝け』生い立ち丁寧に描き“愛すべき栄一”に 脚本・大森美香氏「偉人伝ではなく人間ドラマとして描いた」(→link)
◆「『転機になった作品』と一生言っているような気がします」吉沢亮(→link)
『平清盛』や『花燃ゆ』の主演は、しおらしく反省をなされていたものですが……。
謙虚さは己を省みるのに必要なこと。それが失われたらどうなるか?
未来の成功はあるのかどうか?
それは今後の活躍が証明してくれるはず。
例えば吉沢亮さんが、経済を語るのにふさわしい知性の持ち主と評価されたなら、長谷川博己さんのような起用もされるでしょう。
なお、来年のインタビューを読むと、皆さま謙虚でよい感触だなぁと思う。
なぜなら自信がない人ほど、威嚇する猫のように毛を逆立てる傾向は人間にもある。
大河という注目度の高いドラマである以上、そんな余計なメディア対応なんかに気を使ってる場合ではなく、役や歴史そのものと本気で向かい合わなければならない。そう構えていなかった証拠でしょう。
逆に、アピールしている時点で負けなのです。そんなもん、自分で言うことじゃなく、他人から判断されることですから。
◆ 付和雷同(ふわらいどう)
由来は渋沢栄一も大好き(ということにしておきます)な孔子『礼記』より。
【エコーチェンバー】と言ってもよいでしょう。
『花燃ゆ』のとき、大河クラスタを自認するアカウントはともかく手厳しかった。
「こんなイケメン少女漫画で釣ろうとかふざけるなよw」
「雑なプロパガンダだな、おいw」
散々そう突っ込んでいたものです。
『西郷どん』までは、その勢いがあった。
それがこの二作と大同小異の『青天を衝け』ではどうでしょうか?
アカウントやブログをざっと確認してみると……。
「毎回神回だね……」
「号泣!」
「完璧な慶喜像!」
見事なまでに大絶賛ではありませんか。
もちろん、人の感想なんて好き勝手でよろしい。人それぞれ自由に感じていいし、発信してもいい。
しかし、幕末明治史の基礎的なところまでミスを連発する大河に、こんなに優しい目線が向けられるものでしたっけ?
史実のミスを指摘した記事や意見には、苦しい言い訳をしていることもある。
いわゆる【ポリアンナ症候群】です。
ポリアンナ症候群とは(Wikipediaより)
ポリアンナ症候群(ポリアンナしょうこうぐん、英: Pollyanna syndrome)は、直面した問題に含まれる微細な良い面だけを見て負の側面から目を逸らすことにより、現実逃避的な自己満足に陥る心的症状のことである。 別の言い方で表すと、楽天主義の負の側面を表す、現実逃避の一種だと言い換えることもできる。
なぜ、こんなことになるのか?
『スマホ脳』等、ネット心理を解析する本を読むとヒントがあります。
フォロワーさんが誉めているドラマを貶すわけにはいかない……本当はつまらないけど、誉めあうと楽しいし、空気壊したくないし。
ファンアートを投稿すればきっといいねがついてRTされる!
こんな気遣いをする方も見てしまった。
「すみません、私はこのドラマは史実に反するうえに侮辱的なので楽しめなくて……でも某さんと気が合わなくて残念です」
「いいんですよ。私は私なりの楽しみ方をみつけています。あなたが私に賛同しないことは残念ですが」
「すみません! ほんと、申し訳ないです!」
なんなんですか、この卑屈なまでのへりくだりは。居酒屋で見かけた上司と部下でしょうか。
『青天を衝け』の場合、放送前はそれこそ『花燃ゆ』の再来かと危惧されていたのに、初回が20パーセントを超えたもんだからイケイケドンドンになった。
そんな風潮に押されてしまったのでしょう。
今はもう感想を自力で書くのもめんどくさい。検索かけて、それっぽいものをリツイートし、ニュースをつぶやく。それで自分もいっぱしの鑑賞ができたとうなずく。
そしてその気持ちを乱す奴がいたらぶっ叩いてスッキリする。
自分の頭で考えるというより、共感性が欲しい。そんなインスタントな感動を求める。幕末も近代史も勉強したくないけど、カリスマアカウントをRTしていれば歴史に詳しいとアピールできる、と。
そんなダラけた共感装置としては、上出来のドラマだったと思いますよ。私はこんなものに乗っかるのはごめんですが。
そのあたりの心理効果をうまく把握して、NHKが広告宣伝でもしたのか? ライターさんもイケイケのアゲアゲで大絶賛する記事を書いていましたね。
SNSを切り取ったコタツ記事は、日曜夜にはすぐ出てきました。
毎年そんなもんだろ、と思われますかね?
『麒麟がくる』なんて些細な揚げ足取りで叩く記事がありました。
ただ単に「駒がムカつくから駄作!」「架空キャラが出るからファンタジーだ!(※『獅子の時代』はじめ歴代大河を知らないんでしょうか)みたいなもの。
今年はそういう記事をほぼ見かけません。
実は私が気になって仕方ないのは、ドラマの作り手も、ドラマ記事を書くライターも、漢籍知識が曖昧なこと。
そのくらい最低限の勉強をしないものでしょうか?
中国思想研究者でもない渋沢栄一と、その妻・兼子が愚痴混じりで話した軽口を引きながら、
「儒教には性的規範がない」
と堂々と書く記事には閉口しました。思想をこうも容易く侮辱して一体何なのでしょう。
不吉極まりない大河です。
王朝の末期って、古今東西やらかしがちな破滅ストーリーがあります。
祖先崇拝というオカルトに陥る。
限られたリソースを、しょうもないそうしたことに費やし、現実逃避をする。
経済がこれほど停滞し、あの国のようになってはならないと言われるそんな日本。
そんな斜陽の国が、過去の人物をひたすら持ち上げ、「この英雄が見守っているから大丈夫だ!」と陶酔している。
実に不気味です。
こんなニュースがありました。
◆百田尚樹著『日本国紀』に「歴史改ざんファンタジー」のPOPを掲げた大阪の書店 店長が語る「『批評』の意味で掲示しました」(→link)
「歴史改ざんファンタジー」がウケる理由はよくわかります。大河だってそうだもの。
このレビューに苛立ち続けたあなたへ
なぜ私の好きなドラマを貶すの! 許せない!
そんな皆様へ。
今更ですが、『青天を衝け』を絶賛するソウルフルなレビューはたくさんあります。そちらへどうぞ。
きっと美辞麗句で褒めています。
◆『青天を衝け』40話「生きていてよかった」渋沢栄一と徳川慶喜、笑顔の別れ。次回最終回(→link)
◆ 『青天を衝け』草なぎ剛“慶喜”の名場面を振り返る「生きていてよかった」「輝きが過ぎる」(→link)
◆『青天を衝け』最終回は吉沢亮の“全力の走り”に注目 大森美香が紡いだ渋沢栄一の情熱(→link)
◆ 「『転機になった作品』と一生言っているような気がします」吉沢亮(→link)
もちろん、大河とこの時代に詳しい先生も絶賛しております。
◆秀逸だった「青天を衝け」今までの幕末大河ドラマと何が違う? 渋沢栄一と時代を生きた人々(→link)
知名度では、同時代の著名人に比べて後塵を拝するかも知れない渋沢ではあるが、近代日本を描くにはもってこいの人物である。渋沢を知ることによって、日本の近代のスタートやその後の在り方を学ぶことが可能であり、現代に生きる日本人に様々な示唆を与えてくれる傑出した存在、それが渋沢なのだ。
なお、視聴率は『麒麟がくる』が盛り上げておいて落としましたが、それでもあの『西郷どん』と『いだてん』よりは上げたのでオッケーなのだそうです。
物はいいよう、ですね。
◆NHK大河「青天を衝け」最終回 「当たらない近代もの」の声はねのけた 期間平均視聴率14・1%(→link)
徳川家康(北大路欣也)の存在も大きい。大河に限らず大きなドラマは「最初だけ見てみるか」という視聴者も多い。第1回の冒頭に徳川家康が出てきたことで心をつかまれた層は少なくないはずだ。
栄一の13歳から91歳までを熱演し「新しい扉がバンバン開いた」と表現した吉沢ら主要キャストとともに、脚本を始めとしたスタッフの智恵と力が結集した作品となった。このコラムを書くために、台本を読ませてもらっても内容の変更が多く、放送用の映像が直前になっても完成していないことがほとんど。そんなところからも、ギリギリまで最善を尽くす裏方さんたちの情熱を感じられ、取材していて楽しかった。関係者の皆様、読者の皆様、10か月間ありがとうございました。
前述の視聴率分析を掲載した記事では、徳川家康のせいで視聴率を落としたことになっていましたが、こちらの記者の感覚では逆ですね。
数字より感性を重視するのであれば、この記事も心地よいものとなるかもしれません。
原敬暗殺――暴力の日本近代史
この大河を見ていて気づいたことがありませんか?
明治になってからも暗殺が多発しています。
大久保利通。伊藤博文。原敬。立て続けに亡くなりました。
教科書でもそうだったっけ……と、流しそうになってはいけません。
なにせこのドラマの主人公は渋沢栄一です。宣伝でもさんざん「志士になる」と繰り返していました。
なぜ、日本人の要人はテロの被害に遭い続けたのか?
国のトップが暴力革命を成し遂げたからです。その暴虐に民衆が染まらなかったはずもない。
これについては、以下の書籍がオススメ。
藤野裕子『民衆暴力: 一揆・暴動・虐殺の日本近代』(→amazon)
一坂太郎『暗殺の幕末維新史-桜田門外の変から大久保利通暗殺まで』(→amazon)
エイコ・マルコ・シナワ『悪党・ヤクザ・ナショナリスト 近代日本の暴力政治』(→amazon)
日本人はおとなしい……そんな印象論で生きておりませんか?
歴史はそうではないと証明しております。
そしてその原因には渋沢栄一も関わっているのです。
思想と経済
渋沢栄一と近代日本の暴力の関係とは?
まずは思想。後期水戸学をみっちりと習得する姿が出てきました。水戸藩こそ幕末一猛悪であったと当時の経験者から回想されています。
天狗党の乱では、栃木宿での放火殺人をはじめ、無秩序な暴力が発生しました。
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そしてこの後期水戸学は、明治政府上層部のバックボーンとしてもあったものです。
渋沢栄一が政府に顔が利いた理由だって、こうした思想で結びついているのです。
娘婿の穂積陳重とは優生学で一致。優生学とは実に恐ろしい学問で、科学的という建前で人々を組織的な強制不妊、隔離、虐殺にまで導いたものです。
渋沢栄一の思想体系は暴力的です。
そして次に経済格差。組織暴力の背景には、しばしば経済格差があります。
関東大震災のあとの組織暴力の背景には、外国人労働者に仕事を取られているという不満がありました。
経済格差を是正するどころか、搾取するのが資本主義です。暴力の発生装置となっておいて、搾取した金をばら撒き、君子然としてふるまう。いつまでそんな渋沢栄一に振り回されなければいけないのでしょうか。
天譴論
本作では案の定描きませんが、渋沢栄一は天譴論(てんけんろん)を大々的に主張していました。
天譴論は儒教由来と説明され、それゆえ儒教が悪いという流れにされますので、明確にしておきますと。
渋沢栄一は空気を読み、卑劣な改悪をした、日本式天譴論を展開しています。
もともと中国における天譴論とは「君子や為政者の悪徳に天が下す」というものでした。
しかし、日本ではこれより5年前の大正7年、白虹事件があった。
「白虹貫日」という故事成語があります。為政者が悪政を行っていると、不吉な天体現象が発生するという意味です。
この故事成語を大阪朝日新聞が使ったものだから、「不敬だ!」と右翼が襲撃をする事件になった。
関東大震災後に渋沢栄一が、この本来の天譴論を展開すれば、天皇を批判することになり危険。
ゆえに彼は卑劣なすり替えをした。
◆関東大震災後における渋沢栄一の復興支援 / 守屋淳(→link)
この天譴論の論拠が、なんともくだらないんですよ。
「有島事件」も堕落の根拠にしている。
「有島事件」というのは、作家の有島武郎が、婦人公論記者である波多野秋子と心中した事件です。
そんなんで関東大震災が起きるなら、渋沢栄一、伊藤博文、井上馨の下半身事情を天が知ったら隕石が落下してきそうですが、そこについては棚上げそのもの。
もうNHKは関東大震災を取り扱ってほしくないものです。とりあえず大河ではあと半世紀くらい封印してもよいかもしれない。
『いだてん』でも、強引に震災復興とオリンピックを結びつけた経緯があり、今度は渋沢でこんな調子ですから。
NHKがしおらしく反省する間に、VODが東アジア近代史を忖度なしで扱うドラマでも作れば全て解決することでしょう。
関東大震災描写なら映画『金子文子と朴烈』をお勧めします。
そうそう、関東大震災の支援物資ですが、あることが判明するとトーンダウンします。
英語版Wikipediaに“Kantō Massacre”として掲載されている事件。こんな国に支援できるか!という怒りが湧き上がった。
こうした史実を踏まえると、
「お互いに分かり合えたら差別しないよ!」
という、このドラマの渋沢栄一の戯言がなんとも虚しく聞こえてきます。全部特大ブーメランになって自分自身の額に直撃しています。
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春は“情欲”を意味する
春という言葉は単に季節だけではなく、情欲も意味しています。
春画、春本、回春……。
本作最終回のサブタイトルを見て、ハッと気付かされたことが色々あります。
「青春はつづく」というサブタイトル、しかも渋沢栄一が主人公ということを踏まえると、この大河は“見る回春”ではないか?ということ。
回春の意味は各自調べていただくとして、その根拠を見ていきましょう。
・ターゲット視聴者層
→序盤の時点で40代以上と分析されていました
・褒めている媒体の読者層
→この大河をやたらと褒めている媒体の読者層は年齢層が高い
・やたらと褒められる慶喜役
→主役を食っていると散々報道されています。彼のファン層は若くはない。
あえて言いますが、私は慶喜役はミスキャストだと感じました。
ほんの三十前後で政界から引退したことが慶喜の特性なのに、あの年齢では流石におかしい。栄一との年齢差も大きすぎる。
かつて大河はベテランを当てるために、織田信長が高齢化しすぎるドツボに陥りました。
信長は五十で散ったのに、ベテランの花道にするからやたらと貫禄のある信長が本能寺で槍を振り回す……そのドツボを刷新した『麒麟がくる』の染谷将太さんは画期的でした。
岡田准一さんがキャスティングされても「若すぎるのでは?」という声が出なくなったのですから、素晴らしいことです!
……と思っていたら、慶喜がコレですよ。
映画『燃えよ剣』の山田裕貴さんの方が適切に思える。
しかし、なかなかそんなことは言えない(言っちゃったけど)。
そして自分なりに考えたんですよ。なぜファンの皆さんは、嬉しそうに慶喜を褒めるのか?
回春ではありませんか?
今から30年前、デビューから見守っていたファンからすれば、彼がもてはやされているだけで、まるで自分が青春時代に戻ったような気分になれる!
これぞ回春の喜びです。
つよポンを絶賛する心理って、そういうものもあると思えるのです。
慶喜を褒め、つよポンを褒め、自分の審美眼を褒める。今まで彼を見守ってきた自分の人生そのものを肯定する。
麗しい……とは言い切れません。
こんな記事が出るようでは、あまりに吉沢亮さんが気の毒だ。コンビと書いているけれど、ついでに褒めているようにしか思えません。
『麒麟がくる』の長谷川博己さんと染谷翔太さんとはどうにも違うんですよね。
◆ NHK大河『青天を衝け』草なぎ剛・徳川慶喜に「ラストで全部持ってく」「吉沢亮とのコンビ最強」「ウラ主役」絶賛の声!「NHK推しまくり」でわかる「圧巻実力」(→link)
「前半の主役と言われてましたが、シメも草なぎでしたね。ファンの間では、慶喜が逝去したことで、最終回は特別にストーリーテラーのご先祖様・徳川家康(北大路欣也)との対面を果たすのではないか、という期待の声もありますね(笑)」(前同)
世界は彼と同年代、『イカゲーム』主演のイ・ジョンジェで話題沸騰しているのに、これって現実逃避ではないの?なんて指摘してはいけません。
◆ 実は『イカゲーム』は新境地 “韓国トップ俳優”イ・ジョンジェってどんな人?(→link)
大河とエロス
公然の秘密ながら今まで突っ込めなかったところへ向かいます。
大河とエロス――大河のニュースでは時折、妙なものが混じってきます。
『麒麟がくる』において遊女が出てきた際が顕著でした。
「うおーっ大河! やっぱり大河といえばエロ!」
わけがわからない。本物の若者からすれば理解できない感覚でしょう。
出るか出ないかわからないエロを求めるより、エロならVODでHBOでも見ればよくね? そもそもスマホで動画を見ればいいし……と、そうなりますよね。そのほうがずっと効率的です。
しかし、ある程度上の世代からすると、それは甘酸っぱい記憶なんですね。
昭和の昔、大河ドラマは歴史の勉強になるから、と親も許可するコンテンツでした。
そんな大河で美人女優の肌が瞬間的でも顕になる。凍りつくお茶の間の空気、咳払いする父、台所に立つ母、そしてドキドキした俺……そんな青春の一ページが大河にはあるんですね。
特に昭和は、時代小説とエロの境界が薄かった。
当時、時代小説とは難しいから、男しか読まないという偏見がありました。そうなると男性読者の心を掴むためにもエロを入れて欲しい!という要求を編集者が出す。作家もしぶしぶそれを飲んでしまう。
はなから「エロです、くノ一です、表紙からして大股開きです」と言い切る山田風太郎は良心的でした。
そうではなく、教養のカバーをつけて中身は殿と側室のエロ三昧だったりする時代ものが実にややこしい。
そして、そんな時代を生きた元青少年には、時代ものとエロを結びつけるノスタルジーが醸成されたんですね。
ゆえに、大河で少しでもエロが出てくると、ムフフとうれしくなってしまうのです。そういう需要があるからこそ、高年齢読者層のメディアは大河のエロに飛び付きます。
今は、エロいおっさんにとって受難の時代です。
森喜朗氏の発言。「オリンピッグ」なんていう洒落たジョーク。それすら言えない。
何でもかんでもセクハラになるから、もう若者とお話しもできないじゃないか!
そうお嘆きの彼らにとって、まさしく大河という教養で包んでエロトークに持ち込める『青天を衝け』は最高です。救世主です。
渋沢栄一なんて、そういう意味では最高じゃないですか。
友人は伊藤博文と井上馨。主君は徳川慶喜。みんな下半身がゆるゆるです。本人も、もちろんそう。
「エロはよくないっていうけどね、こんな偉人たちもそうだったんだよ」
そうニヤニヤしながら若い世代に説教するにはもってこい。エロとノスタルジーという意味において、2021年は黄金の題材でした。
こっちとしては、そんなこと知ったことじゃありませんけどね。
誰かの股間チャックが全開だったら咳払いする。その程度の良心はある。ゆえに、暴いてみました。
性欲とは何も本能でなく、征服欲でもあります。
自分の下劣な性欲を見せびらかすことは、権力に酔いしれることでもある。
たとえばこんな記事を示して、できる男は性欲が強いとセクハラを正当化することだってできます。
能力と性欲が正比例するなんて怪しげな説だって、渋沢栄一顕彰は正統化する。そうしてセクハラに理屈をつけてくれる渋沢栄一顕彰って最高ですよね。
◆ 「NHK大河ドラマではやはり描きづらい」20人の婚外子をもうけた渋沢栄一の”婦人ぐるい” その倫理観には妻も心底あきれた(→link)
◆大河ドラマで封印された、渋沢栄一華麗なる男の生きざま 偉業の底翳に女あり、作った子供の数は50人(→link)
人生最後に妾との間に子を成したのは御年68歳。その時、栄一はこう言った。
「いや、お恥ずかしい。若気の至りで・・・」
晩年になっても、青年のごとく、その意気、天を衝き、性においても衰えを見せることはなかった。
(中略)
愛人との子供では80代になってから成した子もいるという。
栄一が生涯につくった子は20人というが、一説では50人という話もある。
グレタ・トゥーンベリさんやMetooにイライラする大人を癒す時間でもありましたね。
そしてブロマンス狙い、しかしそれは禁じ手である
『青天を衝け』の傑出した部分は、男性のみならず、女性のエロスも刺激したことです。
『花燃ゆ』ではシラケきった、乙女ゲーのような幕末ドラマを本作は成功させました。
そしてさらに『西郷どん』では不発だったあの新機軸も成功させたのです。
今、ブロマンスが熱い――こんなものは公然の秘密といっていいでしょう。
BLドラマが花盛り!
それを大河でもやればいいじゃない!
そういう試みはあった。誰も覚えていないでしょうけれども、『天地人』の時点でBLコミックとのタイアップがありました。
『西郷どん』でもBLアピールをした挙句、西南戦争をBL破局のようにして失敗しました。
でも今度は成功だ。だってこれだもの。
◆【大河ドラマコラム】「青天を衝け」第四十回「栄一、海を越えて」栄一と慶喜、最後の対面が意味するもの(→link)
つまり、栄一がスピーチで語ったことは、栄一と慶喜の間で起きた出来事そのものであり、2人の関係には本作が掲げてきた「生き抜く」というメッセージの全てが凝縮されていたように思える。そう考えると、「青天を衝け」は、「栄一と慶喜の関係の物語」だったともいえる。
これを読むと、どんだけ邪悪なドラマだったかわかるんですよね……。
「生き抜く」――綺麗事としか思えない。
天狗党を見捨てて、戊辰戦争戦火の原因を作っておきながら放置して、自分さえ良ければいいってことですか?
しかも、そんな維新前後の死屍累々を背景に慶喜と栄一がラブフォーエバーってこと?
どんな残酷BLなんだ……。
成功したと先ほど書きましたが、この作品は目の前の成功を追い求め、大々的な失敗をしたと私はみなします。
作品の品質では『花燃ゆ』と『西郷どん』と本作はどんぐりの背比べ、大差はない。
変わったとすれば受け止める空気です。
本作はコタツ記事を量産するといった戦術により、うまく空気を醸成しました。
『いだてん』では惜しいところまで行ったものの失速した。その失敗体験から色々と宣伝戦術を学んだのでしょう。
『花燃ゆ』と『西郷どん』を貶しておきながら、本作は「毎回神回だった!」「号泣!」「完璧!」と大仰に誉めている方がいたら注意すべきかもしれません。
その方の判断力とは、結局のところ、空気を読む力が大きい可能性がある。
では、本作の大失敗とは何か?
歴史劇とブロマンスを組み合わせるにしたって、やりようがあります。
蜀漢正統論に疑念を呈しつつ、根底に司馬懿と献帝の弟・劉平を置いた『三国志 Secret of Three Kingdoms』という華流ドラマがあります。
これはドラマとしても良心的な傑作ですし、何よりも主役が献帝ではなく、あくまで双子の弟だというところがポイント。
献帝本人が司馬懿とブロマンス展開をして、それが魏晋交替だということにしたら、中国共産党が苦言を呈しつつ訂正を求めることでしょう。
しかし、双子の弟ならば史実と誤認することがないから、認められるのです。
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歴史修正に関して中国や韓国の歴史劇は良心的かつ厳しい。
中国は党が目を光らせている。韓国は視聴者側がきっちり抗議する。
華流には仙侠。韓流にはフュージョン時代劇がある。
どちらも架空要素が強い。見る側が史実と勘違いしたり、歴史修正を避けるようにして時代劇を量産しているのです。
日本はそもそも時代劇を作らなくなったうえに、こういう歯止めがない。
ゆえに大河が正々堂々とブロマンスのために侮辱的かつ悪質な歴史修正をする。
しかもメディアもそれを指摘しない。おそろしいほどの泥沼に突っ込んでいます。
見る側の原因もあります。
『麒麟がくる』での駒叩きの悪質さには呆れ果てました。ファンタジーだの歴史劇じゃないだの……一体何を言っているのでしょう?
時代劇に架空の人物を加えることは古来よりあった定番の技法です。
それでいて『青天を衝け』において慶喜や栄一が、史実と正反対で考証的にもおかしいデタラメを演じても、「感動しました!」「完璧です!」とは、どういうリテラシーなのか。
コレも何もかも、時代劇を作ることをやめて、見る機会が減ったためでしょう。
今から作ろうにももう遅いかもしれない。
何十年かければ日本の時代劇は韓流華流に追いつけるのでしょう。そんな日はもう二度と来ないのでしょうか。
“春”を重んじる日本らしいドラマ
先日、ミス・ユニバース日本代表のコスチュームが炎上しました。
◆ ミス・ユニバース日本代表の着物風ドレスは悔しかった こういう時こそNOと言おう(→link)
私も当初「なんだこれは」と思ったけれども、同時に「そういうものかもしれない」と納得はできました。
こんなニュースもあります。
◆日本の女性、「嫌なものは嫌」と言えないのはなぜ? 幼い頃から培われた女性観の罠(→link)
先日、日本のアニメをこよなく愛するアメリカ人の12歳の男の子を診察した際、「日本の漫画の女の子は、どうしてストーリーに関係なく制服の短いスカートの斜め下から下着が見えそうな角度で描かれるの?」と聞かれました。
認めたくないかもしれないけれど、【日本文化=未成年をエロく消費する】という思い込みはあると感じます。
『四十七人目の男』という小説があります。
「スワガー・サーガ」と呼ばれる元アメリカ海兵隊狙撃手が活躍するシブいハードボイルドです。
極めて真面目なはずが、日本を舞台にしたこの作品はすごいことになっています。
ヤクザの名前が「近藤勇」。そのボスが守りたいのが着物ポルノ。教室でエロ展開をするようなポルノこその日本の誇りである――そう主張する敵のボス・ショーグンと戦うべく、妖刀村正を手にした狙撃手が奮闘するのです。
作者のスティーブン・ハンターはまっとうな人物です。お笑い小説を手がけている作家じゃない。
それでもこんなことになるほど【日本人=ブシドーと制服ポルノ】になっているんですね。
ちなみに、ミス・ユニバースのアレ、韓流と華流、韓国と中国代表は露出度が低い上にエレガントな民族衣装アレンジを展開していました。
これは時代物のドラマ、漫画、ゲームにも言えることで、日中韓を比較すると、日本だけ伝統を破壊しつつ変な露出になっていることが実に多い。
他国の人が描く着物を「侮辱だ!」と怒る前に、自分達が何を発信しているのか冷静になった方がよろしい、ということですね。
それの何が大河に関係あるのか?
昨年まではそうでなくても、不幸にして今年は大いに関係があります。
『青天を衝け』では、未成年をポルノ扱いしました。
渋沢栄一が、まだ劇中では中学生くらいの年齢だというのに、わざとらしく転ばせ、ストーリー上必要がないにも関わらず、下着一枚にする場面があったのです。
それを見た視聴者が性的に興奮したとSNSに投稿し、ネットニュースになりました。
未成年エロスはまだあります。記念すべき栄一と慶喜の出会いは、思えば並んでの立ち小便でした。
余談ですが、渋沢栄一は近年稀に見るほど排泄行為が言動に絡んできます。後半にも「しょんべんしてくる」と言い、立ち去る場面がありました。彼ほどの教養の持ち主なら、もっと他に言いようがあるのでしょうが。
こんな未成年エロを皮切りに、本作は春を求め続けます。
栄一が久々に再会した妻・千代に「仕込むべ!」と叫ぶ場面。
いきなり女中・くにの腕を掴み「あーちと」と言いながら強引に関係を迫ったとみなせる場面などなど……。
性的な想起をさせ、かつ相手の同意を無視した時代錯誤的なセクシー演出が頻発しました。
やりすぎて平岡円四郎の妻が女衒になるという、とてつもない侮辱までしています。
それを批判するどころか、SNS投稿でもネットニュースでも、興奮したというものばかり。
海外からコレを見たら「すごく日本って感じだね」と言われそうです。
何度でも指摘しますが、エロチックな場面が多いことで有名なHBO作品『ゲーム・オブ・スローンズ』ですら、主要人物の年齢を引き上げ、未成年結婚を回避しました。
日本だけです、未成年でエロを求めること。
2021年は、未成年を性的に扱うことにより、失われたコンテンツがいくつもあった年でした。
NHKも公共放送である認識があるのであれば、そんな劣情に乗らない程度の理性を保っていただきたい。
春という言葉の意味を踏まえつつ、こんなニュースでも読み返してみてください。
◆『なかよし』2作品が原作担当者の女児わいせつで連載終了 講談社「断じて許されない卑劣かつ悪質な行為」(→link)
◆ 『ギャル子ちゃん』作者、児ポ輸入で逮捕…懲役の可能性も、所有品の多さも焦点(→link)
学生服を着てコスプレに励む。そんな姿が浮かんできて心底辛いものがあります。この苦痛をあなたと分かち合いたい。
◆ <青天を衝け>吉沢亮“栄一”が伝えるラストメッセージ!走り続けた栄一の青春物語がいよいよ完結(→link)
玄冬に到達できぬ人生よ
青春はつづく――ずっと栄一くんのおつかいシリーズのようだったサブタイトルが、最終回で本作の本質に到達しました。
青春とは五行説由来の言葉です。
青春が過ぎ、朱夏が訪れ、白秋が過ぎ、玄冬に至る。それが人生。
『麒麟がくる』はそこを衣装でも、演技でも、そして脚本でも描いていました。
明智光秀の衣装は、若い頃は春に芽吹く緑のような色合い。それが最終盤は黒い。
彼は青春から玄冬へ至ったのです。
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それが今年は……。
青春はつづくと90を過ぎても言っている奴。
それを堂々と掲げる奴。
そんなもん、いくつになっても「オレは一生、幼稚である!」と宣言したようなものです。
一生青春だの、若さでイキイキだの。いかにも素晴らしいことであるかのように語るとすれば、漢籍理解が足りない。
「老」という言葉には、歳をとって疲れたというマイナスのみならず、経験豊富で熟達しているという意味もあります。
老を否定するというのは、要するに、経験や成熟を無視するということ。
人間はそれこそ鬼舞辻無惨ではないので、肉体は老いてゆく。
それなのに気持ちばかり若くて経験と成熟を否定するのって、醜悪の極みなんです。
でも、なまじ社会的地位が高かったりするから、周囲はニコニコと「ですよね〜」と合わせてくれちゃったりする。
結果、本人は無自覚で「俺もまだまだ若いじゃん!」と勘違いしてしまう。
本作が延々と続く文化祭気分であるのも納得できました。
もう数十年前の若者感覚、ナウなヤングにバカうけ感覚なのでしょう。
本作を褒める記事に「キターーーーッ!」とあった時には色々納得するとともに、悲しさの極みに陥ったものです。
繰り返しますが、若者が老いてゆくのは悪くありません。
問題なのは、老いているのに知識も経験も身につけず、成熟しないこと。
本作が受ける理由はわかります。
このドラマって、ありのままに肯定してくれますから。
ドラマそのものも、コタツ記事も、ファンダムも。成熟しないで一生青春!
文化祭続行気分で「ちょwww」とか浮かれている気分を全肯定してくれる。
そりゃあ気持ちいいでしょう。
努力しないで褒め言葉だけ貰えるんですから。
しかし、その虚しさくらいは自覚していただきたい。
「玄」とはただ、黒いという意味ではない。奥深い境地という意味もある。老いることで若い頃にはなかった境地に至るのであれば、それは幸せなこと。
「青春はつづく!」とかなんとか幼稚なことを言ってヘラヘラしていると、そんな境地に至ることなく人生が終わります。
なんと悲しいことでしょうか。
そんなことでは、「快なり!」つまりは気持ちいいか気持ち悪いかでしか、ものごとの良し悪しが判断できなくなります。
おむつが乾いているか、濡れているか。
原始的な感覚なんて、赤ん坊だってわかる。
そんな感慨を最期まで叫んでいる人生なんて、どうなのでしょう?
そもそも幕末が青春シンドローム
なぜ、青春なのか?
『麒麟がくる』にせよ『鎌倉殿の13人』にせよ。そういうノリにはならないでしょう、
光秀と信長は、別に「俺ら青春だよね!」なんて盛り上がっていなかったし、北条義時と政子が「青春は続くよね〜」と、あの殺伐とした世を生きていたらおそろしすぎる。
これも幕末ならではと言えましょう。
明治維新は若者が成し遂げた!スゴイ!というのはお約束のフレーズです。
世界史的にみても、揃いも揃って同年代の若者だけで革命を成し遂げたとなると、あまり例は多くはないと思います。
が、しかし、実はそこが問題です。
ぶっちゃけノリと勢いで維新しちゃってない?
と言いたくなることは山ほどある。
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小栗忠順など、知識豊かな幕臣出身者を殺すなり、職業を奪ったりした結果、明治初期は国そのものが停滞しかけました。
外交は特に悲惨です。
江戸幕府は、西洋列強との対峙でタジタジしただの何だの言われますが、実際は、岩瀬忠震や川路聖謨、栗本鋤雲といった人物たちが、諸外国と大人のお付き合いをしていました。
イギリスは、日本の倒幕勢力がイケイケお兄ちゃんたちだと気づき、ゴリ押しで本国からも賛否両論であるパークスを使い、オラオラ外交を展開した。
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結果、明治政府はイギリスから「おいコラ、文明国のやり口を理解してんのか? アァ?」と怯えさせられるほどの恫喝外交をかまされる。
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それ以外にも、イケイケ時代の感覚が抜けない政治家が、色々ひどいことをやらかします。
組織的性犯罪をする大学生サークルのようなノリで、ゆるすぎる下半身暴走を展開。福沢諭吉は激怒し、津田梅子は眉をしかめ、プロテスタント教徒はため息をつく。
そんな下半身が永遠の青春組には渋沢栄一も代表格として入っております。
女に汚い。
女遊びで金を浪費するから、汚い資金繰りでなんとかしようとする。
暴力癖が抜けない。
世直しと暗殺をイコールで結びつける気風が暴走し、民衆暴力へ繋がっていく。
ウェイウェイ系のどうしようもない時代が到来していた。それが明治時代です。
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そこで真っ当な分析なり反省をすればいいものの、フィクションやリップサービスを信じ込んだ結果
「明治維新はスゴイ! そんな日本にいる俺もスゴイ!」
とドツボにハマって抜け出せなくなった。それが現状です。
我々は青春の呪いに縛られています。こんな呪いがつづかれたらたまったもんじゃない。
ゆえに私はこんな世界観は御免です。
明治維新はまっとうに検証しましょう。
いつまで青春コメディでお茶を濁しているのか?
大量に犠牲者が出て、差別と不正の温床となった暴力革命にはしゃいでいる……今はもう21世紀ですが。
過去や歴史を自慢するのは、現在に自慢できることがない、進歩が止まったということです。
仁の欠如――先憂後楽
さて、最終回です。
このドラマに何が欠如していたのか?
渋沢栄一も大好きな儒教観点から真面目に考えたいと思います。
後楽園とは水戸藩邸の庭です。
この「後楽」の由来でも。
(仁人は)天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ。
范仲淹『岳陽楼記』
人の上に立つべき者は、皆が楽しんだ後でそうするくらいがよい。
それを水戸藩でも心がけていました。
が、しかし。徳川斉昭と慶喜父子を無理矢理持ち上げてきた本作の製作陣は、この水戸藩の教えなど眼中になかったようです。
公式SNSでは、いかに作り手が楽しそうにしてきたか、その投稿ばかりでした。
インタビューでもそう。自分たちがいかに楽しんだかばかりを強調します。
それは「快なり!」という愚かしい決め台詞からも明らか。
思えばこのセリフは、同盟者である島津久光を追い落としたあと、慶喜がうれしそうに言っておりましたね。
あの久光を貶めた史実は、いくらなんでも愚かであり、慶喜も過労でやらかしたのかと言われております。
そんな大失敗のあとで「快なり!」とは愚かの極みに他なりません。
仁人とは、自分の快感は一番あとにして、民衆が笑顔になっていることを確認してからやっと胸を撫で下ろしつつ、微笑む。それが当然とされたからこその水戸藩邸の「小石川後楽園」です。
そんなことはどーでもいいや♪ おかしれぇ! 胸がぐるぐるする! 快なり!
作った側はそうして、えへらえへらしていられるのでしょうが、水戸藩を徹底的に貶めたことに対して、反省すべきではないでしょうか。
なんて私みたいな小者が提言したところで、制作陣は苦い薬は大嫌い、耳に逆らう意見なんて一切聞かず、自分たちを褒める意見だけをエゴサーチしているのでしょう。
私はよく、作り手に失礼だのなんだの絡まれますけど、完全防備で褒める意見しか届かない相手なら、そんな心配は不要ではありませんか。
本作の製作者は褒める甘ったるい意見ばかりを集めているでしょう。
そうでなければ、あんなに脇が甘いわけがありませんからね。
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義の欠如――渇すれども盗泉の水を飲まず
渋沢栄一顕彰は花盛りですね。
渋沢栄一を褒める歌をレコーディングし、売り出すという男性を見ていて、私はため息をついてしまいました。
渋沢栄一の悪を知らずに顕彰しているのであれば不誠実であるし、知った上で顕彰しているのであれば不義である。
今、若い世代は色々悩んでいます。
その中に、親世代の嫌韓がある。
韓国に旅行したいといえば脅される。韓流ドラマや歌を聴いているだけで罵倒される。一体なんなんだよ……そう疲れ果ててしまうのです。
『青天を衝け』とは、そんな憂鬱な嫌韓コンテンツのエースになり得ます。
既に韓国では渋沢栄一の紙幣登用に抗議の声があった。それをああだこうだと理屈をつけて、ネットだの会社の部下に向けて語るのならば好きにすればよいと思います。
しかし、実際に韓国と交流したい、そんな若い世代にとってはただただ迷惑な話です。
渋沢栄一顕彰とは、国際交流を図る若い世代にとって迷惑になることは認識してよいのではないでしょうか。
韓国抜きにしたって、環境破壊や女性への酷い扱いを踏まえたら、顕彰すべきとも思えない人物です。
それなのに褒めちぎるとすれば、不義を見逃してしていることになります。
渇すれども盗泉の水を飲まず
陸機『猛虎行』
孔子が旅をしていたとき、「盗泉」という泉の前を通った。喉は乾いていたけれど、名前を嫌って飲まなかった。
渋沢栄一も好きだったという孔子はこうですが、渋沢栄一顕彰に関わる者はどうなのか。
「盗泉の水はマイナスイオンが出ていて健康に最高ですよ!」とSNSで宣伝して飲みそうな恐ろしさを感じる。
盗泉は名前の問題だからまだマシかもしれない。
毒の泉だったらどうでしょう?
それでもみんなが褒めているから、SNSでフォロワーが褒めているから、ハッシュタグで褒めているから、「感動した!完璧!」と勧めますか?
問題はそこです。
そんな泉から水を飲まない若い世代は当然いる。
『週刊金曜日』では、大学生が渋沢栄一が朝鮮半島で何をしたのか検証する連載をしています。
希望とは、こういうことをいう。彼らの知性こそが澄んだ泉の水です。この水は是非とも飲んでいただきたい。
礼の欠如――和して同ぜず
君子は和して同ぜず。
『論語』「子路」
まっとうな人間は穏やかな交際をするものの、自分の意見は保つ。
SNSが何かと話題の一年でしたので、原点に戻って考えたい。
SNSとは一体何でしょうか?
フォローし合っているだけで友達同志認定して、その意見に引きずられ、自主性を失ってゆく。
悪ふざけをノリノリでしていくうちに、差別や侮蔑すら笑いながらしてしまう。陰謀論に加担してゆく。
そんな負の側面が注目されつつありますが、SNSのゆる〜い悪いノリに引きずられたかにような、そんな制作チームの甘さも見えてしまった。それが今年の大河です。
今まで大河を見てきて、今年ほど制作側が脇の甘いことをしゃべってしまう年はありませんでした。
主演俳優が「セリフは難しくてちんぷんかんぷん」と言ってしまう。算盤は練習をしていなくて、それっぽい手つきならばOKが出ると明かしてしまう。
準主演が「乗馬撮影は時間がかかるのに、数分しか流れない」と笑いながら話す。
脚本家は、史料よりも役者の雰囲気に当て書きしているといいきる。
「おかしれぇ」「ぐるぐるする」といった当時の知識人が言いそうにもない言葉を思い浮かべながら書いていたという。
なぜこんな事態が起きてしまうのか?
身も蓋もない言い方ながら、弛緩しきっていたからとしか言いようがありません。
おまけに平気で嘘をついていませんか?
ずっと渋沢栄一を大河にしたくて、お札の顔になったのは偶然だとか。
徳川家康を語り手として出すアイデアは、出演者が出たいというから増やしたと言っておきながら、後付けのようにあれには深い意味があったと言い出すとか。
嘘をつくなとは言いません。そこはドラマです。フィクションですから当然嘘はありで、史実を再現するものではない。
とはいえ、嘘にもやり方はありましょう。
ゴミを棚の下に掃いて「掃除した」と言いはるダメな子どものような、杜撰な嘘を吐かれ続けて今年は本当に疲れ果てました。
集団が堕落したことはもうどうしようもない。来年以降持ち越さないよう願うばかりです。
智の欠如――学びて思わざれば則ち罔(くら)し
学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
『論語』「為政」
知識を学んでも自分で考え直さなければダメだし、考えてもちゃんと勉強しないとあやふやになるよね。
私は今まで思い違いをしていたのかもしれない。そう思わされた一年間でした。
大河は歴史の入り口だけど、そこから学んで知識を蓄えるのであればよいのかもしれない。
たとえば彼女が好例です。
◆ 新潟の小6がつくった真田丸の模型、専門家が絶賛「すごい力作」(→link)
彼女が代表の子供世代からは未来を感じます。
しかし……大人は本当に大河から学んでいるのでしょうか。そんな疑念が湧いて止まりません。
『青天を衝け』の幕末描写は、ここ十年以内の幕末ものと比較しても間違いが多発していました。
それなのに、それを指摘する声がさほど出てこない。
おまけに史実との差異を指摘する研究者の記事に対し、こんな投稿もありました。
「こういうことはどうでもよくて、私は青天の慶喜様の方が好きだし信じたい!」
歴史知識をフィクションが上書きする――とんでもないことが起きました。
孔子が指摘するように、大河で歴史を学んだとしても(そう言えるかどうかはさておき)、そのあと自分の頭で考えるなり、調べないと身につかないのだと。
そうため息をついていたところ、SNSにこんな投稿がありました。
「NHK大河ドラマに「韓国」という言葉が出ている! 明治時代に韓国があったはずがない、歴史ドラマで嘘をつくな!」
大韓帝国は1897年から1910年まで存在し、かつ略称は韓国であり、そこは間違いではありません。
ゆえに難癖をつける側が無知……と、おさめてもよいところですが、致し方ないとも思いました。
今年の大河はあまりにおふざけが過ぎました。
トイレで心臓発作を起こし急死し彦根藩士による暗殺の噂すら流れた徳川斉昭。それがドラマでは、情感たっぷりに妻に対して感謝のキスをしてから亡くなる。こんなデタラメな描写をしていたら、信頼性が落ちるのは当然のことです。
ちなみに『麒麟がくる』はこの点良心的です。
あの作品で散々叩かれた駒ですが、ああいう架空の人物を出すことで、フィクションとの切り分けがかえってしやすくなります。
しまいには
「渋沢栄一が日本初の紙幣を作ったんだね!」
という偽知識がネットニュースでも取り上げられる始末です。
大河は嘘つきだというイメージを本作が強化してしまった。
世間からすれば「あの大河で歴史議論? 五十歩百歩だな」となっても不思議はないでしょう。
大河枠そのものが嘘まみれとは言い切れないものの、2021年については嘘まみれかつ侮辱的な描写がともかく多かった。
そのうえ、それに対して疑念を呈されるどころか、史実よりこちらがいいとファンもメディアも後押しするのですから、もう末期的です。
なまじ『青天を衝け』は、SNSでの発信にせよ、これが史実だとうたっておいてデタラメを毎週のように流すから悪質です。
「チャカポンは本当なんですよ〜」
とかなんとかトリビアを発信して、これぞ史実のような顔をしておいて、やらかすことはデタラメまみれ。
極め付けは、脚本家にせよスタッフにせよ「きっと実物の慶喜はこうだったんだよ、今までの慶喜像はきっとウソだったんだよ!」と歴史修正じみた陰謀論を流すから悪質。
見る側もうっとりと、自分たちだけが誰も知らない世界の神秘に触れたかのような投稿を繰り返します。
ネットニュースのコタツ記事も陶酔しきっている……今年の大河ネットニュースやレビューはいちいち酩酊感があって読むだけで頭がしびれました。
誰も知らない真実――そんなものを受信料で作られるNHKの大河で得られるわけがないでしょ。リテラシーを鍛えてください。
「誰も知らない歴史を知ってしまった……」
大河ファンがそうやってうっとりと投稿していたら、大河ファン以外からすれば不気味でしかありません。
ちょっとは大河ファン以外の言葉を聞くことも大事かもしれない。
「今年の大河? なんかやたらとうるさくてすぐテレビ消した」
「わざとらしい。無茶苦茶わざとらしい……VODと比較するともうさぁ」
「『アンという名の少女』はやりすぎかな、って思うけど。大河の空虚さを見ているとああしなくちゃいけないって思えるよね」
「なんかの再現ドラマかと思った」
歴史だけでなくて、『スマホ脳』でも読んで頭を覚ますことも大事ではないでしょうか。
信の欠如――崔杼弑君
歴史書は真実を記さねばならない。記録の改竄などもってのほか。
そんな教訓として伝えられる故事があります。
斉に仕える崔杼は、主君である荘公を殺した。
斉の歴史記録係は「崔杼弑君(崔杼が君主を殺した)」と記す。
すると崔杼は怒り、記録係の兄弟二人を殺した。
それでも三人目の弟はまたしても「崔杼弑君」と記す。
ついに崔杼は歴史修正を諦めた。
『春秋左氏伝』
この故事は、なんとしても史実を記録すると決めた名もなき記録係の信念が光ります。
そんな記録係がいるかどうか?
実は大河ドラマでもある程度わかることです。
近年の幕末大河で最も時代考証が盤石であったのが『八重の桜』です。
会津藩の歴史といえばこの先生だといえる、そんな方が考証についていました。
後半は同志社大学のプロテスタント関連チェックが入ります。
たとえば、新島襄が酒を飲む場面があるとお茶に変更する。
そんな細やかな配慮があったのです。
迷走していたのが『花燃ゆ』。
幕末長州ならばあの先生と思いつく研究者が、ブログでツッコミを入れる。そんな恐ろしい事態に陥っていました。
集まった担当者も、例年とは肩書きの時点で異なる人ばかりで、幕末史の先生が逃げたのではないかと私は推察しました。
さて、今年ですが。
実はNHK幕末ものでは定番のあの先生がいない。
代わりに誰がいたのか?
◆「青天を衝け」いよいよ最終回…時代考証者が語る渋沢栄一、徳川慶喜、そして旧幕臣たちの実像 : 今につながる日本史(→link)
まず、こちらのお二方ですが。
渋沢史料館(東京都北区)の井上潤館長、徳川慶喜の実弟、昭武の旧私邸にある 戸定(とじょう)歴史館(千葉県松戸市)の齊藤洋一名誉館長
これは非常にまずい。
利害関係があったり、直系子孫にあたる人の証言をそのまま信じることは危険です。
日本ではそのあたりの意識が低い傾向がありますが、これは基礎です。
「私のご先祖が悪いことするわけないでしょ! おじいちゃんは優しかったって伝わっているんだから!」
こういうバイアスがかかったら台無しです。ただでさえ渋沢栄一の証言や『徳川慶喜公伝』には誇張や嘘が多い。清廉潔白な新島襄および同志社大学とはわけがちがいます。
渋沢栄一顕彰団体勤務の方やご先祖の方が、SNSで『青天を衝け』を絶賛していることはしばしば見かけましたが、それを信じてよいものやら。もうなんとも言えません。
ちなみに『八重の桜』では、会津松平家現当主が関連講演会を行い、感想を口にするようなことはありました。
しかし、彼がドラマそのものに口出しすることはない。それが良識ある態度でしょう。
それに名前の並びを見ていくと、専門的な研究者ほど「資料提供」にとどまっている。そこまできっちり睨みを効かせる立場ではないと推察できます。
そしてどうやら朝ドラからの流れがある模様だったのですが、その朝ドラというのが
『あさが来た』
『わろてんか』
という近年でも時代考証がお粗末だった作品です。
『わろてんか』の場合、日本の芸能史における時系列が決定的におかしく、数十年単位でずれていました。
そんな杜撰な姿勢でよくドラマを作れたと絶望的な気持ちになった。特に、関西の芸能史を扱い、小林一三を出しておきながら、宝塚をカットするというのはあまりに酷かった。
本作が、そういう反面教師にすべき朝ドラからの流れを引きずっているとしたら、やはり杜撰にならざるを得ない。
細かく見ていくと、考証の時点で疑念を感じられていたような箇所もチラホラ浮かんできます。
旧幕臣で登場したのは、渋沢とともに大蔵省の「 改正掛(かいせいがかり) 」で活躍した人が中心で、旧幕臣では榎本武揚(1836~1908)、勝海舟(1823~99)が登場していません。
勝や榎本を取り上げると話が広がりすぎてまとまらないと判断されたようです。
榎本は渋沢成一郎(喜作)とともに箱館戦争で新政府軍と戦った後、政府に迎えられて逓信大臣にも就いています。
登場してほしかったのですが、主人公の渋沢栄一とのつながりが薄く、全体のバランスを考慮したのでしょう。
話が広がりすぎると言いながら、なぜ土方歳三のことはダラダラとやったのか。
勝海舟抜きの無血開城もあり得ない。
維新三傑から不自然に削るなんて、おかしい。
長州藩出身者では伊藤博文や井上馨がしっかり登場するのに木戸が登場しないのは不自然だ、と何回か会議で申し上げたのですが、登場人物が多くなりすぎて視聴者がドラマについてこられなくなるという「幕末維新の大河の通弊」を避けるためには、やむを得なかったかもしれません。
ただ、円四郎とともに渋沢を盛り立てた妻のやすは創作上の人物です。
円四郎の妻は元芸者ではないし、三味線の師匠もしていないので、岩崎弥太郎に料亭に呼び出され、手を組めと迫られた渋沢を逃がした話もドラマ上の創作です。
これも何か言いたくなるでしょうね。
結果的にやすは「女衒」になってしまった。どういう感覚なのかと散々突っ込みましたが、時代考証担当者に一切の罪はないとわかりました。
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ちなみにドラマでは屋敷に戻った慶喜が、「薩摩にひと泡吹かせてやった。快なり!」と父の徳川斉昭をまねて祝杯をあげますが、この「快なり!」も斉昭のキャラクターを立たせるための大森さんの創作で、実際には水戸藩独自の乾杯の音頭はありません。
やはり「快なり!」という恥ずかしい乾杯音頭は創作でしたね。安心しました。
このドラマでもワースト候補の平岡円四郎の妻が女衒にされたこと。先憂後楽を忘れて「快なり!」と叫ぶこと。
それが脚本家の杜撰な意識から作られたと知り、納得感はあります。
来年の三谷幸喜さんや、『八重の桜』の山本むつみさん、そして漢籍マスター『麒麟がくる』池端俊策先生なら、そんな侮辱的な創作はしない。経験、知識、良心があります。
しっかりした裏付けもなく、自分の範囲内から捻り出すと、こうなってしまう。今年の脚本家は時代劇を描く上での知識が圧倒的に不足していると感じました。
最低限の知識があれば、主人公恩人の妻を女衒のような働き方をさせないものですよ。
少年漫画『鬼滅の刃』の方が時代考証が綿密に思えるって、どういうことでしょうか?
任命責任を問いかけたい。
そもそも『あさが来た』の時点で時代物としては禁じ手ともいえる捏造をしておりました。
それが大河に起用されるというのはどういうことなのか。
疑問は尽きません。
スタッフロールの通り、本当に脚本家は一名で作られていたのか?
せめて『麒麟がくる』のようにチームにして、かつ脚本協力者を入れるべきだったのではありませんか。
最終盤は時間を持て余したのか、あまりに不自然な場面だらけでした。
誰かが死ぬロス戦術でしか盛り上げられない、人の生死をネタにしているような不快感があった。
だいたい、自分が大好きな役者の顔を見て「実際にもこういうステキな人だったにちがいない」と思いながら歴史劇を書いているなんて、インタビューで得々と語っていいとも思えません。
国旗を逆さまに出したことに対して考証の先生が抗議し、謝罪したこともありました。
今年ほど考証チームが苛立っているとわかる大河もありません。
そしてまた考証の不備を指摘しますと。
『論語』を前面的に押し出しつつ、中国思想や古典の考証すらいないというのは一体何事でしょう。
このドラマでは後期水戸学を扱っています。
取扱注意の危険な思想なのに、随分と杜撰に扱われたものです。
ここは小島毅先生の大河本に期待するしかありません。
そういう気配を察知したのか。
今年はネットや紙媒体でも、ニュースが何か妙でした。褒める記事のコメントで、どこか歯切れが悪かったり、そもそも何も語っていなかったり。
もちろん、誰も彼もがそうとも言い切れず、こんな解説もあります。
◆渋沢栄一の最晩年、昭和天皇が「単独御陪食」で話されたこととは 渋沢栄一と時代を生きた人々(27)「渋沢栄一と昭和天皇」(→link)
こんな不誠実なことばかりが続くと、大河考証が鬼門になりかねない。
ひいては、鬼門を避けた先生がVOD側につき、満洲国や大韓帝国を描くドラマが作られ、世界で放映される日もそう遠くないのではありませんか。
そうなったら、もう近現代大河は終わります。
このインタビューを読んで、もう大河は“信”を破壊し尽くしたのだと感じました。
時代考証担当者が「おかしい」と言っても却下する。
その言い訳として「幕末史は人物が多くてわかりにくいから」と、視聴者に責任転嫁するようなことを言う。
時代考証担当者だけでなく、視聴者のことも、バカにしているとしか思えない。
私は、そんな姿勢に耐えられません。こんな不良品は指摘されて当然でしょう。
たとえ大島優子さんが値千金の美しさを見せていたとしても、ドラマとしては駄作です。
◆ 青天を衝け:「偉人伝」ではなく「人間ドラマ」を 脚本・大森美香の思い 吉沢亮“栄一”に「人生を駆け抜けてほしい」と(→link)
◆ 『青天を衝け』脚本家・大森美香氏「ディーンさんありがとう!」 2度目の五代で“見たかった”姿が(→link)
二回も五代友厚を扱っておいて、黒田清隆をかすりもしないなんて、もうこれは乙女ゲーと大差ありません。
偉人伝をあえて避けたように言いますが、要するにまっとうな伝記を描くだけの力量がないと自ら告白してしまっているも同然。
歴史人物とラブラブしたい!そんな趣味を大河で堂々とやられて、とても黙っていられません。
汝に之を知ることを誨えんか
さて、最後に。
渋沢栄一も大好きな孔子から、大事なポイントでも教えてもらいましょう。
子曰く、由よ、汝に之を知ることを誨えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。
『論語』「為政」あのね、きみに、知るってどういうことか教えるね。
自分が知っていることを、「知っている」と認知する。自分の知らないことは、「知らないこと」として認知する。これが知るということなんだよ。
ハッシュタグで感想を漁っても。気に入ったネットニュースをつぶやいても。大河で見たことだけを史実として信じても。それは「知る」ということではない。
そんな指摘です。
最後に、秀逸なデータ解析であるこの記事の興味深い部分を引用しつつ、再掲します。
◆『青天を衝け』視聴率半減の真相~大河で見たいのは“偉人伝”でなく“人間ドラマ”(→link)
視聴率の推移から、読者の傾向などを分析した記事。
ところが3月末には15%を切り、秋には12%台が普通になった。
コロナ禍や東京五輪で放送が中断されるなど、不運が重なったことは否めない。それにしても、最終回の11.2%は『八重の桜』の3分の2、以後の大河では史上最低だった『いだてん』を除くと最悪だった。
大河ドラマとして好条件が揃いながら、『青天を衝け』はなぜ最終回までに視聴者のほぼ半分が消えたのか。
SNSやウェブメディアでは名作ともされがちな本作を、数字から以下のように暴いています。
・大河ドラマは今では唯一の時代劇だが、“歴史・伝統”関心層は当初の16%から秋以降は10%前後と3分の1以上が離反していた。
・特に女子大生に至っては、初回3.0%がラスト2回は0%だ。残念ながら、期待と大きくズレたドラマだったようだ。
・『青天を衝け』初回では、経済に関心のある人や、企業の部課長がたくさん見に来ていた。
ところが多くが途中で脱落した。ビジネス上での生々しい場面がもっとあれば、最後まで見続けた人はもっと多かったのではないだろうか。
1年付き合うだけの価値があるか否か、眼鏡にかなわなかったとしたら残念でならない。
半減とはひどい。『麒麟がくる』の恩恵は即座に消えていました。
脚本家さんは盛んに「偉人伝ではなく、人間ドラマにしたことが成功だ」と語っておりました。
しかし、その言い訳すらデータは潰します。天地不仁もとい、データ不仁(=容赦ない)です。
それにしても、本作を成功しているとイケイケドンドンだった媒体は、どのデータを見てそう分析していたのでしょうか。
むしろ“失敗の本質”を分析すべきだったのでは?
おそらく編集サイドから「『青天を衝け』は成功しているという切り口で書いてください」という依頼があったのでしょう。
例えばこんな記事。
◆吉沢亮『青天を衝け』、成功のカギは大河ドラマの「朝ドラ化」にあった(→link)
主役の抜擢を、少し落としてから上げる手法で褒め称えています。
しかし、数字からそんなことが無かった可能性が高いことは上記の記事でも示されていました。
歴史劇としてもつまらない。若い女性も見ていない。経済やビジネスに関心がある層も脱落。
残った層は、40代前後、若くもなければ成熟してもいない。経済や歴史に興味がない層で、ドラマや芸能が好き。
私が想定していたファン層ですね。
つよポンコスプレドラマ。
イケメンが脱ぐドラマ。
SNSで書き込んで仲間内だけで盛り上がるドラマ。
それが『青天を衝け』の受容でした。
こうした層に刺さるメディア戦略をすれば、盛り上がった空気は醸成できる。いわば【ステマ(ステルスマーケティング)】ですね。
ですので、例年の大河とはちょっと切り口の違う、こんな記事も作られます。
◆【吉沢 亮のGathering in the Light no.10】MIKA OHMORI/大森美香(→link)
自信たっぷりですね。
脚本は手直しだらけでギリギリまで遅れ、そのせいで現場はいつも大慌てだったそうです。
ガイドで事前公開されているシナリオがかなり変わっていましたもんね。
幕末の基礎的な知識、歴史への興味関心がないからそうなるのでしょう。
中身がないのに空気だけを演出する。そんな戦術は【エコーチェンバー】を形成します。
それゆえ【エコーチェンバー】の宿痾もつきまとった大河でした。
チェンバーの外にいる者、こと私のように口が悪いものは、執拗に、攻撃的に、尊大な態度で絡まれる。
今年は色々ありました。自業自得の部分もあるとはいえ、どうしたものでしょう。
確かにハッシュタグをつけて盛り上がるのは楽しいかもしれませんが、人の思考に自分の思考を過剰に沿わせてしまう危険性はあります。
スマホをおいて、ハッシュタグを使わず、純粋にドラマを楽しむことも必要ではありませんか?
胸がぐるぐるする、そんなおかしれぇ時間も終わりました。
来年はもっと地に足がついた年が過ごせるよう願ってなりません。
この大河で学んだ歴史が危険だということだけは老婆心ながら申し上げておきたい。
そして最後に、来年の『鎌倉殿の13人』はますます盤石だとわかりました。
◆ 小栗旬主演の次期大河 徹底したハラスメント対策で良好な撮影現場に(→link)
ハラスメント対策は、要するに“仁”。つまりは思いやりです。
仁がある現場ということは、きっと士気も高く、よいものを作れることでしょう。
天晴!
私は何の心配もしておりません。やっとこう言える。『麒麟がくる』以来だ。
私たちも大河を見習うべきかもしれない。くだらない誹謗中傷をしている場合じゃない。来年が本当に楽しみです。
私も何もネチネチ言いたいだけではない。
墨子も言っておりました。
桃や李(すもも)をくれる相手がいたら、あなたもかぐわしい果実を返しなさいと。
来年は、ずっと芳しい果実を投げる日曜でありたい!
その願いは叶うと信じています。
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【参考】
青天を衝け/公式サイト






















